2013年12月

2013年12月24日

映画『サカサマのパテマ』4

sakasama_no_patema東京テアトル系列の映画館で使える鑑賞券が懸賞で当たったので、東京に出る用があるときについでに1本観てこよう、と計画していた。さて何観ようか…とスケジュールを探っていると、丁度渋谷の劇場で本作をやってるらしい。アニメだが、『イヴの時間 劇場版』の監督の作品だと聞いて、俄然興味が出た。『イヴの時間 劇場版』のDVDを以前弟に観させられて、結構面白かった記憶があったからだ。「手を離したら、彼女は空に落ちていく。」というコピーも、なんだかオシャレだし嫌いではない。ようしこれ観てみよう、と決めて、ヒューマントラストシネマズ渋谷に赴いた次第。

面白かった!こんなことを言っては失礼だけど、予想していたよりずっと面白く、よく出来た作品だったと思う。荒削りな部分も目に付くものの、この監督なかなかやりおる、とつい感心させられてしまう出来だった。

本作の原作・脚本・監督は吉浦康裕という人で、ネット配信したアニメーションシリーズ『イヴの時間』で話題となり、それをまとめた『イヴの時間 劇場版』で映画監督デビューを果たした、まだ33歳の若手クリエイターだ。で、僕はその『イヴの時間 劇場版』のどこが面白かったのかというと、アンドロイドと人間が普通に同居しているというSF設定ももちろんそうなのだけど、なんといっても会話劇の妙であった。『イヴの時間』は主人公の自宅とアンドロイドが集う喫茶店のみが主な舞台の作品で、必然、キャラクターどうしの会話ややりとりが中心となる。吉浦監督はそのミニマムな舞台でもきっちりとのめり込める会話劇を構築することに成功しており、それ故に面白く観ることができた。

具体的には、会話のリズムをすごく大切にしているなぁ、という印象が強かった。僕は芝居においては何を置いても会話のリズムこそ大事、と信じているのだが、どんなにその内容が面白かったり衝撃的だったりしても、それを伝える際に効果的でないと意味が無い、と思っているからこそ。で、伝達を効果的にする一番の要素こそ会話のリズムで、リズムを駆使することでいくらでも会話自体を魅力的にできるのだ、と勝手に確信しているクチなのだが、この点吉浦監督の作り上げる会話劇はとても良くできていると思う。基本的にはユーモアをふんだんに含んだテンポのいい丁々発止の掛け合い、重要な場面では適度なタメ。そして不要なタメは用いないため全体的に冗長さはほぼ無い、というまとまりの良さ。聞いていて心地の良い、面白い会話が全編に成立していた。

今回の『サカサマのパテマ』もこの良さはきっちり継承されていて、とても嬉しかった。基本的には主人公のエイジとヒロインのパテマとの会話に集約されているが、基本的には互いの価値観・性格のギャップを反映させつつのユーモア溢れる楽しい会話、シリアスな場面では適度にタメて、カタルシスあふれるシークエンスでは会話もダイナミックに、という感じ。重要なのは全体的に良いテンポを保っているということで、どうしても会話が重くなってしまいがちな邦画の中では特筆すべきではないかとすら思う。もうちょっとざっくり言えば、通常のアニメ作品ほど形式ばっていなくて軽妙だけど、ハチャメチャにはならずしっかりまとまっている、という感じか。

と、長く語ってしまった「会話」のポイントは、ひどく個人的な注目点にすぎないのだけど、観た人が最初に印象深く感じるファンタジー設定や全体のストーリー等についても、本作はなかなか良く出来ているから偉い。

まず、本作の中心になるのは、重力が通常と逆に働いている人々がいるという「サカサマ」設定だが、これがアイデア一発のネタに留まらず、アニメーション的にもテーマ的にもひどく効果的に作用しているのが素晴らしかった。アニメ的にはそもそも、コウモリのように天井に逆さまに立つキャラクターがいるその画だけで結構面白いし、体重差を利用して空を駆ける爽快な描写とか、コピーが言っていたように「空に落ちていく」ファンタジックなシーンとか、見たことがないアクション描写がたくさん見られるという意味で、見どころが多い。背景などもとてもキレイで凝っているので、アクションシーンでは何度もスクリーンに見入ってしまった。

また、このサカサマ設定はちゃんとテーマとも深く関わっているから侮れない。本作のテーマを、理解した限りでザックリ言ってしまうとすれば、凝り固まった価値観の危険さ、視野を広げる大切さ、他者理解の重要さ、等々、至極納得できる事項になるかと思うのだけど(そしてこれらは『イヴの時間』とも強く共通することだとも思う)、重力の方向が異なる二つの人種が存在する世界という設定は、こういったテーマを語る上でまさにおあつらえ向きの舞台になっているのだ。「空に落ちる」ことが罪であるという植え付けられた価値観は、間違ってはいるもののなんだか神聖で確かにそれっぽいものだし、逆さまにしてしまえばおんなじ人間、というのも、ちょっと見方を変えればグッと距離が縮まるというよくある人間関係が想起させられる絶妙な設定だ。

更に、ストーリー上のクライマックスにおいて、固まった価値観が大きく転換するという重要なくだりがあるのだけど、ここでまさにサカサマ設定が大活躍。文字通りサカサマになるというか、とにかく設定を最大限に活かしたストーリーの転換が見事になされてしまう。ここはストーリーの構成的にもすごく良く出来ていて、後から考えると割とベタな展開なのかもしれないけど、個人的にはそれまでの見せ方が上手かったせいで素直に驚けたし、物語のクライマックスの展開としてはこれ以上なく盛り上がるし、視覚的にも感覚的にも価値観の転換を体感できるし…といいことずくめだった。

このクライマックスを含め、ストーリー全体を見てもかなりまとまっていると感じた。起承転結がしっかり描けているし、なにより言いたいことは過不足なく言えています、という感が心地よい。映像で十分描写できているおかげで、最後に何もかも言葉で説明し尽くしてしまわないのも上品だ。

と、いう感じで、設定もテーマもストーリーも良く、個人的な注目点たる会話も申し分ない、という完璧な作品にも思えるが、気になることがない事はない。若手ならではなのか、荒削りな感がいろいろ残っていた、というのがその最たるもの。特に気になったのが、音楽の使い方と場面転換のやり方で、どちらもなんだかぎこちないというか、慣れてないなぁを思わざるを得ない部分が散見された。具体的には、BGMが不自然にブツっと途切れたり、場面転換でブラックアウトが多用され過ぎていたり。

あえてそうやってるのかもしれないし、そういうなんだか「自主制作感」みたいなのが残ってる方が個性的で良い、という人もいるのかもしれない。ただ個人的には、本筋とは別の部分で違和感を感じさせてしまうのはやっぱりノイズでしかないと思うし、ただ単にもっと上手くやれるだろう、という感も強くて、かなり気になってしまったという訳。まあここは普通に、どんどん作品を作っていくうちにこなれていく部分だとも思うけども。

とまあ、そういう点がどうしても気になってしまったので、★は1つ落として★4つ、ということで。ただこれ、★5つに限りなく近い4つと考えていただきたい。それくらい、予想外に面白かったし、監督の才能を目の当たりにできた良作だったと思う。吉浦監督は、もっと作品を世に出して演出がこなれて行けば、間違いなく巨匠と呼ばれることになるだろう注目の存在であることも、今回確認できた。細田監督らと並んで、次回作がとても楽しみなアニメ監督さんの一人を発見できただけでも、すごく価値がある鑑賞だったと思う。

そしてそんな本作が、お馴染みの文化庁メディア芸術祭の第17回にて、アニメーション部門優秀賞を受賞したというのは、素直に嬉しい。受賞作品展に行くのが更に楽しみになってしまった。


nozan0524 at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画 

2013年12月18日

イキウメ『片鱗』

henrinもう公演終了しちゃった舞台の話を書くのもナンだけど、せっかく観たのでちょっと書き留めておこうと思う。すっかりお気に入りの劇団となった劇団イキウメの最新作『片鱗』を、いつものごとく東京公演最終日に観に行ってきた。場所は同じくイキウメ『太陽』以来の青山円形劇場。スキの無いこの独特な空間で今度はどんな世界を見せてくれるのか、とワクワクして赴いた次第。

…やっぱり面白かった!今回、今までのイキウメとはちょっと違った方向にチャレンジしているため、もしかしたら賛否が分かれるのかもしれないけど、個人的にはこれはこれで非常に面白かった。

ではどこがこれまでと違うというのか。そもそもイキウメという劇団は、そしてそれを率いる前川知大さんとは、少なくとも僕が観てきた作品群からすれば、ロジカルでしっかりと構築された設定に基づくSFこそが十八番であり、大きな売りの人たちだと思う。そういう意味で、前作の『獣の柱』はまさにザ・イキウメというか、イキウメらしさを全面的に押し出した傑作となっていた。

この点今回の『片鱗』は、まず全体のテイスト・テーマ的に、SFというよりホラーである点でちょっと違う。本作でももちろん異界との邂逅は描かれるし、それは確かにSFの一領域ではあるのだが、重要な設定はただ一つ。とある「呪い」が存在する、という一つの設定を元に、ご近所どうしの人間関係がどんどん変貌していく様が描かれるのだ。この設定のシンプルさは、これまでのイキウメ作品からすると新鮮なくらいだ。

また、いつもだったら、こういう設定の説明は中盤で終えて、そこからはその設定を活かしたストーリーが展開する、となるところ、今回はこの呪いの設定が判明するのすら終盤になってからだし、唯一ロジカルな部分と言える「呪いの承継」についてはラストでようやく明かされるという感じになっている。つまり最後の最後まで「どういうわけでこういう事態になっているのか、どういうわけでこの人たちはこんな行動をとっているのか」というモヤッとした部分が続くつくりというわけで、これはまさにホラーという、「怖さ」を主眼とした今回のテーマと合致するつくりと言えるのだ。

このシンプルさと若干トリッキーなつくりが、これまでのロジカルな設定が詰まったSF作品とはちょっと異なるため、一緒に観に行った妹のように「ちょっと物足りなさもあったかも」と感想を漏らす人もいるかもしれない。ただ個人的には、設定がシンプルなゆえに物語全体が非常に分かり易くなってて良かったし、その分人間関係の変貌の描写がすごく丁寧になされていたりと、これはこれで大変完成度が高いと感心してしまった。また、ラストになって設定の根幹部分が明らかになるというつくりについても、それと同時に人間自身の怖さや自分勝手さが急に浮き出て「怖い!」となるという上手い仕掛けになっていたり、最後まで大変面白く観させてもらった。

加えて、今回は円形劇場をうまく使って、普段はあまりやらないような舞台的仕掛けがたくさん用意されている。ストーリーがシンプルなゆえに見た目を工夫しようと考えたのか、まさにその場で観てる人でないと体験できない感じというか、ライブ感が随所に感じられる演出ばかりだった。例えば、4つの舞台をそれぞれ家と見立てた舞台の構成自体も面白いし、そこらで本当に水を垂らしたり、天から何かが降りてきたりと、お馴染みの映像演出とはまた違った、アーティスティックとも言える演出の数々。常にハッとさせられることばかりだったが、中でも劇場内を不穏に徘徊する手塚とおるさんは、芝居の内容とも相まって非常に不気味であった。僕のすぐそばに来て座ったりもして内心ドキドキ。

というわけで、イキウメ的には王道の前作の後にちょっとした変化球を投げてきた、という感じの作品。個人的には、これはこれでたいへん良く出来ていてとても面白かったし、普段とは違う構成や演出の数々に、イキウメという劇団の更なる可能性・ポテンシャルを垣間見れたという印象だった。ぜひいろんな人に観てほしいが、映像ではいろんな部分の感じ方が半減してしまいそうで、それはちょっと残念ではある。

しかし、今回改めて、円形劇場とイキウメとの相性の良さを実感したのだが、それだけに青山円形劇場が無くなってしまうというのはかなり残念な事態である。ああいう形の劇場、ぜひ別にまたオープンさせてほしいものだが。

nozan0524 at 21:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 舞台 

2013年12月12日

映画『清須会議』4

kiyosu_kaigi僕が大の三谷幸喜ファンであることは、このブログの端々からも読み取れることだろうと思う。思えば今は昔、中学生の頃に『古畑任三郎』の再放送を見た時からずっとゾッコン状態なわけで、もちろん今回の映画の原作になった小説『清須会議』も昨年のうちにしっかりチェックし、三谷さん自身の手による映画化を首を長くして待っていた。原作はとても面白く仕上がっていたが、果たして映画化したらどうなるのか。あの口語体のスタイルはどうするのか。時代劇は三谷さん初めてだけど大丈夫なのか…と期待やちょっとした不安が入り混じる中、いつものように三谷さん自身がメディアに露出するようになってきて、映画が遂に公開。もちろんすぐさま観たいが、ここまで楽しみにして来た作品だと早く観てしまうのが若干勿体ない…みたいな複雑な気持ちの中、結局公開2週目で観に行ってしまった次第。

面白かった!これまでの流れとはちょっと違う、三谷監督の新境地挑戦への意欲が伝わる力作だったと思う。これまでで一番!という部分も多い。ただ、その分、ここはやっぱり勿体なかったかなぁと残念に思う部分も幾つかあったり。

さて、本作を個人的に一言で表すなら、いろんな意味で「観る側の立場によって評価がかなり変わってきそうな」作品、という感じではないだろうか。その「分かれ目」の一つが、本作がこれまでの三谷監督作品と異なり、ある種新境地に挑戦しているという点だ。

どのあたりが新境地なのかと言えば、ズバリ三谷さん本人がパンフで書いているように、実は本作はコメディではないのである。テーマ的にも『ラヂオの時間』のようなシチュエーションコメディーではもちろんないし、前作『ステキな金縛り』のようにバラエティ豊かな笑いを提供するものでもない。言わば、笑いを交えつつも焦点はキャラクターどうしの関係性やその変化の面白さにある、「人間ドラマ」というくくりの作品となっているのだ。

だから必然的に笑いの量は少なくなる。原作の笑い要素の一つだった「口語体」というやり方も映画ではほとんどなくなっていたので、それによる笑いも無い。ここでまず、前作までのような爆笑コメディを期待していた観客としてはおそらく肩透かしとなってしまう。ただ、この方向性は実は舞台の三谷作品ではむしろ王道といえるもので、最近でも『エキストラ』とか『コンフィダント・絆』とか『ベッジ・パードン』とか、非常に多く見られるもの。なので、僕を含めて三谷さんを良く知る層としては、肩透かしどころか「ああ、遂に三谷さん映画でも人間ドラマをメインに据えてきたなぁ!」と感慨深いくらいなのだ。

で、今回この人間ドラマは、さすがメインに据えただけあって、非常に上手くいっていると思う。織田信長の後継者を決めるための清須会議を描いている本作だが、要は羽柴秀吉が天下統一への第一歩を進める、そのターニングポイントこそを描くドラマである。そしてそれに伴い様々な人間関係が変化する、その面白さを主眼に置いている。三谷さんは、キャラクター達の心情、関係性、それが色んな要因で徐々に変化していく様子等をきっちり丁寧に描き、そしてまさにハイライトとして完全なる「変化」の瞬間を鮮やかに描写し、最後は今後の新たな関係性を予感させる余韻を残して終わらせる、という見事な手腕を発揮して、上記の面白さをしっかりスクリーンに現出させているのだ。観た人なら全員、「ああ変わってしまったんだなぁ…」という余韻を味わいつつ劇場を後にできること請け合いである。

この「人間ドラマ」の要素は、モノローグ小説故に俯瞰的に見づらかった原作小説では現れにくかった部分でもある。つまり、映画化ならではの要素とも言えるのだ。

もちろん、少なくなったとはいえ、三谷流の笑いも散りばめられている。メインたる人間ドラマを盛り上げるために邪魔にならない程度の心地よい笑い、という感じ。前作に出ていたあのキャラクターが登場する場面で、必要以上にコメディ色を強く出さずに適度な笑いで抑えたというのが、今作の笑いのスタンスを象徴している気がする。

また、人間の関係性を描く以上は各キャラクターをきっちり描く必要があるわけで、キャストで失敗するわけにはいかない。当て書きでホンを書くことも多い三谷作品のキャストには大体ハズレが無いが、今回も然りで、いつものごとく豪華キャストが勢揃いしているが、全員ハマり役と言っていい好演を見せてくれている。全編冷静沈着な丹羽長秀を演じる小日向文世さんはこれまでにないカッコ良さだし、ワンシーンしか出ない松山ケンイチも人の良さをバッチリ印象に残す。あとやっぱり、秀吉役の大泉洋。野望を抱きつつ人身掌握も怠らない、まさに秀吉像を体現しており、『ベッジ・パードン』の時も強く思ったが、この人はやっぱりホームグラウンドたる「演じる」場面でこそ輝くな、と確信した次第。

嬉しかったのは、この三谷印とも言える豪華キャストが、本当の意味で初めてハマったんじゃないかなと思えたこと。これまでも豪華キャストは三谷映画の特徴みたいになっていたが、豪華であることが必然性を持って映画の質に直結したのは、今回が初めてではないだろうか。

さて、もう一つの「分かれ目」と思われるのが、本作が時代劇である、というか、実在の歴史上の人物を登場させた物語であるという点である。ドラマや舞台では多いが、これも映画では初めての趣向だ。

これは完全に個人的な意見になってしまうが、先述の人間ドラマをより深く描くことにおいては、歴史上の人物を取り上げることはかなりアドバンテージになりうると思われる。というのも、フィクションではキャラクターについてその物語内で創り上げるしかないのに対し、歴史上の人物となると皆の共通認識としてのバックグラウンドとか性格とか、既にキャラクターがより膨らんだ状態で存在している。その分人物に深みが出て、ドラマも深くなるという訳だ。

本作も然りで、メインキャラクターの勝家や秀吉の出自がどんな感じで、これまでの互いの関係がこういうもので、そして今回の変化を経てどういう状況になっていくのか、という予備知識があることで、本作で描かれている変化がどれだけ重要なものなのかとか、ラストのなんともいえない切なさとかが深く理解でき、ドラマがより深みを増すことになる。ただここで、歴史好きかそうでないかという「分かれ目」が生じることにもなる。歴史に詳しければこういった予備知識があるだろう一方、全く興味のない人は当然知らないだろうから、深みも何も、といったことになりかねない。三谷さんはなるたけ本作中だけでもキャラの関係性を分かりやすく描こうとしているが、この点で見方や評価に差が出てしまうのも確かだと思う。

また、これは「分かれ目」とは関係ないが、今回時代劇だったことで、映画としての見た目というか風格がグッと増したなぁと感動してしまった。種田洋平さんが手がけた清須城の中庭のセットはいつもながらすごいし、黒澤和子さんの衣装もきらびやかだし、歴史ものというだけで画面が引き締まって見えさえもした。この「映画」感は、歴代三谷映画の中でも随一だと思う。

さて、このようにいくつかの「分かれ目」があり、それぞれ乗れるかどうかで最終評価も変わってきそうな本作だが、肝心の僕はどうだったのかと言えば、まず生粋の三谷フリークであるし、また歴史好きでもある訳で、どちらの「分かれ目」も良い方向に進み、結果非常に楽しませてもらったのだった。原作を読んでいても、しっかり映画ならではの要素で楽しめたと思う。特にあのエンドロール、ラストの余韻!あれはあの後の歴史を知っていればこその余韻だが、いやはや極上だった。

ただ…三谷さんファンだからこそ言いたい、という不満点も、本作では幾つか存在する。一つは、どうしても感じてしまった冗長さだ。本作、138分もある長尺の作品で、近作でも目立つこの長尺っぷりは三谷作品の良くないところだとは常々思っていたのだけど、今回は観ていてかなり真面目に「ううむ長いなぁ」と思ってしまった。前作までは、多少長くても、ストーリーの面で興味の持続がかなりあったのでどうにかなった、という救いがあったと思うのだが、今回はお話的にはもう分かってしまっている訳で、それも長さを感じる要因になったような気がする。だとするとここは、歴史好きだったこと&原作を読んでいたことがむしろ悪く働いた、のかも知れないが。

人間ドラマを描く上で無駄なシーンがある、とは言わない。しかし、それぞれのシーンのテンポをちょっと上げたり、あと会議後の一連のシーン、あそこはただでさえ蛇足に見られがちな部分なので、もうちょっと上手く編集なりテンポ上げなりするといった工夫は出来たんじゃないだろうか。映画の冗長さは後味にも大いに関わってくる部分なので、三谷さんにはぜひ自作から意識してみて欲しいと思う。

そしてもう一つ、これは非常に個人的で自分勝手なことで恐縮なのだが…原作を読んで映像化をとても楽しみにしていたシーンが無かった、というのも残念だった点の一つ。具体的に言ってしまえば、イノシシ狩りが旗取りに変わってしまっていたのだ。イノシシ狩りは原作屈指の笑えるシーンで、笑いが少なくてもオッケーという先述の内容に矛盾するようでちょっと申し訳ないのだけど、あのシーンの映像化で大いに笑えるだろうと密かに楽しみにしていたものだから、少なからずがっかりしてしまったという訳。旗取りもかなり面白いシーンになってはいたし、たぶん何らかの理由があってあえて変わったのだとは思うが、あのシーン観てみたかったなぁとは今でもたまに思ってしまう。

というわけで、基本的に三谷監督の新境地への挑戦は個人的に効果的に受け取ることができ、大いに楽しんだ一本ではあったが、主に冗長さの点で残念さも感じられた、という作品だった。三谷ファンとしてちょっと迷ったが…やっぱり冗長さの欠点は直して欲しいところではあるので、ここは若干厳しく、★4つの評価とさせていただきたい。とはいえ、極上の人間ドラマと適度な笑い、そして映画の風格が楽しめる力作であることは確かだし、特に上記の「分かれ目」が良い方向に進むという人にはぜひ観てみて欲しい作品である。

三谷さんの映画における最終目標は、ただただ笑える究極のコメディだと言うが、あと数作の間は、今回のような挑戦作・意欲作にチャレンジしてもらうのもいいんじゃないかと思う。次回は例えば本格SFなんて、どうですかね?

nozan0524 at 19:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画 

2013年12月07日

映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』4

madokamagika_shimpenテレビアニメの『魔法少女まどか☆マギカ』はとても面白くて好きな作品である旨、またその総集編となっている『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 〔前編〕 始まりの物語』と映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 〔後編〕 永遠の物語』も観に行ったという旨は、以前このブログで書いた。更に映画で完全新作が作られるらしい、という情報はその当時から聞いていたが、あっという間に月日は流れ、その新作の公開がいつの間にか始まっているという事態に。まあそりゃあ観たい一本だよね、ということで、ほとぼりも冷めたと思われる公開3週目、ふらりと劇場に足を運んでみた次第。まだまだ結構混んでましたよ。

面白かった!…けどモヤっと感もそれなりに残って…という、なんだか複雑な後味の作品だった。すごく良く出来てるし、実際とても面白いんだけど、個人的には好き嫌いのレベルでやっぱりモヤっとしちゃう、そんな感じ。

そもそも、今回の作品って、シリーズのファンとしては当然観たい一本ではあったけど、最初は正直「えっほんとに続編作っちゃうの…?大丈夫なの…?」と若干危惧してしまうくらいだった。だって、テレビアニメ版があまりにもキレイに、見事に終わってるんだから、それ以上はどうやったって蛇足になっちゃうだろうな、と思って。ただ、先に言ってしまうと、この危惧は完全に杞憂だった。すなわち、テレビシリーズ(あるいは総集編たる劇場版)の「続編」としてしっかり作られている点、しかもきちんと「意味ある」続きとなっている点、は、本作に関して諸手を挙げて褒めちぎるべきだと思うのだ。

あれだけ大スケールの風呂敷を閉じたテレビシリーズを知っている我々観客からすると、本作の冒頭、まるでテレビシリーズの第1話のようにのほほんと始まる構成に驚いてしかるべきだろう。なぜしれっとまどかがいるのか、死んだり魔女になったはずの魔法少女がなぜ元気に活動を続けているのか、彼女らが戦っているナイトメアって一体なんなのか、等々疑問が次々に沸いてくる。そのうち、これってもしやパラレルワールドでテレビシリーズとほとんど関係なかったりするの…?とすら思えてくるが、いやはやお見事、この慣れない世界観もちゃんとあのテレビシリーズの続きとして存在しているものであることが、次第に明らかになるのだ。

まず凄いのが、こういうかなり概念的でファンタジックな展開・仕組みが、やはり非常にロジカルに理由づけられているという点だ。前にブログでも書いたが、僕はテレビシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』の、物語の重要要素にきちんと設定・ロジックが用意されているのがすごく好きだった。まどマギがファンタジーを超えてSFとしてかなりの完成度を誇っているのもこのおかげだと思うが、今回もそれは然り。映画後半になると、この不自然な世界の謎が徐々に解明されていくが、これがテレビシリーズで語られた「魔女」「円環の理」「インキュベーター」などの設定を活かした見事なもので、本当に感心してしまった。これなら「続編」として全然不自然じゃないし、むしろテレビシリーズよりもぐっとファンタジックなお話なのにちゃんと論理的に説明がつくというのが素晴らしい。脚本の虚淵さんの才能をまた見せつけられた感じだった。

また、設定の上手さのみならず、このお話にはちゃんとあのテレビシリーズの「続き」として語るべき存在意義がある、というのも凄いところ。言い換えると、本作はしっかりテレビシリーズの「補完」になっているのだ。まず例の前半では、魔法少女たちの和気藹々のチームプレイや長めの変身シーン、そして謎の成仏(?)の儀式などを拝むことができ、後半に入ると激しいガンカタ風のマミさんvsほむらちゃんのバトルなんてのも観れてしまう訳だが、こういったシーンって単純に、テレビシリーズのダークな世界観を楽しむ裏で、我々視聴者が「こういうのも見てみたいな」と密かに望んでいたところではないのか。言わば、同人誌的に妄想する対象のifの世界というか。そこを実際に見せてくれる今回の映画は、その意味で単純にとても楽しいし、嬉しい。

また、ストーリー的にも、「補完」の意味はちゃんとある。謎が解けていくにつれて、本作ではとある人物の想いや願い、そしてその救済こそがテーマになっていることが分かるが、それが分かった時には僕も「確かに、これは続編で描いておかないといけないテーマだよな」と膝を打ったのだった。で、クライマックスでそのテーマがある種結実しようとするその瞬間を目にして、ああやっぱりロジカルなファンタジーとして素晴らしい脚本だったし、続編としての意味もしっかりあったし、なんて見事な作品に仕上がっていたんだ、と感激してしまったのだ。

なお、テレビシリーズの時から、いわゆるアニメーション独自の表現という意味でも『まどマギ』は異彩を放っていたが、本作ではそれがいっそう顕著になったと言える。「劇団イヌカレー」による摩訶不思議な異空間の表現と、嘘か誠かぼんやりしていて概念的描写も多数登場する本作の世界観が相乗効果を生み出し、様々な意味でまさにアニメーションでしか表現し得ない世界が構築されているのだ。加えて、ものすごく動く激しいアクションなどもちゃんと用意されているなど、表現方法そのものを眺めているだけでも大変価値のありそうな作りになっている。

と、ここまで見てきた限りでは、テレビシリーズの続編たる劇場版として申し分の無い出来に仕上がっていたといえるのである。しかし…本作を観た人なら誰もがそう思うように、本作の核というのは実は終盤になって初めてやってくる。おお、これでめでたしめでたし、大団円か…と思っていたその矢先、サブタイトルにもあるまさかの「叛逆」が勃発するのだ。ここからラストまでの、まさに「驚きの」展開こそ、本作の評価を決めるキーポイントになるはずだ。

ネタバレを避けるため詳しくは書かないが、この終盤のくだり、それまでの物語の流れからすると確かに驚きではあるが、つじつまが合わないとか、登場人物の心情の流れが不自然だとか、そういうことは実は全然ない。むしろ、良く考えると、キャラクターの気持ちや信念を丁寧に追っていけばこういう展開になるのは必然なのではとすら思われる、展開的には納得のいくものにちゃんとなっているのだ。また、こんな感じで観客の予想を裏切り驚かせてくれる展開を持ってくる、という構造そのものが、まさに『まどマギ』っぽさであるとも言えるだろう。

そういう意味で、この部分も、確かに良く出来ている。ただ、その展開そのものに関して、好き嫌いのレベルで反応が分かれるものであることは間違いない。で、個人的には、いろいろ考えた結果であるが、やっぱりあまり好きにはなれない展開だったのだ。分かる、気持ちはよく分かる、でもやっぱりあれでは、テレビシリーズで築き上げてきた一つのテーマや成長が、かなり大々的に否定されてしまっている気がしてならない。それでは『まどマギ』らしさを否定するかもしれないが、甘い自分としてはやはり、分かり易いハッピーエンドの大団円を観たかった、というのがある。

あと、映画の構造的にも、あれでは終盤の展開が内容・インパクト的にかなり頭でっかちになってしまって、全体としてのバランスを崩してしまっているのは間違いない。ハッキリとした解決が最終的に示されていないっぽいのも、どうしてもモヤッと感を残してしまっている。個人的にはこれがシリーズの完結作だと思い込んでいたので、不完全燃焼感があまり良い印象を残さなかったというのもある。

という感じで、ほんとに、全体的に非常によく出来ている作品だと思うし、最大評価を付ける人とかも全然納得できる作品なのだけど、最後の最後、好き・嫌いのレベルで、やっぱりモヤッとが残ってしまった作品だと言える。なのでここはまあとりあえず的に、★4つとさせていただきたい。

ただ、あの感じだと、更なる続編が出来てしまいそうな雰囲気もものすごくある。というかこれはぜひ作っていただきたい。極限まで行き着いたような対立構造が本作によって作られたのだから、それを最後にきっちりまとめるためには、やはりあと1作くらいは必要だろう。その更なる続編において、本当の大団円が描かれた暁に、自信を持って★5つをつける準備は、もう出来ている。だいぶ先になりそうだが、気長に楽しみに、待ちたいと思う。

nozan0524 at 23:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画 

2013年12月02日

藤子・F・不二雄先生生誕80周年!

105…は昨日だったんですけどね。今年はこの関係でいろいろイベントやら展覧会やらがあって、なんとも楽しい一年だったなぁと。いやでも毎年このレベルでお祝いすべき日だとは思うんですけどね。だって先生がもし生まれてなかったら僕の人生の半分くらいまるきり違うものになってた可能性が大…マジメな話。

ちなみに本日、12月2日はドラミちゃんの誕生日。Fミュージアムのドラミモニュメント、まだ見に行ってない自分は不真面目なファンと言われても致し方ないと思う。

で、藤子F全集の4期(これで完結!)とか、F作品のいいとこどり的な本とか、記念グッズも次々に発売されているわけだけど、かつては異常な収集欲に突き動かされてドラグッズを集めまくっていたこの私が久々に触発されたグッズを偶然見かけたのでここでご紹介したい。こちらです。

doramekuri


ドラめくり2014」という、いちおう書籍扱いだけど、日めくりカレンダー。まあF先生生誕80周年とは直接関係ない、ただのドラグッズだけど、これは何がいいかって、原作の面白さを最大限利用しているところが素晴らしいのだ。例えば、結構話題になっているけど、2/14バレンタインデーはこんな感じ。

doramekuri_214


これこれ!これですよ原作ファンが求めるドラグッズの神髄は。本来、味わい尽くせば尽くすほど面白い原作の面白さを、こういう感じでどんどん出してきてほしいわけですよ。この日めくりカレンダー、こんな感じで非常にセンスが良さそうな商品のため、購入決定。近いうちに必ず買います。めくったページも全部保存してしまいそうで怖いけども。

あとはFミュージアムにそろそろ行って新たなモニュメント等をちゃんとチェックしたいところだけど、どうせ行くなら満足いく量のグッズを買いたいという気分もあるので、もうちょっとお金を貯めてからということになるかもしれない。クリスマスに行く勇気は無いけど、冬もいいと思うんですよねあそこは。

nozan0524 at 23:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ドラ | 雑文