2008年07月

2008年07月31日

ボスニア料理に挑戦

2008 agosto 016ボスニア出身のブランカが、お国料理を作るからおいで、と招待してくれた。

彼女は、学生寮にいる。ペルージャにこのような学生寮がいくつあるのかわからないが、ブランカの学生寮には、台所があって、自由に料理することが出来る。

 

私の料理好き、食いしん坊ぶりは、すでに皆に知られているところだ。


ブランカが、以前帰国した時に、
瓶に詰まった野菜のペーストをお土産にくれた。ペーストは美味しく、すっかり興味津々のわたしに、ピタという料理を作ってあげると約束してくれていた。

しかし、彼女がいつも使う台所は共同なので、自由に使える時間帯を選ばなくてはいけない。


そんなわけでいつの間にかこの話しは消えていたのだが、
律儀な彼女は、忘れずにいてくれて、里帰りする前に、こうして呼んでくれたというわけ。

 

他にも数人呼んでのパーティかと思って、私もクロスタータ(ジャムパイ)を作って持っていく。

 

オスマントルコ帝国の影響だろう、私が今注目しているギリシャ料理に共通するものがボスニア料理に見える。オスマン帝国が支配していた国々に、料理の共通点が見られるのは、何も不思議なことではない。政治と料理は密接につながっているのだ。

 

2008 agosto 001ピタという料理は、極薄のパイ生地で作る。どれくらい薄いか、というと習字の半紙のよう、といったら間違いない。


ジャガイモを
67mm角に切ったものを塩茹でし、フライパンで玉ねぎのみじん切りを炒めたところに、このジャガイモも加え、塩コショウする。中に肉やチーズを入れるなどのヴァリエーションがあるそうだが、ブランカは、シンプルな芋と玉ねぎのピタが一番、と言い切る。


半紙全体にこの具を散らす。
あちらから中心に向けて、こちらから中心に向けて2方からクルクル巻いていくと、パイのロールが出来る。

2008 agosto 010それを丸いパイ型に入れていくのだが、
まず、型の壁に沿って置く。その尻尾から次のロールをつなげてぐるっと巻く。この作業を続けていくと、ぐるぐるとカタツムリ状態のパイが出来る。

 

パイ生地は、春巻きよりもずっと薄いのだが、乾いた感じは、春巻きの皮に似ている。型に入ったぐるぐるカタツムリの表面に少量の水をスプーンでかけて、しっとりさせる。それからサラダオイルを塗る。高温のオーブンで20分から30分焼く。

 

2008 agosto 012出来上がったピタは、パリッと香ばしく、確かに、肉やチーズが入ったらよりいっそうボリュームのある一品になるだろうが、私は、ブランカが言うように、芋と玉ねぎの永遠なるコンビのシンプルさがこの料理に適していると思った。家庭でも作られる料理だが、ファーストフードのような店先でも、ピタは売られ、メジャーな食べ物らしい。


店先で注文する時に、
サワーミルクは?と訊かれるらしい。

この食べ物と切っても切れぬコンビネーションの良い飲み物で、それは、甘くない飲むヨーグルトのようなものらしい。


2008 agosto 018その雰囲気を私に伝えたいと思ったのだろう
「ちょっと違うけど」と言いながら、牛乳で割ったヨーグルトを添えてくれた。酸味のある料理が私は好きだ。ピタと、ヨーグルトドリンクはとても合うと思った。

 

ブランカも料理好き。彼女が母国から持ってきたレシピノートをみせてくれた。中には、お母さんが書いてくれたメモもあった。

「ああ、これ、絶対あなた好きだと思うわ。イタリア語に訳して次回わたすから。」

 

それから、家族の写真を見せてもらった。それと子供の頃の写真も。妹さん二人は結婚していて、かわいらしい姪っ子甥っ子に囲まれて、学校では見せない表情の彼女がいた。

 

ブランカは、この3年間、何度も引越しを繰り返した。

現在の「学生の家」も、ハエのような虫が壁の隙間から入ってきて、寝ている間に体を刺すという。

体に痕は残り、壁の隙間をテープでふさいでも、どんな薬をまいても何の効果も見せず、お手上げと話す。

 

ペルージャだけでないだろうが、大家というのは、お金のことしか考えず、住む人の最低限の安全や居心地というものをまるで考えない人たちが多いので、話を聞くだけでも、怖くなることがある。


外国人学生を相手にすることもあって、
適当とは言いがたい金額がまかり通っている。

 

ブランカは、ペルージャでは、良い部屋に恵まれなかった、と言って、ここも明日引き払って、国に帰る、10月に戻ってきたらまた探すけども、と苦笑いした。


2008 agosto 019イタリアとは、
これからも付き合うことになるだろうけど、ペルージャはもう沢山、と彼女。そんな風に、落ち着かない生活を過ごしているのに、私との約束をきちんと覚えてくれて、こうやって食いしん坊の私の好奇心を満たしてくれて、彼女の律儀さと優しさを感じた。



norichetta at 20:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) Rubrica コラム | ペルージャの大学生活 2005~2008

2008年07月30日

古文書図書館での捜索の続き

2008 settembre 018

ふたたび、フォリーニョへ行く。

先日、何冊もの貴重な古文書のページをめくりめくり目を皿のようにして、Giappone(日本)という文字や、日本に関する内容がないか1日中探したためだろう、今朝起きる寸前まで見ていた夢で、私は、やっぱりページをめくり、隅の隅まで見ては、またページをめくっていた。


「やっぱり簡単なことではない。
第一、彼らは本当にここに来たのかしら?」と諦めかけていると支倉常長の何かしらの資料を見つけた!やっぱり、彼らは来たのだ!と驚き喜んでいる夢だった。

 

さて、先日借りてきた「フォリーニョ年代記」も、家で目を皿のようにして調べた。手書きでなく、印刷で、それもイタリア語であるので、かなり助かる。


すると、発見!

Voxu王国が派遣した日本使節団をヴァチカンが迎えた」という短いものであった。Voxuというのは、もちろん奥州のことである。

これは、今朝のことで、幸先が良いぞ、夢が正夢になるか?と期待しつつフォリーニョに向かった。

 

フォリーニョの古文書館のマリア・グラツィアさんは、長年ここで働いているので、鼻が利く。昼休みにいったん退館しようとする私を捕まえて、「こんな資料を見つけたのだけども」と資料の大まかな内容が書かれたリストを見せてくれた。


それは、スペイン語で書かれてあり、
今ひとつわからなかったが、日本に関することであることはわかった。辛抱強く、説明書きを見ていくと、Voxuとある!間違いなく、政宗に関する内容だろう。

 

昼休みの後、そのスペイン語の資料を見せてもらう。

常長についていたのは、ソテロというスペイン人であり、その関係もあってか、スペイン語の日本使節団に関するレポートであることがわかった。必要な箇所を見極めるにも、スペイン語を解する友人が必要だ。しかし、本は貴重な物ゆえ、図書館から持ち出すことは不可能。コピー機の光も紙を損傷するということであまりいい顔をしない。


それでも、私が懸命なのをレオナルドさんも、
アンナ・グラツィアさんも知っているので、館長に聞いてみるから、と言ってくれた。

 

写真撮影はOKと言う。

先日、ミケーラがプレゼントしてくれたデジカメが活躍。普通のカメラでは、この類の用は足せない。メッザノッテ先生に見せるため、政宗や支倉常長の名前がある教皇に渡した手紙の写しと思われるページを撮影した。


帰宅してPCで見てみると、判読可能であるのことはもとより
とてもきれいに写っていた。テクノロジー万々歳。

ミケーラありがとう。



norichetta at 16:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ペルージャの大学生活 2005~2008 

2008年07月29日

D.H.ローレンスと宗教心

2008 giuno e luglio 011

書道Tシャツを着たアミールと

数週間前の引ったくり事件で、
受けられなかった試験を今日受けることが出来た。


英語の口答試験。
D.H.ローレンスのエッセーについてだった。彼は、イタリア人の中にプリミティヴを見ていた。


イタリアに関心を寄せる日本人も同様に
イタリア人が持つプリミティヴに惹かれるからでないだろうか。人はないものに憧れる。

 

プリミティヴ、辞書では、「原始的な」「素朴な」「単純な」「遅れた」とある。ローレンスによると、イタリア人は、”only feel and want”,つまり「感じ、欲するのみ」の国民だと言う。もちろん、良い意味でである。

 

ローレンスはイギリス人だ。当時イギリスは、先進国まっしぐらの国だった。彼は、反産業主義。工業優先は、景観を壊すからだ。

一方、当時のイタリアは、人生の意義という、 イギリスがすでに失ったものをまだ持ち続けている国だった。


彼は、イタリアで「生きることの意味」を知る。
イタリアは、産業主義に毒されていなかった。そして、イタリア人が持つプリミティヴがどこから来るのか、というとローレンスは、イタリア人の体の中に残るエトルリア人の血からでないだろうか、と考えていた。

 

彼にとって、エトルリア人は、「権力」ではなく、「楽しむこと」に懸命な人たちで、生きることの秘密を、知り持ち続けた人たち。エトルリア文化は、キリスト教以前の世界を持つ多神教界である。

 

ローレンスは、人生の分岐点といわれる難しい時期には、いつもイタリアを訪れていた。トスカーナ州に3年ほど住んでいた時期もある。
そんな彼は、イタリアに関するエッセーを書いている。ローマ郊外のチェルヴェトリに、エトルリア墓が残っていてそこを訪れるエッセーの第一章が試験内容だった。

 

ミケーラとイザベッラの3人で、オリジナル英文からイタリア語に翻訳し、イタリアで売られているいい加減な翻訳本より、数百倍良い伊語訳になったので、私たちは自信満々。この作業は、合計5日かかり、ある時は夜中2時までかかった。


今や良い思い出である。
そして、そのうち3人でチェルヴェトリの墓参りをする予定だ。

 

さて、今日は試験日。

私は、エトルリア、古代ギリシャ、古代ローマなど、キリスト教以前の文化を知る度に、日本の宗教観に近い気がして親近感を覚える。

エトルリア人に関しては、未知な部分が多いため謎が多いのだが、それは、彼らが木の家に住んでいたせいでもある。木では、現存することはなく、研究するための物質的なものが乏しいのだ。木の家だなんて、日本人と同じでないか。

 

死の概念も、私たちに近いと私は思っている。

エトルリア人にとって、死は生命の続きであった。キリスト教では、人生の終着点である。エトルリア人は、あの世に無事に生けるよう、死者を守る犬の小さな焼き物を棺おけに入れていた。日本人も、あの世に無事に行けるよう、お金を死者に持たせる。

 

この共通点はどこから来るかと言うと、多神教にあるのではないだろうか、と私は考える。
日本人の多くは、宗教を持たないが、私は宗教心は持っている人たちだと見ている。


自然を神の創造物と見るのが、キリスト教国民だとすると、
日本人は、自然そのものに神の姿を見出す国民。

神という絶対の一つの存在を信じることが、宗教と仮定すると、日本人が言う「神」は宗教ではなく、宗教心と考えられる。


それと同様で、エトルリア人は、宗教でなく、
宗教心を持っていた人たちのように思えてならない。

 

ローレンスは、熱心な信者であった母親の影響から、敬虔なキリスト教信仰者であった。それが、さまざまな経験を経て、宗教と宗教心という似て非なる存在の違いに出会う。


先生は、ローレンスの英文がどうとか、いうよりも、
彼が言わんとした哲学や、イタリア文化を学ぶ私たちのために、彼の視点の「イタリア」といったエッセーの裏にあることを伝えるために、この作品を題材にしたようだった。

 

先日の筆記試験で、文法はひとつも間違わなかった。このように文法には強い日本人であるが、話すとなると、駄目である。それでも、私は先日の引ったくり事件を英語で説明した。


それから、ローレンスの宗教心についてや、
日本人とエトルリア人の共通点に触れて、自分の考えを伝えた。


私の英語は、滑らかどころの話しではないが、
先生が私たちに伝えたいところを私が感じ取っているのを評価してくれたのだと思う。満点という気前の良い点数をくれた。



norichetta at 16:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) イタリア人 | Rubrica コラム

2008年07月28日

先生の励まし

2008 maggio e BD Michela 019













今朝、メザノッテ先生の研究室へ行き、フォリーニョでの様子を伝える。

 

日本で支倉常長一行に関する本は、沢山出版されていて、それを書いた研究者は、国内外の資料を探索し、それを基に書いているので、フォリーニョの記述がないのは、裏付ける資料が見つかってないからだろう。

 

10年前に読んだ講談社学術文庫から出ている「天正遣欧使節」という本を、今回また再読している。著書はこの分野で知られた松田毅一氏である。フロイスの日本史を訳し、菊池寛賞を受賞した文学博士であり、ポルトガル政府から勲章を得た偉い人である。


彼のような人物だからこそ、
そう簡単には入れないヴァチカン図書館など世界中の資料調査の許可を与えられる。

 

あるべきはずなのに、収めている資料が膨大で、その中に紛れてしまい、いまだに確認できないことを本の中で語っている。

 

松田氏は、1997年に亡くなっているが、その他にも日本に多くの研究者がいて、彼らの権威と能力をもっても見つけられない資料があるのだから、私のようなものが、12日で見つけられるものでないだろう。


メザノッテ先生は、それでもフォリーニョでの探索を評価してくれて、
続けてがんばるよう励ましてくれた。

 



norichetta at 15:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ペルージャの大学生活 2005~2008 

2008年07月25日

日本の地震

2008 maggio e BD Michela 023

ペルージャのオーガニックレストランの前菜

昨日、日本で地震があった。
今朝のニュースでその大きさを伝える。「ホンシュウ」というだけで、どの地域が大きな被害を受けたとか細かい報道はない。

画面の映像は、どれも仙台のようにわたしには見えた。


早速電話したが、家族は留守だった。
こうなると心配は増す。

しかし、今朝、電話で話すことが出来た。

岩手震源ということで、余震が続いていると家族は話してくれた。 

 



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