2002年02月
2002年02月01日
NO.2 ほめる
1月18日の第6回目のディスレクシア研究会の講師の館野さんは英国でディスレクシアの日本人留学生の心のケアをしてくださっている。留学してるとして、今回は子育ての基本「ほめる」ということについて。
アメリカやイギリス、教育制度は随分違うし風土も民族性も違うのだがディスレクシア教育を調べるにつれある共通点を見出した。「ほめる」のと「前向き」な指導が本当にうまいのである。
■アメリカのリトルリーグでの出来事
ボランティアのコーチがリトルリーグのチームを教えている。選手たちがうまくできなくても決して怒鳴ったりしない。むしろ「ナイストライ」「いいぞ、その調子」「次はできるぞ」とへまをしてもその子が前向きに取り組んでいれば前向きな声かけをしている。さて、試合になってフライが飛んできた三人がいわゆるお見合いをして結局ポトンとボールは落ちた。するとさっきまで、ほめて励ましていたコーチが血相を変えて飛んできて叱咤する。「僕が取るって言う意気込みが無いぞ。遠慮なんかするな」と。しかしちゃんとフォローも忘れない。「良いか次の試合は絶対勝つぞ。勝ったらアイスクリームを御馳走するからな」と。さて、めでたく試合に勝つとコーチは一人一人をほめて、そのままピックアップトラックの荷台に泥だらけの子どもたちを乗せてアイスクリームショップに直行したそうだ。(慶応大学名誉教授池井優先生のお話)日本のスポーツクラブといかに違うことか。
■イギリスの進路の決め方
息子がイギリスで16歳でディスレクシアだと分ったときの学校の対応は「君は何がしたい?」「君は何が好き?」「君は何が得意?」と全て前向きな質問で始まった。その答えにあわせて今度は「それだったらこういう科目を取ることもできる」「これとこれを組み合わせると君のやりたいことができる」「君は数学が不得意だというけれどもう一回この学校でやってみるときっとうまくいく」とまたこれも全てできるできると前向きに話を進める、これまで日本ですっかり自信をなくしていた息子もできるんじゃないかと思い込んでしまった。
さて、一年半たって今、通知表がこれまた恥ずかしくなるほどほめてくれている。「このクラスに君が居ることは先生にとって誇りだ」「君がクラスにもたらす活気はものすごい」「私の教師生活の中で受け持った生徒の中で君ほど感性が優れた子は居なかった」等々。一番苦手な科目でも「君はベストを尽くしてくれた。来学期はこの点をブラッシュアップすれば君の努力はきっと形になる。先生は楽しみにしている」とある。一科目についてA4の用紙に1枚から3枚に今学期学んだ内容の下にこのようなコメントが書かれている。
日本で「場をわきまえない質問をする」「他人のことを考えない」「集団行動が取れない」「投げやりだ」と評されていたのと同じ子なのにどうしてこんなに違うのだろうか?
1月のディスレクシア研究会で館野さんが話してくださった、効果的なほめ方を,どうもイギリスやアメリカの教師やコーチたちは自然と身に着けているようである。お世辞を言うのではなくて本当にそう思ったことで相手の良い面をほめる。これは何もディスレクシアだからというのではなくて大人同士でもできる人生を楽しくするちょっとしたスパイスかもしれない。
アメリカやイギリス、教育制度は随分違うし風土も民族性も違うのだがディスレクシア教育を調べるにつれある共通点を見出した。「ほめる」のと「前向き」な指導が本当にうまいのである。
■アメリカのリトルリーグでの出来事
ボランティアのコーチがリトルリーグのチームを教えている。選手たちがうまくできなくても決して怒鳴ったりしない。むしろ「ナイストライ」「いいぞ、その調子」「次はできるぞ」とへまをしてもその子が前向きに取り組んでいれば前向きな声かけをしている。さて、試合になってフライが飛んできた三人がいわゆるお見合いをして結局ポトンとボールは落ちた。するとさっきまで、ほめて励ましていたコーチが血相を変えて飛んできて叱咤する。「僕が取るって言う意気込みが無いぞ。遠慮なんかするな」と。しかしちゃんとフォローも忘れない。「良いか次の試合は絶対勝つぞ。勝ったらアイスクリームを御馳走するからな」と。さて、めでたく試合に勝つとコーチは一人一人をほめて、そのままピックアップトラックの荷台に泥だらけの子どもたちを乗せてアイスクリームショップに直行したそうだ。(慶応大学名誉教授池井優先生のお話)日本のスポーツクラブといかに違うことか。
■イギリスの進路の決め方
息子がイギリスで16歳でディスレクシアだと分ったときの学校の対応は「君は何がしたい?」「君は何が好き?」「君は何が得意?」と全て前向きな質問で始まった。その答えにあわせて今度は「それだったらこういう科目を取ることもできる」「これとこれを組み合わせると君のやりたいことができる」「君は数学が不得意だというけれどもう一回この学校でやってみるときっとうまくいく」とまたこれも全てできるできると前向きに話を進める、これまで日本ですっかり自信をなくしていた息子もできるんじゃないかと思い込んでしまった。
さて、一年半たって今、通知表がこれまた恥ずかしくなるほどほめてくれている。「このクラスに君が居ることは先生にとって誇りだ」「君がクラスにもたらす活気はものすごい」「私の教師生活の中で受け持った生徒の中で君ほど感性が優れた子は居なかった」等々。一番苦手な科目でも「君はベストを尽くしてくれた。来学期はこの点をブラッシュアップすれば君の努力はきっと形になる。先生は楽しみにしている」とある。一科目についてA4の用紙に1枚から3枚に今学期学んだ内容の下にこのようなコメントが書かれている。
日本で「場をわきまえない質問をする」「他人のことを考えない」「集団行動が取れない」「投げやりだ」と評されていたのと同じ子なのにどうしてこんなに違うのだろうか?
1月のディスレクシア研究会で館野さんが話してくださった、効果的なほめ方を,どうもイギリスやアメリカの教師やコーチたちは自然と身に着けているようである。お世辞を言うのではなくて本当にそう思ったことで相手の良い面をほめる。これは何もディスレクシアだからというのではなくて大人同士でもできる人生を楽しくするちょっとしたスパイスかもしれない。