他人が仲良くしているのが不快な気持ち。
今からもう3年以上前に、ウェブ上で提唱された言葉です。
(参考リンク:
けまらしさについて - こせきの日記)
「あの人たちが仲良くするせいで私が不快になる」という気持ちを、「けまらしい」といいます。
以下、具体例を挙げてみることにします。
あなたは、けまらしい思いをしたことがありますか?
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例えば、クラスのみんなが楽しそうに遊んでいて、自分はそこに混ざれていないことに関して沸き起こる不快感。
例えば、大人数でカラオケに来ていて、自分が歌っている間に周りがみんな雑談に耽っていることに関して沸き起こる不快感。
これは「孤立感」でしょうか。「けまらしさ」とはニアミスです。
例えば、専門用語を使って楽しそうに話している人たちがいて、会話に混ざりたいけど言葉が分からなくて混ざれないことに関して沸き起こる不快感。
例えば、mixiのマイミクの日記のコメント欄が、すでに多くのマイミクが書き込んでいて話の流れができており、新規に書き込みづらい空気になっていることに関して沸き起こる不快感。
これは「疎外感」でしょうか。やはりニアミスです。
例えば、いつも自分と話していた友人が、あるとき自分でない人と仲良くしていたことに関して沸き起こる不快感。
例えば、独り身の人間が、街を歩くカップルを目の当たりにしたことに関して沸き起こる不快感。
これは「妬み」でしょうか。ちょっと違います。
例えば、これから一緒に創作活動をしていく仲間として友人から紹介された人が、実はその友人の恋人的存在だったと後から知ったことに関して沸き起こる不快感。
例えば、友人と二人でカラオケに行き、しかし友人は後の職場の酒席での評判を狙ってKinKi Kidsをかっこつけしく歌う練習ばかりしていたことに関して沸き起こる不快感。
これは、いわゆる「使われ感」でしょうか。これも違います。
例えば、電車の中で携帯で話している人がいて、特に騒音でもないけど、人々がいる中で見えない誰かとコミュニケーションを取り続けていることに関して沸き起こる不快感。
例えば、他人のブログやmixi日記のコメント欄に、毎回決まって感想の書き込みをしに来ている人が見受けられることに関して沸き起こる不快感。
これが「けまらしさ」ではないでしょうか。けまらしく思う気持ちではないでしょうか。
なるべく似た概念を並べながら、それらとの違いを併せて説明してみたつもりです。
頭の中にそういう概念がなければ実感することができない感覚だと思いますので、この説明を読んでみて理解ができない人はけまらしい経験をしたことがない人なのかもしれません。
それは「萌える」とか「梅しい」についても同じことが言えるのでしょうけど。
あなたの頭の中に、新しい感情の概念は形成されましたでしょうか。
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>「梅しい」
って、「悔しい」のことかな・・・
どうやって変換したん?
こんな程度の日本語を誤るような人に
解説された日本語が、かわいそうに見えるぞ
>とおりがかり
こちらをご参照くださいませ。
http://blog.livedoor.jp/nrudt/archives/51062117.html
たいへん(?)失礼しました(笑)
ふうむ・・・いろいろ由来があるものですな。
某検索結果より、このページに飛んできた自分としては、
知らなかったと言い張っても許される書き込みとは思いますが。
今回は、(この場の)空気が読めていなかった自分を認めます。
いろいろな人が通りがかる公開されたinternet空間ですので、
皆が私のような反応をするとは限りません。
老婆心ながら、このような誤解・すれ違いは心配になります
(自戒の意味も含めて、ね)
では、良い Net Life を!
↑ 一般に、他人に言葉の間違いを指摘する際には、
「本当に相手の方が間違っているのか」
「本当にそんな言葉はないのか」
を、ググって確かめるくらいのことは必要だ、という一つの例ですね。
(いや、「梅しい」が正しい日本語だ、とも言えませんが)
この間、「まるかぶり」という言葉に
「“丸かじり”か“かぶりつく”の誤りでは?」
と指摘しようとして危ないところだった……。
…「なぜか変換できない」に本気でツッコんで恥をかいた遠い日の記憶。