しんぼっちの徒然日記

お寺での日常を気ままに記すしんぼっち(新発意)の日記です。文学・御詠歌・お花を中心に綴るブログです。※しんぼっち→新米僧侶  東日本大震災のために被災したふるさといわきで育児をしながら活動中です。

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恐れ入りますが、ゲーム目的での冷泉寺境内への車輌の乗り入れは、ご遠慮下さいますようお願い申し上げます。


昨年より、地域のお子さんや大人の方がポチポチ楽しむ姿を微笑ましく見ておりました。

しかしながら、今夏より伝説のポケモンなるものが頻繁に境内に現れるようになり、法事中でも構わず車で境内に大挙して押し寄せるようになりました。こうなると、冷泉寺でも今まで通りの対応ではいかなくなります。しんぼっちや副住職が交通整理をして対応しておりました。しかし、昨夕、境内のど真ん中で十数人の大人が輪になって地べたに座り、ゲームに興じている姿を見て、ゲーム目的での境内への車の乗り入れを規制することに致しました。

冷泉寺の入口は、急な上り坂です。勢いよく上がってきた車に轢かれる可能性もあります。また、檀家寺であり、お詣りの壇信徒も頻繁に参ります。法事や葬儀もあります。住宅地の中に在る狭い小さな寺です。駐車場もすぐにいっぱいになります。

路上駐車ではないので、迷惑にならないだろうとお思いかもしれませんが、駐車場を占拠されることも、迷惑なのです。

警察署に相談したところ、参拝者以外の方が境内を占拠しこちらの制止を聞かない場合や、路上駐車をしている場合は、110番するかスポットの削除を申請することを勧められました。冷泉寺としては、なるべくならこのような手段を取りたくございません。

節度を持って楽しんで頂くことを切にお願い申し上げます。徒歩や自転車での御来寺をお待ちしております。但し、危険なので、歩きスマホなどはおやめ下さい。

しんぼっち拝

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宮島から三滝山の祖父の実家のお寺へ。爆心地から3.1卍の小高い山にお堂が点在していて、被災建物の指定を受けたお堂もあります。

原爆が投下された時、大阪の寺院に婿入りしていた祖父は、すぐさま身内の安否を確認するために広島入りしたそうです。ですが、その時の話を一切せずに遷化しました。聞いても教えてくれなかったのです。偶々身内から死者は出なかったものの、実家への道すがら見たものは、筆舌に尽くしがたいものだったのでしょう。その日の夕方から救援に向かった大叔父たちも、広島の惨状を詳しくは話してくれませんでした。

「それでも、わしらは生きとる」

出迎えてくれた母の従弟は、あの時のことを話したくない広島の人の心情と、福島の原発事故について、このひと言に集約しました。

ストンと胸のつかえがなくなりました。

東日本大震災で被災された方や、原発事故で避難されて来た方の支援で、避難所を巡っていたときに、放射能汚染の恐怖で半狂乱になっていた方に、自分が言った言葉を思い出しました。将来生まれてくる子孫への影響を考えて、泣き崩れる女性に、

「私の祖父は広島出身で、原爆投下直後に広島に行きました。それから母が生まれ、私が生まれました。私は5体満足です。但し、頭が少し不自由ですが…」

それを聞いた女性は、目を見開いて私を見て、そして、

「そうですね。私たち、生きていますものね」

と頷いたのです。

これから出てくる影響はどんなものか分からない。でも、今、私たちは生きている。

広島は美しい街でした。今も、とても美しい。広島駅まで、遠回りして車で送ってもらい、街を案内してもらい、感じたことです。

福島もうつくしまふくしまでありたいものです。

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福山から広島まで新幹線で20分。初めて祖父の故郷にやって参りました。

在来線で廿日市市へ。そして、憧れの安芸の宮島へ。中世文学を学んだしんぼっちにとって、『平家物語』の世界へ足を踏み入れることが出来たのは、感慨もひとしおでした。そして、司馬遼太郎の『花神』『竜馬がゆく』にも登場する勝海舟の足跡を目にして、不覚にも思わずにんまり笑ってしまいました。

弥山からの眺望は、自分が竜馬になった気にさせられるほどの素晴らしさで、逆に自身のちっぽけさに悲しくなるほど。

後から聞けば、僧侶になることを拒んで海軍兵学校の試験を受けに来た曾祖父が、僧侶になる決意をしたのがここ弥山だったとか。そして、曾祖父が曾祖母と出会ったのは、宮島だったそうです。

曾祖父の気持ちが分かる気がしました。

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高野山真言宗広島青年教師会様に呼んで頂き、東日本大震災での自分の体験から、寺院の備災・防災と、支援のあり方をお話しさせてもらいました。

偉そうなことは、何も言えません。

自分自身が、何の備えもなく知識もなく被災したために体験した困難を踏まえて、少しでも備えや予備知識があればせずに済む困難を回避してもらえれば…と、思いました。…が、取り留めない話になってしまいました。津波だけではなく、原発災害も体験したため、思った以上に複雑な中を泳ぎ回っていたことを痛感しました。


☆地域住民が避難して来た際、提供できる水や食料の確保。発電機や井戸等の必要性。

☆危険箇所の確認。古文書などで過去の災害の確認。

☆被災された方の支援。

二次避難所や自宅避難者、見なし仮設住宅に いる被災者が支援から漏れやすい。

原発事故があった場合、思う以上の人数の避難者が広範囲に散らばるが、避難先の住民に支援をしてもらえると、助かる。(津波の被災地小名浜に、会津に避難した方々から支援物資の依頼が来たことがあるため)

あくまでも、自立の手伝いであろう。

避難所などを回るだけが支援ではなく、寺に常駐して、壇信徒の愚痴や弱音を聞く人も重宝される。

被災された方は、案外余所から来た人の方が、吐き出したいことが言えるので、遠方から来たお坊さんを遠慮なく被災された方と話してもらうのも手。


等を話したかったのですが、災害が怒らないとピンと来ないかもしれません。

そうそう! 話し忘れましたが、被災地にいるだけで疲れます。だから自分や家族のケアをしながら休みながら息長く支援していく必要があります。くれぐれも無理は禁物。

全国各地で地震や災害が起こる今、少しだけでも備えを意識してもらえれば、幸いです。


さて、実はしんぼっちの母方の祖父は広島出身で、一風変わった親類が多い一族です。そんなせいか、あたたかく?受け入れていただき、楽しい時間を過ごせました。

広島青年教師会様、ありがとうございました。

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震災前、毎年初不動護摩祈祷会ノ護摩札を申し込まれる方に、揚げかまを頂いていました。地元で販売はせず東京に卸していたそうで、まさに幻の揚げかま。ふわふわやわらかくて野菜の歯ごたえも気持ち良いので、恥ずかしい話、お供えを頂くのが楽しみでした。

ところが、2011年、東日本大震災で工場は被災し、ご主人も津波に巻き込まれてしまいました。避難所を回って、ご主人を探す奥さまの噂を聞くたびに、胸が苦しくなりました。そして、ご遺体が見つかったと聞いた時には、言葉が出ませんでした。

それからしばらくして、気落ちしていた奥さまが、お寺に顔を出して下さいました。手には揚げかま。

「親類のお店を手伝っていまして…」

そこの揚げかまをお供えして下さったのです。お下がりを頂くと、懐かしい味。亡くなったご主人の揚げかまに似た味。

包み紙に書かれていたお店の名前は「貴千」。月1回の受注生産ですが、お遣いものに重宝しております。

さて、その揚げかまのレシピをもとに、リーズナブルで毎日食べられる蒲鉾が発売されました。野菜たっぷりで、ヘルシーで食べやすく、夫曰くお酒のつまみにも最高だそう。

何より美味しい!



貴千に向かう途中、幻の揚げかまが作られていた工場跡の横を通ります。そして、あのホカホカ出来たての揚げかまを懐かしく思い出しながら、貴千の揚げかまに舌鼓を打ちました。

幻の揚げかまを、食べたいときに食べられるのが、不思議に感じられます。

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年齢が上がると共に、ますます誕生日を意識しなくなったしんぼっちです(;¬_¬)

目を向けないようにしていると言うよりは、目を向ける余裕がないといったことでしょうか。

それでも、お祝いのメッセージやメールやプレゼントを頂くと、ありがたく、嬉しく思います。

そういえば、お子さんの誕生日にこそ、その母親を祝う習慣を作る方もいらっしゃるそうです。または、お子さんが自分の誕生日に、母親に感謝のプレゼントを渡すこともあるようです。どちらも素敵な習慣ですね。

さて、しんぼっちは毎年素敵な花束を頂きます。残念ながら夫からではございません(;¬_¬)

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クレマチスが咲きました。その名もプリンセスダイアナ。可愛らしい釣り鐘型の花とプリンセスの名前に、4歳の娘も夢中です。

さて、息子を産んで3年半も過ぎたというのに、体重増加の一途を歩むしんぼっち。独身時代の趣味を夫の許可をもらい再開しました。

スイミング🏊

月に2、3回行ければありがたい。

夜間の入場料が安くなる時間に、泳いで温泉に浸かって帰る至福の時間です。ところが、6年ぶりに泳いだら、泳げるけれど30分が限度。昔は2時間泳ぎっぱなしでも平気でしたのに(>_<)ヽ 徐々に体力をつけていきましょう。

母の母、つまりしんぼっちの祖母は、母が生まれてから長い闘病生活を送り、クレマチスの花が全て散った日に亡くなったそうです。母が15歳の時でした。子どもたちのことを考えると、しっかり元気である程度は長生き出来るように身体作りをしなくては。

その前に、夫の喫煙を何とかしなくては( ̄∇ ̄)

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毎月28日のお不動さまの御縁日に、檀信徒の皆さまと護摩祈祷をして、檀信徒の福寿円満と町内安穏、被災地早期復興を祈願しております。

また、熊本地震の募金をお願いして、小名浜地区ボランティアセンターをバックアップして下さった、熊本のれんげ国際ボランティア会さんに福島県の物産を支援物資として送る活動を、細々としていきます。この活動を続けることで、自分たちの備災・防災に目を向け続けることを目指します。

ご協力お願いします_(._.)_

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3年ぶりに米野キッズを開催致しました。今回は、三崎公園周辺の下神白の親子も参加して、総勢100名。小名浜港クルーズ、ふぇにっくす号で海上からわが町小名浜をウォッチングしました。

講師はいわき民報社の記者さん。小名浜港の歴史と現在、これからの発展について分かりやすく解説して下さり、海上からしか見られない船や東港の様子を見学して、子どもたちの目はキラキラ光っていました。

そして、ハイライトは、カモメ・ウミネコの餌やりです。かっぱえびせんを手を伸ばして恐る恐るあげたり、ぽーんと投げてキャッチする様子を見たり、あちこちで歓声が上がりました。天気が心配でしたが、出航とともにお天気も良くなり、最高のクルーズ日和。子どもたちの日ごろの行いのおかげかな?

米野キッズは、東京都町田市の華厳院さんの檀信徒の皆さまと、御住職様・副住職様ご家族の御支援で開催できました。ありがたいことです。心より感謝申し上げます。

東日本大震災時、小名浜は他の浜に比べれば被害は少なかったために、小名浜の子どもたちへの支援は、ほとんどなかったと言います。米野の子どもたちも三崎の子どもたちも津波を体験したにも関わらずです。アイドルやスポーツ選手を呼ぶことは出来ないけれど、近くても中々乗られないふぇにっくす号に乗って、少しでも楽しんで、そして小名浜に愛着を持ってもらえれば嬉しいです。

華厳院さま、講師の荒川さま、そして、米野・港ヶ丘・下神白子どもを守る会の役員の皆さま、冷泉寺の総代さん、段取りの悪さまでフォローして下さり、ありがとうございました。

子どもたちの笑顔に万歳🙌

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今日は子どもたちの通う幼稚園の遠足。

春は親子遠足です。

生憎の雨で、行き先はハワイアンズ♨️🏊♨️

決して家庭的とは言えないしんぼっちが、日々お弁当を作るようになるのだから、我がことながら不思議です。

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