3fd8a4ca.JPG彼らの上海滞在に合わせて暇を取るために、研究室での仕事を一週間前倒しで進めた。前日ギリギリに作業を終え、次の日の早朝に空港に迎えに行く。
タクシーでは空港に着くまで爆睡し、空港に着くと眠い頭を必死に起こし、到着ゲートから出てくる二人を大勢の中から探す。


「nori gut gut!」

昔から仲のいい管理人のおばさんに二人を紹介を済ませて、寮の部屋入り、ルームメイトの事、研究室の事、バイトの事、その他いろいろな質問に答えていく。そしてそのたびに喜んだ様子で返事をしてくる。
二人にとっては僕の生活を見る事だけでうれしいようだ。

そして僕も彼らと一緒にいる事で本当の両親に久しぶりに会うような高揚感と安心感を同時に感じている。

8年前の一年間二人と一緒に過ごす事でその後の自分は大きく変わったと思う。あの一年間の間にたくさん迷惑をかけたし喧嘩もした。17でもまだ反抗期気質の僕に二人はめんどくさいと思う事もあっただろうけど、それでも最後まで世話を焼いて、甘えさせてくれた。
そして僕らのその関係は今でも変わらず、僕は彼らに心のどこかで甘え、そして彼らも僕が自分や家族の話をすれば喜んで頷いてみせる。もう8年がたってもあの頃からずっと僕にとって彼らはVati(お父さん)とMutti(お母さん)であり、彼らにとってもまたnoriはもう一人のSon(息子)だ。

Dresden-Moscow-Shanghaiの長距離飛行を終えてゲートをから現れたVattiとMuttiは8年前と全然変わってなかった。そして彼らも手を振るnoriを見つけると満面の笑みで喜んでみせた。

二人が上海についてはじめに観光地に指定した場所は同済大学だった。
「noriが上海でどういう生活をしているか見に行かなければいけない」というのが理由だった。

この一週間は親孝行をしたいと思う。

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20070406
食堂で朝食
洗濯
シャワー
作業の準備
昼食
研究室
夕飯
研究室

手伝ってくれている同級生とのやり取りが滑らかになってきて今までより作業が効率よく進む。プロジェクトリーダーから進度チェック、OKもらう。
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20070407
10:10到着の飛行機に間に合わせるため8:00に学校を出る
Vati,Mutti到着
上海ブロードウェイマンションホテルにチェックイン
バスに乗って同済大学
マッサージ屋
上海料理
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20070408
朝からホテルに迎えに行く
外灘のプロムナード散歩
豫園周辺
外灘の遊覧船に乗る
福州路
人民広場
羊肉火鍋
cfa7461d.JPG人は自分で気づくまでは何も理解できない。
それが勉強であれ研究であれトレーニングであれ同じである。

僕はいつもやらなければいけないことを後回しにする。俗的にいう直前徹夜型の人間だ。これはもちろんいい事ではないのだけれど、その時々の〆切間際になって発揮する瞬発力はある方なんじゃないかなと思う。

というよりもむしろそればっかりを当てにしてここまでやって来た。
僕には言語を勉強した上で外語圏にいったという経験がない、小学校六年生の韓国ホームステイに始まり、中学一年のアメリカ軍基地内ステイ。高校二年のドイツ留学。そして今現在に至る中国留学、どれも準備万全どころか常識的な挨拶言葉しかわからないまま飛び込んで来た。

いく先々でそれなりに苦労をして来てるはずなんだけど、過ぎたことだからなのか、はじめから言語に対する自信やプレッシャーがないからなのか、苦しかったから二度と嫌だ、という経験は今までなかった。

英語にしても中国語にしても困らない程度に会話にできるのだけれど、やはりまだまだどこか聞き流していたり、適当にうなずいていたりする。実はそれはある面ではプラスに働くこともある、例えば人に簡単にわかりやすく意見を伝える工夫をするようになっただとか、言葉で説明しきれない分をビジュアルで表現するだとか。自分をプレゼンをすることに対する引き出しが増えたんじゃないかな、と。それゆえにこれといってプレッシャーもそれほど感じないまま足りない言語を補う何かを成長させればいいとおもってやって来たが、最近になってその状況に結構なストレスを感じる。

よく考えてみると海外に2年住んでる今の状況は自分にとって始めての事で、“今までの生活を送れるようになる”や“その国の文化を知る”以上のことができるようにならならなきゃいけないレベルに来ていると思う。

そのレベルとはその状況の理解に留まらず、同級生や同僚たちと同じ立ち位置から自分自身の考えを提案し、更に受け入れられるようにしていく。ということである。expression 

嬉しいことに瞬発力に頼り小手先だけで過ごして来た自分にも、どこからか利用価値を見いだしてもらい、言語能力が低いにも関わらず色々な場所で使ってもらえている。しかしこれから先は、与えられた要求に応える事に加えて僕の自主的な動きをもとめられるようになるはずである(研究室に限らず)。その時にはそれ相応の自主的な振る舞い、言語能力が求められるだろう。

自主的な言語能力とは環境からの自然習得では得ることのできない自主的に求め、記憶し、活用することのできる言語をさす。環境から求められないとなれば自分で探し学ばなければいけないし、活用できるようになるには一夜漬けでは役に立たない。つまりここに今までの自分をもう一歩前に進化させる必要性が感じられる。
その必要性を満たすために、言語ならば一日の終わりの十五分間で語彙を増やしていくなどの努力をしていかないといけない。

DSを英語の勉強のために購入。
一年ぶりに週2回の相互学習(日中語)の機会を持つことにした。
どちらの機会(機械)も無駄にしないように活用していきたい。


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20070404
食堂で朝ご飯帯走
お湯お這った風呂に入るがぬるま湯
建築研究手段と理論
昼飯
研究室 経過報告ミーティング
中国語相互学習
夕飯
インターネット




今日突然研究室で給料をもらった。思わぬ高額収入に驚くと同時に、金額が自分の働きに対する正当な評価なのか(もらいすぎていないか)が気になり、なんだか悪い気がする。


10分後にはそんなことも忘れて帰り道WUMARTでお菓子を大量に買い込んだ。
これで週末にかけてラストスパート(瞬発)の準備が整った。
dc99a7ae.JPG研究室のマイスペース
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20070402
あさスキャナを見に行く
スキャナのつもりがNINTENDO DS LIGHT(CH)を買う
前の家にプリンタ、その他を取りに行く
一度部屋に帰る
研究室
夕飯
研究室
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20070401
八時十五分起床 ギリギリシャワーを浴びれない。
自転車used加工
"LOST"
小野氏来
昼飯
研究室
夕飯
研究室
"LOST"
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寝坊してしまった。
起きたのは九時半、昨日の討論会が長かったとはいえしっかりしないといけない。

午前中はなにもできる気配がなかったので、この機会にと一号楼に洗濯をしに行く。
洗濯を待ちながら木陰に座っていたブルガリア人のノラと話す。彼女はフレンドリーでおもしろい。ブルガリアがその昔トルコに占領されていたこと、日本と中国の関係、アメリカの文化論、いろいろ話しながら二人が一致したのは中国人は少数民族という言葉を使いすぎるということだった。

中国における漢民族以外の民族は一概に少数なわけではないし、それぞれ自分たちの文化を持ち自分たちの土地を持っている。中国はその巨大な土地の中に色々な自治区を持っているのだが、そこに住んでいる人やそこ出身の人に対する漢民族系中国人の発言は時として差別的なことがある。

自治区とはアメリカの場合のStateであり、いわゆる大きい地方自治体だ。
その自治区において生活をしている中国の少数民族にとってはそれはむしろ自分らの国と感じることも容易に想像できる。

そんな状況において彼らは少数民族と呼ばれることに納得がいくだろうか?現に内モンゴルから来た留学生は自分たちが少数民族と呼ばれることによってプライドを傷つけられるという。

中国は中国であり唯一漢民族による国家ではない。
去年、同じトピックで中国人同級生と比較的大きなけんかになったことがあるが、今もこの主張は変わらない。

民族混合によるこういった問題は日本では知られていないが、大陸の他民族国家にはよくある問題である。一つの国の中に民族間の性格の違いなどがあり、それに対して個人的に好き嫌いがあるのはある意味当然でもある。しかし、一つの国の中で多数派であることを誇るあまり少数派を疎外、差別しようとするのであればそれはファシズムと言えるだろう。
そしてその単語の重さをわからないまま感情的にファシズムを堂々と口にするような人間が多い(教育を受けた大学生さえ)のはとても悲しいことである。

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9:30起床
洗濯
ノラと英語で会話
昼ご飯
自転車を買う
研究室
食事会
寮前のパーティに5分
帰宅
寝坊してしまった。
起きたのは九時半、昨日の討論会が長かったとはいえしっかりしないといけない。

午前中はなにもできる気配がなかったので、この機会にと一号楼に洗濯をしに行く。
洗濯を待ちながら木陰に座っていたデンマーク人と話す。彼女はフレンドリーでおもしろい。ブルガリアがその昔トルコに占領されていたこと、日本と中国の関係、アメリカの文化論、いろいろ話しながら二人が一致したのは中国人は少数民族という言葉を使いすぎるということだった。

中国における少数民族は一概に少数なわけではないし、それぞれ自分たちの文化を持ち自分たちの土地を持っている。中国はその巨大な土地の中に色々な自治区を持っているのだが、そこに住んでいる人に対する一般の人の印象は時として差別的なことがある。

自治区とはアメリカの場合のStateであり、いわゆる大きい地方自治体だ。
その自治区において生活をしている中国の少数民族にとってはそれはむしろ自分らの国と感じることも容易に想像できる。

そんな状況において彼らは少数民族と呼ばれることに納得がいくだろうか?現に内モンゴルから来た留学生は自分たちが少数民族と呼ばれることによってプライドを傷つけられるという。

中国は中国であり唯一漢民族による国家ではない。
去年、同じトピックで中国人同級生と比較的大きなけんかになったことがあるが、今もこの主張は変わらない。

多数派であることを誇るあまり少数派を疎外、差別しようとするのであればそれはファシズムと言えるだろう。
そしてその重さをわからないまま感情的にファシズムを堂々と口にするような人間が多い(教育を受けた大学生さえ)のはとても悲しいことである。

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9:30起床
洗濯
ノラと英語で会話
昼ご飯
自転車を買う
研究室
食事会
寮前のパーティに5分
帰宅
プレゼンが終わった。2つはなかなか堪える。

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20070329
天気がいい。
7時半起き
朝食
「美しい都市醜い都市-現代景観論-」の書評のパワーポイント作成。
研究室に移動
サンドイッチ
書評パワポ続き
保定PDF続き
教室に移動
ゼミ、討論会。5時間かかる
サンドイッチ take out
帰宅
"LOST"
skype
昨日の夜のメールで明日29日のゼミで前にTA(Time and architecture)に寄稿した「美しい都市、醜い都市-現代景観論-」の書評を発表する事になった。
同時に保定の調査地区のプレゼンもしなければならないので今日明日はタスクがかさむ。

それにしてもいい天気だ。 

タスクがかさむのとは裏腹に、いい天気、昨日の夜更かしによる眠気、久しぶりのトレー人グによる筋肉痛で、頭も身体もうまく働かない。

昼食後、VIと出身国の違う留学生の恋愛の短命さから始まり、外国人の視点から見えた日本的文化にまで話が及ぶ。
 
VIが日本の彼氏と付き合って行く中でよく耳にしたという「だって俺は日本人だから」という言葉(パブリックスペースでのキスなどを断る際に使った)を「そういう事が言えるのはCoolだとおもう」というのには少し意外だった。

海外留学をする人間の多くは欧米、ラテンのオープンな行動に対する一種の憧れを持っていると想像するが、「俺は日本人だから〜はしない」は逆に他国の人間に強烈なインパクトを与えている。なぜなら、日本以外の国の多くの、いわゆる個人主義の方が普通な国にとって I don't do that because I am American(or another country) というのはなかなかない。

僕は「だって誰々が何々をしてたから」というような日本人の文脈の中で起こる、自分の意思決定を他人に責任転嫁する行為を嫌うが。その行為自体を国境を越えてもなお貫いた場合、そこに新たに日本人という事に対する責任感が発生するのかも知れないと思った。そしてそれが外国人の視点からCoolに映る事がある。

日本国外に生活を移した場合、その他人への責任転嫁、つまり“個人の放棄”と同時に、所属への責任が生まれる。
日本において、常識が一つしか存在しないため当たり前のように通用する、他人への責任転嫁は、異文化の複数存在する場所においては“所属が持っているポリシー”の主張に変わるのである。
しかし矛盾する事に、日本人の多くは国境を越えた生活を始めた瞬間から日本において行っていた責任転嫁という行為をおおっぴらにしなくなる。


もしかしたら日本人は潜在的に他人から与えられている自分のカテゴリに対し(国内の場合個人、外国にいるの場合日本に対して)責任と誇りを持つ事に拒絶しようとしているのかもしれない。

そしてそう思うと同時にカナダに行ったVIの彼氏(上海で一番の友人でした。)は、やっぱりおもしろい人だなと思った。

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20070328

放棄
class建築研修手段と理論
昼休み
conversation with VI (with english) and study english dy "LOST"
夕飯
工作室書評プレゼン打ち合わせと保定資料の続き

火曜日はoffです。

十二分に歩き回った
AOWのプロモーションのための撮影をセッティングしていたがうまく行かずに終わる。
7時からジムでサンドバッグ→柔術と格闘技漬け。
別に練習していたわけでもないけど自分自身に昔より成長を感じた。

松井さんを誘ってご飯 日本からの二人遅れて到着。なんだかんだで2:30帰宅。
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9時に起きる。
Ikea
パスタ@huaihailu
shopping@jingansi
撮影のため待ち合わせするもフィットネスジムとの折り合いがつかず断念
柔術
避風糖
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20070326
朝からプレゼン資料作り。
昼はサンドイッチを買いに行く。

買いに行こうとしていたら、自転車がないことに気付く。かってまだ一週間そこらなのだが見事に盗まれたらしい。
かなり気に入っていたので昼休み中落ち込む。(工作室まで行くのには絶対必要なんだけど、また新しいの買うのもなんだかなぁ)

昼休み後、元家庭教師に日本語を勉強したいという友達を紹介してもらう、日程を合わせて、来週から週二回の中国語日本語の相互学習が決まる。
ちゃんと勉強プランを立ててこの機会を無駄にしないようにしたい。

引き続き資料作り。

雑誌に載せる記事のことで日本に連絡を取る。親切に対応してもらいとてもありがたい。
細かい確認と現状報告のため雑誌編集部に連絡を取る。今の状況まで持ってきたことを褒められる。

引き続き資料作り。

今日までのタスクを終え、工作室に提出し、古北に移動。4人で安くておいしいパスタを食べる。

ふたりでビッグエコーで一時間のストレス発散。
朝起きて、部屋に帰ってみると。。

誰もいない部屋中の物が散乱。

昨日の夜は引っ越し記念パーティーでした。といっても自分が主催したわけではなくルームメートのVIが企画して行った酒宴会。夜遅くに工作室から帰って来て3時間ほどは一緒にお酒を飲みましたが、疲れて眠いのと、明日もやる事がたくさんあるという事で途中で逃げました。

寮の友達の部屋に寝かしてもらって朝早くに帰ってみると、空のビール瓶やお菓子のくずが部屋中に。楽しかった気配だけを残して散乱してます。
途中で逃げていうのもなんだけど彼らの楽しい雰囲気は好きです。今度は最後まで付き合いたいです。(次からは休みの前にやりましょう)
誰もいないという事はあのあとみんな酔っぱらってそのままクラブにでもいったんだろう。

という事で部屋の掃除は昼休みにでも。

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20070325
保定の自分の調査地の現状をプレゼンするための資料づくり。
CADデータが重く無駄に時間がかかる。=昼抜き
工作室でパートナーと意見交換
資料づくりの続き
ART OF WOR のプロモーションCGを上海で撮りたいとの連絡が入り北京と連絡、プロデュースしている人と話をした後、上海にいるビデオグラファーと撮影する日時の調整。
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時間が過ぎるのが早い、
もっと自分自身のスピードを上げないといけない。
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今日は結果OFF xxx
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Heloo Nori

Sorry for the late reply – I’m in Bangkok for the next two weeks but we can discuss more precise about your internship when I get back – after 8. april.

We also have one Italian and German intern at that time, so we are becoming more and more English speaking!

Best regards.

Tue

EFFEKT
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長い間連絡がなく、もう実現しないのかと思っていたデンマーク行きがまた動き出した。
英語の勉強がやりたい。からやらなければいけない。に変わった。
最近8時前にちゃんと起きてシャワーを浴びている。

学生で一番難しいのは時間が自由になる分、時間を律する事が出来なくなりやすくダラダラしてしまいがちになる。学生とはいえ結局はなのをするのにも期限があるのだから追い込まれては徹夜や昼夜逆転の生活を送ってしまう。

前期もそういう事が多かったけれど、今学期から学校内の寮に戻り、幸か不幸かシャワーのお湯が朝は8時前までしか出ないのでキチンと起きるようになっている。

朝に起き上がってシャワーで目を覚まし、食堂に朝ご飯のあんまんや粥を食べにいくのは気持ちがいい。

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9時から動き出す。

日本にメールを書く

現地の管理局により以前提出された保定市の屋外広告についての提言書を読む

viに英文の解釈が正しいかチェックしてもらう

食堂にて昼食

工作室にてプロジェクトのパートナーと担当調査地の資料まとめと道路ごとの性格付けを行う。




無理してでもブログを書こう。
眠くって時間がなくて、一言で終わるかもしれないけど。忙しいからこそやらなきゃ行けない事を忘れないために。

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以下現在の状況

研究室の仲間とともに北京から2時間ほどの保定という地方都市の都市計画プロジェクトに参加中。 屋外広告規制についての計画等をまかされる。

時代建築という雑誌に執筆を依頼されている。神戸六甲のイタリア広場について。
取材の難しさと、テーマの深さに先が見えてない状況。

上のどちらにしても中国語能力が全然足りてない、いますぐにどうにかならなくても少しずつ差を埋める努力をしなければいけない。

英語も同じく。

建築学科本科生のルームメートの宿題を手伝ったら、建築的な感覚がかなり鈍っているように感じた。案が出てこない。スケール感がない。考えるための手順を忘れている。
建築的思考能力はなんにでも応用できる、他を小手先で終わらせないようにするためにも積極的に建築について考えるようにしたい。


「メンテナンス」 今期のモットー

一度限りにしない事。継続させるための努力をできるようにする。前に進むための自分の補修と更なる進歩。そしてそのためのスケジューリング。
昨日の6.8天安門事件から十七年。
現地で生活しているにも関わらず、インターネットで日本のニュースを見るまでは気づきもしないほど中国国内の6月8日は普通に過ぎて行った。(故意かどうかは知らないけど)

高校時代、ドイツへの留学経験の中から生まれた自分の重要なアイデンティティの一つは、共産主義と資本主義など自分の属する社会の考え方の変化、もしくは双方を経験した人間の持つ苦悩に対する理解だと思っている。

留学時のホストファミリーのお父さんは、ソビエト時代の計画経済による共産主義に無理があったことを認めつつも、お金儲けを否定し、自分が育った青春時代を愛していた。
そこには、過去に自分が信たものが、自らの力で成し遂げた東西統合という革命により、資本主義社会の中で否定される存在にかわっていった事への戸惑いが未だに存在しているように感じた。



その経験から7年経って、自分が今中国に居るのはたぶん何かしらの運命なんかな?


今日の午後、実は最近もかなり忙しいんだけど、時間を無理矢理創って現役共産党員でもある中国人同級生にこの事件について話し合う機会をもらった。話の内容について詳しく書いたら俺に対して誤解を産むの可能性が高いので書かないけど、落ち着いた討論の中から彼らから見た今の状況がどういう風に写っているのか、そして彼の過去に対する是非。というものを直接聞くことができたのは良かったと思う。



ただ思ったことは。

中国は資本主義の欠点であるはずの貧富の差をほぼ完全に体現している。

そして日本は資本主義を唱えながら共産主義の悪い部分を十分に実践している。


別に赤色に染まるつもりもアメリカ色に染まるつもりも全然全く100%ないけれど、村上ファンドの事件に代表されるマスコミの態度や、その報道にリードされている世論などの状況は、突出した個人を悪とする共産主義の特徴とぴったり当てはまっている。
そしてここ中国では逆に13億人の巨大経済的ピラミッドの中のかなり上部に位置する人が私たちはまだ共産主義の完成を目指していると言う。

気象衛星ひまわりくらい離れて日本と中国を見たら、こんな矛盾してて複雑な両国の状況が見えるってこと。

昨日ミクシー内では、中国で起こった悲惨な事件のニュースを日記のネタにした人は、現中国政府へのやや過激な批判を日記で書く人が多かった。どちらかといえば自分もその過激な批判に参加しそうなところだけれど、その批判する行為は日本のマスメディアによって造られた唯一日本人的視点を元に出来ている感情なのかもしれない事を、ドイツのお父さんの顔を思い出ながら考えた。そして自分の中で中国に対する過激な批判をすること留めた。 そして中国人の友達と話してみようと思ったわけです。

日本に限らず、マスコミが世の中に広める出所不明な共通意識や、官が作為的に作り出すプロパガンダといった類のものにはとうの昔に嫌気が差している、
一方的な情報に一方的に耳を傾けるのはフェアじゃないと思う。


いろいろ解ると精神的になんだか疲れるんだけどね。。



 京都市立美術館で開かれている京都精華の卒制展に行ってきた。

 というのも京都精華には高校時代に沖縄県内唯一の受験専門予備校にともに通っていた同級生がいたからだ。彼女からの軽い卒展への誘いと、久しぶりに強い気持ちの入った制作物の発するインスピレーションへの欲求が重なり、行ってみることにした。さらに彼女は優秀賞をとってるらしいし。

 びっくりした。すごく。そして興奮した。

 理由は偶然にもこの沖縄県から同じように関西に出てきた彼女は、一年前に自分が提出した卒業設計と同じロケーション、部分的に共通するテーマを掲げての制作を展示していた。偶然にもね

 うれしかった。かぶってしまったな、とかそういう意識は全くなく素直に、久しぶりに素直に自分の芯が喜んでいた。
 去年のこの時期、自分もまた卒業制作を宝塚造形大学大学院で開かれた卒制展にて展示していた。宝塚という大学の大学間交流においても立地的にも孤立した状況の中、半年間をかけて、大して聞く耳も持たず、前年度以前の卒業設計作品のリサーチなどもせずに、あたかも半年をかけた自慰行為の集大成のような自分の卒業制作だった。運良く先生の評価をいただくことが出来もっともいい点数をその展示にてもらうことが出来たが、そういった客観的な評価とは別に、この作品に表現したかった見た目身も気持ちの悪いくらいの自分の強い想いは他人に、伝えたい人に伝わるのだろうかという不安がずっとあった。特に、一番伝える対象にしたいはずの沖縄の人に。
 どんなに真剣に沖縄県の基地のことを考えても、逆に考えたその分既に出来上がった矛盾する倫理観の中に生きている人には自分の掲げた言語は拒まれるもの、とどこかで思っていた。だから地元でプレゼンする機会があったにしても参加するのを戸惑ったりした。
 しかし彼女の卒業作品は、プレゼンテーションこそ一般的に共有可能な建築的言語によって描かれているものの、同じ興味と疑問から生まれた作品を作った経験から、彼女のプレゼンボードの裏にある基地を巡る状況への言葉に出すことをためらいがちな違和感への挑戦があることがわかった。たぶんそれが実感を通してわかるのは自分だけではいか。(と思うのは少し傲慢すぎるかなあ?) そしてそのことは無意識に自分の考えを伝えたい人達から拒まれるのではないかと思い込んでいた自分を解放させた。

 作品は違うし、ものを見ればやったことも結果も違う、ただスタート点が同じだっただけである。

 一緒にランチを食事中。興奮しながら吐き出すように、自分の意見と、自分の作った一年前の制作物の内容説明を語気の強い言葉にして彼女浴びせると、共感と興味を持ってもらえた。それだけで救われた気がした一日だった。

 どんなに設計が周りの見えない状況の中でバランスを失いながら一人よがりな「想い」によって進んでいたとしてもあの当時、一般論に日依ることなくあたかも利かん坊のように自慰行為を突き進めてよかったと思う。
2006年、年が明けると共に上海の街はだんだんと新年に向けて動き出して来た。中国では旧正月を境に新年とする習慣だから僕ら留学生や上海に働く日本人や外国人がハッピーニューイヤーを祝うと同時にだんだん年末っぽくなってくる。
自分の体に無意識に染み付いた習慣によってそわそわしながら元旦を迎えるとそんな自分が浮いて感じる中国の元旦のただの日曜日な感じ。逆に気の抜けてきた頃に感じる春節(旧正月)の熱気。。


でも、これも意外と便利だね元旦や大晦日に街の盛り上がりに欠けるのは確かに寂しいけど、横着のものの自分にとっては、言い忘れた人にもう一度改めて新年の挨拶も出来るし、そのほかも色々言い訳が出来る、年賀状とか。

そんなこんなで遅ればせながらも中国の習慣にならって年の「暮れる」この時期に今年をまとめておこう。。。

なんだかいつもいつも一年が経つたびにあっという間だったと振り返るけど、この一年は自分の人生の中でも間違いなくトップランクであっという間だったでしょう。卒業制作最中での中国留学決意から少しぼんやりとした目標に向かっての中華入り、ドイツ11ヶ月の中での決して少なくない反省点を繰り返さぬよう、積極的に送った漢語学生の半年間。そしてその勢いあまって伸び悩む中国語。。 そうこうしながらも研究室に入れて、大学の外に住んで、中国語とはまた別に自分の技術を伸ばしてくれる場所でバイトをさせてもらっていて。
これほどのスピード感と変化の中で過ごせる一年間はそうはないと思わされる。と、同時に自分にとって積極性のウィークポイントといえる、堅実、着実な積み重ねによる成長ってのは、やっぱり例年と同じように実感できていません。。
今となっては明日からの一週間ほとんど泊り込みで働いてその後すぐ旧正月の年越しを船上で迎ながらほぼ一年ぶりの関西にまた戻るんだから、最後の最後まで あ っと言う間になりそうだな。

日本と中国との節目の差による時差ぼけのせいなのか、実は今年はあまり自分の人間的な成長を実感できずに年を越えました。それが、事実なのか、せい、なのか帰国を通して見直して、来年(陰暦)につなげたいと思います。

きっと暇をもてあます丸二日の船の中がチャンスだな。

 10/11.珈琲館より
 
 6時30分からの授業を待つ時間にインテリアデザインの仕事のほう仕上げようと思ってカフェに来たけれど、いまいちベクター図面をを立ち上げる気がしないのと久しぶりの落ち着いた時間なので仕事の方は夜にしわ寄せをする事にしてしまおう。

 今は、インテリアの仕事、建築事務所でのバイト、そして大学院の授業それらを消化するために学校と会社、事務所、家を行ったり来たり。交通費がかさむ。。そしてもっぱら長い時間いる場所は家よりもこのカフェ?のような気がする。
  実は最近は大学院の授業に関する意欲が低下、というよりどうしても上がらない。やっぱり語学力不足という弊害が授業に出る足を引っ張る、どうしても仕事を進めるのと、行っても多分理解できないのであろう授業に行くのとを天秤にかけると気持ちが仕事のほうに傾いてしまうんだよね。
 自分にとって勉強も勉強で仕事も勉強で苦手なのは真面目な勉強の方で。。。

 困ったなあ。。

 この状況に未だに打開策が見つからないゆえに、この授業がわからない状況を乗り越えられるのだろうかという不安と、あるいは若干不純にも感じられる自分にとって得るものが多い方に偏ってもいいんじゃないかという気持ちに挟まれてなんとなく自分自身に不安さを覚える。 今日この頃。





 今この文章を書き始めて、こんなカッコ悪い悩み方しながら過ごしてるのは長いこと自分の状況を文章にしなかったからなのかな。と思った。

 悩むという行為が何本かの選択肢を前にしてどれにしようかと優柔不断に陥る行為なのだとしたら、「悩む」というのは自分にとってカッコ悪いことだと思っている。必要なのは選択肢を前にそれらを比べ、吟味し、選ぶ。ということなのではないだろうか、そのため「選ぶ」という事に必要な時間は「悩んでいる」というより「考える」という方が正しい気がする。 
 あくまで自分かってな解釈だけどそれゆえに自分自身「悩んでいる」時間というのが非常に嫌いだ、自分にとって常に必要なのは「考えること」考えるということによって「選ぶ」行為である、そして本当にベストな道を選ぶために必要な勇気を持つための「強い覚悟」をすること、しようとすることである。 半年が過ぎ、自分の上海生活の中で落ち着くことの出来る時間的、感覚的な「場所」が現れたことで「悩む」という行為に費やす時間に甘えやすくなっているのかもしれない、ここを踏みとどまって自分にとっての可能性を更に高める為にもなんらかの選択肢をを選ぶ努力をしよう思う。


忙しい日々を過ごしています、普通忙しい日々には充実感が伴うものだけどそれだけじゃないのはまずいね。^^;

よし、やる気を絞って授業に行こう。

                               m.nori



久しぶりに書きます。

沖縄から上海に帰ってきてもうすぐ一ヶ月。夏休みだというのに恐ろしいスピードで時間が流れていきました。

 まあ色々あったんだけれど、端折ります。。(笑 


 今日、仕事ここ上海での仕事が一つ決まった(正確には二つ目なんだけど)。総合デザインという日本の商業施設のインテリアの会社、
http://www.sogodesign.co.jp/ ←の上海法人

今日は面接で、実際緊張していたんだけどなんだかすんなりと決まった。(外部として)名刺も作ってもらえるらしい。

 面接と同時に、今の上海の建設事情日本との、状況の違い、そういった事を現場の立場から聞くことが出来た。タイミングよくデザインの若手のチームを作ろうとしているところで、自分の経歴と立場はよくフィットしていたらしく、一年前の就職活動とは違い、必要とされている感じがして、とてもうれしかった。

 学業も、もちろん頑張るけれど、平行して必死に頑張って周りに後れを取っている「一人前」に少しでも早くなれるようになりたいと思う。 そしてこの会社でこれから経験する事が、「実務経験のなさ」というコンプレックスを持った自分の一番の勉強になるのかもしれない。


しかし、忙しかったな、ココのところ。。 
 
今まで見え張って、ここでの生き方を探ってきたけど、正直しんどいところあるけど、もがいたらなにかしらが指先に引っかかるものだね。

まだわからない、安心なんてここには全くないけど、だから、もがいて、もがいてチャンスを感じたらそれを生かす努力をしていきたいと思う。


 画像はオフィス


マエシロノリタカ
1981沖縄県那覇市首里生まれ
1才〜10才東京杉並
10才〜16才沖縄那覇
17才ドイツドレスデン近郊
18才那覇
19才〜22才兵庫県西宮
22才〜25才中国上海
26才〜東京世田谷



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