May 23, 2015

Wishers Reached #1

第一話



目を開け放ち、なお広がる暗闇に呆然としている。
何を見ようとしているのか、その必要があるのか、薄い疑問が浮かんでは消える。口を開け放し、発しようとした言語を忘れ去り、呼吸さえなく静止している。自身が何者で何を成そうとしていたものか思い出すことかなわず、ただ眺める黒に学ぶものはない。無為なひとときを、ただ過ごしていた。

眼前に、手元に、全身を包むように水色の光が立ち昇る。幾度も瞬いて形を変え、文字列を示し、数字を動かしてせわしなく乱立しては再び消える。無数に出現した窓の群れが通過した後、身を包んでいた黒の殻が割れた。一閃して開け放たれた視界、それは数の概念に収まらない星々の光と遠い星雲、そして正面に鎮座した青い惑星を捉えて像を結ぶ。

停滞睡眠からの覚醒工程が完了。機体の自己診断と共にパイロットスーツの生命維持が検診を開始し、急激に低下した血糖値を検知して栄養剤を投与。それは気合だとかそう言った類のものを注入されるかのように感じ取られ、長い悪夢に放られて衰えた神経と思考に熱量を補充していた。
千切れた意識が繋がれる、深くリクライニングしていた姿勢を僅かに起き上げ、小さなアームレストに落としていた両腕を操縦機器、サイドスティックとスロットルレバーへ戻す。両の指を駆使してそれぞれの表面に並んだ細かなキーを操り、幾度となく繰り返した動作を行う。
機体の自己診断結果を確認、全機能に異常なし、進行予定路の消化に伴って自動覚醒が実行、されど予定時刻に20分ほどの遅れあり。診断と平行して機体の演算装置から記録を喚び出し、進路上に浮遊障害物を感知し回避ルートが自動選択された迄を知る。業務に支障はない。
目指すは、目前の惑星。念のため探査器を鳴らして周辺一帯に反応がない事を確認し、武装のダブルチェックは必要ないだろうと指を止める。大気圏突入に備え自動操縦を解除、慣性航行を終了し微減速へ。光年離れた星々に創られた広大な景色の中、相対速度の減少を視界の移り変わりによっては読み取れない。反重力制御を起動させて惑星の周回軌道に入るよう旋回し、いくつもの長方形のカーソルが形作ったトンネルによって進入コースが表示された。その中央を通過しながらスロットルレバーを段階的に引き込み、緩やかな減速を続ける、気付けば青い惑星は視界の左半分を埋めるほどに接近していた。恒星の輝きを一身に受ける水の星、その右から回り込むように夜の面へと移り行く。
一切の灯りを保たない闇の陸を左に眺めて間もなく、星の影を抜ける。そうして地上に住まう何よりも早く夜明けを迎えた時、機体を包むシールドが大気圏突入形態へ切り替わり、更に近付く惑星の絵に赤い筋が走った。大気の圧縮により生じた熱が光り輝いて傘のように広がる、この機は流れ星となって急激に高度を下げる。
機体表面温度上昇、過熱ペースが少し高いが異常ではない、熱吸収は正常に行われている、進入速度も適正。コースを示す長方形のカーソルを突き破るように進み、機体外縁からこの手へ伝う振動に操縦桿を強く握る。
宇宙から空へと身を沈め、情景は銀を散らした黒から藍色の天空へと移り変わる。その下に見渡すは広大な海洋と、浮かぶいくつもの大陸と島々。人類以外の如何なる生物も届き得ないこの高空からでも、余すところなく深い緑に覆われた陸地は生命に満ち満ちている事が一目にわかる。
更に高度を下げ、薄い雲の少し上に差し掛かり水平飛行に移行、この機体を呼ぶ信号を辿って穏やかに飛ぶ。時刻としては昼の少し前ぐらいだろうか、まだ昇り切ってはいない白みがかった陽の光が造る澄んだ青の空が美しい。ひときわ広大な緑の大陸が視界を占め、再び機首を下げる。見下ろしていた陸の新緑と空色の河川は今や全身を包むかのようだ、時期になれば無数の鳥が飛び交うであろう低空を独り、進む。
その前方に目視した、深い森の一部を掬い取ったような草原を目指していた。往く先を限定するカーソルは既に消え、眼前には平原の一点を示す丸い表記のみが示されている。猫の額のような小さな草原は高度を下げるにつれて広がり、降着に十分な面積を有している事を認識。
目標地点に到達、着陸を開始。機体前方のスラスターを強く噴射して減速、停止。降着脚を下げ、機体上面から青い炎を吹いて降下、その勢いを和らげるように下部からも短噴射し、薄い土埃と草の切れ端を巻き上げながら接地、反重力制御を停止して着陸が完了。伸縮する降着脚が機体の重量を受け止め、視界が僅かに前のめりに傾いた。

肩の力を抜くようにして短く、息をつく。こうして陸地へと降りるたびに全身を巡る安堵は、やはり人体とは星の上で生きていくものなのだと実感させてくれる。この今では、そう考える人間もけして多くはないが。
操縦桿から手を離して前方右のパネルを操作、機体に搭載した簡易な環境測定装置が起動し、大気組成と気温湿度、有害物質の有無、放射線量、浮遊微生物相の解析を行う。統合相似免疫の設定を含めてものを考える間もなく完了。標準的な温暖惑星2型4号、外気温は摂氏20度、現海抜での重力強度は1.03。降着地点の時刻は自転周期25時間のうち11時、季節は公転周期11ヶ月のうち8月。時前に受信していたデータとの相違はない、ヒトの生存に最適な環境。
コンソールを操作し風防を開放、座席に吸い付くようにして固定されていた全身は解き放たれ、展開した梯子を降り、すとりと地上へ足を降ろした。この惑星に初めて人類が降り立った、小さくも偉大な瞬間。そして恐らくのところ、その二人目はない。
ヘルメットを脱ぎ捨てて機体の後席へ放り投げ、大きく息を吸い込む。森を抜けた風の濃い緑をした香気が胸に満ち、染み渡るように潤う。素晴らしい環境だと認識を重ね、感慨に暫し天空を見上げる。

歴史を刻んで二千年といくらか。人は空を超え、無限の宇宙へ進出を果たした。
工業化を経て頭上へと眼を上げた人類種族はささやかな騒乱を経て世界統一政府を樹立し、その地図から国と言う概念は消え失せ、ただ地区として区別のための線引きとそこに残された文化の違いのみが存在していた。20ほどの惑星へ入植を果たし300億の人口を数える今では国家と言う考えそのものさえ忘れ去られ、国なる言葉の意味を知る者も多くはない。
国家、ひいては権力者の私欲と言う檻から開放された社会の科学技術は目覚ましく発達し、程なくして宇宙船と恒星間航行技術が開発され、普及し、誰もが銀河のあらゆる星へと手を伸ばせるほどの発展を見せた。その必要があるのであれば、移り住んだ惑星の気まぐれを律して天災の制御さえ可能であるほどに。
そうして何億もの開拓者が未踏の惑星、新しい生態系、未発見の元素、あるいは未知の異星人文明との接触を求めて旅立った。無限の宇宙に願う、無制限の夢へ手を伸ばして。

見上げていた視線を下げ、歩む。草原に座した機体の主翼へ歩み寄り、懸架した円筒形のコンテナを開放、減圧されていたそれが細く大気を吸って開き、いくつかの物資を取り出した。薄いパイロットスーツの上から機外行動服を兼ねた気休め程度のサバイバルスーツを装着し、情報収集分析に用いる機材を詰めたパックパックを背負う。
そして取り出したもう一つの荷物、まかり間違っても使用する事はないカービンライフルの安全装置を確認、負い紐を肩に通して軍務規定通り身につけ、予備弾塊を胸のクリップへ収めた。続いてレーザーピストルと銃剣、ほか小物入れが連なったベルトを腰へ回した。
軽く体操をするようにして装着感を馴染ませる、身体の要所要所を護る鈍い鉄色の薄い装甲が乾いた音を奏で、パワーアシストの駆動に問題はない事を確認、30キロほどを背負いながらも重量は感じず、ライフルは背後で固定され行動の邪魔とならない。視神経中に投影される表記より電磁障壁の充填を読み取って確認を終え、左腕に装着した携帯端末が示す先へと移動を開始した。

数十歩と進むまでもなく、機体の向こうに認めたそれ。成長した樹木ほどの金属の杭が一本、節々から枝のようなセンサーを展開して音もなく稼働していた。見知ったそれよりも白い光を降り注ぐ陽を、所々くすんだ銀色で反射しながら来訪を待ち続けた物言わぬモニュメント、オベリスク、トーテムポール。TDSPESP、深宇宙未踏惑星環境探査装置と呼ばれるテクノロジーの塊、この惑星に存在する唯一の人工物であるそれは数十年もの過去にこの惑星へと打ち込まれてデータを収集し続け、今ようやく役目を終えようとしている、感動的に。
携帯端末を操作、目と耳を開いたまま眠っていた装置が反応を返し、送信した身分証明を認識して情報を開示した。着陸させた機体とのデータリンクを指示し、惑星の生態系、気象データ、地形や鉱物資源などの膨大なスキャン情報を機載の演算装置に解析させるため、その流路を示す。数秒の間を置いて双方の機械がが互いを認識し、会話を交わすように情報のやり取りを開始した。これら蓄積された情報全ての受信と解析を終えるまで、おおむね二日ほどかかるだろう。
これで仕事は終わりだ。ほとんど眠っていたとは言え半月もかけてここまで訪れたのはごく単純なこの作業のためだと改めて思い起こし、積年の吹きさらしに薄汚れた探査装置を哀れんで見やる。データの転送が完了して自身が、すなわちこの惑星において最初で最後の訪問者が去ってからも、この装置だけは忠実に任務を続けながら寿命を迎える数千年か数万年後、その後も物質としてもっと長くここに存在してヒトの到達を主張し続け、朽ちるのだろう。

宇宙の開拓が始められてから程なくして、人類は重大な事実に直面した。人々が期待を向けた未知の存在、新元素や生態系、異星人ないしそれらの文化と言ったものは少なくとも現時点において、存在しないと結論付けられている。素粒子の制御、質量子の生成、そして量子エンタングルメントの解明によって恒星間航行技術が確立されて数百年が経過し、既に数百万の惑星へと有人探査が行われながらも、なお。
初め人類が生存可能な惑星が発見された時、人々は多いに沸いた。まだ見ぬ新天地へ次から次へと旅立ち、まさしく自らが歴史を刻むのだと勢い勇んで前へ進んだ。そうして間もなく、より生存に適した素晴らしい環境の惑星が一つまた一つ、百、千と発見され、我々が偉大な価値を見出していたものはこの宇宙にとってありふれた存在であった事が判明し始める。ごく初期こそ新たな発見に沸き立てど、少しでも手を伸ばせばまるで似たような単調で退屈な世界が広がっていたのだ。そしてその生命と資源に満ち溢れた星々に揃って、ただ一つ欠けているものがあった。
知的生命体の存在だ。液体の水が存在する多くの惑星には極めて多様な生命が繁栄していたが、それは犬猫のような哺乳類、あるいは恐竜と言った既知の生物学上で分類しうる範囲に限られていたのだ、まるで意図したようにヒトだけを除いて。
結果として人類はいまだ自らと同等かそれ以上の知能や技術を有したものはおろか、真っ当に言葉を交わせられるものとさえ出会えてはいない。僅かに社会性の芽吹きを見せながら繁殖する類人猿がなにゆえ、木々の間で暮らすその段階で進化を留めてしまうものか、その理由さえも判明せずまま。

人類は、孤独だった。かつて血眼で探し求めては奪い合ってさえいた金やプラチナ、ダイヤモンドと言った希少資源もまた無尽蔵に存在しており、核融合技術の発達、ガス惑星からの資源収集法の確立によってエネルギー問題もが解決。それらを注ぎ込まれる製造場が完全無人のもとに日夜稼働し、モノが足りない、と言うのは輸送手段の不備によって発生するごく一時的な状況を厭うものでしかなくなっている。人体の免疫と永遠のいたちごっこを繰り返すと思われた疫病に打ち勝ち、海賊や反社会主義者そしてカルト教団と言った不穏分子こそ問題とされてはいるが大きな戦争もなく、人類は危機、ひいては刺激を遠ざけすぎたと言う声さえ上がっていた。
種族としての孤立に人々が気付き始めてからは技術発展および人口の増加に深い影が差し、かつての熱気は失われて無気力が充満しつつある。と、世のため人のために意識を高める有識者の面々は危機を説くが、全くそれがどうしたと言うのだ、と思う。権力者の洗脳から脱してそうそうとは自由と生命を脅かされない今、これを黄金期と言わずして何とするのだ。洗練された教育過程と安全なインプラント、変幻自在のナノマシンからの補佐によって誰もが技術を身につけ希望する職へ就き、政府にその迄を申請し自らが頑なに願うのであれば、働かずとも生きていく事さえ実現している。その上でなおほとんどの人々は自らの意志で労働に甘んじる道を歩んでいるのだ、こうして生き続ける今の一秒ごとが、人類が最も英知を得ている瞬間に違いない。持論を語り合う友のおらぬ星で独り、空を仰ぎ想う。

踵を返し、愛機の元へと戻る。定められた仕事は終えてしまったが、それがまこと完了し迎えが来るまでの三日間、何もする事がない訳ではない。この広大な大地を自由に散策し、生態系や地質の詳細なデータを収集する事が推奨されている。その働きが特別に給与や経歴に改善を及ぼすかと言うと、およそそんな事はないのだが、それでも人類未踏の地を自由に散策し、新たな発見に目を光らせると言うのは気の悪いものではない。かつて軍の戦闘機乗りを志した俺が平和に甘んじて予備役となり、れっきとした公共事業でありながらもほとんど惰性で続けられているが故に不人気なこの仕事を、すなわち深宇宙の惑星探査を行っている理由の一つでもあった。足を留め、遥か肉体を運んだその白い機体を見上げる。
第四世代型空間戦闘攻撃機 SFA-77 シルフィード、その複座型であるJ型。開発から30年あまりを経た今となっては旧式だが、それ故の絶大な信頼と良好な整備性、安価な維持管理費、豊富な武装に持ち上げられていまだ主力戦闘攻撃機の座に留まり続けている。技術の粋を集めた最新鋭機でありながらも真っ当な実戦をこなした試しのない機体が多く存在する現代、かつて行われた最大の艦隊戦、雲井の決闘と呼ばれるその戦いにおいても投入され、戦艦を含む72隻の戦闘艦とともに戦火を掻い潜った。それ以来に数度の近代化改修を経て一線に置かれ続けており、軍が定める主力機の内では最高齢だ。その点からいくら現場の支持を受けていると言えど、疲労し老朽化した個体はこうして後方へと身を引き始めている。機体を構造する部分的な要素は入れ替えが効くものの、旧い設計思想そのものはやはり如何ともし難いらしい。それにしても人々の生活を守るために産まれた戦闘機を調査任務に転用すると言う突飛な手段は、軍拡期を終えてからと言うもの予算の縮小に奔走する軍の、組織としてのいびつさを表しているのかも知れない。

そうして考えれば考えるほど、過去に幾度も実現不可能と結論付けられた空論を現実のものとし、銀河中を駆け巡る技術を手に入れた知性がいまだ自らの手で質量や熱線をぶつけ合って争うと言うのは、呆れるほど原始的と言わざるを得ない。
しかしこれら分野の異なる技術間における発達格差は歴史上においてしばしば見られる事とされており、その根拠は宇宙開拓時代初期の人類が数多くのサーバーと個人用コンピュータの間に構築したネットワークの基礎を筆頭とし、当時の生活水準に対して異常に発達した情報技術を有していた事実から示唆されている。その網の目から切り離されて人類未踏の地に立つ今、争う手段の発展が鈍っている現状は幸福に違いないと、背に下げたカービンライフルの銃把に手を添えながら思う。いまだ実用した試しのない、この人を殺す力を。

一瞥した機体の下をくぐり、その先に広がる鬱蒼とした雑木林へと向かう。人知れぬ惑星に降り立つたび思い起こす世情への煩雑な感情とは裏腹、軽い足取りに鼻歌さえ交えてしまいそうな期待を抑え切れず藪を掻き分ける。新たな発見に目を光らせるその好奇心を満たすためであるが、実際のところそれとは異なるもう一つの事情が俺を駆り立たせていた。
食糧である。政府ひいては社会の管理下を離れて単身遠隔地に赴く任務において、当事者の食糧事情と言うものは著しく制限されるのだ。軍が制式採用し無欠戦闘糧食と銘打たれた、まるでレンガを煮ほぐしたように味気に欠けた栄養食を胃に収めるか、スーツに内蔵された代謝管理機能から供給される経口ですらない栄養素の補給か、一つは全く食事と呼べたものでさえないこの二択しかない。せめて家庭に出回っているような保存の効く一般食を持ち込もうと携行物の質量制限を細工し、帰還を果たしてからも食事を制限され続ける妥当な厳罰を下される開拓者は月に百を下らないのだから、笑える。
だが生態系に恵まれた惑星の上となれば、話は別だ。河川は清水をたたえ森に多様な野菜果物が自生し、海岸で魚介類が溢れている。例え有害なものを手にしようとも体内に植え込まれた分析装置が察知警告し、それに加えて血中のナノマシンが構成した統合相似免疫によって如何なる毒素、細菌からも害をこうむる事はない。自然の恵みを慎ましく食む原生生物に代わり、智謀に長けた人類として本領を発揮するべく収穫の手を伸ばし、炎の制御と言う人類史を代表する英知によってこの惑星に生きる何よりも美味しく頂こうと、星に宿る精霊より如何なる歓迎を享受できるものか期待を膨らませる。宇宙で唯一の知的生命体であるこの口に食されるその瞬間を待ち侘びる命の結晶、その全てに一刻も早く迎え入れて頂くべく足を踏み出し、視界の右上に赤い文字列が現れた。神経毒を検出、と。
全身が硬直していた。数秒を経て一陣の風が過ぎ、瞳だけを下へ足元へと向けたそこに、歩んでいた獣道へ枝を伸ばした雑草が膝を撫でている。全身を護るシールドが反応し、細い草が触れるそこへ水色の光を細かなパネルのように凝縮させた電磁障壁を創り出していた。
 「いきなりか……」
思わずまま呟く。一見すると何の変哲もない雑草、それも野菜の三つ葉に酷似した全く以て無害どころか摂食に適性を持ちそうな植物でさえある。視覚情報を通じて半ば自動的に分析を開始したスキャナーによれば、その表面にごく微細なトゲが存在し、ひと撫でで俺を二十回は死に至らしめるほどの毒素を有している迄が知らされる。踏み出した脚をそっと戻し、応力を解かれた名前もまだない草はきょとんとした顔で姿勢を戻した。
歓迎方法の違いは文化として受け取るべきだろうかと深い息を吐き出し、分析機の要請に応えて背嚢から試験管のようなカプセルとピンセットに似た採集器を取り出す。この身を刺し殺した葉先を掴んで千切り、心なしか慎重に保管器へと収めた。分析機がそう判断したように研究資料として多少の価値はあるのだろうと思いつつ、ふと足元を見やる。真っ直ぐに続いているように見えた薄い獣道はそこを僅かに迂回しており、ここを通過する現住生物が高い危機察知能力と知能を有しているらしい事が伺えた。少なくとも、この自身よりは優れたそれを。
ひときわ大きく肩を落としながら、やはり機体に戻ってコックピットの保護殻を閉ざして籠もり、夢を見ない睡眠によって余暇を消化すべきかと息を吐き出す、その色は青い。あれほどに昂っていた期待は星々の裏側に失せ、暗いもやが心の芯を侵しつつあった。科学は人の心を包めない。
そうしてひとしきり己が不運と迂闊さを呪い歩みを進める、生きている以上はその良い面を見やるべきだと、どこかの歌詞が言っていたように。全身を包んでいる気休め程度のサバイバルスーツとその開発者への謝意を示し、緊張は解けたながらも思考を紡ぐ頭はふと技術に対する格言を、人類が直面している重い現実に屈した言葉を思い返していた。人間は自らより優れたものを創る事は出来ない、と。

よくよく見れば所々に不自然なふらつきがある道に沿い、深い感心を思いながら木々の間を通って過ぎる。知的生命など、実のところ人類はとうに接触を果たしているのかも知れない。単に争いを根絶できない我々こそが原始生命であり、高次元の存在から監視こそされども意思の疎通を行われないと言うのは何時の時代にも持ち上げられるろくでもない話だ。物を語り合わぬ森の動物達が示し合わせたように避ける変哲ない藪、そこに蔓延っているのが先ほどの毒草である事を一目に確認しながら、宛てもなく迷いの森を彷徨う。
具体的な目的地は設定していない。ただ探査装置の元へ着陸する前に撮影した航空映像を視界の右上に投影し、機体の演算装置に自らの位置を表示させて大まかな地形を確認しながら散策する。この森を中心とするように程度のいい河川や丘と言った変化に富んだ地形が構成されており、それに合わせて植生も表情を変えてくれる事だろう。
それぞれの場における具体的な目的はと言うと、食糧の確保だ。科学が充分に発達したと自画を賛じられる現代においても飯を食わねば人は倒れ、食味が優れていなければ士気ひいては思考力も低下する。摂食によって何の充足も得られない戦闘糧食を口へ運ぶ作業は御免だ、俺はこの携行定数を下限一杯にまで減らし、確保した可搬質量を採集活動用のツールに割り振っている。これは何も自らの私腹を肥えさせるものに留まらず、新たな可食生物を探り当てると言うのは社会にとって大きな意義を持つのだ。
多様な惑星に進出した人々の住まう環境はそれぞれ異なり、その場その場に適応して莫大な量の食糧供給に適応する農作物や家畜と言うのは限られている。例えば小麦一つ取っても単純に栄養価が高いものから生育の早いもの、驚くほど乾燥に耐えうるものや病原菌や食害に耐性を持つものなど様々である。これまで多くの未踏惑星において行われた調査の賜物であり、ただ一介の開拓者がそのような発見を足場に企業を立ち上げ、星々にその名を轟かせると言うのは珍しくない、生涯を二度やり直したとしても俺があやかれるほどの確率ではないが。しかしそれは恐らく強烈な毒素を持つ雑草を発見するよりも大いに有意義であろうと、心の内より押し出した期待は形を戻し始めていた。
まずはこの森から丘へ向かって調達の機会に恵まれやすい植物性の食糧を探し、その後に河川で魚や貝類などの動物性蛋白質を確保、あわよくば水を飲みに訪れた動物の痕跡を見ておこうと漠然とした計画を立ち上げる。早速と言うべきか発見したつぶらな木苺を口へ放り、水っぽく何の味もしない現実に顔をしかめた。体内のナノマシンと情報を交わしたスキャナーによれば栄養価そのものは高いらしく、ヘビイチゴの一種と考えられるだろう。利用法がない訳ではないが、特別に記録しておくほどのものでもない。
縦横に枝分かれしながらどこまでも続く狭い獣道を歩み、一見は代わり映えのない森の絵を流して進む。しかし実際のところ発見に満ちた道程となり、命じずとも周辺の生命を探るスキャナーに呼び止められてはいくつかのサンプルを採集していた。それは炭素の抽出源として活用の可能性がある樹木の種子であったり、独特の香気を持つ茶の木であったりと退屈を遠ざけるに事欠かない。手当たり次第に採集すると後々の報告書が面倒になるが、周囲を見渡す目は絶えずに動き、土俵のように木々が間を開けた小さな草原の中央、まるで当然のように立派な白菜が生えていたのには笑いを零してさえいた。そうして食糧の探求は進行すれど、やはり何か滋養を得られるものはないかと贅沢な願いを募らせていた所、見覚えのある木の葉を見つける。
 「パンノキだ」
思わず感嘆。藪の合間に一瞬ちらついたのみであるが間違いない、急ぎ駆け寄りその元へ立つ。大人二人が両腕を広げたほどの慎ましい樹勢ではあるが、その端に二つだけ提げられた緑がかった拳のような実を取り、木の実でありながら良質の炭水化物を蓄えており芋のようであると評されるそれをくまなく眺める。本来は熱帯の植物であった筈だ、それが標準的な温帯であるこの地域に自生していると言うのは珍しい。周辺に群生こそしていないようだが耐寒性を持つ特別な種かも知れないと期待を募らせ、スキャナーには読み取れない食味の程を案じながら背嚢へ仕舞う。更に少し進んだ辺りでいくつかの赤黒い実を付けた低木を見つけ、スキャナーの判断よりも早くそれがイチジクである事を察していた。特徴に関してこれまで確認されている品種との大きな差異は認められない、記録の必要はないと判断し、単に食後の楽しみとして6つほど拝借する。
そうしている内に目的とした終着点、幅20メートルほどの澄んだ河川へと辿り着いた。川幅はそこそこと言った所だが、流れを割るように点々と岩が頭を出しており、深い所でも3メートル程度と全体的に浅い。その底は茶色がかった暗い緑色の苔に覆われており、所々に見受けられる深みはサファイアのように青く淀みがない。先んじて取り出した合成樹脂のパックに水を汲み、腰へ提げたそれは指示されずとも浄化を始める。
流れに沿って歩きながらも周囲を見渡し、緩やかに弧を描いたカーブの外側へ向かい、堆積したきめ細かな砂地から膝ほどの深さまで水流の内へ踏み入る。凝視した足元にごく小さな穴を見つけて考えもせず手を突き込み、触れた石のようなものを掴んで引き出した、それは合わさった殻を硬く閉ざして対面を拒否している。異様に大型のシジミかと思ったが汽水域には程遠い、しっかり掴めるほどの大きさで形状も楕円に近いためドブガイの一種と考えられるだろう。聞こえの悪い名前であるが生息しているのがこの一目に美しい清流だ、食用に何ら問題がない事は考えるまでもないと激しいしぶきを上げ、右手の岩場に覗いた蟹をすかさず掴み取る。モクズガニに見えたが汽水域には程遠い、大型で体色も黒みがかっているがサワガニの亜種だろうと、解析も待たずに背嚢へと放る。ほか、タニシのような巻き貝も手の届く範囲にあるが小型だ、サイズに恵まれた獲物を得た今にこまごましたこれを捕る必要はないだろう。
これで動物性蛋白質は確保出来たと探る手を伸ばして二枚貝をいくつか捕らえ、ふと視線の先に黒い影が走って消えた。30センチ前後の魚類だ、よくよく見れば流れに対して位置を保つように揺れる影がいくつか認められる。単純な釣り道具は持ち合わせているが貝と蟹で充分であろうと自制し、頭上をとうに過ぎた恒星の光は赤みを増そうとしている、それは実際の傾きに対して色が薄い。
まことに漁獲が必要であれば腰のレーザーピストルを抜き、水面へ数発放てばそのまま食べられるほどに熱の通ったそれを拾い上げられるだろう。しかしその行為は母なる自然に対してあまりに無粋な行為ではないかと、この星についてからと言うもの思索の9割を食糧事情に割いているこの身であれ手段としては相容れずにいた。必要以上にものを集めてはそれ以上の何かを失ってしまうと美徳を胸に、河原に穿った足跡を辿るようにして帰途へと赴く。夜闇を恐れる身上にないが、歩む先は日の当たる下でありたいものだ。

陽の光が慣れ親しんだ夕日の色に染まる頃、帰りがけに少しのサンプルを確保して機体のもとへと帰還を果たした。主翼下のコンテナから厚みのある円盤を取り出し、放り投げたそれが膨らんで横長の小さなシェルターへ変幻する。それこそ、棺桶のような。腰に提げた合成繊維の袋をひっくり返し、その内に詰めていた拳ほどの石を撒いて並べ、小脇に抱えた十数本の乾燥した太い枝を上へ組む。
適度に隙間を施したところで火を灯すべくレーザーピストルへかけようとした右手がぴたりと止まり、先月初旬に類似した用途によって軽巡洋艦内で暴発事故が発生し、非戦闘任務においてもスーツの行動履歴にこれの使用が記録されるよう更新がかけられた迄を冷や汗とともに思い出していた。
行き場を失くした右手を額に、唸る。火を打つ手段がない。傍らに佇む機体にもこの薄いスーツの背面にさえも核融合炉と言う無限の熱源を持ちながら、火ひとつ熾す手段にどうして悩まされなければならないものか。毒死の危機を察知できずこの宇宙に存在する唯一の知的生命として炎の制御法を持たない今、この惑星に生きる何よりも愚かではないのか。煙草を吸う趣味は持っておくべきだったかと浅く後悔した時、そもそも万一を考慮して火気を確保できる装備を法定備品から省略したのは必要以上に予算を締め上げる軍経理部門の判断ミスではないのか、一刻一刻に命を賭す現場へ参じる一兵士として厳重な抗議を申し立て、真に危機に瀕したのであれば気兼ねなく光線銃を応用してその正当な理由を事後報告すればよく、自ら導いた正論と失意に膝を抱く。
おろおろと視線を泳がせた戦闘攻撃機の尻、双発の推力噴出口。とある護衛空母のクルーがこの排気熱でソーセージを焼くさまをソーシャルネットワークへ配信し、今はどこかの冷涼惑星で樹木を数える仕事に就いてているらしいと噂を聞いた。何かそれよりもスマートな方法があるはずだと脳を摩擦し、程なくして落とした視線に下げた両手と草原、既に藍が差し暗くなり始めた景色の中でも見て取れる生き生きとした緑と、点々とそれを失い枯れた部位とのコントラストを眺めていた。
 「ああああああ!!」
瞬間、スーツが戦闘体勢に切り替わったかのような電撃が走る。現実には危険なため電流が漏れる事はない。跳ねるように駆け出して森との境界、深い藪を構成する枯れ草を束ねて掴んで引きちぎる。石を敷いたかまどへ放り、小さめの石を掴んで強く力を込めた。みしりと音がし掌の内で砕けて荒い砂となり、パワーアシストの出力に制限がかかっていない事を確認。並べた薪から手頃な二本を両手に持ち、先端を交差させて枯れ草の内へ刺す。
 「おおおおおお!!」
それを、擦る。両腕に沿ったフレームが激しく軋み、およそ人間には不可能な速度を以って二本の棒は摩擦を生じる。叫び声を上げてはいるが仕事をしているのはスーツであって大した力が込められている訳ではない、ただ激しい反復運動によって生じるでたらめに強い振動を堪える唸り。そうして数秒と経たずに細い白煙が昇り、弾き出された橙の光は大きく膨らんだ。
 「ヨッシャオラァ!人間なめんな自然!」
煌々と立ち昇る炎に照らされ、無数の虫が歌い始めるその時刻、一秒ごと次々に姿を現す星々へ腕を掲げる。かつての人類もこうして未来を照らしたに違いないと、幾万年にも渡る知識の蓄積の上へ立ちながら咆哮。
気が済むまでひとしきり雄叫びを上げた後、細長くしなやかな枝を合わせて静々と骨組みを造る。川由来の水を注いだ帽子ほどの大きさをした鍋、書類上は軽金属製の雑具入れであるそれをぶら下げるに耐えるか試し、火の上へとくべる。水が湯と変わる間に腰の銃剣を抜き、通電回路が切ってあるか確認した後に小ぶりな白菜を割って鍋の上で刻み落とす、電力が供給されフルに切れ味を発揮されては鉄骨さえ切り落としかねない。続いて背嚢の内で暴れていた蟹を両断、貝と共に放り込んで小瓶に入った塩を振り、川を後にした直後に見付けたショウガともワサビともつかない、香りはむしろ山椒に近い得体の知れぬ根を少量削る。少なくとも害はないが、如何なる知識を引き出しても正体を特定できないこれこそが本任務における最大の収穫かも知れない。微かに湯気を立てた所へ銃剣を突き入れて軽く掻き混ぜ、内蓋を落とす。まだスペースを残したそこへ少量の水と適度な厚さに切ったパンノキの実を並べて気持ちほどの塩を振りかけて外蓋を被せ、蒸す。後は焦げないよう火を加減しながら待ち焦がれるだけだ。

銃剣を手にしたまま腰掛け、日中に眺めた風景を思い起こしながら細い枝を手に、箸を削る。暗い宇宙から星々を眺めて青い惑星へと流れ付き、流れ星の核となってから空を飛び、草原に立ち森の中を這って川岸で飛沫を上げた。たった一日の内にこれほど壮大な環境の移り変わりを体験できると言うのは、宇宙を見上げるしかなかった頃のヒトからすれば想像の産物としか思えないだろう。人間は自らより優れたものを創る事は出来ない、その格言が脳裏を過ぎる。

かつて人は科学に願いを託し、夢を見た。精神の電子情報化、遺伝子改造による生物としての飛躍、クローン人間の量産とその使役、煩悩からの解脱、自我を有し人智を超えた知性の創造、過去への遡行、不老不死。
部分的に実現したものこそありはするものの、結局のところそれらは全て努力のかいなく否定され、技術的特異点は発生しなかった。今日に至るまでヒトはヒトらしい形をしたままヒトのように生活し、緩やかに活動を継続している。その事実についてさえ停滞しているだの十分に幸福だの、いくつもの解釈が行われる多様性を維持しながら。
背後で静かに佇むこの機体が、こうして星空を見上げる状況が。本当に、人に劣るものだろうか。方や秩序と称して人を殺すものであり、方や形骸化し成果がないにも関わらず続けられている閑職だ、数多の偉人により築き上げられた社会に対して胸を張れるものではない。しかしこの開発者達の、開拓者達の意志は優劣の内に落とし込むものではない筈だ。皆が皆出来る事を、描いた理想を実現するべくこの形に創り上げた。これがいつの日か明日か百万年後か、報われるその時が来る事を願ってやまない。

少し尖らせ過ぎてしまった箸の先を切って落として角を削る、そうして沸いた蒸気に軽い鍋の蓋が鳴り、調理の完了を悟る。取っ手を掴んで火から降ろし冷めるのも待てずまま二枚の蓋を開けると、食欲が岩のような塊となって物質化しまいそうなほどの香りが立ち昇った。
ただただ淡白な事も多い淡水のそれゆえ大した期待は寄せていなかったが、曲がりなりにも蟹と貝が織り成す出汁の濃さと言うのは規格外だ、調味料として愛用の鶏がらスープのペーストを持ち込めなかった事に強い不安を抱いていたが、全くの杞憂であった。臭いのみで渾身の出来を約束されたスープだけでなく、蒸しただけのパンノキの実からも目が離せない。気品あるほの甘い香りを漂わせながら箸で刺せども形を崩さないそれをたまらず口へ放り、頬全体を包むような淡い旨味と弾力を残した粘りのある舌触りに驚愕。知られているこの原種はサツマイモに近い食味を持つと聞いていたが、これはむしろジャガイモに近い口当たりだと予想外の喜び。柔らかな餅のように噛み締めるそれを嚥下せずまま、湯気を揺らすスープの容器へ口を付ける。
 「あっつ!!」
跳ね返されるようにして叫び、その口より跳び出した咀嚼途中のパンノキを空中で掴み、戻す。鮮やかな紅に色を変えた蟹と透き通って向こうが見えるほど出汁の染みた白菜へ目を見開きながら風を送り、視界を熱探知に切り替えて温度を計測、再び口を付ける。海のそれに遜色ない、むしろ山のものらしい独自の風味が効いた強烈な味わいは予想以上だ、涼やかなハーブのような独特の香りは川底を覆っていた苔と正体不明の根菜の相乗によるものだろうかと強い弾力を返す貝の身に繰り返し顎を上下させ、舌の上で崩れるほど柔らかな白菜はこの出汁に染まり切らずしっかりと独自の甘味を残している、汁物の調理において具ごとに味を染みさせすぎない絶対条件をクリア。ひときわ風味の強い蟹味噌を啜り、スープ全体の旨味を更に凝縮させたようなその身を殻より吸い取る。はたと思い立って齧った所、香ばしいその殻もが食すに差し支えないと分別を止める。もう一口スープを啜り、蒸しパンノキと共に一心に咀嚼。
満たされるあまり食いながら腹が減る、その久しい感覚に狂喜し、夜は更ける。

ほの明るく橙に揺れる炭火の傍ら、水洗いしたように綺麗な鍋を置いたままにして草の原へ寝転がり、アイスクリームのようなねっとりとした甘味のイチジクを食む。見上げるその景色は夜闇を押しのけて瞬く星の光が無数に瞬き、例える言葉を失うものだった。惑星からでは惑星からの、宇宙からでは宇宙からの美しさを星々は有している。そこへ時折細い光が斜めに走り、この惑星に降り注ぐ細かな塵の光を自身と重ねる。
有意義な、一日だった。これ程までに充実した成果を得ながら、今この瞬間にも踏破されている温暖惑星のほとんどで同様の結果が出ていると言うのだから、この世界は恵まれているに違いない。それに比べれば孤独であろうが停滞しようが些細な事であり、人々は環境に恵まれるあまり幸福の何たるかを見失いつつあるのだろう。その思考が単純に腹を満たしたが故の根拠のない言論である事は承知しており、にじり寄る眠気が楽観視に拍車をかける。
もしこの惑星で数ヶ月も一年も暮らせと言われれば、それは恐らく穏やかな生活とはならないだろうが、ともすれば生命の危機さえ何度となく覚悟する手荒な歓迎を受けるであろうが、予定している数日のみの滞在であれば冒険とは程遠い旅行とも言えるような経験ができそうだ。単独では恒星間航行を行えない俺の機体を回収するため、この目の先へ迎えの小艦隊が訪れるまでの三日間、さぞかし刺激に満ちた時間を得られるだろうと愉悦の片隅、しかし寝床だけはやはり自室のベッドが一番に違いないと故郷へ心を寄せ、展開したままの小さなシェルターへ這うようにして向かう。その前に機載の演算装置にアクセスしてデータの受信状況を軽く確認しておくべきだと、如何なる推力を以ってしても寝床が発する強力な重力場から逃れる事は出来そうにない。
ごく薄い床面でありながら綿を敷き詰めたように快適なそこへ全身を預け、意識をすとんと落として溶けた。


先ず、目蓋を通した故か赤みを帯びた光を感ずる。次いで頭を掻き鳴らす何かを不快に思い、刺すような振動は耳より伝っている事を認め、それは朝の到来を告げる望まぬ目覚ましにあらず、機体が俺を呼ぶ通信アラームであると認識すると同時、発破されたように目が開いていた。発射管を発つ巡航ミサイルのようにシェルターから飛び出し、朝日を煌めかせて風防を開放した機体へ一息に跳び上がり、コックピットの横へ張り付いたまま腕を伸ばしてコンソールを操作、立ち上がったシステムがメインメニューを読み込む間に再度跳び、落ちるようにして座席へ。通信システムを展開し交信状況を確認、機体の演算装置が探査装置の情報解析と平行して、それと異なる信号を受信し解読が開始されていた。内容および発信元は不明だが軍の扱う通信信号と同一規格である事は確認、何らかの救難信号や未知との遭遇ではない、遠く切り離された社会からの超距離恒星間量子通信を受信している、解読に要する時間はおよそ5分。
それを理解すると急く理由をなくし、縮んだ肺を押し広げてあまりに強引な起床に逆立ったままの脳を、全身の神経を撫でて落ち着かせる。午前6時半、馴染んだそれよりも白い恒星は短い朝焼けの時を過ぎ、木々に住まう小鳥のさえずりと共に穏やかな朝を告げている。

移動手段のそれと同様、恒星間ネットワークを始めとして現代の通信技術は高度に発達しているが、万光年を隔てインフラの整備もない深宇宙へ情報を伝えると言うのは、例え手紙一枚ほどのものであっても大事業だ。条件によっては巡洋戦艦が対艦レーザーを一斉掃射するほどの電力が消費され、予算削減のために巡視艦隊の内-外宇宙境界域の治安維持定期巡回までも削減するべきか議論が重ねられている現状、重要な案件でしかこのような形で言伝てが行われる事はない。適当な空間戦闘機のひとつでもスリップポイントに押し込んで伝令に向かわせた方が安上がりな事さえあり、恐ろしいことに実際に行われた例もある。厳しい訓練に耐えて晴れて戦闘機乗りの名を掲げ、愛機とともに星空へ飛び出した任務が伝言ひとつと言うのは、同情を寄せるに余りある。

信号の受信と解読が完了。右手のコンソールから浮上したウインドウにテキストメッセージが表示される。形式張って簡潔にまとめられた、字面を見たのみでそれと判る紛れもない軍が発信した文章。
 「発、海軍第五正規艦隊中央司令部 深宇宙開拓事業部門。経、同所属 通信支援型駆逐艦 ウィスパー イン ファンテン。宛、LV-426方面へ展開中の全調査任務従事者。本文。告知時刻における回収は中止、待機せよ。以上」
なるほど、と頷き、落ちるように頭を抱え、悶絶。
帰れなくなった。全身の血の気が引いては冷えて固まる絶望が降りかかり、それはしばしの別れを惜しんだ家庭のない俺に取って社会へ復帰、いや帰還出来ない事そのものの問題にはない、食糧だ。電文には回収が中止とだけ記されている、これはつまり未定になった事を意味している。良くて10日つまり12日後、同業者より聞いた話ではひと月も伸びる事はざらにあり、きっかり一年ものあいだ未開惑星で放置された話さえ噂に聞いていた。その間いかにして正常な摂食を維持するか、いやこれはもはや生存そのものさえ問題になりかねないと、昨日に採集したパンノキを少しでも残しておくのだったと繰り返し繰り返し後悔する。
水は現状で十分だ、植物性の食物は探しさえすればどうにかなるがあの河川で動物性タンパク質の供給が賄えるか、可能だとして季節や天候の移り変わりによって受ける影響は。原則的に禁止されている哺乳類の捕獲と摂食を非常措置として講じるべきか、いや免疫にかける負担が大きくなりその記録でばれる、罠を作れるならまだしも銃の使用も必要になり報告のリスクも馬鹿にならない、本当に飢餓に相対した際の最後の手段にすべきだ。食材も問題だが手持ちの塩もすぐに尽きてしまう、探査情報の受信を中断して地質の解析データを分離、最も地表に近い岩塩層を探して採集するか情報の解析が完了しだい離陸して上空から海岸線を探し拠点を移すか、そこまでするなら衛星軌道まで上昇して擬似睡眠に入り救難信号を発信して漂うか、これであればたとえ数年であれ問題はないが、通りがかりの海賊に探知され捕らえられる可能性が捨て切れない、反社会主義者に機体もろとも鹵獲されでもしたら悲惨な結末を迎えるどころか戦闘機のコピー原本を流出させた愚人として歴史に名を刻む事になる、実際に量子通信の余波を感知してこの辺りを探りに向かっている事も考えられる。食糧をどうかするならばいっそ耕すか、いい塩梅に柔らかいこの草原を。と、あの殺人草が一面に伸びる様子を想像してシートへ沈み、磨り減った思考は平静の色を少しばかり戻す。

とにかく今できうる事を、堅実に行わねばならない。状況を見据えられないまま焦って行動し、却って身を滅ぼす事こそがこう言った非常時に最も憂慮すべきものだ。先ずはこの足で知ったものを利用し、先日と同じ様に不測の事態にさえ備えておけば何ら問題はないはずだ、と認識を新たなものとする。
そうして装具を取りにシェルターへと戻り、身に付け、昨日に足を運んだ道筋を辿るべく森の境目へと立つ。新たな一日に区切りを付けるべく昨晩残しておいたイチジクの実をしっかりと噛み締め、周辺の警戒を厳に歩み出した。

この惑星に存在する生態系に関して現時点で判明している事、スキャナーが見逃したもので何か状況の改善に繋がるものはあるだろうかと思索を重ねる道筋、ふとその路を離れて茂みに踏み入った。左腰の後部を叩き、淡黄色でセラミックのような質感をした薄い円盤を弾いて落とす。シャキ、と乾いた音を立ててそれは草の隙間へ消え、心なしか重い歩みを再開しようとした時。
全く不意に、ぎょっとするほどのけたたましい警報が鳴り響いた。また何かの通信かと身構えるがそれとは異なる、かなた宇宙の人類社会ではなく、同じ星に座す機体そのものが搭乗者を喚ぶ声。解析途中の地質データに感知したらしい、視界の右に投影されるその表記は向ける眼の内側に、そして焦点を合わす必要もなく鮮明に映り、生命の危機を知らせた際と同じただならぬ赤い色、それに加えて大げさな点滅を繰り返し明言していた。
高純度の金属反応を探知、と。
吹く風も届かぬ暗い森の内で我を忘れ、唖然と立ち竦む。


nozomi_d at 22:59コメント(0) この記事をクリップ!

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