eventi イヴェント

2023年08月07日

青森のねぶた祭

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8月
2日から8日まで青森ではねぶた祭でした。

私は混雑しているところが好きではありません。まったく駄目です。そのため、人気のイベントに参加するということを出来るだけ避ける傾向があります。

そのため、餃子フェスタとか、野外コンサートとか、スポーツ観戦とか、人がわんさといるところに向かって行く人達を「すごいなぁ」と半ば尊敬する思いで見つめます。日本全国、私みたいな人ばかりだったら、イベントに人が集まらず失敗に終わるでしょう。

また食堂やレストランに列を作る人たちにも敬服する念を抱きます。私は待つことも苦手です。

そういうわけで、青森のねぶた祭りに「行ってみたいなぁ」と思うことはありましたが、今まで見に来たことがありませんでした。

時期になると、スーパーでもこのようにねぶたの衣装が売られ始める
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現在イタリア語通訳させて頂いているプール工事現場には、青森の作業員さんも多く働いていて、先月末ぐらいから、皆さんそわそわしているのを感じていました。そして私にも、「行くんでしょ」「3大祭りの一つだよ」と、ただならぬ圧力。ねぶた祭りに対する思いの強さをひしと感じていました。

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青森は7月一杯までで、8月からはプールろ過処理のため、福岡へ行くことになっていたイタリア人ジョヴァンニさんでしたが、突如イタリアから連絡あり、青森に留まるよう要請があり、これを幸いと、ジョヴァンニさんの分と観客席を予約しました。

 

ジョヴァンニさんが福岡へ行ったら、私はお役御免ですから、実はハネトとして参加してみようかと衣装についてなど下調べをしていました。

せっかくの青森滞在。是非とも祭りに参加したい、という気分が高まっていました。祭りは観るより参加すべきだ、とも言います。あの派手な衣装を着てみたいという気持ちもありました。


↓なんとインターサポートの社長、浦澤さんが旦那さんとハネトで参加しているのに偶然会いました!
インターサポートは仙台青葉通りにある留学のお手伝いをする会社。
20年前から場所をお借りして、週数回イタリア語講座を開かせてもらっています。

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私のような外部の一般人が、気楽に参加出来るという点も、青森ねぶたの良さです。青森人の懐の深さを感じさせます。
いつかイタリア人観光客を案内した時に、ハネトで参加してもらったら、きっと喜ばれるだろう、という考えも浮かびます。(実際、沢山の外国人観光客ハネトを見かけました)


さて当日、祭りが始まるやいなや、勇ましい色とりどりの山車と、ラッセーラの掛け声のハネトたち。祭りの熱気と勢いを前に、自然と顔がほころびます。

ジョヴァンにさんと私は、仕事で疲れていたことなどすっかり忘れ、せっかく予約した席にも座らず、ずっと立ちっぱなしで、夢中になって行列を見ていました。

少しすると、一緒に働いている作業員さんたちがやって来ました。その上、私たちにビールやおつまみを買って来て、ねぶたの見方や、掛け声の掛け方など、地元民ならではのねぶたのいろはを教えてくれて、年に一度の祭りがどれだけ大切か、その熱い思いが伝わってきました。

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青森県ではいろんなところでねぶた祭りが開催されますが、週末、立佞武多で知られる五所川原へも行くことが出来ました。
なんという高さでしょう!
23mの山車が出陣する艶やかさ。ジョアバンニさんと、オランダ人のベンさんと見入りました。

じっとりと蒸し暑い夕べでしたが、夜空に映える立佞武多の温かみのある明かり、ヤッテマレ、ヤッテマレの掛け声、五所川原の人々の情熱が伝わるお祭りでした。

現在作っているプールは、深さが調整できる可動床があり、その部分をオランダのプール会社が担当しているため、ベンさんは数週間前から青森入りしていました。

立佞武多館(ここから出陣)

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五所川原は太宰治の叔母さんが住んでいた町で、作品の中でも何度もその叔母さんや五所川原について書いてあるため、1か月前、五所川原へ行き、現在小さな資料館となっている叔母さんの住まいだった建物を見学していたので、是非祭りの時も来たいなぁと思っていましたが、それが実現し、みんなで見られて、本当にいい思い出になりました。

 

混雑を避ける私ですが、青森のねぶたは、うんざりするほどの混雑というものはないようだということが分かりました。
今年はコロナ後の本格的な再開で、祭りを目当てに、国内外から多くの観光客が集まり、ひきりなしに大型バスが通るのを目にしてましたが、人がごっちゃになって混乱してしまう混雑ではないのです。

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日中、町を歩いていると、祭りが始まる
7時にはまだ余裕のある午後2~3時頃、仙台で言うところの一番町アーケード街に、現地の人々が敷物を敷いて場所を確保している姿がありました。歩く人々が誤って陣取りのために座っている人を蹴飛ばしてしまうのではいかと、ちょっと心配しました。

まだ
23時はまだまだ陽ざしも強く暑いのに、祭りにかける想いで、地元の人たちは団扇であおぎながら、のんびりおしゃべりしながら祭りの開始を待っていて、その気長さにも、わたしは「すごいなぁ」と感嘆するばかりでした。
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警察が道整理をしていましたが、これが例えば仙台の七夕祭りだったら、場所取りは歩行者の邪魔になり危険だから、してはいけない、するとしたら「〇時~」とか、何かあった時の対策として、ルール化をしてしまうのではないかと思いました。

白黒で決めてしまうのではなく、一人一人の倫理観に任せ、ゆるやかに物事を捉えていた昭和のいい部分が青森にはまだ残っているように思いました。

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花火大会は青森ねぶた最終日です。
この日も現地の作業員さんたちが家族連れで花火を見ようというところに、私たちも交ざらせてもらい、港桟橋の特等席のようなところで見ることが出来ました。特等席なのに、人々はパラっとしています。帰る時も渋滞はなかったと思います。

 

仙台七夕も素晴らしい祭りですが、私は、込み合いを避けるために、祭りの日は、なるべく中心街へ行かないようにしています。花火大会も素晴らしいですが、1回見たきり。

地元亘理町荒浜の花火大会さえも、帰りの道が渋滞するからと、ここ何年も見に行ったためしはありません。


青森のねぶた祭は込み合うと言っても、もう二度と来ないと思うようなものではなく、それは町の規模や人口の違いか分かりませんが、またいつかハネトとして参加するために、また来ようと思いました。

なにより、地元の人たち自らが楽しみ、外部の人間にもこの祭りを見てもらいたいという強い思いと誇りを知って、とても素敵なことだと思いました。
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ジョヴァンニさんは仕事場のみんなに人気です。


ねぶたのおかげで、ジョヴァンニさんと仕事以外の交流が出来て、作業員さんたち皆さん嬉しそうでしたし、ジョヴァンニさんも、思いがけずねぶた祭も立佞武多も楽しみ、作業員さんの家族を知る機会を得て、彼らの素顔を知ることが出来て本当にラッキーだったと話していました。



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2021年11月28日

Strudel ストゥールデール

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色んな種類のリンゴがありますか、私は菓子作りだけでなく、そのまま食べるのでも、一番好きなのは紅玉です。酸っぱいのが好きだと言うことの他に、時期が短くて貴重感があるからでしょうか?なぜもっと作ってくれないのかなと思います。今年は特に、紅玉があっという間に過ぎ去って1回しか地元で買えませんでした。

地元と言えば、我が亘理は苺だけでなく、おいしいリンゴの産地でもあります。アップルロードたる道路も存在し、リンゴ畑が広がっています。青森よりもおいしい、という声も聞こえるくらいです。今日地元の野菜を販売する店へ行ったら、山元町産のレモンが売られていました。レモン好きは嬉しい限りです。菓子作りなどでレモンはよく使いますが、地元の安全なレモンが身近になったら本当に嬉しいです。

ストゥルデールは、オーストリアの菓子として知られていますが、イタリアとオーストリアとの国境、トレンティーノ・アルト・アーディジェ州の郷土菓子でもあります。

いろんな作り方がありますが、私は昔ながらのレシピを使います。バタで舌が肥えた現在人にはちょっと物足りないような感じがあるかもしれませんが、バタたっぷりのアップルパイとは違っているところが気に入っています。

今回は紅玉ではなく、手元にあった王林を使い、レモン汁を振りかけました。

栗の粉で生地を作る方法もあるのですが、またの次の機会に!


<作り方>
オーブン天板1枚分
(私のオーブンは小さいので写真のように馬蹄型に焼きました)
薄力粉130g
水 30㏄
オリーブ油(サラダオイル)9g
卵54g
塩 一つまみ

りんご750g(3~4ケ)
酸味の少ないりんごの場合、刻んでからレモン汁をふりかける。
砂糖60g
パン粉 50g
バタ 30+20g
レーズン 50g
松の実(クルミ)25g
シナモン 小さじ1
ラム酒 大さじ2
レモンの皮 半ケ分(すりおろし)

<作り方>
①ボールに薄力粉と塩を入れ、卵、水を加えて合わせる。次にオイルを入れ均一になるまでよく混ぜる。べたつく場合は薄力粉を10~20gほど少しずつ加えて練ること。ラップをして1時間寝かせる。
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②レーthumbnail_IMG_2778ズンはラム酒を振りかけてしばらく置き柔らかくする。→笊に上げて水気をきっておく。
リンゴは皮を剥いて4等分にして5㎜ほどにきざむ。
パン粉はバタ30gを溶かしたフライパンできつね色になるまで香ばしく炒る。
松の実(クルミ)も単独で炒って刻んでおく。

③ボールに林檎、松の実、砂糖、レモンの皮、シナモンを合わせて混ぜ合わせておく。


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④休ませた生地を縦長に薄く麺棒で延ばす。目安は35×45㎝。この作業を大きな布巾の上でやると、包む作業がしやすいので、是非きれいな布巾の上で伸ばしてください。

⑤残りのバタは溶かしておく。
伸ばした生地の上に溶かしバターを塗り、炒ったパン粉を広げ、その上に③のフィーリングをのせる。
下に引いた布巾を持ち上げながら生地をロールにする。生地が伸びるので、フィーリングはたっぷりでも生地で覆うことが出来るのでご心配なく。両端はフィーリングが漏れないように押さえる。
下にパン粉がくるように天板に置く。(焼いている時に出てくるリンゴの焼き汁をパン粉が吸い取ってくれる)
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私のオーブンは小さいので、馬蹄型にして天板にのせるため、通常よりちょっと細めに、そして長めに生地を伸ばしました。

⑥とかしバタを表面に塗る。200℃で40分焼く。

⑦粗熱が取れたら切り分けて、食べる寸前に粉砂糖を振る。
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友人の石の彫刻家、山中環さんの個展が仙台一番町ライフスタイル・コンシュルジュで今日まで開かれているので昨日行ってきました。
環さんはその昔イタリア語語教室で知り合いました。環さんの作る石の作品は温かみがあって素敵です。
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中には「どうやって作るのだろう?」と石なのに自由自在な形に驚きます。

環さんは暑い日も寒い日も、角田のアトリエで毎日コツコツ作品を生み出していますが、もともと東京の都会っ子です。
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最近の新しいシリーズジュピターは、木星のような美しい模様をした石を使ったオブジェで、ずっと見ていても飽きないです。多くの人がそんな風に安らぎを感じるでしょう。大人気シリーズです。木目のような模様を持つ九州の天草木目という天然石をつかっています。
山中 環 彫刻展 Jupiter – tamaki's stone work (tamaky.com)

彫刻家に聞く「石の魅力とは」vol.32(山中 環氏) | 石材のことが日本一わかるサイト/いしマガ(日本石材工業新聞) (ishimaga.com)
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2021年11月13日

ヴェネツィア、バーチャル街歩き

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今日は尚絅学院大学・地域連携交流プラザ(イオンモール名取3F)にて、「イタリアフェア2021」というイベントを行いました。

生涯学習講座が開かれているこの会場では、11月に入ってから2週間にわたり、イタリアパネル展が開かれていました。世界遺産や食文化などイタリアの魅力を説明するパネルが会場に狭しと並びました。

今日は3時半にわたってイタリアを体験するイベントが開かれました。

thumbnail_ワンコイン講座まず私が、おためしイタリア語講座を行い、8人の参加者の方々とイタリア語の挨拶や、バールでの注文の仕方など学びました。
参加くださった皆さんは真剣そのものでイタリア語に挑戦してくださいました。ありがとうございました!

その後、友人のダビデ・ピッティ氏によるイタリア文化についての講演会がありました。

講演の後にはたくさんの質問が飛び交い、皆さんがイタリアに並々ならない興味をお持ちだということが感じられて嬉しく思いました。

イタリアという国が、古い歴史を持った国で、遺跡や美術作品をはじめ見どころが沢山の観光大国であり、ファッションや車などで知られるように、美しいデザインを生み出す美意識が研ぎ澄まれた場所であること、そしてイタリアの食の豊かさは言うまでもないでしょう。
国が統一してから150年ほどのイタリアですから、地域ごとの郷土料理、パスタの種類は実に多様で、ワインも含め、イタリア食文化の素晴らしさは世界が認めるところです。などなど、ダビデはイタリアの魅力を分かりやすく紹介してくれ、あらためてイタリアの引き出しの多さに、私たち日本人は圧倒されました。
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イベントの最後は、ヴェネツィアと中継を結んだ「バーチャル街歩き」です。協力してくれたのは盆栽愛好家で日本が大好きなジャンニ・トセット氏です。来日する度に私は通訳ガイドとしてジャンニ夫妻を案内させてもらっている関係で、今回の大役をお願いしたところ、一つ返事で引き受けてくれました。

日本時間は16時。イタリアはようやく空が明るくなった朝8時です。
会場の大きなスクリーンには、イベント開始からヴェネツィアのリアルト橋が映し出されていました。

プチイタリア語講座が始まった13時半は、イタリアはまだ朝5時。暗闇にこの美しい橋だけがライトアップされキラキラ輝いていました。

それから少しずつ空がゆっくりと紫色を帯び始め、だんだん空が明るくなる様子を見ることが出来ました。グラン・カナール(大運河)には船一隻さえも通らず、水面が止まっているようにさえ見えましたが、時間の経過とともに、人々が動き出し、次々船が行き交い、町が動き出す様子が感じられました。

下のリンク先では、ライブ・カメラで24時間ヴェネツィアの様子が見られます。
世界のライブカメラ
ヴェネツィア - リアルト橋 [2] | ライブカメラ検索 カメ探 (cametan.com)

ジャンニはレストラン兼バールの経営者なので、店内に入ってエスプレッソやカップチーノを淹れる様子も中継してくれました。入口にはマスク着用を促す紙が貼られ、消毒液が置かれ、床にはソーシャルディスタンスを知らせる立ち位置マーク。日本と全く同じです。

イタリアの朝食はカップチーノと甘いものと相場が決まっています。カウンター越しに今焼き上がったばかりのクロワッサンやデニッシュなどが沢山並んでいます。町の人々が新聞を読みながら、カップチーノを飲み、クロワッサンをかじりつく様子は、イタリアの朝の風景の一つです。

一番上の写真は、2018年ル・カフェにお邪魔した時のもの。ジャンニは左端です。

店の名前は「Le Cafe'  ルカフェ」。フランス語でカフェを意味しますが、昔、奥さんと二人でパリのカフェに入ったところ、コーヒーだけでなく、食事も提供し、また夕暮れにはアペリティフをおつまみと一緒に楽しむ。。。という1日お客さんが求めるものを提供するスタイルは、イタリアの一般的なバールにはないものだったので、「いつかこんな店をやりたいね」と話しあったのだそうです。そういうわけで、フランス語が店名です。

ル・カフェは、サント・ステーファノ広場に面し、その近くにはアカデミア橋があるので、サンマルコ広場から行く場合は、アカデミア橋を目指して向かえば、間違いなくジャンニの店に到着できます。

美の宝庫、アカデミア美術館の前に建つアカデミア橋はヴぇネツィアで唯一の木工で、橋の上から眺める景色が何とも美しいです。その景色の奥には、1600年代ヴェネツィア人口の三分の一が命を落としたほどの猛威を振るったペストがようやく収束したことに感謝して建てられたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の丸いクーポラが見えます。
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「バーチャル街歩き」をする前に、ヴェネツィアの歴史を簡単に説明させていただきました。

ヴェネツィアが誕生する頃のヨーロッパの状況は、あの最大の勢力を誇ったローマ帝国の力は弱まり、東西に分裂していました。そのような不安定な状況を利用して、北からフン族やロンゴバルド族など続々と蛮人が南下してきました。彼らの目的はローマですから、北イタリアに住んでいた住民は、すべてを焼き尽くしながら南下する蛮人を恐れ、ラグーンに逃げ延びました。つまり難民たちが作った町があの美しいヴェネツィアなのです。

ラグーンとは、大陸からの土が風や波によって寄席集まって自然に出来た浅瀬のこと。砂の層の下にはカラント層があるのですが、砂層に杭を打って町を作りました。1平方メートルに10本の杭が打たれているそうで、「ヴェネツィアを逆さまにすると森になる」と言われる所以です。
今でも山から木を切って、筏にして川から運河を辿ってメンテナンス用の杭を調達しています。

ナポレオンが1797年征服時に、「世界一美しい広場」と称賛したサンマルコ広場も含め、アドリア海の女王と呼ばれるヴェネツィアが、何にもないただの浅瀬からスタートしたと考えると、どれだけヴェネツィア人がすごい人たちであるか改めて唸るばかりです。


さて、その後も蛮人たちから襲われる危機はなくならず、ヴェネツィアは東ローマ帝国の支配下でしたが、その東ローマ帝国も力が弱まっていて、とても自分たちを守ってくれそうもない、ならば自分たちで守ろうという考えの下、7世紀末、初めて住民投票が行われ、ドージェ(総督)が選ばれます。ヴェネツィア共和国誕生の瞬間です。

その後、ナポレオンが征服するまで1000年以上にわたってヴェネツィア共和国は続きます。共和国としては世界最長、これはすごいことです!

強調しなければならないこととして、当時からヴェネツィアは最先端のものの考え方をする国だったということ。
ー宗教の自由
ー法の徹底(王族であれば罪を犯しても免れる、というのが当然という時代、王族でも罪を償うという方を徹底させた現在の法治国家の原形がすでにヴェネツィアではあった)
ー香辛料をはじめとする海洋貿易で発展させた。

thumbnail_IMG_0392ジャンニの店のお隣はジュエリー店。しかしその昔は薬局であり、そして1400~500年代は香辛料を売る店だったそうです。ジュエリー店とル・カフェの間には細い道が走っているのですが、その通り名が「香辛料通りCalle Spezie」というのはそのためです。

ジュエリー店前の石畳には、よく見ると、まあるい窪みが3つあります。そのは、香辛料を砕いて調合する乳鉢を置いていた場所だとジャンニは説明します。

石畳は15世紀オリジナル。当時のヴェネツィア人(もしくは世界から来ていた商人たち)がこの石畳を闊歩していたのかと想像しただけで、歴史好きでなくともロマンを感じます。

ヴェネツィアを歩いていると、いくつもの橋を渡ります。橋は小さいのから大きいのとありますが、その下をゴンドラなど船が通るため、半円形をしていて、通行者は橋を渡る度に階段を上って降りなくていけません。
これで分かるように、ヴェネツィアは122の小さな島で出来ていて、400以上の橋が、その島々を結んでいるのです。

今日の街歩きでも、いくつもの階段を上り下りました。そこで会場から質問がありました。
「車椅子の人など、どうしているのですか?」

いくつかの橋には昇降機がついています。以前、仙台の遊園地、ベニーランドにイタリア製造の昇降機を設置するため、イタリア人エンジュニアの通訳をしたことがあり、ヴェネツィアにもいくつか設置した話をしていました。

それ以外の橋ではどうするか?
人々との協力です。困っている人がいたら、地元人も観光客も自然と手を差し出してくれます。私もスーツケースなどホテルまで運ぶのに、橋が何とも厄介でしたが、手を貸してくれる人々のやさしさを感じました。

またこんな質問もありました。
「建物を直す時には、前の同じようにしなければならないのですか?」

ジャンニはもちろんだと答えました。家の中をリフォームをする時、例えばトイレをもう一つ増やすような場合なども、逐一行政に申請しなければいけないのだと話していました。何とも不自由ですが、世界遺産を守るということはこういうことなのでしょう。

ヴェネツィア共和国は、最強の蛮族フランク大国と戦い、勝利を収めたのですが、無秩序状態のヨーロッパ情勢は続きます。そこで考え出されたのが「守護聖人の選定」です。

イタリアの町にはそれぞれ守護聖人がいて、町を守ってくれるという考えがあります。例えば、ローマは聖ピエトロ(サン・ピエトロの遺骨が置かれた大聖堂があるのですから当然)、フィレンツェは洗礼者ヨハネ、ペルージャはなんと3人もいて聖コスタンツォ、聖ロレンツォ、聖エルコラーノ。

イタリアの暦を見てみると、毎日聖人の日も定まっているのですが、面白いのは、守護聖人の日には学校も職場もお休みになります。自治体独自による祝日というわけです。(ペルージャは聖コスタンツォの日のみが祝日です。)

もともとヴェネツィアの守護聖人は聖テオドーロでした。ギリシャ出身の聖人だそうですが、山といる聖人界の中では、あまり位が高くない聖人です。
蛮族たちが恐れをなして手を出せないような位の高い聖人を守護聖人にしたら、ヴェネツィアの存在を精神的に強くアピールできるというものです。

すると、エジプト北部、アレクサンドリアに聖マルコの遺骨(聖遺物)があることを、タイミングよく知ったヴェネツィア商人たちは、それだ!と膝を叩きます。
聖マルコと言ったら、新約聖書を書いた4人の一人。蛮人にヴェネツィアの存在を強くアピールするには申し分のない聖人です。

法王から異教徒との交易は禁止されていたのですが、ヴェネツィアの商人たちはその危険を顧みず、さっそくエジプトへ繰り出し、聖マルコの遺骨を「購入」し、サラセン人たちが嫌悪する豚肉で聖遺物を囲い、「船乗りたちの食糧」だと言って、厳しいチェックをすり抜けました。

聖遺物を手にして帰国した日、ヴェネツィアは喜びに沸いたそうです。なんと痛快な話でしょう。当時のヴェネツィア人が、キリスト教の思想から離れ、自由闊達にものを考えた人たちだったことが、このストーリーではっきり分かります。

さて、船でサンマルコ広場に降り立つ時、二つの高い円柱があるのに気づくと思います。片方はマルコ以前の守護聖人テオドリコ、もう一つは聖マルコを象徴する羽のあるライオンです。二つの聖人がヴェネツィアの入り口を見守っているのですが、ジャンニを始め、ヴェネツィア人は通常この2本の円柱の間を決して通らないのだそうです。

サンマルコ寺院に向かって左側にあるドゥカーレ宮殿は、ドージェ(総督)の住まいであり、行政、立法、司法、刑務所など様々な機能を持った建物でした。運河で隔てられた対岸の牢獄跡とを結ぶ橋は、有名な「ため息橋」です。罪人はこの二つの円柱の間で死刑が執行されていたそうで、そのため、地元民は今でもその間は通らないのだそうです。

サンマルコ広場には、1760年創業で世界一古いカフェ・フローリアンがあります。その昔は文化人のサロンとして、ゲーテ、ディケンズ、スタンダールなどなどそうそうたる文化人に愛されたカフェでした。ウナギの寝床のように奥に続く部屋の作りから、政治家たちが集まって極秘会合をしていたことなど、逸話に事欠かない歴史の古いカフェですから、通常はお客さんで一杯です。広場に面したテーブル席も一杯。世界一美しい広場をゆったり眺めながらコーヒーを楽しむのは人々のあこがれだからです。

今はコロナ禍でもあり、広場のテーブル席もまばら、店内もお客さんは数えるくらいで、チャンスと思ったジャンニは、私たちに見せたい一心で、アポなし突撃。地元民のジャンニだからこそ許されたように見受けました。おかげで私たちは1800年代のままだという美しい室内装飾を見ることが出来ました。天井や壁の壮麗さ豪華さにため息がもれました。

そんな風に、ジャンニの協力の元、1時間のヴァーチャル街歩きは順調に進みました。コロナでイタリアへ行くことがままならない現状が続きますが、こうして皆さんと一緒に、地元民の目線でヴェネツィアを再発見できたことは、コロナ様様です。イタリア好きの皆さんが集い、「行きたくなりましたね」「エスプレッソ飲みたくなった」というイタリアに向けた熱い気持ちで満たされた会場となりました。

実は、ジャンニは前日にも「予行練習」をしようと連絡してくれて、翌日に控えた本番さながらに1時間歩いてくれました。
みんなが喜んでいたよと、イベント後話すと、ほっとした様子で喜んでいました。日本の人々に自分の町のことを知ってもらいたい、という純粋な思いから今回協力してくれて、ジャンニの優しさを深く感じました。


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2018年04月14日

魚の絵描き、ルイージ・ディヴァーリさん

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4月14~24日まで塩竈のエスプギャラリー(本線塩釜駅そば)でヴェネツィアの画家ルイージ・ディバーリさんの作品展が開かれています。

ヴェネツィア湾に生息する海の生き物やたちや漁業法を精密に描くルイージさんの水彩画は学術的にも評価が高いです。

ヴェネツィア湾と松島湾は閉鎖性の強い遠浅の入り江で島々が多く、そこに棲む魚介類もそっくりで、また漁法も同じようなものがなされているという事実はとても面白いです。今回、作品展に合わせて8名の訪問団が来日しました。

コウイカのスルメの絵について興味深い説明をするルイージさん
Chioggia 2018
オープニングセレモニーではミニシンポジウムが開かれ、イタリア国立環境資源保護研究所のオテッロさんが、ヴェネツィア湾の環境や資源、漁業や養殖の歴史について、料理研究家のジャンナさんがキオッジャの郷土料理(魚介料理)を紹介してくださいました。

IMG_1805日本側としては、宮城県の水産技術総合センターの永島所長さんが松島湾の特徴や漁業の歴史などを発表する、というように互いの海に関する情報交換を通して類似点を沢山発見しました。

画家のルイージさんはあと数か月で70歳ということでしたが、目がきらきらと少年のような輝きをしていて、絵画展の80作品を見ながら、絵の説明をしてくださいました。

あわびの種苗センターを見学
IMG_1803実は私は魚の顔を見るのが好きです。動物園はあまり興味がないのですが、水族館や魚市場で魚の顔を見ているのは飽きません。きっと自分の顔にちょっと似ているからかもしれません。


IMG_2431ルージさんの描く魚たちはかわいい。魚の目がきらきらして、「あ!ルージさんの目と同じ!」と思いました。

絵の背景に綴られたイタリア語もとても素敵です。こんな風にサラサラ綴れたらいいなぁと、ルイージさんの書体にも憧れます。

ヨーロッパでは海洋動物の研究は17~8世紀にスタートしたそうで、その当時の学術本から抜き出し写したのだそうです。現代イタリア語とは違った響きがみやびだと言います。

塩釜神社はちょうど桜が咲いてました
IMG_1772実はルイージさんはもともと会社員です。魚釣りは長年の趣味。

彼が子供の頃、ヴェネツィア湾で活躍する漁師たちのほとんどは、20㎞離れているキオッジャからやって来て、5日~1週間は家に戻らず、海の生活をするのが常だったそうです。

つまり、昼間は漁をし、夜はヴェネツィアの運河に船を止めて船の中で寝るのだとか。

えびすや釣り具店にて、日本の道具に興味
深々。店主伊藤さんは絵画展実行委員長を
されお世話になりました。

IMG_1784ルイージさんのお家はヴェネチアの本島にあり、窓下には運河が流れ、そこに船が停泊し寝ている人たちを見て、子供ながらに、「なんてミステリアスな人達だろう!」と、興味をそそられたそうです。

農家の仕事なら、目にすることは度々ある。けれど、漁師は沖の上で、いったいどんな風に働いているのか?すべてが謎に包まれていたわけです。

ヴェネチアの郷土料理といえば「サオール」。
揚げた鰯と沢山の玉ねぎの酢漬けのサオールがモチーフ。

IMG_2432釣り大好き少年へと成長したルイージさんは、海の生き物に大変詳しい漁師たちと自然と知り合いになり、特に高齢の漁師たちが語る経験談は、陸に住む少年が知らない特別な知識がちりばめられ、こういった海にまつわる昔話に飽くことがなかったそうです。

塩竈ですから、裏霞の佐浦さんも
もちろん見学。皆さん酒造り工程に興味津々

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子供の頃からの趣味だった釣り道具が絵を描く道具に変わったのは、50歳の頃のことで、地元の海の環境が急速に変化していたという背景が一番の理由だったそうです。

ずっと昔、彼がお気に入りだった魚や漁師をモデルに、現在とは異なってしまった昔のラグーンや海の記憶を絵の中にとどめ、後世に伝えたいと活動しているのです。



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2016年03月02日

Miyabi盆栽展③

IMG_1391お茶会は、2日間でなんと100人以上の方々に参加頂きました。

盆栽展の1~2か月前、パオロから「お茶のカップはどういうものがいいか?今、ちょうどいい感じの食器が売っているのを見つけたよ」と、店先で撮った白い丼が沢山並ぶ写真が送られてきたりしましたが、お茶の畠山先生は、色々な日本の焼き物を見ていただきたいから、ということで、楽焼や唐津など貴重なお茶碗10ヶ持参して下さいました。

総領事も一服
3お茶会日本文化は「縮みの文化」と言われますが、何でもコンパクトにしてしまうのは、やはり日本のお家芸です。旅先でもお茶が楽しめるよう箱の中にお道具がコンパクトに入った「箱手まえ」をイタリアの方々披露して、その魅力を伝えたいのだと、以前から話していました。小さな箱から、茶碗、茶筅、茶巾、金平糖の入った可愛らしい壺まで次々出てくる様子は、イタリア人でなくとも楽しく、目を引きます。

茶室の準備が整った前夜 
IMG_1402白いテーブルの上でお点前する先生を囲むよう10~13席分の椅子を用意します。どんなに日本文化に興味があるイタリア人でも、やはり正座は拷問でしかありませんから。


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また別の趣向もありました。懐石を伴ったおもてなし「茶事」を説明するため、先生は塗りのお盆、お椀も持参され、白飯、みそ汁、あえ物を実際に盛り付けし、展示しました。そして茶事の様子を壁に映して皆さんに見ていただきながらお茶を召し上がっていただきました。

1お茶会そのあと、椿の葉の上に置かれた一口おむすびと、エスプレッソカップに入れた味噌汁の試食もしていただきました。多くの方がお抹茶も生まれて初めてなら、みそ汁も初めてという人ばかりでしたが、とても好評で、「イタリア人は変わった!」と思いました。

というのも、日本にイタリア人のお客さまがいらっしゃると、日本人側は、茶会の一席でおもてなしすることが多く、そういった場の通訳をさせていただくことが今までに何度となくあったわけですが、10年ほど前のことを思い出すと、イタリア人はお茶会の持つ独特な雰囲気にうっとりと興味を示しながらも、お茶の味、その苦さに顔をしかめ、横にいる私に耳打ちしてくるのが常でした。「残しても気を悪くしないかしら?」

IMG_2276Miyabi 2016, 10パオロの奥さん、ラーラが茶室となった部屋の前でお客さんの数をコントロールしていましたが、出てくる人たちがみんな喜んでいたこと、「癒された」と口々に言っていたことを後で教えてくれました。

先生のゆったりと優雅なお点前やお茶の何とも言えない香りと味わいに、イタリアの日常にはない雰囲気が新鮮で、癒しを感じる方が多かったのかなぁと想像します。

夜遅くまで準備に余念のないスタッフ
IMG_1400日本から参加した皆さんもそれぞれの立場で力を発揮し、また多くの
Miyabiスタッフも遅くまで準備するその情熱、イタリア人と日本人が一丸となって一つのことに向かう姿に感激する私でした。

 




norichetta at 13:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)