しんぼっちの徒然日記

お寺での日常を気ままに記すしんぼっち(新発意)の日記です。文学・御詠歌・お花を中心に綴るブログです。※しんぼっち→新米僧侶  東日本大震災のために被災したふるさといわきで育児をしながら活動中です。

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夕方から会議があったため、高輪の高野山東京別院に参りました。

常磐線で南下するに従い、車窓の景色は葉桜になっていきました。なので、期待はしていませんでしたが、なんと!東京別院のしだれ桜はまだまだ綺麗に咲いていました。

お大師さまの後ろ姿も麗しゅう見えます(*^^*)

会議はたくさんの議題を話し合ったために、予定時間をオーバーしての白熱したものでした。暑いくらいの気温も、帰る頃には程よく冷えて気持ちの良い空気。

出席されたお坊さんは、関東圏の方が中心で、

「うちはもう葉桜だよ」

「うちもですよ」

「花まつりに花がないぞ」

「何の花まつりになりますかね?」

なんて会話が聞こえてきました。
小名浜はまだまだ満開。やっぱり東北なんだなぁとつくづく思いました。

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久々に訪れた松ヶ岡公園。
駐車場に停めるのに30分待ちの賑わいでした。

子どもたちを遊具で遊ばせようと連れてきましたが、震災の影響でモノレール等は撤去され、お砂場とブランコのみがありました。回転ブランコとか小さな電車とか、子どもの頃遠足などで楽しんだしんぼっちとしては寂しい限りです。

そういえば、落ち葉のプールもありました。
こちらも原発事故の影響でなくなったのかもしれないと思うにつけても、寂しいものです。

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桜が満開になったと思いきやもう散りはじめ

花びらではなく花ごと散った桜が足下にチラホラ

潔いというべきか

花の盛りは短くて

短いからこそ心に残る



さまざまな 事思い出す 桜かな

芭蕉の句がしみじみ思われるお年頃のしんぼっちでした(*ゝω・*)ノ

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しんぼっちのバッグには、京都の十三やのつげの櫛が入っています。高校生の時に京都で買ったのか?物産展で買ったのか?記憶が定かではございませんが、何しろ20年以上の愛用品でお守りです。

「京・十三や」の焼き印が入った櫛は、外材のつげ製ですが、高校生のお小遣いで精いっぱいの贅沢をしたことだけは憶えています。お店の方が丁寧に「ちゃんと手入れをすれば、国産とそれ程変わりはないですよ」と説明してくださった通り、丈夫で今でも現役です。今日はオリーブオイルでお手入れをしました。

さて、先々月に金剛流合唱団の大宮公演に参加させて頂きました。公演では「龍華」の節で大宮の氷川神社の御詠歌のお唱えがございました。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が奇稲田姫(くしなだひめ)に妻問う歌です。

神話では、八岐大蛇に食べられそうになっていた奇稲田姫を櫛に変え、自分の頭にかざして素戔嗚尊は八岐大蛇を退治します。お酒を飲まされてべろんべろんの八岐大蛇は、ひとたまりもありません。35年前の幼稚園の学習発表会のオペレッタがまさにこの神話だったので、その当時を懐かしく思い出しました。

古来より櫛は「奇し」であり、不思議なものです。魔除けにもなるし、身代わりにもなります。

「く」は「苦」、「し」は「死」に通じるから江戸時代にはプロポーズの時に「苦も死も共にして欲しい」と贈るものだったとか。櫛を突き返されるときは離婚の時だそうです。

『源氏物語』では、六条御息所の娘が伊勢の斎宮として都を去るときに朱雀帝から櫛を賜ります。斎宮が都に戻るときは、天皇の退位か斎宮の身内の不幸や謀叛等があった時です。だから「都に戻ることのないように」と、送り出されるわけです。

そういえば、他人の櫛を使うのは、その人の不幸を貰うので良くないと、しんぼっち母は申します。まさに、身代わりになるからなのでしょうね。

実は、産後にショートヘアにしてから使用頻度の減ったつげの櫛でしたが、最近ヘッドマッサージに使うようになりました。ガチガチの頭皮が心なしかほぐれてきたように思います。肩凝りも少し楽になりました。

夫のガッチガチの坊主頭もつげの櫛でほぐしたい願望に駆られますが、すんでのところで踏みとどまっております(;^_^A

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10年ちょっと前に境内に植えた沈丁花が大きくなり、板碑を圧迫するようになってしまいました。

板碑には、梵字で光明真言が刻まれております。この碑の傍らにちんまりと花が咲き、お彼岸のお詣りの方々の目と鼻を楽しませることが出来ればと思っていたのですが、想像以上に巨大化。光明真言も見えません( ̄∇ ̄)


ところで、夫はしんぼっちを「猪突猛進」と表現します。まさに見境なく突っ走り、夫を巻き込むのだとか。確かに、震災以降「いい加減にして」と何回言われたか分かりません。不惑も過ぎて「中庸」ということを意識するようになりましたが、人間なかなか変われないものです。「中庸」とは過不足なくバランス良く行動すること。

ただ、孔子は、「中庸」を説くと同時に、事なかれ主義よりも失敗を恐れず目標に向かうことも大切なことと説いております。ベストは「中庸」だけれど、出来なきゃ猪突猛進も致し方ないと、解釈しております(;^_^A

沈丁花の枝葉が見境なくのびのびと広がっているさまが、まるでしんぼっちの大暴走に見えて、可笑しくなりました。加えて、白い花が最近夫の頭に増えものに見えて、申し訳なく思います。

そういえば、あるお坊さんが「一山の住職していると個性伸び放題」と笑っていたことを思い出します。銀杏や欅にくらべれば、沈丁花なんて可愛いものではありませんか(*^^*)




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昨日、行きつけのスーパーで「芋がら」が目に入りました。夫も子も食べたことはないはず。以前食べた芋がらの炒め煮が美味しかったので、ちょっと躊躇った後に買い物かごに入れました。品名には、

芋がら(ずいき)

とあって、恥ずかしながら「芋がら」は「ずいき」という名もあるのか!と驚いた次第です。

さて、「ずいき」と言えば法会の列席者を「随喜(ずいき)」と呼びます。「随喜」には、他人の善行を見て、これに従い喜びをおぼえることという意味があるので、これに由来しているのでしょう。他に、ありがたく思い喜ぶという意味もあります。

ネットで検索をしてみると、芋がら=ずいきの語源には諸説あれど、一説に夢窓疎石(鎌倉〜南北朝期の禅僧)の和歌、 

 いもの葉に
 置く白露の 
たまらぬは 
これや随喜の 
涙なるらん  


に由来するとかなんとか。鎌倉期の説話にお供えを芋の葉に載せる和歌もあることから、あり得ない説でもないなぁと感心してしまいました。

 肝腎なお料理ですが、乾燥している芋がらを水の中でもみ洗いした後に水でもどして、酢を入れた熱湯で湯がき、ざるに上げて水洗い。それをお好みの具と味付けで炒め煮にしました。

 5歳の娘は案外気に入って、しゃくしゃくした食感を楽しみ、夫は、  

「戦国時代の籠城食じゃん」  

と、むしゃむしゃ食べておりました。夫曰く、熊本城築城の際、籠城に備えて芋がらが材料の1つになったのだとか。 

戦国武将も食べたやもしれぬ食材を初めて口にして、さぞ感激の涙を浮かべているかと思いきや、

「どっかで食べたことがある! 高野山かも?」

と譲らない。「随喜の涙」とは行きませんでしたよ。

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夕方、ちょっとした所用でいわき・ら・ら・ミュウに行ったついでに、アクアマリンパークを散歩してきました。

巡視船なついとアクアマリンふくしまとマリンブリッジを撮影📷

先日、久方ぶりにお墓参りにいらした方が、境内から小名浜港を眺めて、

「えっ?! 何あの橋! いつの間に!?」

と驚いていました。震災以降、小名浜港湾は、目まぐるしく変化しております。十年一昔とは言いますが、今撮影した写真もいつか懐かしい写真へと変わるのでしょうか…

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こんな風に4人で散歩する今は貴重な時間なのだとつくづく思います。


それにしても、ちょうどわんちゃんの散歩時間とぶつかり、さながらワンコ銀座の様相でした。うちのチビたちも、似たようなものか( ̄∇ ̄)

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今日はお不動さまのご縁日。
今日もぽかぽか陽気で、階段上の桜の蕾もほころんできました。

午後2時からの護摩祈祷と御詠歌のお稽古があるので、私たちだけではなく、参詣の檀信徒の皆さまの目を楽しませてくれます。

平安時代の歌人西行法師は、

仏には桜の花を奉れ

と詠んでいます。まさにお不動さまの一番のお供えになりました(o^^o)


さて、御詠歌に親しむ会ですが、現在久しぶりに難曲に挑戦中。皆さん苦悶しながら奮闘中です。

「札打ち和讃」

西国三十三観音をお詣りする和讃です。

昔々、関西在住時に御朱印帳を携えて巡礼したことを思い出します。ちょうど桜の季節にお詣りした西国三十三観音二番の紀三井寺の桜と和歌浦の眺望を思い描きながら、気持ち良くお唱えしました。

「私は亡くなった主人を思いながらお唱えしているわ」

とは、御詠歌に親しむ会の古株のおばあさま。思い思いの心を込めてお唱えすれば、いろいろな声が合わさり、素敵な御詠歌になる。その寛容さが御詠歌の気持ちよさなのだろうなぁ(*^-^*)

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今日はまるで初夏の陽気で、暑いくらいでした。暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったものです。

蓮の植え替えは3月に行うものだそうで、ギリギリですが睡蓮鉢の蓮の植え替えをしました。

先ずは大きな睡蓮鉢から蓮の植木鉢を取り出し、ひっくり返して根をほぐして、荒木田土を入れた鉢に植え替えです。驚くほど根が成長していて、一部だけ植え替えました。さすが仏さまの台(うてな)になる華だけあります。

それにしても大誤算は、すばしこいメダカ。メダカを別の容器に移そうとしたらなかなか捕まらない(´;ω;`) すばしこく逃げ回るメダカを何とか捕獲して、睡蓮鉢を洗う頃にはクタクタです。

そしてそして大誤算は、もう一つ。たくさんのヤゴがウヨウヨ出てきて、ビックリ仰天。メダカが減った原因は肉食のヤゴだと合点がいきました。メダカの天敵なので、そのまま睡蓮鉢に入れて置くわけにはいきません。

しんぼっちが泥の中からポイポイ掻き出したヤゴを夫がペットボトルに入れて、古湊川に放流しました。

一寸の虫にも五分の魂です

南無大師照金剛( ̄人 ̄)

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春休みに入って10日目。
子どもたちもそろそろ自宅ランチに飽きてきたようで、アクアマリンふくしまの「釣り」をパパにねだりました。※しんぼっちは、生きた魚を触れません…

そんなわけで、お昼の時間にお寺を抜け出して、おにぎり持参で水族館に。命の大切さを学ぶ教育の一環として、生きた魚を釣って命を頂くことを体感できます。そのため食べる量だけ釣るシステムとなっています。彼方此方のテーブルから子どもたちに命の話をする親御さんの声が聞こえてきました。

特に福島では、川や沼や池や海で遊んだり魚を釣る子どもたち(アクアマリンふくしまでは彼らを河童という)を見かけなくなった今、安全に気軽に命の教育を実践出来る場があるのはありがたいです。

昔は河童だった主人が大活躍出来る場所でもあります😁

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