2002年09月
2002年09月21日
NO.16 Dr.イアン・スマイズ氏のエッセイ
☆英国のディスレクシア コンサルタント、Dr.イアン・スマイズが15日、来日されました。
連日、精力的に学校を見学されたり、EDGEのメンバーとワークショップを行っています。今回のメルマガは、博士にエッセイをお願いいたしました。
メスタのひとりごとはお休みします。
#ディスレクシアの人たち全てが同じような読み書きの困難を抱えているのでしょうか?
最近、ディスレクシアと見られる双子のお子さんのアセスメントの依頼を受けました。二卵性の双生児でしたが、同じように一緒に育てられ、学校でも同じクラスに入っていました。読み書きについては同じような困難さを示していました。それでも特異的な困難さを評価していくと、片方は韻をふむことや新しい言葉を読むときに音韻性の困難さが目立つのに対して、もう片方は聴覚性の短期記憶に困難さがあることがわかりました。
ということは、二人は違う方法で教えられなくてはならないのです。音韻性の困難さがあるときはフォニックスのプログラムが必要ですし、もう片方の短期記憶に関してはこの困難さを克服するための戦略が必要となります。
短期記憶が問題の場合にいくらフォニックスのプログラムに沿った教育をしても時間を無駄に過ごしていることになるだけです。
これは英語を話す子どもの例でしたが、日本語を含むほかの言語でも同じことが言えると思います。一人一人の認知のプロファイルを理解することが重要であり、ディスレクシアだからみんなおんなじ困難さがあり、一つのプログラムで教えていけばよいというものではないことをキモに銘じなくてはいけません。ディスレクシアの人はそれぞれ違っていて、そのためにそれぞれに適切な教育計画がなされなくてはなりません。
#スナップショット
芭蕉は彼の短い滞在の感想を17の選び抜かれた文字に時、場所、文化の要素をつかんで、凝縮することができるのでしょうが、日本語の語彙も文化の理解も浅い外国人としては、スナップショットにまとめることくらいしかできません。
大変な抵抗と注意と心配についての話し合いの結果、生徒に対する情熱と文句のはさみようがない献身を見せてくれた日本の小学校の先生方にお会いできたのは喜びでした。生徒たちは単に授業に参加していただけではなく大変喜んで授業を受けていました。訪れた学校では、いろいろな困難さが指摘されているにもかかわらず大変洗練されたインクルージョン教育を見ることができました。全体的に遅れが見える児童をほかの児童が自発的に手助けし、特異的な学習の困難さを見せる児童にはサポートが早い時期から与えられていました。しかし、これだけで日本の状況は大変良いとか大げさに言うのは避けたいと思います。というのは、これまでに訪れた諸外国でも経験したことなのですが、大体、私を受け入れて下さる学校はベストな学校であったからです。生徒にはサポートは与えられてはいましたが、その児童の本当の困難さとニーズが何なのかをきちんと見ることのできる人がいないからです。そのためのツールが日本語ではまだ存在しません。あったとしても体系だった処方(Remediation)プログラムはまだきちんと開発されていません。ということは、本来の意味での一人一人にあったIEP(個別教育プログラム)を組むことができません。
個別に対応する適切なIEPができない限り、そしてそれを組むことのできる教師と教材ができない限り、まだまだやらなくてはならないことが山ほどあります。
EDGEは活動に焦点をおき、専心と決心だけでなく、実現のための計画と方法を用意しています。この組織が計画を現実に換える能力を持っていることを私は知っています。将来もEDGEの力となり、文化の理解とより日本語の力をつけて日本を訪れたいと思っています。
今回の忘れがたい思い出は一年生の生徒たちから「花笠音頭」を見せてもらった後で、手作りの笠をもらったことです。
芭蕉の句にある「卯の花をかざしに関の晴れ着かな」ではありませんが、紙の花を広げると、今年の私の晴れ着の帽子になることは請け合いです。
Dr. Ian Smythe
2002年9月20日
連日、精力的に学校を見学されたり、EDGEのメンバーとワークショップを行っています。今回のメルマガは、博士にエッセイをお願いいたしました。
メスタのひとりごとはお休みします。
#ディスレクシアの人たち全てが同じような読み書きの困難を抱えているのでしょうか?
最近、ディスレクシアと見られる双子のお子さんのアセスメントの依頼を受けました。二卵性の双生児でしたが、同じように一緒に育てられ、学校でも同じクラスに入っていました。読み書きについては同じような困難さを示していました。それでも特異的な困難さを評価していくと、片方は韻をふむことや新しい言葉を読むときに音韻性の困難さが目立つのに対して、もう片方は聴覚性の短期記憶に困難さがあることがわかりました。
ということは、二人は違う方法で教えられなくてはならないのです。音韻性の困難さがあるときはフォニックスのプログラムが必要ですし、もう片方の短期記憶に関してはこの困難さを克服するための戦略が必要となります。
短期記憶が問題の場合にいくらフォニックスのプログラムに沿った教育をしても時間を無駄に過ごしていることになるだけです。
これは英語を話す子どもの例でしたが、日本語を含むほかの言語でも同じことが言えると思います。一人一人の認知のプロファイルを理解することが重要であり、ディスレクシアだからみんなおんなじ困難さがあり、一つのプログラムで教えていけばよいというものではないことをキモに銘じなくてはいけません。ディスレクシアの人はそれぞれ違っていて、そのためにそれぞれに適切な教育計画がなされなくてはなりません。
#スナップショット
芭蕉は彼の短い滞在の感想を17の選び抜かれた文字に時、場所、文化の要素をつかんで、凝縮することができるのでしょうが、日本語の語彙も文化の理解も浅い外国人としては、スナップショットにまとめることくらいしかできません。
大変な抵抗と注意と心配についての話し合いの結果、生徒に対する情熱と文句のはさみようがない献身を見せてくれた日本の小学校の先生方にお会いできたのは喜びでした。生徒たちは単に授業に参加していただけではなく大変喜んで授業を受けていました。訪れた学校では、いろいろな困難さが指摘されているにもかかわらず大変洗練されたインクルージョン教育を見ることができました。全体的に遅れが見える児童をほかの児童が自発的に手助けし、特異的な学習の困難さを見せる児童にはサポートが早い時期から与えられていました。しかし、これだけで日本の状況は大変良いとか大げさに言うのは避けたいと思います。というのは、これまでに訪れた諸外国でも経験したことなのですが、大体、私を受け入れて下さる学校はベストな学校であったからです。生徒にはサポートは与えられてはいましたが、その児童の本当の困難さとニーズが何なのかをきちんと見ることのできる人がいないからです。そのためのツールが日本語ではまだ存在しません。あったとしても体系だった処方(Remediation)プログラムはまだきちんと開発されていません。ということは、本来の意味での一人一人にあったIEP(個別教育プログラム)を組むことができません。
個別に対応する適切なIEPができない限り、そしてそれを組むことのできる教師と教材ができない限り、まだまだやらなくてはならないことが山ほどあります。
EDGEは活動に焦点をおき、専心と決心だけでなく、実現のための計画と方法を用意しています。この組織が計画を現実に換える能力を持っていることを私は知っています。将来もEDGEの力となり、文化の理解とより日本語の力をつけて日本を訪れたいと思っています。
今回の忘れがたい思い出は一年生の生徒たちから「花笠音頭」を見せてもらった後で、手作りの笠をもらったことです。
芭蕉の句にある「卯の花をかざしに関の晴れ着かな」ではありませんが、紙の花を広げると、今年の私の晴れ着の帽子になることは請け合いです。
Dr. Ian Smythe
2002年9月20日
2002年09月14日
NO.15 メスタの独り言
ここのところ毎月イギリスやアメリカに行っています。
今回はイギリスで感じたこと。
昨年12月のEDGE主催のシンポジウムで英国からいらしたワイデル先生は「英国の医学部の中にはディスレクシアの学生を受け入れない学校がある」と仰っていました。今回の研修ではスコットランドの少なくとも3つの大学の建築学部ではディスレクシアの学生を優先的に入れると聞きました。空間認識、創造性などの見地から優れた作品を生み出す力を持つディスレクシアの人たちも多くいるからだそうです。
海外の企業ではその独創性からディスレクシアの人しか雇わない企業もあるそうです。もちろん優秀な経営陣がいて成り立つのですが…。
また、ついにあのバージン・アトランティックのリチャード・ブランソン氏が自分がディスレクシアであることを認めて、英語の基本スキルのテストで優勝したという記事がディスレクシアの雑誌に載っていました。ブレア首相と握手をしていましたよ。そういうアントルプルノール(起業家)には大変優秀な秘書が必ず付いているそうです。
今回のメルマガは盛りだくさんなので、ここら辺でお後がよろしいようで
今回はイギリスで感じたこと。
昨年12月のEDGE主催のシンポジウムで英国からいらしたワイデル先生は「英国の医学部の中にはディスレクシアの学生を受け入れない学校がある」と仰っていました。今回の研修ではスコットランドの少なくとも3つの大学の建築学部ではディスレクシアの学生を優先的に入れると聞きました。空間認識、創造性などの見地から優れた作品を生み出す力を持つディスレクシアの人たちも多くいるからだそうです。
海外の企業ではその独創性からディスレクシアの人しか雇わない企業もあるそうです。もちろん優秀な経営陣がいて成り立つのですが…。
また、ついにあのバージン・アトランティックのリチャード・ブランソン氏が自分がディスレクシアであることを認めて、英語の基本スキルのテストで優勝したという記事がディスレクシアの雑誌に載っていました。ブレア首相と握手をしていましたよ。そういうアントルプルノール(起業家)には大変優秀な秘書が必ず付いているそうです。
今回のメルマガは盛りだくさんなので、ここら辺でお後がよろしいようで
2002年09月01日
NO.14 文字のない文化とディスレクシア
ディスレクシアは文字という記号を目から、耳から入れてそれを音として出す、文字として再現するとことが困難な症状です。
そう考えると文字を持たない、アイヌやジプシーの社会ではディスレクシアの気がある人たちはどのように暮らしているのだろう?今週、北海道に行って考えました。
読み書きはできなくても何もハンディがなかったのではないでしょうか?
短期記憶は悪くても体験によって体得できる人たちはアイヌの自然と一体になっての暮らしは大変得意だったのではないでしょうか?
鮭や鹿を狩り、自然を愛でつつという暮らしを今の日本で実行するのは難しいことですが、国会議員をしていたアイヌ出身の萱野茂さんはできるならそういう生活に戻るのが一番だと語ってくれました。
今の日本では読み書き計算ができないと学問ができないと思われがちですが、人類が文字を手に入れてからまだ4,5000年といわれています。それよりずっと以前から身に着けている知恵を大事にしたいなと、北の大地、アイヌのコタンをたずねて思いました。
そう考えると文字を持たない、アイヌやジプシーの社会ではディスレクシアの気がある人たちはどのように暮らしているのだろう?今週、北海道に行って考えました。
読み書きはできなくても何もハンディがなかったのではないでしょうか?
短期記憶は悪くても体験によって体得できる人たちはアイヌの自然と一体になっての暮らしは大変得意だったのではないでしょうか?
鮭や鹿を狩り、自然を愛でつつという暮らしを今の日本で実行するのは難しいことですが、国会議員をしていたアイヌ出身の萱野茂さんはできるならそういう生活に戻るのが一番だと語ってくれました。
今の日本では読み書き計算ができないと学問ができないと思われがちですが、人類が文字を手に入れてからまだ4,5000年といわれています。それよりずっと以前から身に着けている知恵を大事にしたいなと、北の大地、アイヌのコタンをたずねて思いました。