2018年02月08日

とっておきの讃美歌物語

先日、学生さんと「とっておきの讃美歌物語」というビデオをみました。その中には、5つの有名な美しい曲がえらばれて、その歌の誕生秘話が語られていました。

讃美歌(プロテスタント教会での呼び方)や聖歌(カトリック教会での呼び方)には、その音楽や詩を作った方々の思いや生き方が綴られています。「きよしこの夜」、「いつくしみ深き」、「アメイジンググレイス」、「諸人こぞりて」等は、メロディーを聴けば、どなたでも知ってられるのではないでしょうか。

特に、「いつくしみ深き(What a Friend We Have in Jesus)は、教会での結婚式や葬式などで、よく歌われています。また、明治43年(1910)に文部省唱歌となった「月なきみ空に」から始まる「星の界(よ)」または、「輝く夜空の星の世界よ」という「星の世界」の原曲は、この「いつくしみ深き」です。作詞者は、アイルランド人のJoseph Scriven(1819-1886) です。

彼は、富裕な家に生まれ、歴史のあるトリニティカレッジで学び、結婚式の前日に、婚約者が事故で、川に落ちて、溺死となり、故郷にいるのが、つらくて、カナダに移住し、オンタリオの学校で教鞭をとっていました。その傍ら、祈りと貧しい人に尽くす毎日でした。また、カナダでもよい方に巡り合い、結婚の約束を交わしますが、婚約者は、又、結婚式前に病気で、なくなりました。それでも、貧しい人をたすけ、慎ましい祈りの生活は、変わりませんでしたが、次第に身体を壊し、友人宅にお世話になっていました。

ある日、川縁で祈りたいとでかけていきましたが、あやまって、用水路に落ちて亡くなりました。助けられた時には、祈っている姿のままだったという事でした。

1855年に、故郷に残してきた母が、病気がちだったので、彼女を慰めるために、自分もいつも励ましてくれる「友達としてのイエス様」の詩をかき、母に送りました。その詩に弁護士でもあったアメリカ人Charles Crozat Converse(1834-1918)が1870年に作曲して 発表しました。


Are we weak and heavy-laden, いつくしみ深き 友なるイェスは
Cumbered with a load of care? 変わらぬ愛もて 導き給う  

Do thy friends despise, forsake thee? 世の友我らを 捨て去るときも
Take it to the Lord in prayer! 祈りに応えて いたわりたまわん  


「聖夜:きよしこの夜」は、Joseph Mohr(モール)神父の作詞、作曲は、Mohr神父の親友に小学校の校長のFranz Xaver Gruber{グルーバー}がいました。二人は、教会の音楽について、散歩をしながら、よく話しました。何か、誰でも歌える心に残る歌をつくりたいといつも話していました。

ある日、Mohr神父は、生まれたばかりの子供の洗礼式を依頼され、雪の中、遠くまでいきました。その静かな景色の中、可愛い幼子を見たとき、イエス様が馬小屋で、うまれたときもこういう風だったのではないかと、その光景を思い出しながら詩をかきました。

クリスマスが近いので、ぜひ、オルガン伴奏で歌える曲にしたかったのですが、オルガンの修理は予定の通りにできませんでした。考えたあげく、Gruberに相談して、ギターの伴奏にしてもらいました。そして、今、私達が知っている「聖夜:きよしこの夜」となりました。覚えやすい、清らかな美しい聖歌です。


Silent night, holy night 静かな夜、聖なる夜
all is calm, all is bright 全ては落ち着き、全ては輝いている
round yon virgin mother and child. あそこにおられる処女の母と子のまわりに
Holy infant, so tender and mild  やさしく、穏やかな、聖なるおさな子
sleep in heavenly peace, 天国のように安らかに眠っておられる。


アメージング•グレース(驚くばかりの めぐみAmazing Grace) は、イギリスの牧師 John Newton (1725-1807)の作詞です。ニュートンの母は、敬虔なクリスチャンで、病弱でしたが、ニュートンが7才の時になくなるまで、聖書や祈りなど、彼に熱心に教えていました。

ニュートンは、母の死後、父が商船の指揮官だったので、船にのり、次第にアルコールにもおぼれ、仕事もせず、人からももてあまされるほどでした。船は、奴隷船で黒人達を動物以下の扱いをして、イギリスも、ニュートンも、多くの利益を得ていました。

有る時、大嵐が大海の中の船を木っ端みじんにして、ニュートンは、死を覚悟しなければいけませんでした。船が沈みかけたとき、ニュートンは、 幼い頃に、母にならった祈りを思い出し、心から祈りました。そして、嵐が静まり、祈りで、約束したように、改心をし、奴隷船を降り、母が希望していた牧師職になるため、勉強をし、トマス•ア•ケンピスの 「キリストに倣(なら)いて」を読み、 実行もしました。ついに、牧師になり、多くの賛美歌を作りました。Amazing Graceは、彼の反省記でもあります。教会の説教でも、彼の過去の奴隷の売買をしていて、ひどい生活をしていたが、救われ、今、このように生きていると、下の歌となりました。

Amazing grace (how sweet the should) 驚くほどの恵み(どんなにか甘い響き)
That saved a wretch like me! 私のような者を救ってくださた。                                                                          
I once was lost but now am found かって私は、道に迷い、今、見つけられた
Was blind, but now I see かっては、盲目であったが、今は、見える。


今なら、ヒップホップや、ラップで、自分の思いを即、表現したりするのでしょうが、その時代は、リズムやビートやダンスの代わりに、美しいメロディーと何年もかけて大事に作られた言葉で、神への賛美がうたわれ、そして、それらは、今に引き継がれているのです。どこかで、上記の歌を聴かれたときは、「詠み人知らず」ではなく、確かに その歌を作り、その歌を歌い、生きる「ささえ」にされていた歌であることを思いだしてください。

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2018年01月30日

オープンキャンパスの思い出

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私がこの学校を見つけたのは高校一年生の時です。私は英語が本当にできなくて、だけど英語が出来るということへの憧れを捨てきれずに高校二年生から英語に少しずつ取り組み英検準二級を取得しました。英検2級の道のりは本当に長かったです。しかし、この学校で日本人の先生から学ぶ英語とネイティブの先生から学ぶ英語により、Writing,Reading,Speaking,Listeningの4つを伸ばすことができました。


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また、昨年の冬にはアメリカの短期留学のホームステイプログラムに参加しました。ホストファミリーの英語を聞き取ったり、コミュニケーションを取ることができるか不安でしたが自然に聞き取れることができました。また、ホストマザーから「今までの子はトランスレイターが必要だったけどあなたはいらないね」と言われた時は本当に嬉しかったです。

nunoike at 12:04|PermalinkComments(0)clip!

2013年01月15日

レ・ミゼラブルを見ました

定評の通り、「レ・ミゼラブル」は、アカデミー賞の前哨戦となるゴールデングローブ賞を獲得しました。
ヒュー・ジャクソンとアン・ハサウェイは、コメディ・ミュージカル部門で主演男優賞と助演女優賞に輝きました。
その「レミズ」を観てきました。

1985年の初演以来ミュージカル界の金字塔と言われていて、それが劇場でなく映画になりました。 オーストラリア人で、Nicole KidmanとAustraliaという映画に出演された Hugh Jackman(Jean Valjean)、ニュージーランド出身で、オーストラリア俳優の Russell Crowe (Javert)、 Gladiatorでアカデミー賞を獲得。 Anne Hathaway (Fantine)は、The Devil Wears Pradaで、Meryl Streepと演じ、演技にも定評があります。

Amanda Seyfried (Cosette)は、Mamma Mia でMeryl Streepと楽しく演じています。
Eddie Redmayne (Marius Pntmercy)は英国の名門 Eton 校で学び、 Prince William王子と同級生であったそうです。その後、Cambrige大学で美術史も学ばれたそうです。
その他、 Helena Bonham Carter (Madame Thenardier)、Sacha Baron Cohen (Thenardier)、Samantha Barks (Eponine)、各俳優さんのキャリア等を調べてみても「さすが」だと興味深く、また、俳優さんであっても、その歌唱力には驚きです。
皆さんは、だれのどの歌が好きでしょう。

ちょっと昔の方だと、レ・ミゼラブルと言えばヴィクトル・ユゴーの小説「ああ無情」という題で、1本のパンを盗んだ罪で19年服役したジャン・バルジャンの物語と思い出されるでしょう。
ところが、ミュージカルからは、色々な形の人間の愛が一つ一つの歌を通して大事に描かれているという感じがします。モンセニョール・ミリエルのキリスト教的愛、どんなに高価なものでもなくなっていくものを大事にするのでなく、無くならない心を正しく育て、正直に生きるようにとさとします。

バルジャンは、長い監獄生活の中で社会に対する憎悪の塊であったが、モンセニョールの深い愛に触れて貧しい人に尽くす市長にまでなり、コゼットを心から愛し育てる。コゼットがバルジャンに助けられるまではテナルディエ一家からむごい仕打ちを受けて、ネガティブで、弱々しい子供であったが、その後、修道院で教育を受けたり、バルジャンの愛によって、笑顔をとりもどし、マリウスを愛し、結婚する。

マリウスは、貧乏な 青年弁護士で夢想家な美青年だった。革命に参加し、死の直前であったが、バルジャンに救われ、愛するコゼットと結ばれる。

マリウスの愛するコゼットの住まいを教えたのは、エポニーヌでした。エポニーヌは、マリウスを愛しているがそれは、マリウスの心をしめているのはコゼットのみ。

エポニーヌは、マリウスを助けようと自分も革命に参加し、弾に倒れました。死の直前、マリウスに一度でいいからキスをと願い、それは、実現されマリウスの腕でなくなります。

エボニーヌの両親のテナルディエは、安料理屋の主人で、まじめに働くことはなく、かっぱらいで、コゼットの洋服でさえ、質屋にいれたり、幼いこぜっとを女中として奴隷のようにはたらかせ、虐待をしていました。

テナルディエ婦人も夫にまけず悪党で、娘を愛することができるが、息子二人は売ってっしまったり、コゼットのような他人の子供には愛情がもてなかった。

美しい髪と前歯をもつ可憐で美しいコゼットの母のファンティーヌ、帰ってこない恋人を待って、コゼットを一人で育てようとするが、売春にも走り、精神的にも肉体的にも極限に達し、コゼットに会うことだけ願って、帰らぬ人となってしまう。

自分にも他人にも厳格な 法律の番人のようなジャヴェール警部。ヴァルジャンを追っている。ジャヴェールは暴動の際、警察のスパイとばれて、暴徒に処刑されるところ、ヴァルジャンに助けられます。その後、ヴァルジャンがマリウスを助けてバリケードを脱出する姿も見ます。ジャヴェールにとっては、法律が神であったが、法が語っていることは、必ずしも全てではなく、又、社会も完璧にできていないことを実感し、頼るものを失った彼は、ノートルダム橋の欄干から投身自殺をしてしまった。

それ以外にもたくさんの人がでてきます。そして、どんな小さな子どもでも、貧しい洗濯女でも、革命でなくなっていく名もない学生でも、みんな大切な人生をもっています。そして、悪党であるはずのテナルディエ夫妻も可愛い人間として描かれ、一緒に、楽しく歌ってしまいます。


英語の勉強で、だれかの歌の一部をみてみましょう。

例えば、EponineのOn My Ownです。小さい時は、母や父と一緒になって、Cosetteを蔑みこき使っていたのに、Mariusを心から愛することから真の愛がどういうものかがこころからわかりました。MariusにCosetteの場所を教えることは、もうEpponine がMariusにあえなくなってしますことになります。でも、Mariusの幸せを願って、Cosetteの住んでいる所をおしえます。それは、自分のためではなく、相手のためにしてあげる神の愛の行いと同じになります。Javert は、Valjeanの自己のためでなく、他人のために命をささげるまでに働く姿をみて、法律できめる正義ではなく、神のされる正義、愛をわかっていきました。それは、Valjeanがほしがっていた高価な銀器をすべて、彼にあげたMonseigneurの愛の行いから続いています。

Monseigneurはいいます。

You must use this precious silver (この高価な銀器を使いなさい)
To become an honest man (正直な人間になるために)
By the witness of the martyrs(殉教者達の証人のもとで)
By the Passion and the Blood(身体の中に流れる血と情熱で)
God has raised you out of darkness(神はあなたを暗闇の中から救ってくださった)
I have saved your soul for God!(だから私はあなたの魂を神のために高価な銀器ととりかえて救ったのです)

そのことばが土台にあるので、EponineのOn My Ownの歌が寂しい、うらみの歌でないことがわかります。
I love him 私は彼を愛してる。
But everyday I’m learning でも、日毎にわかるの。
All my life I’ve only been pretending 今までずっと、自分だけがその気になっているだけ。
Without me his world will go on turning 私がいなくても彼の世界は廻り続ける。
The world is full of happiness その世界は幸せでいっぱい。
That I have never known それは、私の知らない世界。
I love him, I love him, I love him.. 彼を愛してる、愛してる、愛してる..
But only ただそれは、
On my own 私だけの片思い。

本当に、寂しい、悲しい歌なんですが、彼女は、Mariusをうらんでいるのでもなく、Cosetteをねたんでいるのでもなく、自分がひとり彼をおもっているだけだと言っているだけなんです。ある意味では、潔い歌ともいえます。すべて人生、自分のおもうようには、いかないことが多いのですから。
このように、一つ、一つの歌が、メインストリームでない普通の人達に多くの力をくれます。
Youtubeで歌を聞いてみてください。また、ちがった歌を調べてみませんか。

1月14日、成人式おめでとうございます。

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1月14日、成人式おめでとうございます。
St.Mary布池外語の入学式や卒業式をする聖堂でも、ミサ中に成人のお祝いの式がありました。

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St.Mary布池外語のエクステンションコースで、ずっと長く英会話やアメリカのホームスティに参加してくださった「ひかりさん」もお着物で、 成人になられた抱負を話してくださいました。

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あなたの成人式はどうでしたか。目標にむかって、頑張ってください。

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2012年12月15日

Happy Christmas!!

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少し早いクリスマス会をしました。

最初のプログラムは、グループ毎に、決められた時間にどれだけの英単語が正しく書けるかというので、アメリカやイギリス出身の先生達も一緒に参加して競いました。
一番沢山、正しくかけたグループは、プレゼントをもらいました。
クリスマスケーキのデコレーションをグループ毎にして、どれが一番美しくできたかも競いました。校長先生にも参加してもらって、選んで頂きました。一つをえらぶのは、難しかったですが、飾りの一つ、一つのいちごにまでスマイルがかかれていたり、可愛い人形ができていたり、かなりの作品ができていました。先生も、みんなも、一生懸命につくりました。

それから、皆で持ち合ってきたプレゼントを1人1人えらんでいきました。残りの時間は、好きな人は歌ったり、先生方はダンスらしきものをされたりお話ししたりで、楽しく過ごしました。

2012年12月01日

Christmas in Philadelphia

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Growing up in the western suburbs of Philadelphia, I have many fond memories of Christmas. The gently rolling hills and numerous residential streets make for a picturesque Christmas season—though we have a white Christmas only about once every three or four years.
For my family and I, keeping our traditions each year is very important. As a child, my sister and I always had chocolate advent calendars that started with December 1. Each day, you would open a new “door” and eat a piece of chocolate in the shape of a star, tree, stocking, etc. As more doors were opened, we knew the best day of all was soon coming. While I don’t eat chocolate pieces anymore, I still start a calendar each December 1.

The first weekend of December was always the day we cut down a Christmas tree and put some lights outside the house. Our street would soon be lit up with each house’s display. Whenever it snowed, the lights would shine warmly and softly from the icy surface. Soon after, we would decorate the tree. My mother always seemed to overflow with energy when we opened up the box of ornaments. She would play a Christmas album, a perennial favorite was Kenny G, and randomly start singing from time to time—a trait I must have inherited. The ornaments themselves represented every Christmas that came before, starting with an ornament my Sister and I both had from the years we were born. Each year, we would add a new ornament or two to the collection for future years.

As for food, my father always made a batch of fudge as well as pinwheel-shaped cookies rolled with dates and walnuts. The cooling treats would flood the house with their tantalizing aromas. Both recipes were and still are phenomenal. My mother would often make butter cookies that we would cut out into different shapes and cover with icing or sprinkles or both. As tradition required, we would leave a few out for Santa on Christmas Eve. More recently, we enjoy a large pot of wassail, made with burgundy, cinnamon, lemon, and some secret spices. One pot usually lasts several days. Finally, Christmas morning we always had Belgian waffles an inch thick and topped with everything from strawberry and banana to chocolate and cream. Needless to say, the food was good.


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On Christmas Eve, we would have a small potluck party with our neighbors. I remember one year there was so much snow it took us almost twenty minutes to reach them. At night, we went to a special service at church that always ended at midnight. The bell choir was rather talented and would perform a number of songs to begin the service. At the end would be a candle-light singing of Silent Night that is rather peaceful with an almost ephemeral atmosphere. At the end of the song, the organ would triumphantly play Joy to the World to mark the beginning of Christmas Day.
While Christmas is marked (and often marketed) as an exciting time of sweets and presents during childhood, the season slowly becomes a time of celebrating family and remembering all the Christmases past and those yet to be.



[部分要約]
フィラデルフィアのクリスマス
フィラデルフィアの西部郊外で育ち、私は、クリスマスの多くの懐かしい思い出を持っています。ゆるやかにつながる丘や多数の住宅街は3、4年に一度はホワイトクリスマスになりますが、絵画のようなクリスマス・シーズンをむかえます。私の家族と私にとって、毎年私たちの伝統を守ることは非常に重要なことです。

子どもの時、私の姉妹と私は、12月1日で始まるチョコレートアドヴェントカレンダーを常に持っていました。毎日、新しい「ドア」を開け、星、木、ストッキングなどの形の中のチョコレートを1個ずつ食べます。より多くのドアが開かれるとともに、私たちはすべての最高の日が来ることを知っていました。
12月の最初の週末は、いつも私たちがクリスマスツリーを切り倒し、家の外側にいくつかの明かりを置きました。母はクリスマス・アルバムを演奏したもので、いつものお気に入りはケニーGで、私が引き継いだ特徴でありますが勝手気ままに次から次へと歌い始めます。オーナメントそれ自体は、私の姉妹や私が生まれた年から使っているものから毎年クリスマスを飾りました。

食物に関しては、いつも父は日付とクルミで回るおもちゃの風車形のクッキーと同じように一組のファッジを作りました。私の母親は、私たちがいろんな形に切り取るバタークッキーをしばしば作り、砂糖で飾ったり、振りかけたり、あるいは両方で覆います。伝統が求めるように、私たちは、クリスマスイブにサンタのために少数を残します。最近、私たちは、バーガンディ、シナモン、レモンおよびいくつかの秘密のスパイスで作られる、大きなポットの祝いを楽しみます。最後に、クリスマスの朝、私たちはいつも1インチの厚さのベルギーのワッフルを持って、イチゴとバナナからチョコレートおよびクリームまでの全てで上部に飾り付けました。

クリスマスイブには、私たちが隣人と小さなポットラックパーティーを開きます。夜、私たちは常に真夜中に教会での特別な儀式に行きました。ベル聖歌隊は、儀式を始めるためにあたり多くの歌を演奏したものです。終わりには、きよしこの夜を歌いながらキャンドルサービスを行い。歌の終わりに、オルガンは、クリスマスの始めを示すために世界に勝ち誇って喜びを演奏したものです。

ホワイトクリスマスは幼年期に甘い物とプレゼントの刺激的な時として記憶されていますが、この季節は、家族を祝い、過ぎ去った、まだあるクリスマスのすべてをゆっくりと思い出す時となっています。

クリスマスの飾り付けができました。


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学校の庭と入り口ロビーに、クリスマスの飾り付けができました。クリスマスが近くなると、また、もう少し、飾りも増えるでしょう。飾り付けをしてくださったのは、Lidija Elliott先生、Brian Robinson先生、James Herron先生と学生達です。先生方は、イギリスやアメリカの本国でのクリスマスの準備を思いだしながら、してくださいました。

特にBrian Robinson先生は、小さい頃からのクリスマスの準備のことを書いてくださいました。先生は、「英語で音楽」の授業も担当してくださっていて、今は、クラスで、クリスマスの音楽も歌ったり、自分達もつくってみたりしています。先生は、ピアノ演奏もお上手ですが、学生たちもピアノやギター等を一緒に演奏したりすることもあります。Brian Robinson先生の書いてくださったクリスマスのお話をよんでみてください。

2012年11月07日

英語の映画で学ぶ「哲学•倫理」 (St. Maryの Life Science の授業)

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St. Maryの Life Science の授業は、「映像でみる哲学倫理」の授業です。
例えば、次のような映画を題材にする場合があります。授業の内容は根本的に変わらなくても、映画は変わる場合があります。

今回のテーマは、「人生は、失敗ばかり、つらいことがあるのが、普通で、それをどのように、克服していくか」というものです。

例えば、アメリカの映画で、現地ではそんなに評判のよかった映画ではありませんが、The Open Road (最高の人生の選び方)という映画があります。その映画を通して次のようなことを学びます。


マイナーリーグのプロ野球選手の カールトンは、スランプから脱せずいました。監督から次の試合次第では降格だと告げられます。
そこへ母親キャサリンの心臓が悪化し、すぐにでも手術が必要だと連絡が入り、病院へ駆けつけます。キャサリンは手術前に、別れた元夫のカイルにもう一度会いたいとカールトンに願います。カールトンはガールフレンドのルーシーを伴って何年も音信不通の父親カイルのいるテキサスへ向かいます。
カイルは元・大リーガーで知らぬ人がいないくらいの人気スター選手で、サインをしたり、人生相談にのったりと、退役した今でも人気者です。ただ、妻や息子との付き合いはうまくいかず、カイルを飛行機に搭乗させようとすると財布を忘れセキュリティ検査を通れず、車で旅をすることになったり、HOTELで、取っ組み合いの大げんかになったり、また、カールトンとルーシーもまた、3人はバラバラ状態です。カールトンは野球も家族もガールフレンドとも上手くいかず、人生最悪な状況になっています。
その時、アモンという年配の友人が、「人生は、失敗ばかりだ。」と言われます。そのことばをかみしめて、色々な出来事を通じて成長していくというお話です。その「人生は、失敗ばかりが、普通」という考え方は、ある意味でホッとさせることばです。

NHKで、ジェームス三木脚本の「薄桜記」というドラマがあります。
理不尽なことですが、主人公の丹下典膳は、妻の名誉を守るために、右手を失い、職も家もすべて失うことになります。妻の千春が、本当のことを話して撤回してもらうよういいますが、そうすることは、妻とその家にすべてに害が及ぶので、今のままでよいといいます。その時、徳川家康のことばをもちだして、武士道を説きます。
そのことばは、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、….人生重荷をおうのは、当然で、必要なら、主君のために、いつでも死ぬといいます。
武士道については、別として、家康の「人生は、重荷を負って遠い道を行くようだ」というのは、アメリカの現代映画The Open Roadと同じテーマです。人生は、失敗ばかりのようなものだが、それを、誠実に、一つ、一つ、不器用でも、失敗から学んで立ち上がっていけばよい。失敗を受け入れること、重荷を負う人生を受け入れることを学びなさいと言っているわけです。

このように、Life Scienceでは普通の映画のなかから、人生の大切なこと、差別や社会問題なども、映画を通して学びます。

「英語をものにしたい」「英語で仕事がしたい」と考えてられるあなたにヒント

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英語の学びかた、マスターの仕方は、人によって異なります。ある方に、よいことであっても、もう一人の方には、役にはたたないかもしれません。でも、参考に色々読んだり試したりしてみることは、よいことではないでしょうか。

卒業生のお話ですが、海外帰国子女でもなく、特別な英語訓練を特別な学校で学ばれた訳ではないのですが、発音も綺麗て、Native のようにお話ができるという学生がいました。現在の学生さんの中にもいます。
それは、どうしてそうなれたのかと聞きますと、映画をみて使えそうなことばを書き取って、何度でも、きいて、見て、口をまねて話せるようになったということです。

また、別の例で、最近聞いたお話ですが、岩井俊二さん(映画監督、映像作家、脚本家、音楽家で、現在はロサンゼルスで活躍されていて、ハリウッドで長編映画「vampire」を撮影したそうです。)の場合は読書からでした。岩井さんは、撮影で初めてアメリカを訪ねられた20代後半のとき、彼はホテルの部屋からフロントに電話する時、相手の英語は全く分からず、「May I help you?」さえもわからなかったそうです。そこから一念発起して英語学習に力を注ぎ始められ、彼の英語上達のきっかけは、読書で「flowers for Algernon(アルジャーノンに花束を)」(最初の洋書の読書)だったそうです。最初は1ページ理解するのに1ヶ月程かかったそうです。そして、時間をかけ、苦労をして読み終えたそうです。
3冊目のペーパーバックを読み終えた頃には、1ページにわからない単語が2、3個までになっていたそうです。ロサンゼルスに渡ってからは英語で脚本も書き始められ、 現場では英語で演出映画製作に携わっておられるそうです。

もう一人の例は、多摩大学学長であったグレゴリー•クラーク先生です。先生は英国生まれで、オックスフォード大学修士課程修了後、オーストラリア外務省入省されたり、外交官として中国、旧ソ連に勤務されたり、新聞局、上智大学にも勤務され、日本人の英語教育に関しても、「クラーク先生の英語勉強革命」(ごま書房)等、多く書かれています。先生は、中国語や、ロシア語もご堪能ですが、日本語を習得された時は、天気予報を毎日聞いて、そのことばを覚えて、実際の会話に使って行ったということがかかれているのを覚えています。先生は、Deep Listeningと言って、よく聞くことを勧めておられました。何度も何度も録音したテープを聞いて、それを理解していく。そこから、ことばを覚えていくという方法です。

もう一人の例は、写真家、ジャーナリストの桃井和馬さんです。桃井さんは、テンプル大学日本校でアメリカ研究学科で学ばれ、世界140カ国を取材し、紛争・地球環境などを題材に文明論を展開しておられます。彼は、大学で暗記や規定の考えを述べるだけでなく、自ら問題点を提議し自分の解決策を提案する授業やディスカッションで、アメリカ式の学習体験をしました。写真家を心ざしたのも、大学のアメリカ人講師が、写真には社会を動かす力があるということを気づかせてくれたことが動機だったいうことです。
多くの国々で、活躍される桃井さんは、現地で必要なことは英語力やスキルそのものではなく、「自分が、何を語るか、何を伝えるかが」必要だと言われています。そして、ネィティブ並に、英語が話せるようになっても、そういう自分の代わりはいくらでもいるけれども、自分にしかできない事をみつけて、それを表現できる人になってほしいと言っておられます。

上記の例の通り、好きな会話や言葉を聞いて、真似て、話してみる。きちんと、英語を読んで、理解する。Deep Listeningで、簡単な文章をよく深くきいて、理解し、使ってみる。英語で自分の意見が言えるようなるというような方法等を通して、英語が使える人になってほしいのです。

St. Mary 布池外語専門学校の英語指導のエッセンスも、そこにあります。英語のスキルも学びます。 就活に必要で、英語力の度合いをしめす英検、TOEFL, TOEICの高得点も目指しますが、ただのテクニックだけを学ぶのでなく、必要なことが語れる人になれることが目標です。

2011年07月25日

Joe先生 剣道4段 快挙!

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今年の7月17日、沢山の受験者の中から、審査員、殆ど全員一致で、剣道4段にみごと合格されました。

先生は、柔道や合気道もされていますが、特に合気道は「段のつけようがない位」上手だと、 先生の所属されるグループのアメリカ、オーストラリア、日本の本部道場の方々から評価されています。

本業の英語教育についても極めているといってもよいくらいで、テンプル大学院で、博士号まで取得されている、文字通り「文武両道」の先生です。

このブログをご覧になれている皆さんが英語に研鑽されていらっしゃるように、先生も英語指導と武道への修錬に日々研鑽されています。

先生の英語指導は、全然英語が出来なくても、市販されている教材でも何でもよいので、たとえ上手ではなくても、英語でコミュニケーションしようとする事が大事だと言われています。そのために、日本人なら自然に身に付いている日本文化を使って、英語で表現したり、自分の意見を英語で伝えることが一番の英語上達の道だと、英語で考える方法を教えています。

本校の現学生、卒業生、ゼロから英語を始めた学生達で、先生のクラスを真剣に受け、積極的にクラスに参加した学生で、英検準1級・TOEIC700•TOEFL500程度以上をとれなかった学生はほとんどいません。

現在、先生のSt.Maryの英語教育がどういうものかというメッセージや剣道4段試験の動画の準備中です。できましたら、また、ご覧ください。