今まで津波の映像などは紹介していませんでしたが、今後の戒め防災の危機意識のために選びました。
石碑などにも記されていますし、明治には条例で家を建てるななど古くからの言い伝え戒めを大事にしなくてはいけません。
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 大津浪記念碑
 高き住居(すまい)は児孫(こまご)に和楽(わらく)、想へ(おもえ)惨禍(さんか)の大津浪(おおつなみ)、此処(ここ)より下に 家を建てるな。

【児童の命救った「お・は・し・も」とは】
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TBS系(JNN) 3月28日(月)19時4分配信

 釜石市の鵜住居小学校。大槌湾のすぐそばにあります。時計の針は、津波が襲った時間で止まっていました。

 「地震の直後、児童たちは津波から逃れるため、学校からこの道路を使って高台へと避難していきました」(記者)

 死者・行方不明者1200人以上という釜石市の中でも特に甚大な被害を受けた鵜住居町。しかし当時、この学校にいた児童350人はすぐに避難し、全員が無事でした。

 「最初に下級生が逃げて、最後に上級生が逃げた」(5年生の男子児童)
 「鵜住居を見たら家とかが全部なくなっていて、もう無理だって」(3年生の男子児童)

 「最初の避難所では危ない」、とっさの判断で、児童たちはさらに高台の避難所を目指します。

 「避難所まで行ったけれど、そこも危ないってなって。いっぱい避難所をかえた」(4年生の女子児童)

 津波の危険と隣り合わせとも言える港町の小学校。学校では、学期ごとの避難訓練に加え、隣の中学校との合同訓練も繰り返してきました。さらに津波警報のレベルに加え、地震の発生場所、その時々の状況に合わせて臨機応変に避難することも訓練していました。

 「1年生のころから、津波や地震、火事の避難の練習をしていて、役に立ったなと思った」(4年生の女子児童)

 「津波が来る2日前くらいに津波の新聞を書いていました。津波の恐ろしさとか津波の速さを勉強していたので、すぐ逃げられて助かった」(3年生の男子児童)

 津波が直撃したにもかかわらず、児童350人全員が無事だった鵜住居小学校。子どもたちの間には「お・は・し・も」という合言葉がありました。

 「押さない、走らない、喋らない、戻らない」(児童)

Q.守れましたか?
 「走ってたけどね」(児童)

子どもたちの命を救った「お・は・し・も」。
この防災学習の基本は、子どもたちの避難に徹底されていました。
鵜住居小学校では、児童の6割以上が自宅を失い、避難所などで生活を続けています。
津波から、いかに身を守るか。日々の訓練の成果は、子どもたちの中にしっかりと残っていたのです。




あっという間に津波が迫ってきます。。。



これがたぶん一番早く有名になった映像です(気仙沼)
















これらの動画は後世に伝えていかなければいけません。




追記
肩まで水も…カメラ離さず奇跡の生還
2011.4.15 10:57

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 dst11041511050019-p2 取材中、凄まじいばかりの津波に流される千葉東也さん。その生還はまさに「奇跡」だった=3月11日午後3時25分ごろ、岩手県釜石市(国土交通省釜石港湾事務所提供)

 岩手県釜石市の釜石港近くで、地元紙・岩手東海新聞社の記者、千葉東也さん(36)が津波にのみ込まれる場面を、国土交通省釜石港湾事務所職員が撮影していた。

 千葉さんは奇跡的にすり傷や打撲だけで生還。写真には、いくつもの車とともに流され、肩まで水に漬かりながらもカメラを手放さない千葉さんが 生々しく写っている。


追記 2011/4/20
【地震】釜石港に津波襲来時の映像 海保が公開(11/04/17)




追記 2011/4/29
3月11日にUP主が自宅ベランダで撮影!
流されて電線に掴まっている人は俺が助けました!
(コンテナに乗っていた人)
場所は石巻の渡波中学校の辺りです!