2012年02月08日


ドドドドドドドドドド〜!


屋根の雪が落ちてきた、と思いました。

信じて疑わないというのは、恐ろしいものです。

ずいぶん雪が屋根にたまっていたからなぁ、しかし、それにしても長いなぁ、と思っていて、しばらく地震であることに気がつかなかったのでした。


「あら、地震かい」

と、確信を得たのは携帯が久しぶりに緊急地震速報を受信した時でした。



その瞬間にチビ姫1号を抱き寄せていました。

そして、テレビをNHKに切り替えました。

震度5強。

震源地の特定がない。

津波は?



なにを恐れていたかといえば、娘の嫁ぎ先が海のすぐそばで、津波がおきたらひとたまりもない場所にあることでした。

それだけが気がかりでしたが、おかげさまで「津波の心配はない」とのこと。

これでひと安心。



それから、あちこちから心配するメール、電話がきました。

携帯は平常通りつながっておりましたが、家の電話の方はつながりにくい状態だったと、かけてこられた方がおっしゃっておりました。



地震のとき、本当に地鳴りというのがあるのですね。

あれは地震によって屋根の雪が落ちた音だ、と思っていましたが、外を確認すると屋根の雪は、震度5強にもかかわらず、落ちていなかったのです。



つまり、あのドドドドドドドドドド〜! という音は、地鳴りだけの音だったのでした。

なんとも恐ろしい音、いまも耳に残っております。



ご心配、おかけしましたが、一同、全員無事です。

猫好きのチビ姫1号などは、寝床で
What`s michael?」を読んでいる、と思っていたら、いまや虫の息、爆睡しております。



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 22:41│コメント(4)トラックバック(0)この記事をクリップ!

2012年01月26日


都合の悪いことはなかったことにしたい、とだれしもが思う。

しかし、どれだけ強く念じ、思っていても、そうは問屋が卸さないのが、下々の構成する実社会というものだけれど、権力をもつ者たちは、そうではない。

バレバレになっていても、しらばっくれる。

そりゃ、ウソだろ、とだれしもが思っても、

「そんな事実ありません」

と言い張れば、通るのが権力という魔物の威力。



福島第一原発の事故以後、政府は事実を隠ぺいしていると指摘され続けてきた。

もちろん、権力を握った民主のカン違い総理、ドジョウなノダ総理、

「隠ぺいなどない。なにしろ未曾有の、想定外の…」と、のらりくらりとごまかし続けてきたけれど…。



NHKが原子力災害対策本部の議事録の公開を求めていた。

それに対して政府は「議事録はない」との回答。



ほら、ほら、ほら…。

ウソだ、とだれしも思っている。

間違いなく、隠ぺいしているってことは、誰だってわかる。



当時の官房長官、エダノは、ああいえば、こう言うのだ。

「危機管理対応で議事録を取る場がほとんどなかったのが実態だ」



中央の役人はむろんのこと、ムラのお役人さんだって、メモとらずして役人にあらず、というぐらいメモこそ仕事と思っているのが役人、それこそ役人根性。

なぜか、といえば、責任が自らに及ぶことがないようにメモだけは作成しておくのが、役人の心得、つまり保身の術のイロハのイ。



よしんば、エダノが言うように「危機管理対応で議事録を取る場がほとんどなかった」としても新しく建設されて間もない立派な官邸、その中にしつらえてある対策本部に録音の装置がないなど、あり得ない、と、だれだって思っている。



それでも、あのプクとしたエダノ顔、まさにしらばむくれる厚顔ぶり。

「記憶に基づく証言が求められる」というけれど、都合の悪いことは記憶にはないのだから、口裏合わせをしたうえでのそのような証言から作成される議事録など意味も価値も、まったくない。



つまり、カン、ノダの民主政権幹部ら、政権維持のために役人に大きな借りをつくった。

その結果として役人の言いなりにならざるをえないことは、ボンクラ頭で考えてもわかる。



役人の中の役人、官僚の中の官僚と自負もしている財務官僚に、こう脅される。



「消費税アップ、やってくださいよ、さもなくば、あの議事録を…」



こうして消費税増税への道筋がつくられ、ノダ、必死の覚悟で突っ走っているノダ。



官僚の手のひらでの裸踊りのノダ民主に対して、タニガキ自民、本気で解散総選挙に追い込むおつもりなら、なぜ、この議事録問題、さらには、大量の住民を被曝させた放射能予測装置スピーディのデータ隠し問題を徹底的に追及しないのか…。

ついでに言えば、大手新聞、テレビキー局のマスコミも、なぜ本気で追及しないのか…。

要するに、いずれも原発ムラの住人であり、弱みをがっちり握られて、三すくみの状態。



あほらしくてノダ民主の「政局より大局」だの、タニガキ自民の「今国会は解散総選挙に追い込む」なんて話、それを報じるマスコミのしたり顔、まともに見られないし、聞いてもいられない。



ここまで政党政治が堕落、財政が悪化すりゃ、次はファシズムに近い政治を熱望するのが、歴史のならい。

ハシモト大阪市長の昭和維新の会なるものが、それ。

これに、新潟県のイズミダ、愛知県のオオムラ、名古屋市のカワムラ、そして、強烈な東京イシハラがつけば、次の総選挙、大躍進するのは、およそ見当がつく。



人材がない、なんて話は無用。

ファシズムとは、たった一人で政治、大衆を動かすのだから、トップさえ、間違いを起こさなければ、あっという間に、あらゆる難題はよい方向に解決していく。



ただし、権力というものの恐ろしさ、ヒットラー、スターリン、かのキム一族を見るまでもなく、見事に大衆を踏みにじり、完膚無き恐怖政治を展開させること、ゆめゆめ忘れてはならない…。


 


 



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 15:26│コメント(2)トラックバック(0)爺の時事 │この記事をクリップ!

2012年01月20日


12
日目あたりともなると、1つの勝ちがひどく重みを増してくるから、立ち合いの変化は多くなる。

勝ち越しやら優勝がかかってくるから残りの対戦相手を考えれば、ここはひとつ何が何でも勝ちにいかねばならない、と思うのが人情。

 


と、わかっちゃいるけど、やっぱり文句のひとつやふたつ言いたくもなる。

「金返せ!」とはテレビで見ているのだから言えないけれど、もし高いチケットを買ってみていたとしたら、叫びたい相撲が2番。

(本当は3番…、勝ち越しのかかった朝赤龍が最初にやった)

 


優勝争いに直接影響する把瑠都・稀勢の里の大関対決、そして、白鳳・日馬富士の横綱大関対決、いずれも立ち合い変化であっさり勝負が決まってしまった。

1勝をせしめ、連勝記録を12にのばした把瑠都に対して観客は、

「カ・エ・レ! カ・エ・レ!」コールの大合唱。

急ぎ足で花道を下がった把瑠都、通路で待っている付き人に向ってニヤリと笑った。

本当に、エストニアに帰っていただきたい、と本気で思った。

 


さて、驚くのは「カ・エ・レ!」コールの後の、白鳳・日馬富士戦で、日馬富士が立ち合いに変化したこと。

あれだけの罵声を浴びせられた後、大関の日馬富士が立ち合いに変化するとは、誰も考えてはいなかったろうと思う。

もちろん、白鳳だって考えていなかった。

だから、日馬富士が変化するや、横綱は一直線に土俵を飛び出していった。

そして、しばし、茫然と観客席から土俵を見上げていた。

 


ひっかかるのが悪い、という見方、これも当然。

技として認められている以上、まったく反論の余地もない。

にもかかわらず、このウップン、どこにぶつけたらよいのか…。

 


じつは、八百長問題が起きて改善を求められていた頃から、勝ちにこだわる相撲が増えることを懸念していたから、当然の流れかとも思う。

ガチンコ相撲が多くなり、熱戦が増えたと喜んでいるムキもないではないけれど、熱戦といったって余裕のない力にたよった相撲ばかり、以前のような技のせめぎ合いは消えた。

 


「横綱以外、技のある人がほとんどいない。把瑠都にいたっては、まわしの切り方もわからない」
と、誰だったか、解説の人がおっしゃっていたが、その通りだと思う。

そして、これまた解説の舞の海は、
「地元、青森では貴ノ浪と舞の海の真似だけはするな、と教えているらしいですよ」
と、笑いながら言っていたが、こうした個性、技を持った力士が少なくなるのも、やむを得ない。


だからか、モンゴルの時天空の足技だけがやけに光る。

この人と対戦する力士、こわがって前へ出ていけないから、相撲が、じつに妙な形になるけれど、みている側はたいへん楽しめる。


技のある力士というのは、たいがいクールに決めるから、困ったことに無気力相撲のようにみられがち。

安美錦などは、まさにそうで火花散る熱戦の中にあって影が薄くなってしまう。

 


ちょっと前まではモンゴルの旭鷲山がいたが、この人もどちらかというと何を考えているのか、何をするのか、わからないタイプ、土俵に上がっただけで眼をはなすことのできない存在だった。

だから対戦する相手も立ち合いで猪突猛進なんか、もっての他の論外、仕切りをやっている頃から相手の動きをしっかりと見て、出方をさぐらねばならない。

そうやって仕切れば、当然、緊迫感はただようのだ。

 


結局、例の八百長問題が大騒ぎされ、やる気むき出しで熱戦を見せろと、そういう流れができたおかげで、観客無視の勝った負けたの相撲が多くなるのは当然。

 


心・技・体…。

体あって、技・心なしでは、相撲を見限らねばならない、と言いたくもなってくる。



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 15:29│コメント(0)トラックバック(0)大相撲 │この記事をクリップ!

2012年01月12日



10年前の今日、わたしは札幌にいた。

網走から特急列車に乗り、札幌駅近くのホテルの一室に荷物を置き、そのまま北海道最大の歓楽街ススキノへ…。

和服のよく似合う女将の仕切っている小料理屋のカウンターで小鉢やら刺身をつつきながら、日本酒をしこたま飲んだ。

そこからバーへ行った。

ショット売りの店だったが、飲みっぷりを見たバーテンはボトル1本をわたしの目の前に置いた。



翌朝、二日酔いというより酔ったまま千歳空港へ向かい、新潟行きの飛行機に乗った。

新潟空港に降り、船で佐渡に着いた時も、まだ酔っていた。



どれだけ飲んだろうか…。

明確な記憶はない。

が、幸福の一日だったと記憶している。



札幌へゆく前日、わたしは網走で飲んでいた。

友人たちと飲むと、かぎりがないほどの量を飲むことになるが、数日の間、たっぷり飲んだ。



網走へゆく前日、わたしは富良野で飲んでいた。

カメラマンと一緒だったが、彼は先にホテルに戻った。

しかし、わたしは、一人残って飲んだ。

酒のせいか、吹雪だったせいか、見渡す限り真っ白な世界、ホテルへの方向を失って、店の人に送ってもらった。



富良野へゆく前日、わたしは新宿で飲んでいた。

4軒ほどハシゴをした。

翌日、酔いの残ったまま羽田から旭川空港へ向かい、富良野に入った。





10年前の正月、わずか1週間ほどのことだったが、どれだけの酒の精がわたしの肉体を通過して、脳をとろけさせてくれたろうか…。






 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 23:08│コメント(2)トラックバック(0)身辺雑記 │この記事をクリップ!

2012年01月05日



あちこちで初競りが行われたというニュースが流れている。

築地市場では269キロのクロマグロが、なんと5649万円で競り落とされたという。

ご祝儀相場とはいえ、史上最高値を記録、1キロあたり21万円なり。

釣り上げた漁師、ホクホクだろうなと思っていたら、同じくテレビを見ていた妻が例によってケーハクなる知ったかぶり。



5649万円! すごい、あれ、オオマグロでしょ」



青森県・大間産・クロマグロ、略してオオマグロでいいか、と聞き流したけれど、言葉というもの、やはり、しっかりと表現しなければならぬな、と胸の中であらためて確認。



というのも、福島のある漁港市場での初競りでは、放射性物質に汚染されていることから漁を自粛、地元の魚介はゼロだった。

この状況について漁業関係者が、ある言葉を使ってコメントしていた。

その言葉は…。



「風評被害」



これはあきらかに言葉の使い方に間違いがある。

風評被害なんかではないし、だいいちこの言葉は、消費者がまるで加害者であるかのような言い方。

原発事故以後、この言葉を耳にするたびいち消費者であるわたくし、犯罪でもおかしているような気にさせられ、じつにいやな気分になる。



「市場にでているものは安全」

と言ってきた政府。

しかし、市場に出回っていた牛肉や、安全宣言を出した米が汚染されていたのだから「風評被害」であるはずがない。

言葉の持つ意味をしっかりと考えずに口に出す、あるいは記すことは、政府、権力の側の思うつぼ。

「風評被害から福島の農民を守るために福島産のものを食べましょう」

というスローガンをうのみにすると、あまりにも危険。

しかし、このスローガンに記号といっていいような言葉がつくと、たちどころに取り込まれるのが人間。

その記号的言語…。



「絆」



これ、最高級に大切な言葉なのに、気軽に乱発、誰もが口にするおかげで、その重たい言葉がしだいに軽くなり、しまいには、犬が鈴の音を聞くとよだれをたらすごとく、肉体、脳にしみ込んでいく。

しかも、新党の名称に使用されるにいたっては、言葉の意味すらわからなくなる。





先の戦争では、「欲しがりません 勝つまでは」のスローガンを国民に強いた。

同じく「鬼畜米英」と憎しみを煽ったけれど、敗戦後の日本にとって鬼畜のアメリカは「最高の同盟国」になった。

北朝鮮だけではなく、日本であれ、アメリカであれ、国家というもの、平気でウソをつく。



「冷温停止」

「原発事故は終息収束」



悪い冗談かと思うほど、平然とウソをつくのだ。



言葉というもの、使うのも、受け取るにも、充分に気をつけなければならぬのだよ、みなさん。



オオマグロなんてのは、どっちでもいいけれど、ね…。




 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 16:28│コメント(2)トラックバック(0)爺の時事 │この記事をクリップ!

2012年01月01日

 

大晦日、元旦、いずれも同じ一日に過ぎないのに、なにやら特別な意味を持たせたがる傾向がありますが、かく言う、わたくしも、その通りでありまして、悪夢のような年、2011年が終わり、ようやく新しい年がやってきたとの思いがたいへん強うございます。

 

2011年は、忘れたい1年でありますし、忘れてはならない1年であったと思っております。

個人的には、あの大震災の直後のことでしたが、インパール作戦という凄惨な戦いに赴き、奇跡的に生還された岳父が、他界されました。

よって新年といえども、静かな元日を迎えております。

 

しかし、生命の鎖は確実につながっていて、新しい命である4人目の孫が誕生したのも、昨年のこと。

こちらは、大震災以前、2月20日のことでした。

先の3人の孫が姫でしたが、4人目にして男子でした。

おとなしく穏やかな男の子で手のかからぬ乳児でしたが、近頃は、ほふく前進するようになり、眼が離せなくなっております。

 

先の3人の姫たちが、細やかに面倒をみながら、いじくりまわすでしょうから、硬派丸出しの男の子にはなるまいと思っております。

むしろ、お化粧をほどこされたり、ドレスを着せられたりして、オネェ系になるのではとひそかに心配しているところ。

そこを父親であるムコ殿も、心配しておられるのか、娘たちにはよだれを垂らさんばかりにアマアマなのに、まだ乳飲み子の息子には、

「泣くな! 男なんだから泣くな!」

と、厳しくやっていると聞いております。

 

わたくし、ムコ殿との付き合いは、まだ6、7年というところなのに、彼の涙を何度見たことか…。

自分を棚に上げておかないと、子供の教育、躾など、おこがましくてできないということも、わたくし、よく知っておりますゆえ、詳しくは書きませんが、ま、よく泣く男だなと、そういう印象を受けております。

 

正月の3日には、これらのファミリー、一堂に会しておごそかに新年を祝うつもりであります。

 

というわけで、新年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

はい、新しい年になりましたゆえ、ブログの更新も、(できるかぎり)頑張ります…。



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 17:10│コメント(2)トラックバック(0)身辺雑記 │この記事をクリップ!

2011年09月16日


すっかりのご無沙汰、みなさん、お元気ですか。

わたくし、お盆を過ぎた頃から気分は秋に突入しておりましたのに、この暑さ、いつまで続くのでしょう。

こういうのを「酷残暑」というのだそうですが、心と肉体のバランスをうまくとれず、げっそりです。

といっても、気分は早々と秋になっておりましたので、食欲はまったく落ちないのでありますが…。


というわけで、そろそろ涼しい秋を迎えますので、ブログの方も、しっかりと更新してまいります。

といっても、わたしのお約束なんてのは、民主党のマニフェスト並みで、実現なぞ、誰も信じてくださってはないと思いますが…。



それにしても、時は留まることを知らず、流れておりますね。

あの大震災から早くも半年が過ぎました。

あの瞬間から時は止まったように感じたものですが、過ぎてみれば半年、本当に速いものですね。

しかし…。

「復旧、復興に全力を尽くす」

と、お偉い方々はおっしゃっておりましたが、時の流れとは正反対に「全力の復旧復興」の方は遅々として進んでいない様子が、「あれから半年」と銘打ってのテレビ特集番組を見るまでもなく、わかるというものです。


その象徴的なフレーズが、これです。

「まるで死の街だった」


こう発言されたのは、前の経済産業大臣の鉢呂さんですが、すかさず、「不適切な発言」という理由で辞任、というより実質の更迭でした。

こういう仕事はじつに速いのですね。


「死の街」は正しい表現だと、わたくしは思います。

人のいない街、人の住めない街なのですから、相撲用語を使うまでもなく自力で回復することのできない「死に体」なのです。


にもかかわらず、「除染」という言葉を政府はさかんに使って、それが済めば元通りになるような錯覚を与えています。

実際、この12月に全村帰還宣言を出した村まで出ていますが、間違った情報だからこそ間違った判断を下してしまうのは当然。

なにより完全な除染など不可能なのですから。

田畑ばかりではなく、山林も大量に汚染されています。

実際、天然のキノコは、とんでもない量の放射線物質によって汚染されて、出荷停止、採取禁止と政府は言い出しております。


したがって家の周りを除染したところで、裏山の樹木も汚染されているのですから、安心して住める状態ではないのですね。

樹木を切り倒し、山を削って…、気の遠くなるような作業をしてもなお放射線物質はなくならないのですから。


そういう事態であることを正しく速く伝え、今後10年、20年は住めないのだと明確に知らせることこそ、大事。

それによって住民の方々にできるだけ早く今後の人生設計を考えてもらうことの方が「正心誠意」というものです。


ところが、エダノ新経済産業大臣、福島の原発推進派でありながら被害者のような顔をしている知事に向かって、

「不適切な発言」だったと前任者の鉢呂さんの言葉をあげつらって陳謝したのは、怒りを通り越してお笑いぐさ。


このエダノこそ、「不適切な発言」「不適切な判断」を連発した人物です。

事故直後、アメリカが80km圏外へ避難、と正確な指示を出していたのに、エダノ官房長は「ただちに健康には…」「万が一のことを考えて3km圏内は避難」「万が一のことを考えて10km圏内は避難」さらに「万が一のことを…」と30kmまで広げ、さらに「自主的避難」だ、「計画的避難」だなどと言いくるめ、妊婦、子供たちらを含む大勢の住民を被曝させた張本人。

この方、カン違いしたまんまのお方とともに、国民の生命財産を限りなく危うくした犯罪者です。


こんな人間が、鉢呂さんの「死の街」という正しい表現を、不適切だったと陳謝するなんてのは、あまりにふざけております。


要するに、脇の甘いといえば甘すぎる「脱原発派」の鉢呂さんが経済産業大臣になっては困る人たちがいて、その魑魅魍魎に闇夜でバッサリ切られた格好なのです。


ついでに言うけれど、鉢呂前大臣の発言問題で大騒ぎしているマスコミに向かって、ドジョウ総理、なぜ言わなかったのか。


「いいじゃないか、人間だもの」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2011年06月22日

「被災者のことを思えば、政局なんかやっている場合じゃない」

とテレビ新聞各社は “正論” を吐きながら、政局の行方を詳細に長々と報じている。



「被災者のことを思えば、政局なんか報じている場合か!」

と罵りたくなるけれど、テレビ新聞をながめているわたしは、ただの傍観者…。



          ※



「なぜ菅総理が辞めなければいけないのか、よくわからなくなってきました」

と、あるコメンテーターが言っていたのは、読売テレビ系のミヤネ屋の番組だったか。

テレビが本気で被災者のことを思っているならば「真実」を報じなければならないけれど、大事なことは報道しないどころか、かつての「大本営発表」なみの腰抜けぶり、権力を監視しているとでもいいたげに政局をダラダラと語っているだけだから、「なんで菅総理は辞めなければいけないでしょうね」となる。



本来、政治家が権力闘争を展開するのは、本能、むしろ、それが仕事であり、ごく当たり前の行為。

カン違い総理が、一国のリーダー、最高権力者としていい仕事さえしていれば、自民も公明も不信任決議案なぞ出す必要性もなかった。

けれど、時間が経つにつれ、原発事故における初動ミス、情報の隠ぺいによって原発周辺の住民に大量の放射性物質を被曝させていたことが、判明。

このことだけでも国民の生命を守るという最大の使命を持つ最高権力者としての資格を失っているのだから、不信任は当然の流れ。

それを政治家として脇の甘い“友愛のハトさん” が、ペテンにあってカンおろしに失敗したのは、いかにも無念、これで復旧復興、原発事故収束もさらに遠のいてしまった。



という話をテレビがしっかりと調査して報道していれば、「なぜ菅総理が辞めなければならないのでしょうね」というコメントは出てこない。



          ※



カン違い総理、オカダの幹事長ら党執行部を前にして、こう言ったとされる。

「(再生可能エネルギー法案)成立は自分自身の政治生命に関わる」

この方、被災者のことはそっちのけで、自分の政治生命を重視しているのだから、本当にお話にならない人だ。

党執行部のひとりが、こう漏らした。

「菅総理が逆噴射した」



          ※



再生可能エネルギー法案、その背後にソフトバンクの孫正義がぴたりと貼りついていて、よもや新たなる利権と、うがちたくもなる。

なにしろ、福島原発事故以後、再生可能エネルギーについて、与野党含め、反対するモノなどおらんのはわかりきったこと。

したがって、そんなことは原発事故の収束と避難者のケアに全力を尽くしてからの話。

そこに政治生命などという言葉を使うというのは、ただの延命とみられてもやむを得ない。

ついでに言うけれど、国際がん研究機関(IARC)が、携帯電話の電磁波は発がんの危険性がある、と発表したけれど、こちらの対策は、どうなっているのやら、孫さん。

それを詳細に調査、報道しないテレビ、新聞は、ここでも大量の広告がモノを言っているか。



          ※



カイエダの原発安全宣言もしかり。

こんなことを許すのは、テレビが大スポンサーの電力会社によって骨抜きになっているからで、どこが安全なのか、しっかりと調査報道していただかねばならぬ。

見直したのは、大阪のただの駄々っ子だと思っていたハシモト知事。

「そんなに安全というならば、カイエダ大臣以下、経産省の役人、原発のそばに住めばいい」と言ってのけ、溜飲の下がる思い。



          ※



最近、反原発を40年にもわたって主張し続けている小出裕章さん(京大原子炉実験所助教)が、電力会社及び政府の言いなりだったテレビ、大手新聞の既存メディアに登場して「真実」を説明してくれる機会が増えてきた。

それまでは「御用学者め!」と罵倒したくなるような人間ばかりにウソを語らせていたのに、小出さんを登場させることで、なにやらアリバイ作りに入った様子。

この小出さんのおっしゃること、事故発生の頃からインターネット上での解説に注目していたけれど、予測がピタリ、ピタリと当たり、それは恐ろしいほど。

今回の汚染水浄化処理にしろ、線量が高すぎてすぐに装置がストップする、と言っていたら、やはりフランス製がわずか5時間で止まり、続いてアメリカ製もストップ。



俗物の代表のようなカン違い総理と比較にもならないけれど、小出さんの誠実な話し方を聴いていると、高潔な生きざまが感じられ、こういう聖なる人が存在してくれたことを奇跡のようにも思える。

 


(リンクしているのは小出さんの発言をまとめたブログです。ぜひ、聴・読してください) 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 02:25│コメント(2)トラックバック(0)爺の時事 │この記事をクリップ!

2011年06月17日

 

ウンパンマンとしての仕事を終え、デニムのエプロンをしたままセルフサービスのスタンドでガソリンを補給していたら、眼の前を娘の旦那、つまりムコ殿がトボトボ歩いていた。

ちょうどお昼時で、昼休みに入ったのだろう。

 

お互いに気がつき、こちらは手を上げ、あちらはニヤリとした。

そして、彼は、こう言ったのだ。

 

「こんなところで、油売ってるんですか?」

 

ふだん無口であまり余計なことを言わないムコ殿、うまい冗談を言うもんだな、と妙に感心した。

 

          ※

 

ムコ殿に会ったことを娘にメールで知らせておいた。

「たまに気のきいた冗談も言うんだな」

と書き送ったら、こんなメールが返ってきた。

 

「家では、冗談と下ネタしか言わないよ。あと小言(笑)」

 

          ※

 

ついでに妻にも、「油売っているんですか?」とムコ殿から言われた、と報告しておいた。

妻はツボに入ったらかなりの笑い上戸のくせに、冗談の通じない回路もそなわっていて、この時は、そちらの回路に入ったようだった。

 

「油、買ってたんでしょ? ガソリンスタンドで」と怪訝そうな表情で言ったのだ。


ああ、また違う回路か、なんでわからんだろう、というイラダチを抑えて、説明する。
「油を売るって、サボっているという意味もあるの、知ってるだろ?」


「…、あっ、そっか、冗談か〜。なるほどね、うまいじゃん」

 
冗談を解説しなければならないのは、じつに疲れるもんですな…。



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2011年06月07日

 

カン違い総理、退陣への道筋、あまりにもみっともない。

言った、言わない、の水かけ論風のやりとり、悪あがきにしか見えず、一国の総理大臣たるもの、身内から詐欺師、ペテン師呼ばわりされるに及んで、万事休す、の醜態。

これならば「ボクチン、や〜めた」の方が、まだ潔かった。

と、過去を懐かしむ気分、これまた危うい。

自民党の長年にわたっての善悪とりまぜての所業、良くも悪くも、そのツケがドサッと回ってきた時、間が悪いことに民主の政権、だった。

しかも、さらに間の悪いことにカン違い総理ときたもんだ。

 

その自民党と、原発事故における国民の生命を危険にさらして情報隠ぺいを行ってきた民主の幹部連、必死になって「大連立」の大花火を打ち上げては、メディアの反応、様子眺め。

アホ丸出しのテレビ、次の総理はダレソレ、ダレソレとさかんに下馬評やっているけれど、大連立のウラに隠された陰謀ともいえぬ、ミエミエの策略をあえて報じず。

表向きの理由、一致団結しての復興。

といいつつ、本当にやりたいのは、まずは増税、巨大利権の原発推進、負担ばかりが大きい民主マニフェストの破棄、ついでにどさくさにまぎれての憲法改正までも可能。

 

カンおろしが本格的に動き始めたのは、なにより浜岡原発の停止以後との印象。

これで原発推進派の魑魅魍魎ども、カン違い総理をつぶしにかかれの大号令。

民主センゴク、自民オオシマの間で、ヒソヒソ話が進んでいるけれど、これ、おそらく原発処理の不手際、すべてカン違い総理に押しつける算段。

ついでに脱原発に傾いている小沢一郎を切り捨てる腹。

という大政翼賛会風の大連立が成れば、思想も哲学もない民主と自民の右側の勢力、やりたい放題となる。

 

自民の穏健保守、タニガキ、イシバあたりが意を唱えているけれど、「復興のための大連立」の大合唱に、どこまで持ちこたえられるか。

 
大人災、いつまで続く、ぬかるみぞ…。



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2011年05月28日

カイエダ大臣、ぶち切れ寸前か…、

記者団に言ってしまった。

1000万戸にソーラーパネルをつけるとの話は聞いていない。報道を通じて知った」

 

さすが、カン違い総理。

G8サミットの晴れの舞台で舞い上がって、悪い癖が出たか、突如閃いた。

数兆円規模の財源が必要となる「国策」を、エネルギー担当のカイエダ経産大臣にひと言の相談もなく、ぶち上げたらしい。

 

浜岡原発の停止のときも、同様。

本来、カイエダ大臣が記者会見して発表する手はずだった。

が、カン違い総理、支持率アップの好機とみて「オレがやる」と出しゃばった。

おかげでカイエダ大臣、後始末に青息吐息の体。

というより、この方、吐息ではなく、吸気に妙な癖があって、鼻ではなく口から息を吸う。

したがって答弁やら記者会見やら、しゃべっているのをきいていると、唾液を吸い上げているような音が耳にさわる。

逆境、一方的受け身に立たされると口から息を吸う音が頻繁になるが、ここのところ、カン違い総理に対してぶち切れ状態にあること、この癖から知れる。

 

癖といえば、カン違い総理も状況が悪くなると、口をとがらせ、声が大きくなる。

一国のリーダーとしては口をとがらせるなんてのは、恥ずかしい限りだが、そればかりではない、こういうフレーズが目立つ。

「つまりは…」

「まさに…」

 

ブログが普及、文章を書く人が増えているからおわかりかと思うけれど、「つまり」という言葉、論理に自信のない時に多用しがちで、強引にカタをつけてしまおうという気分が、ある。

カン違い総理、突如、なにかを閃いて、あるいは思いついて、深く考えもせず、しかも誰かに相談もせず、唐突に発表してしまうから、「つまりは…」を連発し、それを補うために「まさに」で強調して、強引に納得させようとする。

つまりは、カン違い総理という人は、中身が、まさにカラッポなんですね。

 

それにしても、官房長官、エダノの落ち着いた饒舌ぶり、オウム事件のあとの、「ああ言えば上祐」を彷彿とさせる。

記者のどんな質問にも、テンポを変えず、うまい具合にかわしたり、さばいたり。

「ただちに健康に…」などと平然と言いのけて、

嘘は言ってませんよ、と大ウソをつける政治家だろうけれど、

この人、とんでもないタマで、カン違い総理が倒れても、決して共倒れすることなく、浮遊しつづけるに違いない。

 

で、沈没するのが、オカダの幹事長か…。

この人、たいへんお疲れのようで、人相、悪化の一途。

求心力を失ったカン違い代表に仕える身、議員総会では「いま、言ったヤツは誰だ」と、カメラの前で怒なり散らしたりと、懐の浅さ、器の小ささを、世間さまに知らしめてしまった。

それを見たマツコ・デラックスは、言い放った。

「まるで学級崩壊じゃない」と、ダメ幹事長の烙印をベッタリ。

 

というわけで、カン違い総理を頂く民主、いまの幹部連にまかせておけば日本は間違いなく沈没。

ここは、やはり小沢一郎の出番。

つまりは、禅譲して、原発の処理、震災からの復旧復興を任せる。

それこそが、まさに国民の安心安全のためなのであります。

 



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 03:04│コメント(5)トラックバック(0)爺の時事 │この記事をクリップ!

2011年05月13日


3
年生になったチビ姫1号。

学校の勉強もなかなか大変のようで週に2度、6時限の授業があるから、寄り道の好きな1号の帰宅はますます遅くなる。

それでも毎日の宿題があり、この日は「分数」の宿題だった。

 

夕食が済んで、しばらくした頃、息子の友人K山くんがやってきた。

 

「もう分数を勉強しているのか、すごいね」

誰に対してもまんべんなく声をかける人なつっこさこそ、彼の人柄のよさを示すものだが、ときに過剰になって“ケーハク”などと呼ばれ、からかわれることもある。

 

「これ、20本入りのタバコだけど、10本吸っちゃった。分数にすると、どうなる?」

K山くん、サービス精神から1号に問題を出したつもりでいたら…。

 

「答えはね…」

と、1号はしばらく考えてから、言った。

 

「吸いすぎ」

 



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 01:58│コメント(2)トラックバック(0)身辺雑記 │この記事をクリップ!

2011年05月11日



久しぶりに「キッチン野方」で、飲み会があった。

本来、毎月の定例会にしようと勝手に決めていたが、冬場になると「キッチン野方」の亭主である奇楽庵は、気の抜くことのできない酒蔵仕事に入る。

したがって、彼は言う。

「あんたらと飲んでる場合でない」

蔵仕事が終わるまで順延となった。

もっとも冬季における「キッチン野方」で飲むにはあまりにも寒すぎるという事情もあった。



それはさておき、悪いことは重なるもので、八百長問題で大相撲は中止、地鎮の儀である横綱土俵入りがなかったことで、「3・11大震災」が起こり、本当に

「飲んでる場合でない」

というよりも

「飲む気になれない」

という重たい心持ちになり、「キッチン野方」の囲炉裏に火を入れるタイミングをすっかり失っていたのだった。



それを打ち破ったのが、農民音楽家からの一通のメールだった。



「本日、山菜収穫、今晩、やりますか? うひ」



末尾の「うひ」が、わたしを苦しめる。

いたずら心というのか、遊び心というのか、そんな妙なツボを刺激される。

しかも、山菜という“山の贈り物”は、この時季限定なのだ。

儀式のように山の神に感謝していただかなければ、横綱土俵入り同様、ただならぬことが起きかねないとの強迫観念もある。

なんてことは、飲み助の言い訳か…。



そこで奇楽庵に「キッチン野方」での飲み会開催についてのメールを送信すると、

「え(汗) とても宴会できる状況ではねぇですけも…」と返ってきた。

やんわり拒絶してきたな、と察するけれど、そこは押しの一手。

しばらく使用していなかったから大掃除並みの仕度をしなければならぬのだな、と判断、

「復旧ボランティア隊が出動する」

とメールを打ち、隊長であるわたし一人が雑巾一枚を手に出動して、小一時間で宴会場が出来上がった。



そういう段取りを踏んで、囲炉裏に火が入った。

「今年は変ですよ。山菜という山菜が一斉に顔を出し、さらにタケノコまでも出現しとる。どうもおかしいですね」

という話を自然観察において動物的な眼を持つ農民音楽家は言う。

やはり、天変地異か…。

なんてことを深く考えることもなく、大皿に盛られた山菜各種てんぷらを食いながら、笑いの絶えない飲み会がスタートした。



飲んだ、飲んだ、食べた、食べた、笑った、笑った…。



ここだけの話、酒がひどくうまかった。

飲んだのは、「金鶴の活性にごり」の新酒と、和歌山の銘酒「黒牛」の2年モノ。

「活性にごり」の方は、まだピチピチとしていたけれど、すでに腰が定まり、落ち着きある風情を醸し出していて、舌をなめた。

驚いたのは二番手に登場した「黒牛」で、しばし口に含んでいると何層にも隠されていた味が少しずつ顔を出し、その奥行きの深さに圧倒された。

すでに古酒の風格を見せはじめていて、これ、3年寝かせたら、どうなる? と思うほどの奥行きの深さ。

奇楽庵の酒の管理のまじめさが、この味を引き出しているのはもちろんのことだ。

そこで閃いた。

この定例会の名をなんと付けようかと、ずっと考えていたのだ。



「野方酒店の新酒と古酒を飲む会」で、どうか。

略して「新古会」だ。

なんてことを言うと、合氣堂氏あたりから、

横珍メンバーが集う「新古会」だから、さらに略して「珍古会」だな、などと言わんようにしていただきたいものだが…。



わたしが「キッチン野方」および夏場の「ガーデン野方」にこだわるのは、ある言葉が脳裏のひだにとどまったまま離れずにいるからだが、その名言…。



「極楽は酒屋の門にあり」(一休)

まさに極楽であった…。





 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 03:09│コメント(4)トラックバック(0)乾杯 │この記事をクリップ!

2011年04月15日

 

「避難区域は当面住めないだろう。10年なのか20年なのか」

と、カン総理が言ったらしい。

あわてて「わたしは、そんなことは言っていない」と、自ら消火活動。

ホントのことを漏らしてしまった松本健一内閣参与も、

「あれは私の発言だ」と訂正。

なんとも、お粗末な一席。

 

しかし…。

 

カン総理が言ったのであれ、松本参与であれ、誰が言ったか、なんてことはどうでもよろしい。

ようやく「本音」というか「正しい情報」が官邸からチョロっと顔を出した、との印象。

 

なにしろ放出された放射線量について推定ながら保安院は37万テラベクレル、原子力安全委員会は63万テラベクレル、いずれにしても莫大な数値。

しかも、いまだに大気中、海水への放出が続いているし、これからもどれだけ地球を汚染するか、だれにもわからない。

 

したがって、「避難区域は当面住めないだろう。10年なのか20年なのか」というつぶやきは、かなり真実に近いだろうと思われる。

 

同じ「レベル7」のチェルノブイリ原発事故の場合、現在も半径30km以内の地域が居住禁止になっている。

そして、北東約350kmの範囲内に局地的な高濃度汚染ゾーンが、なんと約100箇所にわたって点在していて、そこでは農業や畜産業の全面的な禁止措置がいまだに続いているというのだ。

25年も経過しているというのに…。

 

カン総理、「復興構想会議」なるものを立ち上げて、「単なる復興ではなく、創造的復興を期す」とぶち上げた。

しかし、この福島原発事故における正しい情報、見通しも住民に提示せず、「創造的復興」とは、どうも不可解。

都合の悪いことには蓋をして、「平成の開国」と同様、言葉をもてあそぶ悪い癖が出ているような気がしてならない。

 

そのうえ、復興の財源を「震災復興税」という新税でまかなう、ときた。

知恵と度胸のないものがすがる安易な増税で復興するというのだから、カンはやっぱりアカン。

「政治主導」が旗印のはずのカン総理、増税にしか頭を使わない財務官僚の言いなりじゃないか。


この最悪の不景気、不況が続いているときに増税をやれば、それこそ日本は沈没。

つまり、官僚は大喜びするが、中小企業、庶民は大打撃、消費はさらに冷え込んでますます活力を失っていくだろうことは、いかに経済オンチのあたくしにも見える。

国民を守るために、国民に増税という新たな犠牲をしいて、なにをもって「創造的復興」というのだろう。


経済を活性化させ、しかも復興を成し遂げるには、増税ではなく、借金というのが、筋。

国を復興するためなのだから大借金でもいいじゃないか、経済の活力さえ失わず、景気を回復させてくれれば、カン総理、あんたは歴史に残る名宰相となる。


のだけれども…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 02:17│コメント(0)トラックバック(0)爺の時事 | 思索この記事をクリップ!

2011年04月13日

 


「レベル7」

放出された放射線が「京」という単位で表現された。

事故から一ヶ月もたった今頃になって…。

水素爆発からおよそ20日間も過ぎてから…。

 

ただし同レベルの深刻な事故に陥ったチェルノブイリに比べると放出された放射線量は1割の数値にすぎないと説明する。

なんだ、そうか、と安心してはいけない。

レトリックである。

 

チェルノブイリでは、鉄のカーテンのかかった旧ソ連時代のことで、詳しい情報はない。

直接的な被害者数は数十名としているけれど、放射線の降り注いだ地の食物、牛乳、そして母乳で育った子が甲状腺ガンを患い、白血病者も多数でたことは、よく知られているが、実際の被害者数は、不明のまま。

 

「京」は「兆の10.000倍」のベクレルなのだから、この数値に関して「ただちに健康に…」という言葉は使用できるはずがなく、かなり危険な量ということを、政府はなぜ言わぬのだろうか。

 


               ※


 

今回の大震災、いろいろな説がある。

水爆を使って巨大地震を起こしたヤツらがいる、という話もきいた。

飛び交っているデマを整理した人がいるらしいけれど、デマであれ、なんであれ、この大震災、その後の原発事故による大人災であれ、だれかのせいにでもしないと、気分が落ち着かないという気持ちは、痛いほどわかる。


それによって少しでも気が晴れるならば、

「これは、アメリカ資本の陰謀なんだよ」
と、酒を飲みながらヒソヒソとやるといい。

 

やってみた。


4月7日、鬼太鼓の門付けの祭りの日、合氣堂氏のお宅で、やった。

陰謀説やら、わけのわからぬ言いがかりのような話まで、合氣堂氏、農民音楽家、奇楽庵らと酒を飲みながらやってみた。


ウイスキーをほぼストレートで飲みながら、日本酒をチェーサーがわりにクイっとやり、黒牛の梅酒4合のうまさに舌舐めずりして、水代わりにビールを飲んだ。

しゃべる、語る、笑う、震災被害者の奮闘ぶりに涙もする。

 

 

わたしの説は、こうだ。

 

「要するに相撲なんだな。初場所、やらんかったのがいけなかった。
横綱の土俵入りは地を鎮め、五穀豊穣、国民安泰を祈念するものなんだよ。
それをやらんかった相撲協会が一切の責任をとるべきなんだな」

 

そうやって飲んだ翌日、それまで重く沈んでいたわたしの気は、晴れ渡っていた。



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気が沈んだまま、言葉を失っていた。

どんなことを書いても薄っぺらになってしまい、手も足も出ない状況におちた。

酒を飲む気にもなれなかった。

自粛、というわけではない。

凄惨な光景を繰り返しテレビ画面でみているうちに涙がにじみ、気が重くなって、知らぬ間に気が沈殿していたのだ。

 

未曾有というのは、こういうことなのだ、と本気で思った。

いまだかつてあらず…。


 

               ※


 

しかし、マグニチュードが8.8から9.0に引き上げられ、原発の事故を注視しているうち、この「未曾有」がいかにもあやしいと思うようにもなった。

「未曾有なのだからしようがない」という理屈で責任を逃れようとしているのではあるまいか。

 

ためしに「巨大地震 記録」で検索してみる。

 

すかさず、約1500年前、日本の西部海岸(東海、南海、九州沖で連動地震か?)として、推定マグニチュード9以上という記録が出てきた。

そして、1896年には、東北東部海岸で、明治三陸地震津波がおき、死者行方不明者が22.000人、津波の高さ38メートルを記録している。

 

記録はまだまだあるけれど、政府、東京電力が「未曾有」を強調すればするほど、沈んでいた気が泡立ってきて怒涛のごとく高まってくるのを感じる。

 

原発事故は、大震災ではなく、大人災なのだ。


 

               ※

 


「ただちに健康に影響はない数値」

放射線物質の怖さについて、ここで書くつもりはない。

安全宣言を出されたホウレンソウや牛乳、水、空気、魚介。

単品では、安全だという。

しかし、単品だけで食の生活をする人もいない。

ホウレンソウの青菜炒め、カキ菜のおひたし、シイタケのソテー、金目鯛の塩焼き、卵焼き、牛乳も飲むし、調理に使う水だって体内に入れ、そして何より空気…。

それらをすべて足し算していくと「ただちに健康に影響を与える数値ではい」と言い切れるのかどうか…。

 

すべての食物に放射線量を記すべきではないか。

消費者は、その数値を足し算して、判断できる。

それが、カン総理の言う「オープンな政治」だろうと思う。

 


               ※

 


カン総理は、震災から一ヶ月が過ぎたことから「人命の救済、救援から復旧、復興へ」と宣言した。

しかし、原発事故に限っては現在も進行中なのだから周辺地域はもとより風向きによってははるか遠くの国民の「救済」が必要であることを認識しているのだろうか。

 

政府はなぜ福島原発付近の風向きを、テレビ画面の隅にでも表記するように指示しないのか。

そして、雨が降るとわかれば放射線量の数値を示して注意を喚起しないのか。

 

悲観と楽観にまっぷくたつに割れているけれど、原発に限っては悲観でものごとを判断する必要があるのではないだろうか…。

「ただちに健康に影響しない」というのは、「しばらくしたら健康に影響する」と解釈する必要がある。

したがって、10年後、20年後、30年後に子供たちの身体になにが起こるか、想定しておかなければならない。

 




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2011年03月04日


ただのカンニングで、逮捕!

なんて時代は、いいのか、悪いのか。

 

本来なら、お前さん、インチキやったな、とのお叱りを受けて放免されるところ、マスコミが大騒ぎするもんだから、おまわりさんも「偽計業務妨害」なんてものをひっぱり出してきちゃった。

懲役3年以下、または50万円以下の罰金。

ただのカンニングなのに…。

 

こういう時のマスコミは、お祭り騒ぎで、ニュージーランド地震もどこへやら、こうすれば携帯でネット上に質問して解答を得ることが可能だ、なんて懇切丁寧、推理をまじえて詳しくやるもんだから、なるほど、オレもやってみっか、なんてそそられてしまうやつらが出てくるかもしれない。

 

 

だいたい、この受験制度というのが、時代に合わないことぐらいわかりそうなもの。

たった一度の試験で、その人間を評価し、人生の先行きの大半を決定づける。

そのために、お受験で、幼稚園の頃からハウツー式に知識、要領を叩きこまれ、期待される人間像にならざるをえない。

その親やら周囲からの期待にこたえるために携帯をつかっての偽計業務妨害行為となったしだい。

 

たとえ、目指す有名大学に入れたとしても、この時代、就職もままならずで、期待にこたえられなかった自分は生きる価値もないと、就活に失敗した若者の自殺、急増。

一人じゃ死ねないからと、バスのハンドルをジャックして横転させるなんてことだってやるぐらい心は病む。

 

どんな難解な問題だって、たいがいはインターネットで質問すりゃ、たちどころに解答を得られる。

そんな時代なのに調べればわかることばっかりを詰め込まなければならない受験勉強、アホらしくてやってらんない、てなことが、今回の背景。

 

論文試験でもやって、日本語がわかるモノ、それにどうしてもその大学に入りたいというモノ、全員合格、入学とすりゃいい。

入学金、たんまりいただいて、それでもって1年間、様子をみりゃ、こいつは本気で勉強する気があるのかどうか、あるいは、優秀か、そうではないか、もわかる。

やる気のないヤツ、優秀ではないやつは、どんどん落とし、やる気のあるやつだけ徹底的に学問させればよろしい。

 

逮捕された予備校生、きみはネット時代のヒーローなのだから、恥じることなく、堂々と生きなさいよ。



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2011年02月19日


 

参院選挙で負けた時から「3月危機」は、素人にも予測できたけれど、それよりひと月半ほど危機が早まって、カン違い民主、断末魔の様相。

 

なぜ、こうなるのか、と書こうとしていたら、国民新党のカメさん、いいことをおっしゃった。

 

「いまの民主党は、連合赤軍に似ている」

 

連合赤軍は、自己批判、総括と称して仲間のリンチ殺人で内部崩壊したけれど、カン違い民主も身内の大功労者に対して「説明責任」があると追いつめて事態を悪化させた。

 

その結果、小沢直系16人の会派離脱。

 

それに対して閣僚および民主党執行部、「理解できない」とのコメントを出していたけれど、本気で言っているわけじゃあるまい。

それぐらいのことを予測し、計算したうえで小沢処分に踏み切った、のではなかったのかい? とツッコミたくもなる。

 

だいたい政治をやっている人間が「オープン、クリーンな政治」なんて清き美しい理想をお題目のように唱えるなんてこと自体、世界同時革命だと理想主義に燃えた連合赤軍に近い。

 

あるいは、アツアツの盲目時代の男女のようなもので、「あれから30年」ともなれば、

「結婚前は、いいこといっぱい言ってたに、なにさ、嘘つき、詐欺師、バカ。都合が悪くなるとだんまりで、なにがオープンなのさ!」
てなことで追い込まれ、立場も、居場所もない名ばかり亭主が、世にどれほどいるか。

 

「父さんの 機密費すでに 底をつく」
とは、自虐の笑いを誘うサラリーマン川柳の一句だけれど、夫婦でさえも、この始末。

 

ましてや政界、それも国際政治となれば、海千山千、魑魅魍魎を相手に「オープン、クリーン」と叫んでみても相手にされないことぐらい、カン違い総理だってわかりそうなもの。

どうせ、おっしゃるならば、ハトさんのように「友愛」なんてことでもってごまかしておくのがよろしい。

 

つまり、今回の危機は、リーダーシップの問題以前、人間について、あまりにも見方が甘いというのが本筋。


「水清ければ魚棲まず」なんて言い古された格言を並べるのはとっても恥ずかしいけれど、まさに、これ。

やっぱり、人間には、ほどよい濁りが必要だと、そういうことになるのだけれど、カン違い総理、および、そのお仲間ときたら、その濁りを親の敵のようにして排除しにかかるから結果的に身内の造反となる。

 

せっかくの政権交代も、こんな連中につぶされてしまうのは、あまりにも哀しい。

 

 

さてさて、濁りといえば、相撲。

携帯メールに動かぬ証拠が残ってしまったから、これ、八百長というけれど、なにをもって八百長というのか、その定義もない。


「人情相撲」という言葉は、昔から使われてきた。

この一番に負ければ幕下に転落するかもしれないという相手、その立場を考えれば、ここで勝ってしまうと、いけいないのではないかなんぞと迷って立ち合ってしまい、結果的に負けてしまう。

そういう相撲はいくらでもある。

暗黙の星の貸し借りかもしれない。


これを「人情相撲」と称して日本人は許してきたし、日本人独特の伝統的文化といってもいい。

このあたり、勝ち負けを大事にするスポーツ感覚で相撲を見る外国人にはわかりにくい。

まさに「濁り」なのだけれど、では、この「濁り」をすべて清算、クリーンにしてガチンコ相撲ばかりになったら、どうなるか?

あの貴乃花のように、大怪我をする力士続出、力士生命を棒に振り、興行が成り立たない事態になる。

 

と、わかっているから、神事、伝統文化、興行、スポーツと、いろいろな要素を、その時々によって使い分けてきた。

この大きな矛盾、濁りを抱えながら、神代の時代から生き続けてきたのが大相撲であって、いまさら「八百長」だからといって、もう相撲は見ないなんて騒ぎ立てる輩は、カン違い総理並み。

 

頼む。

お願いだから、カン違い総理のような人々に、大相撲の改革なんぞ、させないでほしい、と叫びたい。



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2011年02月04日

 

残った、残った、残った。

動かぬ証拠が残ってしまった。

 

携帯というヤツは、便利なんだか、不便なんだか、よくわからんシロモノで、こちらが飯を食っていようと、酒を飲んでいようと、トイレで奮闘中であれ、こちらの状況を無視してコールしてくる。

出ないでいると、かけた側は、「なにやってんだ! こっちは急いでいるんだ」などと腹を立てたりするから、迷惑このうえない。

 

しかもメールだ。

消去しても復活するというのだから、これ、「消去」にならないのではないか。

紙のメモなら焼いてしまえば証拠は残らないけれど、メールで完全消去するにはサーバーに火をつけて燃やしてしまわない限り、ダメということか…。

大がかりな話だ。

 

放駒理事長は「過去にはなかったこと」を強調していたけれど、昔から八百長相撲は、あった。

と、思う。

証拠がなかっただけの話で素人が見ていても、これは、おかしい、という取り組みは何番も見てきた。

過去の千秋楽、7勝7敗の力士の勝率を調査すれば、おおよそ見当もつく。

国民栄誉賞の元横綱の連勝記録も、かなり怪しい、と言われているし、大関在位を誇る人々も、これも怪しいと多くの人は思っている。

 

だから、放駒さん、しらばっくれたことを言っていると、また足元をすくわれるから余計なことは言わない方がいい。

 

余計なことといえば、カン違い総理、今回の八百長メール問題で、

「事実であれば重大な国民に対する背信行為」とおっしゃったけれど、マニフェストを守らないことは「重大な国民に対する背信行為」とは言わぬのだろうか、と足元をすくいたくなる。

 

それはそれとして「背信行為」であることには違いないけれど、多くの相撲贔屓は、貸し借りぐらいはあるだろうな、と信じていた。

そうとわかっているから、目くじら立て、口角泡を飛ばして言うことでもない。

そこは、それ、日本人得意の察する文化とでもいうか、暗黙の了解事項というやつで、それを理解、認識したうえで相撲という伝統文化を風景と同じように愛でるように楽しんできた。

 


では、なにが問題か、といえば、携帯である。

あの大きな力士が、小さな携帯をいじっている姿なんてのは、見たくもない。

かつて武蔵丸があの大きな顔、大きな手で、携帯で電話した光景を見たけれど、滑稽この上なしで、笑えた。

要するに、相撲取りには、携帯があまりにも似合わないのだね。

 

だから、放駒理事長、さっそく携帯禁止令を出しなさい。

そうすれば、今後、いっさい証拠は残らない。

 

 

ただ問題は、じわりとでてきた「相撲賭博」だ。

これに暴力団がからんでいたら、ややっこしい。

琴光喜なんてのは、なんでこんなところでコケるんだ、って負け方が多かった。

野球賭博で、ン千万だか負けていれば、

「次の一番は、負けろ」との指示が闇の世界から出ても、おかしくない。

これぞ、ホンモノの八百長相撲。

力士同士の星の貸し借りなんてのは、どうってことはないけれど、こちらは、ほんとに大相撲の根幹をゆるがす重大問題。

 

暴力をふるっただの、巡業をサボってサッカーをやっていただのと、あの横綱を、相撲協会、横綱審議委員会らの連中、親の敵のようにしていじめ抜いて、追い出したけれど、いかにも的外れ。

こういうときにこそ救ってくれるのが、やんちゃ横綱なんだな、といまさらながら惜しい人をなくしたと本気で思うのだね。

 



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 03:08│コメント(1)トラックバック(0)大相撲 │この記事をクリップ!

2011年01月14日


与謝野さん、「民主党には哲学がない、思想もない」とおっしゃっていたはず。

なのに、なぜ?

なぜ、そんな政党が組織する内閣に入るの?


要するに、カン違い総理と「大増税路線」で一致したからに違いないけれど、それにしたって、ちょいと軽すぎる印象。


と、だまされてはいけない。

カン違い総理、奇手を打った。

つまり、通常国会を乗り切るために、というよりも「消費税10%の大増税」で一致する自民との“大連立”をやるつもり。


といって、フクダ自民、オザワ民主の大連立を、カン違い総理は猛反対してつぶした経緯があるから、表立ってはできない。

裏でやる。

これが成ったら、
55年体制といわれた自民党と社会党の関係と同じ。

まるでプロレスのように派手にやりあうけれど、裏ではこっそり手を結び、長期の安定政権をモノにした。

が、国民の目からは、なにも見えない。

闇のように見えないから、権力の側にとってはたいへん都合もよろしい。



「クリーン、オープン」をウリにするカン違い総理、そんなことやるわけがない、などとタカをくくっては危ない。

与謝野さん、大連立の露払い役として入閣と見るべき。
なにしろこのお方、自民はもちろん公明やらなにやらに太いパイプをお持ちのようだし、自民の若手には与謝野さんを師とあがめている者もいる。


そして、なにより民主は、与謝野さんが喝破したように「哲学も、思想もない」のだから、政権にしがみつくためには、なんだってやりかねない。


フクダ、オザワの大連立のとき、民主オザワが「民主党にはまだ政権を担当するだけの能力がない」という理由をあげたから蜂の巣をつついたように民主の青臭い連中が猛反発。

結果的に「幻の大連立」に終わったけれど、まさにいま「政権を担当する能力のない」青臭い人々が内閣にいらっしゃるので、一度つぶした「大連立」を模索しながら政権にしがみつくという寸法。

こうした洞察力こそが小沢一郎の真骨頂で、こういう政治家を活かせない日本は、あまりにも貧しい。


おかげで、事業仕分けというパフォーマンスだけを見せつけておいて、マニフェストを見直す。

つまり、国民との約束を反故にして、大増税だけが襲ってくるというのだから、まったくふざけた話だ




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2011年01月12日



更新しようと奮闘、そろそろ結びの一語を、という段になって、全文、消失

なんでだろ

民主のアホさ加減について、怒りを抑えながら書いたのですが、抑制が不足していたでしょうか



しょうがない、気持ちを切り替えて書きましょう。

民主の両議院総会で、マニフェストを正式に見直すことをオカダさん、表明したようですね。
いよいよ民主、坂を転がり落ちていく予感。

だいたい政権交代の最大の功労者である小沢一郎を切れば人気は回復、政権維持できるなんてことを考えている方がどうかしています。
まるで野党みたいな言い分を、総理の年頭のあいさつでおっしゃるなんて国民もナメられたものです。

義理人情、恩義…、こういったことを無視すりゃ、どえらい目にあうことは、地方の地に住んでいる者なら、よくわかっているけれど、このカン違い総理、都会の市民運動家だけあって、恩義もクソもありません。
表舞台でのパフォーマンスを好むカン、マエハラ、ついでにオカダ、エダノ、センゴクら、まるで自分たちの力で、あの衆院選挙に大勝したと思っている様子。
小沢一郎、幹事長として地方の自民牙城を地道に、泥をかぶりながら切り崩した功績に感謝、恩義を感じるべきであって、「政治とカネ」というお題目で切り捨てようなんてのは、恥知らずもいいとこです。
それに、そんなことをやれば、官僚の思うツボであることは、あきらかなのに…。


しかも、悪いことに、庶民派リーダーだと強調したいのか、知人の葬儀に参列した、その足で、夫人とともに都内の某スーパーで買い物をしたんですと。
ええ、喪服姿のままで…。
急襲されたスーパー側(といっても警備上、アポなしはないか)、
縁起が悪いとばかりに、マスコミ陣、SPを引き連れて帰っていった後、お清めの塩をまいたのではないでしょうか


商売人、庶民の機微もわからないから、いくら庶民派を気取ってみても「都会の市民運動家貴族」と揶揄されてもしようがないでしょう。


消失した文章は、もっとたくさん、あれこれと書いていたのですが、そろそろ大相撲観戦の時間となりましたので、ここらでアップします










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2011年01月06日


今日は寒い一日でしたね。
こういう日は映画でも見るにかぎるのですが…、
近頃、面白い作品が本当に少なくなりました。
テレビはもちろんのこと、映画も、どうもいけません。

なぜだろうな、と考えるまでもありません。
いろんな意味で安易、安直になっています。

マンガやゲームを原作にする。
やたらとコンピューターグラフィックを多用する。
セリフがやたらに多い。
主人公のモノローグを頻繁に使う。
デジタルのハンディカメラを使用する。
思いつきだけで企画する。
内容のない作品に有名俳優を登場させて観客収入を狙う。

と、いろいろ上げればキリがありませんし、上記のことがなぜいけないのか、理由を述べるのも面倒です。


そういうわけで、映画も本当に見なくなりました。
といってもレンタルのDVDでの鑑賞ですから、えらそうなことはいえませんが。


テレビもほとんど見ません。
もっぱらラジオです。
そういうえば、今日の夕方、NHKの第一放送で、「情報はどこから得ているか」などというテーマで専門家やら一般の聴取者が意見を述べておりました。
なんでも、テレビ、新聞などのマスコミから得る情報の量はかなり少なくなっているそうですよ。
当然でしょうね。
インターネットの時代になって情報は受けるより、取りに行くという格好になっていますから、新聞社に毎月カネを払って、日本全国民が同じ情報を読む必要性がなくなっているのでしょう。
テレビだって同じことですね。

「そうはいってもマスコミには編集権があり、情報を整理し、裏付けをとってから報道しているのと、インターネットで自由に流される情報とでは、ずいぶん違いがあるのではないでしょうか。インターネット情報だけでは、危険ですね」

と言っていたのは、この番組のご意見番らしき人物。

「編集権」というのが、あやしい、と多くの人が思っていることに気がついていないのか、いるのか、わかりませんが、要するにマスコミの流す情報には、どうも編集権という名の「バイアス」がかかっているのではないかとの疑いが、厳然としてあります。

大マスコミには、極刑に値する前科があります。
いわゆる「大本営発表」で、時の権力には弱く、嘘八百とわかっていながら、民をだまくらかすことを平然とやります。
そして、反省するよりも、手のひら返しというワザで逃げ、前の権力を悪しざまにけなすのですね。
これが、日本における大マスコミの怖さです。

だからといってインターネット上の情報の方が正しいのだ、と信じるのも危険です。
あやしい情報もたくさんありますからね。
なにか背景があって、情報を操作する人もいるでしょうし。

そうなると、なにを信じてよいのやら、さっぱりわかりませんが、かんじんなのは、判断する自身の「教養」、「体験」、「勉強量」、「第六感」といったものに頼らざる得ないということでしょう。


ですから、パソコンにばかり向かってはいけませんよ。
テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌、単行本…。
そして、一番大事なのは、すべての事柄について、「疑問」を持つことです。

「なんで?」

決して鵜呑みにせず、「なんで?」と疑いを持ち、自身で考えるようにしましょう。
そういうクセをつけていけば、大マスコミであれ、インターネット上での情報であれ、これは妙だな、と第六感が働いてくるようになります。

と、そういうクセのついたワタクシは、映画を見ても、テレビを見ても、つねに「なんで?」と思っているからか、作品のアラ、番組の欠陥ばかりが目についてたいへん困っているのですけど…。



 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 23:26│コメント(0)トラックバック(1)思索 │この記事をクリップ!

2011年01月04日


大晦日から元日にかけて天候は大荒れの模様、
なんてことをお天気お姉さんやらおじさんがおっしゃっておりましたが、天気予報は大はずれで新年もスタート。
おかげさまをもちましてたいへん穏やかな元日となりましたので、合氣堂ご夫妻とともに真野宮に元日初詣にでかけました。

元日に初詣などと、佐渡に来て初めてのことで、祈念すべき事柄は山ほどあるのですが、ふだんが無神論者風に生きておりますので、ただひとつ、みなさまの健康だけを神様に切にお願いしてまいりました。

おみくじも、ひきました。
「大吉」でありました。
総勢6人前のおみくじをひいたのですが、いずれも「大吉」「中吉」で、ただひとりだけ「末吉」というものをひいたものがおりました。
この「末吉」は、おそらく「凶」という文字を嫌って「大凶」のかわりに「末吉」としたのだろうな、と想像しておりますが、それをひいてしまったのは、はい、その通り。
ふだんから小言、愚痴を言い放ち、無言の時でさえもため息をついている妻でした。

「ため息ばかりついていたら、運気が上がるはずはないわ」

とは、わたくしではなく、妻の天敵と言っても過言ではない息子の指摘。
わたくしも大人ですから「その通り!」と叫びたいのを、グッと我慢しておりました…。

そんなこんなで、初詣の後は、すかさず新年を祝ってのお屠蘇、今年は、合氣堂氏が用意した「金鶴 活性にごり酒 純米」を、2011年の初酒といたしました。
もちろん、わが方も「真稜 活性にごり酒 純米」を用意しておりましたけれど、酒量は年々下降ぎみで、2本目までは開封せずに翌日にまわしました。

新年早々、おいしい酒をいただけましたから、体調も万全、よいスタートとなりました。


翌日、正月2日は、餅つきです。
やはり、餅も、つきたてがうまいにきまっておりますから、わざわざ新年の2日についたのであります。
といっても、電動式餅つき機使用ですから、労力など、不要。
つきあがったのをチビ姫1号に丸めさせて、合氣堂ご夫妻をまじえて大人たちは大根おろしや茹で小豆、黄粉などをまぶしていただきました。
まるで寿司屋のカウンターに陣取って握りたての寿司を食っている風情。
じつにぜいたくな気分を味わいました。


そうこうしているうちに娘一家が登場。
3月に誕生予定の3人目の子も含め、総勢5人で新年のお年賀にやってきたのでした。
あらためて新年を祝して全員で乾杯しました。

チビ姫1号(8歳)は、待ちかねていたかのように、綿菓子機をあやつって、チビ姫2号(4歳)と3号(2歳)に綿菓子を作ってやっていたようです。
子供用の玩具なのですが、なかなかよくできていて、ザラメのかわりに飴玉を1個入れるだけで綿菓子ができるというもの。
飴玉の種類によって味も変わるのですから、大人も楽しめます。
出来上がるまで、飴玉をとかすために、それなりの時間がかかるのですが、チビ姫2号、3号が、正座をして待っている姿は、じつにほほえましく思えました。

記憶に残っているのは、そのあたりまでです。
あとは断片です。
どれだけ飲んだのでしょうね。

そういうわけで、新年も無事に明けました。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。


ところで、昨年の暮れ、大晦日、元旦は大荒れ、との予報に、
「初・日の出は見ることはできそうもないね」とチビ姫1号に話をしてやりました。
しょうがないから「初・への出」にしようか、と言いましたら、ツボに入ったようで、笑い袋のスイッチが入りっぱなし。

で、こんなおめでたい絵を、ホワイトボードに描いていました。



KC3O0049


























Happy New Year

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2010年12月20日


ある若い独身女性に、真剣な表情で、こう言われた。

「じつは、報告があるんです…」

「…」

こう前置きされると、やはり、「結婚します」てな報告と相場は決まっているから、身がまえざるを得ない。
なにしろ彼女については15歳の頃から知っていて、大ざっぱにいえば娘のようなものだ。
といっても本人に実際に会ったのは、それからずいぶん後のことで、
「知っている」としたのは、彼女の中学校の卒業文集に寄せた一文を読んで彼女の存在を「知った」のだ。

卒業文集だから全員の作文が掲載されていて、わたしは、ざっと全員の文章を読んだ。
そして、彼女の文章に眼が留った。
光り輝いていたのだ。
これが中学生の書く文章かと、驚かされたことを、いまでも記憶している。
それはアドルフ・ヒットラーの著作「わが闘争」を読んだ感想をしたためたものだった。

そして、しばらく経って佐渡の文芸同人誌の「島族」に彼女の名前を発見した。
連載の形で随筆が発表されていて、表現力に磨きがかかっているのを確認して、毎号、楽しみにしていたものだ。

その後、毎月第三土曜日に佐和田の本町で開かれるフリーマーケット「本町市」にて、美味しいコーヒーをとっても安い料金で飲ませてくれる「すんたらさん」が編集発行している「ばすぬす」でもエッセイを発表していた。

その間、何度か、会う機会もあり、先日も、一緒に「りきすし佐和田」で、寿司をつまみながら、「早く小説を書きなさい」などと、酔った勢いでけしかけたものだ。

その彼女が、今日になって「じつは、報告があります」などと、大真面目に言うものだから、「えっ、結婚するのか!?」と、一瞬にして花嫁姿の彼女をイメージした、が…。

早とちりであった。

「ようやくブログを始めました」と言って、ブログのタイトルを教えてくれたのだ。

な〜んだ、そうか、と複雑な思いをしたけれど、彼女の力の抜けた文章もまた味があるから、今後が楽しみである。

というわけで、みなさん、彼女のブログ『くるににてかえるに似たり沖つ波』を応援してあげてください。

 能美太蘭(のうみ  たらん)noumitaran at 21:06│コメント(0)トラックバック(0)身辺雑記 │この記事をクリップ!

2010年11月24日


植村花菜という若い女性の歌う『トイレの神様』という曲が話題を呼んでいる。
わたしもずいぶん前にラジオで聴いていた。
最後まで聴くと10分ほどにもなる長い曲だ。
しかし、歌詞が物語になっていて最後まで聴かずにはいられない作りになっている。
「おばあちゃん」と孫である「私」とのかかわりを主題にして、じつにていねいに歌いこまれていて孫をもつ身のわたしも、つい引き込まれてしまう。

小学校3年の頃から「おばあちゃん」と暮らし、楽しい思い出を語りながら、しだいに「私」は、思春期を迎えて「おばあちゃん」と衝突する。
遊ぶことに夢中になって家の中の居場所を失ったまま「私」は上京するが、その2年後に「おばあちゃん」が入院、そして「私」を待っていたかのように翌朝、死んでしまう。
そして、「私」は、こう叫ぶように歌う。


 ちゃんと育ててくれたのに
 恩返しもしていないのに
 いい孫じゃなかったのに
 こんな私を
 待っててくれたんやね


感動の山場である。
この「恩返し」というフレーズを記憶していただきたい。

先日、NHKのテレビ番組でも、この『トイレの神様』について解説していた。
なんでも上海での公演では、中国の若い女の子たちが感動のあまり涙を流していたと、その光景が流されていた。

この番組を、わたしは妻と7歳の孫娘とともに見ていた。

「トイレをピカピカにするとベッピンさんになれるんだよ」
と、孫娘に教えてやろうとの思惑を敏感に察したのが、孫娘はやおら立ち上がって台所へ行った。
そして、数分後、好物のレーズンロールパンを電子レンジで温め、さらにトーストして持ってきた。
部屋中にパンの香りが漂っている。

すると、孫娘の「おばあちゃん」である妻が、言った。

「自分だけ食べるの?」

「うん」と、気まずそうに孫娘が答える。

「ベッピンさんになれんよ」と、「おばあちゃん」は、そう脅した後、続けた。


「恩返しはいらないから、そのパン、半分ちょうだい」


『トイレの神様』の感動も、なにもかもが吹っ飛んだ一瞬だった。


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2010年09月29日



白鵬、全勝優勝をかざり、連勝記録も62。
素晴らしいことだと諸手を挙げて祝福するには、歯の間に何かがはさまっているようで、どうも具合が悪い。
理由は、はっきりしている。
なぜ朝青龍は、引退に追い込まれたのか。
この一点。
まるで相撲協会が「白鵬時代」をお膳立てするかのように、やる気満々だった朝青龍を引退しなければ解雇する、と脅したのだから、相撲協会にとっては大きな汚点。

その意味では、琴光喜の解雇も、同じ。
野球賭博に手をそめた他の大勢の力士ら、十両の格落ちという処分が下っただけ。
なぜ琴光喜だけが相撲界から追放されなければならなかったのか、その詳細が不明のまま。
ひどく公平性に欠ける。

ともあれ、白鵬は、無敵。
取りこぼしさえしなければ、100連勝も夢ではない。
ああ、つまらん。

朝青龍対白鵬の火花散る仕切り、立ち合い、力と技と意地のぶつかり合いだった相撲が、懐かしい。





中国の、あの強気の、高圧的な、あの態度。
外交の駆け引きといえば、それまでだが、気分が悪くなる。
戦略的互恵関係という関係が、どういうものなのかよくわからないが、中国が共産党一党独裁でいるかぎり、話は通じない。

そもそも領土という感覚、これほどあいまいなものもない。
中国が、わが国の領土といい、日本も、わが国の固有の領土という。
この対立、おそらく解決不能、と多くの人々はわかっている。
なぜなら歴史をどんどんさかのぼっていけば、中国人が支配していた時代もあるのかもしれないし、その昔、日本人も、そこで生活していた人もいるかもしれない。
国家という概念の方が後からついてきているのだから、どの時点をもって領土といっているのか…。
中国3000年の歴史というけれど、日本はその頃、文字もなかった。

北朝鮮、3代つづけての世襲。
平等主義を根幹にもつ共産党が、歴然たる格差社会を築き上げている、この大矛盾。

中国も根っこは同じか…。


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2010年09月15日


民主党は、じつにけしからん。
とことんダメだ。
間が悪すぎる。
なぜ夕方の5時半から記者会見を開くのか。
相撲の時間に…。
それもこれから横綱登場という時間帯に、わざわざ会見を開く理由がわからない。

急きょ、教育テレビで大相撲中継をやってはいたけれど、これでは教育テレビファンをないがしろにしている。
ラジオにいたっては、音楽番組を打ち切ってFMで大相撲の実況中継をしていた。

だいたい勘違いだらけのカン総理の話と白鳳の歴代3位の連勝記録と、どっちが重大事か。
せめて記者会見は6時からやりゃいいだけの話だ。
そんなこともわからんから、勝てば3年間は安定政権という参院選直前に消費税導入を言いだすのだな。

おや…、ということは、つまり…、今回、代表選挙でカンナオトが勝ってしまったってことは、消費税10%確実ということか…。
財務官僚の思うツボじゃないのか。

そのあたりわかっていて投票したというのなら、民主党のサポーターってのは、どうもよくわからん。


カン政権は長く続かないに決まっている。
ネジレ国会を乗り切るだけの政治力を、まるで感じられないからだ。

アベ、フクダ、アソウの頃は、まだ自民党が衆議院で3分の2の議席を確保していたから、参院で否決されても衆院で可決と、そういうあんばいでアベなどは危うい法案を成立させていたけれど、いまの民主、衆院で可決できる議席を持っていない。
つまり、なにひとつ法案も通らないと、そういう事態になるのだから、よほどの政治力をもたない限りは、「ボクチン、やめた」のアベ総理同様、途中で投げだすほどのプレッシャーがかかるにちがいない。

山場は、来年3月の予算編成。
たぶん民主党のサポーターは、想像もしなかったことをカン民主はやるに違いない。

オザワ・フクダでひそかに画策したが、民主党内の青臭い連中につぶされた「大連立」。
つぶした経緯があるから表だってはできないけれど、カン民主は水面下で「ウラ大連立」をこっそりとやるに決まっている。
水面下というのは、要するに裏取引。
すると、消費税10%へまっしぐらで、まさに官僚のための官僚政治がカン総理のもとで堂々と行われる。


民主の国会、地方議員、さらにはサポーター、「政治とカネ」のお題目に洗脳されているけれど、これが決着した暁には、やはりもう一度、官僚がもっとも怖れるオザワの出番。

と、大いに期待したい。





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2010年09月08日


ブログを引越して2ヶ月が過ぎました。
引っ越して間もなく猛暑がスタート、北国生まれのわたしには暑すぎる夏は動きがとたんに鈍くなります。
したがって引っ越して心機一転のはずのブログ更新も滞りっぱなし。

ご心配、おかけしております。


ところで、livedoorブログへの訪問者数が、なかなかゼロにならないのは、なぜでしょう。
ブログの冒頭部分に引っ越しのご報告をさせていただいておりますが、いまだに多くの方に閲覧していただいているようなのです。
そういうことなので閉鎖することもできずにいたのでした。

そこで、一考。

livedoorの方は、産廃問題を中心に、文字通り「悲憤慷慨の記」として残すことにしてはどうか…。
というのも、先日(8月24日)、佐渡市の主催で久しぶりに産廃問題において「説明会」という名の会合が開かれたのです。
といって、なんの説明にもなっていなかったし、進展もありませんでした。
それどころか、区長を始め、忙しい身の方々の貴重な時間を浪費しただけの会合でした。

新潟日報の記者も取材でやってきていましたが、会合が終わった直後、
「記事にはしないでくれ」というような申し入れが市の側からあったようです。

それほど内容のない会合で、住民からの不満ばかりが目立ったのでした。

しかし、産廃問題に関してはまだまだ解決には至っていないのが現状です。
わが西二宮集落にとっては、平成13年からこの問題に引きずられてきました。
すでに10年も経過しようとしているのです。
その結果として、この産廃問題について詳しく知る人が少なくなってきたという現実があります。
実際、わが集落の新役員は、みな若く、詳しい経緯を理解していないというのが実態です。

そうしたことを考えてみても、この二宮産廃施設問題について市民の目線での報告を記しておかねばならないのではないかと思うのです。
したがってlivedoorの「悲憤慷慨の記」は、「産廃問題」を柱にしながら、世の不正や、あちこちにバッコする悪に憤りの文字を連ね、悲しみ嘆く。
そういうブログとして継続することにします。

では、fc2の「chapter2」は、なにを書くのか、と申しますと、身辺雑記中心にしたブログになります。
タイトルも、変えます。

「夏の暑い時期の炉、寒い冬の扇」
つまり、お読みになってもなんの役にも立たないという意味で「夏炉冬扇の記」とでもしようかと思いました。
が、これはちっと格好つけすぎております
わたしも人の子、多少とも人のお役に立ちたいという小さな欲もありますので、さて、どんなタイトルがよろしいかと、熱にやられた脳を働かせてみましたところ、

「一飲一啄の記」

という言葉が浮かんできました。

イチインイッタク…、すこ〜しだけ飲み、ちょっとだけついばむ。
大酒ではなく、ちょっとだけいただく。
つまみも、わずかでいいんです。
ええ、八代亜紀の「舟唄」の世界ですね。
けっして贅沢は言いませんと、そういうブログです。


と、これで2つのブログを管理することになり、大丈夫か? との心配の声も聞こえてきます。
わたしも、そう思います。
しかし、これから、涼しい秋、実りの秋を迎えるわけですから、自然と指先も脳も動いてくれると、わたし自身が期待しておるしだいであります。


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2010年07月07日



新しいパソコンを導入したついでに、ブログも新調してみました。

いろいろ比較検討した結果、ずいぶん以前からFC2の評判がすこぶるよろしいという情報がありましたので、あらためて検索…。

いまだに、その評判は上々でしたので、
「どれ、どれ、試してみっか」
という程度の動機で、さっそく登録してみました。

登録は簡単。
しかし、パソコンについてド素人同然のわたくし、設定にいろいろ時間がかかってしまいました。
まさに一進一退の攻防を演じながら、どうにか設定を終え、引っ越し手続きも完了しました。


新ブログは、『悲憤慷慨の記 〜 chapter 2』です。

よろしく、どうぞ。

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2010年07月06日


パソコン、絶不調が続いていて、だましだまし使っていたけれど、ついにダウン。

8年間も使用すれば、化石のような代物になり、ネットでは開けないサイトがいくつもあった。
もちろん、YouTubeなんてものは、存在は知っていたけれど、見たこともない。

それでも長年連れ添ってくれた同志、強い愛着もあり、河島英五「時代おくれ」をつぶやきながら、画面に向かっていた。


つごう10数年、iMac、iBookを使用していたが、転向を決意。
なんて大げさに言うけれど、Macを使っている人々、Windowsに換えるなんてことを言えば、まさに思想的な「転向」を意味するほどの衝撃を与えかねない出来事。

わたしの周囲、“Mac使い”が多かった。
だから相談すれば、「Macが断然いい」とおっしゃる。
ついでにWindowsの悪口を並べたてることも共通している。

今回も、やはり同様の反応があった。

しかし、皮肉なことにMac通のひとりのある一言が、転向を決意させたのだった。


「Windowsは余計なお世話が多くてね」


要するに、Windowsはさまざまなソフトの更新を設定ひとつで自動的にやってくれるという。
Mac愛好家たちは、そうしたことは自らの手で行って自らのパソコンを作るのだという気分をお持ちだから、Windowsのこうした作業は「余計なお世話」となるのだ。


「だからインストール中になると、しばらく作業ができなくなる」
と、MacとWindowsの両方を使いこなすその方は嘆いてみせた。


もうお気づきかと思うけれど、なぜわたしのパソコンが化石と化したのか、といえば、つまりバージョンアップをまめにしてこなかったせいでもある。

原因は、間違いなく、わたしの無知と怠惰によるものなのであり、そういうわたしにこそ、「余計なお世話」が必要だったのだと、ポンとひらめいた。

そう気がついたら、早かった。

それまでは、ネット上で何を買おうかとあちこち見ていて、iMacの、なんとも美しい姿に魅せられていたが、あの「余計なお世話」の一言で踏ん切りがついた。

ただいまWindows7で、このブログも書いている次第。
動作が速く、気持ちがいい。

それにしても、世界がパッと広がったような気分。
動画が、これほどネット上にあふれているとは、知らなかった。

しばらく更新が滞っていたけれど、心機一転、せっせと更新に励もうと思う…。

心機一転ついでに、ブログの引っ越しも行おうと、ただいま検討中。




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