ペルージャの大学生活 2005~2008

2008年12月18日

日本にはない空の色

2010 primavera in Italia 072

ついに出発の朝。

実は、昨晩、夜中の3時に眠りについて、今朝は5時起床だったので、あまり寝ていない。スーツケースを20㎏程度にまとめるために、また荷物の整理をしていたためだ。どうして私は要領が悪いのだろう。

 

空港までマルコが車を出してくれた。

チェックインする時には、いつもドキドキする。体重計を使いながらパッキングしたものの、お咎めを受ける可能性がゼロとは言えない。

スーツケースは22㎏でOKだった。無事にチェックインできてほっと一安心。


フィオレッラもやって来て、
3人でコーヒーを飲んだ。フィオレッラとマルコが顔を合わせるのは、正月以来である。私は、大好きな二人に見送られることが嬉しかった。

 

搭乗前の手荷物チェックの列に並んでいると、マルコが、
「順番を待つ間に、ベルトをはずすように」
と言った。

「腕時計は場合によってOKのところもあるけど」

とも言った。

時間短縮のために、準備万全にしておくと良いと説明する。マルコは一般的なイタリア人とは違って細かい。

「君の髪飾りも、念のために外したほうがいいだろう」

間違いなく、マルコの血液型はO型だろう。そう聞いたら、そうだ、という返事。きちんと並ばないイタリア人搭乗客らを怒っていた。

「だって、ここはイタリアだよ」
と私がなだめる始末。 


ゲートに入る寸前に、フィオレッラは、
「好い旅を!」と言いながら手紙と本を私に渡した。彼女の筆跡は理解しにくいものだから、「読めるといいのだけど」
と笑う目が濡れていた。

「日本に着くまでには解読していると思う。」
答えた私の口も震えていたと思う。

 

手荷物のバックを開けさせられて、一つ一つ説明させられた。何のお咎めもなくほっとして、後ろを振り返ると、遠くのほうで二人が見守っている姿が見えた。


私は、無事に荷物チェックが済んだことを知らせるために、
笑って手を振った。二人も手を振り返す。別れが惜しく、いつまでもそうしていると、マルコが、まず自分の腕時計を指差し、それから、私の後ろにある搭乗口を指差した。

「もう時間がないから、行け」

ということらしい。

 

どんな別れになるのか、どんなに胸を引き裂かれるような悲しみに満ちた別れになるのかと、常々心配していたイタリアとの別れだが、この二人に見送られ、私は、不思議と安堵感に包まれていた。

 

飛行機は、時間通りに離陸した。私の席は窓際でなかったものの、フィレンツェを上空から見ることが出来た。そこには美しい澄んだ冬の空が広がっていた。


日本にはない色。

地中海地方ならではの空の色だ。

 

20058月にスタートした私のイタリア滞在は、こうして、ひとまず幕を閉じる。



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2008年12月17日

イタリア最後の夜②

2008 ultimi giorni in Italia 120私は、クラスで一番の年長者だった。もっと早くイタリア語と出会うなり、数年早くこの大学を卒業していたら、と思うことが何度かあった。将来のことを考えたときに、やはり早いだけ、若いだけ可能性があるように思えたから。

 

でも、3年前の私の決断は間違ってなかったのだ。それは、何といっても、彼らと出会えたから。1年でも、早かったら、遅かったら、彼らと一緒に勉強することはなかったから。

2005年に入学したからこそ、私たちは知り合ったのだ。そんなことを思いながら、皆が乗った車が見えなくなるまで手を振り続けた。

 

もう残された時間は少しというのに、まだやり残したことがあった。町へ出て、家族から頼まれていたものを買う。買い終わって時計を見ると7時だ。ドゥオーモでミサが終わる時間。

2008 giuno e luglio 005最後にミサに参加したいなと思い、
マルコに電話をすると、さっき終わったところで、閉館するところだから急いでおいでと言われた。

 

薄暗いドォーモ内は、観光客がちらほらといるばかりだった。教会のいたるところに灯されたローソクの火を消しながら、閉館前に不振なものはないかなど見回りするマルコと一緒に教会内をまわった。


教会の奥に、いつもは鍵がかかった部屋がある。
「特別だよ」と言って、持っている鍵束から一つの鍵を取り出して、私を中に入れてくれた。

 

ここは、豪華王と呼ばれたロレンツォ・メディチが刺客の手から逃れ命拾いをしたことで知られている聖具室である。15世紀の話しだ。
復活祭のミサ中の混雑を狙って、メディチ家のライバル、パッツィー家がまわした暗殺者が弟のジュリアーノを襲った。ジュリアーノはその剣に倒れ、聖具室に逃げ込んだロレンツォは助かった。

 

そんな血なまぐさい話しはおいておいて、それほど大きくはない聖具室の壁三面は、1500年代そのままという木製の聖具入れで覆われ、私はぐるりと見渡した。繊細な木のモザイクが聖書の物語を表している。これら一つ一つが1500年代のままというのに驚く。
入り口右手にある水道と流しは、大理石で出来ていて、水道口に愛嬌ある天使の顔がついている。これも当時のまま。現在も使用可能だというから驚きだ。
イタリアにいると、いったい今が何世紀なのかわからなくなることがある。何百年も前の出来事がついこの間のことのように語られるからだ。

 

わずかな時間であったけれども、大好きなドォーモから最後に贈り物を貰ったような気がして、その美しさと荘厳さに深く感動していた。

 

その後、街の中の本屋でフィオレッラと待ち合わせをしていた。最後の夜なので、フィレンツェの町を歩こう、と約束していたのだ。

アルノ川沿いを歩く。
今日は、風も穏やかで川も静かに流れていた。ホテルなどからのイルミネーションが川に反射して、町が宝石のように輝やいて見えた。イタリアの町は、昼とは別な顔が夜にある。もし旅行などでイタリアを訪れたら、是非夜の町の様子も見ていただきたい。

 

それから、「私たちの胃袋」と呼び合っているサンタンブロージョ市場へ向かう。市場そばに、チブレオ喫茶店がある。チブレオは、有名なレストランで、いつもミシュランに名前が挙がるほどだ。


喫茶店は、その向かいにあり、こじんまりしていて
レストランのような敷居の高さはなく、気さくなスタッフとの会話も楽しい、気持ちのいい空間だ。


ニッキ入りの紅茶とりんごケーキを食べた。
チブレオのケーキは素朴で美味しい。 日本ケーキ屋さんには無関心の私なのに、イタリアのケーキ類には魅せられるのは何故だろう?


そこで私たちは、色々なことを話した。
でも、何について話したかは忘れてしまった。全て大切なことだったような、どうでもよい内容だったような。ただ、フィオレッラと過ごす時間と店の雰囲気がとても心地良かったことだけ鮮明に覚えている。

 



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イタリア最後の夜②

2008 ultimi giorni in Italia 116















昼過ぎに、ペルージャからミケーラ、オリアーナ、
イザベッラ、イーマン、アイメンが高速を走らせてやって来た。

 

またここへきて、荷造りに頭を痛めている。明朝7時には、機上の人になる身であるので、第一、気持ちが落ち着かないから、みんなとのランチは外へ食べに行こうと考えたが、みんなをもてなしたいという気持ちがどうしても譲らず、お好み焼きを作ることにした。

 

昨日頂いたオリーブ油や、本など、ここで増えた荷物をダンボール2箱にまとめ、近くの郵便局へ持っていく。しかし、コンピューターが何かの原因でストップしたという。送ることもストップ。再開を待つにも、皆がやって来る時間。荷物は預けいったん家に戻ってくる。

 

予定通り、ペルージャの友達がやってきた。しかし、再開の時間が来たので、お好み焼きを焼く作業をオリアーナにまかせ、また郵便局へ行く。

運よく、
PCは動き出していた。帰り道、切り売りピザを買って戻る。家では、日本のピザが4枚出来上がって皿に乗っていた。

 

フィオレッラも仕事から戻ってきて、ワインを提供してくれた。椅子がいくつもないので、居間の床に布を敷いてピクニック式にそこに座って食べることにする。

 

わざわざ私のために、2時間掛けて皆やって来たことが私はうれしく、沢山持てなしたかったのに、頭の中が混乱していて、お好み焼きが精一杯だった。

2008 ultimi giorni in Italia 128フィオレッラが、トスカーナの季節のお菓子
カスタナッチョを作ってくれていた。

オリアーナは、彼女の家の前にある私の好きな菓子屋で、ペルージャの菓子ピノッカーテを買ってきてくれていた。これは、言わずと知れたクリスマスシーズンの菓子で、松の実がたっぷり詰ったキャンディだ。

そして私は、クリスマスケーキのパネットーネを提供した。パネットーネは、レーズンなどのドライフルーツを混ぜ込み、シフォンケーキのように高さある型で焼いたパンのような菓子で、どの家庭でもクリスマスには食べられる。

 

2008 ultimi giorni in Italia 127フィレンツェの大聖堂は、毎年クリスマス前にそこで働く職員にお菓子やワインが詰った「クリスマスお年玉箱」をプレゼントすることが習わしらしい。

ドォーモで働く友人のマルコが、その大きな箱を丸まるプレゼントしてくれた。これは、その辺のパネットーネではなく、ドォーモからのパネットーネなのだから、と威張って切り分けた。

 

かつお節やカツ丼、カツカレーなど、「カツ」がつくと、イタリア人の耳には、下がかった響きに届く。細かい説明は割愛させていただくが、もし知り合いにイタリア人がいたら「かつお節」と言ってみてください。きっと喜びます。イタリア人のジョークのほとんどが下がかったものですから。
男子が2人いたこともあって、お好み焼きの上でユラユラしているものが「かつお節」という名前であることを知って、みんな大盛り上がり。チキンカツを作ったときもそうだった。勝行さんやカツ子さんがイタリアへ行ったらどうなってしまうのだろう?サザエさんがイタリア進出する場合は、カツオ君の名前は変えなければならないだろうと思う。

こうして、私たちはお喋りをし、お腹も充分膨れた。


3
時になった。みんなもう帰らなければならない。ピザ屋で働いているイザは、今日も5時から仕事だという。

 

今まで、私の帰国にあたってメソメソジメジメしたことはなかった。皆と別れるという実感がない、というのが本当のところ。フィオレッラのアパートの下に駐車していたので私も見送りに行く。


 
本当にお別れの時が来たのだ。イタリア式に、ミケーラが私をギュッと抱きしめ、

「今まで本当にありがとう。気をつけて帰るのよ。また絶対会おうね。あなたは、いつも私たちの心にいるから。」
と言った。
私は、その言葉に涙が溢れた。その途端、オリアーナもイザも「何で泣くのよ~」と泣き出していた。

 



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2008年12月16日

グラツィアーノと郷土料理

2008 ultimi giorni in Italia 105昼に、フィオレッラの年上の友達、グラツィアーノがやってきて、フレンツェの郷土料理店に連れてってくれた。
このレストランはフィレンツェ名物Tボーンステーキを食べさせてくれる。ブランド牛、キアイーナを使った料理の他、トスカーナ料理各種がおいしくお奨め。スタッフも気さくで雰囲気もいい。

グラツィアーノは、引退する前、
世界中を飛び回るジャーナリストだった。6080年代の日本へは何度も足を運んだようだ。

 

2008 ultimi giorni in Italia 106私たちは、前菜の後、ボッリートという茹で肉料理を食べた。先日プレゼントとしてもらったイタリア郷土料理辞典でボッリートを調べると、ピエモンテ風、ヴェローナ風という具合に、各地にボッリートが存在することがわかった。

 

牛肉の各部位やコテキーノという豚のソーセージが入った銅鍋ごと一人ひとりに供し、パセリで作ったグリーンソースや、唐辛子の利いた赤いソースなど6種類のソースもサービスされ、好き好きで掛けていただく。2008 ultimi giorni in Italia 107茹で汁は、いい味のスープになっている。

 

グラツィアーノは、私が、帰国を喜んでいるのか、それとも残念かなど、次々質問してきた。私は「半々」と答える。私にとってイタリアは第二の祖国と言ってもよい所だ。しかし、日本は自分の国だから、特別愛着があるのは当然だろう。

 

フィレンツェに1年半いた10年前よりも、イタリアに対する気持ちが随分この3年の間で深まったのを帰国を前にして感じる。もちろん、いい加減なイタリアにイライラすることは今でもしょっちゅうだし、油断もすきもないヤツという気がする。


 
有名なフィレンツェ風ステーキ

2008 ultimi giorni in Italia 102しかし、日本の物差しでははかれない奥深い世界がここには存在する。今でも、何故に、イタリアとの付き合いがこんなに長いことになったのか、自分でもうまく説明出来ないのだが、確かに日本にないものがここにはあると思う。

 決して私は、盲目的なイタリア崇拝者ではない。割りあい冷めた目で批判も大いにする。

 

イタリアは、私に色々なことを教え続けてくれている。イタリア語を通して知り合ったイタリア人や外国人との触れ合いで、私の小さな世界が、少しだけ大きくなった。


 
フィレンツェで生まれたと言われるオニオンスープ

2008 ultimi giorni in Italia 103私がそう説明すると、東洋というまったく異文化に、今よりも日本らしい日本だった頃の日本に行き来していたグラツィアーノは、ニコニコと頷いて聴いていた。

 

グラツィアーノは、トスカーナの田舎に家を持っていて、その広大な土地に、オリーブ、葡萄、野菜、果樹園を持っている。もちろん、庭師が通常管理している。
彼の土地で出来たオリーブ油をなんと5リットルも日本へ持っていくように、とプレゼントしてくれた。


 鶏の内臓のソースで和えたパスタ

2008 ultimi giorni in Italia 104オリーブ油好きな私のために、フィオレッラが頼んでくれていたのだが、まさか、5リットルとは!しかも昔ながらに手動で絞ったそうだ。現在は、機械絞りが一般的であるが、手動だと余計な熱が入らないので、より美味しいのだ。

 

本当に太っ腹なグラツィアーノ。日本で味わうのが楽しみ。しかし、どう送ろうか?

 

 

 



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2008年12月06日

フィレンツェで過ごす

賑わうサンタンブロージョ市場

この数日、フィレンツェの生活を楽しんでいる。

と、言っても特別なにかするわけではない。図書館へ行ったり、日本の友人への土産を見たりなど、いつもの生活と殆ど変らない生活が

私には嬉しい。

 

フィオレッラが、残るイタリア滞在中、何をしたいかリストを作ってみたら、アドヴァイスしてくれた

フィオレッラは出来る範囲で、私の希望に協力したいと思っているようだった。たしかに、ポンペイなど行ったことのないイタリアへ

行きたい気持ちはあったが、私は、やっぱりフィレンツェで過ごしたかった。

 

そして、この数日、シエナやヴィアレッジョなど近くの町にも足を伸ばしてみた。

 

2008 ultimi giorni in Italia 113かばん作りに忙しい泉さんとも、町で会ってお茶をした。もう、知り合ってから10年経つ泉さんとの会話は、私に元気を与えるものの一つで、どんなにイタリアが私にとって第二国となっても、同郷人として心を割って話せる人として心のよりどころだった。


泉さんと私は、性格的に等しくはない。
だからこそ、刺激を得ることがあった。マイペースを上手に保つ泉さんは、何かというと、前のめりになる私にとって、バランスを与えてくれる人だ。

 



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