悲憤慷慨の記

トキの島。産廃施設建設で大騒動!!  それを中心にレポートするブログです。 そして、世の中にはびこるあらゆるインチキ、不正に憤り、嘆いたり、悲しんだり…。 そればかりではつまらないので、飲んで、食って、笑って、そんな人生の断面を記録しています。

2009年07月

ロバートのメッセージ

今日になってようやくロバートのメッセージがバンドのオフィシャルサイトで公表されたようである。

むーたら通信「ロバートよりメッセージ」


ここには「今回ようやく世間に広まり『始まったな』という感想を持っています」と書かれている。

日本国籍を抹消された日から24年も経過しているのに、「始まったな」とは、ずいぶん悠長な感想。

せっかちな第三者から見れば、この逮捕劇はロバートにとって24年目にして迎えた千歳一遇のチャンス。

マスコミ各社が一斉に「行政のミス」を指摘する記事構成で取り上げたのだから、一気呵成に攻め込むべきではなかったか。


だいたい国家なんていうもの、いち個人の人生がどうなろうとも、なんとも思わない。
思っていないから、国家の体面を保つためだけにダラダラと逃げ続ける。

その結果、個人は老いていくが、国家という組織はつねに新しい人間へと新陳代謝、時間だけがいたずらに過ぎてゆき、すべてのことは風化、人々の記憶からも消えてゆく。

那覇地検が下した「起訴猶予」という処分は、まさに風化狙い。
起訴でも、不起訴でもない中途半端な形、玉虫色のまま、さらに10年、20年と逃げ続ける。


「ロバートよりメッセージ」には、職務質問から逮捕、拘留、釈放、そして、検察側の出した起訴猶予処分の一連の流れについての詳しい説明はない。

沈黙する必要があるのか、どうか…。

天変地異か…。



46年ぶりの皆既日食だったそうだ。

「皆既日食を見るために、この夏は南の島へ行こうと思います」
と、ある若者が言ったのは、今年の春の頃だったか。

「物好きだな」
というのが、その感想だった。

「いい若い者が、わざわざ日食を見るために南の島へ行くなんて不健全だろ」

「だいいちオレは日食は何度も見たぞ。皆既日食も見たけど、あんなの、わざわざ大金をかけて見に行くようなもんじゃない。そんなカネがあるのなら、どんどん遊べ」

「ええ? またホラ話ですか」と、信じない。

「いや、佐渡でも、つい最近、部分日食があったろ。あの時だって、オレは何度も見たからいいといって、そのまま酒を飲んでいたし、子供の頃には皆既日食を見たしな」

「ウソでしょ」

「網走で皆既日食を見たぞ。太陽が全部消えたもの」

といっても、その時の感動が実際に見て抱いたものなのか、あるいは、その後にテレビで見て感じたものだったのか、にわかに判断がつかなくなっているけれど、いまでは絶対にやめて下さい、という板ガラスにロウソクの煤をつけたもので皆既日食を見たのを記憶している。


その若者と、そんな会話をしていたことを昨日になって思い出したのは、テレビを見ていて宇宙飛行士の毛利衛さんが登場、網走での皆既日食を観察した話をしていたからだった。

毛利さんは、たしかウイスキーで知られる北海道余市の出身で、高校生だった当時、わざわざクラブ活動の卓球をサボって網走へ皆既日食を見に出かけたというのだった。

余市というのは小樽に近く、網走までは相当の距離である。
いったん札幌に出てから石北線に乗り換えて終点の網走まで行く。
いまでも6時間ぐらいはかかる行程で、当時なら、おそらく10時間は要したのではなかったか。

「物好きだな」とは思ってみたものの、毛利さんいわく、

「あの感動が忘れられず、科学者になろうと決め、宇宙飛行士になるキッカケとなった」というのだった。

一緒にテレビを見てる家族に向かって、
「オレは、高所恐怖症だからパイロットの道も、宇宙飛行士になる夢も、捨てざるを得なかった」と、言っておいたけれど、
同じ皆既日食を見ていても、かたや人生を変えるほどの感動を得て、かたや「前に見たから、もういい」なんてシラけたオヤジになっていくのか、と愕然。

当時の新聞には、「(七月)二十日午後十一時半網走着札幌発五〇一列車でやってきた二百六十人は同夜そのまま列車ホテルで一泊」とあって、毛利さんも、この中にいたのではあるまいか。

物好きも、ここまでくれば大したもんだな、とあらためて思ったのだった。



という話は、じつは枕であって、今日の本論は、大関の琴光喜が、盤石な取り口で白星街道まっしぐらの横綱の白鵬に勝っちまったことなのだった。
まさに「天変地異」と呼ぶにふさわしい出来事だったし、皆既日食に劣らぬ感動を与えてくれた。

なにしろ琴光喜は、同部屋の大関琴欧洲とともに、蚤の心臓とか、チキンハートなどと言われ、ここ一番の勝負にからきし弱いというクセがあることでよく知られている。

緊張のバロメーターは、上唇と鼻先の距離にある。
土俵下に控えている時、しだいに上唇をとがらせてきて、それが鼻先にぴたりとくっつく。
いまにも泣きそう顔である。
この時、彼の緊張バロメーターは振り切っているといっていい。

そういう時の琴光喜の相撲は、だいたいドタバタである。
相手力士はひょいと体をかわすだけで転がっていく自滅相撲である。

昨日の白鵬戦も、バロメーターは完全に振り切っていた。

けれど、今場所の琴光喜は、ひと味違う。
ついでにいえば、琴欧洲も、人が変わったかのような1年ぶりの活躍ぶり。

この二人の好調の秘密について、激しい稽古の後、連れ立って行動を共にし、なにやら二人で心に誓うものがあったらしいと、解説の誰かが言っていた。


先場所の日馬富士がそうだったが、大関が強いと相撲は面白くなる。
もし昨日、琴光喜が白鵬に敗けていたら、おそらく白鵬の全勝優勝か、なんてことになるところだったが、ことろがどっこい、昨日になって白鵬、琴光喜、琴欧洲が1敗で並んだ。

これは面白い。
残り4日間、ここはひとつ皆既日食なみに注目しなければならない。

というわけで、次の“ヨコチン(横綱珍議委員会)招集”兼、“真夏の海の供養祭”にむけ、おのおのがた、精進せねばなりますまい。

昨年は小学校5年の男の子がマグロを釣り上げて「少年と海」となったが、今年はぜひ「オヤジと海」と呼ばせて欲しい。

そんなことになれば、本当に天変地異でも起こりかねないか…。

ロバートの釈放を伝える記事

■朝日新聞
「準抗告申し立て 佐渡の男性釈放」


■琉球新報
「マックィーンさん 処分保留で釈放」


■新潟日報
「不法滞在容疑の県人男性釈放」


逮捕されたロバートに近い人からの情報

eguraさんからコメント欄に以下のような書き込みがありました。
そのまま、こちらに転載することにします。

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こんにちは。
ロバートや農民音楽家さんのご友人でいらっしゃるのですね。
私もまた二人の友人であります。
農民音楽家さんに第一報を届けたのがこの私です。

現在のロバートの状況ですが、11日の48時間の逮捕拘留期限が切れた7月13日、新たに10日間勾留が決定されました。
14日より一日一回15分間の接見が可能とのことで、沖縄ツアーに同行したバンドメンバーや沖縄県弁護士会の方が接見しています。
警察は、必要とあらば更に10日間、都合20日間の勾留ができます。

報道ですが、琉球新報2009年7月14日朝刊の他、以下があります。
■新潟日報2009年7月14日朝刊
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=159895
■朝日新聞新潟版2009年7月14日朝刊
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000000907140002

下記は今年1月にロバートが立ち上げたオンライン署名プロジェクトです。
もしかしたらいままでご存じなかった方もいらっしゃるかと思います。
ここに書かれている呼びかけ文にご賛同いただける場合、書名していただけたら幸いに存じます。
会員登録は不要であり、また匿名で署名することも可能です。

★Human Chain
署名 <PC版>
http://www.shomei.tv/project-651.html
署名 <携帯版>
http://www.shomei.tv/mobile/project.php?pid=651


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eguraさん、情報、ありがとうございます。
新しい情報が入りましたら、ご面倒でもお知らせくださると、ありがたいです。
ロバートが無事に「日本国籍」を返してもらえることを祈っております。

なお、7月15日付けの朝日新聞には、新潟県と沖縄県の弁護士会が連係し、ロバートの早期釈放を求めるために動いたとの報道があります。

「佐渡のロバートさん逮捕 釈放要請へ準備」

ロバート情報


朝日新聞も“ロバート逮捕”の記事を掲載しました。

「抗議の不法滞在」 佐渡在住者を逮捕


たった一度の人生をもてあそぶような権力の横暴に対して抗議する意志のある方、こちらをご覧ください。
ロバート・アーサー・マックィーン自身が「助けて下さい」と悲痛な叫びをあげています。

Human Chain

携帯で閲覧の方は、こちら。

携帯版Human Chain

不条理 〜 ロバート逮捕される

「ロバートが沖縄で逮捕された」

その一報が農民音楽家より寄せられたのは、3日前の11日のことである。

すぐに農民音楽家の家に行き、ロバートがどのような状況で身柄を拘束されたのか、詳しい事情を聞こうとしたが、当の農民音楽家も、

「ツアー先の沖縄でロバートが警察官に職務質問を受け、不法滞在の容疑で逮捕された」

という以上のことについては、状況をまだつかめていなかった。

とりあえず、なんらかの事故や事件ではなく「不法滞在」というだけらしいことがわかり、安心した。


ロバート(45)は、以前、当ブログでも紹介したことのある人物で、佐渡に住む優れた打楽器奏者である。
農民音楽家ともユニットを組んで演奏活動もしているが、じつは彼は、たいへん不条理なできごとが襲いかかり、そのことによって長年にわたって苦しめられているのだった。


彼はアメリカ人の父親と日本人の母との間に生まれた。
こういう場合、日本の法律では生まれてきた子供に日本国籍は与えられない。

ところが、出生届を受理した神奈川県大和市が、重大なミスをしでかした。
生まれてきたロバートに「日本国籍」を与える過失を犯したのだった。
これが、そもそもの間違いだったが、もちろん、赤ん坊のロバートには、なんの罪もない。

父親はアメリカへ単身帰国。
母親は出産時のショックで病にかかったまま障害者としての生活で、そうした役所のミスを知る状況にもなかった。

ロバートは、そのまま日本人として成長したのだ。
そして、21歳の時、友人の一言が彼の人生を大きく変えることになる。

「父親がアメリカ人なのに、なぜお前が日本の国籍が取れたんだ? へんだな」

そう指摘されたロバートは、事実を確かめるために神奈川県大和市に軽い気持ちで出向いたのだった。

当然、21年前の役所側のミスが発覚する。

さて、ここで、大和市は、どうしたか?

まさか、というぐらい冷酷なことをやってのけたのだった。

渡米経験もなく、英会話もできない、日本人として生きてきたロバートから「日本国籍を剥奪」したのである。

ここで大和市は2度目の大きなミスをしでかしたのだ。

特例措置で日本国籍のままにしておけばいいものを法律通りに、杓子定規にロバートから日本の国籍を奪ってしまった。
神も仏もない仕打ちとは、このことである。
1人の人間の人生を翻弄する横暴な行為である。

彼は一度も会ったこともないアメリカに住む父親を捜して、なんとかアメリカ国籍を取得できたからいいものの、
仮に父親を見つけられなかったら、彼は「無国籍」となっていた。

そして、彼は、在日外国人として在留資格を得て、在留資格更新の手続きを、定期的に行わなければならなくなった。
なんとも不条理きわまりない話である。

そこで彼は、更新することをやめた。
日本国籍を返してくれない日本国家に対して抗議するために。

そして、彼は「不法滞在」で逮捕されたのである。


現在の状況については、ロバートが拘留されていることから、詳しい情報はない。

しかし、今日になって琉球新報が、このできごとを報じているので、ぜひ一読していただきたい。

「旅券不携帯容疑で逮捕 行政不手際で日本国籍抹消」



風まかせも、悪くない…

投票率が前回より10%アップの54.49%で、自民大敗。

盤石な支持母体をもつ公明党、というより、お師匠さまのお膝元の都議会選挙で敗けるわけにはいかぬと全国から駆けつけて親戚、友人、知人、さらには知人の知人を渡り歩いてのローラー作戦、あるいは独居老人に送迎付きで期日前投票をおぜん立て、この程度の投票率アップではビクともしない。

古賀自民選対委員長、きたる衆院総選挙にむけて、

「投票率はあまり高くない方がのぞましい」

なんて本音をもらして物議をかもし、

それ以前、2000年の総選挙では元祖失言王の森総理が、

「無党派層は寝てしまってくれればいい」

と放言、寝ている子を起こしてくれたおかげか、自民議席の大幅減。


という具合に投票率のアップダウンが各政党の浮沈を示すというのだから、今回10%ではなく20%アップならば自民はさらにボロボロ、公明党だって、どうなったかわからない。

だからといって投票率が100%という事態は、国名に「民主主義」とある北朝鮮のごとく、別の意味で恐ろしい。



政党支持者は、全体の50%前後で、投票率が50%ならば政党支持率通りの結果が出るといわれ、それ以上の投票率なら政党を支持していない無党派人が、選挙結果を左右する。

今回の都議会選、あきらかに民主風が吹きまくり、公示の3日前に立候補を決めた民主の女性候補が当選。
これで民主が手放しで喜んでいたら、次に痛い目に合うのは民主に決まっている。

なにしろこの無党派層、小泉郵政選挙では自民に大量に流れ込んだ実績あり。

が、小泉チルドレンと称する人々、頼みの親分はトンズラでいまや風前の灯。
さらにいえば、その小泉に「偉大なるイエスマン」と胸を張った武部勤も地元選挙区の北見市長選で身内が敗れ、みずからの足元さえおぼつかない。

いずれにしろ、自民、いまだに野に下る覚悟ができていないのか、麻生降ろしだ、総裁選前倒しだ、と蜂の巣をつついたような大騒ぎをしているけれど、いかに表紙を変えたところで「人気」に弱い無党派層も今回はなびきそうにない。
東国原かつぎ出しであまりにも露骨な人気取りと見透かされ、裏目に出ている印象。

その麻生降ろしを阻止するためかどうか、7月21日解散、8月30日投開票との日程が報じられているけれど、このパンツのゴムが伸び切ったようなスケジュール、いったい、なんの意味がある。

政治空白は許されないだのと御託を並べた麻生自民だけれど、「ボクチン、や〜めた」から「自分のことは客観的に見えている」と怒りの会見で政権放り投げた方を通過して、権力にすがりつくだけのバラマキの方策しかとらず、ずっと空白状態。


政党支持者は全体の50%前後、つまり、残りの50%が政党政治にウンザリした人々、および政治にまるで無関心の無党派層。

つまり、来る総選挙、投票率50%以上なら、風しだい。
以下なら、政党支持率通りの結果か。

「層」といっているけれど、まとまりなんかない。
風まかせの風来坊のようなもの。

ようやく、ボブ・ディランの「風に吹かれて」が現実になってきた。

以下、忌野清志郎の見事な訳詩の最後の部分。



どれだけ風が吹いたら解決できるの?

どれだけ人が死んだら悲しくなくなるの?

どれだけ子供が飢えたら何かが出来るの?


その答えは風の中さ 風が知ってるだけさ

悼む

その折々に思うけれど、ある人が亡くなると、

「そんなにすごい人だったのか」

と感心させられるのは、いったい、なぜだろう。

同時代に生きていながら、その人となりについて無知であったということか…。



たとえば、マイケル・ジャクソンが急死した。
もともと謎の多い人だったけれど、その死もまた謎につつまれ、死因はいまだに特定されていない。

報道、ワイドショーを問わず、テレビはマイケル・ジャクソンの死を悼みつつ、その裏ではちゃっかり視聴率を計算する。

誰かがマイケル・ジャクソンについて語れば語るほど、
「ほう、そうだったか、そんなにすごい人だったのか」と宙を仰ぐ。

なにしろ思い出されるのは、あの「ムーン・ウォーク」と狼男をモチーフにした「スリラー」だけ。
いずれも、その才能に目を見張ったけれど、心奪われる、とまではいかず。

なぜか、と考えるまでもなく、あの不自然すぎる顔の変化、わたしはどうもいけない。

要するに彼は、アメリカの一大産業であるミュージック・ビジネス界の寵児ではあったが、その姿を見るだけで痛々しくなってきて彼のステージを心から楽しめるという心持ちになれないのが、より哀しい。


もともと、ダンス・ミュージックというようなジャンルについて、あまり興味もなかった。
アメリカの音楽ならば、カントリーが好み。

中学生の頃、まわりがハードロックに夢中になっているのに、わたしだけはCCRという具合。
ジョン・フォガティのあの泥臭い歌声を耳にすると、アメリカの広大な草原や大地、大自然の映像が浮かんだ。

そして、泥臭い歌声を中和するため、その一方でアメリカの女性ボーカルのさわやかな歌声も好んだ。
カーペンターズ、オリビア・ニュートンジョン、あるいは、ちょっと異質だけれどキャロル・キング…。

キャロル・キングが来日したのはいつだったか。
NHKホールでのコンサートを観た。
聴いたのではなく、観たとするのは理由がある。
隣に座っていた若い男、キャロル・キングの大ファンというよりマニアで、全曲ソラで歌う。
キャロル・キングよりも隣の男の声が耳につき、台なしだったことが思い出される。

そもそもコンサートに出向いて心から感動したという経験がない。

ボブ・ディランはアコースティックギターをアメリカに忘れてきたのか、エレキギターで演奏するものだから期待していたものとまったく違う音楽になっていた。

ローリング・ストーンズは、ずいぶん前の席を確保していたけれど、始まる前から回りが立ち上がっていて、座っていたら、ステージも見えない。
それでも、あの年齢にしてステージの端から端まで歌いながら走り回るミック・ジャガーには驚愕。
が、終了後になって席を確保してくれた広告代理店のあるお方、

「あれは、歌ってないよ」

この一言に、愕然、立ちっぱなしでの疲労感だけが残った。

以後、ビジネスに取り込まれた大掛かりなコンサートは行っていない。
こじんまりとしたライブハウスのみ。


さてさて、人が亡くなると、知らなかった情報が耳に入るからなのか、
「惜しい人を亡くした」との思いを強くするけれど、
その一方で、ホンマかいな? という気分も残る。

キミたち、そんなに大事にしていたのかい、なんてことを思うのは、偉大な人物を誉めることで自らの立場を格上げする、という効果を狙っている人々の計算が見えるから。
テレビ業界の浅はかさ、計算高さ、コメンテーターや評論家の薄っぺらさに、マイケル・ジャクソン、「スリラー」のごとく墓の中から出てきて「ニヤリ」と不気味な笑いを浮かべるのではないか。



せんだって、同年齢のTatuwan(日本人)と立ち話をしていたら、彼は静かな口調で、こう言った。

「清志郎が死んで、本当に哀しいね。ただ、こんなに世の中が大騒ぎになるとは意外だったな」

そして、さらにつぶやくように言った。

「加藤周一さんが亡くなったことは、本当に残念だね」

こちらは、もっと大騒ぎして欲しい、と言いたげだった。

加藤周一とは、つまらない表現をすると「知の巨人」とでもいうか…。
医師であり、哲学者であり、文学者でもあり、評論家でもある。
朝日新聞に長きにわたって『夕陽妄言』を連載し、昨年になって連載終了したが、暮れの死の間際まで評論活動を続け、膨大な著作を残して逝った。

いつの時代も先行きなど見えたためしはないけれど、いまほど、こういう人の言葉が人々の指針となる時ではないだろうか、本当に残念だ、とTatuwan(日本人)は言いたかったのではないか。

「うん、うん、本当に残念だ」

と、わたしも心からうなづいた。

夢のような話…

朝日新聞に「回収プラスチック焼却 佐渡市」という見出しの記事が出ているけれど、やっぱりな、との感想。

佐渡市がリサイクルをやるというので、市民が頭をかかえながら「廃プラ」マークのプラスチックやらトレー、発砲スチロールなどをきれいに洗って分別し、集積場に運んでるのに、その量が予想以上に多すぎて保管場所がなくなり、燃やしてしまったんだと。

このことは佐渡市の6月市議会でも問題になっていた。
それを朝日新聞が取材して記事にしたものだろう。

記事によると、1ヶ月20トンの廃プラを処理するつもりでいたけれど、倍の40トンも集まってきたらしい。
その結果として佐和田地区にある「佐渡クリーンセンター」の保管場所が満杯になり、やむをえず「燃えるゴミ」と一緒に焼却してしまったという。

そこで市は、どうしようと考えているか。

新たに保管倉庫を建設するという。
さらに、民間の中間処理業者に委託するともいっている。

つまり、余計なカネがかかるって話だ。
手間ひまかけて安くなるならわかるけれど、高くなるってんだから、お話にならない。

そんなことしないで、燃やしてしまえば安上がりってことは、リサイクルについて、ちっとばかり勉強すればわかること。
ついでに言えば、リサイクルは資源の無駄遣いってこともわかるはずだ。

廃プラ・リサイクルなんてことを推進すればするほど、廃プラ製品が減るどころか、増えていくのは明らか。
増えれば増えるほど消費者の側は、手間ひまだけではなく、頭も使い、しかも税金がつぎ込まれる…。

それだけじゃない。
業者はより軽くて、より強いプラスチック製品やらトレーを作ろうと企業努力、その結果として、プラスチックにさまざまな溶剤を添加する。
不純なプラスチックになるのだから、当然、リサイクル技術も、それに対応せねばならず、人件費やら技術に費用はかさむ。

これが、リサイクルというものの、実態。

ところが、ややっこしいことに、リサイクル → 資源の無駄づかい → カネの無駄づかい → 景気対策 という目くらましがあるから、哲学のない行政、無知なる民はますますわからなくなってしまうが、エコのためのリサイクルが結果的に“反エコ”になっていくというのだから、あまりにもバカバカしい。


とにかく佐渡市は、「発生抑制」への努力もせずに、安易にリサイクルなどに手を出すから、こんなことになる。

以下、かなり無茶なことを言う。
佐渡ではプラスチック製品は使わない、と条例で定めればよい。
竹、ササ、樹木、ワラ、紙…。
包装するなら、こうした素材を使用すること、とすればよい。
どうせカネを使うなら、そうしたものを生産する人々を育てるために使う。

そして、こう宣伝すればよい。
佐渡は、純粋の日本産トキが舞っていた昔の日本の姿ですよ、ゴミのない島ですよ、と。

そういう島ならば、のんびり遊びに行きたいなと思うのが、人間というものだろう。

ま、夢のような話か…。
livedoor プロフィール

 能美太蘭(のうみ たらん)

産廃問題に限って文中に登場する人物を実名で書きたくなった。そして、書いた。ならば、書き手も実名、雁首オープンでなければ公平ではないと判断した。
本当の名前・村上正樹
生育の地・網走番外地〜塀の外。
現在、産廃施設大騒動の渦中にある佐渡市・西二宮に居住。
つい最近、雷が家屋直撃の大当たりするも、くじ運は悪く、当たったためしがない。

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