傍見楼日乗

路上、スタジアム、ときどき料理店。

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[ 大学選手権ファイナル ]
明治大学 22−17 天理大学(1月12日 @秩父宮ラグビー場)

セミファイナルでは、会心のゲーム運びで帝京大学の連覇を止め(天理29−7帝京)ファイナルに進出した天理大学、早稲田とのたたかいをきわどく生き抜いた明治大学(明治31ー27早稲田)。2つのチームはきわめて対称的なかたちでファイナルに進出してきた。
セミファイナルの勝利が天理にもたらしたものは、一つの達成感だろう。9年間だれもできなかったことを成し遂げたのだから。一方、セミファイナルの勝利が明治にもたらしたのは、それとはたぶん逆のものだ。足りないものの自覚とそれゆえに生まれる勝利への飢え。そのことが次のたたかいの構図を形成する。
王者・帝京を倒した瞬間から天理は、暫定王者として「挑戦する側から挑戦を受ける側へ」とその位置が変化する。こう書くことで、ファイナルでは天理にゆるむところが生まれたと言いたいのではない。位置の変化は相対的なもので、当事者の意識とは無関係だからだ。それは天理の側からは見えない。しかし、明治の側からは見える。だから、明治はより鮮明に自らを挑むものとして意識できたのではないかということだ。そして、ともに必勝を期して臨むたたかいにおいて、相手戦略への対応策、勝とうとする意欲をより多く携えてピッチに登場してきたのは挑戦者の位置にいるものの方だった。

何が勝負を決するのか。プレーヤー個々の能力、その複合体としてチーム力、戦術、瞬間瞬間のプレー選択、メンタルの在り様、天候、レフェリング、そして運・不運・・・。いいゲームほどさまざまな要素が複雑に絡み合って考えれば考えるほどわからなくなる。どちらが勝ってもおかしくないゲーム(「メイジ!メイジ!」の大声援がスタジアムを支配する完全アウェイの状況の中、最終盤、17点のビハインドから一気にあとわずかで勝利に届くところまで追い上げた天理の気迫は見事だった)にあって、最後の5点差をもたらしたのは何か。ああでもない、こうでもないという連想の迷宮の中で、ひととき観戦者の脳内に浮かんだのは上記のような仮説だった。

花園ラグビー場で行われていた第98回全国高校ラグビー大会は、大阪桐蔭高校が神奈川の桐蔭学園を破って初優勝を飾り、大会の幕を閉じた(7日。大阪桐蔭26ー24桐蔭)。

全国高校ラグビー大会は、その時点におけるわが国のラグビーの現状をもっとも凝縮した形で観察できるショーケースといえる。さまざまなチーム構成(ぎりぎりのメンバーで出場する小さなクラブから部員100人を超す大所帯まで)、たたかい方における創意・工夫、個々のプレーヤーの資質や才能、勝負というものが必然的にはらむ〈運・不運〉という要素、レフェリングの質とそれへの対応、そして大会全体が醸し出すその年ごとの雰囲気など、見るべきところ、考えさせられることがてんこ盛りである。

今大会を通じてわたしが感じたのは「南半球化」と「時間意識の変容」という二つの大きな流れだ(まあ、思考実験的妄想ですが)。

「南半球化」とは、いまこの国のラグビー文化がスーパーラグビーの圧倒的な影響下にあるということだ。スポーツ専門チャンネルによって毎週放映されるスリリングなプレー、スタープレーヤーのふるまいは、翌日の午後すぐさま、列島のどこかの中学、高校のグラウンドで模倣される。〈われらがチーム〉サンウルブズの参加が、この動きをより大きなものにした。水道の蛇口から直接水を飲むように若いプレーヤーが毎週湧き出すように送られてくる情報に接することの影響は、通常考えられているよりもはるかに大きいと思う。この動きには、ポジティブな側面とネガティブな側面(たとえば、トライ後、ボールを叩きつけて喜びを爆発させるパフォーマンスは、以前なら非ラグビー的行為として注意されただろう)があるが、百年以上かけて形成された日本ラグビーという器に、新しい燃料が供給されて大きな変化が起きていることは確かだ。

また、ベスト8に進んだチームを見ていて強く印象に残ったのは、時間のマネジメントのうまさ、それを支える選手たちの心理のあり様だ。接戦が多かったが、残り時間10分あるいは5分という終盤、リードを許している側がパニックにならずに冷静にプレーし、そのいくつかでは逆転に成功した。いずれも強豪校だから、強化のプロセスでそのような局面を何度も経験してきたということもあろう。最近その重要性が指摘されるメンタル・トレーニングの導入などによって、選手たちが鍛えられたということもあろう。そしてさらに、それらの要素に加えて、セブンズの普及による「時間意識の変容」ということがいま選手たちの深層意識で起きているではないかということだ。
オリンピック競技としてセブンズが採用されたこと、5年前から高校のセブンズ全国大会が開催されていることもあって、いまや多くのクラブが7人制ラグビーに積極的に取り組んでいる。そして、花園に出場する学校はいずれも15人制だけでなく7人制においても強豪である。(妄想レベルの話だが、と再度断って言うのだが)、セブンズの7分ハーフのゲームを数多く経験することで、プレーヤーたちにとって15人制30分ハーフのゲームはこれまでと全く違ったものとして見えてくるはずだ。
それは時間の量で言えば、4つ、あるいは5つのセブンズ的時間が組み合わされたものだ。30分ハーフのゲームにおいて残り10分、あるいは5分という時間は崖っぷちに追い詰められた時間帯ということになるが、セブンズ的時間意識においては新たなゲームの出発点、勝負をひっくり返せると信じるに足る充分な時間となる。だから、彼らはあわてない。自分たちの形さえつくれれば短時間でトライが取れるはずだ。だから、彼らは平然と前の空間に、その先にあるゴールラインに視線を送る。
セブンズはこれまである種の実験ラボとして、冒険的な戦略、新しい自由度の高いプレーを15人制のラグビーに供給し続けてきた。時間意識の変容という可能性もまた、その要素の一つとして考えてみてもいいという気がする。

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明けましておめでとうございます。
皆さまにとって、2019年がおだやかな1年でありますように。
相変わらずサボりながらの更新ですが、お暇なときに覗いていただければ幸いです。

朝起きて、とりあえず日の出を撮影に。いつもと同じ空、同じ太陽、同じ風景で、同じように鳥が飛ぶ朝なれど。風邪をダウンジャケットでくるんで待つこと30分、雲間から控え目な曙光。

の如く 雲のいだきし 初日かな

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風邪が抜けない。というより、敵の連続攻撃にじりじりとディフェンス・ラインを下げられている。今日は喉に違和感。たとえて言えば、いま自陣22メートルラインを破られたあたり。やばい。空気はひたすら冷たく、風景はその色を失い、家々の上を乾ききった風が吹きあれる。冬。人類はなぜこんなひどい季節に新しい年を迎えるということに決めたのであろうか。

昼飯は、正月用に準備した豚の角煮を使って角煮うどん。
スープは豚肉を煮た汁(水+醤油、酒、ハチミツ、ショウガ、ニンニク、ネギ、八角)をお湯で割り、「あれをちょっぴり、これをちょっぴり」と毒薬を調合する魔女のようなことをして、かなり台湾の屋台風に。麺は冷凍庫にあった讃岐風細うどん。それに、やはり正月用につくった御煮〆の中のニンジン、シイタケ、大根も加え、最後に万能ねぎをちらして出来上がり。豚肉が風邪に効きそうな気がする。

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28日。松飾り用の枝を取りに。
午前9時、気温0度。横殴りの突風(思わぬ角度から突然あらわれるタックラーのようだ)を受け、何度か自転車が倒れそうになる。縁起をかつぎ「9(苦)」がつく29日を避けて28日にいくのがこの地の習慣であるが、なにもこんな日に、とも思いながらペダルを漕ぐ。風に枯草や木々が激しく揺さぶられ、村を囲む山々が巨大な生き物のように吠えている。
自転車で走っていると、寒さが細い固体となって顔に突き刺さる。春が、夏が、秋がどんな季節であったか、わたしはもう思い出すことができない。

山道に入ると、昨夜積もった薄い雪の上に動物の足跡。たぶんタヌキ(左)とカモシカ。
用事はすぐ終わったが、山は久しぶりなので自転車と松の枝を道の脇に置き、(寒さと風を呪っていた行程前半から一転して)山の中に網の目のように張り巡らされた林道やけもの道を2時間ほど歩き回ってから、娑婆へ帰還。

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正月に向けて、この時期の恒例の作業である幣束切り。一年経った古い幣束を新しいものと入れ替える。幣束はいろいろな形があるが、わが家はごくシンプルなもの。二つに折った和紙に小刀で数か所切込みを入れ(写真下・左)、切った部分を手前に折っていって(写真下・右)出来上がり。近くの神社からとどいた大黒様、恵比寿様、年神様の絵と一緒に、幣束を神棚に飾る。
大工だった祖父は、小刀一つで鯛や米俵など切り紙細工のような複雑なかたちの幣束もつくっていた。教わっておけば良かった、型紙だけでも残しておけば良かったと、毎年、この時期になると思う。

震災前は毎年、弟や母と自宅で餅つきをやっていたが、さまざまな理由で親族が集うことが少なくなった近年は、餅は近くのスーパーで購入。明日、山に行って松飾り用の枝を切ってくれば、わが家の簡素な正月の準備は完了。

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トップリーグの入れ替え戦、日野レッドドルフィンズ対近鉄ライナーズ。朝早く起きて録画観戦。わが地元チーム・日野(練習グラウンドが自宅から自転車で10分)がなんとか勝って、来期の残留を決めた。鼻水と涙をたらしながらテレビの前で思わず拍手。うれすい!

風邪をひいたらしく、鼻水が止まらない。鼻水たらしながらゴミを出し、鼻水たらしながら掃除・洗濯し、鼻水たらしながら買い物に行き、鼻にティッシュを詰めて料理をする。鼻水をたらしながらパソコンのキーを叩き、鼻水をたらしながらテレビのリモコンをいじり、鼻水をたらしながら本のページをめくる。いったいどこから出てくるのかと思う程、出る。パッキングのいかれた蛇口のようだ。目もショボショボして、悲しくもないのに涙が出る。一週間ほど、良くもならず悪くもならず、鼻水、涙とともに生きる日々。デカルト風にいえば、「我、鼻水をたらす故に我あり」。あらゆるものの存在を疑い得ても、ただ一つ、鼻水をたらし続ける己の存在は疑うことはできないのである。

いまこのとき、わたしは鼻水であり、鼻水はわたしだ。

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陸中沿岸の今日の日没は16時11分、東京は16時32分。地球の影は彼我の距離を20分で移動する。実家警備員の短い休暇が終わり、明日から20分早く夜になる(そして20分早く朝の来る)国に戻って勤務再開。

ダウンコート、オーバーズボン、襟巻、スキー用手袋&帽子、そして腹と腰に使い捨てカイロ3枚貼りという完全防備。それでも寒い。しかも2試合。スタジアムに吹き付ける風にペットボトルのほうじ茶がたちまち冷たくなる。いやまあ、文句言ってますが好きでやってるわけでして。それにすっかり忘れているが、もともとラグビーは寒い季節のスポーツ。
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〈ファイナル〉神戸製鋼55−5サントリー
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日和佐篤は別枠に置いとくとして(誰もが認めるように彼のキャリアの中でいまが一番輝いている)、個人的にMVPを選ぶなら、この日、フランカーに入ったグラント・ハッティング。201センチの長身ながら細かいプレーもうまい。運動量、スピードともに申し分なしで、終始、ボールのあるところにいて決定的な仕事をした。
思わぬ大差の結果になった。接点で激しく前に出て、そのポイントから一気に外に運ぶ神戸の攻撃にてこずり、サントリーはほとんど自分たちのラグビーをさせてもらえなかった。点差が開き無理なアタックを仕掛けけることでさらに苦境に陥る。このゲームは勝負というものが持っている冷酷な構造がはっきりと見えた典型例といえる。サントリーは、前節、準決勝でヤマハと極めてテンションの強いゲームを戦った疲労もあったかもしれない。

〈ブロンズ・ファイナル〉ヤマハ発動機15−12トヨタ自動車
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ともにミスの多い試合。ヤマハもサントリーとの激闘の疲れがあったかもしれない。チャンスは多く作るのだが、肝心のところでラインアウトがさっぱり取れず、またキック、ハンドリングのミスも続く。そのヤマハを圧倒できずトヨタもお付き合い。結局、この日キック不調のヤマハFBのゲリー・ラブスカフニが何とか76分にPGを決め、ヤマハが3位に。

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朝起きたら7、8センチの積雪。いよいよ本格的な冬の到来だ。カーテンを開けて見ると、誰かが道路およびわが家の玄関先までを除雪してくれている。まだうす暗い時間に行われたのだろうボランティア作業に感謝。朝食後、わたしも遅ればせながら周辺地区の雪かきをしたが、もうそれほどやるべきところが残っていない。

9時ごろから雪が雨に変わった。予報では夜半にふたたび雪とのこと。大雪警報の他に、強風、濃霧、高潮、着雪と悪天候警報のフルラインアップ。明日は一度雨で融けた雪が凍結し、その上に雪が積もるという危険な道路状況になるかもしれない。母をショートステイに送り、その後東京に戻る予定なので、途中のタクシーおよびバスに影響がなければいいのだが。特に宮古ー盛岡間の長距離バスは途中、標高750メートルの区界高原をこえるので不安。いつも高所恐怖症のわたしを震え上がらせる断崖沿いのコースがあるのだが、そこが凍結しているかもしれないと想像すると、それだけですでにお尻の周辺がザワザワする。
この「お尻ザワザワ」はわれわれが樹の上で暮らしていた大昔と関連していて、高い所から落ちないように尻尾で枝につかまろうとするときの感覚の名残りという説をどこかで読んだことがある。わたしだけでいい、進化の過程で失われた尻尾を返してほしいとときどき思う。。

昨日はこんな天気だったのだが↓。霜が降りた里山沿いの畑にはたくさんの動物の足跡。
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