2004年04月
2004年04月03日
NO.39 ティーチングとコーチング
教育と言う言葉には教える(ティーチング)と育む(コーチング)と言う言葉が含まれています。
先日、LDやADHDの指導にも有効なコーチングの講演会に参加して来ました。
講師の岸先生いわく、保護者が一日に出す指示語は平均80あるそうです。思い当たりませんか?朝だけでも「起きなさい」「早く着替えなさい」「ご飯食べて」「これ持って」…。その上、学校ではほとんどすべてが指示されます。こどもは慣れてしまい、聞き流すか、反抗するようになります。ましてや自主性など生まれようもありません。これではティーチング以前の問題ですね。
コーチングは、本来は上下関係ではなくて、パートナーシップで対等の立場で会話して、相手の能力を引き出す方法だそうです。こちらの立場を説明して、相手が自主的に動きたくなるような会話を重ねることで、よい循環が生まれ能力はぐんぐん上がっていくといいます。
自分の知っていることや出来ることしかティーチングは出来ませんが、コーチングは相手の能力を引き出すのですから自分にその能力が備わっていなくてもできます。マラソンのキューちゃんこと高橋尚子選手を育てた小出さんがその良い例でしょう。
それぞれが持つ能力を引き出すためには自分はまんざらではないと感じてもらうことが大切です。人に認められて、自分が誰かに必要とされていると感じることができると子どもの顔は生き生きとしてきます。
メスタは、善は急げと早速コーチングの修行を始めるのです。
先日、LDやADHDの指導にも有効なコーチングの講演会に参加して来ました。
講師の岸先生いわく、保護者が一日に出す指示語は平均80あるそうです。思い当たりませんか?朝だけでも「起きなさい」「早く着替えなさい」「ご飯食べて」「これ持って」…。その上、学校ではほとんどすべてが指示されます。こどもは慣れてしまい、聞き流すか、反抗するようになります。ましてや自主性など生まれようもありません。これではティーチング以前の問題ですね。
コーチングは、本来は上下関係ではなくて、パートナーシップで対等の立場で会話して、相手の能力を引き出す方法だそうです。こちらの立場を説明して、相手が自主的に動きたくなるような会話を重ねることで、よい循環が生まれ能力はぐんぐん上がっていくといいます。
自分の知っていることや出来ることしかティーチングは出来ませんが、コーチングは相手の能力を引き出すのですから自分にその能力が備わっていなくてもできます。マラソンのキューちゃんこと高橋尚子選手を育てた小出さんがその良い例でしょう。
それぞれが持つ能力を引き出すためには自分はまんざらではないと感じてもらうことが大切です。人に認められて、自分が誰かに必要とされていると感じることができると子どもの顔は生き生きとしてきます。
メスタは、善は急げと早速コーチングの修行を始めるのです。
KIDS&ARTS キッズ&アーツ2004春&夏
2004年春と夏に国内外の優れた、そして先駆的な企画を実施します。
<主催企画>7/11〜7/27
『シンデレラ』 イギリス/ショーナ・レップ・パペッツ
ワークショップ開催<みなとNPO子どもあそび塾2004第2弾>
<主催・協力企画>7/17〜7/30
『トゥインクル・トゥインクル・リトル・フィッシュ』
オーストラリア/ウインドミル・パフォーミング・アーツ・カンパニー
<提携企画>7/15〜7/20
『ハムレット』 子どものためのシェイクスピアカンパニー
<協力企画> 7/27・俳優座劇場
俳優座劇場開場50周年記念「シンポジウム2004」舞台芸術の創造・普及・劇場
『子どもと文化芸術の出会いをコーディネイトする』
<問合せ>
子ども劇場全国センター(http://www.kodomo-npo.org/)
<主催企画>7/11〜7/27
『シンデレラ』 イギリス/ショーナ・レップ・パペッツ
ワークショップ開催<みなとNPO子どもあそび塾2004第2弾>
<主催・協力企画>7/17〜7/30
『トゥインクル・トゥインクル・リトル・フィッシュ』
オーストラリア/ウインドミル・パフォーミング・アーツ・カンパニー
<提携企画>7/15〜7/20
『ハムレット』 子どものためのシェイクスピアカンパニー
<協力企画> 7/27・俳優座劇場
俳優座劇場開場50周年記念「シンポジウム2004」舞台芸術の創造・普及・劇場
『子どもと文化芸術の出会いをコーディネイトする』
<問合せ>
子ども劇場全国センター(http://www.kodomo-npo.org/)
2004年04月01日
「左利き」は障害?
この度、縁あってNPO法人EDGEの仕事のお手伝いを始め、「Dyslexia」を持つ人達の苦労、努力を知った。そして、「左利き」である自分は、「左利き」は障害と思わないが、日常生活で如何に不便や努力を強いられ、且つ差別されてきたかを考えてみた。
物心がついた時から、私は「左利き」「左ぎっちょ」などと言われていることに気が付く。辞書によると「左」は「左巻き」やら、「左党―酒飲み」、「左前」等「右」とは違った意味で使われることが多い。しかし私は酒・アルコールは嗜まないし、世間で言われるような器用さも持ち合わせていない。学校もそれなりに出て、サラリーマン生活を無事終えたことからも、所謂「左巻き」とも違うように思える。
英語でもleftyは、左利きの人以外に左翼・左派の意味がある。日本やUKの様な左側通行の国についてアメリカ人は、USの通行規則が正しいcorrect-side(right)と言う。何故英語でも右が、正しい(right)のであろうか?
私は、小学校入学直後に両親と担任の先生が相談し、放課後右手で字を書く練習を行った。この補習は、担任の関沢先生のお陰で非常に楽しかった。お蔭様で、字だけは右で書けるようになったが、黒板に書くことや絵筆を持つのは左手の方が今でもやり易い。「右」・「左」の概念を覚える学習では、「右手=お箸を持つ手」「左手=お茶碗を持つ手」と教わり、いつも皆と反対の手を挙げる事に躊躇はしなかった。少なくとも自分は、お箸は左で持つのだから、他の人が右を上げようと自分は皆と違うとの意識があった。
逆の手を挙げることや「左利き」で所謂いじめにあったことは無かった。
しかし、今までの生活を振り返ってみると、「左利き」の為、色々苦労をした。小学校生活で、最も困ったのは、切り出しナイフと三角刀を使う工作であった。刃の向きが、まるで逆。工作は苦手で嫌いな科目になった。
中学では、「左用」彫刻刀を買って貰ったが、高価であった。ハサミは「右用」に左手を無理やり入れて使う為、やり難く、家庭科の運針や編み物と同じく、苦労多くして役立たず。野球をやるにも、グローブが大変。学校にあるのは全て左手にはめる、「右利き」用のものだけ。
親にねだって買ってもらったが大人用のグローブで、これまた高価。中学に進学してから、左右の違いが無いと思われるテニスを始めたが、教則本が無く、右と左を置き換えて読んだ。不思議なことに普段の練習相手が「右利き」なので、試合の相手が左だと、おかしな感じになった。相手も同じだろう。
中学・高校では、西部劇にのめり込み、映画館通いと、TV放送に夢中となった。映画では、「左利きの拳銃」等「左利き」も多いがモデルガンはともかくホルスターは左用が無く「早撃ち競技」では苦労した。TVで活躍していた元MBAスターの「ライフルマン」役者は「左利き」だったが、ライフルに弾を込める時は、やり難そうだった事を覚えている。六連発の弾込めも「左利き」の人は苦労したのではないだろうか? その為命を縮めたガンマンが居たら同情する。
最近では、PCのkey boardなど細かな動きがやりにくい。
ten keyを打つとかmouseを使い細かな作業は難しく、数字は左で入力する。
パチンコは昔の機械で、右手で微妙な打ち方のコントロールが出来ず、未だに出来ない。
カメラ(ビデオを含む)は、シャッターだけでなく殆どの機能操作・選択が右手で行うようになっている。「左利き」用のピアノなんて見た事も聞いた事も無い。
ギター、三味線などの弦楽器は、弦を逆にしても、左用の教則本なんか無い。
ポールはどうやってギターをマスターし、ビートルズを結成したのだろうか?
レコードプレーヤーを左手で操作するのは至難の技。
最近ではCDとなりユニーバーサル・デザイン化されたが、アナログ音を愛する、200枚を超えるLPコレクターにとって針を狙った場所に置くことは必須条件。
エジソンが「左利き」だったら世の中でレコードがこんなに普及したか疑問である。
社会人となって、ゴルフを薦められ始めたが道具が中々無い。
何とか左用のクラブセットを求めて、練習場に行くと一人だけ逆向きで、前の人とご対面となる。こちらは何時もの事で苦にならないが、お向かいさんは、とんでもない悲運に遭遇したようになり、あわてて場所を変えるか、やめて帰宅される。
お陰で、私はマイペースで練習に励める。しかし、右の人が使う、自動でボールをセットしてくれる機械は、左用に用意している所は、殆ど無い。近頃歳のせいか、飛距離が出ない。仲間は皆さん、よく飛ぶクラブを購入し得意げに振り回している。しかし、左用のクラブを用意しているモデルは限られている。
アメリカでも国内でも20年前は、色々有ったが、今では数モデルで且つ、高いクラブに限られる。グローブは、右手用のものは国内では殆ど入手不能。
両手用を買うか、海外で捜すかである。
同じように占有スペースが左にずれる事で困るのは、狭い食堂での食事。
左肘がお隣さんの右肘に当たる。そんな時は別に悪い事をしている訳でないのに「済みません」と言ってしまうが。左の席が空いているのを確認して座っても後から来た人に「済みません」 何とも割り切れない思い。
以上を纏めると
1)左用の製品が品揃えとして用意されていない。世間ではユニーバーサル・デザインとか言って誰でも使えるような物が増えているのに、業界は「左利き」顧客ニーズを無視しているのか?
2)左用の製品が少なく、且つ専門家用で非常に高い
3)占有スペースが異なる(左側にシフトしている)為の不都合等が、私の体験から生じた「左利き」の被差別感である。
文責:篠田文彦
物心がついた時から、私は「左利き」「左ぎっちょ」などと言われていることに気が付く。辞書によると「左」は「左巻き」やら、「左党―酒飲み」、「左前」等「右」とは違った意味で使われることが多い。しかし私は酒・アルコールは嗜まないし、世間で言われるような器用さも持ち合わせていない。学校もそれなりに出て、サラリーマン生活を無事終えたことからも、所謂「左巻き」とも違うように思える。
英語でもleftyは、左利きの人以外に左翼・左派の意味がある。日本やUKの様な左側通行の国についてアメリカ人は、USの通行規則が正しいcorrect-side(right)と言う。何故英語でも右が、正しい(right)のであろうか?
私は、小学校入学直後に両親と担任の先生が相談し、放課後右手で字を書く練習を行った。この補習は、担任の関沢先生のお陰で非常に楽しかった。お蔭様で、字だけは右で書けるようになったが、黒板に書くことや絵筆を持つのは左手の方が今でもやり易い。「右」・「左」の概念を覚える学習では、「右手=お箸を持つ手」「左手=お茶碗を持つ手」と教わり、いつも皆と反対の手を挙げる事に躊躇はしなかった。少なくとも自分は、お箸は左で持つのだから、他の人が右を上げようと自分は皆と違うとの意識があった。
逆の手を挙げることや「左利き」で所謂いじめにあったことは無かった。
しかし、今までの生活を振り返ってみると、「左利き」の為、色々苦労をした。小学校生活で、最も困ったのは、切り出しナイフと三角刀を使う工作であった。刃の向きが、まるで逆。工作は苦手で嫌いな科目になった。
中学では、「左用」彫刻刀を買って貰ったが、高価であった。ハサミは「右用」に左手を無理やり入れて使う為、やり難く、家庭科の運針や編み物と同じく、苦労多くして役立たず。野球をやるにも、グローブが大変。学校にあるのは全て左手にはめる、「右利き」用のものだけ。
親にねだって買ってもらったが大人用のグローブで、これまた高価。中学に進学してから、左右の違いが無いと思われるテニスを始めたが、教則本が無く、右と左を置き換えて読んだ。不思議なことに普段の練習相手が「右利き」なので、試合の相手が左だと、おかしな感じになった。相手も同じだろう。
中学・高校では、西部劇にのめり込み、映画館通いと、TV放送に夢中となった。映画では、「左利きの拳銃」等「左利き」も多いがモデルガンはともかくホルスターは左用が無く「早撃ち競技」では苦労した。TVで活躍していた元MBAスターの「ライフルマン」役者は「左利き」だったが、ライフルに弾を込める時は、やり難そうだった事を覚えている。六連発の弾込めも「左利き」の人は苦労したのではないだろうか? その為命を縮めたガンマンが居たら同情する。
最近では、PCのkey boardなど細かな動きがやりにくい。
ten keyを打つとかmouseを使い細かな作業は難しく、数字は左で入力する。
パチンコは昔の機械で、右手で微妙な打ち方のコントロールが出来ず、未だに出来ない。
カメラ(ビデオを含む)は、シャッターだけでなく殆どの機能操作・選択が右手で行うようになっている。「左利き」用のピアノなんて見た事も聞いた事も無い。
ギター、三味線などの弦楽器は、弦を逆にしても、左用の教則本なんか無い。
ポールはどうやってギターをマスターし、ビートルズを結成したのだろうか?
レコードプレーヤーを左手で操作するのは至難の技。
最近ではCDとなりユニーバーサル・デザイン化されたが、アナログ音を愛する、200枚を超えるLPコレクターにとって針を狙った場所に置くことは必須条件。
エジソンが「左利き」だったら世の中でレコードがこんなに普及したか疑問である。
社会人となって、ゴルフを薦められ始めたが道具が中々無い。
何とか左用のクラブセットを求めて、練習場に行くと一人だけ逆向きで、前の人とご対面となる。こちらは何時もの事で苦にならないが、お向かいさんは、とんでもない悲運に遭遇したようになり、あわてて場所を変えるか、やめて帰宅される。
お陰で、私はマイペースで練習に励める。しかし、右の人が使う、自動でボールをセットしてくれる機械は、左用に用意している所は、殆ど無い。近頃歳のせいか、飛距離が出ない。仲間は皆さん、よく飛ぶクラブを購入し得意げに振り回している。しかし、左用のクラブを用意しているモデルは限られている。
アメリカでも国内でも20年前は、色々有ったが、今では数モデルで且つ、高いクラブに限られる。グローブは、右手用のものは国内では殆ど入手不能。
両手用を買うか、海外で捜すかである。
同じように占有スペースが左にずれる事で困るのは、狭い食堂での食事。
左肘がお隣さんの右肘に当たる。そんな時は別に悪い事をしている訳でないのに「済みません」と言ってしまうが。左の席が空いているのを確認して座っても後から来た人に「済みません」 何とも割り切れない思い。
以上を纏めると
1)左用の製品が品揃えとして用意されていない。世間ではユニーバーサル・デザインとか言って誰でも使えるような物が増えているのに、業界は「左利き」顧客ニーズを無視しているのか?
2)左用の製品が少なく、且つ専門家用で非常に高い
3)占有スペースが異なる(左側にシフトしている)為の不都合等が、私の体験から生じた「左利き」の被差別感である。
文責:篠田文彦