2017年06月25日

レバタラ観戦記ーいまスタジアムにないもの

アイルランド代表 35-13 日本代表(6月24日 @味の素スタジアム)

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「レバタラ」。それは明日への活力。進歩のためのポジティブなゲーム分析の別名である。
というわけで、長年、レバタラという技を磨いてきたわたしの計算によれば、28対20という大接戦であり得たゲームである。すなわち立ち上がり3分、パスミスをアイルランド13番、ギャリー・リングローズにかっさらわれての失トライは無しね(マイナス7点)。後半2分のTMOで消えた流→松橋のトライは有りということで(真ん中、イージーな位置のコンバージョンも決まったという設定。プラス7点)。

レバタラ対象の最初の失トライは、ルーク・トンプソンのビッグタックルから相手ボールを奪って訪れたジャパンのチャンスで発生した。一気に攻守が変わったシーンに、アイルランド・ディフェンスは素早く前に出てライン外側から圧力をかける。奪ったボールを一気に外側に運びたいジャパンと、運ばせないというゲームプランを冷静確実に実行するアイルランド。ここではチャンスを得たように見えるジャパンの方が相手に飲み込まれている。プレッシャーの下で攻め急ぎ、プレーの精度を欠いてしまった。あれが無ければ・・・・
後半の幻のトライ。相手のキックを取ったマイケル・リーチから始まったカウンター・アタックである。ヘル・ウヴェ、松橋周平、アマナキ・レレイ・マフィの強力なドライブで相手ゴールライン直前まで運び、そのラックからの球出しで流大がノックオン。さまざまな解釈が成り立つシーンだが、相手のパワーに、スピードや変化で対応しようとする場合に起こり得るミスといえる。あそこでスコアできていたらゲームは全くちがうものになった。
「100パーセントのプレーでなければ、99でも98でもゼロにされてしまうコース」と、ゴルフの松山英樹がマスターズの行われるナショナル・オーガスの難しさを語っていた言葉が、ラグビー・ジャパンのたたかいにも重なる。100でなければ、99でも98でもゼロにされてしまうゲームージャパンはつねにそうした困難なたたかいを闘っているのだ。

パワフルなアイルランドの前進を止め続けたディフェンス、イーブン以上に組めていたスクラムなど、第1テストから格段に改善されたジャパン。強化のために、このウインドウ・マンスであともう1試合やりたかったなあ。

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ゲーム前の選手紹介で、ルーク・トンプソンが紹介されたときに沸き起こった大歓声はすごかった。スタジアム全体が一つの大きな楽器として振動する。その声援に応えるかのように、トンプソンのプレーは素晴らしかった。何度、相手を倒したことか。

「あと2年あるんだろう。だれかワールドカップ向けのジャパン応援歌つくれよな。そしたら、もっと盛り上がるのに」と、となりの席の若いカップルが言っていた。そう思う。
この日の29,354人の観客は素晴らしかった。ピッチ上と連動して盛り上がる。大歓声がある。拍手がある。ブーイングがある。笑いや悲鳴がある。敵味方を超えたプレーヤーへの尊敬がある。ラグビーというスポーツへの驚きと愛がある。
ただ一つ。いまわれわれのスタジアムにないものは、ジャパンのためにみんなで歌える応援歌。

nor_sasaki at 13:02|Permalinkclip!スタジアム | 東京ウエストエンド発

2017年06月14日

定食屋「わきみ亭」本日のまかないー即席ピクルスと鶏ムネ肉のハム

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[ 即席ピクルス ]
酢に昆布だしを加え、塩と砂糖を少々、それにハーブミックスを入れて漬け汁をつくり、適当に切った野菜(この日はラディッシュとニンジン)を投入したら冷蔵庫に。朝仕込んでおけば、昼には食べられる。
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スーパーの野菜売り場で、知らないおばさんが話しかけてきて。
ラディッシュって書いてあるけど、二十日大根だがね、これ。なに恰好つけて、ラディッシュだって。バカでないの。なんでも英語にすればいいかと思って、まったく。むかしからここでは二十日大根だべ。それとも何か、年寄りは喰うなってことか。ははは」

すみません。わたしも恰好つけてラディッシュって書きましたが、二十日大根ですよね、ここでは。
あ、ピクルスも。酢漬けですよね、酢漬け
ついでに言えば、鶏肉ハムは生利節だろうか。

*地元向けタイトル改正案ー即席酢漬けと鶏肉の生利節

nor_sasaki at 21:16|Permalinkclip!料理店 | イーストエンド発

2017年06月09日

緑景

緑を見るのは目にいいそうなので、パソコンで目が疲れた方はどうぞ↓(*クリックで拡大します)。

と、パソコン画面を見ることを勧める矛盾・・・。

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nor_sasaki at 20:05|Permalinkclip!路上 | イーストエンド発

2017年06月06日

冬の? カッコウ

昨日から森でカッコウが鳴き始めた。今朝も早い時間から鳴いている。
近くにある保育園から、カッコウを真似する子どもたちの声も聞こえる。

この1週間、季節外れの寒さが続いていて昨日は最高気温13度。今朝起きたら寒暖計は9度を指している。まるで冬のような気候だ。
南方から〈避暑〉に来たわけで軽装だろうに、大丈夫か、カッコウ。   

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nor_sasaki at 09:35|Permalinkclip!イーストエンド発 | 路上

2017年06月01日

精霊の土地

「金運が」と、その小学6年生は言った。

散歩の時間に学校から帰る小学生たちとよく出あう。そのうちの何人かとは、ときどき話を交わすようになった。彼はその一人だ。会うとわたしがいつもぶら下げているカメラを指して、今日は何を撮ったのかと聞いてくる。
雲とか。道とか。山とか。わたしはカメラのスイッチを入れ、メモリーカードに記録された何枚かの画像を彼に見せる。
「ありがとうございます」。画像を見終わると彼はいつも大人びた口調でていねいに礼をいう。その言葉を聞くたびにわたしは、彼がほんとうに写真を見たいのか、それとも誰か大人と大人のような口調で話しをしてみたいだけなのか、どっちなのだろうと考える。

その日、一人で歩いていた少年は、わたしが後ろにいるのに気付くと立ち止まって待っていた。追いつき並んで歩きだすとすぐ、彼はわたしに聞いた。いつもと違って写真のことではなかった。
「手相って信じますか」
「手相? うーん。信じたり信じなかったり、かな」
「金運が」と、その小学6年生は顔をあげてまっすぐこちらを見ながら言った。「金運があるらしいんですよ、ぼく」
「へー、いいなあ」
「親戚のおばさんがぼくの手相をみて、そう言ってたんです」
「どういう手相だと金運があるの」
「親指の下のところ、ほら、ここんとこ。この線がその徴だって」
「わたしはどうだろう」
「え? なんですか」
「手相」
「ああ、おじさんの手相ですか」
「わかる?」
「えーと。よくわかりません」
「金運はないな。それは自信がある」
「すみません。親戚のおばさんならきっとわかると思うんですけど」

ふたりが歩いているのは交通量の多い国道の脇で、途切れ目なく走る工事用の大型車両の音で会話はときどきかき消されそうになる。騒音に負けないように、少年は少し大きな声で続けた。
「それでね。本当だったですよ、おばさんの言うことが」
数日前に行われた商店街のイベントで福引をしたら、1万円の商品券があたったのだという。
「お父さんがお前は金運があるらしいから引いてみろって言って。それでぼくが引いたら当たったんです」
「すごい」
「お父さんはいつも宝くじを買っているのに、ぜんぜん当たらないんです。当たったら家を建てようと言ってるんですけど。津波で家を流されたんで、いま仮設住宅なんですよ、ぼくの家。狭いんです。だから、早く大人になってぼくがお金もうけしてお父さんとお母さんに家を建ててやろうと思って」
「ええ話やなあ」
「はい?」
「ごめん、なんでもない」
「自分の部屋もほしいんです」

「いまあちこち工事していて、たくさん空き地があるでしょう」と少年は、別れ際に言った。「その中で、家を建てるならあそこがいいなって、自分で決めている場所があるんです」。そこは彼がいま住んでいるところから少し山の方に行った斜面、新しい道路の建設が行われている場所の傍らだった。そこなら、わたしも知っている。子どもの頃、その辺りで遊んでいて何度か土器の破片を見つけたことがある。山裾のススキや萱に覆われた土地だが、古い時代から人が暮らしていた場所だ。

少年と別れたあと、ふとゲニウス・ロキという言葉が浮かんで来た。土地の精霊という意味だ。神話をもとにするこの言葉は、いま土地の可能性や歴史を象徴する記号として使われる。土地は現代にあっても神話的世界とつながっていて、わたしたちの感性や意識の最深部に語りかけてくる。
はるか昔、人々は土地に住む精霊が発する〈良き力〉を感知し、あの場所に住みついた。古代人たちが感知していたであろう土地の精霊が発する〈良き力〉を、何万年も時を隔てていま、少年もまた感知しているのではないだろうか。

海辺からやって来た少年の家は、だからあの場所でなければならないのだと、わたしは少年の大人びた口調を思い出して、そう思った。

nor_sasaki at 14:01|Permalinkclip!路上 | イーストエンド発

2017年05月24日

定食屋「わきみ亭」先日のまかないーホヤと胡瓜の酢のもの

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故郷とわたしを結びつけているのは主として〈食〉であるが、その食の中でもこの時期は特にホヤである。これから夏にかけてが旬で、身が肉厚になり甘味が増してくる。実家にいると朝採れた新鮮な殻つきホヤが手に入るが(1個100〜130円程度)、いまは東京なのでしばらく食べていない。ぐるじぃ〜!

ホヤの身のたぶん98%くらいは海水で、彼らはその変てこな球形の殻の内側にもうひとつの海を抱え育てている生き物だとも言える。だから、ホヤを食べるということは、遠い日、われわれがやって来た海を食べているようなもので、それなら面倒なことをせずに海水を飲んでいればいいんではないかという理屈も成り立たないわけではないが、世の中、そうはいかない。何億年もかけて、地球は生物は、もう少し複雑で素敵な構造を組立てたのである。
夏の間、われわれはせっせとホヤを食べる。せっせと、海の中のもうひとつの海を食べる。

写真は2週間前に実家でつくった酢の物。
生食だけでなく、みつ葉を散らしたお吸い物や炊き込みご飯もうまい。
わが心のホヤたちよ。もうすぐ帰る。待ってておくれ!

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nor_sasaki at 21:59|Permalinkclip!料理店 

2017年05月22日

二人の自分

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先週東京に戻ってきたらあまりの暑さで風邪をひき、しばらく頭痛と鼻水に悩まされた。〈暑さ→風邪〉という因果関係がおかしいと思う人がいるかもしれないが、事実はそのように因果したのであり、そこに21世紀という時代の混迷を垣間見ることができると言えるのではないだろうか。

さて。風邪の間、あまり体を動かさずにいたので、ウォーキングに行くと脚力が落ちているのがはっきりと分かる。夏のような湿気をたっぷりと含んだ空気がぶ厚く堆積している公園を歩きながら、「もっと早く歩けるだろう」とせかす自分と、「いや、もう齢だし病み上がりだし暑いし、こんなもんでしょ」と反論する自分とが、脳内で不毛な会話を交わしている。

101歳という長寿を生きた人類学者クロード・レヴィ=ストロースが、90歳を祝う催しでの挨拶で、高齢となった自分の中にいる二人の「レヴィ=ストロース」について語っているのを、どこかで読んだことがある。
ひとりは、年を経ることによってかつての自分から多くの能力が失われ「半分あるいは3分の1、4分の1」となってしまった自分。もうひとりは、ホログラフのようなものとして存在しながらまだかろうじて全体性を保っている自分。
そのふたりのうち、全体性を保っているホログラフの自分は、いまでも、これから書くべきこと、研究するべきことをあれこれ構想し、その概要を示してもうひとりの自分に「さあ、ここからは君のやるべき仕事だ」と語りかける。語りかけられたもう一人の自分は「いや、もうわたしにはできない。それはまだ全体性を保っている君の仕事だろう」と反論する。
ユーモアでオブラートされているが、レヴィ=ストロースにおいても年をとるということはなかなか慣れることのできない奇妙な状態(静かな寂しさを伴った)なのだろうと思わせる挨拶である。

90歳まではまだしばらくあるが、そしてとてもそれまでは生きられないという気がするが、しかし、二人の自分のすれ違う会話ということ、慣れることのできない奇妙な状態ということではすでにいまわたしは90歳時の知の巨人に負けていないぞ、と、ふっと思ったのだが。

えーと。「だから何なのだ」と聞かれたら、「いえ、べつに。ただ書いてみたかっただけです」と小さな声で答えるしかない、まとまらない話でした。

nor_sasaki at 23:53|Permalinkclip!路上 | 東京ウエストエンド発

2017年05月07日

連休の終わり

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4日、5日。川の上流に山菜採りに出かける。熊の出没情報があるので、それなりに注意しながら。
若葉の匂いが全山をおおっている中を、あちこち歩きまわるが収穫少なし。暑いので、冷たい沢の水がやたらにうまい。季節はいま、岩の間から湧き出す清冽な水となって木々や鳥やわれわれを癒す。2日とも、山菜より山の空気と水を摂取しに行ったような感じだ。石ころだらけの山道を自転車で降りてくると、胃の中で水がちゃっぽんちゃっぽんと跳ねる。
6日。庭の草刈りをしていたら雨が落ちて来たので中止。止めたとたんに晴れてきたが、作業を再開する気にならずギターの練習。たまにしか触らないから、気持ちのいいほど下手になっている。絵はヘタウマ(と言い張る)という生存戦略が有り得るが、音楽にはそのテが効かない。下手は、ただの下手。もう少し練習しなくては。
7日早朝。サンウルブズ対ジャガーズ(@ブエノスアイレス)のライブ中継。解説者によるとジャガーズの現地発音は「ハガーレス」というらしい。結果は46対39でハガーレスの勝ち。南半球遠征4戦目で疲れているはずのサンウルブズだが、残り10分までリードという見事なたたかいぶりだった。

ということで連休が終わった。毎日が連休という生活なのに、なぜか妙なポッカリ感。

nor_sasaki at 13:05|Permalinkclip!路上 | 実家警備員日記

2017年05月03日

「郷里」という困難

2年前から行われていた農地区画整理工事が終わり、今年から地区の水田耕作が再開される。田植えに向けて、昨日、新しい水路からわが家の田んぼにも水が入れられた。「わが家の」と書いたが、正確に書くと「わが家を含む」田んぼ。猫の額ほどしかないわが家の田んぼは、区画整理によって3者共有の大きな田んぼの一部に組み込まれた。

父が亡くなって以来、長い間、耕作放棄の状態で周りに迷惑をかけていた土地だが(年に数回草刈りをしたり、他の作物を植えてみたりもしたが、結局充分な管理ができず、雑草の種が飛んだり、虫の発生源となっていた)、ようやく新しい活用の道が開かれてほっとしている。管理運営は、新しく出来た耕作共同組織に委託することにした。
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さわやかな5月の連休にうっとうしい話題で恐縮ですが、郷里・実家の山林や田畑をどう管理するか、あるいはどう処分するかということは、いま多くの人の抱える難問だろう。
何冊かそれに関するハウツウ本を読んだりネット上の情報を調べたりしたことがある。それらは各種制度や法的手続きについていろいろ教えてくれていて、それなりに役に立つのだが、多くの人が抱えている問題の難しさはたぶんその先にある。その困難は、俯瞰的には政治、経済、文化の構造的大転換期という世界史的な状況と深く関わっていると同時に、それぞれの事例としては固有の物理的条件や社会的条件、あるいは人間的条件の複雑な混淆体として存在しているからだ。わたしの困難は、そして、あなたの困難は、それぞれの人生と同様に、他のどれかに似ていて、しかし、他のどれとも同じではない。だから、固有の編み物として在る困難の編み目を、それぞれがひとつひとつ自らの手でほどいてゆくしかない(あれ、話が妙な人生訓のようになってしまった)。

田んぼ問題が一段落し、実家警備員の次なる悩みは畑にある大きくなり過ぎたケヤキである。隣家との境界近くにあり、毎年、大量の葉を落とす。隣家の迷惑にならないように数年前から伐採を考えているのだが、側を電線が通っていて作業がむずかしい場所である。へたをすると電線を切断して一帯が停電という事態もありうる。そこで電力会社に伐採を依頼したら2年ほど待たされたのち、高所用作業車を入れる道がないということで断られた。畑に入るには、幅1メートルほどの私道(周辺地権者が話し合いでつくった)があるだけなのだ。周りが全て野原で車もない祖父の時代はそれで良かったのだが(子どもだったわたしは祖父母が畑を耕しているとき、その小道でトンボやバッタを追いかけていた)、周囲にいろいろ住宅が建っている現在、その牧歌的小道は存在そのものがあいまいで、しかも両サイドに雑木が生えていて車の通行不能だ。
高所作業車を使わず人が木によじ登って伐採する「ロープ伐採」という方法もあるらしいが、専門の会社に問い合わせたら費用がすごい額になる。この歳でいまから大木への登り方を覚えるのも無理だし。高所恐怖症だし。となると、隣接する遊休地を借りて臨時の進入路をつくり、重機を入れて伐採するしか方法はない。ケヤキの脇に耕運機などを入れている作業小屋があるので、伐採の前にはこれを解体する必要もある。
この10日ほど、登記所にいって隣接地の地権者を調べたり、周辺事情に詳しい人たちを訪ねて話を聞いたり。周辺地区はいくつか国境問題、領土紛争もあるところで状況はけっこう複雑だ。ときほぐさなければならない網目。

わたしの困難は他の人の抱える困難のどれかに似ていて、しかし、他のどれとも同じではない。だから、まあ、その・・・。長々とうっとうしい話を書いてきて最後にこんなことを言うのも何なのではあるが、ときどきわたしは、無人島での暮らしというのはどんなものだろうと、遠い目をして思ってみることがある。
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nor_sasaki at 10:52|Permalinkclip!その他 | 実家警備員日記

2017年04月21日

イーストエンドの春

蒼穹そら深し草摘む人の立ち眩み

山路来ていかなる故事の桜かな

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nor_sasaki at 20:52|Permalinkclip!路上 | イーストエンド発