2015年08月
2015年08月24日
ミラノのレストランから東北の日本酒発信
ミラノのスカラ座広場にあるレストラン「イル・リストランテ・トラサルディ」から料理長と飲料部責任者の方が、「全日本コメ・コメ関連食品輸出促進協議会」の招きで東北にいらしゃいました。
こちらの記事をごらんください。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150824_42003.html
お二人は宮城の醸造元を見学し、5種のお酒(純米酒、特別純米酒、純米吟醸、純米大吟醸、梅酒)を、三陸で獲れる新鮮な魚介をはじめとする宮城の食材と共に、とても熱心に味わっていただきました。
1日目の夕食で、冷酒用の小さなグラスでお酒を供したところ、「どうしてこのグラス?」とちょっと意に介せないような表情をされたので、どういう意味だろうかと思いました。
翌日、写真のように醸造元で、今度はワイングラスで試飲することとなりました。
気さくなお二人でしたが、試食、試飲となると、突然目がキリリとして真剣です。
私は横からその様子を眺めていましたが、彼らの高い鼻がすっぽりグラスの中に入ったかと思うと、香りを注意深くじっくり嗅いでいます。
今度はグラスをまわして空気を含ませ、再び香りを確かめています。そしてゆっくりと口に含んで味わっていました。
確かに日本の冷酒用グラスでは、こんな風には出来ないわけで、ようやく私は前日の言葉の意味がわかりました。グラスで味わいが変わる、とよく耳にしますが、「同じものでも、昨晩とはまた違った味がするよ」と話していました。
お酒も料理も大変評価が高く、宮城の食材の豊かさに感銘を受けていたようで、すでにシェフの頭のなかでは、イタリアで披露する料理のアイディアが頭の中であふれ出ているようでした。
東北にインスパイトされて生まれたシェフの料理と東北の酒。その一皿と共に、ミラノのレストランから東北のsakeが発信され、少しずつイタリア人に日本酒のおいしさが広まることを願います。
こちらの記事をごらんください。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150824_42003.html
お二人は宮城の醸造元を見学し、5種のお酒(純米酒、特別純米酒、純米吟醸、純米大吟醸、梅酒)を、三陸で獲れる新鮮な魚介をはじめとする宮城の食材と共に、とても熱心に味わっていただきました。
1日目の夕食で、冷酒用の小さなグラスでお酒を供したところ、「どうしてこのグラス?」とちょっと意に介せないような表情をされたので、どういう意味だろうかと思いました。
翌日、写真のように醸造元で、今度はワイングラスで試飲することとなりました。
気さくなお二人でしたが、試食、試飲となると、突然目がキリリとして真剣です。
私は横からその様子を眺めていましたが、彼らの高い鼻がすっぽりグラスの中に入ったかと思うと、香りを注意深くじっくり嗅いでいます。
今度はグラスをまわして空気を含ませ、再び香りを確かめています。そしてゆっくりと口に含んで味わっていました。
確かに日本の冷酒用グラスでは、こんな風には出来ないわけで、ようやく私は前日の言葉の意味がわかりました。グラスで味わいが変わる、とよく耳にしますが、「同じものでも、昨晩とはまた違った味がするよ」と話していました。
お酒も料理も大変評価が高く、宮城の食材の豊かさに感銘を受けていたようで、すでにシェフの頭のなかでは、イタリアで披露する料理のアイディアが頭の中であふれ出ているようでした。
東北にインスパイトされて生まれたシェフの料理と東北の酒。その一皿と共に、ミラノのレストランから東北のsakeが発信され、少しずつイタリア人に日本酒のおいしさが広まることを願います。
2015年08月21日
Spaghetti con sardine e peperoni 鰯とパプリカのスパゲティ
鰯とパプリカという今が旬の二つの素材を使ったスパゲティです。
私は黄ピーマンが好きなので黄ピーマンを多くしますが、赤だけで作ってももちろんOK。
パプリカはじっくり火を通すと甘みが出ます。
2人前でパプリカは黄色と赤を合わせて1ケ分使います。細切りにしておきます。
玉葱1/4も薄切り。
鰯は手で開いて骨を取っておき、塩をして数分置いたら、出てきた水気をペーパータオルで拭いておきます。
鰯の大きさにもよりますが、2人前で、3~4尾くらいがちょうど良いと思います。
フライパンに、ニンニクのみじん切りとオリーブオイルを入れて、弱火でゆっくりとニンニクの香りを出します。
玉葱を加えて炒めたあと、パプリカも加え、しんなりしてきたら、塩コショウをして、フライパンのスペースをあけてそこへ鰯を加えます。
香ばしく焼くことで生臭さがなくなるので、あまり頻繁に触らないで、じっくり両面を焼くことがポイントです。
この後、鰯を木べらでほぐし、尻尾を外しておきます。
唐辛子を適量振って、火を止めておきます。
この料理には、細めのスパゲティが適していると思います。
茹でたてのスパゲティを、鰯&パプリカのフライパンに投入し、和えて出来上がり。皿に盛り付けたらパセリのみじん切りをふります。
(パセリがなかったので、写真はセージを刻んだものです)
私は黄ピーマンが好きなので黄ピーマンを多くしますが、赤だけで作ってももちろんOK。
パプリカはじっくり火を通すと甘みが出ます。
2人前でパプリカは黄色と赤を合わせて1ケ分使います。細切りにしておきます。
玉葱1/4も薄切り。
鰯は手で開いて骨を取っておき、塩をして数分置いたら、出てきた水気をペーパータオルで拭いておきます。
鰯の大きさにもよりますが、2人前で、3~4尾くらいがちょうど良いと思います。
フライパンに、ニンニクのみじん切りとオリーブオイルを入れて、弱火でゆっくりとニンニクの香りを出します。
玉葱を加えて炒めたあと、パプリカも加え、しんなりしてきたら、塩コショウをして、フライパンのスペースをあけてそこへ鰯を加えます。
香ばしく焼くことで生臭さがなくなるので、あまり頻繁に触らないで、じっくり両面を焼くことがポイントです。
この後、鰯を木べらでほぐし、尻尾を外しておきます。
唐辛子を適量振って、火を止めておきます。
この料理には、細めのスパゲティが適していると思います。
茹でたてのスパゲティを、鰯&パプリカのフライパンに投入し、和えて出来上がり。皿に盛り付けたらパセリのみじん切りをふります。
(パセリがなかったので、写真はセージを刻んだものです)
2015年08月04日
Cose su Firenze フィレンツェあれこれ
フィレンツェは私にとって第二の故郷です。
それは十何年も前のことになりますが、初めてイタリアを訪れ、そのまま1年半、日本レストランで働きながらイタリア語を学んだ町だから、そんな風に思うようになったのだと思います。
当時の私は、イタリアのことなどほとんど何も知らず、あの「花の大聖堂」を見ても、「へぇガイドブックと同じ」と感動の欠片もなく、フィレンツェに対しても、イタリアに対しても何の愛着も尊敬もありませんでした。ただただ言葉が好きで、言葉を覚えたいという一心で過ごしました。
日本とは勝手が違って、合理的なものは何一つなく、不器用な私は色々なことに戸惑い、イライラし通しでした。
小さな町であるにも関わらず、方向音痴の私は、毎日のように道に迷い、汗をかきながら、キョロキョロと辺りを見渡しては、歩きに歩き、突如ドォーモが現れると、ようやく自分の居場所に見当がつくありさまでした。
靴は1か月で履きつぶし、ぐったりしてベットに倒れ込む毎晩。そんなわけで、フィレンツェを、イタリアを好きになるまで3か月かかりました。
現在イタリア語を教えいたたいてる生徒さんたちが、1週間~10日間行っただけで、すぐにイタリアという国に理解を示し、ヨーロッパならではの不自由さを認めながらも、「大好きになりました!」と顔を輝かせて旅の感想を話して下さるのを聞くと、すごいなぁー!と感動します。
それくらい私は日本にべったりで、それ以外の国は評価も出来ないような田舎者だったのだと思います。
毎回、イタリアへ行くと、必ずフィレンツェに足を運びます。駅に降り立つと、まずドォーモのそびえ立つ方向を確認し、あのオレンジ色の丸みを帯びた屋根が見えるとほっとします。
フィレンツェには古い友人、フィオレッラが住んでいて、いつも彼女の家にお世話になります。彼女はピエモンテ州出身ですが、20代の頃、大学に通うためにフィレンツェに出てきて、それ以来、ずっとここに住んでいます。だから彼女とは、同じ「外者」として、フィレンツェのあれこれを客観的に語ることが出来ます。
彼女とは、はじめ、英語で意思疎通していたくらい古い友人です。
古い友人ですから私の好みもよく知っています。
イタリアでは、夏は野外で演劇を鑑賞したりするのですが、私はそれがとても好きで、今回は、フィレンツェからバスで15分くらい離れたフィレーゾレという標高300mの丘に広がる町へ連れて行ってくれました。
この小さな町の歴史は、エトルリア時代にまでさかのぼります。町にはローマ劇場や浴場跡が遺跡として残っており、その野外劇場では、「フィエーゾレの夏」というフェスティバルが毎夏開かれ、映画やコンサートなど様々な出し物が見られるのです。
私たちが行った日は最終日で、ペルーのグループによるコンサートでした。60年代からイタリアでもかなりヒットしたグループだそうで、当時からのメンバーの他、若い人メンバーも混ざって構成されています。
客席、と言っても椅子などはなく、ローマ人が作った石の席に、簡単な座布団が敷かれているだけ。その下にはミントの葉が生い茂っているので、観客たちはスッーとした香りに包まれ、日中強い日差しで熱された石が、少しずつクールダウンしているのを肌で感じます。
私が見ていて楽しかったのは、メンバー全員が自分の決まった楽器だけでなく、舞台にあるすべての楽器を弾けることです。今ドラムを叩いていた人が、移動してクラリネットを吹く、クラリネットを弾いていた人がギターを弾く、という具合に、決まった立ち位置はなく、舞台の上を自由にあちらこちらへとチームワークよく移動するのです。心地よい風に吹かれながら、湧き上がる観客の中に混ざって聴きました。
7月はじめには日本のジャズピアニスト上原ひろみさんのコンサートがあったそうで、夜風にあたりながら彼女のエネルギッシュな演奏を聞きたかったなぁと思いました。
http://soulfulcorner.org/2015/07/10/hiromi-live-fiesole-2015/
翌日は、トスカーナの田舎へ行きました。
フィオレッラには、ローマの新聞社で働いていた友人がいます。引退した現在はトスカーナの田舎とローマを行ったり来たりの生活で(奥さんは現役バリバリのジャーナリストで、ローマで忙しく働いています)、田舎の家へは車なしでは到着できない小高い丘のてっぺんにあります。その周辺はオリーブの木が生い茂っている緑豊かなのどかなところです。
私がトスカーナのオリーブオイルが大好きなのを知っている彼は、毎年11月、搾りたてのオリーブ油が出来ると、フィオレッラを通して日本へ送ってくれます。私がいつも元気なのはトスカーナのオリーブオイルのお陰だと信じています。
とても広い敷地には、アグリツーリズムとして宿も提供していて、この日は、イギリス人の家族が来ていました。庭のプールで子供たちが大騒ぎして楽しんでいました。
宿の管理も含め、オリーブ畑、野菜畑の手入れは、離れに住むイタリア人夫婦にすっかり任せています。
私は来る度に、「掃除婦として雇ってくれ」とグラツィアーノに頼みますが、相手にしてくれません。
半分やもめ暮らしのグラツィアーノのために、フィオレッラと私でパンのサラダと、庭で取ってきたセージをたっぷり入れた溶かしバターをからめたラビオリを作って、3人で遅い昼食を取りました。
その後、2人の楽しい話しを聞いていたつもりでしたが、お腹が膨れたせいか、ここ数日の疲れがたまっていたせいか、次第に2人の声は遠ざかり、瞼が落ちてきます。
そんな様子に気づいた彼らは、私を寝室へと促し、そのまま3時間爆睡してしまいました。
充電中
起きてみると、キッチンには誰もおらず、庭で二人はお喋りしていました。私も靴を脱いで寝っころがります。
私のトスカーナのオリーブオイル信仰は、トスカーナの大地信仰によるものです。
トスカーナの大地には、ものすごいエネルギーがあると信じている私は、ここにやって来ると、かならず大地に体を広げ「充電」します。
話し変わって、フィレンツェの町の話しです。
2年ぶりのフィレンツェは、以前あった店舗が消え、新しい店の進出など、私にはずいぶん変化したように見えました。
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅構内にも店舗が増え、荷物置き場などもリニューアルしてました。
中でも、フェルトリネッリ Feltrinelliという大手出版社が、駅に進出していたことはちょっと驚きでした。カフェの奥に本が並び、電車を待つ時間を利用して、コーヒーを飲みながら好きな本を読むことも出来、WiFiも完備で本当に便利になりました。
私のお気に入りのジェラート屋さんは、いわゆる観光スポットから離れている場所にある「Il Re del gelato(ジェラートの王様)」です。しかし残念ながら、私の滞在中、ヴァカンスで閉店。がっかりしていると、フィオレッラが「最近、おいしいお店が沢山増えたのよ」と、その一つに連れて行ってくれました。
そこはドォーモ広場に面したジェラート屋さん「Edoardo Gelato Bio エドアールド ジェラート ビオ」です。
材料すべてオーガニックで、昔ながらの手作り。その分、値段も他のジェラート屋より50セントほど高めでしたが、確かにおいしかった!
ジェラートを盛ってくれるお姉さんのスタイルも昔風でかわいい。店頭に並ぶ種類は毎日変わるそうで、ドォーモ見学後にでも是非お立ち寄りください。(コーンも手作りでおいしいです!)
それは十何年も前のことになりますが、初めてイタリアを訪れ、そのまま1年半、日本レストランで働きながらイタリア語を学んだ町だから、そんな風に思うようになったのだと思います。
当時の私は、イタリアのことなどほとんど何も知らず、あの「花の大聖堂」を見ても、「へぇガイドブックと同じ」と感動の欠片もなく、フィレンツェに対しても、イタリアに対しても何の愛着も尊敬もありませんでした。ただただ言葉が好きで、言葉を覚えたいという一心で過ごしました。
日本とは勝手が違って、合理的なものは何一つなく、不器用な私は色々なことに戸惑い、イライラし通しでした。
小さな町であるにも関わらず、方向音痴の私は、毎日のように道に迷い、汗をかきながら、キョロキョロと辺りを見渡しては、歩きに歩き、突如ドォーモが現れると、ようやく自分の居場所に見当がつくありさまでした。
靴は1か月で履きつぶし、ぐったりしてベットに倒れ込む毎晩。そんなわけで、フィレンツェを、イタリアを好きになるまで3か月かかりました。
現在イタリア語を教えいたたいてる生徒さんたちが、1週間~10日間行っただけで、すぐにイタリアという国に理解を示し、ヨーロッパならではの不自由さを認めながらも、「大好きになりました!」と顔を輝かせて旅の感想を話して下さるのを聞くと、すごいなぁー!と感動します。
それくらい私は日本にべったりで、それ以外の国は評価も出来ないような田舎者だったのだと思います。
毎回、イタリアへ行くと、必ずフィレンツェに足を運びます。駅に降り立つと、まずドォーモのそびえ立つ方向を確認し、あのオレンジ色の丸みを帯びた屋根が見えるとほっとします。
フィレンツェには古い友人、フィオレッラが住んでいて、いつも彼女の家にお世話になります。彼女はピエモンテ州出身ですが、20代の頃、大学に通うためにフィレンツェに出てきて、それ以来、ずっとここに住んでいます。だから彼女とは、同じ「外者」として、フィレンツェのあれこれを客観的に語ることが出来ます。
彼女とは、はじめ、英語で意思疎通していたくらい古い友人です。
古い友人ですから私の好みもよく知っています。
イタリアでは、夏は野外で演劇を鑑賞したりするのですが、私はそれがとても好きで、今回は、フィレンツェからバスで15分くらい離れたフィレーゾレという標高300mの丘に広がる町へ連れて行ってくれました。
この小さな町の歴史は、エトルリア時代にまでさかのぼります。町にはローマ劇場や浴場跡が遺跡として残っており、その野外劇場では、「フィエーゾレの夏」というフェスティバルが毎夏開かれ、映画やコンサートなど様々な出し物が見られるのです。
私たちが行った日は最終日で、ペルーのグループによるコンサートでした。60年代からイタリアでもかなりヒットしたグループだそうで、当時からのメンバーの他、若い人メンバーも混ざって構成されています。
客席、と言っても椅子などはなく、ローマ人が作った石の席に、簡単な座布団が敷かれているだけ。その下にはミントの葉が生い茂っているので、観客たちはスッーとした香りに包まれ、日中強い日差しで熱された石が、少しずつクールダウンしているのを肌で感じます。
私が見ていて楽しかったのは、メンバー全員が自分の決まった楽器だけでなく、舞台にあるすべての楽器を弾けることです。今ドラムを叩いていた人が、移動してクラリネットを吹く、クラリネットを弾いていた人がギターを弾く、という具合に、決まった立ち位置はなく、舞台の上を自由にあちらこちらへとチームワークよく移動するのです。心地よい風に吹かれながら、湧き上がる観客の中に混ざって聴きました。
7月はじめには日本のジャズピアニスト上原ひろみさんのコンサートがあったそうで、夜風にあたりながら彼女のエネルギッシュな演奏を聞きたかったなぁと思いました。
http://soulfulcorner.org/2015/07/10/hiromi-live-fiesole-2015/
翌日は、トスカーナの田舎へ行きました。
フィオレッラには、ローマの新聞社で働いていた友人がいます。引退した現在はトスカーナの田舎とローマを行ったり来たりの生活で(奥さんは現役バリバリのジャーナリストで、ローマで忙しく働いています)、田舎の家へは車なしでは到着できない小高い丘のてっぺんにあります。その周辺はオリーブの木が生い茂っている緑豊かなのどかなところです。
私がトスカーナのオリーブオイルが大好きなのを知っている彼は、毎年11月、搾りたてのオリーブ油が出来ると、フィオレッラを通して日本へ送ってくれます。私がいつも元気なのはトスカーナのオリーブオイルのお陰だと信じています。
とても広い敷地には、アグリツーリズムとして宿も提供していて、この日は、イギリス人の家族が来ていました。庭のプールで子供たちが大騒ぎして楽しんでいました。
宿の管理も含め、オリーブ畑、野菜畑の手入れは、離れに住むイタリア人夫婦にすっかり任せています。
私は来る度に、「掃除婦として雇ってくれ」とグラツィアーノに頼みますが、相手にしてくれません。
半分やもめ暮らしのグラツィアーノのために、フィオレッラと私でパンのサラダと、庭で取ってきたセージをたっぷり入れた溶かしバターをからめたラビオリを作って、3人で遅い昼食を取りました。
その後、2人の楽しい話しを聞いていたつもりでしたが、お腹が膨れたせいか、ここ数日の疲れがたまっていたせいか、次第に2人の声は遠ざかり、瞼が落ちてきます。
そんな様子に気づいた彼らは、私を寝室へと促し、そのまま3時間爆睡してしまいました。
充電中
起きてみると、キッチンには誰もおらず、庭で二人はお喋りしていました。私も靴を脱いで寝っころがります。
私のトスカーナのオリーブオイル信仰は、トスカーナの大地信仰によるものです。
トスカーナの大地には、ものすごいエネルギーがあると信じている私は、ここにやって来ると、かならず大地に体を広げ「充電」します。
話し変わって、フィレンツェの町の話しです。
2年ぶりのフィレンツェは、以前あった店舗が消え、新しい店の進出など、私にはずいぶん変化したように見えました。
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅構内にも店舗が増え、荷物置き場などもリニューアルしてました。
中でも、フェルトリネッリ Feltrinelliという大手出版社が、駅に進出していたことはちょっと驚きでした。カフェの奥に本が並び、電車を待つ時間を利用して、コーヒーを飲みながら好きな本を読むことも出来、WiFiも完備で本当に便利になりました。
私のお気に入りのジェラート屋さんは、いわゆる観光スポットから離れている場所にある「Il Re del gelato(ジェラートの王様)」です。しかし残念ながら、私の滞在中、ヴァカンスで閉店。がっかりしていると、フィオレッラが「最近、おいしいお店が沢山増えたのよ」と、その一つに連れて行ってくれました。
そこはドォーモ広場に面したジェラート屋さん「Edoardo Gelato Bio エドアールド ジェラート ビオ」です。
材料すべてオーガニックで、昔ながらの手作り。その分、値段も他のジェラート屋より50セントほど高めでしたが、確かにおいしかった!
ジェラートを盛ってくれるお姉さんのスタイルも昔風でかわいい。店頭に並ぶ種類は毎日変わるそうで、ドォーモ見学後にでも是非お立ち寄りください。(コーンも手作りでおいしいです!)
2015年08月02日
Perugia dopo 2 anni 2年ぶりのペルージャ
2年ぶりにペルージャへ行きました。
前日の突然の大雨で、乗る予定だった電車が不通となってしまい、次の電車では、ペルージャ到着は午後になるところでしたが、3年間暮らしたビアンコーニ一家の孫娘、ノルマが車でテロントラという町まで迎えに来てくれたので、予定とほぼ同じにペルージャに到着することが出来ました。
懐かしい家はそのままで、リーナおばあさんがいつものように盛大にお昼を用意していました。
去年の12月に突然、夫のジューリオさんが心筋梗塞で他界してしまい、気持ちが沈んでいるのがよく分かりました。
私が「この家、ちっとも変ってないね」と話すと、「そうね。でも何かが足りないのよ。 Manca qualcosa.」とおじいさんの事を示唆します。
ケンカばかりしているお二人だったけれども、長年連れ添った相手が突然いなくなるという心の損失はものすごく大きく、ひよっこの私には慰める言葉も見つかりません。
私が住んでいたのは、2005年9月から2008年12月にかけてのことですから、もうだいぶ前のことです。
体がめっきり弱くなったリーナさんの代わりに、今はお手伝いさんが入って料理も掃除も手伝ってくれているそうです。
今日は一人息子クラウディオの誕生日ということもあり、朝から色々なものを作っているところでした。その量の多さは相変わらず。
まず前菜に生ハムメロン。
そしてトマトソースのパスタ。
メインは鶏肉、ホロホロ鳥、羊のロースト。
副菜の脂が浸み込んだポテトは私の好物。
デザートは、リーナさんお得意の林檎のケーキという具合。
以前のように沢山は食べられなくなった私ですが、懐かしいペルージャの家庭の味をモリモリいただきました。
「のりかは野菜が好きだった」とか、私の好みを未だに色々覚えてくれているのが嬉しい。
いつもテーブルのセンターを陣取っていたジューリオさんお手製のワインは姿なく、市販のワインをみんなで飲みました。
この家に住んでいた時、ジューリオさんのワインは飲み放題、というよりも、飲まない私を見つけると、「何で飲まないんだ?ワインは体にいいんだぞ、知ってるか?」と、あのだみ声とワイルドな物言いで、嗜められるのでした。
みんな元気そうで、近況を報告しあいました。
孫娘のノルマはますます美人さんになって、エンジニアとしてとても忙しく働いているそうで頼もしい。海外でも働きたいと言います。ジューリオさんがいなくなった今、お父さんのクラウディオと手分けしてリーナさんの面倒を見ているようでした。
「冷凍庫の中に、おじいちゃんが作った野菜や肉の冷凍があるけれども、食べたら思い出がなくなるようで食べないでいるんだ」と話していました。
来年あたり日本へ行きたいというので、次は日本で逢おうね、と約束し合いました。美人で成績優秀の孫娘をジューリオさんは大の自慢にしていました。
それから近所のブルーナさんのところにも挨拶に行きました。
ブルーナさんは私のお菓子作りの先生です。
2年前「次回のりかが来る時、私はもうこの世にいないわ」などと悲しいことを言うので、感極まった私たちは涙涙の別れをしたけれども、こうしてまた会えたじゃないですかー!
相手がお年寄りだと、再会はけっして当たり前のことでないのだなぁと思います。実際、2年前、これまた涙涙で別れたジューリオさんはもういません。
ブルーナさんは相変わらずの毒舌で、私がもっと数日前に電話してくれたら、自慢のお菓子も焼いて用意していたのに、何で数時間前に連絡をよこすのよ??と文句を言っています。
ブルーナさんに怒られると、同時に愛情を感じて私はふふふと笑い出すので、ブルーナさんは益々声高に怒りだします。
元気そうで良かった。
それからノルマの車で、去年亡くなったジューリオさんのお墓参りに行きました。それはジューリオさんの葡萄畑があった方角にありました。イタリアのお墓には、通常写真が埋め込まれているのですが、墓石のジューリオさんの写真を見て、本当に亡くなってしまったこと、ここに眠っていることを痛感したのでした。
駅でノルマとお別れして、10分後、大学の友人オリアーナが車でやってきました。今日は何度も電話をかけてきては、私の状況を把握し、用事がすべて済んだ今、こうやって迎えに来てくれたのでした。
オリアーナは語学が堪能で、英語の他、ドイツ語やオランダ語もイタリア人に教えていますが、卒業後、ニューヨークなど海外でもイタリア語を教えに行っています。秋からは南アフリカからのオファーがあるそうです。
彼女はぺルージャから40分ほど車で行ったところにあるタベルネッレという町に住んでいますが、最近は地域の人たちとの交流が楽しく、今日も地域対抗スポーツ祭りに参加して、綱引きで大活躍したことを、プジョーの愛車を運転しながら面白おかしく語ってくれました。彼女のこういう小さな女の子みたいな無邪気さが私は大好きです。
懐かしい大聖堂に面したテーブルに座ってビールを飲んでいると、突然大雨が降ってきました。私は大学時代、このオリアーナとミケーレという2人の友人にずいぶん助けられました。彼女たちがいなかったら卒業出来ていたどうか。勉強だけでなく精神面でも大きく支えてくれました。彼女たちと出会えたことは私にとって宝物です。
もう一人の友人ミケーラは、ここ10日間ほどギリシャへヴァカンスに行って、さっきペルージャに戻ってきて、今シャワーを浴びてるところだとオリアーナが言います。昨日ペルージャに来ようかと思ったりもしましたが、今日でよかった。
そうこうしていると、見覚えのある水色の車が目の前に停まりました。こうしてミケーラとも再会出来て良かった!
今回の私の旅行について色々訊ねてきた後、今度は私が、「元気だった?」と質問すると、「実はね、わたし恋しているんだ~」とふんわりとした目つきになって語りだしました。
オリアーナはすでに話を聞いていたらしく、すこし呆れ顔。二人はタイプが全く違うけれども仲良し。こうしてガールズトークが展開し始めました。
ギリシャのツアーで出会った彼はニュージーランド人。私と同様英語が苦手な彼女は四苦八苦しながらも知っている単語を絞り出して、短期間のうちに交流を深めたのでした。
写真を見せてもらうと、かなりのマッチョ。そうだ、ミケーラはこういう人が好みだったっけ。オリアーナは繊細なインテリタイプ。「取り合いにならないからちょうどいい」とよく冗談を言ってました。
楽しいツアーは終わりをつげ、弟と参加していた彼は、オランダに2日間寄った後、国に戻るということ。ミケーラは、彼を追いかけてオランダへ行ってしまおうかと迷っていました。
スマホを3人で覗きながら、お手頃の便を発見。「明日の2時ローマ発。ふむ」「どう思う?」とミケーラ。
オリアーナは何も言わず、いくらか年上の私は、おねえさんぶって、彼がどういう仕事に就いている人なのか、どういうところに惹かれるのかなどいくつか質問した後、「行ってみたらいいじゃん」。まぁ、誰も止められないでしょうけどー。
ずいぶん大人になった私たちだけれども、仕事の話しの他、こうやって女子高校生のように心をさらけ出してコイバナも出来ることは、本当に嬉しいなぁと思うのでした。
前日の突然の大雨で、乗る予定だった電車が不通となってしまい、次の電車では、ペルージャ到着は午後になるところでしたが、3年間暮らしたビアンコーニ一家の孫娘、ノルマが車でテロントラという町まで迎えに来てくれたので、予定とほぼ同じにペルージャに到着することが出来ました。
懐かしい家はそのままで、リーナおばあさんがいつものように盛大にお昼を用意していました。
去年の12月に突然、夫のジューリオさんが心筋梗塞で他界してしまい、気持ちが沈んでいるのがよく分かりました。
私が「この家、ちっとも変ってないね」と話すと、「そうね。でも何かが足りないのよ。 Manca qualcosa.」とおじいさんの事を示唆します。
ケンカばかりしているお二人だったけれども、長年連れ添った相手が突然いなくなるという心の損失はものすごく大きく、ひよっこの私には慰める言葉も見つかりません。
私が住んでいたのは、2005年9月から2008年12月にかけてのことですから、もうだいぶ前のことです。
体がめっきり弱くなったリーナさんの代わりに、今はお手伝いさんが入って料理も掃除も手伝ってくれているそうです。
今日は一人息子クラウディオの誕生日ということもあり、朝から色々なものを作っているところでした。その量の多さは相変わらず。
まず前菜に生ハムメロン。
そしてトマトソースのパスタ。
メインは鶏肉、ホロホロ鳥、羊のロースト。
副菜の脂が浸み込んだポテトは私の好物。
デザートは、リーナさんお得意の林檎のケーキという具合。
以前のように沢山は食べられなくなった私ですが、懐かしいペルージャの家庭の味をモリモリいただきました。
「のりかは野菜が好きだった」とか、私の好みを未だに色々覚えてくれているのが嬉しい。
いつもテーブルのセンターを陣取っていたジューリオさんお手製のワインは姿なく、市販のワインをみんなで飲みました。
この家に住んでいた時、ジューリオさんのワインは飲み放題、というよりも、飲まない私を見つけると、「何で飲まないんだ?ワインは体にいいんだぞ、知ってるか?」と、あのだみ声とワイルドな物言いで、嗜められるのでした。
みんな元気そうで、近況を報告しあいました。
孫娘のノルマはますます美人さんになって、エンジニアとしてとても忙しく働いているそうで頼もしい。海外でも働きたいと言います。ジューリオさんがいなくなった今、お父さんのクラウディオと手分けしてリーナさんの面倒を見ているようでした。
「冷凍庫の中に、おじいちゃんが作った野菜や肉の冷凍があるけれども、食べたら思い出がなくなるようで食べないでいるんだ」と話していました。
来年あたり日本へ行きたいというので、次は日本で逢おうね、と約束し合いました。美人で成績優秀の孫娘をジューリオさんは大の自慢にしていました。
それから近所のブルーナさんのところにも挨拶に行きました。
ブルーナさんは私のお菓子作りの先生です。
2年前「次回のりかが来る時、私はもうこの世にいないわ」などと悲しいことを言うので、感極まった私たちは涙涙の別れをしたけれども、こうしてまた会えたじゃないですかー!
相手がお年寄りだと、再会はけっして当たり前のことでないのだなぁと思います。実際、2年前、これまた涙涙で別れたジューリオさんはもういません。
ブルーナさんは相変わらずの毒舌で、私がもっと数日前に電話してくれたら、自慢のお菓子も焼いて用意していたのに、何で数時間前に連絡をよこすのよ??と文句を言っています。
ブルーナさんに怒られると、同時に愛情を感じて私はふふふと笑い出すので、ブルーナさんは益々声高に怒りだします。
元気そうで良かった。
それからノルマの車で、去年亡くなったジューリオさんのお墓参りに行きました。それはジューリオさんの葡萄畑があった方角にありました。イタリアのお墓には、通常写真が埋め込まれているのですが、墓石のジューリオさんの写真を見て、本当に亡くなってしまったこと、ここに眠っていることを痛感したのでした。
駅でノルマとお別れして、10分後、大学の友人オリアーナが車でやってきました。今日は何度も電話をかけてきては、私の状況を把握し、用事がすべて済んだ今、こうやって迎えに来てくれたのでした。
オリアーナは語学が堪能で、英語の他、ドイツ語やオランダ語もイタリア人に教えていますが、卒業後、ニューヨークなど海外でもイタリア語を教えに行っています。秋からは南アフリカからのオファーがあるそうです。
彼女はぺルージャから40分ほど車で行ったところにあるタベルネッレという町に住んでいますが、最近は地域の人たちとの交流が楽しく、今日も地域対抗スポーツ祭りに参加して、綱引きで大活躍したことを、プジョーの愛車を運転しながら面白おかしく語ってくれました。彼女のこういう小さな女の子みたいな無邪気さが私は大好きです。
懐かしい大聖堂に面したテーブルに座ってビールを飲んでいると、突然大雨が降ってきました。私は大学時代、このオリアーナとミケーレという2人の友人にずいぶん助けられました。彼女たちがいなかったら卒業出来ていたどうか。勉強だけでなく精神面でも大きく支えてくれました。彼女たちと出会えたことは私にとって宝物です。
もう一人の友人ミケーラは、ここ10日間ほどギリシャへヴァカンスに行って、さっきペルージャに戻ってきて、今シャワーを浴びてるところだとオリアーナが言います。昨日ペルージャに来ようかと思ったりもしましたが、今日でよかった。
そうこうしていると、見覚えのある水色の車が目の前に停まりました。こうしてミケーラとも再会出来て良かった!
今回の私の旅行について色々訊ねてきた後、今度は私が、「元気だった?」と質問すると、「実はね、わたし恋しているんだ~」とふんわりとした目つきになって語りだしました。
オリアーナはすでに話を聞いていたらしく、すこし呆れ顔。二人はタイプが全く違うけれども仲良し。こうしてガールズトークが展開し始めました。
ギリシャのツアーで出会った彼はニュージーランド人。私と同様英語が苦手な彼女は四苦八苦しながらも知っている単語を絞り出して、短期間のうちに交流を深めたのでした。
写真を見せてもらうと、かなりのマッチョ。そうだ、ミケーラはこういう人が好みだったっけ。オリアーナは繊細なインテリタイプ。「取り合いにならないからちょうどいい」とよく冗談を言ってました。
楽しいツアーは終わりをつげ、弟と参加していた彼は、オランダに2日間寄った後、国に戻るということ。ミケーラは、彼を追いかけてオランダへ行ってしまおうかと迷っていました。
スマホを3人で覗きながら、お手頃の便を発見。「明日の2時ローマ発。ふむ」「どう思う?」とミケーラ。
オリアーナは何も言わず、いくらか年上の私は、おねえさんぶって、彼がどういう仕事に就いている人なのか、どういうところに惹かれるのかなどいくつか質問した後、「行ってみたらいいじゃん」。まぁ、誰も止められないでしょうけどー。
ずいぶん大人になった私たちだけれども、仕事の話しの他、こうやって女子高校生のように心をさらけ出してコイバナも出来ることは、本当に嬉しいなぁと思うのでした。