2005年07月20日

看護師になった理由 〜きっかけ〜

今回は改めまして看護師になるまでのいきさつを…
 
るーしえさんやなつきさんのアドバイスを受け、下書きを重ねながら書いて見ます
 
 
 
 
 
きっかけは中学2年生の時でした。
その頃は父・母・姉との4人暮らしでした。
 
 
 
夏のちょうど今頃の時期に、母は体調を崩しました。
すぐに父と共に近院の総合病院を受診し、そこである診断が下されました。
 
 
 
 
 
 
この頃はこんな病名など、聞いたこともありませんでした。
この病気について、父からは
 
「不治の病だけど、死ぬ病気ではない」
 
と言われました。
同時に実際に健在の叔母が、この病気にかかっていた事を教えてくれました。このこともあり、この頃は「死」という言葉は頭の片隅にもありませんでした。
 
 
 
 
 
父の言葉とは裏腹に、母の体調は徐々に悪くなっていきました。そして8月上旬には、近院の総合病院へ入院となりました。
 
 
病院は自宅から自転車で10分ほどの距離にあったため、この頃はほぼ毎日、母の元へ通っていました。
 
病院へ通ってる途中に通り雨にあったとき、雨に濡れた俺を笑いながらバスタオルでくしゃくしゃとしてくれた事を、今でもたまにおもいだします(^^)
 
 
 
 
入院後しばらくして、叔父の口利きで大学病院への転院がきまりました。そして九月上旬に大学病院へ転院しました。
 
 
 
大学病院は、自宅から車で小一時間ほどの距離がありました。
当時中学生だった俺には自力で通うすべはなく、父が連れて行ってくれる日のみ病院に行くことができました。だいたい月に2〜3回ほどでした。
姉はこの頃から学校を休み、母の元へ父と共に通院していました。俺はなぜかそれを許可されませんでした。 
また、親戚の人が家にくるようになったのもこの時期だったとおもいます。 
 
 
 
 
大学病院へ転院してから2度目のお見舞いの時、母の姿はいつもとは変わっていました。
ベッドに横になっていた母は、酸素マスクをつけていました。
トイレへの移動時も、酸素ボンベを引きながら行っているとのことでしたが、母は…
 
「これでも随分楽になったのよ」
 
と、笑っていました。
こういった姿を見ても病状について、特に父からは聞かされていなかったため、そこまでは心配していませんでした。
 
 
 
 
 
 
事態が変わったのが九月の下旬。
夜中に父と姉が口論しており、その声で目を覚ましました。
階段から下を見ると、玄関で出かける格好をした3人がいました。
 
 
怒鳴る姉
 
それを聞く父
 
なだめる祖父
 
 
二階にいた俺には、怒鳴る姉の声のみ聞こえてきました。
 
 
なんで今まで黙ってたの!
 
なんで話してくれなかったの!
 
 
姉の怒鳴る言葉を聞いて、勘の悪い俺にも事態が察知できました。俺はすぐに着替えて下に降りました。姉の興奮が少し落ち着いた頃に、父は俺たちに一言…
 
 
 
お前達に本当のことを言うと、お前達の表情でお母さんにばれちゃうから黙っとくしかなかったんだよ。
 
その後母の病名に、実はもうひとつの病名があったということ
最初に診断されたときに、五分五分(生死が…)といわれていた事を俺たちに話しました。
 
 
とにかくみんなでそのまま病院へ向かいました。
病院へ向かう途中、誰一人として話はしませんでした。
姉の声を殺した泣き声だけが、車内に響いていました。
この時初めて「死」という言葉が頭の片隅をよぎりました。
 
 
 
 
 
病院へ着くと俺と姉の二人は、一目散に母のいる病室へ走りました。
 
 
 
 
おかあさん!!
 
 
 
叫びにも近い声を出しながら病室へ入ると、ベッドに横になる母の周囲に数名スタッフがいました。
お腹にスポットライトのようなものが当てられ、血のような赤いものがみえました。母は俺たちを見るなり…
 
 
 
「どうしたの?」
 
 
 
と、微笑んでくれました。父にうながされ、俺たちは病室からでました。俺が生前の「母」の姿を見たのはこれが最後です。
 
 
 
 
 
次に見た母は、呼吸器につながれた状態で、意識はありませんでした。これが母の命をかけた最後の治療になるんだと父は言っていました。
 
ここにきてようやく事態の深刻さを感じた俺は、中学の担任に母の状態を説明しました。
 
 
 
どうして今まで何も話してくれなかったの??
 
 
 
担任は驚きを隠せず、思わず俺にそういったように感じました。担任に話したこともあり、この日から学校を休んで病院へ寝泊まりするようになりました。
 
病院へ寝泊まりといっても母はICUにいるため、家族待合室に毛布を持ち込み、椅子を並べてその上で寝る。といった状態でした。
 
この間は一日に一回、手指消毒の後に、ガウン・マスク・手袋・帽子を着用した状態で、呼吸器につながれた状態の母と無言の面会をしていました。
 
 
 
この状態での寝泊まりが続くこと1週間…
 
主治医より、ついに「危篤」の宣告がされました。
 
 
 
 
 
 
 
この一週間で自分なりの心の準備はしていました。
いつ宣告をされても平気だとおもっていました。
 
 
 
 
でも…
 
 
 
 
現実の厳しさを知りました。
 
自分の弱さを知りました。
 
 
 
 
 
そこには友達に電話しながら、病院の廊下で泣き崩れる自分がいました。
 
 
 
宣告から3日後、母は他界しました。
それは発症から約3ヶ月後の出来事でした。
 
 
 
 
 
亡くなる前の日の一晩は、家族4人でICUで過ごしました。
 
 
 
 
 
夜中に泣き疲れて眠ってた俺は、ふとした時に目を覚ましました。横にいた看護婦さんは起きた俺を見るなり
 
 
 
ずっと気を張ってたんだね。
マスクずれるぐらい眠ってたよ(笑)
 
 
 
と、声をかけてくれました。
なんとなく、この一言で俺の気持ちを理解してくれているんだと思い、自分の想いが救われた気がしました。
 
 
 
 
ここ数日、俺はもちろんのこと、父や姉も自分の気持ちの整理に一杯で、お互いの会話はあまりありませんでした。
 
 
こんななかで自分なりに整理していたはずだった覚悟は、「危篤」の一言であっさりとすべて崩れてしまいました。
背伸びして、周りも辛いんだから誰にも頼らないと決めていた心が、ただの無力となってしまいました。
 
 
 
そんな自分の気持ちを、底からくんでくれたような一言を 、看護婦さんは言ってくれたのです。
 
 
他人の何気ない一言が、こんなにも自分を揺さぶるものだとは思いませんでした。
 
 
この一言がきっかけで、母が他界し、家族の生活が落ち着く頃には、俺は将来、医療関係で働こうと想うようになりました。
この頃は「看護士」なんて職業があるとは知りませんでした。
 
看護士もとい看護師を本格的に目指すことになるのは、もう少し先になります。
 
続く…
 
 
 
 
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nsman at 23:38│Comments(21)TrackBack(0) 看護師になるまでのお話 

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この記事へのコメント

1. Posted by ユウ@寝る前   2005年07月21日 00:16
寝る前でしたが、眠気が醒めました。
お母様のことをこうやって文章書ける
ナースマンさんの勇気にとても感動しました。

まだ続きがあるのですね。
楽しみにしています。
2. Posted by まつ   2005年07月21日 00:56
こちらでは初めまして。ユウさんと同じく、丁度寝る前に更新されてるかなー?と思って寄ってみましたが、目が覚めました。。。

多感な時期のお母様との別れ、きっと辛かったでしょうね。なんだかいろんな思いが溢れ出て、上手く纏められませんが、きっと天国のお母様は、今医療の現場に携わってるナースマンさんを微笑んで見てくれてるでしょうね(^-^) 

当時のナースマンさんと同様、どうしていいか分からない状況の人達を、ナースマンさんがそうであったように、同じように救ってあげれる看護師さんになれると良いですね! 

ナースマンさんを筆頭に、こういう思いを持たれた方々が医療の現場にいらっしゃると言うのは、本当に心強いです。
3. Posted by ゆめのん   2005年07月21日 14:06
ブログをよんでいて・・・切なくなりました。本当、つらかったし、今こうやってがんばっているナースマンさんはとっても素敵だと思います。
 そして、看護師をめざそうと思ったきっかけが看護師さんだなんて・・・。男の看護師さんって、結構思い出、追いいれがあって、看護師をめざしている方おおいですね。うちの旦那もそうです。高校時代、高校野球していて、同級生が急死して・・・。それで、看護師をめざしだしたそうです。
 つづきもはやくしりたいです!
 私も1年半前に友達を膠原病(SLEの急性憎悪、重症膵炎合併)でなくしました。その子は看護師をめざしていました。入院中も一生懸命勉強していました。膠原病の怖さを思い出し、ナースマンさんのお母さんも必死でたたかっていたんだろうな〜と思うと、切なくて涙がでてきました。もちろんお母さんをささえる、お父さんも必死だったんだな〜って・・・。話それてしまってすみません・・・。
4. Posted by らんこ   2005年07月21日 22:51
こんばんわ。読んでいて、涙がでそうになりました。
お母様の思い、お父様の辛さ、お姉さまとナースマンさんの思い、どれもとてもあたたかいものですね。ステキなご家族ですね。
一言で救われることありますよね。言葉の重み、あたたかさ。そういうものを感じます。私はそんな言葉を持てる人になりたいと思います。
続き楽しみに待ってます。
5. Posted by けだま。   2005年07月22日 01:13
涙が出てきました。
辛い経験をされていたんですね。
きっと天国のお母さんはうれしいでしょうね・・・。
ナースマンさんはきっと言葉の優しさがわかっている素敵なナースなんだなぁと思います。
私もそんなナースになりたいです。
6. Posted by なつき   2005年07月22日 10:26
体調は回復されましたか?

ナースマンさんにそういう背景があったとは・・・。
私もじーんとしちゃいました。

でもそういう経験をこうやってプラスにというか、自分の将来の夢にかえてこの道を進んできたナースマンさんは立派だなぁと思います。

家族が病気になる、生命の危機にたたされる、そして死を迎えるというのは家族に大きな衝撃と動揺を与えますよね。
ナースマンさんに声をかけてくれた看護師さんではないですが、私たちも常に患者さんの後ろにいる家族のケアも考えていかなくてはと思います。
私にも助産師になるために後押しをしてくれた看護婦さんがいます。
あの人の一言があったから何が何でも助産師になろう!って頑張れたんです。
そういう心のあるケアができる看護者でありたいです。

ナースマンさんはそういう心のある人だと思いました。
きっともっともっとステキな看護師さんになっていくんでしょうね。
7. Posted by ポアン   2005年07月23日 00:40
ウルウルしてしまいました。
優しいお母さんですね!読んでいて
そう思いました。

ある先生が言っていました自分自身が病気になったり
経験をしないと人の痛みは分からないと…。
私もそう思います。

これからも頑張って下さいね!
8. Posted by ずばん   2005年07月23日 02:19
こんばんは。
以前私のところに、お母様のことを書きこまれて
いたので、うちと同じく、今もご健在なんだとばっかり
思っていたので、驚きました。

家族が亡くなる、病気になるというのは
当事者はもちろん、看病する側、残されてしまう側
にとって、とても辛く、苦しく、出口のない
トンネルをさまよっているような気持になります。
ほんと、そんな時の何気ない看護師さん、
先生の一言が、どれほどの救いになることか。
(稀に、その逆もありますが)

とても辛い経験をなさった分、今があるんですね。

続編を楽しみにしていますね。
お体のほうは、すっかり良くなりましたか?
お大事になさってください。
9. Posted by ナースマン   2005年07月23日 03:39
ユウさん

勇気だなんて…
事実を書くのみです(><)

まつさん

いらっしゃいませ(^^)
コメントありがとうございます!
>当時のナースマンさんと同様、どうしていいか分からない状況の人達を、ナースマンさんがそうであったように、同じように救ってあげれる看護師さんになれると良いですね! 

目指してます!!

ゆめのんさん

旦那さんもそうだったように男が看護師を目指すってのは、女性とはまた違ったことが理由なのが多いかもしれないですね。膠原病…はやく特効薬ができるといいですね。
10. Posted by ナースマン   2005年07月23日 03:48
らんこさん

まさに一言で救われたので、こういった事が自分にもできたらと心がけてます。声かけひとつとっても現実はなかなか大変ですが…。

けだまさん

優しい言葉かけを心がけてるけど、最近は…
初心忘るべからずだね。

なつきさん

心配かけてすいません。万全ではないですが、体調はそれなりに回復してきました。
お互い心のあるケアを目指していきましょうね。

ポアンさん

コメントありがとうございます。
そう、今思い返すと、母は優しかったな〜ってよくおもいます。
それまであまり実感してなかったですが…
大人になったいま、少し母と話をしてみたい気もします。

ずばんさん

そうですね。母のことは詳しく書かなかったですからね。
少しでも色々な方々に声かけできればとおもってます。
体調はお陰様でそれなりに回復してきました。ありがとうございます。
11. Posted by hamayuki   2005年12月06日 12:51
 こちらのブログをよんで、私も初心に帰ってどうして助産師を目ざしたのか振り返ろうと思います。
 病院ー幼い頃から祖父母が入院することが多く、親に連れられ、一時は病院で寝泊りしていたこともあった場所。そのときの看護婦(この頃男性はあまり、いなかったので)達の印象。「冷たい」・・・・・。今では考えられませんが、私の母がほとんど、清潔ケアや時には便秘になった祖母(脳梗塞でした)の便を指で出してあげたり・・・・・(看護用語で摘便という)それでも看護婦に起こられている姿をみて、「看護婦のくせに何にもしないのか!」(怒)と子供心に思ったものです。<次に、続く>
12. Posted by ナースマン   2005年12月06日 20:29
hamayukiさん

続きが気になりますね…
次をお待ちしています。

対応一つが周囲への印象づけとなるため、きちんとしていかないといけないですよね。この看護婦さんの場合は対応以前の問題のような気もしますが…
13. Posted by ゆか   2006年02月21日 08:28
読んでいて涙が出てきました。
私もそういう経験をしたことがあり
小学校の頃の自分と思わず重ねてしまいました。
私は小学4年生の時にお母さんが癌で死にました。
その時のことを思い出しました。
まだ中,任垢韻鼻∧譴死んでから友達と遊ぶことが
なくなりました。
弟には病気の名前はまだ明かしてません・・・。
私も、いまは将来の夢が看護師です。
まだなれるかどうかは分からないけれど頑張って目指したいと
思っています。
14. Posted by さよこ   2006年02月21日 18:40
思わずよんでて涙ぐんじゃいました;;
感動しました。
私の将来の夢は看護婦です♪
なんか教えてください♪
15. Posted by ナースマン   2006年02月21日 22:54
ゆかさん

コメントありがとうございます。

大変な思いをされたんですね。
それでこの職種を目指そうと思っているのは、いまでは看護師の俺からすると嬉しく思います。

きっと自分の思うものがあってこの職業を目指すことは大切なんですよね。
人と人のつながりが大きい分それは。

今は友達と遊ぶことがなくなったとのことですが、お母さんが亡くなった事によって精神的な負担が大きくなってしまったからでしょうか。
こういったストレス状態がはやく改善されるといいですよね。

またなにかあればコメント下さいね(^^)
16. Posted by ナースマン   2006年02月21日 22:55
さよこさん

コメントありがとうございます!

えっと、なんか教えてってのは…!?(汗)
看護師についてはこのblogにだいぶ書いているつもりです。
具体的にはどういうことですかねぇ?(^^;
17. Posted by かおり   2006年02月22日 23:19
ナースマンさんとても辛い経験されていたのですね>^<中学生の時に、家族の方がなくなってしまうなんて。。
私も高校1年の時に、祖父をMK,間質性肺炎で亡くなりました。お見舞いに行く度に祖父は痩せ細くなっていく姿、声かけても反応も鈍くて、変わり行く祖父の姿を見ていくのがとても怖かったし、自分の無力さを感じました。そんな時、週に何回かに来ていた訪問NSさんに会って,「あなたがおじいちゃんの手を握ったり、側にいてあげることによって、おじいちゃんはとても喜んでいるのよ」と声をかけられた時、私は救われました。
今はNSとして(まだ2年目ですが↓)働いています。祖父の死、訪問NSとの出会いがあって今の自分がいるのかなって思います。

天国にいるお母様も、ずっとナースマンさんの事を見守っていらっしゃると思います^^

18. Posted by ナースマン   2006年02月23日 23:55
かおりさん

かおりさんも身内を亡くされてるんですね。
しかも俺と同じ病名ですね…

家族の方にそういった配慮ができる看護師はすばらしいですね。
俺にはまだまだできないかな…

お互いそういった経験をもとに看護師になったので、これからこの経験を活かした看護ができるといいですよね。
お互い頑張りましょう。

俺も母に恥じない看護ができるよう頑張らなくちゃな…
19. Posted by purin   2007年07月27日 01:09
ふらーっとなにげなく立ち寄ってみました。このブログのなかで初めて読んだ日記がこのテーマです。
涙がでてきてしまいました。私も同職者です。そして私の母も同じく膠原病患者(強皮症)です。母が発症したのは、私が小学生一年生の時です。現在私は25歳なので、母はこの病気ともう、十年以上付き合っています。おかげさまで、今はまだ慢性に経過している状態です。ですが、いつなんどき悪化するかわからないのでその時のことを考えるとつらいです。
今は普通のひとと変わりない生活をおくり、趣味の卓球が生きがいだと言っています。今の家族の時間を大切にして、日々すごしていきたいと再度思いました。
また拝見させてくださいね。
20. Posted by ナースマン   2007年07月31日 10:45
purinさん

同業の方なんですね。
家族が闘病しているのを支えるのは大変ですよね…

お互い初心って大切ですよね。
またのコメントおまちしています。
21. Posted by 冯妹仪   2009年04月11日 11:37
我也是看护士

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取り扱い説明書バトン

・商品名は?
ナースマン

・主な機能は?
看護

・特徴は?
あんまりなくて困ってます
男性看護師が三人いたときは、特徴のなさから俺は消去法で考えられていました
消化器外科には強いつもり

・ご使用の前に安全上注意することは?
忘れんぼという点にはくれぐれもご注意を
三つ以上用事を抱えると、古いものから忘れていきます

・使い方は?
あんまり忙しくない病棟に設置してあげてください

・使用上で特に注意することは?
夜勤のときは眠たさから冷たくなります
目を離すと認知症の方にからんでしまいます

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カラオケ&漫画喫茶につれてってやってください
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