2004年01月

2004年01月01日

利き手が使えない話

子供が乗っていた馬が暴走したことがある。何度目かのカ−ブで、子供は遠心力で飛ばされてしまった。ヘルメットは壊れてしまったが、頭は無事だった。
しかし利き手の右肘を強打してしまい、医師は一目見るなり「骨折している」と言った。
レントゲンの結果は打撲であったのだが、一ヶ月以上右手は使ってはいけないことになってしまった。それからの本人の苦労は左利きから右利きに矯正された方なら分かると思う。お箸はスプ−ンに変えるのは簡単だが、肝心の勉強は、ディスレクシアというハンディ−のある子にとってさらに大変になった。
左手で字を書くだけでなく、片手で定規や彫刻刀を使うことも思うようにいかなかった。
しかも、他の児童と平等な?条件のもとで、授業もテストも宿題も一人で格闘しなければならなかったのだ。
誰もが怪我や病気で一時的に障害者になりうると気が付いた時に、本当の障害者理解が始まるのだろう。そして障害を持つことの不便を考えた時に、ディスレクシアに対しても、電卓・パソコン・テ−プなどの持込やテストの時間延長・口述筆記などの配慮が普通にされる様になるのかも知れない。

文責:堀口 順子

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IQの話

良く「IQは高い。IQは普通」と言う言葉を聞く。 IQとはいったい何?

IQつまり知能指数。
IQ=知能検査の得点を平均値とする年齢×100
今の年齢

以前送られてきた雑誌におもしろい記事をみつけた。
知能検査は先天的な資質を測るもので、先天的能力を反映できるのは4,5才位までである。IQが示すのは頭の働きのごく一部で、個人の能力は教育や経験などにより大きく伸ばすことが出来る。就学前の知能検査は、公教育について行けるかどうか、同年齢の子と比べてどのぐらいの遅れがあるかなどを見るためにある。

そして十数年前まで教育指導要領で学習指導に役立てる為にと行われていた標準検査は、実際には検査をしただけに終わり個別指導にいかされる余裕は無かった。
つまりやりっ放しだったと言うことになる・・・・
IQは個人の知能を便宜的に数値化したものである。その後の教育は自分で考える力や解決する力を育てることが出来る。社会人になって求められる能力は、コミュニケーション能力、危機管理能力、想像力など人間的能力すべてが必要になる。

つまりIQは、本人の能力のスタート、その後は本人の伸びようとする力次第であり、そして私達大人は子ども達が育とうとする力をちょっと手助けするだけなんだと。子育てはいい成績や有名大学へ行かせることでは無く、いかに大人になって社会で役立つ人間に育てるかにある。そう考えるとディスレクシアであっても大きな可能性がある。たとえ今学校で苦労していてもどんな成績をとろうとも、社会でどんな人間になるかで人としての価値は決まるのだと私は思った。

文責:堀口順子

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