「横浜vs.PL学園」、11年ぶりの増刷

 こんなことがあるんだなと驚いた。
 家に帰ると朝日新聞出版から、「増刷見本」と表書きした本が送られていた。最近はとんとご無沙汰なので、ハテなと思いつつ開いたら、「横浜vs.PL学園」の4刷だった。

 3刷が2007年だから、11年ぶりの増刷ということになる。もちろん、松坂が日本プロ野球に復活して、あんだけ頑張っていることのおかげだ。
 増刷分には、初刷のときと同じ帯があり、そこにコピーが踊る。

《僕にとって、生涯忘れることのない特別な試合です 松坂大輔》

 文章を読んで当時のことを思いだして、涙腺がゆるんだ。

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 「横浜vs.PL学園」は最初は単行本で出して、それが売れて文庫本にする計画になった。その宣伝の帯の文を松坂から貰おうと、2000年の初夏、私と編集者が西武ライオンズまで赴いた。

 文章をもらうといっても、本人に書いてもらうわけではない。すでに西武のエースとして活躍しており、シーズン中である。私がいくつかの文案を用意して、
「松坂さんに選んで貰ってください」
 と広報に託した。

 そのあと、広報から電話が来た。
「大輔が自分で文章を考えたいと言ってるんで、お待ち願えますか」
 えっホンマに!?松坂本人が考えてくれんの!?私と編集者は狂喜乱舞した。いやマジで(笑)

 そうやってきたのが、
《僕にとって、生涯忘れることのない特別な試合です 松坂大輔》
 というコピーだ。素朴だけど、20歳の松坂が真剣に考えた、嘘偽りのない言葉です。
 彼はいつも人に対して誠実な男でした。11年ぶりに復活したコピーを見て、日本に帰ってきてから彼の苦難を思う。お帰り、松坂。

ライター交流会に登壇してきました

 先日、中川淳一郎さんからお声がけしていただき、「ライター交流会」というイベントで登壇して来ました。趣旨と内容についてはこちらでレポートが読めます。

 もともと私はライター同士の飲み会とか交流会はあまり好きではない。若いころに参加した飲み会は傷のなめ合いと出世した同業者への悪口。そして酔いが回った先輩からのいいがかりみたいな説教。赤い顔しながらしたり顔で説教垂れる中年男の醜さといったらない。
 そもそも私はフリーライターの魅力のひとつが「一人でいられること」だと思っているので、知らない人(自分の興味の無い相手)と積極的に集まって話をして何が楽しいのかわからない。また最近のwebライターの方たちはタレント的というか、「テキスト版YouTuber」みたいな感じで、私がしてきたライター仕事とはずいぶん仕事が違う。

 そんなわけで若干引き気味だったのですが、来場参加しているライターの方たちと少しずつ話をして、見識が改まりました。これは現代の「編集部機能」を担っているのだなと思いました。
 若いころはよく編集部に遊びに行きました。X編集部のAさんと打ち合わせが済むと、同じ編集部のBさんと喫茶店で無駄話をして、隣のY編集部のCさんと将棋を指したり。そういう無駄の中で最近読んだ面白い本とか、ムカつくニュースなどの「情報交換」をしていた。通りすがりに耳に入ってきたベテランライターの電話取材の下手さにホッとしたりもした。
 最近はwebメディアと名のつくところがやたら多いですが、たぶん、物理的な編集部を有しているところは少ないのではないかと思います。いや、編集している部署も机はある。でもそれは編集スペース的なもので、私がいわんとする編集「部」ではない。訪れた人間が誰でも座っていいソファとか山積みされた読み放題の雑誌とか、なによりちょっと暇こいた編集者がいない。ライターさんと打ち合わせも近所の喫茶店で1時間話をして、ハイよろしくね、ではないだろうか。
 紙メディアの衰退は、ライターと編集者の場としての機能を持っていた編集部の消失につながっていると思う。交流会でちょっとした意見を求められたり、相談されたりして、「これは昔の編集部とそっくりだな」と感じた次第です。

 自分が学んできたものが「消失」していると感じたのは、昨年、若いライターさんに原稿の書き方をアドバイスしていたときだった。私は今あるウェブメディアでデスクの真似事をして、外部のフリーライターさんにお仕事をお願いしている。恐縮ながら何回も書き直しをお願いすることも多い。その中のある方に、メールだけのやりとりでは心許ないので会社に来て貰った。モニターにその方の原稿を写しだして「この一文は紙でOKだけどスマホ向きにこうなります」と目の前で書き直したり、構成についてノートに図を書いて説明した。要はおっきいところから小さいところまで全部ダメ出しをしているわけで、指摘しているこちらも辛い。
「だいたいこんな感じなんですが……」
 と説明を終えて、「怒ったかなー」「ショック受けてるかなー」とビクビクしていると、その方の第一声に驚いた。目をらんらんと輝かせて、こう叫んだ。
「面白い! こんなこと教えて貰ったの、初めて!」
 それを聞いてホッとして嬉しくて、少しせつなかった。しょせん私がアドバイスすることなんて、今まで編集者さんから聞いてきたことの受け売りである。いまはそういうことを誰も教えてくれないんだな。

 かつてあった場がもうないのなら、敢えてそういう場所を作り出すしかない。ちょっと偏見があったライター交流会ですが、今回の機会をいただき、気づきを得られました。ありがとうございました。




白湯と私

最近よく、「どうやってフリーライターで30年も生き残ってこられたんですか」と訊ねられる。同世代の有名ジャーナリストの友人たちは社会的なイシューなどについて感想を求められることが多いようだが、私の場合は生き残ってきた自分史だ。
 別に拗ねたり卑下しているのではない。むしろ当然かも、と思う。
 有名ジャーリストの場合は、彼の名を社会に知らしめた著作があり、メディアでの活躍があり、それがゆえに生き残ってこられたのである。生き残って当然の人たちだ。私の場合はそんな華々しい経歴はない。ジャーナリストですらない。そんな平凡でどうやって生活も仕事も不安定なこの業界を30年も続けてこられたのか、同業の若い人ならなおさら聞きたくなるだろう。
 そうやって生きて来られた理由を訊ねられるたびに、これは何かで見たことがあるぞと考えていて、やっとわかった。 
「ご長寿インタビュー」だ。90歳を超えたぐらいのお年寄りに、インタビューアーが笑顔で「健康の秘訣はなんですか?」と聞くあれだ。現役時代に人目を引くような成功したわけでもなく、ただ普通に長生きしてきたことを賞賛され、突然マイクを向けられる人たち。業界の端っこで生きてきた私と似ているといえば似ている。
 ただ私を悩ませるのは、問いに対する私の回答がつまらないことである。ご長寿のお年寄りの「規則正しい生活をして、毎朝、白湯を飲む」並みのことしかいえない。相手は「へえ」と言いつつ、目に明らかに失望の色が浮かんでいる。ここで「若いときは毎日スクワットを300回して」とか「秘伝レシピの梅酢を飲んでる」みたいなことをいえば多少は盛り上がるだろうが、そこまで話を盛れない。というか、そんなことをやっていた人なら業界のもっと真ん中に近いところを歩いているはずで、スクワット300回やっていた奴が業界の端っこというのは矛盾を招きかねない。
 というわけでこれからも私は長生きの秘訣を聞かれると、
「白湯飲んでる」と答えるだろう。ちなみに私にとっての白湯とは読書である。
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