911から2週間経った今考えることがある。
 最近自分が高校のときに何をやったのかを思い出すことができない。いや、最近ではない、あの事件が起こった少し後からだと思う。自分の身に2年半前に起こったことから以前のことについて、あまりはっきりとした記憶が残っていない。自分でもなぜだかわからない。ここ2年半に起こったことはたぶん思い出せと言われれば詳細に言うことができるだろう。でも、その前のことは真っ暗だ。無論、911のときに自分が何をやっていたなんかということは全く今では思い出すことができない。ただ、アフガニスタンへの空爆については反対だったことを頭に残っているだけだ。

 僕は人質事件が起こってイギリスに行ったあとから意識的に自分がイラクや日本で体験したことについて逃げようとしてきたと思う。特にイラクのこと、イラクのニュースについては自分で見るけれど、そこから考えることについてはまったくない。ストップしろ、ストップするんだ、もうお前は考える資格なんてないんだ。そんなことが自分の中で随分と叫ばれていたと思う。自分が廃絶へ向けて取り組んでいた劣化ウラン弾のことさえ、僕は考えないようにしてきた。考えてはいけないと思うようになったのかもしれない。

 でも、大学に入ってから本当に落ち着いたと思う。入るまでの2年間はバイトやら何かをしながら不安定で方向の定まらない生き方をしてきたけれど、ここ別府に来てから友人と環境に恵まれた。なんというか、少しずつ自分を取り戻している気がする。もちろん、あまり前のことを思い出そうとしているわけではないのだけれど、何か自分が戻ってきた気がする、と自分で思っている。

 今、そしてイラクのことを思う。いったい、あそこで何が起こっているんだ、と。CNNやABC、BBCには昨日何が報道されていたかといえばバグダッドのサドルシティでの爆発の悲惨さ。昨日はラマダン前に灯油を買おうとした女性や子供が多く巻き込まれたという。そんな事件が毎日のようにイラク各地で起こる様を見ていれば、誰だってイラク戦争が始まった2003年より悪くなっていっていることがわかるだろう。国連の一部期間からの報告に寄れば7月から8月のイラク人の死者は6000人を超えていた。状況があまりわからないので内戦といえるかどうかもわからないが、この亡くなった人の数。そして英紙インディペンデントの記事を2日前に見たけれど、亡くなった方の中にはいろいろな種類の拷問によって消えてしまった人も多くいるという。電気を身体の中へ、目をえぐりとる、そして最後は頭を銃弾で打ち抜かれる、そんな記事だった気がする。人々は安全を求めて隣国シリアとヨルダンに向かい、「職がないけれどこっちの方がましだ」という状況。そして、「危険すぎてジャーナリストが入れないので、何が起こっているか詳細にわからない」といわれる国の姿を日本で少しでも捉えようと思っても海外メディアの記者に頼るしかない僕らの国。どうしようもない僕がここにいるだけだ。

 イラク戦争を起こした張本人であるアメリカはもがき苦しんでいる。結局のところサダム・フセイン政権が持っていたといわれる化学兵器などはなかったとされ、戦争の根拠となるものはほとんどが間違った情報または信頼できるものではなかったのに、それを根拠に戦争という外交の終わりを素早く選択してしまった。そこで使用された米軍の発表によれば300トンもの劣化ウランはこれから何を起こすかわからない。劣化ウラン弾の危険性はたしかに証明されたものではないけれども、劣化ウラン弾の開発に関わった軍関係者でさえ「危険性は否定できない」といっているのに米軍は「まったく安全」と言っているこの矛盾。そして劣化ウラン弾から米軍を守るためにテキストがつくられようとしていたのに、そのビデオは最終的には公開されてこなかった経緯。今現在危険は証明されていないにしろ、多くの人がこの兵器の安全性に疑問を持っているのにアメリカはこれを無視して劣化ウラン弾の使用と輸出に歯止めをかけなくてもいいのだろうか、と思う。もはやイラクでは2度、コソボでは1度大量に移用されていて、もし環境から人間をすべて汚染していたとすればそれは自分たちへの負の遺産を拡散させているようにしか思えない。

 ここでやめよう。ただ、僕は今まで考えを止めていたことに対して、今は向き合いたいと思っている。ここでできることはまず向き合うことでしかない。現地にも行かずに何をやるかといえば、それしかないのだ。