2007年10月24日

中越大震災から三年

中越大震災から三周年だった昨日、市立劇場で行われた新潟県中越大震災三周年合同追悼式に出席してきました。

7.13水害と中越大震災、そして豪雪と愛する長岡襲った災害に対して、全力で取り組んできました。
今、振り返ってみると、反省はあっても後悔はありません。

私は、この災害の中で、多くのことを学びました。
いわゆる「災害弱者」は、普段の生活から「弱者」であること。
地域コミュニティの重要性と現状。
復興も地域の活性化も行政の力だけでは成し得ないこと。

中越大震災をきっかけに、災害に関することを中心に桑原望の「復興ブログ」を始めました。
その後、活動報告として「のぞむ通信」を開始し、プライベートな部分で「子育て奮闘記」をそれぞれ更新してきました。

中越大震災から時間が経つにつれ、災害からの復興も地域の活性化も、私の中では、同じものになってきました。
また、中越大震災から三年を迎え、年内には全ての住民が仮設住宅から出られる見通しであることが発表されました。

こういったことから、復興ブログの更新を終了することにしました。
災害や復興に関わる情報は、「のぞむ通信」の方でお伝えしたいと思います。

復興はまだまだ途中であり、終わりの無い道です。
これからも全力で取り組んで参ります。

桑原 望

nozomu69 at 14:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)お知らせ 

2007年07月31日

柏崎での活動

中越沖地震での発生から、更新が滞っておりました。
29日(日)に国際ボランティア学生協会の柏崎での活動は、とりあえずの終了となりました。
私にとって学生時代を除くと、7.13水害、中越地震に続く三度目の災害となりました。
 私個人の話で恐縮ですが、7.13水害や中越地震と、今回の中越沖地震との違いは、長岡の被害と活動にありました。
 水害と中越地震の時は、学生時代に代表をしていた国際ボランティア学生協会と連携を取り、まず、長岡市で活動を開始しました。ある意味では、議員としての活動とNPOとしての活動はイコールだったのです。
 しかし、今回の中越沖地震では、柏崎市や刈羽村に比べると、長岡市の被害は少なく、ボランティアが必要というほどではありませんでした。また、地元の被害も大きくはありませんでした。
 震災発生から二日間は、議員として長岡市で活動を行いました。それからは、国際ボランティア学生協会のメンバーと共に柏崎で活動を行いました。
 私がただの議員だったら、柏崎での活動は行わなかったでしょう。しかし、経験とスキルのあるNPOのメンバーであり、隣接する自治体の議員である私にしか、できない役割がありました。

長岡市の議員として多少なりとも恩返しが出来た事。
今回の中越沖地震での経験を長岡市の防災体制の強化に役立てること。

これらは、長岡市の議員としても意味のあることだったと思ってます。


「同じ災害はない」というのが持論ですが、今回の中越沖地震での活動でいろいろと見えてきたことがありますので、復興ブログの方にちょびちょび書いていきたいと思います。

桑原望の復興ブログ
国際ボランティア学生協会

nozomu69 at 16:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)IVUSAの活動 

2007年07月22日

7/21(土) の活動

所属する国際ボランティア学生協会のメンバーとともに連日柏崎入りし、昨日で四日目の活動となりました。
今回も、メンバーは私の実家に泊まり、長岡から柏崎に通っています。

昨日からメンバーが入れ替わり、新しい場所での活動となりました。
これは、地域の区長さんから直接、要請を受けてのものです。
地域としては、電気以外のガス、水道が昨日の段階で使えません。
地域の幼稚園が避難所となっているのですが、避難者はどんどん減ってきており、日中は基本的にゼロ。夜も数人の人が泊まるのみです。
この幼稚園で給水車、や物資の引渡しが行われております。

前日の夜に役員会の出席させてもらい、全体をみたところ、
地域コミュニティはかなりしっかりしております。
そのため、役員の方はかなりの負担増になっています。

私たちは、この地域をベースに必要なかぎり、長期的に活動を行う予定です。

【7/21(土)】
新しい現場は、避難所の人数自体は日々減っており、
避難所の運営よりも、地域のセンターとしての運営に
重点を置く。
インフラは7/20現在 水道、ガスが使用不可
地域コミュニティがしっかりしているので、活動はしやすい。
【作業】
昨日の現地の状態から以下に重点を置き、活動を行う。
※安全第一 (作業、運転などに注意する)
※震災発生から負担の大きい、地域役員の負担を減らす。
※衛生面での改善を行うこと。(トイレ、食料等)

午後から本格的な作業開始
現場部隊 区長さん宅のお手伝いを行う。
街宣部隊 食事、給水車が到着したら町内を街宣車で回る
物資班  物資の配置、物資の調達(直接センターへ)、在庫の整理を行う。
トイレ班 トイレの環境整備と定期的なトイレ掃除。
その他 病院への送迎



nozomu69 at 06:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年07月17日

被災地視察

議会で防災対策委員会の副委員長だったこともあり、正副議長などとともに、市内を視察した。

長岡市に限ると、中越地震の時との最大の違いは「市町村合併」だろう。
(当時は山古志も長岡でない)
私の住む長岡地域の中心部は被害が少なかったが、長岡と柏崎を結ぶ道路(大積)では、道路がかなり寸断されていた。

和島、寺泊、与板の支所を訪問する。

寺泊は、海を持つために、津波への対応も行った。
津波の心配はこれまでもあったので、迅速に行われたようだ。
長岡市も海を持ったので、「津波」ということも考えていかなければならないだろう。

水道などのライフラインが壊れていた地域もあったが、大幅に改善されている。
中越地震で被害が少なかった地域が今回、被害が大きかったようだ。

nozomu69 at 15:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)議会 

個人からの救援物資は送らないで。

個人の救援物資、新潟県が辞退…現場に混乱きたす恐れ
中越沖地震
新潟県災害対策本部は17日、当分の間、一般個人からの救援物資受け入れを辞退すると発表した。
小口での救援物資を受け入れる態勢が整わず、現場に混乱をきたす恐れがあるためとしている。
企業や自治体からのまとまった量の救援物資は受け入れる方針。同本部によると、被災地では現在、毛布やブルーシート、薬用品などが不足しているという。問い合わせは、同本部救援物資班(025・285・9435)へ。
(2007年7月17日11時57分 読売新聞)

救援物資の問題については、ようやくここまできたか、というのが本音だ。
中越地震が発生してしばらくたってから、救援物資の問題について、議会で質問を行った。
基本的に「善意」である物資の問題を取り上げるのは、勇気のいることだったが、私の質問に対する答弁によって、被災地長岡市の救援物資の問題が取り上げられ、テレビや新聞などでも取り上げられた。
その後、長岡市の新しい防災計画では、原則、個人からの物資は受け付けないことが明記された。(自治体や企業などから別)
中越地震の経験がお役にたてたなら、私としても嬉しい。

救援物資の問題点。
・物資とニーズの不一致。
(例えば、個人から見れば古着はいらないだろうが、被災者もいらない)
・労力の問題
(ただでさえ、人手が不足している中で、職員が忙殺される)
・保管場所の問題
(莫大な物資のせいで、業務に支障をきたす)
(長岡市でも中越地震から一年たっても、古着など必要のないものが、お金を払って民間倉庫に保管されていた)
・交通の問題
(有効利用することが出来ない物資の運送のため、災害により限られている交通網が混雑し、人命救助など緊急性を要するものへの支障)
・制度の問題
(ゆうパックの無料化により、安易に物資を送ることを助長している)
・処分の問題
(最終的に廃棄処分せざるを得ない場合も、「善意を処分」みたいにとらえられ、非難される)

参 考
http://blog.livedoor.jp/nozomu69/archives/27637320.html
http://blog.livedoor.jp/nozomu69/archives/50406452.html

nozomu69 at 15:22|PermalinkComments(3)TrackBack(0)その他 

地震発生

忘れないうちに、メモしておきます。

地震発生時。
妻と娘は、熱海の実家に帰省していた。
パソコンにて仕事をしている時に、大きな揺れを感じる。
中越地震の時は、県外にいたこともあって、これまでの人生の中でもっとも大きな揺れだったと思う。
ぐるぐるまわった時のように、少し頭がふらったしたが、すぐにマンションの外にでる。
町内の人も外に出ており、地元で人命に関わるほどの被害はないことを確認。
その後の対応を町内の人にお願いして、防災服に着替えて実家へ。

実家で家族の無事を確認。
どうせつながらないだろうと、妻には連絡していなかったので、無事であることを妻に伝えるように、母に依頼。
車にのって市役所へ。

道中。短い距離だったけど、中越地震の時に比べて、長岡市中心部の被害が少ないことはわかった。

市役所に到着する。
危機管理防災本部に行くと、職員が10名程度で情報収集を行っていた。
次々と普段着のまま(祝日だったため)職員が集まってくる。
一人として歩いている職員はいない。
当たり前のことだけど、少し感動した。
こんなことまでマニュアルに書いていないだろう。

市役所は変わらなければいけないと日頃から主張しているけど、
その一方で、こういった職員の姿も正当に評価されるべきだろう。

議会に向かうが、その段階では誰も到着していないので、鍵を開けてもらう。
その後、職員や議員が到着する。
中越地震の時もそうだったけど、議会は、ネットや電話、テレビも使え、災害対策本部もあるので、情報収集に便利だ。

災害対策本部の会議を傍聴する。
中越地震を経験しているからだろうか、市長や職員は比較的冷静に対応しているように感じる。

その後は、自分のNPOと連絡をとったり、県内外の災害ボラと連絡を取るなど、対応にあたる。

※被害などについては、情報がすぐに変化するので掲載しません。
長岡市の被害などについては、市のHPなどをご覧下さい。








nozomu69 at 14:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)本人 

2007年07月16日

地震発生

10時13分ごろ、新潟県で大きな地震が発生しました。
今、私は市役所に来ています。
市の職員は、続々と集まっています。

何か 動きがありましたら報告したいと思います。

nozomu69 at 10:57|PermalinkComments(1)TrackBack(0)被害状況 

2007年07月08日

大学に再入学?

(社)中越防災安全機構が行っている中越防災安全大学の二期生として受講することにしました。
この中越防災安全大学は、地域コミュニティの防災安全活動の中核を担うとともに、市民と行政、企業の仲立ちをする「市民防災安全士」を育成することを目的としております。

第一回目の講義では、長岡市長や長岡市の危機管理防災本部から中越大震災での教訓や長岡市の防災体制についての講義でした。
改めて知ることも多く、それなりに楽しく過ごせました。

その一方で、いくつか感じた事があります。
中越地震では多くのボランティアが活動したのですが、中には「困ったチャン」もおりました。
その中の一つに「(自称)専門家」があります。
自分で作ったであろう肩書きと名札をつけて、多くの人で合意形成をする最後に、それをぶち壊す人。
こういった人が一番迷惑でした。はい。
専門的知識よりも最低限度のコミュニケーション能力。これ基本です。

そういった意味では、一方的な講義だけでは心配しております。
災害発生時に「知識」のみで人は動きませんから。
ファシリテーションとか、そういったことも講座に取り入れたらいいんですけどね。

年間50人の卒業生が生まれれば、500人のネットワークになるとのことですが、
今後、震災が風化する中で、受講生が集まるかという点と、
それぞれの卒業生をいかにネットワーク化するかが課題ではないでしょうか。

辛口に聞こえますが、期待はしています。

nozomu69 at 18:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)本人 

2007年07月04日

思い出の場所

6月30日(土)に栃尾の仮設住宅集会所を訪れた。
これまで、様々な活動を続けてきた栃尾の仮設住宅だが、ついに、週明けに集会所の鍵が引き渡し(閉鎖)されることになり、元仮設の住民などが最後に集まった。

私が本格的に栃尾の仮設住宅に関わったのは、中越地震発生から、ほぼ一年がたった時だ。
私が訪れる前に、仮設住宅を退去されていた人も多く、そういった方にお会い出来たことは、嬉しいことであった。

栃尾の仮設住宅では、様々な活動を行い、多くのドラマがあった。
中越地震は不幸な出来事ではあったけど、こういった機会に出会えた人には、感謝したい。

本当に多くの思い出がつまった仮設住宅の集会所だった。
集会所で寝袋で寝たのも、かなりの数になるだろう。
ちょっと寂しいけど、これが新しいスタートである。

仮設住宅に住んでいた人を中心に会が発足した。
私も名誉会員的に仲間に入れさせてもらった。

この絆をベースに今後も活動していきたい。

nozomu69 at 12:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)栃尾での活動 

2007年05月24日

再起動

選挙があったこともあり、こちらの復興ブログの更新が出来ませんでした。
選挙も終わり、復興に向けての取り組みも再スタートです。

今日は、栃尾を訪れました。
栃尾は仮設住宅の除雪をきっかけに多くの活動を行ってきました。
しかし、栃尾の北荷頃仮設住宅は、今では三世帯を残すのみとなりました。

栃尾の仮設住宅に住んでいた住民の方の多くが引越しをした復興住宅を訪れました。

仮設住宅よりも中心部にあり便利な場所にある復興住宅
仮設住宅よりも立派で快適なはずの復興住宅

しかし、住民の方の多くは、仮設住宅のときより元気がありません。
仮設住宅を訪れた時は、住民が、通路で井戸端会議をしていたり、
集会所でお茶会をしたりと、いったことが多くありました。

ハードの面での復旧がほぼ終わり、仮設住宅に住んでいる人が
少なくなるに伴い、災害は終わったという「錯覚」がありますが、
今日、復興公営住宅を訪れて感じた「現実」は、もっと深刻なものでした。

人は「衣食住」だけでは生きていけません。

この現実に対して、取り組んでいることがあります。
いずれ、皆さんにご報告できると思います。

nozomu69 at 22:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)栃尾での活動 


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