それでは西山光照寺跡の続きを。

こちらのお寺ってなにが圧巻かといいますと、その寺の規模の大きさだけではありません。
石仏の数も「こんな数見たことない!!!Σ(゚д゚lll)」ぐらいなのであります。

現在石仏は集められ、比較的保存状態のいいもの……が基準なのでしょうか、そのへんはよくわかりませんが(汗)、いくつかは建物の中で並べられています。
光照寺6

光照寺1

光照寺2

光照寺3

光照寺4

光照寺5

光照寺14

で、その他はというと
光照寺7

光照寺9

こんな感じで(汗)。
一体どんだけ出てきたんだという話ですけれども、一応先ほどの写真のようにちゃんと並んでいる石仏で38体あるのだそうです。

そんでもってなんで石仏がこんなに?!という話ですが、もともと天台宗真盛派は石仏を造るのが特徴(??というのも変な表現ですが)だそうで、朝倉氏に保護されていたこの宗派はどんどん石仏を造り、なんと現在一乗谷全体で残っているだけでも3000体の石仏があるんだとか。
終盤で書くであろう盛源寺にも石仏がありましたし。

もはやこれはこの場所に根ざしていた文化と言ってもいいんじゃない?って感じじゃないですか??

でもこうして
光照寺8

並べられた石仏の前に、破壊されてほとんど原型を留めていないものがあったり、
光照寺10

光照寺11

光照寺12

光照寺13

するのを見ると、やっぱり少し哀しい気がします。いくら無常といえどもこれだけ大きなお寺で、これだけの石仏があったっていうことは、それだけ人々の想いも色々、いっぱいあったはずで。それが戦でここまで破壊されてしまったんですよね……。

ただ、今でもお花がお供えされていたのがちょっと嬉しかったかな。

石仏ではありませんが、とある木の根元に五輪塔のかけら(?)が集められて置かれていたのも。
光照寺17

やっぱり哀しいです。なんとなくいずれ自分たちの生きるこの時代も何百年だか何千年後だかにはこんなふうになるのかもな、なんてことを考えてしまいます。
歴史とは全く関係ないんだけど、これを造った人たちや、ここに眠っている人たちの想いはどこに行くんだろう。
その想いを自分はほんの少しだけでも受け止めることができたのだろうか。


史学という視点から言えば全く意味が無いことは重々承知の上でござる。でも。こういったものに触れるたび、そんなことを思わずにはいられません。でも逆にそういう思いがあるからこんな超マイナー(苦笑)な旅を続けられるのかも知れません。

話が横にそれてしまいましたが(汗)。

最後はこちら。
光照寺18

阿弥陀三尊種子板碑(盛舜・真盛上人碑)です。
越前地方によく見る様式であり、光照寺五代住職の真重上人が供養し盛舜・真盛両上人の名を刻んでいるそうです。

それでは次回は資料館を少し。
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