2008年10月

2008年10月30日

順風なのか逆風なのかよくわからない、我等かタロちゃん。

さすがにここまで株価下がってしまったらマズイと、「追加経済対策」を発表しちゃったようです。

マスコミも待ってましたと「こんなの効果ない」という報道ぶりですが、実際ここの事業なんかに経済効果があるはずもなく、ようは「世の中の雰囲気が暗くなるのを避けましょう」と社会がとってくれるかが、唯一のポイントであって、その点、今のマスコミに何を示しても、ネガティブになるのは当たり前で、もろもろ考慮してみると、株価がどれだけさがろうが、何もしないか、もしくは普通の人には理解できない経済理論バリバリのマクロな?経済対策とかで、ぼやかした対策くらいがちょうどよかったかと思われます。

例えば、よくわからない生活支援定額給付金?とか定額減税とかで、おこづかい程度の額もらえたからといって、個々の国民の経済行動は1mmも変わらないわけで、なぜこの国のお偉いさんはここまで無策なのかというか、なぜ世界第2の経済大国の経済対策がこんなに間抜けていていいのか、実際、ほかの国はもっと間抜けなのか?と逆に不思議です。たぶん、本当に有効な経済対策ってのは、ほとんどの人が誰も気がつかないような、目だたないけどベースにどーんときてる対策なんだろうなという気もします。

今回、社会の雰囲気を変える事業?として、休日の高速道路1回1000円(東京・大阪圏除く)の映画の日もどきの事業がなんか目玉っぽくなっていますが、休日の高速料金が安くなる→高速道路を使って遠出をしたくなる→出先でいろいろ消費する→その地域の景気がよくなる→日本の景気がよくなる。ってちょー定性的な連想ゲームかと思われ、そんな風には世の中は進まないのはほぼ100%確定していますが、実はこうゆう奇抜なアイデアってのは結構重要で、自分の生活が変わるかもって錯覚させるところがミソなわけです。景気のいい悪いなんて所詮錯覚であることを考えると、バブルまでいかない程度に風船を膨らませるためのアイデアを出せばいいのです。

この奇抜アイデア系でいけば、高速道路と類似で、JRどれだけ乗っても1000円日とか作ったら、それこそものすごい勢いで人は動き回るでしょうし、想像してみると結構面白そうです(予算いくらかかるかわかりませんが)。

そのほかにも、週休3日制を全世界に先がけ導入して、働きすぎの現代日本人のマインドを根本からたたきなおすとか、社会全体を在宅勤務(テレワーク)に本気に移行するための対策とか、働き方、私生活の関係(しまった、これ一番嫌いなワーク・ライフ・バランスってやつでしょうか?)を大胆に見直しちゃうってのも、総理の一声としてあってもいいかもしれません。

ってそもそもこの経済対策なんのためでしたっけ?

タロちゃんの部屋
http://www.kantei.go.jp/



(23:59)

2008年10月29日

なんだか胸がキュンと痛みます。

むむ?また恋に落ちたか?

と思ってみましたが、相手がまったく思い当たりません。

ってことで、いろいろ思い返してみると、先週末のフットサルで相手のシュートを胸の前の手で受けて、そのときその反動で自らの拳で自らの胸を、うーんってパッションばりに強打したのが原因のようです。ということは厳密に言うとハンドです。

でも、その痛み具合がちょうど心からくる痛み−恋愛とかなにかショックなできごとがあったときに感じるかすかな物理的痛み−に近くて、擬似体験的には結構面白い感触です。心はどこにあるかっていう問いに対して、胸・心臓・ハートってのは物理的にもかなり当たっているような気がします。

ただ、時間が経ってくると、胸の痛みが徐々に増してきていて、恋とかのレベルじゃなくて、くしゃみとかしたら普通に痛いです。さらに、そんな日に限って本来デスクワーカーのはずが、書類整理か何かしりませんが、ダンボールを担ぎあげる仕事をしなきゃいけなくて、最初のうちは、「恋して胸がいたいです」とか冗談言っていましたが、ダンボールを持ち上げるたび「うぅ」と痛くなってきて、途中でその場を放棄しこっそり逃げ出しました。

まあ、高校生でも乙女でもなく、恋して胸がキュンとすることなんて普通に生活してたらまったくない感覚なので、この思わぬ感覚の贈り物を楽しんでいます。(ありがとうシュート打った人)

ってことで、明日まだ胸が痛いようであればガラスのエース・キャラで行こうと思っています。

ガラスのエース美杉くん(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%89%E6%B7%B3
FC東京?


(03:04)

2008年10月26日

意外と息の長い。ゆるキャラ・ブーム。

昨日今日とあのゆるキャラ界の”プリンス”「ひこにゃん」のいる彦根に集まって、みんなで、ゆるキャラまつりを開催していたようですが、確かにそのゆるさに魅力があるのはわかりますが、最近はゆるキャラを狙ったゆるキャラが増えてきているような気がして、当のみうらじゅんはこのブームのなりゆきはどう見ているんだろうとか気になっています。(まあ、本人は、単に自分が楽しいと思うことを追い求めているだけで、そのアウトプットを2,3周遅れで世の中がついてきているだけで、いまさらのゆるキャラなんてどうでもいいのかもしれません)

一時期話題になった「せんとくん」は、苦難を乗り越えなんとか、社会的にも認知されつつあるようですが、デザイン画でみたせんとくんと、きぐるみのせんとくんでは、イメージがえらく違って、きぐるみはかなり怖いというか、単純にはあれを受け入れるだけの心の準備は自身まだできていなくて、きぐるみ版せんとくんをみるたび、その異様さにちょっとびっくりします。

それはちょうど海外スポーツもののマスコットとかもそうで、Jリーグとか野球だと鹿だったりコアラ?だったり、なんとなくアニメ風のキャラクターに仕上がっていて自然に受け入れることができますが、ブンデス・リーガとかのマスコットって、まったくかわいさを感じないし、狙いどころもまったくわからず、マスコットというその国・地元サポータのみんなに好かれることを前提のはずに作られているはずのものも、文化が変わってしまうとまったく異様なものにしか見えないってのは、文化の差異という観点からも面白いテーマで、各国のマスコットを並べて比べてみたらそれなりの文化の多様性&系統が読み取れるかもしれません。(ちなみに、アメリカの大リーグとかのマスコットにはそれほど抵抗ないことを考えてみると、日本のマスコット文化というのは、アメリカ語族に属している可能性も高いかもしれませんが・・・)

話し戻ってゆるキャラ・ブーム。確かに紙と鉛筆があれば、今でいうゆるキャラもどきなんて素人でも何十と生み出せるだろうという状況は、ブームというにはあまりにも基盤が貧弱で実際、各自治体の担当の安直な、「こんどうちでもキャラクター作ってみましょうよ(市民に公募なんかして)」って行っている姿は簡単に想像できて、その結果が何を生むかというと、その先にはグレシャムじゃありませんが「悪貨が良貨を駆逐する」的状況があるはずで、キャラクターに対するある種の尊敬する気持ちってのが社会全体を見たときなくなっていきそうな気もしますし、キャラクタ数に制限があって、かつそれぞれのカテゴリーで比較できるってのがキャラクターの本来的な機能だったりするはずで、キャラクター乱立ブームでは、日本サブカルチャブームとは似ていて非なる系図だし、結局誰にとっても幸せな結果は生まないと思われます。

まあ、そんなのどうでもいい話ですが・・・。

ゆるキャラのHP
http://yuru.tips-top.com/


(23:06)

2008年10月24日

観たことありませんがそんな題名の映画もありましたし(ケビン・コスナー?)、どこかのテーマパークではそんなショーもあったような気がします。当然、その内容はよく知りませんが、陸地がなくなって海だらけになった偏狭な世界で、ああでもない、こうでもないという話かと想像され、そのどこに面白い要素があるのかまったくイメージできません。

って話はさておき、人口爆発(バーン)の結果、水資源獲得競争(戦争)が始まると予想されていたりするなか、今日のようにダアダア振りの雨だとあまり実感ありませんが、何世代か未来には、水って重要だよね!って、水の石油化って世界になっている可能性は確かにあるような気もする、一方、そのころには平気で海水の淡水化技術みたいなパワーで解決できちゃう技術なんて確立しているだろうから、周り海だらけの日本が水で困ることはほとんどないんじゃないかと楽観的に気分にもなります。

ただ、今の家の水道水は死ぬほどまずくて、ってか直接飲んだら、たぶん2,3日で死んじゃうだろうメラミン級の水道水で、沸騰させても当然まずいから、お茶にしろコーヒーにしろ、買ってきた水を使っていることを考えてみると、水の品質ってのは生活していううえで結構重要な要素であって、水も安全ももはやお金で買う時代に突入です。

そんなおり、最近、ウォーター・サーバーなる商品が普及の兆しを見せていて、昔海外の映画・ドラマとかでウォーター・サーバーなんかが出てくると、なぜ、蛇口をひねれば出てくる水を、あんな形で貯蔵して、ちまちま飲まなきゃいかんのか、まったり理解できませんでしたが、最近はあれ欲しいとか本気で思い始めていて、ここ最近、いろいろチェックしていたりします。

人間なんて水がなければ、あっという間に干からびてしまう存在であって、古代文明も大河の脇に発現したことを考えてみると、どこにでも川がそれなりに流れている日本においては、これまでも北斗の拳みたいな本当の大規模の干ばつの世界は経験したことないわけで、水と日本人ってテーマはあまり深く考察されたことはないはずで、世界的な水資源危機といわれている中、ちょっとくらい振り返って自らの水論を再考してみるのも面白いかもしれません。

ウォーターサーバーのHP
http://www7b.biglobe.ne.jp/~toku1/waterserver.html
値段も結構手ごろです。


(23:06)

2008年10月22日

まったくの無知。

どうやらクライマックス・シリーズ?パ・リーグは西武が優勝したようです。(テレビでそういっていたから)

おめでとうございます。

って、年々プロ野球から遠のいていて、たぶん、楽天が優勝しましたって言われても、当然信じちゃうほど、だまされ放題だと思われます。

セ・リーグはセ・リーグで、遠の昔に阪神が優勝したものだと思ってたら、なぜか巨人が優勝していて(一部マニアの間?ではそれなりに盛り上がっていたよう)、日本シリーズは巨人対西武か、と思っていたら、これまた違っていて、ちょうど巨人と中日でセ・リーグ側のクライマックス・シリーズをしていている最中、まだ対戦カードは決まっていないようです。

実際、まわりでプロ野球が話題にあがることもまったくなく、プロ野球の観客数って、サブプライムローンの資産みたいに激減しているのではないでしょうか。実際、Jリーグにすら抜かれているという話もありましたが、これって明らかにプロモーションの方法のような気がします。(あれだけ新聞社、テレビ局に食い込んでおきながら・・・)

そもそも、大リーグ(←よく考えてみるとすごいネーミング・センス)に出稼ぎを解禁すること自体の判断はありだと思われますが、おいしいところを外に出しちゃえば、残るのは2流のお米になるのは当たり前で、どこかの時点で配分具合を間違えて、復帰できないでいるという状況かと思われます。

しかもこのままいけば、少なくともプロ野球を目指す少年たちってのは、当然、数は減っていくでしょうし、そもそもトータルの若者人口が減っていく世の中で甲子園からプロ野球っていう王道ルートのレベルが今後も維持できるかってのはかなり疑問です。

ここで宿題的なもの。

・プロ野球の観客動員数のトレンドおよび高校野球人口のトレンドを調べること。

実際は、王、長嶋という遺産がなくなったときが次のビックウェーブであって、本当に今後もプロ野球を日本の国技?としてやっていくつもりがあるのであれば、プロ野球の人ってのはもっと正しいプロモーションをすべきで、交流戦とかクライマックス・シーズンとか無理やりの小手先のブースト装置ではなく、恒久的かつ根本的な仕組みの見直しが必要です。

ここでも宿題的なもの。

・交流戦、クライマックス・シーズンのブースト効果を定量的に評価せよ(できれば経年変化も)。

そもそも、あれだけのバックボーンがあったはずのプロ野球がサッカーごときに観客をとられること自体が、油断や怠慢以外の何ものでもなく、ちゃんと要因を分析すれば、結構簡単に方法が見つかるような気がします。

最終的な宿題。

・プロ野球がJリーグに負けた要因を分析し、再逆転方策を検討せよ。【締め切り:日本シーズンが終わるまで】

っていうことで、野球なんてほんとは何の興味もないからどうでもいいけど、自らに対する宿題ブログ。

プロ野球のHP
http://www.npb.or.jp/
目標試合時間 3:06って何?エコ?


(23:34)

2008年10月21日

何事も引き際が肝心だったりして、

そうです。ハロー!プロジェクト。

とうとう幕を降ろす気になったようです。(半分だけ?)

1998年から10年とのことなので、長いのか短いのかよくわかりませんが、アイドル誕生マシーンとしてはそれなりに役割を果たしたのは事実です。

いつの間にか、「エルダークラブ」と「ワンダフルハーツ」という2つのグループに分けられていたようで(←いつの間に?)、つんくさん?ってユニット分けとかグループ分けとか大好きで、たぶん、ごみの分別とかさせても結構得意だと思われます。

で、今回捨てられるのは、当然、エルダー(年増?)のほうで、

【エルダークラブ所属メンバー】
モーニング娘。OG(中澤裕子、飯田圭織、安倍なつみ、保田圭、矢口真里、石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、紺野あさ美、小川麻琴、藤本美貴)
・ 稲葉貴子・里田まい(カントリー娘。)・メロン記念日・前田有紀・松浦亜弥・三好絵梨香・岡田唯・音楽ガッタス

ということで、我らが「あやや」も放出されますし、モーニング娘。なる集団もすでに誰がいるのかまったく知られていないアングラ・アイドルとしてがんばっていくということでしょうか。

ハロー・プロジェクトの市場価値がそもそもいくらだったのか、いち早くサブプライム問題が表面化していて今ではわかりませんが、今回の主要?メンバー放出は、ちょうど、リーマン・ブラザーズの破綻みたいなもので、ヨーロッパ部門売り払いました、アジア部門も野村が買い取りますという。引き算方式で考えてみると、残存する価値ってのは現時点ではゼロであって、残った不良債権をどうしていくかってのは結構悩ましいところです。

ただ、実際、モーニング娘。という企画自体が、そもそもそれほど可愛くない素人娘をオーディションで集めて、ここまでの国民的アイドル?まで成長させたということを考えてみると、そのレバレッジ効果はリーマンの比じゃありませんし、今回のメンバー売却によって、ゼロになった価値が今後も永遠にゼロのままとは限らないわけで、すべてをやめてしまわなかった決断が、吉とでるか凶とでるかってところは未知数であって、大正解ってことはありえるかもしれません。(その意味でいえば、もやはマイナス要因のモーニング娘。はこの際いったん解散すべきだったと思いますが・・・)

そうやっていろいろ考えてみると、ハロー・プロジェクトを今後どうしていくべきかってことは、誰もがイメージしやすい戦略・戦術の教科書になるはずで、実際、企業の戦略研修の題材とかで取り上げてもいいくらいだと思います。

個人的には、どうせ始まりが視聴者参加型であったのであれば、原点にたち戻ってプロデュースの方法まで視聴者参加型にしてみるって手もあるのではないかと考えます。いわゆるプロデューサー・オーディションです。

いずれにせよ、単なる子タレ養成と称した集金マッシーン組織になり下がる危険性もかなりありますが、あややの今後も含め、楽しみです。

ハロー・プロジェクトのHP
http://www.helloproject.com/index.html


(00:46)

2008年10月18日

待たせたなー。

ということで、どうやら決着がついたようです、アメリカ大統領戦。

最後にもう一山くらいあるものだと思っていましたが、振り返ってみたらオバマちゃんの戦いぶりは結構無難で、一時期のヒラリーおばちゃんとの戦いが一番の山場だったようです。

それにしても、大統領戦ってのは、本当に一対一の戦いというか、まさしくその人のリーダーとしての能力そのものを問うものであって、しかも、ありとあらゆる批判とか中傷とかある中、最後まで戦い通す勇気は冷静に考えてみると尊敬ものです。

というか、どちらの候補者も、普通に生活していれば、絶大な尊敬&権限を持っている個人であって、その一個人がなぜ、あそこまで丸裸といってもいいほどの状態で、自分というものをノーガードでさらけ出さなくてはいけないか、ってのはやはり不思議で、よく自尊心がくじけないものだとつくづく関心します。

例えば、「デイリー・ショー」とか見ていても、オバマちゃんの発言もマケインちゃんの発言も完全にコメディーの材料・素材にされていますが、それでも実際にその番組に出演して、素直に自分というものを表現しようというする姿は、俗な言葉でいえば、かっこいいですし、それこそ、見ている人の「この人をリーダー(大統領)にしよう」っていう意識につながっていくのだと思われます。

その目線で、振り返って日本の政治のリーダーってもの考えてみると、どう見てもまわりに担ぎ出された、それほど人間的にも優れているとは思えない(少なくともそんなアピールはまったくない)人を、いろんなしがらみを考慮し、とりあえず最高権力者にしているだけであって、とり方によってはリーダーでもなんでもないわけです。(ちょっと支持率悪いだけですぐに責任まで投げ出して逃げ出しますし・・・)

直接民主主義が必ずしも正解だとは思っていませんが、国民に見放された変なマルチもどきの政党政治しか存在しない国の不幸さは十分に味わっているはずなので、新たしい政治モデルくらい出てきてもいいはずで、確かに今まで同様、このままあきらめムードのままやっていく手もありますが、いずれこの政治体制は「役に立たない」と通り越して「有害」になっていくと思われ、サブプライムはさておき、異国のアメリカのリーダー選びはうらやましくもあります。

いずれにせよ、とうとう黒人の大統領の誕生です。日本人の僕にはその意味するところはよくわかりませんが、新しい歴史の1ページであることは間違いなさそうです。

アメリカのリーダーのHP
http://www.barackobama.com/index.php

日本のリーダーのHP
http://www.aso-taro.jp/

この差!


(23:26)

2008年10月16日

よく行く近所のホームセンターは、確かに売っているものの値段もリーズナブルでいいのですが、ちょっと頭がおかしくて、何を思ったか10月早々にクリスマスコーナーをこしらえて、「MerryChristmas!!」系のイルミネーションを売り始めています。季節先取りにもほどがあります。

まだ10月。

10月といえば、そうハロウィンです。

って、まったく定着しない行事ですが、ここ数年はこの時期になるといたるところにオレンジと黒の色合いのコーナーができていて、なんとなしの使命感は流通業界としても持ち始めたのかもしれません。実際100円ショップとかにもハロウィン風の100円グッツコーナーができていて、ここまで浸透すればそれなりって気にもなります。

しかしながら、そんなハロウィン特設コーナーには、たいだい人はいなくて、通りすがりの子供が一瞬だけグッツを手にして、キャッチ・アンド・リリースして立ち去っていくくらいで、まったく人が集まっている気配がありません。この社会へのアピール具合と実際の消費者のマインドがこれだけミスマッチしているケースは珍しいです。

この原因を一言で言えば、ハロウィンって何ができるの?何をしてもいいの?っていう疑問に対して、答えが用意されていないってことにつきるような気がします。

大体の行事っていうのは、その日、その期間は「何かできる」っていう「許可」行為であって、例えば、正月であれば、家でのんびりして、まったく働くなくても誰にも責められない。とかバレンタイン・デーであれば、「チョコレートをもらえる」(←ただし、人により格差あり)、「告白できる」とか、クリスマスもそうで、その日にやっていいことがそれなりに確定していて、言うならば、Yes,We Can!なのです。

その点、ハロウィンという行事は、オレンジ色のパンプキン(パンプキンって、君)と黒か深紫のコントラストというデザイン基調は確立しているものの、外形だけではやはりだめで、やはり何かできなきゃダメなのです。

そういう意味では、バレンタイン・デーっていうのが、絶好のロール・モデルであって、そもそもセント・バレンタインが何者で、血なまぐさい歴史ものでもあるってことも、まったくあく抜きし、単に好きな人に告白できる。しかもチョコレート限定。としてプロデュースしたロッテ?のプロデュース力は、今、冷静に考えてもかなりのもので、その結果が、今や日本文化のわけです。

そう考えてみると、今、いろんなお店の特設ハロウィンコーナーってのはまったく無意味であって、本来であればそれをする前に、誰かの旗振りのもの日本型ハロウィンをプロデュースすべきことのような気もします。この場合、何かが許可される(できること)が必要条件となります。

日本型ハロウィンをプロデュース。

・日を決めてみんなで仮装。
 ハロウィンっていえば仮装ですが、まだ、ローカル集団で内輪の楽しみでしかありません。いっそ日を決めて(10月最終日曜日とか)、その日は普通に仮装した格好であるいていてもOKという社会にする。(装飾業界プレゼンツ)

・かぼちゃの日
 行事の日に食べ物はつきもの。ハロウィンといえばパンプキン(←パンプキンって、君)、かぼちゃです。日本のかぼちゃとハロウィン用かぼちゃでは見た目をえらく違いますが、かぼちゃつながりで、準和風のイベントとして、土用の丑の日ならぬ土用のかぼちゃの日を作って、この日のかぼちゃを食べると、どうやら縁起がいいらしいって、雰囲気を作れば、日本文化にあっという間に取り入れ可能かも(農協プレゼンツ)

・恋愛もの
 バレンタインにしろ、クリスマスにしろ、色恋につけこんだ行事は強いです。クリスマスに近いってのが難点ですが、そこを逆手にとって、クリスマスをいっしょに過ごす人を(とりあえず)見つける日ってことにして、彼氏彼女がいない友達に無理やり異性を紹介する日ってことにすれば、とりあえず季節限定ではうまくいきそうな気もします。(ジュエリー会社&少子化担当大臣プレゼンツ)(←われながら、この企画はぜひ実現すべきだ)

ってことで、まったく盛り上がりを見せないハロウィーンを無理やりプロデュースしてみた。

ハロウィンのHP
http://www.lacittadella.co.jp/halloween/
12回もやっててまったく普及しないのはダメですね。


(21:22)

2008年10月14日

この劇場型ドラマ?が2部の構成だったのか、それとも「24」みたいにシーズン5とか6?とか際限なく続くつもりだったのか、今となっては分かりませんが、とりあえず終わりました。ロス疑惑。

なんか、死因が怪しいとか、どうとか追求する動きもあるようですが、主役なき後、脇役だけで盛り上がろうとしても、主役なしでドラマは成り立たないわけです。今回の一連のドラマはまさしく三浦和義SHOWであって、彼のパーソナリティーに引かれて集まった人々(いい人も悪いひとも)が、彼を中心としてぐるぐる回っていただけの話です。

そう考えてみると、今でこそ、若干生々しいですが、ちょっと経ってから、振り返ってこの一連の疑惑・事件というものを見てみると、非常に分かりやすいというか、ドラマ仕立てになっているはずで、本人が意図したかはさておき、結構なコメディー仕掛けにできあがっていています。

また、人を殺した(計画した)本人が(←ほんとは決め付けちゃダメ)、結局は、自らの命も奪わなくてはならない状況に追い込まれてしまうというのも、絵に描いたようなシナリオで、宗教の人も大喜びな題材提供です。

結局、このドラマで一番、かっこ悪い役回りだったのは、まさしくロス市警で、ロス疑惑は立件できないわ、しまいにはせっかく身柄を押さえたはずの容疑者に、目の前で死なれる大失態でまったくいいとこなしでした。海外ドラマだとL.A.P.Dとか言うとそれなりにかっこいいはずなんですが・・・。

確かに、ロス疑惑の三浦ちゃんを考えた場合、サンデージャポンの監房(独房)専門リポーターでは、あまりに悪ふざけしたスピンオフだったので、今回のように劇的かつ静かにメインのドラマが終わっていくってのは理想的エンディングだったとも言えるような気がしています。

いずれにせよ、それなりにいろいろ心に残ったし、教えられるドラマでした。(実際はドラマにしてもまったく面白くないと思われますが・・・)

三浦ちゃんのHP
http://www.0823.org/
ご冥福をお祈りしています。


(22:24)

2008年10月12日

ノーベル賞取れないなら、イグ・ノーベル(粘菌)でいいか、と盛り上げかけた今年のマスコミ各社は、ド裏をかかれて、今年は本物のノーベル賞大漁でした。やはりというか、そういう運も含めて、日本のマスコミってすべてが間抜けていてダメで根本からどげんかせんといかんとつくづく思います。

しかも、せっかくのノーベル賞だというのに、ノーベル賞のあと追い取材も糖分ゼロっていうか内容ゼロで、あれを見て、「おっし俺もノーベル賞狙ったる!」って感じる若者がでてくるかは結構疑問で、湯川ちゃんとか朝永ちゃんとかの受賞は、結果それを見た若者たちがバトンをちゃんと受け継いで、今回の受賞につながっていると感じますが、そのバトンがどこかで落っことしちゃってるんじゃない?と若干不安にもなります。実際、このあたりどうなんでしょうか?

さらにノーベル賞そのものに関していえば、ヒッグス粒子でもミノフスキー粒子でもなんでもいいですが、何十年?も前に理論的に予想された粒子が見つかるので満足するような過去過去目線の賞では寂しい限りであって、今僕たちの前に何が広がっているのってところを見せて手段であってもいいはずです。

そもそも、アインシュタインの相対性理論だって、考えてみたら百年前の話で、音楽で言ったら「オールディーズ」を通り越して「クラシック」だし、ブランデーでいえば、VVVVVVVVXOPってくらいに古いはずで、その後、量子論って発見もあるものの、実は人類はそれ以上先に進めていないわけで、グローバル化して情報の量もスピードも格段上がっていると思われるなか、新たな開拓地(世界観)を発見するスピードだけを考えてみると、実際は、ガリレオとかニュートンとかアインシュタインとかがいた時代に比べて、決してスピードアップしていないわけです。

確かに、新しい世界観の発見というのは不連続的な現象であって、いろんなものがたまりにたまって、ぽっとってリンゴみたいに落っこちてくるものだと思われますが(パラダイム・シフト?)、21世紀ももう8年(7年?)たっているわけだから、なんかあってもいいはずです。

そんな目で世界を見渡してみると、ユークリッド以来、自然(神?)との知恵比べの主戦場となっている時空に関していえば、まだ、時間の問題(なぜ時間だけ一方通行かとか?)って、ほとんで決定打を打ておらず、しかし最近なんとなく「時間」ってものがキーワードになりつつあるような気もするので、あえて予測すると、次の世界観の大転換は「時間」に関するような気がしています。

でも実際、「時間」とは何なのか?なぜ時間は一方通行なのか?とか真正面から考えるとすぐ寝てしまうので(それはそれで意識上の「時間」は停止するわけですが・・・)、逆に、

・微小領域では時間が逆行している。
・宇宙の果てでは時間が逆行している。
・あるエネルギー以上で時間が停止する。

とか、「時間」がこんな性質だったら「面白い」とか「驚く」とか、ちょー個人的感覚で時間を考えてみるのも結構面白いです。いわゆるひとつの人間原理です。

時間のHP
http://www3.nict.go.jp/cgi-bin/JST.pl
1秒送れている。相対性理論か?


(23:04)

2008年10月10日

たぶん、目の日。

一 一
〇 〇

確かに目だけど、眉毛まであるとほぼ顔。顔の日。

十 十

絵文字風。これは目。

ということで、最近、なぜか話題のメガネについて、

ペイリンちゃんのトレードマークで、遅まきながらのアメリカでもメガネ萌えブームでしょうか。しかも、それがメイド・イン・福井だってことで政策そっちのけで日本でも盛り上がっているようです。

ということで、他の国の大統領戦まで食い込む福井のメガネ産業は、そのシェアの独占ぶりで有名ですが、精密機器とはいえ時計とかと比べて部品数は圧倒的に少ないはずのメガネ(フレーム)が、なぜこれだけ本当に狭い地域で独占できているかってのは結構不思議です。

ただ、何もかも中国製になる世の中で依然福井がそれなりのポジションを築いているってのは、何か秘密があるはずで、それはたぶん、メガネが装飾品であって、機能だけじゃなくて、それに裏打ちされたブランド力ってことにつきるような気もします。

例えば、見た目もまったく同じで品質も同じMade In Japan とMade In Chinaのメガネが並べて売られていた場合、値段の比が中国製が半分だとしても、いや逆に半分だからそこ、消費者は日本製を買うだろうし、メガネ・オタクでもない限り、メガネってのはそんなに本数はいらないわけで、そういう商品の値段ってのは他の製品に比べてこだわらないってのが基本にあるような気がします。

そうやって福井ブランドってものを考えなおしてみると、国内では、あまり冴えない県ってことでも、高品質なジャパン・ブランドと印象付けることによって、結構世界でやっていけるということだし、本当のジャパン・ブランドの底力ってのは、別に銀座の一等地にあるわけではなく、そういう一見冴えない地方の地元力に還元しそうでし、それが正常なのだと思われます。(たぶん、ヨーロッパのブランド力ってのもそういう地元力の集合体だろうし)

と、散々メガネについて書いてきましたが、実際のメガネの日は10月1日で、

1001

確かにじっと見てたらメガネっぽくもありますが、びみょー。

メガネの人のHP
http://ameblo.jp/tokito-ami/
そういえば、最近めっきり見ない。


(20:51)

2008年10月08日

世界同時株安。天下とったったつもりでいたであろうトヨタの株価もダダ落ちのようです。

そもそもT型フォードができてから、すでに約100年たっているわけだから、単にガソリンで動く自動車を昔ながらの方法で作り続けていること時代が特異な状況なのかもしれません。

確かにハイブリッドとか電気自動車とか、未来だぜ!の技術もありますが、まだまだふにゃふにゃで、今後、自動車の将来ってどうなるのかわかりません。

例えば、インドのタタ社の「ナノ」とかも、激安車として登場しそうになったし(本当に挫折したのか?)、今までどおりの自動車作りが今後も成功していく保障なんてどこにもないのです。

事実、ジャンルはまったく違いますが、パソコンだって昔はそれぞれの会社が独自のフォーマットで、わが社のアーキテクチャーはこれです。って各社が競っていた時代があっという間に「IBMコンパチ」という大きな流れに押し流されて、今では電器屋さんの店頭に並んでいるパソコンは、各大企業の名前で売り出していながら、中身は台湾とか中国製の部品の寄せ集めなわけで、仮に同じように、自動車でも共通フォーマットができちゃえば、日本のお家芸の総合芸術?としての自動車づくり(ものづくり)ってのも結構危うい立場に立たされるわけです。

さらにいえば、GMとかフォードとか世界を制していた会社が時代に適用できず、大きく沈んでいったってこと自体が、トヨタ式の繁栄ってのも泡沫の夢ってことがありえる証明にもなっていて、ひょっとしたら今回の世界恐慌もどきの中、ビッグ3に引きずられるように沈んでいく可能性だってあるのです。

ただ、こんなご時勢だから「チェンジ・ザ・ワールド」でいろいろチャレンジする絶好の機会でもあるのは事実であって、トヨタが、既存の自動車の枠組みを超えて、次に何を創り出せるかってところは要注目です。

いずれにせよ、プリウス頼みでは1手先で負けると思われます。

トヨタのHP
http://toyota.jp/
SINCE1867


(22:09)

2008年10月06日

タテ社会。言うよね〜!。

って、タテ社会とか縦割り行政っていうとイコール悪者で、倒すべきものってのが常識問題です。

趣味=図書館通い。最近ほぼ毎週のように近くの図書館で本を借りていています。時代はIT。読みたいなと思った本をインターネットで予約できて、しかも横浜市のどこかの図書館にあれば取り寄せてくれるし、準備できたらメールでお知らせしてくれるまでの親切設計。ちょっとでも読んでみたいと思ったときに即予約して、忘れたころにメールが来て、取りにいくっていう生活を送っています。

でも、予約した本だけだとすぐ読み終わってしまうので、図書館にいったついでに、2,3冊適当に本を借りて乱読していて、ほとんど普段興味のないことの本とかも無理やり読んでいます。

そんな先日、ふと目に留まったのが中根千絵の「タテ社会の人間関係」。なんか中学か高校のころ何かの授業で出てきたような気がしまが、どうせ日本はタテ社会だ。という当たり前の話が書いてあると思って、本屋とかで見かけても「これ知ってる枠」で無視していましたが、今回はあえて借りて読んでみる。

なるほど、内容はそのとおりのどストライクで、要は、日本はタテ社会基本の社会構造だって日本社会の分析にすぎませんが、この本の出版は1967年(昭和42年)で、何時代?ってほど大昔です。(そういえば福澤ちゃんの「学問のススメ」もこんな感触でした)

でも、実際内容を読んでいると、ほとんで今時点でもまったく同じ指摘をしているところがほとんどで、この本を1967年製であることを隠して現代人に読ましたら、能力主義は定着しないってところとか、ほとんどが、言うよね〜!。って話で現在の日本について述べたものだと思うはずです。

この本を読んであらためて実感したのが、日本人って大昔から、日本の構造がこうで、欧米基準じゃないと自ら分析しておきながら、実際の立ち位置はほんど変わっていないというところで、これはかなりDNAの中の方まで染み入った性だという証明になっているような気がします。

実際は、千絵ちゃんもそれが良いとか悪いとか意見を述べているのではなく、単に日本の社会構造はこうなっている、ということを客観的に述べているだけであり、日本のタテ社会は今でも現にあるし、それがDNAレベルの話なのであれば、そんなところを変に欧米基準に矯正する必要はないかもしれません。

事実、最近はアメリカ中心の世界のグローバルスタンダードがぐらついていたり、ロシアはロシアで中央集権的な社会への回帰していたり、21世紀も激動の時代であって、そもそも基準なんてものは存在しなくて、むしろ自国の社会構造の特異性ってのが、最後の最後で、その国の運命と言えば大げさですが、方向性を決めるような気もしてきます。

タテ社会の人間関係のHP
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1155059


(00:01)

2008年10月04日

国語の授業で学んだことが、今の僕の中でどんな形で生きているのかはわかりませんが、当然、消化不良?というか形が残っているものもあります。

だいたいは授業で何やっていたとか、ほとんど忘れてしまいましたが、なんとなく印象に残っている作品もあって、どれもすでにうる覚えですが、例えば小学校時代であれば「スイミー」です。

「スイミー」・・・たくさんの魚が、魚の形で泳いで、敵?を撃退するって話だったような。

中学校?では「車掌の本分」で、

「車掌の本分」・・・遊園地のアトラクションとして、人を乗せて走る汽車の車掌役を務めていたサルの話。サルの車掌と評判を呼び、客車の増結することになって、いつしか最後尾で車掌をしているはずのサルのすぐ後ろまで、先頭車両が来るまで車両が増結されて、自分の本分が果たせてないとサルがやる気をなくす話。「本分」って言葉を始めてしって、自分の本分は何かって結構、啓示的な問いかけでもありました。

その他、魯迅の「故郷」とか夏目ちゃんの「こころ」とか、いわゆる王道もので、これらは今でもことあるごとに、ふとシーン(ビジュアル世代)として再現されます。

それにしても今思い返してみても、国語って科目はよくわからず、古文とか漢詩であれば理論だった語学でそこそこいけていたわけですが、現代文の選択問題とか、まったくあてずっぽで答えていました。

ちょうど、その当時、清水義範の「国語入試問題必勝法」という本が出て、国語の入試問題の馬鹿馬鹿しさをコメディー(パティーシュ?)で表現していて、実際、入試で使えんじゃね?と感じるとともに、文章を書く人間がそういうのであれば、国語って科目は結構変な土台の上に乗っかっているのではって気づかせてくれたものです。

事実、「社会」でも「数学」でも大人になったら「大人の社会」、「大人の数学」というものがあるわけですが、普通に国文学者とかがやっていることは、別に学校で学んでいた「国語」の延長線上にはないと思われ、国語って科目は本当になんだろうって気にもなります。

昨今、国語教育の重要性が叫ばれていますが、ここでいう国語ってのは具体的に何をどうして、どういうアウトプットにつなげる気なのだろうか、とふと疑問に思った今日。

スイミーのHP
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=431
兄弟、みんな食べられてるのね。


(23:38)

2008年10月02日

雨が降ってて涼しいのは単に暗い気分になるだけですが、天気が絶好調に晴れているのに涼しいってのは、まさしく秋そのもので「秋、ちょー気持ちいいー」って叫びたくなるほど気持ちいいです。やはり季節の中で一番秋が好きです。

この前、ネットのニュースか何かで、女性がもっとも魅力的に見えるのは秋から冬にかけてっていう海外の研究結果が発表されていて、確かにこの時期ちょっと厚手のおしゃれな格好してる女性とか見ると「なんかいい」と素直に感じます。

ただ、この研究の方法が、季節季節で男性に「黒い水着の女性」の写真みせて、どんだけ反応するかって方法であって、水着女性に対して、秋から冬にかけてが一番反応するから、この時期の女性が一番魅力的って結論は、ぱっと考えると論理的になんか間違っているような気がします。

まず、男が反応してるのは、明らかにそのギャップに対してであって、例えば、普通は厚手の服を着ているはずの秋・冬に水着姿(しかも黒)は、夏と比べると、反応、さらに倍になることも容易に想像できます。事実、今回の研究結果でも、水着の写真に反応しない時期は、まさしく夏であって、これって水着ってものが季節もので、そういう結果がでるということを逆に証明しているわけです。

よって、これをもって女性の対外的魅力が、夏は低くて秋冬は上がるってことではないし、女性の対外的魅力ってのが生物学的に考えて発情であるとすると、人類全体の生年月日は十月十日で夏生まれ?が多くなるはずで、実際の分布がどうかは知りませんが、そんなの人間がすでに克服したはずの生物的本能であるはずです。

ってことで、あらためて記事をちゃんと読んでみると、実験を行った研究者本人も、ひとつの理由として、「(冬の水着姿)その希少さゆえ魅力的に見えるのでは」って推測しちゃってて、一年かけて研究したことが、ど素人が思いつく結論そのままで、がっくっときました。

と考えると、せっかく、女性の魅力の季節変化に注目するのであれば、季節の変わり目=衣替えのシーズンにこそ、そのピークがあるはずで、例えば、1週間単位くらいの間隔で「最近、女性が魅力的になってきたと思いますか?」という単純質問を1年間取り続けたら、衣替えシーズンとぴったりフィットする結果が得られると思われます(魅力衣替え仮説)。暇な誰か調べてくれないかな。

水着の写真見せて男の反応みる研究ってのも、暇といえば、暇の極致なわけで・・・。

魅力的な女性のHP
http://www.mtvjapan.com/news/celebrity/14079
魅力っていってもいろいろということ。


(23:17)

2008年10月01日

バナナ。

もはやコメディーです。バナナ・ダイエット。

バナナ売れすぎで、ダイエット目的でなく普通にバナナ食べたい人たちがバナナを買おうとしても、売り切れていたりするらしいです。

でも、普通にバナナを買いたい人ってそんなにいるものか?果物目的としてであれば、他にも似たような果物を買えばいいし、小腹がすいているいるのであれば芋でも食べておけばいいような気もします。

よって、バナナダイエットけしからん(俺・私のバナナがないじゃないか)、っていうのは本来は言いがかりで、この反応も今回のコメディーの一要素として組み込まれていると判断するのが普通だと思われます。

実態は、それは偏食すればやせるでしょう。ってのが本当のところで、これまでの○○・ダイエットってのも正式名称は、○○偏食・ダイエットであり、今年度はバナナちゃんが当選しただけの話であって、ファッション業界と同様、来年の春夏ものはこの色が流行!って決めてみんなで従うとのと同じことです。

それにしても、この種のダイエットって、実際のところ、どのあたりの層が夢中になるのでしょうか?性別女性はわかるのですが、今度の休みにでも近所のスーパーに出向いてバナナ・コーナーをこっそり定点観測して、年齢層とか見た目(実際太っているか、ついでにかわいいか)とかいろいろ分析して、自分なりに、この国のダイエットの神秘というものの結論を出してみようと企んでいます。

といいつつ、そんなことを企てていること自体がブームに乗っかって騒いでるということであり、自分自身も実はコメディーの一部だということです。

バナナ・ダイエットのHP
http://www.asabanana.net/index.html
オフィシャル?


(23:50)