それでも、永山則夫が好きだ

死して尚、人々を狂わせる永山則夫(…といっても、狂わせられてるのは一部の人だけど)

永山則夫土下座同窓会プロジェクト~反省=共立運動のメンバーの皆様、お元気ですか?~

55


死刑存置派はよく、永山則夫の死刑を肯定するネタとして、「永山は接見室で人を土下座させる奴だった」とか言いますが…永山が土下座を求めた件については、デマではなく本当のようです。(いやね、死刑存置派の書くネタにはデマも混じっているのですよ…)


2015年頃でしょうか…私がネットで初めて“永山が人に土下座を求めた”という話を見かけたとき、私はかなり驚いた。「一体、どういう奴なんだ」と思った…。でも…永山の土下座ネタを聞いたり読んだりし過ぎた私にとっては、上のイラストを書くほどの余裕が出てくるんですけど…。でも、元永山支援者や永山ファンの中には上のような表現が不快に思う方もおられるかも…。(私は、皆に、永山に親しみを持ってほしいと思ってるんですけど…

ちなみに私は永山ファンであって、永山教信者ではないのです。永山の意見で賛同できないどころか、嫌悪してる部分もあるし、皆が騒いでいる永山の欠点についても把握してるつもりです。

たまに、死刑存置派からネットで、「永山は生前、こんなことを言っていたそうだな!」と、怒られますが…私としてもね…永山氏の意見全てに賛同してるわけじゃないので、つっかかられても困るのですよね…


永山の思想というのは…『ブルジョア社会が貧困層を生み、その貧困層が犯罪者になっている。よって、犯罪の責任はブルジョアたちにある』という思想だったんですね(私の解釈が間違っていたらすいません私は頭悪いから、こういう説明が限界なのだ)。そして、その貧困層、及び犯罪者を永山は、「ルンペンプロレタリアート」、略して「ルンプロ」と呼んでいました。
なので、「ルンプロではない一般市民やエリート層(接見しにくる弁護士)」「自分の支援者なんだけれども、自分の思想がよく理解できてない支援者」に対して、永山は土下座を要求していました。永山に対して土下座をした弁護士もいるのですが、土下座をしなかった弁護士のほうが多かったと思う。

お互い

 永山の土下座エピソードについては、直接、永山を支援していた方から聞いた資料を元に過去記事で詳しく書きましたが…永山は相手に土下座させるとき、永山側も座って土下座し返していたんですね。そして、その事実は、あまり世間に知られてません。

また、永山は全ての接見者に土下座を要求したわけではないそうです。土下座を要求しなかった人たち(獄外者)もいるし、また、あまりに永山が怒っている相手については、永山側は、土下座返しをしないこともあったそうです。ネットに情報が流れているように、獄中結婚した永山の元妻、Kさんも、永山から土下座を要求されています。これはデマではなく、事実のようです。


 



【その2】永山則夫の死刑執行は、『飛び級執行』ではなかった

01死者はまた闘う【その1】から続きますが…
ここでは、永山元支援者の武田和夫さんからいただいたご説明を載せます。(【その1】で書いた私のつぶやきだけだと、どうも説得力が…

ここでのテーマは、『永山の死刑執行は本当に飛び級執行だったのか?』『“酒鬼薔薇事件を起因とする「少年法」批判の世論をなだめるために永山則夫の処刑を利用した説”が正しいのか?』です。







02

以下、武田さんからのご説明とご意見です。


・再審請求中        13名
・第二次を準備中       2名
・共犯者の確定が遅れている人 2名
・精神疾患が認められている人 1名

それらがいずれもない(永山を含めた)4名が執行されたことが一目瞭然です。

そして、「事件後何年か」を見て下さい。再審請求を一度もしていないのに、事件が永山則夫より古いのは確定が5番目に古い袴田巌氏(再審請求中のまま現在釈放)までさかのぼらなければなりません。「早すぎた!」と言い募る人は、その29年間を闘い取ってきた永山則夫の闘いを無視しているのです。

 大道寺氏以降の再審請求はすべて、死刑廃止運動関係者から出されたものです。完全無罪主張が少なくなっていることにご注目下さい。無実でなくても死刑を不当とする再審請求が、次々に出されるようになっていったのです。


・「酒鬼薔薇事件を起因とする「少年法」批判の世論をなだめるために永山則夫の処刑を利用したのか」

・「永山則夫を処刑するチャンスとして、酒鬼薔薇事件後の、少年事件への風当たりの強い状況を利用したのか」

私は後者だと思うし、『文藝』を編集したA氏も私の話を聴いて「そう思う」と言っていましたが、それが主要な問題なのではありません。現実に執行が「早すぎる」とは言えないものだったのです。だから後者も、必然的な結びつきがあるとはいえない。ただ永山則夫の場合はいろんな反響を考慮して、「この機会に…」と多少早めのあの時期に執行した、ということはありうるでしょうが、30年かかってやっと執行にこぎつけたのを「少年事件に対する断固たる姿勢」と言えるかどうかは疑問です。しかしそれよりも問題は、死刑事件にかかわっている弁護士が、順番から言ってもそろそろ危ないことに気付かない筈はなかったのに「早すぎた!予想してなかった!」と《なぜ》言い出したのかということです。

死刑廃止に係る弁護士、活動家なら「知らない筈はない」ということです。私が示した死刑確定者の資料は「死刑廃止フォーラム90」で編集している「年報死刑廃止」に、毎年掲載されていて、弁護士も活動家も皆見ているのですから。

公安事件や死刑事件の救援対策の連絡センターである救援連絡センターが、永山氏の再審をやれないかと私に言ってきたのがその年の5月でした(このことは「死者はまた闘う」に書いています)。そのとき私は「弁護団はどうしているんだ」と訊きましたが、返事はありませんでした。


再審請求なんてそうすぐ右から左に出来るものではありません。事件の内容や弁護士の体制にもよりますが、あの当時私が上告審から支援していた死刑囚がいて、1987年の確定でしたが、密室で兄と二人で犯行を犯し、自分が「主犯」で死刑、兄が無期刑というもので、「主犯ではない」ということを立証しようとしたのですが難しく、確定後六年目でやっと再審請求が出せましたが、数か月遅かったら執行されているところでした。それでこの人はその後十四年もちましたが、一回の請求でそれだけ執行されなかったのは上告審で頑張ったからだと思います。しかし2007年の初めに請求を棄却された後、第二次請求が間に合わず、77歳の高齢で執行されてしまいました。それでも「何をやっていたんだ」と非難する人もいました。「再審請求」とはそういうものです。(念の為言っておきますが、「再審請求」が認められて再審が行われるのは、無実主張の場合(それでも困難ですが)以外はほとんどありません。だから請求が生きている間は通常執行されないということで、辛うじて執行を止めているのが現状です。)

確定から7年間何もやっていなかったのは、永山氏が言い出すのが遅かったということはあるかも知れませんが、精神鑑定請求は「死刑回避の為に残された唯一の手段」と言って、本人の意思に反して提出したはずです。確定後は再審請求が「死刑回避のため」のほとんど唯一の手段です(恩赦出願は本人にしか却下通知が行かないし、「再審請求はできない」とみなされる恐れがあるので危険である)。

永山則夫が処刑されたあと、堰を切ったように多くの言葉が、発言が巷に氾濫しました。こんなに多くの人が彼のことを考えていたのか。ではなぜ彼らは助けるために動かなかったのか。それは彼の側にも責任があったと思います。しかしこんなにも多くの…。それはすごい違和感でした。

その喧噪の中で、「早すぎる!酒鬼薔薇事件で少年法が問題になっているときに、『少年事件に厳罰で臨む!』というキャンペーンに利用されたのだ」という木に竹を接いだような議論がなされるのを、私は権力に下駄を預けた「責任回避」「アリバイづくり」としか思えませんでした。勿論、私に彼らを非難する資格はない。しかしこのままだと《永山則夫》は二重、三重に「抹殺」されるのではないかと思いました。(武田さんからのお話は以上です。ありがとうございました



【その1】永山則夫の死刑執行は、『飛び級執行』ではなかった

※この記事は、永山元支援者である武田和夫さんから教えていただいた情報・資料を元に記事にします。

永山則夫にまつわる噂や報道1つに、こういうのがある。

「永山則夫が死刑になったのは酒鬼薔薇事件犯人逮捕直後であった。
永山よりも先に死刑確定していた囚人は沢山いた。飛び級執行されたんだ!
永山の死刑は、未成年犯罪者に対しても厳罰で臨むというデモンストレーションに利用されたのだ」


私も上の噂を信じ、過去記事に、その噂や報道をそのまま書きました。
しかし、私の調査・認識不足だったようなので、その訂正の意味も含め、解説と検証を書いて行きます。


 
【以下、解説と検証】

永山は死刑確定後、7年と8か月、一切再審請求をしていませんでした。いわゆる『丸腰』状態でした。

では、永山則夫が死刑になる1997年8月1日時点で、“永山より先に死刑が確定していた人達”は、どういう状況だったのか?それを一覧表にしたものを以下に載せます。


02


詳細に書くと…

①再審請求中は13名
②全部ないし一部で無罪を主張する再審請求が棄却され、再度の請求を準備中が2名
③精神疾患のため長期にわたって執行を見送られている人が1名
④共犯者が93年(4年前)に確定している1名
⑤共犯者が無実を主張し無期懲役になった1名(確定から8年)
【『年報死刑廃止』’97年版より】

以上のうち①③14名は現状では、ほぼ間違いなく見送り、②⑤⑥も結果的に事情を配慮して見送られた。「再審請求中は見送る」という法の条文はないのだが、“判決に異議を唱えている”のであるから、条理上、当然となる。それ以外の3名が皆永山氏と共に執行されたのであり、結果としてあのとき、永山氏より前に確定し、何の事情もなく執行されなかった死刑囚は一人もいない。

永山の死刑確定から執行までは7年8か月。
前年1996年に執行された6名は8年3か月(2名)、8年2か月(2名)、8年(1名)、6年10か月(1名)(月単位で計算)。
1997年に彼と同時に執行された3名は、8年10か月(2名)、7年9か月だった。

結論として、「永山則夫の死刑執行は早すぎた!飛び級執行だった!」という意見は、おかしい、ということになる。

【その2】で、永山元支援者の武田和夫さんのご意見を載せます。(私の意見だけだと、説得力がないので



(その2)大谷恭子著【死刑事件弁護人】…“死刑確定後にすぐに再審請求すると危険”は本当か

(その1)から続きます。

【上告審後、大谷弁護士がしばらく永山(被告)に会いに行かなかったのはどうして?】
『死刑事件弁護人』P.205に、
死刑に差し戻しされてしまった上級審の後のことが書かれています。
「私は、しばらく面会に行けなかった。《略》一番つらいのは本人なのだ。元気をふるいおこして会いに行ったときは、もう秋になっていた」

2fd113e4


>「私は、しばらく面会に行けなかった。《略》一番つらいのは本人なのだ。元気をふるいおこして会いに行ったときは、もう秋になっていた」

これは、初めて読んだときもひっかかったのですが…
自分の担当の被告が『死刑』に差し戻された後、担当弁護士が、しばらく、まったく被告(永山)に面会に行かなかったというのは、どうなんだろう?って思って…。
少年事件の被告が一度、無期懲役になれたのに、また、死刑に戻るなんて、“人として”ものすごく、大谷さんは落ち込んだんだとは思う。でも、担当弁護士がしばらく被告を避けてしまうというのは、プロとしてはまずかったんじゃないかと…。そして、大谷さんが、久しぶりに永山(被告)に会ったら、「生きたいと思わせてから殺すのが、お前らのやり方か」と、突然、永山が怒っていたそうですが…唐突すぎる展開なんですよね。
「大丈夫、僕は死なないよ」と、上告審直後に冷静だった永山。それが、突然、理由もなく、おかしくなってしまったかのように描かれている。人が怒りだすのは理由があると思うし、そこが、この著書では曖昧なのが気になります。
(私個人、少し思ってしまったのが…大谷さんは、弁護士としてというよりも、人として、生理的に永山に会う気が起きない別の理由があったのかな…)

そして、“精神鑑定書がどう”とか、“永山がCIAのスパイがどうとか言って、めちゃくちゃになりだした”って書いたら、まるで、『永山が理由なく癇癪を起す精神病者であった』と、読者らに思わせてしまうんじゃないかなって(私も、以前はそう思ってました。堀川報道の影響もあって)。堀川惠子報道で、“虐待された児童の脳の変形(海馬の委縮)”のことが紹介されていましたが、それもあいまって、ますます、永山は、“思想家ではなく自伝小説を書くのが上手な狂人だった”という印象を持たれるような気がする。
児童虐待・貧困問題は今も現在進行形で、児童虐待被害者であった永山を通じその問題を伝えるのも無論大切なことなのですが…生前、永山が伝えたかったことは、“貧乏ゆえ、兄からボコられておかしくなった悲劇の子→家族から虐待されなければ幸せに暮らせていた”という、個人の家庭事情の範疇に収めることではなく…彼の『思想』の方だったんじゃないか、と思います。



【改訂版「それでも彼を…」では、どう変更されているか】

「死刑事件弁護人」の改訂版が、「それでも彼を死刑にしますか」なのですが…

6944e23


旧版の『わからない執行の順番』の章は、改訂版では、『ある朝突然に』になっています。
旧版とどう違うのか、以下、抜粋します。

【それでも彼を死刑にしますか】P.161より抜粋
----------------------------------------------------------------------------
『ある朝突然に』
1997年8月1日、永山君は東京拘置所で絞首刑に処せられた。死刑の執行は、その本人にも、家族にも事前に告知されない。死刑確定者にとってその執行は不意に訪れる。もちろんいつさてもおかしくないものとして毎朝(何の根拠か執行は必ず朝行われる)、執行のためのお迎えが来ることにおびえる。その時間が過ぎて、やっと今日一日の生か許されたことがわかる。

一昔前までは、少なくとも前日には家族に告知され、最後のお別れができた。しかし、今では、死刑執行書が拘置所に届けられても拘置所はひた隠しにし、死刑確定者が本日執行と聞いても暴れないように周到な準備をする。

人は二度死ぬ。一度目は肉体が死に、二度目は忘れられて死ぬ。死刑の場合はこの逆である。まずは忘れられて殺され、そして、最後に肉体が殺される。誰だって友達がたくさんいて、毎日、にぎやかに面会に来る人を突然処刑するのは嫌だろう。死刑囚本人も生に執着するし、悲しむ人が多ければ社会的にも問題になる。
だいたい執行がしにくい。

死刑の執行は本人が死を従容として受け入れる状態になっていなければ、やっぱりやりにくいのである。結局、死刑確定者を外界から隔絶することは、これもひとつの死刑の執行なのである。徐々に殺していく―これが言い過ぎならば、自分が社会に忘れられ、死にゆく存在であることを受け入れさせ、肉体の死を受け入れるための死の重要な準備段階なのである。
永山君は決して忘れられていなかった。永山君も社会に関わり続けようとしていた。しかし、これを閉ざし、絶とうとする極端な外部交通の制限によって、一時的に身柄引受人がいなくなった。その間隙をねらわれた。

一般に、死刑が確定したのち、どの順に執行されるかは明らかにされていないが、法務省刑事局が事件記録と処遇記録などの全記録にあたり、会議にかけて決める。決定の基準は、再審の可能性、恩赦の可能性等、総合的な判断によるということだけしかわかっていない。この会議が7月中旬に法務省刑事局でもたれたことはわかっている。ここで、何か議題となり、話し合われたのか。

永山君はまだ再審請求していなかった。
しかし、執行の3週間前の7月10日、遠藤弁護士に対し、身柄引受人の相談とあわせて「再審請求するうえでの問題点を相談したい」と手紙を出したところだった。永山君も遠藤弁護士も再審請求の準備に入ろうとしていた矢先だった。法務省は、再審請求がいまだされていないこと、そして近いうちに再審請求が出されることを知った。

---------------------------------------------------------------------------
抜粋以上

旧版の『わからない執行の順番』と比較すると、かなり略されています。
でも、旧版の内容を訂正します、という記述も特にありません。



【おまけ】
私は、大谷弁護士がどの様なご活動をされているかは知っています。「余計なことを書いて大谷弁護士をいじめるな!」って、大谷さんのファンから怒られるかもしれない。
永山の死刑確定後の再審請求、大谷弁護士が介入しようと思えば、できたのかもしれませんが…介入する気にならなかった理由があったのかもしれないなあと思ったりしてます。なんとなくですが…永山の性格に対して、苦手意識か何かあったのかなと…







(その1)大谷恭子著【死刑事件弁護人】…“死刑確定後にすぐに再審請求すると危険”は本当か

この記事の内容は、【その1】永山則夫の死刑執行は、『飛び級執行』ではなかったとかぶった内容になります。

大谷恭子著【死刑事件弁護人】(1991)について、どうしても私がひっかかったことを重ねて書きます。
09698829

【死刑事件弁護人】P.226より抜粋
---------------------------------------------------------------------------
『わからない執行の順番』

永山君の死刑が執行された当時、54名の死刑確定囚がいた。このうち17名は、永山君より先に刑が確定している。
一般に、死刑が確定したのち、どの順に執行されるかは明らかにされていないが、おおよそ確定した順と考えていいだろう。
法務大臣のサインから5日以内に執行されることは先に触れたが、法務大臣が勝手に選んでいるわけではない。法務省刑事局が事件記録と処遇記録などの全記録にあたり、会議にかけて決める。決定の基準は、再審の可能性、恩赦の可能性等、総合的な判断によるということだけしかわかっていない。この会議が7月中旬法務省刑事局でもたれたことはわかっている。ここで、何か議題となり、話し合われたのか。

永山君より前に死刑が確定した17名の中で、一番古い人は1970年の確定であり、すでに27年経っている。20年以上が四人、10年以上が6人である。
法務省によると、判決の確定から死刑執行までの平均期間は、この10年では8年11ヵ月だという。永山君の場合は、確定から7年3ヵ月目の執行だった。
死刑囚の中には、確定後も無罪を主張し、長く再審請求をしている人もいる。再審中は死刑は執行されない。永山君はまだ再審請求していなかった。

一般に死刑事件の場合、最終審を担当した弁護人が再審を依頼される。
冤罪事件であれば、すぐにでも再審を請求する。しかし、再審は難しい。永山君のように結果は間違いないが罪名が違う、というような場合は、なおさら困難になる。

要するに、執行されないように再審を請求するということになるのだが、再審が棄却されたとき、執行の可能性が一番高くなる。とすると、早く出しすぎると、かえって危ないということになる。もちろん、これらははっきりしたことではない。
しかし、死刑事件を担当した弁護士は、再審請求があまり早すぎないように、しかし、絶対に遅すぎないように気をつかう。 

永山君は、7月10日、遠藤弁護士に対し、身柄引受人の相談とあわせて「再審請求をするうえでの問題点を相談したい」と手紙を出したところだった。確定から7年、永山君も遠藤弁護士も再審請求の凖備に入ろうとしていた矢先だった。 法務省は、再審請求がいまだされていないこと、そして近いうちに再審請求がされることを知ったはずだ。
----------------------------------------------------------
抜粋以上

しかし、以上の記述、死刑囚支援をされたことがある方から話を聞くと、「あれ?」って思わざるをえない記述なんです。


02



大谷弁護士の記述について、疑問に思った部分を【1】~【5】に挙げていきます。

【1】“一般に、死刑が確定したのち、どの順に執行されるかは明らかにされていないが、おおよそ確定した順と考えていいだろう”
と大谷弁護士は述べているのですが…再審請求中であったり、再審請求準備中であったり、精神疾患持ちであったりすれば、確定した順番通りに執行されないんですよね(再審請求すれば絶対に死刑を見送られるという補償も100%はないのですが)。

【2】“法務省によると、判決の確定から死刑執行までの平均期間は、この10年では8年11ヵ月だという。永山君の場合は、確定から7年3ヵ月目の執行だった”。
と、述べていますが…なぜ、死刑廃止派の弁護士さんが法務省(敵)が公表してる平均期間の情報に、のほほんと頼ってしまうのか、というのも疑問だし…“8年11か月も時間があるから”と、法務省の誠意を信じて(?)、7年以上も再審請求しないでいたというのも、おかしな話だと思う。
確定して2~3年で死刑執行されてしまう可能性だってなくはないわけで…常に“権力は何してくるかわからない”と、緊張の糸を緩めないのが、“死刑事件弁護人”じゃないかなと思う。

【3】大谷弁護士は、再審請求準備に、どらくらいの期間かかるのかを書いてくれていない
大谷弁護士の言い方だと、「8年11か月時間があるのだから、7年目くらいで再審請求を考え始めた永山は、遅かったというわけじゃない」というようなことを述べています。
しかし…そもそも再審請求準備とは、どれ位の期間で終わるものなのでしょうか?それを、司法にド素人な我々読者はまったくわからないのですよね…

獄中者各々によって違うと思うのですが…
秋山芳光死刑囚の場合、再審請求準備に6年かかってしまったそうです。
ですので、永山がもしもそれくらいかかったかもしれないと考えると、永山も、悠長なことをしてないで、死刑が確定してからすぐに再審請求準備に入るべきだった、ということになります。死刑囚支援をされた方の話によると、「早く出し過ぎない様に調整している弁護士なんていません」とのことです。だから、「死刑事件を担当した弁護士は再審請求があまり早すぎないように、しかし、絶対に遅すぎないように気をつかう」という大谷氏の意見は、おかしいということになります。

さらに、秋山死刑囚の支援をした方は、こう述べてます。
『秋山さんの場合、その再審請求が棄却されるまでに13年かかっているのです。こんなに長く据え置かれるのもめずらしいが、おそらく私がついてからの上告審で上告趣意書の補充書を何通も出して頑張ったこと、最高裁の弁論段階で期日を職権で指定(弁護人の都合を聞かずに裁判所が一方的に指定する)されたが、弁護人が辞任し、‘86年の三件連続弁論延期につながり、そのあとついた弁護団も早期期日決定の抵抗するなどがあったので、慎重になったのだと思います。しかし「第二次再審」の理由がなかなか見当たらず、弁護人が動かないので私が申請書作成を試みましたが間に合わなかった。逆に法務省は77歳であっても、この件は必ず執行するという姿勢だったのだと思う。』


【4】“一般に死刑事件の場合、最終審を担当した弁護人が再審を依頼される”。
基本的にそうらしいのですが、絶対に他の弁護士が再審請求に参加できない、ということでもないそうです(これも死刑囚支援をされた方から聞きました。)
著書の中に、「私の辞任後、後任(遠藤誠弁護士)に永山は任せたのだから、私が口出しするのはかえって失礼」的なことが述べられていましたが…自分が担当していた被告のことを全然気にかけないで7年以上過ごしていたというのも違和感を覚えます。だって、“永山は有名人である”と大谷さん自身が著書に書いてるのに、そんなに気にかけないものなのだろうかと。
また、大谷弁護士は、永山のことを7年以上放置はしていましたが、永山が処刑された後、すごく積極的に迅速に行動されたというのも違和感を覚えてしまうんですよね…

追記:
弁護士が裁判の担当を外れた後、「次の新しい弁護士もついたのだし、その被告に二度と関わってはいけない」という慣習(?)はないそうです。前主任弁護士が『顧問』として、被告に関わり続けることはできるらしい。でも、大谷弁護士や鈴木弁護士らがそれをしなかった、というのは…何か理由があると思う。


【5】“結果は間違いないが罪名が違う、というような場合は、なおさら困難になる”
「罪名が違う」ということは、再審理由は分かっていたのですね。(再審理由がない、という以外は困難さを言っていてはきりがない)。
第一、第二の事件は殺意がなかったから「殺人」ではなく「傷害致死」。第三、第四の事件も、「強盗殺人」ではなく「殺人、窃盗」だと主張は出来る。


【なんで大谷弁護士は著書にあんなことを書いたのか】
私が問題に感じたのは…
・“死刑確定後、再審請求はしばらくやらないように被告にアドバイスするのが弁護士の間では常識”
・“確定後、死刑が執行されるまで9年近くあるから、7年目くらいまでだったら確定死刑囚は何もしないで過ごして大丈夫なんで…”
と、読者たちに思わせることを、“死刑事件弁護人”の大谷さんが本に書いちゃったことです。
死刑制度問題に疎い読者達は真に受けたと思います。私も当初は真に受けたので。

で…なんで、大谷弁護士は、あんなことを書いたのかっていうのを考えてみたんですが…
当時は本当にそう思って書いてたのかもしれないんですけど…
私個人、“大谷氏は、永山の最終審担当弁護士・遠藤誠氏を庇うためにああいうことを書いたのかな”って思ったんです。
参考:永山裁判主任弁護士総勢23名リスト


要するに、同業者を庇ったというか…
言い変えると、自分含めた弁護士界全体の至らなさを隠蔽したというか…
“自分達弁護士には非はなく、法務省が悪いんだ”ということにしたというか…

遠藤誠弁護士(故人)は、永山の最後の担当弁護士で、彼は帝銀事件の担当で有名な人で、『超ダメ弁護士』ってわけではなかったと思う。しかし、遠藤弁護士も「飛び級執行された」と主張してるんですね(【増補新版 永山則夫 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)】参照。)
さらに、遠藤弁護士は永山則夫著書【華】の後書きに、「権力は、永山君がせめてこの『華』を完結するまでだけでも、生かしておいてくれてもよかったのではないか。普通のスピードどおり、あと10年後位に執行したとしても、そのために日本の国家権力の屋台骨がゆらぐということもなかろう」と述べている。…それは、「権力を信じてたのに…ひどいや!(T-T)」って言ってることになるのですが…“権力!”って言ってるってことは、一応、法務省を敵とみなしてる反権力系思想の方だと思うのですが…そんな人間味がある“権力(?)”だったら、今頃、日本の死刑制度は廃止になっていたような気がします…

また…もしも彼ら弁護士達が、「永山の死刑執行は早すぎた!」と言って、永山の死刑執行反対のポーズをとり、さらに説得力をつけるためと、自分達の至らなさを隠すために、「国家権力は永山の死刑を利用し、未成年者でも厳罰で臨むというデモンストレーションとして利用したんだ」と拡散し、それが“国家権力に威厳を持たせる”という結果となってしまっていたら、皮肉だと思う。

長くなったので、(その2)に続きを書きます。




プロフィール

繊細居士

記事検索
カテゴリー
最新コメント
  • ライブドアブログ