2011年04月02日

相馬 一比古

 3・31のピンク・レディーの初陣式とかやらは上々の出来だったようで良かった。
当日は会場に足を運ぶことなく、自宅でいつものように過ごしていた。
事前にビクターさんからお誘いがあったが、丁重にお断りした。

 今年の3・31はむしょうに相馬とのことを想っていた。
解散後幾度となく再結成を繰り返したのは相馬がいたからだと思う。彼は影になり日向になり再結成に手を貸していた筈だ。メモリアルのときは、自分の死にかえて人気を盛り上げたと考えている。

 ピンク・レディーに関しては素晴らしいプロデューサーだった。私に関しても素晴らしいプロデューサーでした。ミーケイ同様全くど素人の私を芸能界の、音楽業界の、テレビ局のイロハを手取り足取り教えてくれた。

 『ピンク・レディー』源は本人たちが自らユニットを結成したこと、相馬・飯田氏がスター誕生で手を上げたこと、全く運命の出会いだった。
1976年4月、相馬は私と出会い、走り出した。彼もナベプロ、芸映で培ったノウハウをピンク・レディーに全て出し切った。ミーケイは彼にとっては一生一度の出会いだったと思う。ことピンク・レディーに関しては、彼は天才だったと評価している。

 彼から学んだノウハウを生かしてアメリカに乗り込もうとした私でしたが、
夢かなわず挫折しました。

 相馬に出会えた運命に感謝しています。
草葉の陰にいる彼と『おい! 君ならどうするか?』と語り合っています。

 懐かしい、懐かしいわい・・・年がそうさせるのか。

nukirenew40 at 08:24│Comments(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by 西川   2011年04月04日 18:37
貫さん、しばらくでした。
31日は前日に盲腸の手術をし
さすがにケイちゃんみたくラップ巻いてとはいきませんでした(笑)
入院しばらく続きます。
貫さん、またおあいしましょう!
2. Posted by 貫   2011年04月05日 08:23
西川さん

 健康あっての人生、しっかり養生しましょう。
私は昔ピンク・レディーとはビジネスとして関係した過去の人間です。昔のピンク・レディーで充分です。

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