愛おしき日々

いくつになっても熱い心で颯爽と日々を送りたい。人生を有意義に頑張って生きたい。バレーに燃える日々や日常の思うことを綴ったりするブログです。群馬県片品村がお気に入りです。

銀座に行こう!

46cac9cf.jpg今日はとても楽しかった♪

久しぶりの銀ブラ。
(-o-;)言い回しが古いか。

中学の同級生と銀座でお買い物。
お目当てはCOACHのウォレット。
今日から発売の新作のお財布を買ってきた。
COACHの柔らかい皮の製品は使いやすくて手に馴染み、修理もしてもらえるから長く使える。
お気に入りの一品になった。
旦那がアメリカ出張が毎年あったので買ってもらってはきたのだけど、どれもこれもイマイチ気に入ったものじゃなかった。

やっぱり自分が選んで、欲しいと思ったものが一番だ。初めて自分で買った。

というのも、長い間義母を介護してきたので私の叔母がご褒美なるものをくれた。

えらかったねぇ〜よく頑張ったね…って、叔母が労ってくれてご褒美だよとお小遣いを送ってくれた。
いくつになってもお小遣いは嬉しい(笑)

恐縮したが、ありがたくいただくことにした。

同級生とはたまに連絡を取ってきてる唯一の都会での仲良し。

中学時代は一緒にリレーの選手として県大会とかにも出た仲間。

珍しくバレー関係者ではなく、陸上仲間。

彼女とは若かりし頃にばったり渋谷で会って、それからたまに会ってランチしてる。

銀座も変わったなぁ。
年月も感じるし、時代の移り変わりも感じた。

またの再会を約束してきた。
あんまり都内に出かけてないが有楽町まで電車で40分足らず。
また付き合ってもらおう。

あー、女に生まれて良かった┐('〜`;)┌


来年はお金が貯まりますように!!

ご褒美ありがとう、叔母ちゃん。
これからも頑張ります。

2017年さいたま市秋季リーグ戦

ずいぶん経ってしまったが婆ちゃんの四十九日やらで忙しくしてた。

リーグはまた死闘の戦いが繰り広げられた。

結果、2部に降格。
(;´д`)

今の実力では勝てなかったのだ。
エースのアキレス腱断裂でも前回は勝てた。
今回はなぜかチームが乗れてなかった。こんな時もある。
いろいろな理由があるとは思う。
が、負けは負け。
来年の春に向けてまたチームを鍛え直そう。

今回は片品村からわざわざ応援にきて下さった。

てる君と須藤さん、本当にありがとうございました。そして、ごめんなさい。
あんなに一生懸命応援してくれたのに、いいとこなしで。
必ずや、来年は1部に上がってみせます。
また懲りずに来てくださいね。

二人と歩いてたら他のチームさんからお声が。

(/^^)/ねーさん、今日はwithB連れて試合っすか?

v(^o^)そう、35億!
あー、女に生まれて良かったっ!

が、ある違うチームの方からは…

(^◇^)ねーさん、すけさんかくさん連れてる水戸黄門みたいっすね。


(`◇´)ゞち、が、う、だろう〜!


流行語大賞は私はこっちだな。

まぁ、またみんなの悔しさがチームをレベルアップさせるのも本当なので頑張ろうと思います。

片品村の皆さん、また来てくださいね。

ジョージ君もぜひ。

高校バレーOG会。

10月28日、葬儀のバタバタの疲れと3試合の疲れとでバタンとなりそうなところを気力で保ち、栃木県大田原温泉に行って来ました。
高校バレー部のOG会でした。
同級生が8人います。
私がしばらくご無沙汰してたので、久しぶりに全員揃ったそうな。

昔話で花が咲いたのはもちろんだけど、みんな年齢重ねたなぁ…と。
でも性格は変わらないわ。
同じ釜の飯を食った仲間。苦しい練習浸けの毎日を一緒に過ごした仲間。

私は実家にも近いのだが、家には寄らなかった。

温泉に何回入るかとか競い合った仲間がいてウケた。
こんなところまでライバル意識、いや負けず嫌いなメンバーがいる。

でも、久しぶりだった私はちょっと気後れした。

部屋は確かに広かったけど、8人で寝るのはちょっとね(^o^;)

学生時代の合宿を思い出した。

今のメンバーと片品合宿に行くのとは訳が違う。

現在、この高校バレーのメンバーの一人が私のいる部にたまに練習に来てる。

事情があって…沖縄に嫁に行くも今は都内にいる。
たまにはやりなよ〜という私の誘いを受けてくれて参加するようになった。

ママさんバレーなのに、真面目にきちんと練習していて驚いたらしい。
彼女もこういう練習じゃないとやってつまらないようだ。なんせ、かつてはエースだった。

高校時代のバレーは、関東大会止まりで全国には行けなかった。
当時、全国No.1だった宇都宮女子商業高校が栃木県にあって…とうとう勝つことはできなかったのだ。

準決勝まではいくのだけど、全国1位に対しては寄せ集めの県立高校じゃ、歯が立たなかったなぁ。

しかし、私自身は現在進行中の仲間がいる。バレーを続けて試合もしてる。
あの頃の試合はもう覚えていない。

一晩中飲み明かすのかと思ったが、みんな早く寝た。おばちゃんになったなぁ。

全員一度は結婚して子供に恵まれたが、離婚もいるし、キャリアウーマン、看護士にレントゲン技師、保険屋さんに、先生もいる。

トレンディドラマが作れそうだね〜と思ったがトレンディドラマ自体が死語になった。

荻野目洋子が再ブレークしてるが、あんな服を着てハイヒール履いてた頃が懐かしい。

朝、みんなより一足先に帰路に着いて新幹線で帰ってきて練習に間に合わせた。

もうすぐし烈な戦いの幕が開くのだ。のんびり構えてる余裕はない。
秋季リーグがやってくる。

OG会の仲間の応援をもらったので私も頑張ります♪

19日に大会がある。
みんなで一丸となって頑張ろうね!

また来年ね、お誘いありがとう。

大会結果

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10月21日にさいたま市の家庭婦人の大会がありました。

疲れてはいたけど、人数ギリギリでみんな頑張って練習してきたので私も気合い入れないと。

結果は決勝でフルセットのあげくに負けてしまいました。
準優勝です。

悔しい負け方でした。
お互いを知り尽くした大谷場さん相手にラリーの応酬でボールが落ちなかった。
なのに、詰めが甘くて私の決め手になれてなかったな。反省はたくさんある。



でも、負けだったけど無駄ではなかったみたい。

みんなの目の色が変わった。

次のファミリーのリーグに向けて、かなり練習にも力が入っていい感じ。


反省点を克服するために私はブロックフォローの練習道具を自作しました。

ブロック練習板が売ってはいるけど高い。

本来無くても意識の問題で解決できるんだけどね。いろいろな意味で練習を盛り上げようと思った。

プラカードみたいに作ってフェルトを張り、そこに羊毛フェルトで手のひらを作ってみました。
リアルに手相までありまして、これが見えるようならブロックを見てスパイクが打てるようになります。

跳ね返りは何度かやって研究してみてこれでオッケーになりました。

指にテーピング付けてますが、作るのに飽きたので(笑)

欲しいチームさんがありましたら、普通に買った方がいいと思う値段で応じますw


次のファミリーまでみんな一丸で練習に励みます。
頑張ろうね!

婆ちゃんの葬儀

バタバタながらもやっと日々が落ち着いてきました。

10月12日に亡くなった義母。
家族で食い入るような目で看取り、本当か?本当に亡くなったのか?と疑いたくなるような穏やかで安らかな死を目の当たりにしました。

それからが大変。噂に聞いた通りの体験談を書いておきたいと思います。

生前から出てった者と死んだ者には金を使うなと言っていた婆さん。

よく聞く話しの通り、葬儀は亡くなった瞬間から始まると言っても過言ではありませんでした。

ドクターからの臨終宣告があり、綺麗にしてもらってから病院の霊安室に移動します。

まず驚いたのは、病室から霊安室に移動するのが葬儀業者でした。
私は得体の知れない業者に頼むのはもっての外と思っていたので、移動はそこの業者に頼むしかなかったが、自宅までの搬送は断り、私が頼んだ業者にお願いしました。
知らずにそのままだと一気にこの葬儀社が勝手に進めてしまいます。

爺さんや伴侶はさすがに悲しみに浸っていただきたいので、自ら仕切ることにしました。

介護をやりつくした感の私は、亡くなったのがまだ不思議ではありましたがリーズナブルかつ繊細な葬儀を目標に動き始めました。

婆ちゃんが危篤の間に預金は全部下ろしておきました。あまり関係なかったのだけど…。

葬儀をお願いしたのはJAさん。
いくつか葬儀に参列させていただいた時に好感が持てたし、評判が良かったからです。

霊安室から自宅に連れて帰ったのですが、今時は直行で斎場やホールも普通だそうです。
が、JAさんは空いてなかった。それにセレモニー斎場が遠い。
そこでさいたま市の斎場を希望しました。
が、ここで問題が。

高齢化社会なので葬儀がバンバン入ってくる。
さいたま市は人口の割には斎場が少ない。
というわけで1週間ほど待つ羽目に。
コーディネーターさんが空いてる日を電話で確認して、ほんの数分話し合いをしてる隙に…もう1日延びてました。

結局、18日に一発告別式という家族葬で決めました。
90歳の婆ちゃんは、もう兄弟も葬儀に参列できる状態にはなく…ずっと寝たきりだったから近所の人も知らない。

通夜をやらず、その代わりほんの少し告別式にお金をかけることにしました。

婆ちゃんはおしゃれが好きでしたからピンクのお棺に入れて、味気ない遺影にならないように華やかな色合いのフチにして、お花も可愛らしくしてもらいました。
弔問客の皆さんに美味しいお食事をしていただき、返礼品も喜んでもらえるようにしました。

そして、納棺士さんが素晴らしかった。てきぱきした女性の方でしたが、お化粧がものすごくリアルでね。
寝てるみたいという表現では申し訳ないぐらいでした。
むしろ生き返ったらどうしようと怖いぐらいでした。

あと、ドライアイスでの安置だと1日七千円以上もかかるのだけど、冷蔵庫に保冷していただくと数百円だったのは驚きでした。
しかしながら、ここもお預けするには混雑がひどいです。
前日予約ができないから、朝8時ちょうどにつながるように業者さんが電話するんだそうです。
人気アーティストのコンサートチケットを取るみたいな感じ?
さいたま市はもう少し考えて欲しいとつくづく思いました。

結果的に4日自宅で安置して、やっと霊安所にお願いできました。

亡くなってすぐに私の両親が3時間かけて駆けつけてきて、婆さんの姪夫婦も焼香にきてくださいました。

でもね、疲れてて寝たかった…。
ありがたいんだけど、前日オール続きのまま走り続けてたので本当に疲労困憊。



お墓を移したせいで、今は霊園です。
宗派は過去の檀家だった浄土真宗にしました。

告別式は浄土真宗のお経が珍しくて、笑いをこらえるのに必死でした。
不謹慎だと思うからこそ、きちんと成仏を願いながら聞いてるにも関わらず、独特のリズムが面白くてね。

(~Q~;)唇を噛んで堪えましたとも。

葬儀まで長かったからか、みんな落ち着いていたし、すっかりやらねばならないことも終わっていました。

役所関係もスムーズで、故人の遺品整理も1日で終わりました。

婆ちゃんは几帳面にきちんと整理していたので、見習うべきところではありました。

(-o-;)貴金属はとっくに売りさばいてなかったわ。


こうして家族葬も無事終わり、仏壇も買い替えて、墓石に墓碑銘を掘ってもらい、一通りの流れを経験しました。

祭壇で笑ってる婆ちゃんの写真を見ると、本当に振り回してくれて疲れた日々やら姑根性むき出しで文句ばかりだった日常やらを思い出す。

私は根に持つタイプだからね(-_-;)


でも、90年お疲れ様でしたねと思います。

結婚する時に、息子が頼りないから強そうな嫁さんが来てくれて助かる…そう言ってたね。

まさに私だったから婆ちゃんの面倒を最後まで見れたんだと思います。

結婚は後悔ばかりだったが、人一人最後まで面倒見れたことは誇らしいわ、私。

寂しくはない。でも楽にもなってない。
まだ実感がないのだろう。

私はここまで長生きしたくない。日本の高齢化の現実を数々見てきて、子供たちへの迷惑を考えてしまう。

息子に嫁さんが来たら、可愛らしい姑になります。
もうあんな思いは私もしたくありません。

葬儀後にはさらに目まぐるしいことが。
続く。

義母の終焉

10月11日夕方、思いもよらない電話がありました。

「お義母さまの意識が突然なくなりました。すぐ来ていただけますか?」

は?

なんで!?

療養型の病院に入院したのが9月25日。胆管炎はしばらく落ち着いていた。

面会に行ったら頭もしっかりしてたし、元気だったのに…。

てっきり、また炎症を起こしてショックでも起こしたかと思った。

正直、こんなことはしょっちゅうあったので…またかと思っていたぐらいだ。
そのたび、難なくクリアして生き延びてきた婆さんなんだから。

取るものもとりあえず、着の身着のまま爺さんとたまたま休みだった娘を乗せて病院に車を飛ばした。

ドラマみたいだった。
廊下を小走りに走って、病室に急ぐアレ。

そして、お義母さ〜ん!


(-o-;)違うわね、実際は違う。

みんな、一瞬見て固まるんだ。


婆さんはベッドの上で体を硬直させてグワングワンさせて全身を痙攣させてた。

明らかに重篤な状態が見てわかる。

私はうろたえたりしないけど、人間の体がこうなったりするのを見ると、普通の人はとんでもないものを見てしまったかのように言葉を失うみたいだ。


一体何が起こったわけ?

まず脳なのは間違いあるまい。

看護士からの説明は概ねこうだ。

お昼ご飯はカレーだった。普通に食べてたし、福神漬けも乗せてくださいって頼んだぐらい食欲があった。が、夕方突然意識がなくなった。

正確には意識がないのに気がついた…なのだろう。

どの部屋も介護度が4以上のお年寄りばかりなのだから手がかかるし、四六時中見てるわけではない。


医師がきて、延命処置をするかしないか最終確認。

どの病院でもしつこく聞かれる。高齢者だから余計にね。

それから血圧が下がり、明らかに下顎呼吸になった。夜中の3時過ぎにさらに呼吸が減った。

しかし、酸素吸入と点滴はしてた。

尿は一滴も出ない。

眉間にシワを寄せるせいで苦し気に見える呼吸だが、本人は苦しくはないらしい。

点滴を外して欲しいとお願いしたが、断られた。

素人目に見てももう助かる見込みはない。

もういいだろうよ。両手に点滴刺されてどんどん顔が浮腫んでく。
それを見てるのが気の毒になった。

最後ぐらい人間として医療行為のない、自然に朽ちていく死を迎えさせてはもらえないのか?

病気ばかりでずっと寝たきりで30年なんだよ?

ドクターの答えは非情。

安楽死は認められてません。点滴は抜けません。

これは安楽死を求めるのか、延命処置をしないなのか?

本当に自然死を迎えたいなら自宅以外にはないね。

今の日本の医療はこうなんだ。

病院を選んだのには理由がある。

ずいぶん長くオムツを使ってきたのだけど、ここにきてオムツに排泄することを嫌がるようになった。

両側から腕を掴んで支えるしかないのだから、どうしても自宅では手が足りない。ポータブルも置けるスペースがなかった。

トイレにこだわった婆さんの要望を叶えるには病院しかなかったのだ。
入退院を繰り返して、ホームには入れなかったからね。


それでも12日午後1時に臨終確認されるまで婆さんはわずかずつ不規則な呼吸を続けた。



最期の言葉が聞けなかった。

世話になったね。

ありがとう。

とうとう聞けないまま…あの世に逝かれてしまった。

なんだよ(-_-;)

婆さんから聞きたかったな。。。

30年のお付き合いでした。自分の親より長い暮らし。

長生きしたね。私のおかげだと思うよ。
私は真面目に一生懸命面倒見た。この30年を簡単には語れない。


臨終確認のあと、物言わぬ婆さんに叫ぶように声をかけた。

「私、精一杯面倒見たよ、婆ちゃん。どこの誰よりもしっかり頑張ってきたよ。悔いはないから!」


すると、爺さんと旦那から労いの言葉。

長いこと、本当にお世話になりました。

ありがとうね。



初めて涙がツーッと流れ落ちた。

やっと、一つ介護が終わった。

やりとげた。

よく頑張ったね、婆ちゃんも。


そして、葬儀。



片品村のしおじりさんに行った話。

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婆ちゃんがわりと近くの病院に転院した。もう入退院を繰り返さなくて済む。
ずっと入院していられる。

医師やソーシャルワーカーさんとの面談が必要だったけど、無事にお話がまとまり入院に至った。
とりあえずはホッとした。長い長い道のりだった。
寿命はいつどうなるかはわからない。


…という状態で直前まで行けるのか不安なままで、22日〜23日に片品村に行ってきた。
部員のMっちゃんと一緒に電車の旅。沼田駅からレンタカーを借りた。
なんと似つかわしくないグレーのヴィッツ!
私には到底受け入れられないジミーな車を運転して、一路片品村へ。

望郷の湯に寄って、疲れを取らないと…というわけで、温泉入ってから持参した栗おこわのおにぎりを二人で食べた。

本当に私はヘトヘトに疲れてた。合宿から帰って婆さんが入院して以降、ずっと振り回されてたので常に疲労感を抱えてた。

精神的に落ち着かない日々を長く続けると、肉体的にまで疲労が取れなくなってる気がしてた。

思いきって抜け出さないとどうにもならないぐらい追い詰められていたかもしれない。

バレーもいろいろ頭を抱えながらやってる(笑)


さて、今回は合宿でお世話になったたけちゃんち、しおじりさんにお世話になりました。

旅館だった。
エレベーターがあった。
温泉が良かった。
3階に泊まった。

合宿所とはまた違う佇まい。
シーズンオフに近い時期だったから、予約できて良かった。

たけちゃんのお父さんお母さんといろいろなお話をしていただき、越本のお祭りや運動会にも行ってみたいと思った。

朝ごはんは食べきれないほどのおかず(~Q~;)
美味しくいただきました。

あ、夜はたまおさんに行きました。
須藤さんに送迎していただき、てるちゃんと合流。

合宿でお世話になったメンバーとまた懇親会できて、とーっても楽しかった。

途中で他の飲み会に行っていた、ジョージ君とたけちゃんも律儀に来てくれました。本当にありがとうございました。
お呼び立てした感じなのにわざわざ来てくださって、最高のおもてなしをいただきました。

ありがとうございました。

グラチャンならぬ、カタチャン!やりましょ。

大会の応援もよろしくお願いいたします♪
良かったら11月19日に来てください!

来年の合宿は、選手選考するほど集まるかな?
私達もレベルアップしてまた行きたいと思います。

楽しみにしています。

ふるさとに帰ったようなおもてなしに深く感謝申し上げます。

長居してしまい、たまおさんにもご迷惑おかけしました。すみません。

愉快な仲間に乾杯!

(^^)/▽☆▽\(^^)

またね。

片品村合宿以降の近況

しばらくブログをアップする余裕もなく、時間だけが呆気ないほど早く通りすぎていった。

ただただ慌ただしくて、朝起きてからの日常が慢性的に予定も立てられないままにバタバタと過ぎていく。

予定が立てられない…その理由が介護中の姑である。

入退院を繰り返し、本当ににっちもさっちもいかない状態。
2016年1月、胆石が胆管に詰まったことによる胆管炎になり…何回も何回もショック状態になり、さらに敗血症を起こした。
が、不死身の婆さんなので抗生剤で一命を取り止める。
それを繰り返すうちに、ほんの少し立てていたのに完璧にオムツの寝たきりになってしまい、要介護4で特養ホーム待ち。それをショートスティで繋ぐしかなかった。

とにかく、どうにもならないのだ。ショートスティだと往診での対応はできなくて、必ず入院するしかない。入院しても必ず状態が完全でなくても退院になる。
これの繰り返し…。
落ち着かない日々をもう一年8か月以上過ごしてきて、私は既に限界を超えていた。寝たきりになって28年だもの…。
手術ができないので完治はしない。夜中に緊急で家族が呼ばれたこともあるし、いつ呼び出されるかわからない不安に振り回されっぱなしというおまけもついた。

そして、また退院しろが始まった。転院しようにも簡単に空きがない。

今の医療はおかしい。
病院にさまざまな規定を嵌め込み、急性期やら回復期やら介護期やら…患者側からしたらめんどくさいことこの上ない。
しかも、入院するのに面談があったりもする。

死なせてもらえない医療の存在。
急性期病院に入院したら、無理矢理にでも治療する。在宅でやれということなんだろうが、共稼ぎしないと食えない世の中でこれは厳しいと思う。
だったら、完治させろというのが患者側の言い分である。

90歳の高齢者を妙に助けるくせに完治はできません…命を助けることが医者の仕事ですから。
延々と続く介護の実態がこれよ、これ。
だから日本は医療費がパンク状態だし、若者がいくら働いても諸々天引きされる金額が高過ぎて結婚もできないのが現実なのだ。

日本は何かおかしい。本当に実感してる。

長生きすれば疎まれる。
早死にすれば惜しまれる。

これが現実。

健康で長寿ならいいだろうが、そうでないと世の中は優しくはないのがよくわかる。


そんな中でもヒヤヒヤしながら大会はいくつか越えた。人数不足でいっぱいいっぱいのチーム。

毎日ホーム探しをしたり、病院に行っていたりで目まぐるしく日々が過ぎていく中で、心身ともに疲れきった体でバレーボール。

しかも、うちには爺さんもいる。
難病がわからない体調不安定な息子もいる。

心安らぐ時間がないと私こそ倒れちゃうよ。

合宿以降、片品村に二回行ってる。

お盆には二泊して、尾瀬酒販さんの売店でとうもろこし屋をお手伝い。
本当に楽しかったし、来てくださったお客様とのふれあいが私は大好きだ。

その後、旦那と愛犬を連れてまた遅い夏休み。

ナナちゃんが亡くなってから、チワックスのクッキーを飼った。
何かと手間がかかる犬だけどドライブはできる。

いつも病院ばかり出歩いていたから、一緒にいられる時はいてやりたい。

いつまで試練を与えられるのかわからないけど、とりあえず落ち着くまで頑張ってみる。

編集後記

帰ってきた翌日に合宿のブログを書き始めました。

が、思うように進みませんでした。

月曜日は荷物の整理や家を空けた分の家事が待っていました。
夕方にショートスティから姑が帰ってきたら、足が象のように浮腫んでいて全く食欲がありません。

うわっ(T△T)
また入院だぁ。

胆石が胆管に入り込んでいて、高齢のために胆嚢を切除できずにいます。そうすると、チューブは入れてありますが、ちょくちょく細菌感染から炎症を起こしてしまいます。

火曜日は朝の往診から始まり、すぐに入院になりました。

この日の往診のドクターはめったにいない訪問診療には向かないドクターのようです。
本当に腹が立ちました。
悔しくて泣いたぐらいです。もちろん泣き寝入りなんてしません。
訴えるべきところに訴えました。

入院も寝たきりの姑を病院に連れて行くだけでも四苦八苦。私一人で頑張るしかないのですから。

体を鍛えておいて良かった。伴侶には見下り半を叩きつけて、いつか捨ててやると決めてます。

(`Δ´)バカやろう!

この日…丸半日病院でした。夜8時までかかった。

水曜日はじいちゃんの薬をもらいに往診クリニックへ。
木曜日は息子の検査に付き合い、大学病院へ。
午前中心臓エコーで午後は教授自ら引き受けてくださった診察。
近いので一度家に帰ってまた行って…みたいな感じでやはり1日仕事。

マルファン症候群という難病の可能性があります。
今は否定要素がありますが、またどこかから出血でもあればさらに検査するそうで、とりあえずは様子観察でという結論。

高熱が2週間続いたのは関係なかったのかな。
まだ不安はたくさんあります。繰り返した下血、突如大量に吐いた喀血。3年間原因がわからないままです。

金曜日はYちゃんのお見舞いに整形外科病院へ。

既に先週4日連続で病院へ行った私。
さすがにハードだったな。

日常こんなんですから、合宿みたいに完全に家から抜け出さないとストレスにやられてしまいます。

楽しみは作るもの、バレー仲間とは一緒にバカ騒ぎするだけでも楽しいものです。
また大会が次々にやって来ます。
怪我人多数ですから、試合に出ない選択もあります。

しかし、私は試合に出る方針です。

いくつか親善大会はお断りしました。
申し訳なかったのですが、全てをこなすのは無理です。

とりあえず、公式戦だけは試合勘を忘れたくはないので続けたいと思います。

ピンチはチャンス!
私はそう思います。
みんなで乗り越えましょ。それはそれで、また楽しいのだ。


Yちゃんは土曜日退院して、日曜日の練習に挨拶にきました。
減量の成果が楽しみです(´▽`)ノ

2017年片品村合宿での片品愛を語る。<翌日編>

まずはご報告になります。

Y美ちゃん、無事にオペが終わって入院中です。

また、

(〃´o`)=3いたーい!

と騒いでたようで。


昨日4人でお見舞いに行って来ました。
愉快なのは…先にアキレス腱断裂でオペをしたHGちゃんが一緒に行ったこと。

("⌒∇⌒")Y美〜!私もこの部屋に入院したよぉ。

(〃∇〃)ご飯が〜おかずが足りないですぅ〜。


(。-_-。)

ヽ(´・`)ノ

(´ー`)┌

もう勘弁してー!!!

(~ヘ~;)部員17名なのに、アキレス腱の数32本!16名分しかないんだぜー!

わっしょい♪

少々賑やかなお見舞いでしたが、Y美ちゃんには大きな課題が与えられました。

また復帰した時に…

〇〇キロを切らないと退部だからね(`へ´)

復帰して体育館に来た時に体重測定すっからな!

災い転じて福と為す。
怪我の功名。

何でもプラスになるようにしなきゃもったいない。

せっかくの経験なんだから。


というわけで、7月2日に話を戻します。

合宿二日目は朝ごはんから始まります。

皆さんの顔がいつも通りにできていました。
化粧しないと誰だかわからない…なんてことは今回はありませんでした。

須藤さんの運転で富岡製糸場に行きました。

が、( ̄0 ̄;)
私はダメでした。

恐怖体験…とでも言うのだろうか…。
みんなには感じないことが私にはいっぱいある。

Yちゃんの車椅子をみんなで交換しながら移動。

(´Д`;)上り坂が大変。

社協でお借りした車椅子のおかげで、みんなで予定通りに見学できました。

しかし、須藤さんは本当に大変でした。休憩含め、止まるたびに車椅子を下ろして通路を空けてくださいました。
そのたびに、襟足から汗が滴っていました。
嫌な顔一つせずに…。

Yちゃんは痛い思いはしただろうけど、いろんなこともわかったのではないでしょうか。

みんな…楽しかったぁ〜と言いながら帰路に着きました。


バレーボールのごちゃ混ぜ試合中、卓球の張本選手の…

「チョレイ!」

を、

「チョロい!」

に、聞こえて、私が怒って反撃に出た説。

(~ヘ~;)それは間違いです!
私だって、チョレイぐらい知ってます。



いろんなことがあった合宿でした。
毎年いろんなことはもちろんあるのですが、今年は特にいろいろありました。

須藤さんは今年も安全に気をつけてくださって、無事に私達を送ってくださいました。
前日のバレーボールで相当疲労はあるでしょうに、送ってくださったらまた片品村に帰る。
お疲れさまでした。
年齢が近いので疲れがしばらく抜けないのはよくわかります。
ありがとうございました。

痛い思いはあったけど、これまでとは違う思いもあって…過去にはない楽しさがありました。

人々の気持ちが温かく感じる交流は、本当に楽しいものですね。

ご苦労を面倒な顔一つせずに引き受けてくださった片品村の皆さん。

皆さんの掛け値なしの優しさは人としての見本ですし、尊敬しています。
私達が都会に生きていて、つい見なかったことにしてしまうことも丁寧に対応してくださる。

それは、嫉妬したくなるほど、誰にでも優しい人々なのです。


都内に来ることがありましたら、ぜひともさいたま市にお立ち寄りください。

何もない所ですので、日曜日の練習にご招待いたします。

合宿また来年よろしくお願いいたします。


またね(⌒∇⌒)ノ""
肉球クリクリして~
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