2019年09月

2019年09月18日

日本人の宗教観と山伏修行

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山形羽黒山宿坊「大聖坊」の山伏修行に初めて参加しました。

先達(修行のリーダー)は、宿坊「大聖坊」13代当主の星野文紘さんです。

星野さんは、山伏であり、出羽三山神社責任役員理事や出羽三山祝部総代などもされていて、日本各地の他、世界でも山伏修行を展開させている方です。

私が修験道の話を初めて聞いたのは、2011年のこと。ガイド通訳の山形研修で、星野さんが、日本伝統の宗教観として、山岳信仰、修験道、山伏についてお話ししてくださいました。

山形県庄内地方にある出羽三山は、西の伊勢参りに対して、東の奥参り、と並び称される東日本を代表とする聖地で、神仏習合、山岳信仰といった古くからの日本人の精神が色濃く残っているのだ、というお話しに、私はすっかり惹かれました。

私は「日本人の宗教観」ということをよく考えます。

去年2018年9月には、出羽三山神社の神子修行(山伏修行の女性版)に参加しました。

その後、このブログに、「どうしてか分かりませんが、私は日本人宗教観や信仰心というものに興味があり、イタリアの大学の卒論テーマも、これでした。」と、このブログに書いてますが、最近、あのことがきっかけだったのではないかなぁと思い出したことがあります。

日本に住んで長い、あるイタリア人と一緒に、イタリア語から日本語へ、日本文化や風習を翻訳する仕事を一緒にしたことがあります。

日本人と結婚し、子供も日本で産んで育てた、日本生活20年を超える女性だったのですが、翻訳する中で、その方から、日本の宗教観を非難されました。

日本にいて、日本人ばかりに囲まれて生活していると、なかなか日本の文化や思想を非難される経験をすることは稀です。私にとっても、生まれて初めてで、そのせいか、ものすごいショックを受けたことを覚えています。

非難というのは、例えば、「どんと祭」の説明で、「正月飾りをお焚き上げする」いう箇所に、「神様を焼くなんて野蛮だ」と、言ったりするようなものです。

お盆の項目に関しても、「死んだ人が帰って来るなんておかしい、キリスト教は天国へ行ったら、そこは素晴らしいところだから帰って来るなんてありえない」ということでした。

樹齢1000年以上の「爺スギ」
国指定天然記念物

IMG_7184イタリアで、日本のお盆や正月の話をすることはよくあり、神棚にお供えする料理のことや、仏壇や神棚が一般家庭にあることなど、好奇心旺盛なイタリア人は、よくこういった質問をしてきましたが、誰一人として、彼女のようなことを言う人に出会ったことはなかったので、私は単純にびっくりしました。

彼女は、カトリック総本山のあるイタリアにしては珍しい、敬虔なプロテスタント信者でした。突然身ごもったことから、興味もなかった日本へ来て生活することとなり、心細い身の上で、この宗教がどれほど彼女の大きな心の支えになったのか、彼女自身もよく話してくれましたし、想像もできます。

私が分からないのは、敬虔な人であればあるほど、自分が大切に思っている思想や宗教がどれだけ大切か理解できる、であれば、相手にとっても、同様であることが何故わからないのだろうか、ということでした。

日本人は、「仏教も神道もその都度、信仰しているものが変わるし、よくわからないね」という程度の理解でした。

昨日今日、日本に来たイタリア人ならいざ知らず、20年も住んでいる人の言葉だということも、私を驚かさせる原因だったと思います。

負けん気が強い私も、自分の国の習慣や思想が非難されるという経験がそれまでなかったので、すっかり打ちひしがれて、何の反論もできませんでした。

そこで私は初めて気づきました。自分の国のことを非難されるということは、ものすごく傷つくものだ、ということ。そして、また別なことにも気づきました。こんなことで感じやすくなっている自分は、意識したことはなかったけれども、やっぱり日本人なんだ、と。

ずっと、そういう理解で日本に住み続けていた彼女のことも、可哀想だなぁと思いました。

その後、悶々とする気持ちは薄れず、自問自答する日々が流れ、ある日テレビをひねると、塩野七海さんとビートたけしさんによる対談が放映されてました。

その中で、塩野さんが、日本人の宗教観について発言しました。

「古代ローマが、あそこまで領土を広げることができた成功の理由はなにか?
勢力を拡大し、戦争で勝ち進んだローマ帝国が、どんどん吸収していった属国に対して、彼らが今まで使かっていた言語や宗教を認めた「寛容さ」だ。
「属国者」ではなく、ローマという国を一緒に作っていく「仲間」として迎え入れたからだ。
人間にとって、言葉や宗教など、愛着のあるもの、信じているものを取り上げられることほどの屈辱はなく、その経験は、いつしかその雪辱を果たそうという気持ちにはたらく。しかし、その逆である場合は、仲間として力を大いに発揮する。
ローマ人たちが、他の民族が信じる宗教に対して寛容だったその下地は、多神教の土壌にあると。
日本は、「宗教をもっていない精神的に貧しい人々」と、一神教を信じる外国人に揶揄されることが多々あるが、このことを考えると、国際世界の中で、日本人だからこそ出来る役割があるのだ。」

....もうかれこれ15年以上前のことなので、ちょっと記憶違いもあるかもしれませんが、だいたい以上なようなことを塩野さんは語りました。私の打ひしがれていた気持ちが立ち直り、大げさですが、塩野さんの言葉が心にしみ、日本人としての誇りを取り戻せたような気持ちになりました。

わたしの「日本人の宗教観」の興味は、この経験に由来しているように思います。

日本人のほとんどは、「宗教を信仰していない」と答えるのだ、という統計がありますが、でも、多くの人たちは、心の中で何かしらを信じていて、それを怖れ、敬う気持ちがあるのではないでしょうか。一つの決まった宗教はないけれども、宗教心はあるのではないかと考えます。

自然崇拝を根拠とし、人の魂は山から生まれ、死んだら山に帰るという山岳信仰、先祖崇拝など、土着の宗教に、神道、密教、仏教などなどが時代の推移とともに交じり合っていったのが、日本人の宗教観なのかなぁと思います。

修行を終えて 星野さんと
IMG_7208話しを元に戻しますが、2015年星野さんの講演の中で、日本人に昔からある「山岳信仰」について語られた時、私はとても興味が沸きました。そして、山伏修行とやらを経験したいずっと思っていました。

このことをもっと知ったら、神社仏閣にイタリア人を案内するときに、神仏習合や廃仏毀釈という日本宗教の流れを、よりよく説明できるのではなかとも考えました。

そして、この日本伝統の宗教観に私がとても惹かれるように、イタリア人も興味を持つのではないか、いつかイタリア観光客を出羽三山へ案内したい、できたら山伏修行も一緒に経験できたらいいなぁ...と思い始めました。

星野さんの「大聖坊」の修行体験はとても人気があり、何度申し込んでも、定員一杯だということで、今まで参加できませんでしたが、あの講演会から4年の月日がたち、今年は何とか申し込みが叶いました。

イタリア人が山伏修行、という私の考えも、それほど突飛でもないことがわかりました。
というのも、私たち30名の参加者の中に、フランス人の男性1名がいたからです。彼は、初来日で、ニ泊三日の修行を終えたら、そのまままたフランスへ帰る、ということでした。

英語が得意な山伏さんがいるのですが、その方がまとめた英語版HPを見て、参加申し込みしたのだそうです。彼の日本語能力は、挨拶程度だったと記憶していますが、そんなことはちっとも修行に影響しません。というのも、山伏修行体験中、発していい言葉は、「うけたもう」のみ、だからです。

どういうことをするのか、どういう意味があってそんなことするのか、など質問はせず、とにかく、先達が告げることを、「うけたもう」で受けて行動する。大聖坊の修行が初めての私にとっても、さっぱり勝手が分からず、そのフランス人と同じ立場でした。
もちろん正座をする、箸を使う、など日本人のほうが慣れていることもあるでしょうが、基本、誰もが同じで、日本人だから理解できる、外国人だから理解できない、というものではないということが、彼の存在でよくわかりました。
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3日間の食事は、ご飯とみそ汁とお漬物のみ。、食事は餓鬼修行。醜くても構わず、とにかく餓鬼のように、むしゃむしゃ、ものすごいスピードで掻っ込む、というものでした。

修行が終わって、わたしたちを待っていたのは、写真の精進料理です。すべて星野さんの奥様の手料理で、「大聖坊のお料理はとてもおいしい」、といろんなところで耳にしてましたが、一品一品、どれだけ時間をかけて作られたのかなぁと、いう感謝の思いと、愛情を感じ、本当に本当においしかったです。ああまた食べたい。

食べながら、どんどん元気になる気がしました。体にいい物ばっかりであることは分かりますが、山伏さんたちが発達させたという精進料理の奥深さをこうして味わってみると、身を持って感じるのでした。
修行を終え、お膳を囲む楽しい時間
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私達が喜ぶと、神様は喜ぶのだそうで、山伏さんたちはお酒も盛大に飲みます。
おいしい地元のお酒が一升注がれた大杯を一番目にいただきました。
星野さんは修行が終わると、とてもやさしい笑顔のおじさんになります。

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無言の修行3日間を終えた後ですので、参加者はやたら能弁になり、フランス人の参加者も、満足感で笑顔がピカピカしていました。

お膳を囲みながら、それぞれの自己紹介を聞いて、笑ったり感心したり、初めて会った人々たちなのに、みんながつながっているような温かい雰囲気に満たされ、とても楽しいひと時で、山伏修行は3日間という短いものですが、わたしにとってとても意義のある体験でした。



norichetta at 16:25|PermalinkComments(0) 自分のこと | 通訳ガイド

2019年09月10日

ヴェネツィア2019

IMG_5829ジェノヴァからヴェネツィアに移動すると、同じように、海に面した都市といっても、ずっとずっと蒸し暑いことがわかりました。

ナポリにしても、ジェノヴァにしても、ヴェネツィアにしても、それぞれ個性が際立って、どれをとっても同じような町はありません。田舎の小さな村だってそうです。イタリアの地域性はすごいなぁと思います。

こうやって続けて各地を見ると、そのことが特に感じられます。

IMG_6179ヴェネツィアは何度か訪れている町ですが、ちゃんと観光をしたことがありません。それで今回はベーシックな観光をしてみようと思いました。

鐘楼の前には、いつも観光客が長い列を作っているので、今まで入ったことはありませんでしたが、今朝はまったく列がなかったので、エレベーターに乗って上がってみました。



IMG_6192IMG_6186とても良い天気だったので、ラグーンの展望は、ずっと見てても飽きない美しさでした。運河の向こうに、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会があり、その向こうにはリド島やムラーノ島などまで見えました。


IMG_6199IMG_6184360度眺めることが出来るので、サン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿を真上から見下ろすことになり、これまた圧巻。

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ずっと来たかったのは、13~14世紀にかけて建てられたマドンナ・デル・オルト教会です。
入って右側奥の壁にあるティントレットの「聖母マリアの奉献」を見てみたかったからです。

奥の後光がさした小さい女の子が、子どもの頃のマリア様。そくッと立って、一人で事に当たろうとする勇気と純粋さと真剣さに打たれる、とても好きな作品です。

手前の女性と女の子は、ティントレットのお妾さんと間に生まれた女の子だと、以前本で読んだことがあります。

教会には、ティントレットの「最後の審判」など他の作品数点あり、また、ペストで亡くなったという彼のお墓もここにあります。

中心街より少し離れたところにあるので、ヴェネツィアの日常を感じさせてくれる界隈です。サンマルコ広場の観光客でごった返している雰囲気は、ここには全くありません。すこし中心街を離れて、のんびり散策するのも楽しいかもしれません。ティントレットはこの辺りに住んでいたそうです。

IMG_5889IMG_5877もちろん、ヴェネツィアで美術鑑賞するのであれば、こちら、アカデミア美術館は必見です。

フィレンツェのウッフィッツィ美術館ほどの広さも作品の量もないので、それほど構えなくてもいい、こじんまりとした素朴なたたずまいの美術館でした。

ここには、ヴェネツィア派中心の作品が収められています。ジョルジョーネ、ティントレット、ティッツィアーノなど目白押しです。


IMG_5890IMG_5891この美術館のそばにアカデミア橋(ヴェネツィア唯一の木工橋)があり、そこを渡って少し行くと、サン・ステファノ広場に行き当たります。

その広場には、いくつもテーブルが並び、昼夜問わず、お客さんが楽しそうに、のんびりヴェネツィア時間を楽しんでいる様子が見られます。一つの店が、「Le Cafe'(ルカフェ)」です。

店のオーナーは、盆栽大好きのジャンニとバールバラ夫妻で、二人とは、2013年、ミラノで開催された盆栽展で知り合いました。私は通訳として、ジャンニは盆栽を学びに展示会にいました。

それが縁となって、その後何度も日本に来ていますが、私はその度ガイド通訳させてもらっていて、このブログでも何度も二人を紹介させてもらっています。

IMG_6167私は、当時、通訳ガイド資格を取得したばかりだったので、ジャンニのお蔭で、ガイドとしてデビューを果たし、日本各地にある盆栽園や有名な盆栽作家さんのところに案内するために、私も少しずつ盆栽のことを勉強させてもらっています。

残念ながら、日本の盆栽人口は下降の一途をたどるばかりですが、ヨーロッパなど海外では、うなぎのぼりという、全く反対の状態です。それが顕著にわかるのは、行く先々の盆栽作家さんで学んでいるお弟子さんの7~8割は外国人であること。

日本で開かれる盆栽に集まるのは、愛好家のおじいさんたちばかりですが、イタリアの盆栽展には、若いカップルだったり、自然を愛する青年や中年の男子たちが集まります。

イタリアでは、また、子供が盆栽に親しむ、「キッズ盆栽」や、視覚障碍者が直接手で触れて盆栽を楽しむコーナーがあったりと、多種多様の人々が、自分のやり方で、盆栽に近づくイベントも盛り込まれていて、日本人目からはとても新鮮です。

IMG_5840IMG_5838さて、今回は、ジャンニの自慢のお庭を拝見しに、自宅へお邪魔しました。
彼のコレクションの盆栽が、ところ狭しと並んでいます。そのどれもが生き生きと育っていたので、お手入れも一生懸命しているのが分かります。

最近出来上がった庭には、日本の鯉が十数匹泳いでいる立派な池がありました。

IMG_5864IMG_5845門の両脇には、今年1月に案内した沖縄で購入したシーサーがちゃんと設置されていました。

2か月後の11月にも日本に来る予定です。
今回は日本が初めてというお友達夫妻も連れて来るということで、どこに連れて行こうかと計画を練っています。

ジャンニを介して知った、パウロとラーラ夫妻は、2年に一度、MIYABIという名前の盆栽展示会をベネト州で主催しています。今まで2回、みやび展で通訳を経験させてもらいました。開催2日間、盆栽のデモストレーションの他、茶道や、床の間など日本家屋についての講演など、、色んな分野の通訳もさせてもらい、ものすごく忙しいですが、とても勉強になります。

パウロはサン・ベネデットという有名なミネラルウォーターの会社に勤めていますが、盆栽の技術を日本で学んだ経験を生かして、週末は盆栽の先生もしています。その仲間たちと一緒に2年に1度開かれる盆栽展が、みやび展です。夢は大きく、イタリアの「国風展」を目指しているのだそうです。

IMG_5869IMG_5870私が来たということで、みんな集まってくれ、ピザ屋に行きました。ながーいピザで人気のお店だそう。これで四人分というから驚きです。

パウロとラーラも11月に日本へ来ることになりました。
将来的には、お弟子さん数名を連れての盆栽研修旅行も考えているそうです。

今回、ヴェネツィア滞在中に、ちょうどお祭りがありました。
9月第一日曜日に行われるゴンドラ船祭り「レーガ・ストリカ」です。
大運河に繰り広げられて、中世を模した船のパレードと衣装を着飾った人たちで、タイムスリップしたような気がします。
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IMG_6229IMG_6231まだまだ日差しはきつく、その場でずっと立って見るのはキツイから、ということで、わざわざ店から、椅子を運んでくれ、日傘をさして、バールバラと一緒に見ました。


IMG_7124ここは、リアルト橋のそばにある「ドイツ商館」が改修され、ショッピングセンターになったところ。

ドイツとっても、北ヨーロッパからやってきた商人たちに利用される施設でした。リアルト橋の周辺は、商業の中心地でした。

最初の建物は13世紀、その後火災にあい、16世紀に新たに建てられました。その後、長年郵便局として使われていました。内部の骨格は郵便局時代のままを利用しています。

現在は、高級ブランドが入っているショッピングモールですが、お土産にもいいイタリアの厳選された食材も置いています。また、眺めに最適なテラスもありますので、是非、ちょっと覗いてみると楽しいと思います。
外側からは分かりにくいのですが、扉を開ければ、歴史的な建築物が持つどっしりとした雰囲気と、オシャレな空間が広がっています。

内装を手掛けたジェーミ・フォバート氏のインタビューです。(日本語)
https://www.dfs.com/jp/bali/dfs-news/features/experience-jamie-foberts-t-fondaco-dei-tedeschi-design


IMG_7112私がフィレンツェで語学留学をしたのは1998~1999年のこと。その時からの友達、泉さんがわざわざフィレンツェから来てくれて、半日ヴェネツィアを一緒に散策しました。

泉さんは、イタリア大手ブランドの鞄づくりをしている職人さんです。

泉さんはとてもまっすぐで、尊敬している人です。私が何か言うと、ふふふふと沢山笑ってくれるので、私も楽しくなります。とてもやさしくて、芯が強い女性です。海外に長く住む日本人の中には、日本人的魅力がなくなってしまっている人もいますが、泉さんは大和なでしこ魂を保ちつつ、イタリアの荒波にもまれても、しなやかに、イタリアでがんばっています。

IMG_5891フィレンツェ語学留学時代、私は日本レストランでアルバイトをして生計を立ててました。レストランと言ってもケータリングで、パーティや夕食会などで利用してもらう店でした。日本食が今のように周知されてない当時としては、画期的なスタイルだったと思います。

私は昼まで学校で学び、そこから自転車で店まで駆け付け、あずかった鍵で店を開けるのが日課でした。

開店は夜からなので、それまで料理を準備するのが私の仕事でした。
調理台の上に、前夜オーナが書置きしたメニュー通りに準備をします。

刺身のネタにするような魚が当時はあまりなく、鮭を酢で〆たお寿司が人気だったので、やたらめったら鮭をさばくことが多かったです。また豚肉の角煮も人気で、20~30㎏単位の大量の豚バラを処理するなど、色んなことを任せてもらいました。

そうこうするうちに、夕方になり,泉さんをはじめ夜の部隊がやってきます。泉さんは盛り付けがとても上手でした。
今回初めて会った二人
ジャンニと泉さんのツーショット

IMG_7125イタリアには、特に当時、いろんな形の和食器がありませんから、オーナーのアイディアで、大きな竹籠に笹を敷いて、それを器に、色んな料理を、ちょこちょこっと盛り付け、そのままお客さんの家へ運ぶという”野趣あふれる”形態をとっていました。

その他、日本映画のイベントで、巻きずしを沢山用意したり、結婚披露宴の魚料理として、スズキを何百匹もさばいたり、色んなことをさせてもらったなぁと懐かしく思い出します。
このケータリング店も、私がイタリア留学を終えて、数年経ってから閉店しました。

IMG_7134そんな昔話をしながら泉さんと歩いていると、びっくりすることがありました。以前、尚絅のイタリア語講座に通って下さっていた健壽さんに偶然会ったことです!

健壽さんは塩野七海さんの本の大ファンで、イタリアに住みながら古代遺跡を見て歩こう、という夢を実現させて、1年の計画でイタリア(カンパーニャ地方)に滞在しているのですが、この日、たまたまヴェネツィアへ観光に来ていたのでした。

泉さん、健壽さんの3人で、ジャンニのお店へ行き、お茶をしたことは言うまででもありません。ジャンニとバールバラも、この偶然にびっくりしていました。

今回の旅行はおまけつきです。

これは序の口。
この後もっと人が増える。

IMG_7170イタリアを発つ前、日本にものすごい台風が近づいているようだ、というニュースを聞いていました。
機内でも、出発する時に、もしかしたら台風に遭遇して、成田に着陸できないかもしれない、という旨の放送がありました。

しかし実際は、台風はすでに過ぎ去った後らしく、何の問題もなく、晴れ渡る空の元、私の飛行機は成田に到着しました。

しかし、大変だったのはそれからでした。
というのも、すでに去った台風は、今までに類を見ない大規模の台風で、その影響で、電車も高速道路もすべてストップし、、成田空港がものすごい人でごった返していたからです。
タクシーで脱出するにも、乗り場にはものすごい行列。

      私の夕飯              私の寝床
IMG_7173IMG_7175これはあきらめた方が無難だと思ったものの、電車がもしかしたら、夜1本くらは走るかもしれない、という噂を聞くと、私も、多くの人たちと一緒に、身動きが取れないような状態で、駅の前に並びました。

しかし、噂は噂だったようで、22時を過ぎたのを見て、諦めて空港で寝ようと、腹をくくりました。

館内放送が知らせる通り、寝袋をもらいに行き、ビスケットと水もいただき、本当にありがたかったです。レストランやコンビニは通常通りに閉店し、何も食べるものがなかったからです。かろうじて自販機でコーンスープを購入し、機内食のビスケットもリュックから取り出して、これが私の夕食となりました。

しかし、熱くも寒くもない空調のきいた場所、きれいなトイレはあちらこちらにあり、全く快適でした!そして、成田空港の臨時の対応にすごいことだなぁと感心しました。旅行客の人々もこのハプニングを楽しんでいるような雰囲気がありました。

今回は、ナポリやジェノバなど、初めて訪れる場所があり、初めて見るもの満載の旅行でしたが、寝袋の寝心地がこんなに良いものだと知ったことは、この旅行の大きな収穫でした。







norichetta at 13:11|PermalinkComments(0)

2019年09月08日

アッティリオさんと再会&はじめてのジェノヴァ

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絵本作家のアッティリオさんのところへ再び伺いました。
1年半ぶりの再会!お変りなくお元気そうで嬉しかったです。

アッティオ・カシネッリさんの絵本を昨年翻訳させていただいたことが縁で、1年半前、一度ご自宅にお邪魔し、また今回お会いすることが出来ました。

御年
94歳。もちろん現役です!

私が昨年翻訳させていただいたのは「あかずきんちゃん」「3びきの
こぶた」「ブレーメンのおんがくたい」「みにくいアヒルのこ」の4冊(岩崎書店出版)ですが、この「あかちゃん絵本シリーズ」は、上の写真のように続いています。イタリアだけでなく、フランスや中国など諸外国でも次々翻訳され大好評を得ています。

左上から右に「いなかのネズミと、とかいのネズミ」「あかいめんどり」「きんのまきげ」、下左から右へ「カエルの王子」「ライオンとネズミ」「まほうのふえ」です。

アッティリオさんの絵はどれもセンスが光っています。
赤ちゃん絵本シリーズの名前の通り、小さい子供がめくりやすい本の材質でできています。シンプルな絵ときれいな色が、短い物語りに凝縮されたことばと結びついて、絵本デビューする赤ちゃんのための絵本です。

この5冊も目を通したら、とても素敵でワクワクしました。特に私が気に入ったのは「あかいめんどり」。日本に紹介されないのが残念でなりません。

またこちらをみてください。

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本の大きさや形、紙の材質は上のシリーズと同じですが、カバーに色がついています。
こちらはストーリーがアッティリオさんオリジナルという新シリーズで、どれも自然の大切さがテーマ。自然を愛するアッティリオさんらしい素敵な物語です。

94歳にして、このように芸術活動に少しも衰え見えず、次々と作品を作り続けています。本当にすごいことです。

私がお邪魔した時も、「今朝思いついた話なんだけど」、と言って、大食いワニの物語りを話してくれました。

食べれば食べる分だけ空腹が増す、というワニのショートストーリ-で、ちょっと哲学めいた不思議な落ちがついて、おかしみのある物語でした。


創作意欲が泉のように沸いてくるのでしょう。お元気であるからインスピレーションが沸くのか、空想に遊ぶことが習慣になっているからお元気なのか、人生の大先輩として学ぶことが沢山あります。


そして今回、アッティオさんのもう一つの秘訣を発見しました。

それは「食の良さ」。

イタリアの家庭料理は「地中海食事療法」というものが存在するくらい、日本食同様、栄養バランスの良さが認められています。だから元気で長生きのお年寄りも多いです。


IMG_6133今回滞在中、何度か食事を共にしました。パスタや肉料理、そしてサラダを少しずつですが、しっかり召し上がっていて、ワインもたしなんでいました。

私は好き嫌いをせず、おいしそうに食べる人が好きです。アッティオさんは、まさに食卓を共にしたい理想の人です。

私もいっしょになって、遠慮もせずモリモリ食べました。アッティリオさんのご家族は、「小さいくせによく食べる日本人」と思われたことでしょう。


仙台の銘菓は色々ありますが、私は何かというと「支倉焼」を土産や贈り物に使います。

支倉焼は、1600年代という大昔に、ローマまで行き、ローマ法王に謁見したという支倉常長の偉業を称えるお菓子です。私が支倉焼を贔屓するのは、イタリアに関係していることも理由の一つですが、材料のシンプルさ。添加物は一切使いません。

また、創業以来
60年余り、販売商品は支倉焼のみ、という、販売製造元「ふじや千舟」の徹底した潔さが好きです。通常、プレーン味が軌道に乗ると(もしくは軌道に乗らないと)、イチゴ味とかチョコ味など、別バージョンを作りがちです。しかし支倉焼に関しては、そういうことはいっさいなしです。

けっして回し者ではないのですが、私はよくイタリアへのお土産にも使いますし、日本へやって来るイタリア人にも紹介して大好評です。

そんなわけで、今回、アッティオさんに支倉焼を持っていきました。

沢山昼食を頂いた後、アッティリオさんの娘さんが「ノリカの町の名物ドルチェよ。パパ食べる?」と菓子箱を開けました。

その時、アッティリオさんも私も沢山食べた後だったので、私は、「しばらくして、おやつの時間にでも食べたらいいのに」と思いました。「満腹にうまいものなし」。お腹が一杯だとせっかくのおいしい物もおいしく感じませんから。

菓子の包み紙にそそられたのか、「うん、食べる」と言って、なんとペロリと平らげてしまいました。「ボーノ、ボーノ」と言いながら。

私はとても嬉しく、一方でアッティオさんの健康の秘訣を垣間見る思いがしました。健啖家→胃腸が丈夫な人→長生き。

来年はローマで、アッティリオさんの大きな展示会が予定されているそうです!
ああ、楽しみ。

アッティオさんは、ジェノヴァ人で長年ジェノヴァに住んでいました。

前回、初めてお会いした時に、「ジェノヴァに行ったことがない?だったら是非行くべきだよ」と私にジェノヴァの歴史、重要な町である理由、見どころなど説明してくれました。そういうわけで、1日だけでしたが、ジェノヴァに行ってみました。
  
  コロンブスの生家

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ジェノヴァと言えば、「母をたずねて三千里」とコロンブスです。食いしん坊の私はすぐに食べ物と結び付けて考えますが、料理では、ジェノヴァペーストやフォカッチャなど美味しいものも沢山思い浮かびます。しかし、街自体は行ってみるまで良く知りませんでした。

何世紀にもわたって海洋貿易の中心地として栄えてきたリグリア海に面した湾岸都市。そしてジェノヴァ港はイタリア最大の貿易港。中世には海洋国家、ジェノヴァ共和国として、イタリアの金融業の中心地として長い歴史を持っています。

大通りの一つ、ガリバルディ通りは、16世紀の邸宅群が並んでいて、Palzzi dei Rolliと呼ばれています。ロッリというのは迎賓館リストのこと。つまり迎賓館目録に登録されていた館群ということです。

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世紀に総督ドリアのもと、スペインと同盟を結び、欧州カトリック世界のメイン銀行となって金融業で繁栄したj共和国時代。世界から訪れる来賓用迎賓館の必要性から、国家の来賓を迎えるゲストハウスとして、法律で、有力貴族が住む華麗な館や大邸宅を厳選しリストに登録したのでした。

   ストラーデ ヌォーヴェ
IMG_6036この大邸宅群のため、新しい道が次々に作られました。中でも1551年から整備の始まった最初の新道は、ガリバルディ通りのこと。このPalazzi dei Rolli(迎賓館群)と、Stradenuove(新しい道々)は、2006年に世界遺産に登録されました。
 ロッリの一つの館入口
IMG_6044今は美術館や市庁舎、銀行などとなっていて、中に入れないパラッツォでも
1階の入口は入ってみることが可能です。





    白の館          赤の館
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ロッリのリストに登録されたうちの
3つの邸宅が博物館になってます。
赤の館
Palazzo Rossoでは絵画が見られます。白の館Palazzo Biancoにも絵画が所蔵されています。ドリア・トゥルスィPalazzo Doria Tursiは、パガニーニのバイオリンやギターの他、金融業の中心地だった歴史を物語る、色んな時代の様々な国のコインが並んでいて、海洋時代どれだけ重要な町だったのかを物語っているようでした。

  ロレンツィオ教会の屋上からの眺め        ロレンツィオ教会のファサード
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もう日も傾いていたのですが、丘の上に建つ(ヴィレッタ・ディ・ネグロ公園)キョッソーネ東洋博物館へ滑り込みました。
エドアルド・キョッソーネは明治政府の「お雇い外国人」の一人として日本に呼ばれ、近代的な製版法、印刷技術を日本に伝えて紙幣や切手の国産化を成功させました。また宮廷画家としても活躍し、有名な明治天皇のご真影や西郷隆盛、大久保利通など明治の要人の肖像画はみんな彼の手によるものです。その間、多くの日本芸術品を収集しイタリアへ持ち帰ったもの展示しているのがキョッソーネ東洋博物館というわけです。


 状態がとてもよい江戸時代の能面   甲冑もいくつも並んでいた。
                         伊語で細部を何と呼ぶか説明パネル

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能面や甲冑、仏像など状態のとても良い日本の美術品が沢山並んでいましたが、所蔵品数を見ると、これはごく一部なのだと分かりました。明治政府のお抱え外国人ですから、結構な報酬をもらっていたのだろうと想像します。

来館者は私だけで、私が見終えるのを、今か今かと係の人が待ちかまえているのを感じたのですが、「時間内だし」と、ゆっくり見学を続けました。それでも、閉館時間の10分前くらいに私が退館すると、背後で鍵をかけた音が即座にし、鍵係の人は、あっという間に私を追い抜かして家路を急いでいるのでした。

イタリア語講座で生徒さんと遊びながらイタリア語を学べるような、イタリアの子供たちが楽しむ卓上ゲームをずっと探しています。今はビデオゲームやユーチューブを見るなど、卓上ゲームなどは不人気なのか、おもちゃ屋さんなどを覗いても、それらしいものは見かけずに今に至っていました。

立派なジェノヴァ・ブリーニョレ駅

IMG_6016キョッソーネ博物館を出て、駅に向かおうと方角を確認するため、たまたま入った店がおもちゃ屋さんでした。親切に道を教えてもらった後、ダメもとで訊ねると、色んな卓上ゲームが次々出てきました。時代が変わっても、求める人はいるし、数は減ったといっても、製造も変わらず続けているのだと思います。

迷った挙句、ジェノヴァ版人生ゲームを買い求めました。その名も「パランケ
Paranche」。パランケとは、ジェノヴァの方言で「お金」の意味。

何となく、店主の眼差しが初めから親しみがあるなぁと思ったら、奥様は日本語が好きで独学しているのだということでした。


さっそく、パランケをイタリア語教室で使ってみようと思っています

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norichetta at 00:03|PermalinkComments(0) イタリア旅行 | ジェノヴァ

2019年09月06日

はじめてのナポリ(2)

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ケーブルカーで丘に登ればこんな絶景が広がる。奥はヴェスヴィオ山。

ナポリの地下鉄駅は、それぞれ別の建築家や芸術家が設計しているので、駅ごとに違って面白いです。
IMG_6491IMG_6488例えば「世界一美しい駅」と言われているトレード駅は海をテーマにしているので、エスカレータで降りていく時、海底に向かうようなイメージでした。スペイン人建築家によるものだそうです。


IMG_6497ダンテ駅は、色んな芸術家が参加しているようです。

こちらは宇宙をテーマにした壁。



IMG_6498こちらはギリシャ出身芸術家による「旅」をテーマにした壁。レールと使い古された靴がオブジェになっています。







ローマの地下鉄は、車体に落書きがあって美しいとは言えず、アルコールか薬の影響でラリッている人が、車中に地べた座り、という風景もそう珍しいことではありません。

でもナポリの地下鉄は、アート駅にしたおかげか、海外の地下鉄にありがちなあやしい雰囲気はなかったように思います。

それよりも狭い空間ですから、ひょいっと目が合うと、気のよさそうな地元のおばちゃんやおじちゃんが声をかけてきます。

「ナポリは初めて?で、どこを見学したの?そうかそうか、あそこは良かっただろう。それじゃ、こっちは行ったか?え?まだ?駄目だ駄目だ!あれを見なくちゃナポリを去れないよ!」などと車内にいる5~10分の時間を利用して案内してくれるのです。

後でガイドさんに訊いたところ、そう珍しいことではなく、ガイドさんにさえ、ちゃんとナポリを正しく案内しているかどうかチェックが入るのだそうです。「○○には連れて行ったの?」

ガイドさんは、通常ネームプレートを付けているのですぐ分かって、よくそんな風に声を掛けられるとか。ナポリ人の気質の一つだと苦笑いしながら説明してくれました。

道路事情も独特でした。ナポリならではの暗黙のルールがあるようです。二車線なのに三車線で走っているし、しかしぶつかることなく、ものすごい渋滞にも涼しい顔で対応し、スイスイ走る様子は、お見事!としか言いようがありません。

それでなくとも渋滞は必至だという土地柄なのに、地下鉄工事で、地面を掘ったら、遺跡がわんさか出て来て工事はストップ。
「いつまでかかるのですか?」という質問に、「皆目わからない」と運転手さん。そう細かいことにこだわっていたら、ナポリで生きていけないのだろうな、と思いました。

ポンペイ
IMG_6637ポンペイはすでにいろんな本やテレビ番組で見ていたので、何だか初めて来たような気がしませんでした。

炎天下の中でも、観光客は沢山。とても広く丁寧に隅から隅まで見たとしたら丸二日はかかとのこと。ガイドさんに
2~3時間でまわってもらうよう、見どころをセレクトしてもらうことにしました。





190㎝と長身でヒゲモジャのガイドさんは日本アニメが大好きで
絶対行ってみたい国は日本だそう。ユーモアがあって楽しい案内でした。

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先祖や神々を祀る神棚              古代ローマのファーストフード店

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古代ローマ人は公衆浴場にしても日本人と共通点が沢山ある気がします。家にある先祖を祀った神棚もその一つでしょう。

右の写真はファーストフード店。壺が組み込まれていて、熱風が流れることで温かい状態を保っていたそうです。壺の中身は豆スープ。壺の前で客はさっと食事をしていきます。

IMG_6681こちらは風呂ではなく、「ステファノの洗濯屋」と名付けられた洗い場。ポンペイには18軒の洗濯屋があって、そのうち最も大きいものがここだったようです。

石鹸がまだない時代ですから、アンモニア、つまり、動物や奴隷の尿を利用して汚れを落としていたそうです。その作業にはものすごい時間と労力が使われ、尿を使うと言っても、最後にはほのかにいい香りさえただよう仕上がりだったということ。洗濯屋にお願いすることは、結構なお金がかかり、とても贅沢なことだったそうです。

ここでガイドさんが面白い話をしてくれました。
何でも税金をかけたことでも知られる古代ローマ社会、さっそく汚れを落とすアンモニアの元、尿にも、当時の皇帝ウェスパシアヌスは税金をかけました。

もちろん民衆はブーイング。このことを日頃、友人たちから揶揄されていた皇帝の息子は、ある日、父親に抗議をします。すると皇帝は税金として集めたコインの一枚を息子の鼻先に突き出し、「臭うか」と訊ねました。息子は首を振って答えたという逸話。

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古代ローマ時代の家(
1戸建てのドムス)は、入ってすぐにアトリウムと呼ばれる広場があり、そこは屋根がなく、雨水を床中央にある貯水槽に集めて利用していたのだそうです。

すでに使われていた水道管     公衆浴場の脱衣所(棚に脱いだ服を入れる)

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ポンペイは、西暦
79年(日本では弥生時代)に起きたヴェスヴィオ火山の噴火で6mもの火山灰がつもり、人々の記憶から忘れ去られ、1748年に始まった発掘調査で掘り起こされました。当時の人口は1万~2万人。

年間
200万人の観光客が訪れるのだとガイドさんが説明してくれました。

ポンペイは海のそばの交易の町として多くの外国人商人が訪れていたという特徴があります。言葉が分からなくとも用が済むように、矢印やフレスコ画や彫刻などで意味を示す工夫が見られ、それが現代的で面白い。

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エルコラーノ
ナポリとポンペイの中間に位置するエルコラーノは、ポンペイに比べると、ずっと小ぶりの遺跡で(まだ全部発掘しきれてない)、「こちらのほうが好きだ」という声をよく耳にします。

交易の町ポンペイに対して、エルコラーノは貴族たちのリゾート地。そのため同じ遺跡にしてもずいぶん違う面があって、比較すると面白いです。また噴火口により近かったため溶岩で埋もれたため一瞬にして炭になった木や縄なども多く発掘され驚くほど保存状態が良いです。

灰で埋もれたポンペイに比べて、エルコラーノは溶岩だから発掘がとても難航したそうです。(今も続いている)

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地層の色が違っているところが噴火前の地表。その上は町を覆った溶岩。このように、エルコラーノ全体を見下ろすことが出来るのもポンペイとは違った点。

IMG_6792写真下のアーチ部には、沢山の人骨があり、ちょっとショッキングです。300体見つかったそうです。ここは船の倉庫だったところで、この建物の寸前に海がある海岸でした。

火砕流から逃げるため、人々は遺産や宝石類を手にここから船に乗って沖に出ましたが、津波で押し戻されてしまったのだそうです。
貴族ならではの豪華な装飾などが沢山発見され、同敷地内の博物館でも見ることが出来ます。


エルコラーノにもファーストフード店。壺が埋まっているのがよくわかる。
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(左の写真)エルコラーノを案内してくれたガイドさんは大学卒業して数年目という若い人でした。法学部を出て弁護士になるはずでしたが、土地柄、弁護士よりもガイドの仕事のほうが求められていることを知って、人生大転換。

説明が的確で分かりやすい。弁護士を目指していた人だからこその話術だ、と思うのでした。

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(左)浴室の遺跡。天井の筋模様は、水滴が伝わり横に流れるようにするための工夫。
(右)ガラスで覆われた部は、炭化した梁の一部。溶岩で一気に炭になったエルコラーノならではの遺跡。ポンペイにはありません。

 国立考古博物館
IMG_6928遺跡巡りの後、ポンペイとエルコラーノ遺跡から出土したモザイクやフレスコ画などを保管している国立考古博物館へ行きました。

貴重な出土品ですから、発見されたままにして雨風にさらすわけにはいきません。

また見学者の倫理観の問題もあります。ポンペイもエルコラーノも監視カメラがつけられず、「記念品として」遺跡の欠片を持って帰ったり、落書きする人が後を絶たないそう。見学者の「良心」にゆだね、守りようがないのが現状だそうです。

さて、博物館に入ると、どっしり構えた男性がいました。それはフリーと思われる呼び込みガイドさんでした。時間と金額を交渉してお願いすることにしましたが、ここはナポリですから、吉と出るか凶とでるか、少しためらいました。

しかし、所要時間の2時間内に回って、とても詳しく説明してくれました。2時間きっちり終了。ガイドの鏡だと思いました。

IMG_6896あんなに見どころある博物館を、客の見たいところを、客の希望時間に合わせ、上手に案内し時間内で終えるというのは、当たり前のようで、なかなかできることではありません。

外国人の私にも「わからないことがあったら、私の説明を遮って教えてくださいね」と親切でした。

この博物館には、本当に見るものが沢山!
ポンペイ、エルコラーノの文明の高さを物語るフレスコ画、銀食器、ガラス製品といった出土品だけでなく、ファルネーゼコレクションと呼ばれるギリシャ・ローマ時代の大理石彫刻や、ミイラや副葬品などのエジプトコレクションなど、見どころ満載。

   ミイラの棺      ワニのミイラ


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生殖器崇拝というのでしょうか、ポンペイでは至る所に男性のシンボルが見られました。当時のローマ人たちには、エロという概念ではなく、生産力・豊穣のシンボルだったと、ガイドさんが説明してくれましたが、博物館の「秘密室 Gabinetto di Segreto」はその類の作品をまとめたもので、一堂に揃うと、恥ずかしいとか、可笑しいを通り越して、ここまで作品として作り上げた彼らの心意気に感心してしまいました。

  下の写真二枚に同じ図が
。           足元の図に注目。指し示す方角に
                      殿方が楽しむ館があったそうです
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「秘密室」の入口
IMG_6899そういえばペルージャの考古学博物館には、古代ローマ以前、エトルリア人による男性と女性のシンボルをモチーフにした様々な作品が並んでいたことを思い出します。

日本だって、愛知県小牧市の田縣神社など、我が宮城県にも多賀城や石巻などなど、生殖器崇拝の神社が結構ありますから、「繁栄バンザイ」は世界共通なのでしょう。

 銀の食器の出土品
博物館を見終わって、紀元前のIMG_6907大昔からナポリ大国に至るまで、この土地がどれだけ多くの人を惹きつけ、重要な都市でありつづけたかを語るのに余りある展示品にため息が出ました。


IMG_6585しかしため息をつくのはまだ早く、ナポリにはもう一つ見逃せない重要な所が。それは国立カポディモンテ美術館です。

ここもファルネーゼ家により創設され、カポディモンティ焼きをはじめとする陶磁器コレクションや絵画が所狭しと並んでいます。

IMG_6587お目当てのカラヴァッジョの「キリスト鞭刑」が設置されている部屋は、早めに閉まることを知らず、閉館時間の15分間に滑り込みました。
その他にも、ティツィアーノ、ラッフェッロ、マザッチョ、ミケランジェロなど、有名なイタリアの巨匠たちの作品が目白押しです。
ちょうど日本のテレビ局が美術館の取材をしていました。
ナポリらしい喧騒な市街地を歩くのもこの町を感じる方法の一つですが、こうして博物館や美術館の展示物を静かに愛でるのも、ナポリのもう一面を知る方法のように思います。

IMG_65365日間の私の滞在は、ナポリの入口をちょっと見させてもらった、という程度でしょう。

イタリア人が、「(ナポリを指して)あそこはイタリアじゃない」と言うのをよく聞きますが、その意味が分かるような気がしました。

イタリアだけどイタリアではない。ナポリはナポリ。
その理由が何なのか分かりませんが、理由なく惹きつけられる町、エネルギーに溢れた町。
また来たいと思いました。


ナポリ名物菓子「ババ」でできたヴェスヴィオ火山



norichetta at 00:28|PermalinkComments(0) イタリア旅行 | 南イタリア

2019年09月02日

はじめてのナポリ(1)

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今日からイタリアです。
ヴェネツイア、ジェノヴァ、ナポリに行きます。
初めて訪れたナポリは、あいにくの曇り空でしたが、さっそく空港からホテルへ移動する時間を利用して、タクシー運転手さんから、ナポリのおいしい情報をいくつか得ることができました。そのうちの一つ、魚介で有名だというレストランへ行ってみることにしました。

店の入り口を飾る新鮮な魚
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IMG_6318タコのサラダやエビのグリル、ボンゴレスパゲッティなど新鮮な魚が豊富に使われている料理をいただきました。
レモンがたっぷり添えられているのも柑橘大好きの私には嬉しく、南イタリアの豊かさを感じました。

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この店は、現在の女性店主の父親から続いているそうで、先代の時代は、Zuppa di cozze(ムール貝のスープ)だけを提供する店だったそうです。スープと言っても、ワイン蒸しのような料理で、これでもかとムール貝が山盛りやってきます。
名物のズッパ・ディ・コッツェ(オレンジ色は唐辛子オイル
IMG_6745それから代変わりし、時代に合わせ、他のメニューも充実させてゆき、今のレストランになったのだそうです。
「代が変わっても一番のスペシャルは、やっぱりそれだね
。」

そう教えてくれたのは、別のタクシー運転手でした。空港からホテル、ホテルからそのレストランへ移動するときに、ダメ押しで、「そのレストランはおいしい?」と訊いたら、「今から俺が行きたいくらいだよ」。

日本でも、旅行先の情報を得るため、運転手さんと会話することが多いですが、ナポリの運転手さんは、自分がどれだけナポリを愛しているか、詳細な情報をどれだけ熟知しているか濃厚な気さくさでアピールしてきます。

即答で返ってくる情報に感激しつつも、場所がナポリなだけに、「本当かなぁ」と疑っているわたし。むろん、間違いありませんでした。運転手さんごめんなさい。

IMG_6934貝類の絶妙な火の入れ具合、カリッと揚げた鰯やイカのフリットとキリリッと冷えた白ワイン、今でも夢に見ます。

出だしから食べ物の話で恐縮ですが、恐縮次いでにもう一つ。


上記のレストランもおいしい上に安くて驚いたのですが、安いと言えば、昼間立ち並ぶ魚市場のそばにある庶民的な食堂は、町を案内してくれたガイドさんに勧められました。

IMG_7049思い切って入ってみると、ちょっとごちゃごちゃしていている店内に少々面食らいましたが、働いている人が注文を受けてきびきびとさばいている様子が見事で、すぐに「これは間違いないだろう」と思いました。
IMG_7048ガラスケースの中に、野菜料理や魚料理、肉料理などなど大皿に出来立てが並んでいて、それを見ながら注文するのです。
もしくは、ホワイトボードの手書きのメニューから頼めば、厨房で料理してテーブルに持って来てくれます。
こういう時、地元の習わしに溶け込み、そのリズムについていけるかが問題です。
特に私は列を作って順番を待つことに慣れた日本人であり、背が小さいため、ガラスケースで顔は隠れてしまっています。

でもこういう時、案外地元の人は親切です。「こちらのスィニョーラが先だよ」と周りに待ったをかけてくれます。

さて、順番は無事に回ってきたけれども、どうオーダーしてよいか、色んな料理に目移りしていると、店主と思われる強面の男性が、ふむふむと私が食べたい料理名3種を聞いて、「一人分に盛り付けて持っていくよ」と言ってくれました。

IMG_6562私が注文したのは茄子のパルミジャーナとペペロナータ。どちらも南イタリア家庭料理のテッパンです。日本人にはちょっと油っこいかもしれませんが、野菜がとろんとして、オリーブオイルたっぷりだからのおいしさ。ケチケチしていたらこういう味わいにはなりません。ここにパンをつけて持って来てくれました。魚とじゃが芋のオーブン焼きもおいしかったです。何と言っても安い!
さすが学生時代から今でも利用していると言った地元
ガイドさんおすすめのお店でした。
[Toto]と看板が掲げられた劇場  

IMG_6343IMG_6348トト2












さて、先ほどのムール貝スープが名物の レストランから歩いてすぐにトト劇場がありました。
トトというのは昔活躍したナポリ出身の喜劇役者で、今でもイタリアの人気者です。特別、彼とゆかりがある劇場というわけではなく、ナポリ出身の彼をレスペクトして劇場の名前にしたそうです。
ロビーにはトトが映画撮影で身に着けた衣装など飾ってありました。

映画の有名な抱腹絶倒の一場面。南国ナポリから生れて始めて北上したトト。
ものすごい厚着でミラノ駅に降り立ち、まわりの好奇な視線にも気づかない。

トト










サングレゴリオ・アルメーノ通りは、プレゼピオ(クリスマスのキリスト降誕の場面を表した飾り)の専門店が軒を連ねていて、一年を通して売っています。

キリスト降誕がオリジナルですが、最近では話題になっている人、たとえば政治家や芸能人などもプレゼピオになってお土産として並んでいます。そこにも沢山トトがいました。

          プレゼピオ屋さんが立ち並ぶ界隈
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   通常のプレゼピオ     トトのプレゼピオはお土産として人気
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ナポリの中心街を歩いていると、「あそこは「ああ、結婚」でマストロヤンニとソフィア・ローレンが映画の中で住んでいたアパート」とか、「ここは、ジャックレモンとマストロヤンニの「マカロニ」の撮影で使われた中庭」など、あちらこちらに憧れの映画が撮影されていたことがわかり、一人興奮します。

IMG_6450映画といえば、ちょうど映画かドラマ撮影で、突然、1930~40年代の服装をした俳優さんがどっと出て来て囲まれてしまい、タイムスリップでもしたかと驚きました。



IMG_6515それにしても、ナポリを散策しているとやたらめったら教会に出くわします。「犬も歩けば棒に当たる」ならぬ、「ナポリ歩けば教会に出くわす」です。

京都市に神社は300あると言われていますが、ナポリの教会数は
400だそうです。

ナポリの人は信仰深く、よって迷信深いということをよく聞きますが、生粋のナポリ人という30代のガイドさんは、お祖母さんに育てられたそうで、現在の若者が知らない昔ながらの迷信深を口にする彼女に、友人たちかが「あんた、いつの時代の人?」とよく言われてしまうのだと苦笑していました。

私も祖父母のいる家で育ったので、やかんの口は南側に置かなければいけないとか、みそ汁をご飯にかけるならご飯をみそ汁に入れるようにしなくてはいけないとか、色んな決まりがあったことを思い出します。

ナポリの迷信は、例えば、黒猫が渡った直後の道は渡らないとか、壁に立て掛けられた梯子の下を通ってはいけないとか、色んな言い伝えがあって、同じイタリア人でも他地域の人たちはそれほど気にしないので、こういうことに大騒ぎしているナポリ人を半分笑い話の種にしているのを時々聞きます。

唐辛子の形をしたキーホルダーを土産屋さんで見かけますが、ツノ型の唐辛子は幸運を呼ぶそうで、赤色は勝利の色だそうです。ポンペイでもこの話になりましたが、古代ローマの遺跡に行けば、必ず男性のシンボルや赤色が目に入ります。唐辛子はそこから来ているのだそうです。

色んな教会を見学しましたが、一番はナポリの守護人、聖ジェンナーロを祀る大聖堂です。ここでは毎年5月の第一土曜日と919日、1216日に聖ジェンナーロの血液が液体化するミラーコロ(奇跡)が公開されるそうです。

IMG_6509歩いていると、ブロンズ製の遺骨の装飾があり、ぎょっとしました。教会名Purgatorio ad ‘Arcopurgatorio=煉獄)ということからも分かるように、「死者信仰」、つまり死者はあちらの世界から現世の私達に力をくれるというもので、だからナポリっ子はここを通るたびにに頭がい骨を撫でるのだそうです。

天国と地獄の間にいる死者を天国に引っ張り上げる力を現世の私達は送るという「死者と力の交換」という話しは、まさに迷信的なナポリ人らしいです。この教会の地下埋葬室には壁一面に頭がい骨が並んでいるのだそうです。

IMG_6541宮殿だったのを16世紀にイエズス会の教会に改築したジェズ・ヌオーヴォ教会。平面な石積みのファサードが印象的。

サンセヴェーロ礼拝堂は、ずいぶん前から色んなイタリア人から耳にしていた場所です。というのも、「Cristo Velatoヴェールに包まれたキリスト」という彫刻が素晴らしいのだということ。

大理石をどうしたらあんな風に彫れるのか、私も見とれてしまいました。これは必見です。

IMG_6483IMG_6455トレド通西側の斜面は、トレド総督によってスペイン統治下で激増した人口問題を解決するために作られた住宅でひしめき合っています。

洗濯物が風に揺られている様子は、「ザ・
ナポリ」というイメージにピッタリです。今でもそのまま使われているのですが、観光客の私たちは治安があまりよくないのでトレド通から覗くだけにしておくのがいいようです。

IMG_6471IMG_6469王宮
Palazzo Reale17世紀にスペイン王を迎えるために作られましたが、その王を迎えることなく、ブルボン家の王宮として18世紀に改築、拡張されたそうです。正面にはナポリを統治した人たちの立像が置かれています。

現在は王宮歴史的住居博物館
Museo dell’appartamento storico di Palazzo Realeになっていて、18世紀の豪華な室内を見ることが出来るそうですが、時間の関係で入らず、私が好きなフェデリコIIの像の写真を撮るだけで満足しました。次回は是非入ってみたいです。

その向かい合わせに建っているのがパンテオンに似たパオラ聖堂。
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この2つの建物が建つプレビシート広場に面しているのが
1860年創業というカフェ、ガンブリヌスGambrinusです。IMG_6474

ナポリでは、町の中、遺跡と色々なところでガイドさんをお願いしました。私はガイドさんの説明を聞くのが好きです。本やネットで十分、という人もいるでしょうが、日夜研究を重ねているガイドさんの説明は、間違いなく、観光地をより魅力的に、印象深くしてくれます。

合間にガイドさんに、「コーヒーでも?」とお誘いすると、ちょっと遠慮がちに躊躇しながらも、「我々ナポリ人は、コーヒーの誘いを断らないのですよ」と言って、一緒に飲んでくれました。
  ナポリのコーヒーのおいしさはイタリアじゅうの人が認めてる

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ガンブリヌスには、「カフェプレパガート Caffè prepgato」というナポリの習慣の説明が各国語でありました。

ナポリでは、その昔、こんな素敵な習慣があったそうです。それは、コーヒーを飲んで支払う時に、「自分の分+もう一杯分」を支払う習慣です。コーヒーを飲む金銭的余裕のない人が、バールに顔を出して、「カフェ・プレパガート(支払い済みコーヒー)はないかい?」。
こうして懐が寂しい人も、コーヒーを飲むことが出来るわけです。

この習慣は過去のことになりつつあるそうですが、コーヒーとナポリ人の強い繋がりを感じる話しです。

IMG_6965IMG_6966ナポリの町の創始者はギリシャ人でした。現在の大聖堂周辺の地下には、この古代都市がナポリの地下にそのまま残っています。
その多くは、教会の地下埋葬や、下水道などに利用されていましたがっここ
40年の間に本格的な発掘作業が行われ、現在Napoli Sotterraneaという名前でガイド付きのツアーで見学することが出来ます。

15m地下に潜るので、中はひんやり。上着が必需品です。ジョーク交えながらナポリ弁で案内してくれるガイドさんを先頭に、ろうそくを手に地下を巡ります。埋葬室、貯水槽、ローマ時代の劇場後があったり、第二次世界大戦時は防空壕として使われていた場所など、もう一つのナポリを見る思いでした。
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地下の遺跡で、なんとバジリコなど野菜が植えられている様子は興味深かったです。日光がないところで野菜が育つかどうかの実験です。真上の地上では、ナポリ一のピザ激戦区だということで、ここで育ったバジルを使って話題作りに一役買っていると、本当かジョークかガイドさんが説明してくれました。

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ナポリのカラッチョロ海岸通り
lungomare Caraccioloで「ブファラ フェスト」が開かれていることに気付きました。

タクシー運転手さんが説明してくれたことによると、
831日から98日までの9日間毎晩(土日はランチから)開かれていて、ナポリの有名店がブースを出して盛大に開かれる食の祭典なのだということでした。毎日しのぎを削っているナポリピザ有名店が集まるので、「それこそ食べ比べも出来るよ」とのこと。

夜8時に海岸通りへ来てみると、ブースが50店舗あまり、その前にはテーブルが沢山並んでいて、サンタルチーアの夜景を見ながら、海の風を感じつつ食事出来るというのも素敵です。

ブファーラというイベント名通り、水牛モッツァレッラチーズから、パスタ、肉料理、ビールやワイン、そしてデザートとコーヒーに至るまで網羅しています。眺めているだけでも楽しい。

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ブースを覗いてみると、ピザ釜が設置されていてピザ職人たちは真剣そのもの。出店だからと手を抜くどころか、ここから評判となるという意識からか一生懸命です。グルテンフリーの粉を使ったピザ屋さんや、なんと
1738年創業というピザ屋さんの存在にびっくりしました。

家族連れがそれぞれ別のブースのピザを買ってきて、わいわい食べている様子は、ほのぼのしていいなぁと思いました。
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野外ステージではライブが行われていて、海風に乗ってナポリターナ独特の情熱的なセレナーデが流れてきました。「愛する人よ、行かないで。愛を誓ったあの日を忘れたのかぁぁ♪」

甘くて重い、「ねちっこい」と称してもいいようなナポレターナが大音量で響き、それは有名な曲らしく、地元の若いカップルも熟年夫婦もうっとり口ずさんでいました。

イタリア語を習い始めた時、ネイティブの先生が「私たちはプリミティフだと言われるけど」と反発心を押さえながらも、イタリア人は3つの動詞に集約できると言われているのよ、と前置きをして、初めて覚える動詞を黒板に書いて教えてくれました。
マンジャーレ(食べる)、カンターレ(歌う)、アマーレ(愛する)。

その先生がナポリ出身であったことを思い出した今晩でした。

 

 



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