2015年12月03日

昭和プロレス懐古 その1198(こんな第一試合ありました12月編)

昭和時代はほとんどスポットが当たることがなかった第一試合。
今回はこの試合を選んでみました。


1974年(昭49)12月2日
全日本プロレス NWAチャンピオンシリーズ第8戦
鹿児島県体育館、試合開始18:00、観衆5900人


20分1本勝負
肥後宗典(11分39秒エビ固め)伊藤正男


現在は第1試合から6人タッグが行われることも珍しくないですが、昭和時代はビッグマッチの日も前座試合はいつもと変わらず15分1本、20分1本のシングル戦が組まれていたものです。

G馬場がジャック・ブリスコからNWA世界王座を奪取した鹿児島大会も、”20分1本勝負シングルマッチ”で始まりました。

この日の第1試合は肥後と伊藤の移籍組が担当。キャリアで勝る肥後が勝利を収めています。肥後は国際プロ、伊藤は日プロからの移籍でした。

目立った活躍はなかったですが、全日初期から昭和50年代半ばまでの前座戦線を支え、79年のオールスター戦では揃ってOPのバトルロイヤルに出場。

大仁田・渕・園田の若手三羽烏の壁となった両雄。ミスター林の参加、越中詩郎の入門と、徐々に選手層が厚くなってくると、二人がシングル対戦することはほとんどなくなりました。

肥後は80年春に引退。伊藤は81年に長期海外遠征に出たものの、帰国することなく消息不明に。
二人ともラフ&パワーで押すタイプ。伊藤は素足のファイトが印象的でした。


(試合結果は別冊ゴング75年8月号より、文中敬称略。)
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norarinhouse at 17:11│Comments(10)

この記事へのコメント

10. Posted by のらりんはうす   2015年12月23日 20:53
とうこんさま
コメントどうもです。
遅レスで恐縮です。
キャリアの差は試合に出ますよね。肥後氏はウエイトが、伊藤氏は上背がもう少しあったら極道コンビに肉薄したのでは。ふたりともいい技を持ちながら、一本調子のファイトの感があり、逆転されるケースが目立ったように思います。
9. Posted by のらりんはうす   2015年12月23日 18:12
shin2さま
コメントどうもです。
遅レスで恐縮です。
三大消息不明レスラー、小生も全く同感です。田中忠氏は国プロの中心選手を務めていた時期もありましたし、音信不通になってしまったのがホント謎です。
伊藤氏はCWAのタイトルを取った84年に凱旋帰国となれば良かったのですが。情報が途切れた80年代後半に廃業した可能性が濃厚ですね。
8. Posted by のらりんはうす   2015年12月23日 17:14
ケン・トーゴーさま
コメントどうもです。
遅レスで恐縮です。
当時のお話ありがとうございます。伊藤氏の試合がニコニコに上がっていて、こういうファイトをする人だったなあと改めて思い出した次第です。
昭和時代はプロレズ雑誌も月刊で、前座選手の情報は限られてましたね。両選手ともいつの間にかフェードアウトしていてその後の情報を知ったのはだいぶ後になってからでした。肥後氏は随分馬場さんプッシュがあったようですが…地元に帰ってプロモーター業へ、伊藤氏の消息不明は残念です。
7. Posted by のらりんはうす   2015年12月23日 16:51
ジブシーバションさま
コメントどうもです。
遅レスで恐縮です。
>肥後は杉山と移籍したんですか?
…肥後は73年2月のジャイアントシリーズ結集戦から全日入り。
移籍初戦は第2試合20分1本勝負に出場、藤井誠之に8分48秒逆エビ固めで敗れていま

地味なファイトの選手はどうしても中堅止まりになっちゃいましたね。木戸や藤原のように何らかのきっかけがあると注目チャンス到来なのですが。
6. Posted by のらりんはうす   2015年12月23日 16:37
20カウントさま
コメントどうもです。
遅レスで恐縮です。
選手層が厚いのはよいことですが、厚すぎるのも考えものですね。昭和プロレス感覚だけに、第1試合で6人タッグだと「!?」となっちゃいます。

近況が知れないフェードアウトした選手は意外と多いですよね。健在だと良いのですが。
5. Posted by とうこん   2015年12月11日 15:40
懐かしいレスラーですね。
私が初めてプロレスを生観戦したのが、このほぼ一年後の75年12月1日なのですが、この日も肥後対伊藤戦が行われています。但し第二試合だったのですが。
当日の第一試合は淵対大仁田戦でした。若くて躍動感溢れる両者の対戦の後に登場した肥後と伊藤の試合は、第一試合に比べると選手自体の身体の厚みや試合運びの間などに役者の違いを感じたものであり、プロレスを生で見ているのだなぁ、と実感を新たにしたものでした。
そんな二人が、本人達には不本意な形だろうとは思うのですが、全日本マットから遠ざかる結果になってしまったのは、残念でした。
味のあるバイプレーヤーだった肥後と伊藤。忘れられないレスラーたちであります。
4. Posted by shin2   2015年12月09日 14:26
ワタシが勝手に「三大消息不明レスラー」と名付けているのが、松岡巌鉄・田中忠治・伊藤正男です。

松岡・田中に比べて、伊藤はタイトル歴とかは劣りますが、生で試合観戦したレスラーなので記憶に残っています。
とはいえ試合内容といえば、タッグマッチで大熊にスリッパでド突きまくられてた、ぐらいしか覚えてなくて、タッグのパートナーも試合結果も忘れているんですがww
せめて凱旋帰国ぐらいはさせてほしかった、と思います。
3. Posted by ケン・トーゴー   2015年12月04日 14:21
伊藤正男は日プロデビュー以来、一貫して前座戦線を歩いて来た選手で、僕も会場で試合を観ていた筈ですが、髭面でコミカルなラフファイターという以外には記憶はありません。ブロディが初来日した時には、1対2のハンディキャップマッチで他の若手レスラーとタッグを組んで対戦し、僅か数分でマットに轟沈させられたのを覚えています(彼にとっては覚えて置いて欲しくない思い出でしょうが…)。テレビで視たことは殆んどありません。
肥後宗典は国際プロの会場で観ています(当時は、「本郷××」というリングネームで上がっていたかと…)が、やはり前座戦での記憶もあまりありません。確か全日創生期に友好関係にあった国プロから、馬場・吉原両氏が合意の下、まだ層の薄かった全日へ若手によるアンダーカード充実の目的で円満移籍したのだったと思います。当時はメインイベンターとして(僕の先輩でもある)T・杉山が加入していたのに加えて、デストロイヤーも日本側として参戦。それと倒壊した日プロから伊藤を始めとして、大挙して選手が合流して来たこともあって、気の毒にも肥後の存在は薄くなっていたと思います。何でもその後に事件を起こして、全日からはフェイドアウト。一時、プロモーター業も務めていたこともあったとも聞きましたが…。
2. Posted by ジブシーバション   2015年12月04日 13:03
肥後は杉山と移籍したんですか?肥後は印象あるんです中学生のときサイン断られたんで😁高杉なんか試合の直前にしてくれました。全日と国際の違いですかね⁉いずれにしても肥後は表舞台に出ることはなく残念でした。伊藤はキャラクター的には面白そうでしたが両者ともにジミでしたね😅
1. Posted by 20カウント   2015年12月04日 07:32
5 確かに最近の新日プロは選手が飽和状態なのか、特に地方ではオールタッグマッチが当たり前になり、6人、8人、更に10人タッグとマッチメイクも手抜き気味な感じがしますね。理想は8試合で外国人選手7〜8人、6人タッグ1試合、タッグマッチ2試合位ですね。
歴史的興行の74年12月の鹿児島大会でしたが、隣県熊本出身の肥後選手の気合いの一勝でしたね。
伊藤選手はどうしたのか、未だに謎ですね。何故、フェードアウトしたのか、馬場氏は知っていると思いますが。また松岡巌鉄選手、田中忠治選手とフェードアウトした選手の近況も知りたいですね。

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