2012年03月

2012年03月27日

日本人の宗教心と信仰心

ドゥオーモ後陣

イタリアで生活していて、一番興味深く感じ、また卒論の題材にもしたのは「宗教」です。

国民の
90%以上がキリスト教徒というイタリアには、なるほど、カトリックの総本山のバチカンが存在する国ですから、当然と言えば当然の数。

それでも今日、多くの人が教会に行かなくなったと言われ、「自分はカトリック信者でない」と言い切る若い人たちも少なくありません。

しかし、イタリアの生活全般において、キリスト教がベースとなっていることは事実です。イタリアの祝日のほとんどが宗教に関わったものですし、人の名前も聖人から由来したものばかり。カレンダーをのぞけば、大安や仏滅の代わりに、毎日聖人の名前が並んでます。
地域は教区ごと教会が存在し、そこに集うことで日本の隣組のような、子供会のような存在となっているように私にはうかがえます。ですから大小関わらず、町のあちらこちらに教会が立ち並び、Parroco パッロコと呼ばれる教区司祭が区の人々を見守り、決まった時間には鐘が鳴り響き、美術館へ行けば宗教画が埋め尽しています。
食文化も然り。郷土料理は祭りに関わるもの、つまりキリスト教と何らかの形で結びついたものが多いです。

同じ外国人であっても、イタリアで出会った西洋人の友達は大抵キリスト教信者なので、そういったことを何の不思議もなく受け入れてましたが、仏教と神道教の国から来た私には何もかもが不思議でした。私は幼稚園はカトリックで、高校短大はプロテスタントだったので、一通りキリスト教の知識はあるつもりでしたが、それでも、イタリアがやはりキリスト教という宗教がベースになっている国であることに、新鮮味と興味を持って観察していました。

その一方で、日本人の宗教観というものを顧みる自分がいました。一神教を信じる外国人から、日本人は神社やお寺に行ったかと思うと、クリスマスをお祝いするというように、プライドも宗教心もない国民と批判されることもあるようですが、けっして神様の存在というものを信じてないわけではないと思います。

私たちを見守る何か大きいものが存在していることを信じていて、それが自然崇拝というものなのでしょうが、祖先もそこに溶け込んで神になると信じている。これが一般的な日本人の考えだと思うのですが、西洋にはまったく新しい考えだったようで、イタリアの友人に話す機会があると、その都度、彼らは「へぇ」と興味を持って聞いてくれました。

ある友人は、仏壇にしても神棚にしても、いつも食物をお供えすることに注目して、「日本人は食べ物が大切なのね」という面白い感想を聞きかせてくれたことがあります。確かにキリスト教は食べ物をお供えしないことに気づいたわけです。彼らは一神教であるキリスト教信者でありながら、他の宗教を認める大らかさも備わっていました。

信仰心と宗教心の違いでしょう。日本人の多くには宗教心は少ないかもしれませんが、信仰心が自然に育つような風土が日本にはあると思います。

仙台に来るイタリア人観光客に配る、日本の文化や仕来たりなどを説明したパンフレットを作る仕事を、以前、ある一人のイタリア人としたことがあります。たとえば「お盆」や「正月」などについて一緒に訳しました。その人は日本に20年以上長く住んでいながらも、あまり日本文化を深く知る経験がなかったのか、訳す度に日本人の習慣、宗教観が変だということを大真面目に指摘され、また私も大いに傷つき、この経験から、私は間違いなく日本人なんだと気づかされました。

たとえば、「どんと祭は神様を焼く祭りだから嫌い。大切な神様を焼くなんてなんて野蛮!」といった類でした。このようなイタリア人もいるのだ!と衝撃を受けました。私は日本人として、日本の宗教、文化などあまり意識したことがありませんでしたが、正面切ってこうも否定されると、全人格を否定されたように傷つくものであることがわかりました。

また、その人はイタリア人には珍しい敬虔なプロテスタント信者でしたが、自分にとって宗教が大切なものとわかっていながら、何故相手の宗教を否定できるのかもよくわかりませんでした。

日本人の中で生活していると、こういう経験をあまりすることはありません。そんな経験のない類の痛手を心に受け悶々と過ごしていたある日、塩野七生さんが出ているテレビ番組を観ました。言うまでもなく、彼女はイタリアの歴史を書く著名な作家です。
「古代ローマがあそこまで広大に広がり成功をおさめたのは、征服した国や民族に、自分たちの宗教を強いることをせず、相手の宗教を認めたことが大きい理由の一つです。私たち日本人も、古代ローマ人と同様、自然崇拝の多神教の文化を持つため、他の宗教に寛容です。この感覚は、国際交流する中で、大変な強みなのですよ」ということをおっしゃっていて、私の心の傷がずいぶん癒されたのを思い出します。

また、数年前、フィレンツェの大聖堂のクリスマスミサに参加した時にはこんなことがありました。
1年に1度、この日だけ、ミサに登場する木製の子供時代のイエスキリスト像があるのですが(古くてとてもかわいい)、ミサが終わって、その像をよりよく見るために参列者は近づき、その多くはクリスチャンですから、像の足元に口づけをし十字架を切っていました。
その中に私の両親くらいの年齢の観光客と思える日本人夫婦がいました。珍しいものを見るような感じで近づく様子から、キリスト教徒ではないことがわかり、私と同じように好奇心でミサに参列し、イエス様の像を見ているのだなぁと、その様子を遠くから見ていました。

順番がまわって像の真近くまで来ると、ご婦人のほうが自然と手を合わせました。それはまぎれもなく、神社などで拝む「和」の姿で、一瞬場違いのようにも思えましたが、かえってその姿に日本人の宗教観というものを見る思いがしました。他の宗教にも寛容で、相手が畏敬の念を表すものには、「大切なものなのだ」という意識を素直に持つ姿です。

宗教とはそんなものでいいのでないかなぁと私は思ってます。



norichetta at 10:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) Rubrica コラム 

2012年03月25日

Insalata di udo e pompelmo 独活とグレープフルーツのサラダ

DSCN6045独活は、春ならではの独特の香りある野菜の一つで、あのサクサクした歯ごたえも大好きです。

それほど派手な野菜ではないので、酢の物や、ぬたなど独活の料理の相場は決まっている気がしますが、グレープフルーツの酸味×甘みともとても合うので、箸休め的なサラダにしてみました。

このサラダのポイントは、独活を割かし大きめの乱切りにすることです。短冊などよりはサクサク感がでて、独活の主張も出ていいです。そのかわり、皮は割合厚めに剥いてください。皮が残っていると繊維が気になって、せっかくのサクサクしたおいしさが半減していしまいます。

皮は捨てずにごま油で炒めて味噌で味付けしたキンピラにするとおいしいですよ。

DSCN6038













作り方
水菜はざく切りにしてよく水気をとっておく。グレープフルーツは皮を包丁で剥いて、ひと房ずつ袋から出しておく。独活は皮を厚めに剥いて乱切りにしたら、すぐに酢をかけてまぶしておく。(すぐにしないと黒くなります)
グレープフルーツを剥いている時に出た汁に、オリーブオイルと塩一つまみ加えて、泡だて器でよく混ぜ合わせる。ここに3つの材料を加えて、よく和えて出来上がり。

作り置きすると独活が黒ずむので、食べる寸前に作ってください。

norichetta at 21:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 野菜料理 Contorni | 前菜 Antipasti

2012年03月24日

Pancake オリーブオイル入りのホットケーキ

DSCN6027イタリアではパンケーキは、それほど一般的ではないようでしたが、朝何もない時に作ると、イタリアの友達に好評でした。

彼らは朝食に甘いものを欲するのが常なので、ご飯、味噌汁、焼き魚という純・和定食の朝食は、ほとんどのイタリア人には信じられない代物のようです。ペルージャにいた頃、納豆を作っていましたが、「腐れた大豆」を私が毎朝食べているということで、友達から変に思われていました。

彼らの朝食は、私たち日本人からすると「お八つ」です。甘系のパンか焼き菓子を、ミルクの入った温かい飲み物、例えばカッフェラッテのようなものでいただくのが、イタリア式朝食です。

シチリア産のオレンジが、新鮮かつおいしい上に安いので、イタリアの朝食に絞りたてのオレンジジュースはつきものでした。

ジャム入りクロワッサンにカッフェラッテ、そこにスプレムータ spremuta(生ジュース)を添えれば、完全無欠のイタリアン・ブレクファーストといったところでしょう。
間違ってもベーコンとか目玉焼きとかはつけません。「朝からあんな脂っこいもの食べるなんて、イギリス人って。。。」と言うのが一般的なイタリア人の意見ですから。

一日のスタートの第一食に、こんなお八つでいいのか、と思ってしまいます。そして、3食とも野菜を沢山食べたい私は、やはり日本の朝食がお好みですが、それでも時々、甘系でまとめたイタリア式の朝食が恋しくなるときがあります。「起き抜けにしょっぱいものなんか食べたくないのよね」というイタリアの友人の言葉が理解できる日もあります。
しかし、焼き立てのクロワッサンなど、うちの近くで売っているところはないので、そんな時は、オリーブオイルを入れたパンケーキを焼きます。イタリアのハチミツとバタを添えるのが定番です。思い立った時にすぐ作れるところが気に入ってます。小麦粉の代わりにそば粉を今日は使いましたが、そば粉ならではの苦みがあって、これはこれでおいしいです。


<オリーブオイル入りパンケーキ 2~3枚分>
卵           1ケ
きび砂糖       大さじ2~3杯
牛乳         130㏄
オリーブオイル   大さじ2

小麦粉(そば粉)  150g
BP          小さじ1半


粉類以外の材料をよく混ぜて、最後に小麦粉とベーキングパウダーを合わせたものを振るい入れて、よく混ぜ合わせる。
フライパンで焼く。熱いうちにハチミツとバターをのせていただく。

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norichetta at 20:04|PermalinkComments(2) デザート dolci 

2012年03月17日

Baccalà alla vicentina 鱈のミルク煮 

268昨晩は、月一回イタリア料理の会「おいしいイタリア」の日でした。

今月は白インゲン豆のポタージュにショートパスタを浮かべた「パスタとインゲン豆」と、写真の「鱈のミルク煮」をみなさんと作りました。

二つの料理の共通点は、初めに香味野菜をゆっくりじっくりたっぷりのオリーブオイルで炒めることです。時間にしたら10~15分くらいでしょうか?

鱈のミルク煮は、バッカラ アッラ ヴィチェンティーナ Baccalà alla vicentina(鱈のヴィチェンツァ風)という料理をヒントにした料理です。

ヴィチェンツァ(
Vicenza)というのはヴェネト州の都市で、寒い地域にちなんで、クリーミーでこってりした味付けが特徴。

Baccalà というのは、乾燥させた塩漬けの鱈のことで、丸二日浸水して水を変えながら塩を抜きます。イタリアの魚屋の店頭には、大きな水槽にすでにもどされた大きなバカッラを見かけることができます。

DSCN6019この料理には、ポレンタ(トウモロコシ粉の粥)がつきもので、ソースをからめながら頂きます。そのこともあって、オリジナルのレシピは牛乳よりもオリーブ油が多いくらいたっぷり使い、コトコト素焼きの鍋で数時間煮ます。ポレンタとこってりしたソースの相性は抜群だからです。

日本では、今出回っている真鱈のような淡泊な魚で作ってみるといいでしょう。
ポレンタの代わりにマッシュしたポテトに、柔らかく茹でたキャベツを合わせ、オリーブ油で和えた「芋キャベツPatate e cavolo」を添えました。


Ingredienti  材料 4人分>

真鱈                4切れ

小麦粉               適宜

オリーブオイル           大さじ4

玉葱                1

パセリのみじん切り         適宜
アンチョビ              小さじ2

牛乳                1カップ半
パルメザンチーズ           大さじ3


Preparazione 作り方>


<準備>

に軽く塩を振り、少し置いて出てきた水気をペーパータオルでふき取っておく。

玉葱はみじん切り。


フライパンに玉葱オリーブ油を入れて火にかける。油が熱くなってきたら弱火にして、少し色づくまでじっくり炒める。次にアンチョビを加えて全体に馴染んだら、パセリを加える。

②①の半分を残して、取り出す。

鱈に小麦粉をつけて、炒めた玉ねぎが半分入っているフライパンに並べ、その上に取り出していた玉ねぎをのせる。牛乳を加え、パルメザンチーズを振りかけて、沸騰したら、表面がフツフツしている火力で1015分ほど煮る。途中でかき混ぜる必要はないが、牛乳とチーズは焦げ付きやすいので、鍋底に注意する。とろりとした濃度のあるソースになったら出来上がり。


塩味を調えて盛り付け、パセリを振る

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norichetta at 08:59|PermalinkComments(0) 主菜 Secondi piatti | Incontro di cucina italiana   おいしいイタリア

2012年03月12日

ハチミツ売り場で

138一か月ほど前のこと。震災後初めて行ったイタリアで、友人はもちろんですが、八百屋さんなど買い物中に出会う見ず知らずの方からも、「日本の復興は進んでいるの?」と震災に関する質問を多く受けました。

市場でハチミツ売りのおばさんと話していた時、私が被災した町の出身者だと知ると、
「涙を流さずにしてあの映像を見た人はいなかっただろう」
とイタリアでも沢山報道されたという被災地の様子について話しました。
「あんなにひどいことが起こったのに、あなた方は援助を待つだけでなく、出来ることから協力し合って前に進んでいこうとする姿に私たちは深い感銘を受けたわ」
と興奮した様子です。まわりのお客さんも大きく頷き、キラキラした目で私を見つめます。私は日本人というだけで、英雄になってしまっていました。

すると一人のお客さんがこう言いました。
「イタリア人だってそう悪くないと思うの。でもね、今回のようなことが、もしこの国で起こったら、日本人ようにはとても出来ないと思うわ」

みんなが深刻そうな顔をして頷きました。日本人の事を褒められれば当然嬉しいわけですが、私はイタリア人のことも好きなので、当のイタリア人の意見とはいえ、そんな風に言われては黙っていられません。震災後も仙台のレストランで働き続けているあるイタリア人のことを思い出して、
「あのような大参事を前にしたら、イタリア人だって同じように行動したと思う」
と私はきっぱり言いました。

その仙台で働くイタリア人は、「帰国しなくていいの?怖くないの?」と問う私に、レストランが大変な状態になって、同僚と連日試行錯誤している時に帰るなんで考えもしないとあっさりと言っていました。

市場にいた皆さんは、外国人の私の言葉に少しはっとした表情をしてから、否定もせず頷きもせず、じっと私の目を見てました。


norichetta at 21:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) Rubrica コラム