2012年09月

第1041号:最も重きを置くところ

今日は早くから起きて問屋町に出勤、午前中は研修1件、
午後は、打ち合わせとⅠ君の使い走りでふれあいセンターに行き、
そのまま自宅に帰り、コーチング上級コースだった。


研修はISO9001の内部監査員に関するものであったため、
内容はとても難しいかった。
受講生にとっては言葉を理解するだけでも大変な内容である。


みんなが来る前に、多目的スペースの床を掃除した。
例によって掃除機をかけた後に、絨毯にコロコロと水拭きをした。
とてもきれいになった。


我ながら、やるときは徹底的にできると思った。
それは、私の強みだ。


普段私は付加価値を上げること以外はしないようにしている。
それが、私の使命だからである。
だから、掃除も事務も極力、スタッフに任せてきた。


経営者の集まりではトイレ掃除を社長がするか否かということの話が出る。
別にトイレ掃除が嫌なわけはなく、本当にそれは社長がすべきかどうかである。


特にNTCでは付加価値を上げる人があげないと収益にならないからだ。
だから私は朝から晩までびっしりと予定を入れ、少しでも稼げるようにした。


朝はできるだけ遠い所にいき、スタートを早くする。
要するに、お客様と協働できない早朝を移動の時間とする。
そうすれば、移動の片道分を稼ぐことができる。


お昼は極力コンビニでおにぎりを買って食べながら走る。
そうすれば、昼は13時半~14時くらいからスタートできる。
17時には打ち合わせが終われ、18時くらいから営業やコーチングができる。


そうすれば、人一倍一日に付加価値を上げる時間を確保できる。
しかし、そうすることが本当に良いかどうかは別である。
単価が安いのが良くないのである。


そして、メリットもある。
当社の中心事業である職業訓練はスタッフにほぼ任せられるようになった。
スタッフのおかげであり、感謝である。


なんかまだ、自分自身の人生も、スタッフの人生も輝いていないように感じる。
これはなぜなのだろうか。


別にどこかの会社の社長のように、夢も希望もないと社員に言った訳でなく、
自分がそう思っているわけでもない。
しかし、もっと輝けるはずだと感じるのである。


NTCで働くということが自分の人生にとっても大きな意味がある。
美しい心になり、素晴らしい人生になるために貢献できると感じられる。
こんな状態にしていきたいのである。


今自分が何とかしなければならないと思ったのだが、
ひょっとしたら、そんなことを考える前に、みんなで話をしてみたらどうかと思った。


夜のコーチングでは、自分が大きな主題を感じられていないのに気が付いた。
これは会社のマネジメントとも非常に大きな関係があると思う。


もちろんコーチングをするう上で、さらに、レベル3の傾聴と反映にも関係ある。
そして、生きるよろこびを感じて、その感動の渦の中心にいたい私にとって、
最も大切なことだと感じた。


常に意識して生きていきたい。


今日も自分を承認する。
自分が最も重きを置かなければならないことを見つめることができたね。
と言ってみた。


忙しいと本当に大切な人の心が見えなくなってしまうんだね。
と返ってきた。


いつでも目の前にいる人の人生を味わいドラマを描ける自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1040号:支えをこころから感じる

今日は朝起きて問屋町に入り、午前中はほぼ内勤して、
昼前に支援機関1件、午後は経営相談1件、支援機関1件、
夕方はコーチングを2件した。


昨日の社内コンパの疲れか、風邪ひきかわからないが、
眠くて意識が遠くなるような場面があった。
朝から気管支がかゆくて、深い咳が出て、鼻が垂れて滴りそうだった。


気管支が弱いのは子供のころからかもしれない。
殊更この数年は咳が止まらないという症状が起き、私を悩ませる。
それもまた自分の持ったものなのかと少しあきらめのようになる。


運命という言葉がある。


自分の半生を振り返ってみると、
見事なまでに、ここにたどり着くまでのストーリーがある。


何が起こるか全く解らずひたすら進んできたが、
もともと運命があってすべてのシナリオが準備されていたかのごとくである。


運命が決まっていたからここにたどり着いたのか、
それとも、運命は別の道を用意してくれていたのか、
そして、自分で運命を変化させてきたのか。


生きているといろいろなことが起る。
運命のいたずらかとも思えるようなハプニングがあり、
それが子供のころであれば、いかんともしがたいものだ。


それらは、ここにたどり着くための天からの贈り物であるようにも感じるし、
場合によっては、ここに着くことから遠ざける障害のようにも感じる。


でも運命を知っているわけではないので、結局のところ、
現れる障害に対して、今を精一杯に努力して進むしかないのである。


少しでも善い想いを持ち、善い行いをするしかないのである。
そうすれば、必ず自分の理想に近づいていくだろう。


人は知らず知らず、自分の道を選んでいくのだろう。


そういう面では、体調を壊してしまっているのは不幸なことだ。
折角の道を選ぶチャンスを台無しにしてしまう。


逆に体調を壊したことをも、新たな理想に向けての道を選ぶきっかけにしたい。


今日も自分を承認する。
本当にここまでよく生きてきたね。
と言ってみた。


みんなのおかけだね。
と返ってきた。


周りにいる人の支えがあることを、心から感じられる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1039号:仲間がうれしい

今日は朝から柳川に入り内勤をし、昼に一度、実習先の営業に出かけた。
基本的にキャリコンとスタッフとのミーティング、そして、社内コンパだった。


うれしい。


スタッフの前向きに取り組む姿がうれしい。
直ぐに自分の行動に反映させること、見聞きしたことをそのままにしないこと、
とてもうれしい。


それから、つたない私の話を最後まで聞いてくれて、
それに対しての意見を伝えてくれてうれしい。
意見もうれしいし、最後まで賛同しながら聴いてくれることがとてもうれしい。


11月にはロッジに泊まる宿泊研修、12月には12月19日という創業10周年を、
今のスタッフで迎えられることが本当にうれしい。


コンパの酔った勢いで、10年前の思い出話をみんなにしたが、
それもとてもうれしいことだった。
改めて、この12月はNTCにとって大切なタイミングであることを感じた。


12月19日に開業届を届け出て、帰って販売促進コンサルティングのチラシを作り、
今度は自転車に乗って倉敷までの道のりを飛び込み営業しながら走った。


その時に出会ったのが、倉敷の駅前にあるチケットプラザという金券ショップ、
それから、ぶっかけうどんの熱田屋というお店だった。


私は勉強したての経営戦略のツールを使ってコンサルがしたくてたまらなかった。
なので、問題を語ってもらい、後日、改善計画書のようなものを作って提出した。
確かその時は、忙しいからということで、手渡すだけに終わってしまったと思う。


それから数年たって、その店に金券を買いに行ったときに、
店主の方は覚えていてくださり、手渡した改善計画書を取り出し、
「いつもこれを見ながら頑張っているよ」と言ってくれた。


うれしかった。


熱田屋といううどん屋さんも、その後、付き合ってやると言われ、
初めてのクライアントになってくれた。
今だに社長は仕事人としての師匠であり、良いお付き合いをさせていただいている。


いい話ばかりしているが、振り返ってみると本当に色々なことがあった。
初心を忘れ、傲慢になったこと、忙しくて動けなくなったことなどであるが、
つくづく思うのは、人の縁を大切にするということだろうか。


自分に視点を向けると、努力を信じるということだろうか。
努力は決して人を裏切らない。
良い思いをもって、良い行動をすれば、必ず良い結果は生まれるのである。


そして、後は大学でテニス部主将を務めた時に伝え続けていたこと、
「一生懸命」という言葉である。
文字通り、人生を命がけで生きるということである。


そして、人生が自分にとって生き切ったという実感を得られるものになること、
それこそが、魂を磨き、美しくするということであるし、
人生を充実させるということなのだと思う。


そんな磨きあえる仲間がいることに感謝である。


今日も自分を承認する。
目一杯飲んで騒いでいたね。
と言ってみた。


最近では珍しいね。
と返ってきた。


心の底から湧き上るよろこびのエネルギーを味わう自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。



第1038号:世の中のための自分

今日は朝から問屋町に入り午前中内勤、午後は経営相談1件、
様々な打ち合わせをして、夕方は早めに上がった。


今日は企業再生の案件が飛び込んできた。
それから、顧問先の経営改善計画を立てることになった。


10月が非常に多忙であるため、矛先が鈍ってしまう面もある。
だから、11月からにしていただいた。
この話があってから、ずっと自分と向き合い続けているような気がする。


先日からアメーバ経営とフィロソフィー教育を自社展開するには・・・と、
考え続けていたところだった。


それから、JAL再生のドラマにメディアや盛和塾で触れる度に思っていた。
稲盛塾長の生き方にあこがれてあこがれて、塾長のようになりたいと・・・。


しかし、コンサルタントと経営者では立場が違う。
一般的にはコンサルタントには責任と権限がないからである。


それでは、リーダーシップの5つの勢力で考えてみると、
強制勢力、報酬勢力、正当勢力、準拠勢力、専門勢力である。


この理論は、部下がリーダーに感じる力である。
リーダーが発しているかどうかという問題ではない。
部下がどう感じるかということが大切である。


私がもしコンサルタント、あるいは顧問のような立場で企業に入った場合、
専門勢力を感じてもらえることが多い。
逆に権限や役割を与えられなければ、強制勢力、報酬勢力、正当勢力はない。


権限が・・・というが、ここがミソである。
責任を持っているかどうかが、従業員にとっては大切なことであり、
それは従業員の幸せ、つまり、雇用と人生に対するものである。


要は責任持たないやつには用がないということなのだ。
経営者というのは、経営の結果に責任を持つ。
その最たるものが、個人保証と呼ばれるものである。


経営コンサルタントが「個人保証」に入ってくださいというと、
そんなリスクを取るまでもなく。こちらからご免こうむることになる。
要するに本気の人が、相手の本気を喚起できないと駄目だ。


これから、ゆっくりと噛み砕き、味わい、将来像が描けるくらいに、
この件については思い続けたい。
また、経営の師匠に相談してみることにしよう。


社内にいただけに、いろいろな指示を出したり、電話営業したりした。
かなりいろんなものを適切に仕事を分けられるようになった。


仕事の幅が広がりすぎて、また今回は管理関連の仕事を入れすぎて、
スタッフもかなり苦しいという印象を受ける。


それでも懸命に努力する姿は、私にとって非常に大切なものであり、
勇気づけられるものである。


今日も松下幸之助の道をひらくを読んでみる。


花のように

砂漠に見出す清らかな泉は、
旅ゆく人の喜びであり憩であり、
そして励ましである。
荒涼たる山野に、
毅然として咲き誇る一輪の花は、
また旅人へのこよなき慰めとなり励ましとなる。

(中略)

どんな世の中になっても、
あわてず、うろたえず、
淡々として社会への奉仕を心がけてゆこう。
その姿自体が、人々にとってすでに大きな励ましとなり、
憩となるのである。

花のように。
泉のように。
そこにわれわれの喜びがある。


難しい世の中になると、その時代の空気と共に人の心が落ち着きを失う。
最近は、それがもうあたりまえのようになっているかもしれないが、
そんな時こそ、思いやりや助け合いが大切である。


要するに私は心が大切なのだと思った。
どんな境遇におかれても、強く正しく働いていくのである。


その源泉となるもの、それは、自分の仕事への誇りと、
自分の働きに意義を感じることなのである。


人間というのはそういう意味では、とても面倒である反面、
前向きで素晴らしい存在なのだと思う。


今日も自分を承認する。
世の中を良くするために自分が存在していることを感じ続けていたね。
と言ってみた。


もっと私心ではなく、もっと純粋に利他の心になってみたら?
と返ってきた。


格好つけたり、力を感じるのではなく、人を想う自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1037号:聖人君子にはなれない

今日は早朝相談をした後、柳川に戻りキャリコン2件、経営相談1件、
その後、営業多数、問屋町で目標設定コーチング、研修打ち合わせをした。


強く大きい自分のイメージというのはあっという間に消え去るものだ。
昨夜遅かったのと今朝早かったのと、のど鼻、首肩の調子が悪いことで、
自分の理想が思い出せないくらい崇高な自分と離れてしまった。


どんなところが、強く大きく崇高な自分ではないのか・・・。


・ついつい愚痴が出てしまう

・お元氣様ですと言いながら、疲れてしまう。

・否定的な見方をしてしまう

・行動が消極的になる

・意味のない口数が増える

・声のトーンや口調に誇りが感じられなくなる


その一方で部下や顧客と話すときに、あえて相手の世界に飛び込む。
くだけてみたり、甘えてみたり、相手の状態に合わせて変化することだ。
どうやら私は、そのことにより、ラポールを築こうとしているようだ。


しかし、そのような口調に慣れてしまうと、心の使い方までもが、
口調の通りとなってしまい、理想から離れていってしまう。
要するに言霊なのである。


論語の中にも「礼」について書いてある。
確か・・・、立ち居振る舞いが粗暴さ、言葉が軽薄さを避ける・・・、
という内容だったと思う。


君子なれば、自分が相手に影響を与えている要素に配慮しなければならない。
それは、組織の目的に向かうということであり、相手への尊敬や敬意である。


久々に松下幸之助の道をひらくを読んでみた。


なぜ

こどもの心は率直である。
だからわからぬことがあればすぐに問う。
“なぜ、なぜ”と。

(中略)

繁栄は“なぜ”と問うこと生まれてくるのである。


こどもの一生懸命さ、熱心さ、そして、納得がいくまで追求する姿勢こそが、
人の成長だと思った。
そこに私心やとらわれがないため、本質を突くことができるのである。


大人になるとなかなかそうはいかない。
新しいことの気づきがない日々であれば、全く成長できない自分がいるのだ。
子供を見習わなければならない。


それにしても、聖人君子のようにはなれないものだ。
毎日気づき、毎日文章を書き、自分なりに努力しても理想には届かない。
考えと行動が離れていってしまう。


その闘いの日々こそが、生まれた時よりも美しい心に向かう道のりだろう。
素直で私心なく、熱心で一生懸命に“なぜ”と問いながら歩みたい。
必ず、私はできる。


今日も自分を承認する。
相手と一緒に、同じ時をダンスすることができたね。
と言ってみた。


自分の心の美しさだけは感じていなさい。
と返ってきた。


相手を想い、心の底から理解してあげられる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1036号:溶かすほど抱きしめる

今日は早朝から柳川に入り、終日内勤をした。
キャリコン4件、電話営業、アメーバ経営のフォーム作り、
I君の中間レビューコーチング、コーチング上級コース等を実施した。


かなり集中していたせいか、途中で何をやったか覚えていない。
覚えているのは、あんちゃんとはなちゃんに肩もみをしてもらったこと、
昼、久々に天神そばを食べに行ったことだ。



もちろん、前に書いた仕事の実施内容はよく覚えているのだが、
その隙間を何で埋めたのかが思い出せない。
ただ崇高な思いをもち、大きくて強い自分でいることに意識があった。



肩もみについても、ユーモアのある私で居られたと思う。
これもよろこんで対応してくれたあんちゃんとはなちゃんのおかげである。
そう思えることも自分の大きさの一つであると感じる。



自分でイメージすることで、ここまで改善できるかと実感した。
そうしていると、自分に自信もわいてきて、嫌な自分や、
気分の悪い自分と出会わなくて良くなる。


それは、好循環が生まれているようにも感じるし、
相手の気持ちを理解しながらも、気にしないでいられる。
いい感じである。



ただ肩こりが激しいので、キャリコンをしていても頭が痛くなる。
普通だと気分まで悪くなって、キャリコンの相手への要望や
フィードバックという形で影響が出てしまうこともある。



しかし、今日は大丈夫だった。



おまけに、コーチングのスキルドリルの中でも、
サボタージュを無視するコーチングで褒められ、結構いい感じになった。



I君との中間レビューコーチングでも冷静に話しを聴く事が出来た。
コーチングと言ってもフルフィルメントのような伸びやかなものでなく、
それこそサボタージュと対峙したようなものである。



しかしサボタージュと関わりながら、そのリスクや障害を確実に除去する。
そのことによって、目標実現に向けた計画がより確実なものになる。
これはサボタージュを活用する事例だと言えるだろう。



スキルドリルの中で出てくるサボタージュは迂回するか、
無視するかであり、サボタージュを扱うのではなく、大きな主題、
つまり、フルフィルメントに向かう。



価値観やあり方を味わいきることで、サボタージュを蘇らせなくする。
想いっきり舵を切り、素晴らしいところを認知し続けることが、
その人のエネルギーを燃やしながら進むことに繋がるのだと思った。



私にはまだまだレベル3の傾聴が弱いと思った。
相手の状態を感じながら反映する。
これこそダンスインザモ―メントであり、私が手に入れたいものである。


強く大きな、崇高な思いを持つ自分で居られた一日だった。
本当にうれしい。
関わりのある人に感謝である。



今日も自分を承認する。
崇高な思いをもち、相手を抱きしめられる自分でいられたね。
と言ってみた。


エネルギーが燃えたぎるような感じがするね。
と返ってきた。


目の前にいる人を溶かすほど抱きしめ、勇気づける自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1035号:何があっても大きい自分

今日は朝起きて散歩、読書と仕事してテニス、釣りにいき、
夜はコーチングと仕事だった。


とても調子の悪い一日だった。
テニスもそうだし、家族のこともそうだった。
思うようにならなかったり、イライラ、ピリピリした。


夜のコーチングでは自分で埋められない心の隙間を見に行った。
それは、もう埋めることができないものだと思った。


その代わりにと言ってはなんなのだが、
背中が誇れる自分というより、崇高で偉大な自分をイメージした。


全ての人を愛で包み込み、目の前にいる人のよろこびをいつも創る。
そんな大きくて強くて優しい自分である。
イライラするなどということはほとんどない。


厳しさは必要であろうが、いつも落ち着いていて達観している。


重心は低く、呼吸は深い。

広く様々な角度からの視点をもっている。

時や環境の中で生きる人の心まで、全て見通している。


そして、自分の大きな指針をもち、コアをいつも感じている。
レベル2、3を感じ、適切にレベル1を聴いている。
私が尊敬する稲盛塾長のイメージと、コーチングが合体している。


きっと、両者に共通するところがあるのだろう。
それは、人を信じ、美しい心で生きるということである。


今日のコーチングはかなり深く分け入った感じがした。
クライアントのテーマによっては、表現しきれないものがあるし、
話したくない、見たくないこともあるのだと自分が体験できた。


そんな人のことを大切にできるコーチでありたいし、
目の前の人を思いっきり喜ばしたり、愛を届ける経営者でいたい。
愛とよろこびの渦を生み出すのだ。


その言葉をしっかり味わい尽くしたい。


今日も自分を承認する。
自分の大きさを信じつくしているね。
と言ってみた。


そうなるしかないんだよ。
と返ってきた。


何があっても大きな自分でいると覚悟している自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1034号:プライベートはのびのびと

今日は朝起きて墓参りに行き、問屋町に行った。
その後、知人の会社へ訪問し、問屋町、そしてコーチング、
夜は総社のレトロードに行った。


今日もとても良い一日だった。
少し忙しそうな色も見えたが、知人ともとても良い情報交換ができた。
おまけに、販売促進の面白い企画ができた。


スタッフと一緒に食事をした。
とても前向きな姿勢にうれしくなったし、ありのままの姿のように感じた。


コーチングとうのは、目の前にいるその人そのものを扱うものだ。
サボタージュを扱うものではない。
その人の素晴らしさを扱う。


本当にその人の素晴らしさを見つめ続けることこそ、
コーチングの神髄であると思った。
信じる力の素晴らしさを改めて感じたコーチングだった。


それから、私の金融の師匠のライブへ行った。
普段のお会いした時にもとても楽しい人であるし、熱い人でもある。
しかし、ステージにいる師匠はそれ以上に楽しいし、あるがままである。


MCではユーモアたっぷりにかたり、
歌っては、普段の低いダンディな声とは違い、高くよく通る声だと思った。
また、ギターでは22歳の別れのソロがかっこよかった。


人を引き付ける力のある人だと改めて思った。
子供たちも食い入るような目みたり、
パーカッションに合わせてリズムをとったりしていた。


「素晴らしい歌と時間をありがとうございました」といいたい。


レトロードの町を歩く人を見ながら、その自由にのびのびと楽しむ姿を見て、
私もこんな風にも生きてみたいと思った。


いつもイライラしたりセカセカしたりで、その結果楽しめなかったりする。
論語の中にも孔子は、家に帰ると実にのびやかであると書いてあった。


長年働いてくる中で、仕事とプライベートがごちゃごちゃになり、
片付いていない仕事のことをいつも考えて生きている。
これでは、時間をいつも気にしていなければならない。


私が仕事をしていて大切だと思う価値観として、
いつでもどんな時でも仕事のことを想う、というのがある。
私が仕事ができるようになったのは、いつでも仕事のことを考えていたからだ。


それに、自営業になってからは24時間の働く権利を行使し、
いつとはなく働き続けていた。
プライベートは脇に置いて、仕事をするべきだと思い続けていた。


そんな生まれた価値観を利用してサボタージュは現れる。
だから、楽しむべき時に楽しめないという現象を引き起こしてしまう。
仕事は真剣に楽しく、プライベートはのびのびと楽しい自分でいたい。


今日も自分を承認する。
いつでも、人と共に生きる自分でありたいと思っているね。
と言ってみた。


そのためには、もっともっと相手とその瞬間を味わえるといいね。
と返ってきた。


同じ時の中を共にダンスし、今を味わいきる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1033号:共に幸福を追求する

今日は早朝から起きて内勤、問屋町に印鑑を押しに行き、
午前中は研修1件、午後は経営相談1件、夜は盛和塾だった。


朝の研修は、若い人たちがとてもかわいくて、
そして、年配の人たちも懸命に参加してくれてうれしい時間だった。


午後の経営相談でも、創業のことで真剣に取り組む姿が
とてもまぶしい時間だった。


盛和塾の研修にスタッフと3人で参加した。
稲盛塾長のカンブリア宮殿のビデオ鑑賞と福井顧問の講話だった。
今の自分と付き合わせながら話を聴いた。


内容としては、アメーバ経営(部門別採算性)とフィロソフィー教育だった。
この両方が機能してこそ、経営は過たず機能するということが分かった。
NTCはどうなのか・・・そればかり考えながら聴いた。


そうしていると、同じ部分と違う部分が明確になってきた。
同じ部分というのは、私が今まで社内でやってきたことや、
理想としていることで同じであるということである。


違う部分というのは・・・、とても微妙である。
考え方は、京セラのフィロソフィーを見てもほとんど同じであるが、
やり切っているという点、経営者としての力量の違いが身に染みた。


同じ部分は、人を大切にするということ、
人というのは顧客であり、従業員である。
しかし、今までのNTCは顧客が中心のアプローチだった。


もっというと、それよりも自分が一番だったのかもしれない。
美しい心になるという言葉は、非常に共感がある。
というより、エネルギーがある。


そう生きたいと思うが、きれいに生き切れない自分がいるが、
稲盛塾長の反骨精神がとても人間臭くて、心惹かれる。
そこには優しさだけでなく、厳しさや自分の欲求を使うということもある。


しかし、その人間臭さもありながら、基本的にぶれがない。
話の根底の部分に、敬天愛人が流れている。
そして、物心両面の幸福を追求している。


スタッフのⅠ君が反応した言葉がある。
「リーダーは自分の部下を扶養している。」というものだ。
入社2年がたったところで、ある部門を任せられている。


自分が頑張らないとこの組織を維持することが難しいと感じたそうだ。
とてもうれしいことだし、私もずっとそういう思いで経営してきた。
協働のよろこびを創る、というより、守るということである。


そこから見た時に、誰にも負けない努力をする、ということや、
熱意と闘争心という言葉が生きてくるのだ。
何のために働くのか・・・、それは仲間と共に生きる時間を創るためだ。


そのために、厳しさが必要だし、そうしなければ会社は生き残れるはずがない。
みんなそういう厳しさの中で生きているのだ。
真剣勝負なのだ。


と言いつつ、いそいそと帰っていくⅠ君に少しがっかりもしつつ、
そういう気持ちになってくれたことに喜びと感謝を感じている。


実に経営者というのは難しい仕事である。
毎朝のメール、ブログ、それだけでなく、もっとしなければならないこと、
それは、自分自身が決めたことをやり切るということだろう。


そうすれば、きっと会社は良くなり、今いるスタッフの幸せが生まれる。
時間を節約するように伝えているが、勘違いされてはいけないので、
それは、私が疲れるからではなく、会社の資産を守るためだと伝えたい。


売上最大、費用最少、そして、時間はコストである。
コストを最小にしながら、いかに活かしきるかが、経営の要諦である。
シンプルだけど、時間も考慮しながら費用最少をめざしていきたい。


あと、NTCの限られた経営資源を生かして、いかに売上を最大にするか、
そのために、私をいかに使い切るのか、もっと他の方法で使い切れないか、
考えてみたい。


今日も自分を承認する。
マイフィロソフィーを濃くしていくことができたね。
と言ってみた。


実際に自分で作り直しなさい。
そして、体に染みつくまで努力しなさい。
と返ってきた。


スタッフと共に生きる、そして、幸せを追及する自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1032号:心の底から理解する

今日は早朝相談、その後、柳川事務所で打ち合わせ、
顧問先への訪問、夕方の予定が中止となり、自宅へ戻った。


妙に疲れているのと、少し風邪気味だったので、
家に着くなり、葛根湯を飲んで直ぐに眠った。
そのせいもあり、こんな時間から仕事を始めている。


それにしても、今日も色々なことがあった。
その一つ一つが自分の不徳の致すところであると感じる。


場合によっては、悪いことでなくても悪いことのように感じる時もある。
それは、自分の心と体の調子にも影響を受けていると感じる。


あるいは、人とのコミュニケーションの中で微妙なニュアンスを感じとり、
それを自分で咀嚼してしまう。


あまり、そういった人のネガティブな感情に影響を受けるのは良くない。
反省することによって自分自身の身を正して、
あとは気にしないようにしたいと思った。


常に反省しているつもりなのだが、上手くいかないことも非常に多い。
それは自分の立場と性格から生まれているように感じる。


自分をもっとしっかりと理解して、もっと相手の心を深く理解して、
劇的な変化を生み出す私でありたい。
それは協働のよろこびに向かっている。


スタッフのはなちゃんが、職場に復帰した。
こうやって職場に戻ってきてくれるのは非常にうれしい。
顔色もよく元気そうだったが、久々の出勤に少し戸惑っているように見えた。


今日も自分を承認する。
相手やパートナーの成功を心から願っているね。
と言ってみた。


そう、強さも弱さも全て感じているね。
と返ってきた。


心の底から相手を理解し、言葉を伝えられる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1031号:夢の実現を宣言する

今日は朝起きて内勤の後、経営相談1件、企業研修1件、
研修打ち合わせ1件、営業2件という1日だった。


なぜかわからないが、SAの仕事の依頼が異常に多かった。
それも何故なのか非常に気になる。
正直、気持ちとしては微妙な面もあった。


しかしながら、様々な経営支援の結果を棚卸していると、
とても良い成果が生まれつつある。


それもこれも、自分一人だけでなしえたことではなく、
当社のスタッフの支えがあってのことである。


細かいことを言えば、不満もあるし、逆にスタッフの不満もあるだろう。
例えばコストや時間管理に対する意識や配慮の問題などがそれである。
これらのことも、経営者の普段の行動を映し出す鏡かもしれない。


忙しかったり、厳密な時間管理をやっている経営者の元には、
そのような厳しさを持つ社員が育つ。


ポイントは、スタッフに対して厳しいかどうかではなく、
経営者本人が自分でやっているかどうかである。
そこがポイントなのである。


そして、今日の気分ではあるが、NTCのスタッフは最高だと思った。
真剣に語り合えるスタッフであり、自分の意見をちゃんと持っている。


少し前のように、何も知らずにとか、勉強せずにとかというのではなく、
しっかりと積み上げてきた経験に基づいているので本当に心地よい。


やっぱり、素直と一生懸命が大切だと思った。
大学時代に感じ、誰よりも大切にしてきた言葉がそこにあった。
とてもうれしかった。


来る金曜日には盛和塾の特別セミナーにスタッフ2名を引き連れて、
勉強しに行くことになっている。


そういうわけで、稲盛塾長の本を2冊渡して、必ず読むように伝えた。
厳しい時間の中で、一生懸命にポイント伝えてくれると思う。
そう信じている。


今日も自分を承認する。
気合が入ってきたね。
と言ってみた。


みんなのおかげだよ。
と返ってきた。


このスタッフで夢を実現してみせると宣言して言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1030号:全てのあきらめをなくす

今日は問屋町に入り、その後に商工会議所、同行営業4件、
また問屋町に戻り、YEGの委員会に参加した。


朝からとても気が滅入っていた。
それは、自分の業に対して当然の結果があったからである。


自分で振り返ると全てが当然、悪いのは自分であると分かるが、
もうそのことを考えると悲しくて、悔しくて、情けなくなった。


相手の気持ちを味わうともっと悲しくて、自分の不甲斐なさ、
不遜さに嫌気がさし、この世から去ってしまいたくなる。
このような気持ちの時に限って、様々なことが襲い掛かってくる。


本当にびっくりするようなことが起った。
私のボロボロに打ちひしがれた心に、更にからしを上塗りし、
擦りこまれるくらい、つらいことが起った。


どんどん自分の心が蝕まれていくのがわかる。
でも自分がやってしまった過去のことは消すことが難しい。
簡単に消し去ってしまうのは、相手に悪いからである。


稲盛塾長は感性的な悩みをしない。
悪いことが起きるのはあなたの過去の業のしわざであり、
それが現れ、そして反省出来たら忘れてしまいなさいとある。


でも今回ばかりは、そうすることが不適合であるくらい、
私の心は情けなさと、深い悲しみを感じていた。


ひょっとしたら、いつでもそうやってネガティブな場に
居続けようとする思考のくせがあるのかもしれない。
それが更にネガティブな思考と行動を呼び、また問題を起こす。


やはり、風林火山の心が大切だと思った。
私のパソコンのデスクトップには付箋が張ってあり、
いつもこの4文字を眺めることができる。


そういえば、最近この4文字を眺めることがなかったなと思う。
しっかり自分の気持ちを味わう時間を持ちながら歩みたい。


それから、岡山県立大学の教授と学生がつくった
株式会社ソーダと連携した販促チラシプロジェクトをスタートさせた。


私自身、精神的には非常に厳しい中だったが、
なんとか立ち上がることができた。
営業が好きなのも立ち上がれた理由である。


しかも、4件目の訪問にしていきなり受注の内定が出たのである。
私としてはいきなりの成果に驚いた。
協働しているという強みが発揮できたということだろう。


また、その会社の社長に大きなエネルギーをもらった。
本当に楽しい社長で、大胆な面もある。
しかし、本当に人への細やかさのある人である。


一枚上の人という印象を持った。
そして、そのエネルギーは私自身を元気づける強さがあった。
これがリーダーだと思った。


夜はYEGの新入会員の補講が行われた。
私は遅れての参加したが、会長と副委員長が授業していた。
とてもいい感じで、マンツーマン授業が行われていた。


私も自己紹介のコーチングを実施した。
本当に人の中で目標に向かって苦しくても乗り越えていく、
そんな価値観に触れることができ、うれしくなった。


是非とも配属となる委員会で力を発揮してほしい。
それが私たちの会員拡大研修委員会の使命が果たせた状態だから。


今日も自分を承認する。
人とのかかわりに失敗しながら、本当に人を大切にしようとしていたね。
と言ってみた。


それが、自分の生き方なんだよ。
と返ってきた。


関係する人すべてのあきらめをなくすことができる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1029号:素晴らしい人でいたいと願う

今日はとにかく稲盛塾長の本を読み続けた。


実に私の心には多くの雑草が生えているのと、
自分の言動が不一致なのがわかる。
気持ち悪くて仕方がない。


コーチングセッションでも、サボタージュというテーマだったが、
とても素直になれない自分がいて気持ち悪かった。


調子は良くないが、ありたい経営者像は見えてくる。
そうすると、コーチになっても経営者が務まるわけではない、
というような、すぐ逃げの言葉が出てくる。


いつもの上手くいかないパターンだと思いながら、
そうはさせないと心に誓い、両方をしっかりと進めていきたいと思った。


今日は敬老の日、祖母の施設に顔を出した。
変わらず微笑む祖母の顔があり、愛しく感じた。


しかし、・・・。
手を握ったり、しっかり向き合って言葉をかけたりはできない。
恥ずかしかったり、そこまでする必要があるのかと感じる。


でも、会いたいのに会えずにいる祖母の気持ちを感じると、
本当に心から抱きしめてあげたいというような理想はある。
そこまでは、心は動かない。


子供のころ、母がいなくなってから、私の心は氷河期のままかもしれない。
その氷を溶かしてくれる場所はなく、求め続けている。
それでも、満たされることは無い。


母がいなくなってからより、母と家族との関係が生まれてからだろうか。
信じられるものも、心を許せるものもない。
常に、自分で考えて自分で行動する。


上手くいかなければ、自分で責任を取る。
それはそれで仕方がないことと考える。


だから、安心して人に自分の心や身を任せたり、
相手の気持ちをあるがままに受け止めたりすることが非常に難しい。
このことについては、もうあきらめの境地である。


だから、自分の素晴らしいと感じる人の価値観や考え方を信じたい。
そこから、自分の足りない部分を補うのである。


しかし、理想の自分は見つけることができても中身がないから、
言動を一致させることは難しい。
だからこそ、稲盛塾長の教えを信じて自分のものにしていきたいのである。


もちろん、コーチングのリーダーが素敵で、あんな美しい人でいたいと思う。
相手の気持ちやエネルギーをじっくり味わい受け止められる。


それは、私のように雑草だらけの心の庭ではなく、
美しい草花が育てられた心の庭を持った人だからこそ素直に聴けるのだろう。


但し、私は雑草のような強さも欲しい。
これは、別の意味になるけど・・・。


そういえば良く考えると、スタッフたちには心を許しているのかもしれない。
いつも一緒にいてくれて、私のこともよく理解してくれている。
素晴らしいスタッフ達に感謝である。


できることなら、それに甘んじないように頑張っていきたいし、
彼らの幸せを創ることのできる自分でいたいと思った。


今日も自分を承認する。
本当に素晴らしい人を素晴らしいと認められる自分がいるね。
と言ってみた。


本当は自分が素晴らしい人になりたいのにね。
と返ってきた。


涙が出るほどに素晴らしい人でありたいと願う自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1028号:一流の経営哲学を持つ

今日は仕事が手につかず、とにかくリフレッシュした。


おかげで心も体もとてもすっきりした。
仕事をしないといっても、いろいろなことが心に浮かんでは消えるし、
本が読みたくて仕方がなくなり、稲盛塾長の本やDVDを見た。


自分に起る苦しみや悲しみなどのつらいことは、
自分が以前犯した罪、つまり、業によって引き起こされるというものである。


今年、昨年と本当に苦しいことに見舞われた。
それは紛れもなく自分自身が犯した罪が積もり積もって、
それが原因となって現れたものである。


場合によっては死んでしまうこともあるだろう。
鬱になったり、ストレス性疾患になることだってあるだろう。
だけど、少なくても今私は生きていて、生かされている。


それは、自分の意志というだけでなく、天の意志で生かされている。
本当に大きな罪を犯していたならば、死んでしまうこともあるし、
死んでしまってもなんの不思議もないのである。


この不幸なことが起ることによって、以前の罪な消えてなくなり、
ただ反省した結果だけが残る。
そして、また新たに前向きに歩み始めればよいのである。


取り返しのつかない失敗などないと信じて、我が道を利他の心で歩むのである。
このような因果の法則に沿った行いが世の中と自分を良くするのである。


稲盛塾長の成功への情熱の中で心に激しく突き刺さる言葉があった。


もし、業界トップの会社になることをめざすなら、
それにふさわしい一流の企業哲学を持たなければならない。


「自分の会社を世界でも一流の企業にしたい」とか、
「立派な会社で働きたい」と思うのなら、素晴らしい哲学を持たなければならない。
そして、自ら進んでそれだけの努力をしなければならないのである。


裏返すと、世界一素晴らしい哲学を持つことができたなら、
後は、それに向けていかに情熱をもって努力するかが重要なのである。


夢やビジョンが大切だとか、経営理念が大切だというが、それも大切である。
しかし、それだけでなく、経営理念を具現化した経営フィロソフィーを、
スタッフと共に学び、実現できたなら間違いなく、世界一になれる。


この連休に自分の好きなCTI、マッキンゼー、稲盛塾長の言葉をまとめたい。
それをみんなに伝えていきたい。


今日も自分を承認する。
読書にふける中で、素晴らしい言葉や考え方を発見できたね。
と言ってみた。


それが「協働により人と企業の物心両面の幸せを追及する」という、
NTCの経営理念に力強く向かっているね。
と返ってきた。


私たちNTCだからできるという、天から与えられた道を信じて言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1027号:心の雑草を植え替える

今日は一日中、ファシリテーションの研修で、夕方は買い物に行った。


とにかく激しい1週間で疲れた。
今日の研修の疲れというより、1週間の疲れだと感じる。
私なりに精一杯、力一杯に生きた結果の疲れだと思う。


研修のプレッシャーもあり、終わった瞬間ほっとして、
体が崩れ落ちるような感じがした。


終わってやれやれと思っているところにT君からアポイントの相談があった。
正直、仕事のことを考える余裕はなく、「もっと気を遣えよ」と思った。


でも、彼が今日休みにもかかわらず勉強をしに来ているということ、
彼が懸命に努力してお客様との関係を創り、協働のよろこびを願っていること、
そのことを想い、自分のことは脇に置いて対応した。


要するに、自分の欲求で動くというのは自然の摂理であるが、
経営者が部下の気持ちを無視して行動するのは傲慢である。
そこには謙虚さはない。


経営者なのだから、そのくらいいじゃないかとか・・・、
部下なのだからそのくらいのことは理解すべきだとか・・・、
こんな風になると、その会社は滅びる方向に変化していくのだろう。


いくら自分自身が疲れていても、自分が話をしたいことがあっても、
瞬時に君子は相手を思いやることができるのである。
滑って転ぼうが、苦しい状態に陥ろうがである。


どんなに苦しくても、うろたえることなく、目の前の人のを理解しきる。
そして、思いやりを動かし、人を真っ先に心配する。
売上でもなければ、会社の資産でもない、人である。


正直、私にはとっさにそこまで反応することはできないかもしれない。
でも、自分の生き方の理想は、目の前の人と120%の力でかかわり、
共に生きるということのなのである。


本当に心の美しさ正しさを追求していきたい。
今の私の心の美しさ、強さでは私は死ぬときに納得はできない。
自分自身の生き様として、子供たちに背中を誇れる自分でいたいのである。


たまたま、稲盛和夫塾長の6つの精進のDVDを見ていた。
そこに、ジェームズ・アレンの言葉があった。
素晴らしい言葉であるし、そうありたいと思った。


人間の心は庭のようなものです。
それは、知的に耕されることもあれば、
野放しにされることもありますが、
そこからはどちらの場合にも必ず何かが生えてきます。
もしあなたが、自分の庭に美しい草花の種をまかなかったなら、
そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、
雑草のみが生い茂ることになります。


すぐれた園芸家は、庭を耕し、
雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、
それを育み続けます。
同様に、私たちも、もし素晴らしい人生を生きたいのなら、
自分の心の庭を掘り起し、
そこから不純な誤った想いを一掃し、
その後に清らかな正しい思いを植え付け、
それを育み続けなくてはなりません。


「正しい思いを選んでめぐらしつづけることで、
私たちは気高い、崇高な人間へと上昇することできます。
と同時に誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、
獣のような人間へと落下することもできるのです。
心の中にまかれた思いという種のすべてが、
それ自身と同種類のものを生み出します。
それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、
やがては環境という身を結ぶことになります。
良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます。


自分の心という庭の雑草を抜き、耕し、
そして自分がの染む美しい草花の種を蒔き、
丹念に水をやり、肥料をやって、管理をしていきなさい。


後は、リーダーはこのような心・・・、
潜在意識おも動かす厳しさや優しさや情熱をもっていることが大切だ。
私は美しい心を持ち、影響を与え続けるのである。


そうすれば、素晴らしきチームが創られていくのである。
必ずできると信じたい。


今日も自分を承認する。
自分の心のの中にある雑草を一つずつ植えかえることができているね。
と言ってみた。


もっともっと、毎晩反省して心を入れ替えなさい。
と返ってきた。


人から心から愛され、頼もしいと思われる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。







第1026号:健全な精神は肉体から

今日は問屋町で待ち合わせ、若干不手際なこともあったがなんとか出発、
午前中は研修、午後は経営相談1件、夜は研修打ち合わせ1件、
問屋町の多目的ホールの清掃を行った。


印象に残っているのは、午前中の何とも言えないような疲れである。


脳も体も心も疲れている。
特に、相手の心を感じて、自分の心を動かそうとすると気持ちが悪くなる。
昨日の青年部での飲み会の時にも起こった現象である。


何が理由なのかを考えてみる。


一つは寝不足、それから、やらなければならないことへのプレッシャー、
無理をしていることからくる不安や自信のなさ、
伝えたい価値感やあり方を見失った自分のエネルギー不足である。


でもそんなことを思い出せないくらい疲れているのだと思った。
それは、自分に投げかける言葉の問題もあるが、
それだけでなく、シンプルに疲れているのだ。


健全な精神は健全な肉体に宿る。


遅刻しそうになり、通常だと選ばないようなルートを選んで失敗した。
面倒で横断歩道の数メートル手前を渡ろうとして警察に叱られた。
階段を上がっていたら、体に力が入らずよろけてしまった。
車で走っていたら、眠くて意識がなくなりそうになった。
こういう時だからこそ、右折車が割り込むように曲がってきたりした。


というように、体の調子に問題があるというのがわかる現象が、
たくさん起こっているということがわかる。
仕事のストレスもあるが、それではないと自分でわかる。


経営相談に入る前に、10分だけ目をつぶった。
最高に気持ちが良かった。
少しだけ、午後の状態が良くなった。


少しの睡眠でこんなにも心持が変わるのかと思った。
ゆっくりと振り返りたいところであるが、眠くて眠くて、
そして、自分を整えたいので今日はこのあたりにする。


今日も自分を承認する。
自分の心と体のメカニズムを知り、周囲の方のためになろうとしているね。
と言ってみた。


本来の自分はやる気にみなぎっているんだね。
と返ってきた。


協働のよろこびという渦の中にいる自分を感じて言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1025号:ほめられるのが好き

今日は家で内勤の後、電話での相談、経営相談2件、
ワークショップのテキスト作成、YEGでのワークショップ、
懇親会という一日だった。


後悔が残っている。


委員会の後の懇親会の自分にである。


心と体が疲れていて、話に参加することが億劫である。
相手の話に興味や関心が動かない。
自分が話をできないのを疲れのせいにしている。


とにかく、今一つなのである。


飲み会の席でのメンバーのエネルギー感はとても素晴らしい。
目の前の人と楽しみ、分かり会おうとしている。
その会話の楽しみ方は、称賛に値する。


私はその時はそんなに無理になくてもいいのにと思ってみている。
もっと仕事や生き方の話をしたいと思っている。
これも多分何かに対する言い訳だと感じた。


自分が自分らしくいられない、ぶれのある心に対する言い訳なのだ。
自分が伝える情報への自信のなさに対する言い訳だ。
自分の甘さに対する言い訳だ。


そして、きょう卒業となるメンバーへの言葉を伝えた時、
無理やり厳しい言葉を投げかけようとしたため、
心から伝えたいという言葉が見つからなかった。


そして、今思い返しても恥ずかしいくらい訳のわからないことを言ってしまった。


何があっても、相手の心大切にし、育む力を持ち続けたい。
それもユーモアたっぷりにである。


そんな強くて大きくて余裕のある自分になりたいと思った。


今日も自分を承認する。
ワークショップはうまくできたね。
と言ってみた。


ほめられるのがうれしくて仕方がなかったね。
と返ってきた。


もっと目の前の人と思いっきりダンスを楽しめる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1024号:心のブレを自己管理する

今日は朝から柳川教室に入り職場見学、職業訓練の提案、
月例ミーティングのフォローのためのスカイプミーティング、
ある受注案件ミーティング、そして、夜はコーチングだった。


売上最大、費用最少の重要性について考えた。


これは考え方が大切なのであるということが分かった。
全く無意識に行ってしまうケースが多いからである。
この考え方に沿って、どんな時でも行動することが大切なのである。


盛和塾の経営者発表の中であった言葉であるが、
「会社の金は人の金」ということだったが、本当にそうだと思う。
知らず知らずのうちに、自分のお金だったら遣わないようなことをする。


時は金なりというように言うが、時間の使い方も同じかもしれない。
時間というのはみんなに平等に与えられたものであるが、
人によって使い方が異なる。


だから、人生の目的やそれに対する結果も全く違ったものになる。
生まれた時よりも少しでも美しい心になる。
この美しい心というのは本当に幅が広くて捉えどころがない。


というわけで、社内で起こったこと、自分に起ったことを考えてみた。
そうすると、美しい心というのは、相手の成長を願っているか、
相手を攻撃したり、自分が我慢したりしていないかということが大切だ。


いわゆる仁の心をもって、相手を愛し、育み、成長を祈っているかである。
ただただ、自分を守っていたり、相手を攻撃したりではだめなのである。
いわゆる他責ではなく、自責でとらえて行動するのである。


人は自責の範囲を超えると、相手を攻撃し始める。
その声に耳を傾け、相手を理解し、そして、解決していくことこそ、
マネージャーの仕事なのだと思った。


職場見学における受講生の態度についても、
相手に対して礼をつくしており、本当に素晴らしかった。
発表についてもコンサルタント並みのアドバイスだった。


それ以上に、企業の担当者の熱意のこもった説明や解説が素晴らしかった。
伝える時の真剣なまなざし、熱意は私の心を揺さぶった。
この人たちと心から一緒に生きていきたいと思った。


今日も自分を承認する。
人の心の動きを感じ、味わい、愛をもって接することができたね。
と言ってみた。


相手がどう思っているかが大切だね。
と返ってきた。


自分の心のブレを感じながら自己管理できる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。



アドバイスを受けた

第1023号:誰よりも美しい心になる

今日は朝から特定派遣の申請書の提出、北部での職業訓練の提案、
その後、エコアクション21ミーティング、盛和塾、コーチング上級コース、
多目的スペースの鍵締めをして終了した。


Ⅰ君といろいろと話をしながらの半日だった。
体調が悪い中でも、コツコツと仕事を進めてくれて、
本当に素晴らしいスタッフである。


1年前のことを思い出した。
1年前は入社歴も浅く、できることなどほとんどなかった。
でも、今年はある意味管理者としての責務を果たすまでになっている。


本人曰く、今年になって本当の意味で変化を感じるという話が出た。
それは、苦しみもがきながらもここまで頑張ってきた自分への誇り、
自信、そして、労いのことばだったように感じた。


間違いなく、自分自身のリーダーシップを発見し、
勇気・行動・感動のドラマを自ら描き、そして、実現している。
本当に自分の努力のたまものと感じられるように話をした。


周りの助けもあるし、それを感じている状態は望ましいが、
そんなことより、とにかく今はやったという自信を感じて欲しい。


そして、苦しいことを乗り越えなければならないということ、
これから学校を卒業し、Ⅰ君と同じように就職する学生たちに、
是非伝えてほしいし、伝える使命があると思う。


そんな、学んできたことを人に伝える「修己治人」を実現してほしい。
まだまだの点もあるが、それを私が伝えることで、
更なる社会に対する貢献ができると思った。


それは、私の使命でもある。


夜遅くまで事務所にいた。
あんちゃんが、スラムダンクの最終巻をもってきてくれていたので、
家に帰って読んでしまった。


その中に描かれていること、それは、自分とは何か、
また、今この瞬間に生きるということ、仲間の中で生きるということ、
それらがユーモアと美しさで表現されている。


スポーツの場合は、試合という瞬間の中に生き切る姿がある。
しかしながら、仕事というのは、瞬間に生きる感覚は弱い。
むしろ、スポーツの厳しい練習が常に続いている感じである。


だから、スポーツの感動を手に入れることは難しいと感じてしまう。
それは確かに難しい。
しかし、その瞬間が必ず来るのだと私は思う。


仕事は長い時間コツコツとした、とても時間がかかり、
成果につながっているかどうか、成長できているかどうかも分かりにくい。
だからこそ、働き方が大切なのだと思う。


それこそ、働くということ生きるということの意味を見つけることが、
働くということなのではないだろうか。


そして、人生の目的・・・、生まれた時よりも美しい心になる。
人のためにどれだけ役に立てるのかを追求し続けたいと思った。
そんな私なら自分のことも好きになれるし、相手も好きになってくれるだろう。


今日も自分を承認する。
自分の人生の目的に向かって、日々努力しているね。
と言ってみた。


どんなにすごい人にでもなれるよ。
と返ってきた。


誰よりも美しい心、思いやる心で生きる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第1022号:奢らず弛まず生きる

今日は朝起きて事務所に向かい、昼過ぎまで内勤、
その後、職業訓練の件で柳川にいき、そのまま営業を8件実施した。
夜のコーチングの予定がなくなったので早めに上がった。


自慢しないことが大切なのかもしれない。


たまたま自己紹介のテキストを作成していると、
いろいろ自分のまずいところも見えてきた。
特に、「イタイ自己PR」、「ネガティブな言葉を言う」というところである。


「イタイ自己PR」というのは、自慢をしないということである。
本当にすごい人は自分を凄いとは言わないし、
最後の切り札として取っておくくらいでいい。


見るだけで、その半生や人となりを短時間で見抜けるからである。
言葉、表情、態度などを見ていると分かるのである。
薄っぺらとか、軽薄な感じである。


それから、「ネガティブな言葉を使う」というものがもう一つである。
人の心は言霊に左右されており、たとえそれが事実や謙遜であっても、
ネガティブな言葉は、相手の心の中にネガティブな印象を植え付ける。


私は、創業して以来、ネガティブな自己紹介をし続けてきた。
もちろん、創業当初は自信がなかったのもある。
今は謙遜という言葉のほうが近いと思う。


しかし、いかなる場合でもその謙遜が相手にネガティブに伝わる。
相手にとって役に立たないし、ビジネス交流会などの場合は、
逆に迷惑なのかもしれない。


自分にできること、自分の想いをしっかり持って、
それを相手への貢献、メリットを胸に伝える。
そうすれば、相手は自分に関係のある人としてやっと認めてくれる。


それが、縁をつなぐということになるのではないだろうか。
相手のためにその瞬間をいかに活用し、
共に生きるよろこびを作り出していくのか・・・、これはNTCのテーマである。


瞬間的につながりを創ることは必須のスキルと言えるだろう。
そういう意味では、今日は珍しく市内を徒歩で営業した。
そうすると、本当に多くの出会いや縁があり、つながりができた。


一人一人が様々な想いをもって生きていて、
それを聴きながら、自分のメリットも考えるが、相手のことも考える。
そうすると、とてもよい空気が生まれて、それもまたよろこびである。


話は戻って、そんな成果や思考・行動様式を部下に自慢する自分はどうなのか・・・。
自慢ととればそうであるが、見本だったり、基準ととれば問題はない。


こんな風に考えると、3.5時間で約9件の営業ができたが、
若い人の営業件数や成果と比較して、どうも計算が合わない。
いくらでも営業の効率を上げることは容易であると私は感じるのである。


こんなことばかり考えている経営者というのはつまらないと思う。
しかし、企業の存続のためには、こんなことを言わなければならないのはさみしい。


あんちゃんが、電話営業で受注を獲得した。
あんちゃんの人懐っこさと、相手を喜ばせようという姿勢のたまものだと思った。
もっともっと磨いて、中身がぎゅっと詰まった素晴らしい女性になってほしい。


今日も自分を承認する。
自分の力を思いっきり発揮することができたね。
と言ってみた。


部下の指導はどうなっているんだい。
と返ってきた。


奢らず弛まず、自分に厳しく、人にやさしい自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。





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