なぜあの時期にイラクに行ったのか。僕は久しぶりにそのことについて考えました。あの事件以来、自分はそのことを自分の中で押し込めてきました。しかし、今日、友人と話しているときに事件以来、はじめて自分の心の中から引き出すことができました。
 僕はあの事件以来、確かに自分の国が大好きだけれど一番怖い、と思ってきました。それは事件の本質で賛否両論があるにしろ、自分がイラクに行った理由なんていうものは怖くて捨ててしまっていました。

 それは今となっては自己保身に過ぎなかったことは間違いありません。僕がなぜいったか、という一番の理由はイラクの子供たちを助けたかったからです。その人間としての純粋な感情を自分は完全に捨てていました。自己保身のためにイラクのことは忘れ、僕はイラクのことはまったく見ることができなくなりました。新聞記事やテレビも、すべてそうでした。

 本当に怖かったんです。拘束されたとき、何人もの兵士が僕らに銃を向け、僕を車に押し込んで手りゅう弾を僕の顔の前に置き、覆面で腰に手榴弾を巻いている男が声も立てずにしーっと人差し指を唇に当てる。そしてその男たちは僕らを乗せて走り出す。最初は自爆テロだと思います。高遠さんは横で泣き、ああ、おれはもう死ぬんだって。このまま自爆テロに巻き込まれて死ぬんだって。
 そのあと、郡山さんも車に入れられ3人とも目隠しされ、頭を伏せなければなりませんでした。何分経ったかわかりませんが、どこかにつき僕らは目隠しのまま銃を突きつけられ、どこかに連れて行かれました。そして目隠しを取られ、中には5人ぐらいの兵士。みんな、RPG、スナイパーライフル、カラシニコフ、拳銃を持っている。そして、髭の男が入ってきて、その男が英語で僕らに尋問をしてくる。「お前らはスパイか」と。
 20分間ぐらい、いろいろ聞かれて僕らはNGOだ、イラクの人々を助けたい、といった。そのあと、彼らは少し納得したような顔をして、ご飯を運んできた。僕らは「サディーク(友達)」といわれ、座ってそれを手につまみながら食べた。
 皿が片付けられた後、今度は太った男がビデオカメラをもってきて、もう撮っている。僕ら3人は壁の隅に追いやられ、確かあのとき「日本のプレジデントは誰だ」とか聞かれて、大統領じゃなくて首相だ、小泉首相だ、と僕らは答えたと思う。そして、そのあと、急に僕の首にナイフを当ててきて、「NO KOIZUMI!!」といってきた。僕は最初、何をいわれているかわからず、うう、と苦しくてうめいているだけ。そのあと、一度、ナイフを離されて、次は3人か4人ぐらいの男たちが急に大きな声で「NO KOIZUMI!!」といってきたと思う。ナイフは突きつけられ、機関銃の弾が僕の頭にじゃらじゃらとあたる。痛い、苦しい。そんな感じだ。
 ビデオを持った男が取りやめ、後ろにいた男たちは「そーりー」とずっと繰り返している。高遠さんは泣き、おれも「ふざけんなぁ」といった気がする。ほぼ泣きながら。ただ、そのあと、また目隠しをされて移動させられ、3人で話したが、そのとき確か高遠さんが「あのとき、なんだか、泣いてくれませんか、と頼まれたけど、なんのために使うんだろう」といっていた。
 1日目は3度ぐらい移動したけれど、2日目まで目隠しばかり。尋問もあった。目隠しのまま、車の中、何時間も閉じ込められたときもあった。3日目からは少し楽になったけれど、精神的には追いやられていく。
 そして、僕らは日本に帰国した。

 日本は違う意味で怖かった。視線の重圧、空気の重さ、吐き気の出てくる雰囲気、フラッシュ、すべてがもうだめだった人が僕の顔に気付き、応援してくれる人もいるけれど、正直、それすらプレッシャーだった。なんでおれの知らない人が英雄だなんて、いっているんだ。意味がわからなかった。僕は劣化ウラン弾の被害を訴えたいだけ、おれはイラクの子供たちを助けにいきたかっただけ。純粋にもそれをしにいきたかった。
 ドバイで診断されたからだの発疹は半年間消えなかった。ストレス性だったらしい。足の発疹は去年の夏になってやっと消えた。日本、イギリスで働いていたけれど、ウェイターとかシェフ見習い、いろいろやったけれど、身体はもうへとへとだった。いつの間にか、イラクのことはすっぽりと抜けていた。たとえ、アメリカABCのキャスターが負傷し、クリスチャンサイエンスモニターに雇われたフリーの記者が人質にされたとしても、その事実だけ。イラク人のことはまったく知ろうとしなかった。
 僕は確かに空虚かもしれない。いろいろと失敗した。知り合いの記者から身代金が払われたかもしれない、と話をきいて、それがもし本当で武器に使われていた、と思うとおれの命はなんなんだ、と思う。それでも、自分の命が何なのかを考える。批判や中傷、応援、中立、全部がこの世界にあって、そして忘れ去られていく。でも、僕も生きてみんなも生きる。何かをしていって楽しむ。曲がったことかもしれないけれど、やってみる。イラク、スーダン、コンゴ、紛争で苦しむ人がいる。カンボジア、中国、韓国、どこでも貧富の差に苦しんでいる。日本、アメリカ、イギリス、豊かといわれる国でもみんな考えて苦しんで生きている。
 だからこそ、自分だけのことを考えないで、ひとつでもやってみたいと思う。批判はあっていいけれど、言葉の暴力はあることはわかってほしい。税金、申し訳ないと思う。でも、僕はなんとか、行動で返していきたいと思う。それしか、現実的にはできないだろう。

 僕は今日まで、イラクのことは考えられなかった。ただ、今は他のことをやりながらでも、自分の考えをいれて、必ず考えてみたい。僕はボランティアという言葉には当てはまらない人間だと思う。なぜなら、一度勝手に投げ捨てたのだから。人を助けることは確かに欺瞞を含むと思う。それを一度投げ出せば、不正義といわれ偽善だといわれる。そして、人を助けることを中途半端にすれば結局、おまえは何をやっているんだ、という話になる。けれど、やっぱりそれを考えることによって先が見えてくることはあるんじゃないか。行動で一度失敗して、そのあとはまたその経験を行かせるのではないか。僕は自分の失敗を活かしていきたい。それはどのような形でも、いろんな形で。そう、思います。

 自作自演と疑う人はいるでしょう。でも、僕らは芝居でも遊んできたわけでもありません。人質だと考えていなかったのはおかしい、という人もいるかもしれません。電話でも一度、そういわれました。でも、あの状況では考えられませんでした。それは本当につらかったからです。そして、日本に帰国後も状況がわかりませんでした。それは本当に先が見えなかったからです、自分の未来すら。だから、予測がつかなかったんです。
 個人的に、今回、いろいろな人と電話で話してきて、少し自分のことを考えられた気がします。そういう意味で、批判をしていただいた方には感謝しています。いろいろな意味で、気がつかされました。最初は怒りを持っていた人でも、今回の件でいろいろ話せる仲になってしまったのも、不思議なことでした。
 お互いに、これからを見ていければと思います。本来、今日は書き込みに書かれた疑問を取り上げていこうと思いましたが、今日はやめました。ただ、ひとつ、気がついたことがあるので、これはいわせてもらいたいです。

93. Posted by 疑問 2006年02月15日 12:10
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050821-00000004-san-pol
衆院選北海道1区において、今井直子さん(52=札幌市西区在住)は二十日、共産党公認候補の横山博子氏の支持を表明した。
今井さんは昨年イラクで人質となった紀明さんの母親。
会見で今井さんはイラクからの自衛隊即時撤退を主張、また北朝鮮への経済制裁について拉致被害者を前面に押し出した手法は過去の植民地支配を無視したアンフェアなもので、北朝鮮政府ではなく、一般国民や在日朝鮮人を苦しめるだけだと批判した。
(産経新聞) - 8月21日2時47分更新

 これに関して下記の2ちゃんねるでもスレッドが立っています。
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/iraq/1125033632/l50

 でも、これはまず一つ目の疑問なんですが、産経新聞は北海道版はないんです。つまり、東京最終版や他の地方版で北海道の話題が出るのは疑問だと思います。この疑問はこのスレッドを見た一ヶ月ぐらい前から思っていました。そのため、一週間ぐらい前に知り合いの産経新聞の人に頼んで、8月21日と22日付の新聞を送ってくれ、と頼んでみてみたのですが、やっぱりなかったです。見落としがないように今日は知り合いのネット上の産経新聞のものが出ていなかったかと頼みましたが、やはりありませんでした。「可能性としては新潟版とか、他の地方のだけれども、こんな記事、北海道版もないのに出ないと思いますが」その言葉が帰ってきました。
 また、基本的に私の母ですが、母は選挙の日、民主党の横路議員に投票しました。それに母はもともと、このような政治的な発言をする人ではありません。表明はしていません。

 まことに勝手なのですが、連日あまり寝ていないため、少し休憩を取らせていただきます。また、週末札幌を一度出なければならないので、更新ができると思いますが、遅れるかもしれません。ご了承ください。

(また、間違ってこれと同じものを出していました。すいません、削除しました。コメントを書いた方、申し訳ないです)。