実家がハワイなので、よくハワイ生まれだと思われてしまうが、私は広島生まれである。もっとも、うちの両親が私の「メイド・イン」活動をどこでしたかは知る術もないが、出荷された場所は間違いなく広島である。私の祖父母は原爆手帳の保持者だった。つまり原爆のグランドゼロから4.5km以内の半径にいたということだ。子供の頃からいつも原爆が落ちた時の話を聞いて育ったので、原爆というのは常に身近なテーマだった。

生まれて三ヶ月でロンドンに引っ越した時から、私の変化が激しい人生が始まっている(笑)。父親は海外転勤の多い銀行マンだったのもあるが、私はこれまで14回引っ越している。学校は平均して約一年に一度変わっている。高校だけでニューヨーク、東京(ASIJ)、ハワイと変わっている。

正直5歳より前の記憶があまりない。それで私の明確な記憶は5歳の時に、武蔵小金井に引っ越した頃からである。小学校に上がった頃には、ロンドンと英語の記憶は無いに等しかった。だから私にとっての海外生活は、9歳の時のロスアンジェルスへの引越しを皮切りにスタートしている。それに続いて、アーバイン、サンディエゴ、トーランス、ニューヨークへの引越しが続いている。

ちなみに、私としては日本とアメリカの文化の両方を理解しているつもりだ。よく海外長いから日本文化を理解してない!といわれがちだが、別にそんなわけではない。理解しているがあえて横においているだけの話。当事者の感情論も大切だと思うが、同時に感情先行型のリスクも重々承知している。よって常に相手の感情を優先させることが、必ずしもその人のためになるとは限らない、といううえでの判断である。
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