2019年11月09日

14才

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案山子堂

 おじさん三人でスタジオへ。

 中学三年生のときにバンドを組んだわけである。
 今思えば、人前に立って何かやろうと思ったのはそのときが初めてなわけだ。
 
 事の発端は竹村忠臣の家からドラムが出て来たことに始まる。
 親父さんが猪俣公章氏のお弟子さんか何かだったんだな、確か。

 せっかくドラムが出て来たんだからバンドをやろうみたいな空気になった。

 そこにバスケ部レギュラーで生徒会役員で成績もトップクラスだったコースケ君が加わることになるのだが、バスケ部の幽霊部員で不良寄りで成績最下位の俺と彼との接点はなんだったんだろうと思い返してみると活字と洋楽だった気がする。

 割と熱心に練習していて、中三の土日は竹村君の家でバンド練習していた思い出しか無い。

 今考えてみると滅茶苦茶なのだが、住宅街の真ん中の当然防音設備も整っていない竹村の部屋でドラムもアンプもガンガンに鳴らして練習していたのに苦情も無かったなんて(あったのかもしれないけど)のどかな時代、のどかな地域だ。
 
 竹村曰く、100メートルくらい離れたところにある床屋の親父から「段々上手くなってきたな」と言われながら髪を切ってもらった、とか。

 受験生なのに週末をバンドに費やしてしまったため、俺とコースケ以外のメンバーはどんどん志望校のレベルを落としていったのを覚えている。
 コースケ君は涼しい顔で地域トップの高校に合格していたけど。
 俺は最初から偏差値38の地域最低高校に行くと決めてたから落としようが無かっただけ。

 あれが14~15歳のときだから24年も前になるのか。

 竹村はそのままプロのドラマーになり、俺は演劇屋さんになり、コースケ君は学者になった。

 それぞれ人に教えることなんかもやっている。
 教えることは自分が学ぶことであるというのはジャンルを問わずなのだなぁと二人と話していて思った。

 とりあえず当時コピーしていたブルーハーツをやってみようと音を出してみる。
 カラオケでも歌わなくなってしまったブルーハーツなのに身体が覚えているのね。
 歌えた。
 不思議だった。
 そして楽しかった。

 定期的にやろうということで話がまとまり、課題曲を決め、LINEグループを作った。
 目下の目標はおじさんバンド大会みたいなのに出場すること。
 ひとりプロがまざってるけど、まあ良いべ。

 帰り道、14才って偉大だなって思った。
 今の俺を形成しているもののほとんどは14才の時に出会っている。

 リアルよりリアリティ。




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