2008年09月

2008年09月29日

葡萄のスッキャッチャータ

2008 settembre 094

「スッキャッチャータを作りたいから」と、昨日、ダニエーレのママに念を押してお願いしていた。


葡萄のスキャッチャーターは、
この時期のお菓子だ。

ペルージャでは決して見かけないトスカーナの味。二層になったパン生地に、小粒のワイン用黒葡萄を並べて焼いたパンとケーキの間のようなドルチェ。


オーブンの中で葡萄の汁が飛び出し、
美しい紫色を呈する。今年も、少なくとも2回はスキャッチャーターを作らなきゃと心に決めていた。


ダニエーレのお母さんは、さすがトスカーナ人。
スッキャッチャータ、ちょうど一台分の葡萄をお土産にくれていた。

 
このお菓子、初めて食べたとき、種が気になったが、あのゴリゴリと種を噛む感覚も、このお菓子の醍醐味。今はそれが分かる。それなのに、今では「種なし」スキャッチャーターが普通のものより高価な金額で売られている。


こんな風にイタリア人が変化しているのを感じると、
私は悲しくなる。イタリア人は、通常、葡萄を種皮ごと口に含んで食べる。日本に、もしこのお菓子が導入されたら、日本のことだ、種なしブドウを作り出すことから始まるだろうと思う。

 

勝手だが、イタリア人は、食べることに保守的であってほしいと望む私だ。

 

2008 settembre 091さて、無農薬の上質の葡萄が手に入ったのだ。スキャッチャーターを作らないわけにはいかないだろう。


3
回各1時間ずつ発酵させる面倒はあるが、それ以外は、それほど難しいものでない。

 

この時期、フィレンツェの各パン屋に、それぞれのスキャッチャーターが売られ、私に味見をさせるため、フィオレッラが先日買ってきてくれた。パン生地が少なめで、葡萄の汁とパン生地のしっとり感がちょうど良く、高得点をあげても良かった。


よし、今年の目標は、
このパン屋のスキャッチャータ。

 

パン生地には、ビール酵母の他、砂糖、オリーブ油、塩が入るくらいで、本当に、シンプルの一言。

 

3回の発酵を経て、オーブンで30分。

葡萄の汁が飛び出して、ジュウジュウいってるのをオーブンから取り出すと、ほんわか酵母の匂いと、葡萄の甘いかおりが部屋中に充満した。

 
2008 settembre 095辛口のフィオレッラも3切れ食べるほど、スキャッチャータ2008はなかなかの出来具合だった。
この3年間、毎年作っていたが、来年は日本で何の種類の葡萄を代用に作ろうかと今から考えている。



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2008年09月28日

10年ぶりの「イタリアの家族」④

 

2008 settembre 067午後のぶどう狩りは、5時に終了した。おばあさんの様子を見るため、お母さんは泊まるので、仕事から戻ってきたイアーナの車に乗せてもらうことにした。


イアーナは、ディエーゴのママ、ダニエーレの妹だ。
不思議と、今まで彼女に会ったことがなかった。彼女も、私の話しをよく聞いていたため、初めて会った時、互いの口から出た言葉が偶然同じだった。

「ようやく会えたね!」

 

車中、私が何故今イタリアにいるのか、前回の語学留学から、今回の大学入学に至るまで、それから将来の方向性などに質問がわたり、私は答える。


ダニエーレの妹、と思っていたが、
彼らは双子だった。だから、イアーナも私と同じ歳の猪年生まれ。エンポリ駅までの20分間程度の時間だったが、イアーナがとても素敵な女性であることがわかった。

 

2か月後の11月、オリーブ狩りをすす。その時、私に連絡をくれると言ってくれた。

「今よりも、随分日が短くなっているだろうから」と、次回はあの素敵なアパートメントに泊まることを提案してくれた。

 

2008 settembre 057フィレンツェに向かう電車の中で、ほんわかした気分に包まれた。それは何も、お母さんが、白、赤ワインや、ヴィン・サント、イチジク、葡萄という畑の収穫物をお土産に持たせてくれたからだけではない。

 

イタリア滞在のこの3年間を振り返ると、私は、いつも「イタリアの家族」、「イタリアの自然、田舎」に触れることを無意識ながらしていたようだ。

これは、第一に、私が好きだということ。そして、イタリアを知るためのキーワードとして、私を惹きつけるものだったからだと思っている。

 

一昔前、「イタリアの家族」と言えば、大きなテーブルを囲んで、

わいわいとお喋りが溢れる快活さと、その絆の強さを連想させるものだった。


しかし、便利な世の中になったからか、
家族の希薄さや、息子娘が親に甘えるだけの偏った愛情に変わりつつある昨今の姿は、日本と同様だ。


でも、私がイタリアで知りあった家族の中には、
本当の意味での絆を感じる素晴らしい家族がいて、彼らから私は色々学ぶことがある。


ダニエーレの家族がそうだ。
 

大黒柱的存在だったおじいさんは残念ながら亡くなり、後を継いだダニエーレ一人の肩の上に全責任がある。お母さんは教員とおばあさんのお世話、妹も仕事に子育て、とそれぞれが自分の仕事を持ちながら、農作業を出来る範囲で手伝う。

それが考えるほど容易でないことは、言うまででもない。しかし、一丸となってダニエーレを支えている姿は、力まず自然体。

それは何かと言えば、おじいさんが長年大切に育てた農園に注がれる家族みんなの愛情だろう。


帰途につく私の心が、ほんわかしたのはそのせいだ。

 

10年前私は、ここで、私の「イタリア」を発見した。そして、今回「イタリアの家族」をこの一家に重ねている。2008 settembre 083

 



norichetta at 21:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) イタリア人 | Rubrica コラム

10年ぶりの「イタリアの家族」③

2008 settembre 060地元に生まれ育つと、その土地の持つ良さに気づかない場合が多い。若者は、キラキラと見た目のかっこよさに心動かされる。
10年前、ダニエーレは26歳という若さで、ヴィンチ村の持つ美しさを評価する目をすでに持ち、グリツーリズムという新しい分野にも挑戦しようとしていた。


そして
10年後、こうやってがんばっている姿を見るのは、同じ歳ということもあるだろう、本当に嬉しかった。

 

フィレンツェでの留学を終えて、数日後に帰国を控えていた99年の11月末、オリーブ狩りをしに、ここへ再訪問しているのだが、その午前中、日本のある出版社が取材来た、と話していたのを覚えている。その後、旅名人ブックス「トスカーナ・ワイン紀行」という書名で日経BP社から2000年に出版した


今回、初めてこの本を手に取った。
その中に、ここスパッツァヴェントの項目がある。

オリーブの木を前に、おじいさん、おばあさん、妹のイアーナとダニエーレが並ぶ写真が懐かしい。前記のアパートメントが出来る以前のことなので、「ベット数、3台」となっている。当時、母屋にある使われない部屋を利用して、農家ホテルを始めたばかりというところだったのだ。

 

現在は、情報を得るのに、本よりもホームページが主流だろうHPは、イタリア語の他、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の5ヶ国語で紹介されているとダニエーレ。

「日本語にも訳そう!」と急に私は、使命感に燃え出した。

 

2008 settembre 06810年前に比べて、ユーロがあまりに強いので、イタリアを訪れる日本人観光客は、かなり減少してしまっている。しかし、そういう時だからこそ、筋金入りのイタリア好き日本人が来る、と私は考える。

「安いツアーを見つけたから、イタリアという国へ、話の種に行ってみよう」という時代は終わったのだ。真のイタリアを評価できる日本人が、田舎でゆっくりしようとレンタカーでやって来る。町の中のショッピングや、博物館めぐりの後、イタリアの本当の魅力が隠されている田舎で過ごしに来るのだ。

 

検索モーターのゴーグル利用者をスパッツァヴェントのHPへ導くためには、ヒットさせるキーワード選びが重要となる。


例えば、英語圏では、
「アグリツーリズム」ではなく、「ホリディ・ファーム」と呼ぶのが一般的らしい。それを知らないと、なかなか呼びこむことが難しくなる。

 

お母さんが作ったせっかくの美味しいローストビーフを横に、「日本語で、アグリツーリズムを指す言葉としてどんなのがあるか」などすっかり、日本語版HPに向けて熱が帯びた会話が続いた。

 www.spazzavento.it

 

 

午後の仕事に取り掛かるため、ダニエーレが席を立つ。シルビアは、ディエーゴを遊ばせるため、外へ連れ出していった。


皿を洗うお母さんと、隣に座るおばあさんとひと時のおしゃべり。

 おばあさんが、実にロマンチックな話をしてくれた。


2008 settembre 077地元同士のおじいさんとおばあさんが知り合ったのは、
子供時代だったという。それからは、いつも一緒だったのよ、と笑う。

 舅姑と共にここで新婚生活が始まる。その頃はお二人とも若いので、ここでは、おばあさんをヴァーニア、おじいさんをディーノと呼ことにする。


台所にヴァーニアがいる。
奥のダイニングには、舅姑が座っている。

ディーノは時々、農園からひょいと戻ってきて、台所の勝手口からヴァーニアに言う。

「あれ、あれを取っておくれよ」


「あれ」は、その時々によるが、
タオルだったり、何かの道具だったりする。勝手口の外は、段差で仕切られ薄暗いワイン貯蔵室へと続く。


ディーノは、靴についた畑の土を気にしてか、
台所まで入ってこないので、ヴァーニアは必要なものを急いで手にし、薄暗い貯蔵室にいる夫に手渡す。すると「ありがとう」と言う言葉と一緒に、ディーノは、ぎゅっと彼女を抱きしめる。ダイニングの舅姑には目隠しになってるから見えない。


「そうやって、私を抱きしめるために
仕事を中断して、よく農園から戻ってきたの」
おばあさんは少し恥らいながら、でも誇らしげに言った。

本当に素敵なカップル。

 

ヴァーニアが不妊で、なかなか子供をもうけられず、考えられる全てのことを試すものの、結果は得られないままだった。


当時、イタリアの王妃が、不妊期間を経て、王子が誕生し
イタリアは喜びに沸いていた。おじいさんは、その産婦人科の名医を、どの伝手か、また、どれだけの金額を支払ったのかわからないが、ヴァーニアの前に連れて来た。


それからまもなくして、
王妃と同様、見事懐妊。そして、ダニエーレのお母さんが誕生することになる。

 

おじいさんの思い出話しをするのに、一度話したことに戻り、何度か同じ話しを繰り返す。皿を洗う、お母さんが私に目で合図を送る。

「マンマ、その話しは、もうすでにしたわよ!」

私は、同じ話しであっても、ぐるぐる行ったり来たりの昔話しであっても、ちっとも退屈しなかった。 


おじいさんが亡くなってから
5年経つが、こうやって話を聞いているだけでも、二人の絆が強かったことがわかる。10年前の二人を思い起こしてみても、本当に互いに支え合っている素敵な夫婦だった。



norichetta at 20:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) イタリア人 | Rubrica コラム

10年ぶりの「イタリアの家族」②

2008 settembre 076プールはリゾート地として欠かせないものだが、葡萄とオリーブ畑がシンボルであるトスカーナの風景を壊すのをダニエーレは恐れた。
三和土やプールの側面を、石で作るなど限りなく自然の素材を利用することで、プールが景観に溶け込むことに成功していた。

 

公式なベット数は12。法律で、アグリツゥーリズムの収入が、農作業のそれよりも高くなってはいけないらしい。

 

2008 settembre 07510年前と変らないスパッツァ・ヴェントに来て、私は、興奮していた。新しくなったところは、ダニエーレが始めたアグリツーリズムが軌道に乗っている証しで、それも私の心をわくわくさせていた。

 

しかし、すごく残念なことが一つ。ダニーのおじいさんは、5年前に亡くなっていた。畑仕事をしている人というのは、厳しい自然を相手にしているので、どこかワイルドというか、どこか粗野な雰囲気な人が多いのだが、ダニーのおじいさんは、穏やかな人で、その話しぶりには、知性を備えていた。


戦中、ドイツ兵がトスカーナの田舎を占領した話しを
テーブルを囲む世代の若い私たちが、じっと聞き入った10年前を思い出す。

 

その人の亡くなり方で、その人の人生がどういうものだったのか判る、と言うが、おじいさんは、朝方、眠ったまま逝ってしまった。

 

おばあさんは健在で、私は再会に喜んだ。しかし、おじいさんが亡くなってから、随分年を取ってしまったと、みんな言っていた。背の高いおじいさんの横で、小柄なおばあさんが、あれやこれやと世話を焼いているようなかわいいカップルだった。

 

結婚したてのカップルが、幸せそうなのは当然だと思う。何年も一緒にいて、それでも尚、仲睦まじく互いに支え合う老夫婦ほど見ていて気持ちがふんわりするものはない。

そんな素敵な老夫婦が、私にとって、ダニエーレのおじいさんとおばあさんだった。

 

2008 settembre 069畑に出る。

近所に住むおじさん3人と、ポーランド人の女性2人が働いていた。ダニエーレも、その中にいた。

「のりか!何年ぶりだっけ?」

10年ぶりだよ。98年、99年とここでヴェンデンミアしたもの。」
ええ!?そんなに経ったの??ダニエーレは、目を丸くしてそう言った。

 

そんなダニエーレは、10年分たくましくなっていた。大黒柱的存在だったおじいさんが突然亡くなって、ある日突然、彼の肩に全責任が圧し掛かってきて、どんなに大変だっただろう。

彼は、働く人たちの指揮をとって、黙々働いていた。

2008 settembre 010ヴェンデンミアが生まれて初めてのディエーゴは、
葡萄の味見に忙しい。ダニエーレ叔父さんが大好きなディエーゴは、チョロチョロ彼の周りをうろついては、作業の邪魔をしていたが、ダニエーレの目は、垂れ下がりっぱなしだった。

おばあさんも、さすが慣れた手つきでブドウを収穫している。

 

ダニエーレの畑は、無農薬。美しい葡萄の房は、どっしりと重く、

糖度が高いことがわかる。時々、房から数粒の葡萄が逃げて、

地面に落ちてしまうことがある。ダニエーレが一生懸命作った葡萄。一粒でも無駄にしてはいけない、と 拾うのに必死になる。2008 settembre 063

 














昼になった。

10年前は、家の前にテーブルを出して、おばあさんとお母さんが用意してくれた昼食を、手伝いの人も含めて大勢で囲んだ。おじいさんが獲ってきた鳩のレバーをソースにしたスパゲッティの味は、今でも忘れられない。


本物のイタリア家庭料理も、ここで初めて味わった。
私の食べ物の記憶のよさに、お母さんは驚いて「そうね、そうだったわね」と懐かしそうに頷いた。

 

時代は変った。

おばあさんは、歳で台所にあまり立たなくなった。

「働く人たちは各自、家に戻って昼食を済ませるか、お弁当を持参する、というここ数年なのよ」

と説明してくれた。

 

ダニエーレは、去年シルビアという地元の女性と結婚した。経済学を卒業した彼女は、近くの事務所で働いている。


「アパートメント」のとなりが彼らの新居だ。
畑に姿は見せなかったが、別棟の彼らの家で茹でたパスタを持って来てくれた。

 

テーブルでは、ディエーゴのお喋りが、賑やかさを提供していた。あれやこれや子供らしいわがままを言うが、ダニエーレ叔父さんが優しく諭すと、ちゃんとそれに従う。

 

食事をしながら、ダニエーレに農場とアグリトゥーリズムの発展が

自分のことのように嬉しいと私は、感心して言った。


そして、おじいさんに会いたかったのに残念だった、
と言う私の言葉に、ダニーは頷く。その表情におじいさんへの尊敬と強い愛情が見えた。おじいさんの働く後姿を見ながら、農業を自分の仕事として選択したのだ。

 



norichetta at 20:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) イタリア人 | Rubrica コラム

10年ぶりの「イタリアの家族」①

2008 settembre 058














朝、フィレンツェから電車で
30分先にあるエンポリで降りる。

ダニエーレの両親は、エンポリに住んでいる。
「私は3年前からおばあちゃんになって、明日孫を連れて行くの」

嬉しそうに、昨日ダニエーレのお母さんは言っていた。

 

電車を降りると、ホームで、ジョゼッペさんをすぐに発見した。ダニーのママは離婚して、ジョゼッペさんと一緒にいる。髪の毛が10年分少なくなっただけで、私はすぐに分かった。


私が名乗る前に、「よく来たね。久しぶり」
と言った。

ジョゼッペさんの腕の中には、天使みたいな男の子がいた。クリクリの金髪に、青い目。それ以外は、ダニエーレにそっくり。

名前を訊くと、

「ディエーゴ」とあっちを向いて名乗った。そうやって照れた後、私の顔を珍しそうに見ていた。子供は正直である。

 

駅の前に駐車した車の中に、お母さんがいた。
ちっとも変ってない。ディエーゴを後部の補助席に乗せてヴィンチ村に向かう。ジョゼッペさんはお留守番。

 

「今日は、日本のシニョリーナとぶどう狩りよ」

今朝、出かける前、お母さんがディエーゴに言うと、

「ニホン?」と首を傾げたそうだ。

「ここがイタリア。そして、ここが日本。」と
中学校で、数学の先生をしているお母さんらしく地球儀を指して教えた。3歳のディエーゴが、どれだけ分かったのか分からないけれども、二つの国を隔てる距離は理解したのだろう。


目をまん丸にして、
「こりぁ、すごーい!!!」と叫んだそうだ。

 

 

お喋りなディエーゴは、おしゃまで、おかあさんが、葡萄畑の様子、10年間の変化を私に説明するのを後部座席で聞いていて、

「うん、今年のぶどうの量は少ないけど、甘くて良質なんだよね。」

などと会話に交ざってくる。


イタリアは、ハスキーな声の人が多いと常々思っている私だが、
ディエゴの声は、大人になるのを待たず、3歳の現在から、割りあい野太い。でも、後部座席を振り返ると天使みたいな顔でチャイルドシートにおさまっていた。

 

子供だからと言って「うるさい」と一言で片付けない。

お母さんが、一人の人間としてきちんと扱っている姿は、見ていて気持ちがいい。

「ディエーゴは、物知りなんだね。」と私も、助手席からおだててみると、チャイルドシートで、ちょっと鼻を高くしていた。
2008 settembre 07320分もすると、懐かしい農園についた。
名前は、スパッツァ・ヴェント。彼らが名づけたのではなく、この丘にもともとついていた名前。

ズパッツァは、「掃き出す」ヴェントは、「風」。その名のとおり、いつも、いずれの方角から風が吹く丘。

 

ポーチを歩く。左側に母屋があり、その奥に、ブドウ畑がなだらかな下り坂になって広がっている。 背景のゆるやかな丘に、別な農園の葡萄畑とオリーブの木々。本当に美しいなとしみじみ思う。

 

これが、私のイタリア、私のトスカーナ。

10年前、ようやくイタリアを実感した景色が、変らず私を迎えてくれた。

 

2008 settembre 080お母さんが案内してくれる。

母屋の向かいに建つ旧馬小屋は、10年前、朽ち果てて、何にも使われてなかった。そこが、現在「アパートメント」に素敵に変身していた。アパートメントは、母屋を利用した宿泊室「カーメラ(部屋)」と区別するためにつけた名前で、キッチンやトイレがついたレジデンスだ。


ここは、グループ滞在者に適していて、
夫婦と子供たちというファミリーやふたカップルの宿泊者などには、一階と二階を提供出来る。

 

2008 settembre 074田舎の素朴な風合いが、やさしい雰囲気をかもし出している。馬小屋の骨組みを利用しての修理なので、トスカーナ風といわれる、天井のうねうね模様がかわいい。この日、2階に宿泊客がいたので、1階だけ見学させてもらった。

 

アパートメントの裏手には、何と、オリーブの木々に囲まれたプールが広がっていた。昼間、フィレンツェの町を観光し、午後から車で田舎にやってくる観光客のリクエストに答えたものだという。限りなく、プールを低く作り、水に体を沈めた時、目の前に広がるブドウ畑がより身近に感じる仕組みになっている。

 



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