2017年11月12日

山中環 石彫展と不思議な出会い

BB15CA71-B16C-4A12-87FD-7359446E51E3今、角田の彫刻家、山中環さんの「石彫展 Rasen」が、一番町のライフスタイル・コンシェルジュで今月29日まで開かれています。

環さんのブログです。
http://www.tamaky.com/mt/


サンマルク(カフェ)を正面に見て左手にある階段を上った2階が会場です。

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素人でも、いったいどうやって作ったのだろう?と思ってしまうほど、あの固く重い石が、軽やかで温かみのある作品となっています。ものすごい技術と膨大な時間の果ての作品一点一点なのだろうと思いました。

とても素敵な展示会ですので、是非足を運んでみて下さい。

こちらのページへ行けば、彼の作品の一部が見られます。
http://www.tamaky.com/works/stone/

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こちらは私の好きな環さんの作品「山河Sanga」。角田の河川敷にあります。建設省小田川水門竣工モニュメントです。

さて、環さんと知り合ったのは、私がフィレンツエへ語学留学する前の1997年のこと。場所は、仙台・日伊協会が主催したイタリア語教室でした。

環さんはすでに彫刻家として活躍していましたが、より一層腕を磨くため、イタリア行きの野心を抱いており、私は当時、栄養士をしていましたが、イタリア語がなんだか好きで、独学には飽き足らず、イタリアへ語学留学しようと腹を決めて準備をしておりました。

その頃東北大に留学していたボローニャ出身のダニエッラさんが私たちの先生となり、今はなき141の上階で週1、教室が開かれていました。

人生で初めて知ったイタリア人が、このダニエッラさんだったわけですが、とても美人で「優しいお姉さん」という感じ。「イタリアのどこへ留学したらいいか」と問う私に、「そうね...私はフィレンツェが好きだな」と言ったことで、私の目指す場所が定まりました。

お月謝の安さもあったでしょうが、今から考えると、イタリア語ブームの始まりで、教室いっぱいに仕事帰りのOLさんを中心に集まっていました。20~30人くらいはいたのではないでしょうか?

それから週を追うごとに少しずつ人が減っていき、数か月後には6人程度のグループになっていました。

紅一点、と言う言葉がありますが、環さんは黒一点で、唯一の男子だったので、はじめから目立っていました。035F5297-EA2F-4660-8418-497D6A42BE66

生徒数が減って、より一層和気あいあいとして、このまま続けばいいなぁと思っていた矢先、ダニエッラさんが英国の大学に戻らなければならないということで、突然イタリア語講座は打ち切りとなりました。メンバーともそれっきり会うことがなくなりました。

ダニエラッさんはイタリアの大学から英国の大学に留学して、そこから東北大学に留学していたのです。英国の大学の試験を終わらせなければならないとか、そんな理由だったと思います。

それから数か月後、ダニエラッさんの言葉にインスパイアされた私は、フィレンツェ語学留学へ出発しました。

フィレンツェのアパートでは、イタリア人とスウェ―デン人とシェアして生活しました。留学を始めての2~3か月のことで、右も左もわからない私は、特にスウェ―デン人のペトラに沢山助けてもらいました。彼女の父親はイタリアで、イタリア人と結婚してフィレンツェの隣町ルッカで生活しているお姉さんもいて、イタリアに私よりずっと馴染みがあり、言葉に不自由を感じていた私をずいぶんと助けてくれました。

彼女は、母語が違う両親のもとで成長する子供が、どうやって2つの言語を使い分けて習得していくのか、ということを研究していて、母国の大学からフィレンツェ大学へ数か月留学していたのでした。

彼女が去るとき、是非、スウェ―デンに遊びに来るようにと招待してくれました。海外にほとんど興味を持てない私は、イタリアだって、言葉への情熱からやっと来たようなものなのに、と思いました。

しかし、フィレンツェへ来てこの数か月、学校で知り合う様々な国の人たちと片言のイタリア語を通じて、彼らの国や家族、友達、習慣などを聞いて、私の海外に対する無関心も少しずつ変わってきていました。

「Futari」
A85201C7-41E9-4724-9AC3-E03D72BB36ADそこで思い切って、ペトラが去って間もない6月の末、夜行列車に飛び乗ってフィレンツェからチューリッヒへ行きました。

それからドイツ→ベルギー→デンマークと電車を乗り継ぎ、スウェーデン入りするのに船が翌日まで出ないとかで、この時期、山のようにいるバックパッカーの若者たちと駅の外で野宿したことを思い出します。

ストックホルム駅でペトラと無事再会し、2~3日観光して過ごすと、ふと「白夜が見たい」と思いました。確か中学時代の地理の教科書にそんなことが書いてあった記憶がよみがえったのでした。

ペトラに訊いてみると、もっと北へ行かなくてはいけない、と言って、南部に位置するストックホルムから17時間寝台列車で行った先のアビスコまで切符を買ってくれました。

アビスコはノルウェーに近い村で、白夜の他、オーロラを見るのに絶好な場所として知られています。平たく言えば、自然以外には何もないところです。

アビスコ駅に降り立ったら、あたりには何もなく、ここでどう過ごしたらいいのかと私は急に不安になりました。ガイドブックもなにも持っていなかったのです。とにかく電車から降りた人々が列を作り、どこかに向かっているようなので、私も後について行くことにしました。

たどり着いた先はユースホステルでした。私もチェックインし、ロビーで満足気にあたりを見渡し、「もうここまで来たら日本人はいないだろう」と思いました。というのも、イタリアから電車で北上する間、至るところで日本人観光客を見かけたからです。

すると、遠くから何者かの視線を感じました。それは東洋人の中高年夫婦で、どうやらあちらも私の方を気にかけているようでした。

左端が環さん。右端が奥様のまきさん。
素敵なカップルです。

7A8507A2-5EF5-4A67-B297-8B192C5AE251少しすると、売店で絵葉書を見ている私に、ご婦人の方が近づいて来ました。その遠慮がちな表情は、間違いなく日本人のものと思った私は、「日本人の方ですか?」と思い切って尋ねると、そのご夫人も笑顔になり、「いやぁーねぇ、こんなところで会うなんてねぇ」と言って、同じ日本人としてこんな地球の果てみたいなところで会ったという偶然が嬉しく、知らない者同士なのに、自然と互いに手を握り合っていました。

ご婦人は「こんなところに高校生が一人で...大丈夫かしら?」と心配したそうです。しかし、私が「大人」であり、フィレンツェへ語学留学していると知って、ようやく安心したのだと、ずいぶん後になって話してくれました。

私たちは初めて会ったにもかかわらず、ここに来るまでの旅行話しをしたり、話しに花が咲きました。その中で、「私の息子もイタリア語を習っていたの」「美人なイタリア人の先生が教えてくれていたけど、国に戻る必要があって教室がなくなり、がっかりしていた」と話していました。

私は初めから、お二人が東京の方だと思っていたので、東京には沢山イタリア語講座があるのだろうなぁ、イタリア人も沢山いるのだろうなぁと半分うらやましく聞いていました。日伊協会の講座を見つけるまで、仙台にはどこにもイタリア語を学ぶ所がなく、いろんな語学学校をまわり、さんざん苦労したからです。「イタリア語講座」と看板を掲げていても、人が集まらないとかで、実際は存在しないというありさまでした。

また会話の中で、「息子が彫刻家で」とも言っていました。サラリーマンとは違って、彫刻家はそう沢山存在する職種ではありませんが、大都会にはそういう人も結構いるのだろうなぁと想像しました。

いわゆる多くの日本人中高年者がする旅行スタイルと、お二人のものとが大分違っていることに私は注目しました。日本人観光客と言えば、どやどや集団でまわるツアーか、もしくはお金をたっぷりかけた風な旅行者たちと相場は決まっていますが、お二人は大きなリュックを背負って、現地の人たちと言葉を交わし、交流をしっかり持ちながら、国や人を直に見て歩いている...という様子でした。

実際、旅行先で知り合った人たちが、のちにお二人に会いに来日したり、逆にお二人が外国人の自宅へ招待される、というやり取りを長年されています。それらは人間対人間の交流で、肩ひじを張らない自然なお付き合いという印象で、とても素敵だと思いました。

この時、お二人は北欧を中心に1か月ほどヨーロッパをまわっているということでした。

昔から海外旅行をされ、随分経験を重ねてらっしゃるように思ったら、意外にも、仕事を引退され、ここ数年前からようやく二人で海外旅行を楽しめるようになったと話していました。お二人で見るもの聞くものを心から楽しんでいる睦まじい様子も印象的でした。

久しぶりに日本語を話せるということが私は嬉しく、栄養士から突然語学留学のためイタリアに来てしまったという話を楽しそうにお二人は一生懸命聞いてくださいました。

最後に記念写真を取り合い、当時はメールもない時代ですから、「現像して、後でお送りします」ということで、住所を交換し合うことになりました。

イタリアの住所の他、日本の連絡先として「宮城県」と私が書き出すと、ずっと東京あたりの人物だと信じていたご婦人は、「あら、宮城の方なの?」とびっくりしました。それから、「言っても分からないと思うほど小さな町なのだけども、うちの息子も宮城県に住んでいるのよ」と言います。それが角田というので、「角田?隣り町ですよ」と私もびっくりしました。

その瞬間、今までのお二人の話が私の中でよみがえったのです。息子さんがイタリア語講座へ通っていたこと、彫刻家であること、そして、「角田」。私の心臓は突然高鳴りました。スロットマシーンではありませんが3つ揃ったのです。

今書いてもらった住所と名前に目を走らせると、「山中」とあるではありませんか!

「もしかして、息子さんは山中環さんではないですか?」と矢継ぎ早に尋ねると、ご婦人が悲鳴のような驚き声を上げで、部屋の端まで走って行きました。
夏でしたが、全身が粟立つのを感じました。

お二人の名前は純さんと健子さん。環さんのご両親です。

環さんとはイタリア語講座以来、ずっと会ってませんでしたが、ご両親とはずっと手紙の交換やら、メールの時代になってはメールを交わし合い、ペルージャ留学時代は、シチリア旅行を経て私の留学先まで来てくださいました。

10年前から始めた私のブログを常に読んでくれ、感想を聞かせてくださいます。これは私の大きな励みになっています。

ボローニャ絵本大賞で表彰された時は、純さんも式に参列してくださり、ご自分のことのように喜んでくださいました。

そして今日、環さんの石彫展を見るため、東京からいらっしゃったお二人と再会を果たし、私もお昼をご一緒させていただき、とても楽しい時間を過ごしました。

しかし考えてみると、実際お二人にお目にかかったのは、たった5回目。アビスコから数えて5回目の再会でした。

純さんと健子さん
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norichetta at 16:57│Comments(4) 自分のこと 

この記事へのコメント

1. Posted by 山中 環   2017年11月19日 14:21
素敵な紹介をありがとう!
紀佳さんとの事を思うと「縁」て確かにあるんだなぁ、と思います。なんか胸の奥が温かくなります。
2. Posted by Norichetta   2017年11月19日 16:26
(環さん、私の名前は範佳ですよ。もしくはひらがなでお願いします。)
展示会がんばってください!応援しています!!!
3. Posted by 山中環   2017年11月21日 07:26
ごめんなさーい!
名前間違えるなんて!
こんどからひらがなにします・汗
4. Posted by Norichetta   2017年11月22日 16:02
ふふふ。

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