2009年04月28日

哀悼 小川 薫

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昨夜、小川薫が小菅の東京拘置所で亡くなった。
人づてに糖尿病が悪化して、人工透析を受ける身で、
体重も40kになっていると聞いていた。
当局は拘置所での死亡を嫌うので釈放されるのではと
思っていたが、娑婆に帰ることなく拘置所であの世に逝った。
今朝の朝刊で知って、ひたすら冥福を祈っている。

彼とは中学1年、昭和25年(1950年)野球部からの付き合いだった。
3年間、密度の濃い付き合いだった。
今は走馬灯のごとく当時のことを想い出す。
社会人になり、昭和43年(1968年)東京で再会したが。
彼は売り出し中の総会屋、自分は株屋。
この頃の小川薫は素晴らしかった。
独特の耳学問と嗅覚で、正義感溢れる生き方をしていた。
その後、付き合いも深まり、T&C設立につながったが、
『ピンク・レディー』が脚光を浴びるにつれて、
彼との仲はギクシャクしてきた。
どうしてこれほどまでに無理難題を持ちかけてくるのかと
昔の小川薫からは考えられなかった。
警視庁捜査4課に持ち込むまで、彼の無理難題は収まらなかった。

彼がいなかったら、あのような{『ピンク・レディー』も
この世に存在しなかった。

しかし時が過ぎ、全てが風化し、少年時代の彼との想い出が懐かしい。

(写真は中学3年の秋、厳島神社で、私の後方が小川薫)





nukirenew40 at 12:13│Comments(3)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by 西川   2009年04月30日 12:39
昨日、雑誌で危篤だというのを読んで、
貫さんのブログに何か書いてあるかなあと思ってここにきました。
亡くなったんですね。
今、新聞とっていないので、知りませんでした。

貫さんのブログで、小川薫氏の存在を知ったのですが、
野球部時代の小川薫と、後の総会屋としての氏と、
やはり繋がらないです。
貫さんの人生に、再び興味持ち始めました。
2. Posted by 貫   2009年04月30日 19:47
西川さん
我々中学生時代は決して不良少年ではありませんでした。暑い日も寒い日も野球の練習に明け暮れる毎日でした。広島カープが誕生したのが中学1年生のとき、話題と言えば野球のことばかりでした。T&C時代、1977年からの私への圧力は今振りかえっても許しがたいものでした。競艇他バクチが彼の人生を狂わせたと思います。少年時代、総会屋の初期の頃は素敵な男でした。
3. Posted by k-ogw   2013年09月11日 23:10
2009*04*27午後8時38分
小川薫逝去

死者にむちうつことは言いません。

それが愛かもしれませんね

どんな思いで死んでいったか知りたいです。
本人は死んでないと思います。
何時も何処でも話題に欠かない人でしたから・・・

いまだに、思い出話に泣いたり笑ったり怒ったりで、ずっとずっと側にいて守ってくれています。

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