世界報道写真展、ハンガリーのデイストピア憲法

 リニューアルオープンした恵比寿の東京都写真美術館に行ってきました。目的は杉本博司だったんですが、それよりも地下1階でやってる「世界報道写真展2016」の方が良かったです。

 大賞を受賞したのはこのサイトのトップになっている写真です。セルビアからハンガリーに越境するシリア難民の姿。左の男性がハンガリー側で、有刺鉄線の隙間から乳幼児を受け取ろうとしているところです。男性が父親なのか、受け渡したのが誰なのかわかりません。ただフラッシュが焚けない状況なので、月の光だけで撮ったという緊迫感は伝わってきます。男性の表情もいい。他にも森の中で疲れ果てて眠る難民の子どもとか、たまたま隣にいた女性とハンカチを口に当てて声を殺しながら見ました。

 そのシリア難民が入境するハンガリーについて、今月の雑誌「世界」で名古屋大学の佐藤史人准教授が「憲法改正権力の活躍する『立憲主義』」と題するレポートを書かれています。「活躍」というタイトルはたぶん一種の韜晦で、ハンガリーで広がる憲法改正によるディストピア社会についての話です。

 2010年に中道右派などが憲法改正ができる議会の3分の2を握り、次々と憲法改正を行っていく。その内容がメデイアや憲法裁判所といった、政権を監視する立場を弱体化していく改正。ハンガリーの憲法改正は一院制の3分の2だけでできるので(国民投票は要らない)、このような改正ができる。

 そして2011年には「ハンガリー基本法」という新憲法を成立させる。この憲法は野党が「立憲主義が後退する改正に手を貸せない」と国会をボイコットし、国会会期がわずか9日間で成立したという。そこでもやはり、権力の均衡や政府の権力をチェックする機能は薄められた。たとえば市民が法律が憲法違反として憲法裁判所に申し出る制度が廃止になった。ホームレス締め出し政策を違憲とした憲法裁判所に対抗するため、なんと締め出し策を憲法典に組み込んだ。ホームレス締め出しを憲法に書いてある国が他にあるんでしょうか。「違憲の法律の憲法化」というらしいです。

 もちろんEUからは批判されていますが、ポーランドで「ワルシャワにブタペシュトを」のスローガンに掲げる保守政党が政権奪還に成功して、むしろこうした勢いは広がる気配がありそうです。

 詳しくは佐藤レポートを読んで欲しいのですが、連想するのは有刺鉄線をかいくぐってハンガリー側に渡された乳飲み子の運命です。ホームレス締め出しを憲法に書くような国が、イリーガルに入国したこの子に人道的な処遇を与えてくれるのでしょうか……。もちろん爆撃されているシリアに止まるよりは良いのでしょうが、それは「地獄」から「ちょっとだけましな地獄」にいっただけのように思えます。いや、「だいぶましな地獄」なのかな……。

 そんなことを考えるいい機会になるので、「世界報道写真展2016」に足を運んでください。10月23日まで、会期はあと1週間です。

 ちなみにハンガリーのディストピア新憲法は
「ハンガリーの歴史的、民族的背景にこだわり、家族や共同体など集団の役割を強調する」
 ものだそうです。どっかの改憲草案にクリソツです。

憲法の連載を始めます

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今日から「日経ビジネスオンライン」で、「今だから知りたい 憲法の現場から」という連載を始めました。


連載を始めた背景にあるのは安保法制や改憲議論があることはもちろんなんですが、狙いは我々の憲法がどのような機能を実装しているのか、いま改めて明らかにすることです。

憲法はパソコンに例えるならOSです。iPhoneならiOSです。iOSが開発レベルでどのような機能を実装しているのか、ほとんどのユーザーは知りません。今まではそれで良かった。iOSを知らなくても、その上で動くアプリを楽しんでおれば良かった。

しかし今、そのiOSに大幅な改変が加えられようとしています。変わることで何が便利になるのか、どのアプリが使えなくなるのか。それを知るためには、まず今のiOSがどのような機能を備えているのか知らなくてはなりません(OSがバージョンアップして逆に不便になった経験なんて、みんないくらでもあるよね?)。

iOSがバージョンアップして不便になったと感じたなら、Androidに買い換えることができます。あえて古いiOSのまま使い続ける選択肢もあります。

しかし憲法はそうはいかない。変えられると、嫌も応もなく、明日から我々の生活は変わります。我々の生活が憲法に合わせて生きるように強制されるのです。

この連載では、憲法がどのように開発され、どのように運営されてきたのか、関わった、ないしは関わっている、人々の声をすくい上げていくつもりです。

「少年の名はジルベール」を読んで

take
 竹宮惠子さんの自叙伝「少年の名前はジルベール」について、こんな書評を書きました。記事の最後に「多くの啓示を受ける」とありますが、実際、私の本も写真のように付箋だらけです。ここでは記事に納めきれなかった私の感想を。

 「風と木の詩」について著者は「少女漫画の革命」と呼び、みごとそれを成し遂げるわけですが、「革命」とはたたの修辞ではありません。
 竹宮惠子さんは高校生時代にデビューしていますが、徳島大学学生時代、学生運動について知りたくなり、1年間、漫画家を休業しています。その間にさまざまな集会などに参加したり、対話をしたそうです。そのなかで、自分の革命がここにないと悟り、彼女は自らの力で革命を舞台である少女漫画の世界で起こすことを決意する。
 たぶん、当時の学生運動の「革命」のテーマが、彼女の問題意識と重ならなかったのだろうなあ。いま日本でも若い人たちがデモをしたりしていますが、あそこにない「自分だけの革命」を考えている人が今もどこかにいるのかもしれない。そう考えると、なんだがワクワクしませんか?

 当時の少女漫画の世界は男女差別があって、原稿料も印税もなぜか女性漫画家は男性漫画家より低かったそうだ。そのなかで、ちばてつやの原稿料が話題になる。1ページ5万円という価格で、友人たちとの会話が盛り上がるのだが、私は読んでいて、勝手に人の名前を出して大丈夫なのかと思った。しかし巻末の「SpecialThanks」に「ちばてつやプロダクション」とあった。ちばてつやの絵は1枚ももちろん載っていないので、これは恐らく、ここで名前を出していいのか確認したと思われる(ダメなら「大御所」とかになるだろう)。ちば側がオーケーしたということは、1ページ5万円という原稿料も本当なのだろうか。当時のサラリーマンの初任給は4万円程度である。ちばてつや、凄い!
 ちなみにこのころの大流行作家に梶山季之という人がいるのだが、たしかこの人の原稿料も400字で5万円だったと記憶する。当時の大流行作家は1枚がサラリーマンの初任給というのが相場だったのか。今はそんな人はいません(たぶん)。

 「風と木」の構想が編集者に受け入れられなくて彼女が悶々としているとき、友人がこういって励まします。
「編集者は壁なのよ。その壁を越えてボールを向こう側にいる読者に届けなくちゃ」
 「壁」というのは決して肯定的なニュアンスではないのですが、読んでいて私は、「壁」は必要だったのではないかと思いました。
 というのは竹宮さん自身、「風と木」の構想はあるものの、はねのけられているうちに一方でそれを描いていく自分の実力が不足していることに気づくからです。それでヨーロッパに40日間も旅行を断行し、しっかりとフランスの佇まいを自分の目で見てきます。もし「壁」に当たっている時間がなければ、スキャンダルなだけの薄っぺらな作品になっていたかもしれません。
 今も「壁」はありますが、ネットで直接、作品を読者に届ける手段もあります。壁を乗り越えるのでは無くて、迂回する。果たしてそれが良いことばかりなのか、ちょっと考えました。



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