2005年02月22日
背骨で聞く音楽 〜姿勢を正すということ
内田樹先生のブログに、音楽と身体性との関係についての文章があった。
先生曰く、最近リスナーの「聴取能力」が低下しているという。これは、「音楽の発する「グルーヴ」に対する感応能力」が低下しているということである。
「「グルーヴ」というのは、身体的なものであり、一言で言えば「波動同期性」ということである。
プレイヤーは波動を発信し、リスナーは波動を感知する。
その波動の波形の種類、帯域の広さ、共振する身体部位によって、グルーヴは変る。
「頸椎に来るロック」と「仙骨に響くロック」ではグルーヴが違う。
ところが現在のリスナーのみなさんは「デジタル音源の楽曲をヘッドセットで聴取する」というメカニカルな聴取態度に幼児期からなじんでおられるために、グルーヴ感知器官の下位分節というような身体的レベルでの訓練が十分とは思われないのである。
しかし、音楽というのは想像されている以上に身体的なものなのである。」
私自身、先生と系列は違うが合気道をやっている。
引用した部分を読んで思い出したことは、
道場の先輩から、音楽を「背骨で聞く」といわれたことである。
この場合、背骨というのは、武道で言う「正中線(中心線)」のことである。
耳で音を取り込んで脳に伝えるという聞き方ではなく、
正中線に音が流れるように聞くと、音やリズムなど聞こえ方がまったく違うというのである。
実際に試してみ、確かに音の聞こえ方や感じ方や見え方というのが、まったく違ったものに感じた覚えはある。
そして、その先輩も、身体のどこで聞くかで、音楽の印象はぜんぜん違ったものになるというようなことをいっていた。
これを実際に音楽ではなく、法事の際の「お経」で、お坊さんの頭蓋と自分頭蓋を共振するように聞いてみたら、かなり面白かった。
内田先生も「身体の一部が共振する感覚は、デジタル音源では感知するのがむずかしい」と述べているが、
その先輩はジャズ・ファンなのだが、「デジタル化されたCDよりもレコードで聞くほうがだんぜんいい」と同じことをいっていた。
スピッツのマサムネが、むかしエレ・カシを正座して聞いていたということをいっていた。これを音と身体との「共振」という視点から解釈すると、マサムネは正座をすることで、身体を開放状態におき「身体に届く波動」を感受しやすい状態にみずからを置いていたということなのだろう。
芸事では、姿勢のことを厳しくいわれる。それは、合気道でも同じである。
芸事で姿勢を正すということの意味というのは、おそらく身体を開放状態に置き、「間」をとおして伝わってくるかすかな微粒子や波動をキャッチできるようにするためということなのだろう。
若者のあまりよくない姿勢を見るにつけ、身体の感受性が低下しているということは、以上のようなこととパラレルな関係にあるように思える。
昔、厳しくいわれたことが今になってよくわかるようになった・・・というのは、よくある話だなあ。
先生曰く、最近リスナーの「聴取能力」が低下しているという。これは、「音楽の発する「グルーヴ」に対する感応能力」が低下しているということである。
「「グルーヴ」というのは、身体的なものであり、一言で言えば「波動同期性」ということである。
プレイヤーは波動を発信し、リスナーは波動を感知する。
その波動の波形の種類、帯域の広さ、共振する身体部位によって、グルーヴは変る。
「頸椎に来るロック」と「仙骨に響くロック」ではグルーヴが違う。
ところが現在のリスナーのみなさんは「デジタル音源の楽曲をヘッドセットで聴取する」というメカニカルな聴取態度に幼児期からなじんでおられるために、グルーヴ感知器官の下位分節というような身体的レベルでの訓練が十分とは思われないのである。
しかし、音楽というのは想像されている以上に身体的なものなのである。」
私自身、先生と系列は違うが合気道をやっている。
引用した部分を読んで思い出したことは、
道場の先輩から、音楽を「背骨で聞く」といわれたことである。
この場合、背骨というのは、武道で言う「正中線(中心線)」のことである。
耳で音を取り込んで脳に伝えるという聞き方ではなく、
正中線に音が流れるように聞くと、音やリズムなど聞こえ方がまったく違うというのである。
実際に試してみ、確かに音の聞こえ方や感じ方や見え方というのが、まったく違ったものに感じた覚えはある。
そして、その先輩も、身体のどこで聞くかで、音楽の印象はぜんぜん違ったものになるというようなことをいっていた。
これを実際に音楽ではなく、法事の際の「お経」で、お坊さんの頭蓋と自分頭蓋を共振するように聞いてみたら、かなり面白かった。
内田先生も「身体の一部が共振する感覚は、デジタル音源では感知するのがむずかしい」と述べているが、
その先輩はジャズ・ファンなのだが、「デジタル化されたCDよりもレコードで聞くほうがだんぜんいい」と同じことをいっていた。
スピッツのマサムネが、むかしエレ・カシを正座して聞いていたということをいっていた。これを音と身体との「共振」という視点から解釈すると、マサムネは正座をすることで、身体を開放状態におき「身体に届く波動」を感受しやすい状態にみずからを置いていたということなのだろう。
芸事では、姿勢のことを厳しくいわれる。それは、合気道でも同じである。
芸事で姿勢を正すということの意味というのは、おそらく身体を開放状態に置き、「間」をとおして伝わってくるかすかな微粒子や波動をキャッチできるようにするためということなのだろう。
若者のあまりよくない姿勢を見るにつけ、身体の感受性が低下しているということは、以上のようなこととパラレルな関係にあるように思える。
昔、厳しくいわれたことが今になってよくわかるようになった・・・というのは、よくある話だなあ。
