2007年10月29日

Blog の再開

また、ブログを再開することにしました。2年以上振りです。最近は当校の国際学会英語発表訓練コースに問い合わせて下さる方てが急に多くなってきた。ご期待に少しでもこたえるべく内容にもいっそうの充実をはかって生きたいと考えています。  

            以後は New Blog へ移行ください。

              http://d.hatena.ne.jp/nsishikata/



Blog 再開

また、ブログを再開することにしました。2年以上振りです。最近は当校の国際学会英語発表訓練コースに問い合わせて下さる方てが急に多くなってきた。ご期待に少しでもこたえるべく内容にもいっそうの充実をはかって生きたいと考えています。  

            以後は New Blog へ移行ください。

              http://d.hatena.ne.jp/nsishikata/



2005年05月18日

Time-honored learning

Learn not, and know not  <学ばねば知らぬ> と感じることは多いが、英語を学ぶときには、敬愛する Ytk  さんからきいた、ふつうだが深みのある、大切な話をよく思いだす。 「 どんなことでも、50年くらいつづけていると、それがからだの一部になって、しぜんにつかえるようになったのでは、、、と感じることがありますね、、、、」といわれる。  Ytk さんは、初等科〔小学校〕 のころに英語を学び始めて、今も学んでおられるので、もう 70年近くになるのではと思う。発声がきれいで、いつももの静かで soft-tune に加えて、話されることはみな  Concise and Clear で しかも something elegant である。こういう SKILL-ARTS は、今のわたしたちが、たとえば、資格試験をめざして、短期集中的に、たくさんのものを学ぶようなものとはちがう。
 
英会話を学ぶとき, 初級から順に、上級レベルくらいまで、3年ほどかけてがんばって学んで、上級クラス生になる。これも容易ではないと感じるが、このような systematic learning も、変化のはやい現代生活のなかでは、当然だろうが、複雑な言語伝達のような場合は、それも深みをますにはまだまだ不十分であることもわかる。 英語の学習にかかわらずだが、なにかひとつのことを、50年!くらい、毎日少しづつ練習を続けていけば、ちょっと自信らしきものが持てるようになり、きっと豊かな生きかたにつながるのだろうと想像できる。 
わたしも、50年以上も、英語を学びつづけていけるよう願っている。
 
Ytk さんの、陶芸、日本画も、水彩画の作品も (数々受賞されている) ホーム美術館  このことを彷彿させるものとなっている。
 
Ytk  さんは、70歳代の女性で Blog も自分でつくり、 デジカメも、Pcによる On−line コミュニケーションも、自然に、ゆっくりと時間をかけて楽しまれている。


2005年05月15日

A Dog

Dogs are lovery !  Ham san's this time speech certainly has got me to guess it.  Her mother-in law, living in Kyushu introduced to Ham san an episodo about her lovely dog  on the long distant phone:  Her BLAKEY, once a stray dog, is now a perfect important family member. He,BLAKEY, all the time and dignifiedly, keeps his position of the highest, like a king!, in the family. He strongly expresses his unsatisfied growling, if someone behaves unusually at home without telling him.

There are two sons in their twenties in this family, and BLAKEY might think as if they were his brothers !  When he was picked up and welcomed to this family by the mother some two years ago, the younger son did not live together with this family for his work, then he enjoyed spending with his elder? BROTHER,  but later, since the younger came back and started to live with them, BLAKEY has  acted to him as if he were his elder,ONI-SAN and orders the youger son to follow him ! While, to the elder son ,he behaves like OTO-TO,though.

"He might understand well human world" Mother said.

Mother cannot live without BLAKEY now !



2005年03月21日

ame-onna

Ham さんがこられる日は、カンペキなほどに、いつもここちよい晴れの天気であった、、、が、が、が、なんと、、来られる曜日がかわってからはほとんどが、雨の天気になったと、さわやかなこのかたがちょっとざんねんそうにはなされた。 Nowadays I`m afraid I `ve been  a woman who never comes or goes out without being met by wet weather と、とりあえず、じしんなげにはなされたあと、-雨女になった-といいたいのだけれど、じぶんでもこの英文ではちょっとちがうんじゃないか、どうだろうということになった。アンダーラインのところは、日本では著名な辞書といわれているなかにのっている訳である。わたしもこのかたに同感で、他のくにのひとには、わたしたちのあらわしたいきぶんは、この英文ではちょっとつたわらないだろうなとおもうけれど、たとえば、These days whenever I come, it is almost rainy, this might be as if I were put a curse on with the demon of rain 〔わたしの訳)とか いっても、かれらは。Hah?! となり、これもつたわらないだろう。結局、これはつたえられないのだとなったのだが、かれらは、こいういう状況ではこういうふうにはかんがえないからである。ふだん出来るだけ自分のかんがえを正確な英語?で、、、とかいって努力をしているが、同じでないから異なった言語!なのだから、近似なところでしかおきかえられないのである。とくにこういう文化に根ざしている表現は、おにぎりは = a rice ball ( a base ball ) のように その語感がうまくおきかえできないのは matter of natural である。わたしたちが英語の勉強をしていくための、今も、古くて新しいかだいである。
 
日本語も、やがてあまり遠くないうちに、英語に取り換えられていくだろうとわたしは覚悟をかためているひとりだが、、、。    nsi


2005年03月17日

I love to study

幼いころからずっとなかよしの、いまや、カゲキざかりで、センシティビティ溢れる Craft artist の Kum さんと、アジアの大学でユニークな勉強をし、またあらたなチャレンジをはじめようとしている Fuy さん、ふたりと 3月はじめてのべんきょうかいをした。   
テキストの中の、  In Malasia young children  love to study.  の love ( like ではない) to  study がななかいいというはなしになった。日本では、すなおにはこういうのは一般的にちょっと難いとおもうが、これはわたしたちのけいけんした study の ほうほう-ナカミ にたいする ネガティブイメージが すばらしい?はずの study を覆っているからではないかというのが Kum さんの感想であった。......... 
........ I love to study と sincerely にいえるじょうきようを作りたい  !! nsi


2005年03月16日

A Great Work

68e205e8.JPG
This is a photo I took  a few years ago when visiting Suntory Musium in Ohyamazaki,Kyoto.
I still remember freshly many masterpieces exhibited there seem something very inspiring.
 
 
 
 
      click photo to enlarge


2005年03月11日

" Catch Me, If You can...."

きょうは、なにか  Interesting  , Creative  , Imarginative , Exciting  ,  Encouraging  で............  ................ な?スピーチをきいた。なんだろうこれは..... 。
 
DiCaprio  演じる、なお手のハイティーン小切手 Fraud と Tom Hanks  の FB I   detective とのあいだにくりひろげられる、 逃走と追跡の Dramatization  -  両者の間のちょっと funny な、、rhytmic な、、、攻防.......  .やがて、、、ふたりのあいだに、たがいの、自分にたいする真剣な生き方にたいして、相手への、びみょうな信頼のようなものがそだっていく。。。 ” Catch me,if you can. "   ゲームが くりかえされるが、、、  最後には、この少年は この捜査官に捕らえられる...,投獄されるが、さまざまな fraud のテクニックを 捜査チームに提供し、犯罪の防止に貢献するも、ついには犯行不可能なほどのハイエンド小切手を発明するまでに...... 。 愛の power  はいつもおおきい !!
 
これは、今日のレッスンから、 One-Minute Speech の練習をはじめられた Ham さんの英語スピーチをきいて、わたしが理解した内容である。実際の映画はみていないので、ひょっとしたら、そのストーリーとはちがっているかもしれない。 しかし、このかたの今日の Story Telling は, いつもの聡明感あふれるはなしかたとあいまって、なんとも印象深かった。話の内容に愛情をもってはなす、、、これもしんにたいせつとかんじた。   nsi


2005年03月10日

The New School International

N S I               Kyoto          Japan


2005年03月05日

courage

     Charlie Brown,Lucy,Linus,Snoopy. They have appeared in magazines for over half a century.They have hundreds of millions of fans around the world who............ ............................. .............................. ............................... .................................
................................. ............................. .............................. ................................ .................................
They keep reminding us that true success lies in sensitivity to others of kindness,and in the courage to hope even in the face of great difficulty.
 
アンダーラインの courage の意味について考えてみた。いつも英文を理解するときは、なんとなくわかったような学び方はさけたいと話し合っているが、なにごとにおいても、より高いものを求めててすすまれる、ほんもののSEだと感じる Oha さんからの今日のこの質問にはちょっとたじたじであった。
courage はふつ、勇気、度胸、意気地、などだが、では、勇気とはどういうことをいうのだろうか。人によってその内容はちがうのではないのだろうか。 英語のこの語の定義は、-なにか危険なことにとりくみ続けけること、苦痛や、困難に直面する 「能力」- である。 生きていくのにはたいへんな努力が必要だが、courage は困難に直面したときの精神的な強さをいう。一方、 bravery はその行動の強さをいう。 とにかく、−勇気は能力ーであるから、高めていくのが大切だというのが、きょうのわたしたちの貴重な理解になった。
 
May I wish to take courage to do........  .
 
-愛する勇気を持つものは苦しむ勇気を持つべきだ-  Anthony            nsi
 


2005年03月04日

pregnant

     "Hello, I`ve got a big news today, you know, now  I`m pregnant !" というグリーティングではじまった、 On-Line Practice のあいては、きびしいしごにもかかわらず、いつもソフトタッチの東京在中の、 Igt さん。このかたのともだちも、最近赤ちゃんをを出産されたので、しばらくはそのはなしがつづく。。。, おなかの赤ちゃんもこのはなしをきっときいているだろということになり、ふと、わたしたちがふだん使っている、pregnant という語の意味と、日本語の、妊娠という意味とでは理解のしかたにちがいがあるのではとおもった。  広辞苑=「妊娠」、 体内に受精卵またはそれが発育した胎児(幼体)を包容している状態.....一方、英語の、pregnat  =  pre(-の前) + gnant(生まれる) で、母体から体外に出てくる前にすでに、「生む、生んでいる」というのが、語の意味の中心で、わたしたちが、”おめでとう、いつ生まれるの? というのとは厳密な意味においてことなるのでは?
she is expecting a baby はいつ出産するのですか、とふつう訳すが、ほんらい英語の人々は、 いつ直接あう(見る)よていになっているのですか。とかんがえるのではとかんがえてみた。 数えで3歳というのはなかなか深い!?
 
She is six months pregnant        She(=baby) is six months old
She is six months along  ともいう she=mother
When she got pregnant with Ben,...ベンを身ごもったとき、この got !は? nsi
 


2005年03月03日

corpus

     ことばを使って生活しているのが、生物学的な、人間の定義のようだが、ひとくちに、"ことば”といっても、それは深く、広く、永く その大全はなかなかわかるものではない。日本語では、昔は、”ことのは”(事端)といっていて、あまり重要で、中心ごとではない、という意味が、今の、"言葉”になったそうだし、中国語でも、”千枝万葉” とも表現して、その大量さを感じさせる。 英語の corpus という語は  the corpus of Shakespeare`s works , corpus body などのようにつかわれるが、語源のラテン語では=体、かたまり- であり、現在では、おもに、「記録された発話、テキストの集積、とか、一定期間に一般の読み物に現れた言葉のすべてを記録し、この集大成をコンピューター処理することによって言語の推移、特徴などを統計学的に分類した言語材料」と理解されている。
 
言葉を単なる記号や情報と見る傾向の強い、現代の社会では、言葉の分極化(polarization)と細分化(particlification)が激しくなり、記号や情報は刻々と生まれ、消滅していくが、言葉はほんらいそれをおしだしている信条、美意識、主張などの精神活動である。言葉のコーパス分析は、どんな言葉が、どんなシチュエーションで人の心を捉えているかを統計的にしめす資料にしていく。 このことば調べからなにがわかるのか、わたしにはなかなか興味深い。  nsi


2005年03月02日

recurrent

     /エレガンス/ がベストフィットの Iet さんから、今日なんどもおききした recurrent という語の内容の厳粛さは、私にとっては、会話中のふだんのフルエントな発話を阻むほど新た理解をくわえるものであった。病気のrecurrency に苦しむひとたちの悲惨は、経験のないものにはわかりえないものだが、くりかえすごとに、生存のために、身体の一部をうしないながら生とむきあう  matter of course  もあるのだというおはなしはむねにつまった。
 
はなしはまるでかわるが、このかたの ドレスカラーコーディネーションにはいつも感嘆する。なかでも、いままでにみたことがないような、ふしぎな繊細で奥深さがただようあのグレーカラーとのコンビネーションは? 、カラーとわたしたちの face  & physical expression  とのかかわわりのふかさを想定させる、、、。 ふだんのグレーカラーにそんな ,しずかな pulling power があるとはおもったこともないのだが、、、。  nsi


2005年03月01日

fine-tune

     いろいろな人と話していて、以前よりも、あ、、そうだな、と思うことがおおくなってきた。100人でも、100万人でも、そのひとりひとりが、、自分じしんのやりかた、感覚で生活していて、同じようにみえても同じではなく、すべてにおいて、それぞれ微妙なちがいがあるのは当然である。他の人と共有していることが多くあるのはうれしいことの一方共有していないことのほうが圧倒的におおいのが事実である。とくに、私たちの生活している現在の high-end- society では、他人とのあいだに生じる様々な関係をうまくおこなうには、相手や自分のやりかた、立場、気分といったようなものをつねに fine-tuning するスキルが求められ、これからもますますこの必要性がたかまってくるだろうというのが、長い間いつも感動するくらいに真摯に学んでいられるNah さんとの、この語表現の結論になった。We should fine-tune difference of......    .
 
ところで、とても若い人たち?の、それって。びみょうですね、という答えのないような答え方に、わたしは、いつも、しかもかなりの共感と好感をもっている。   nsi


2005年02月27日

英文にする

     約束の時間にすこし遅れてあらわれた expertise  と confidency が醸し出る Hohさん。いつもお忙しいはずなのに、とにかくものごしがすばらしい。話していると心が落ち着いてくる。さっそく、締め切りが近づいている英文の校正作業にとりかかる。最後に、副題の、「AはBにおいて優れ,CはDにおいて劣る] という文を置き換えるとき、"A is better in B"だけにして、パンチを効かせては,というこちらの提案を、”納得”というようないい笑顔でうけてくださる、と、次の会議場へ  もの静かに+いそいで  移動される。 いつものように。    nsi


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