1:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 19:41:23.53 ID:NFGeIwwN0●
竹久夢二は満49歳で亡くなる3年前、欧米へ渡航していた。世界恐慌、ファシズム台頭の中、
そのスケッチは大正ロマン時代と明らかに違った。金沢湯涌夢二館の川瀬千尋学芸員に聞く。
激動の時代 人と街描く-興味深いスケッチがいっぱい。
浮世絵や夢二の研究家でご自身も絵を描く神戸市在住の中右瑛(なかうえい)さんの
中右コレクションから「欧米スケッチ」102点をお借りでき、北陸初公開が実現した。
夢二は晩年47歳の1931(昭和6)年5月、憧れの欧米渡航に出発。
米滞在中、ロス五輪を観戦し展覧会を開くが、世界恐慌の中で絵は売れず、体調も崩してヨーロッパへ。
パリ、ウィーンなど各地を巡って精力的にスケッチし、ベルリンでは美術学校で東洋絵画を指導・講義するが、
ヒトラー台頭の影響から半年で授業が続けられなくなり帰国した。
残された欧米スケッチには、激動する時代を生きた人々や
街のありさまが夢二の鋭い感性で写されていて興味深い。
当館所蔵の流人スケッチなど7点を加え、会場には105点を展示している。
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/kusabue/CK2011052602000186.html
5:
名無しさん@涙目です。(富山県):2011/05/28(土) 19:42:35.93 ID:bzi+Ng1H0
欧米もその頃が一番良い時代だったんじゃね
ベル・エポックとかいうし
49: 名無しさん@涙目です。(青森県):2011/05/28(土) 19:49:37.10 ID:J/SriMXA0
>>5
これはあるな
欧州大陸では第一次欧州大戦の前が黄金時代だったと感じてるらしいな
62: 名無しさん@涙目です。(三重県):2011/05/28(土) 19:51:26.09 ID:VUY0wA7V0
>>5
金持ち富裕知識階層しか社会の表舞台にでることができず
そのような層で構成される内輪サロンで社会のすべてだから気持ちよかったんだろうな
30: 名無しさん@涙目です。(福井県):2011/05/28(土) 19:46:20.55 ID:hgQR1oDt0
見返り美人だっけ。切手になってるのって。
今その切手いくら?後、丸山きょおうだっけ?こいつの
トラの絵の切手も高いんだよな。

32: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 19:46:29.60 ID:5nOIOcMr0
別にやってることはかわんねえよ
戦争に勝ったか負けたかだけだろ
68: 名無しさん@涙目です。(西日本):2011/05/28(土) 19:52:33.00 ID:hnAptWAC0
>>32
いや
捕虜の扱い方とか全然違うよ
バンドー会で検索
一方昭和は鬼畜米英 竹やり
308: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:48:52.45 ID:RnJmO4v+0
>>68
昭和の戦争期のあの異変は本当になんだったんだ?
色々とおかしいと思うんだが
315: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 20:50:34.28 ID:sGJRpXcD0
>>308
東北の陰湿な奴らが出世して国の中枢に入ったからだろうな
薩長が牛耳ってたときはもっと良かった
全部東北人が悪い
小沢見てたらわかるだろ?
319: 名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/05/28(土) 20:51:22.27 ID:BfS/tsMJ0
>>315
米内閣下は許してあげてください
34: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 19:47:13.16 ID:vxUA57MK0
ドイツも戦前の短期間だけどバウハウスというのがあってモダンデザインに
強い影響を後生に残したそうだ。ナチスが潰して消えたんだと。
166: 名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/28(土) 20:11:39.02 ID:0rGz5qeF0
>>34
ナチスが生まれる前にも、ドイツはワイマール共和国時代で平和だったんだよ。
平和主義になると、反動で軍国主義になるのかもしれないな。
193: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 20:17:51.66 ID:Wxk2LOfM0
>>166
ロカルノ体制とか知らん人が多いんだろ
第一次大戦終わったあと一直線に第二次大戦に向かったとでも思ってるような
37: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 19:47:39.00 ID:PeiqqohN0
大正時代をモチーフにしたゲームって多いな
なんでだろ
サクラ大戦とかライドウとか御神楽少女探偵団とか
実際当時の文化を知ってる人が少ないからハッタリがききやすいのかな

52: 名無しさん@涙目です。(熊本県):2011/05/28(土) 19:50:08.32 ID:yRt847yV0
>>37
袴+サーベルなどのなんちゃって洋風感という萌え要素
60: 名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/05/28(土) 19:51:07.54 ID:ZjBFsTY7O
>>52
まぁ和洋折衷が成り立っていた時期ではあったな
45: 名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/28(土) 19:49:04.91 ID:fC4tty3e0
大正中期の第一次世界大戦でバブルに踊っただけ、
後期の関東大震災から始まって大恐慌が来て昭和初期はずっと不景気
なんか似てるな
61: 名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/05/28(土) 19:51:20.26 ID:qGPt/ofaO
大正時代の猟奇事件は異常…
63: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 19:51:44.57 ID:1+FbZJoX0
大正をモチーフにした作品で一番面白いのはパワポケ7の裏サクセスな
あのワクワク感はヤバイ
81: 名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/28(土) 19:54:07.46 ID:7YeXCM8fP
袴ブーツって良いよね

88: 名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/05/28(土) 19:55:02.59 ID:vywAzj+I0
そうは言うけど関東大震災だってあったし
大文学が現れる一方で労働者の悲惨を描くプロレタリア文学の最盛期でもあったし
暗部も暗部で結構深いだろ
94: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 19:56:40.82 ID:D1xZkgn/0
明治~大正~昭和前期は一貫して貧富の格差が極大で
それが後の戦争に繋がる
かなりの割合が貧困層で1日の生活費は現代で換算して数百円
「残飯屋」が賑わってたと何度も言ってるじゃん
札束燃やして「ほら、明るくなったろうwww」ってのが冗談じゃすまない時代
106: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 19:58:57.03 ID:zp1Y2WJX0
110: 名無しさん@涙目です。(長屋):2011/05/28(土) 19:59:41.99 ID:fV/qxMvj0
いいから大正ロマンを味わえる本を何か教えろよ
116: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 20:00:45.26 ID:PeiqqohN0
>>110
帝都物語とかどや
115: 名無しさん@涙目です。(長屋):2011/05/28(土) 20:00:43.96 ID:2IYMng090
マジキチ軍国主義が今も変わらず伏流してたことは原発の件で明らかになったな
128: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 20:02:34.26 ID:O4vKgF2nP
>>115
数ヶ月前は贅沢は敵だ!自粛しろ!って言ってる奴もいたしなw
121: 名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/05/28(土) 20:01:43.67 ID:JcfYOlEz0
三毛別羆事件も大正だもんな
159: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:09:33.88 ID:QIyJ6rAb0
>>121
あれのwiki読んで戦慄したわ
153: 名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/05/28(土) 20:05:58.62 ID:yrd+N9v60
裕福で素敵な所ばかり見てるからそう思うんだよ
155: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:06:34.48 ID:ULO2JFMi0
昭和初期の映像を見てみろ(´・ω・`)
169: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 20:12:55.22 ID:NdYkIkz7P
昭和後期にabcdで追い詰められちゃった時点で敗戦確実だったよね
173: 名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/28(土) 20:14:15.21 ID:R2Jx+ZMw0
>>169
そもそもアメリカに喧嘩売った時点で敗戦は確実だった
170: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:13:41.47 ID:ULO2JFMi0
建物見ると、明治・大正は赤煉瓦でかっこいいんだけど、
昭和(戦前)はコンクリートのただの箱みたいなんだよね(´・ω・`)
●明治
旧東京医学校本館(明治9年)

法務省旧本館(明治28年)

●大正
東京駅(大正3年)

東京大学理学部化学館(大正5年)

●昭和
上野駅(昭和7年)

東京工業大学本館(昭和9年)

176: 名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/05/28(土) 20:14:27.25 ID:JcfYOlEz0
>>170
上4つはロマンがある
172: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 20:14:06.04 ID:zp1Y2WJX0
大正時代は女工哀史とか今のブラック企業真っ青の勤務形態とか普通にあったし
農村部では人身売買まであった時代だしな
そこまで美しい時代でもなかっただろう
179: 名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/28(土) 20:15:17.37 ID:AePDt3IC0
>>172
街が西洋風で洒落てたってだけだよな
181: 名無しさん@涙目です。(岐阜県):2011/05/28(土) 20:15:34.15 ID:Mdsqk7Fc0
大正時代は短いがゆえに夢があった
と大正生まれのばーちゃんが言ってた
270: 名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/28(土) 20:39:10.31 ID:0rGz5qeF0
>>181
夢は短いから夢か。
なるほど。
210: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:22:27.95 ID:ULO2JFMi0
ちなみに、戦後になると、コンクリート建築も、繊細さが出てくる
広島平和記念資料館(昭和30年

名古屋大学豊田講堂(昭和35年)

226: 名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/05/28(土) 20:25:54.01 ID:lFG9+nXv0
>>210
コンクリは砂漠のようだ
見るだけでのどが渇く
215: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 20:22:58.09 ID:PWL7xAFd0
でもまあその一方で昭和は類を見ない発展振りではあったけどな
219: 名無しさん@涙目です。(京都府):2011/05/28(土) 20:24:20.35 ID:MBaef0WU0
高度経済成長―明治
バブル――――大正
平成不況―――昭和初期
228: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:26:20.97 ID:ULO2JFMi0
参考 1932年(昭和7年)のニューヨーク

243: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:28:30.50 ID:XtHKNMFu0
>>228
勝てるわけがない
337: 名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/05/28(土) 20:55:44.89 ID:dmf5Ith00
>>228
当時日本ではいろんな建築を東洋一とかのたまわってたけど
地震の事もあるとはいえニューヨークと比べりゃショボすぎだよな
いろんな様式の建築が溢れてた震災後の建築は好きだけど
245: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:28:53.59 ID:ULO2JFMi0
新美南吉(1913年生まれ、ごんぎつねの作者)の小学校の卒業証書見たけど、
名前の上に「平民」って書いてあるんだよね(´・ω・`)
当時は、身分が書かれてたわけか
264: 名無しさん@涙目です。(西日本):2011/05/28(土) 20:37:43.26 ID:R7s6oEM50
明治期の建物って、有名な物でもかなり質素だったりするんだけど、
大正期になると、一期に今基準でも「立派な建物」になるんだよな。
それみてると、大正ってのはかなり「豊かな時代」だったってのはわかるね。
>>245
戦後結構経っても、田舎で商売するとき
「元は士族だ」
って言うと信用されて払いとか優遇されたりしたらしい
253: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:33:05.21 ID:ULO2JFMi0
明治初期には、こんな立派な貨幣だったが


終戦直前には、金属不足で、陶器でできた「陶貨」が現れた


貨幣は経済力を現すというけど、
昭和20年には本当にボロボロになってたんだな(´・ω・`)
269: 名無しさん@涙目です。(京都府):2011/05/28(土) 20:38:54.69 ID:fFiCfruj0
>>253
おもちゃみたいだな
300: 名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/05/28(土) 20:46:00.48 ID:HfFqImWB0
>>253
戦争こええ
256: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 20:33:46.36 ID:sGJRpXcD0
日本の最盛期はWW1で勝利側にいた時だな
どさくさにまぎれて敗戦国から領土奪ってるし
あの時は最高にうまい立ち回り方してた
列強入りどころか正式に五大国と認められてたし・・・
271: 名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/05/28(土) 20:39:11.16 ID:O/yQt6o10
>>256
国民がそれを忘れられなかったからな
折からの不況で
メディアが「戦争しろや、腰抜け政府」
国民「そーだ、腰抜け」
政府「そうわ言っても無理っすよ」
陸軍「はぁ?馬鹿にされて黙ってられるか大陸行くぞ。対米戦なんてやってられね」
海軍「アメとやったら負けるよ。ダメ絶対」
陸軍「そうなると、海軍どこで戦功上げるの?」
海軍「えっ、オッシャっ、真珠湾奇襲スンゾ」
278: 忍法帖【Lv=27,xxxPT】 (catv?):2011/05/28(土) 20:40:18.26 ID:G19/8BlQ0
>>271
ブン屋も「紙欲しかったから必要以上に煽ってた」とか自白してるんだよな
258: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:35:50.83 ID:N0d9Xw0ni
今が1925年の段階だと仮定して、どうすれば戦争に負けずに済むんだろうか
やっぱソ連は放置か
279: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 20:40:49.54 ID:sGJRpXcD0
>>258
アメリカと満州共同経営(もしくはアメリカに満州明け渡す)
↓
引きこもる。食い物なくなろうが資源なくなろうがとにかく引きこもる
↓
ナチスドイツが侵略開始しても無視して引きこもる
↓
中国で国共内戦が始まったら中国共産党支援
これでいい
まぁ、でも、当時の日本人は日露戦争勝利後に
「領土だけじゃ足りない!賠償金も取れ!」って
言うレベルだから満州放棄は無理だろうな
266: 名無しさん@涙目です。(関東):2011/05/28(土) 20:38:05.47 ID:pKyJP5ZLO
時代で言えば明治が凄い。
鎖国してた状態から開国して速攻で大きな戦争二つ勝って
欧米に日本を植民地化させずに近代国家へと昇華させた。
この辺りの流れは本当にご都合展開なアニメみたいにスムーズ。
実際に明治天皇は海外じゃかなり評価されてるし、あのフセインも尊敬してたらしいしね。
286: 名無しさん@涙目です。(西日本):2011/05/28(土) 20:42:50.67 ID:R7s6oEM50
>>266
一方で人はばたばた死んでて、この時期に絶滅した動物や
失われた技術も多くて、全体的にかなり貧しい暮らしでもあった。
ま、高度経済成長期と一緒で、昇り調子だったから、美化されてるんだよね。
318: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:51:20.57 ID:ULO2JFMi0
明治後期の一高生(現東京大学教養学部)

328: 名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/05/28(土) 20:53:20.47 ID:c95esPgL0
>>318
この時代の大学の授業ってどれぐらいのレベルなの?
338: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:56:05.90 ID:FHhGq2xIP
>>328
明治後期なら講義は日本語だったのかな
348: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:58:39.61 ID:ULO2JFMi0
>>328
旧制高校の進学率は、同世代の1%くらいだったそうだ
335: 名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/05/28(土) 20:55:29.48 ID:+g2S6Pur0
>>318
マントかっこいいな
342: 名無しさん@涙目です。(関東):2011/05/28(土) 20:57:04.08 ID:IQEGAtSvO
>>335
×マント
○外套
意味は同じだけど趣が違うでしょ
329: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:53:37.61 ID:gshHQTN+0
大正時代は日本の最も理想的な時代。
日本で唯一の啓蒙絶対君主であった。
軍部が天皇を追い詰めてその後の大戦に繋がったのはある意味必然。
212: 名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/28(土) 20:22:36.14 ID:22NYFueh0
戦国ブーム、幕末ときて大正ブーム来るか
【空想議論】日本史上最強の英雄って誰?
日本で言う名刀や妖刀みたいな武器も西洋にはあるの?
幕末~明治の変化は異常。
カナリア諸島の空を微速度撮影した映像が綺麗過ぎて心洗われる
AKBの抜ける画像ください part1
欧米もその頃が一番良い時代だったんじゃね
ベル・エポックとかいうし
ベル・エポック
厳密な定義ではないが、主に19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までの
パリが繁栄した華やかな時代、及びその文化を回顧して用いられる言葉である。
19世紀中頃のフランスは普仏戦争に敗れ、パリ・コミューン成立など混乱が続き、
第三共和制も不安定な政治体制であったが、19世紀末までには産業革命も進み、
ボン・マルシェ百貨店などに象徴される都市の消費文化が栄えるようになった。
1900年の第5回パリ万国博覧会はその一つの頂点であった。
単にフランス国内の現象としてではなく、同時代のヨーロッパ文化の総体と合わせて論じられることも多い。
また、ベル・エポックと対比して、1920年代を
レ・ザネ・フォル(Les Annees Folles 狂乱の時代)と呼ぶことがある。
アメリカでは1920年代の戦間期をジャズ・エイジと呼ぶ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
49: 名無しさん@涙目です。(青森県):2011/05/28(土) 19:49:37.10 ID:J/SriMXA0
>>5
これはあるな
欧州大陸では第一次欧州大戦の前が黄金時代だったと感じてるらしいな
62: 名無しさん@涙目です。(三重県):2011/05/28(土) 19:51:26.09 ID:VUY0wA7V0
>>5
金持ち富裕知識階層しか社会の表舞台にでることができず
そのような層で構成される内輪サロンで社会のすべてだから気持ちよかったんだろうな
30: 名無しさん@涙目です。(福井県):2011/05/28(土) 19:46:20.55 ID:hgQR1oDt0
見返り美人だっけ。切手になってるのって。
今その切手いくら?後、丸山きょおうだっけ?こいつの
トラの絵の切手も高いんだよな。

32: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 19:46:29.60 ID:5nOIOcMr0
別にやってることはかわんねえよ
戦争に勝ったか負けたかだけだろ
68: 名無しさん@涙目です。(西日本):2011/05/28(土) 19:52:33.00 ID:hnAptWAC0
>>32
いや
捕虜の扱い方とか全然違うよ
バンドー会で検索
一方昭和は鬼畜米英 竹やり
308: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:48:52.45 ID:RnJmO4v+0
>>68
昭和の戦争期のあの異変は本当になんだったんだ?
色々とおかしいと思うんだが
315: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 20:50:34.28 ID:sGJRpXcD0
>>308
東北の陰湿な奴らが出世して国の中枢に入ったからだろうな
薩長が牛耳ってたときはもっと良かった
全部東北人が悪い
小沢見てたらわかるだろ?
319: 名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/05/28(土) 20:51:22.27 ID:BfS/tsMJ0
>>315
米内閣下は許してあげてください
34: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 19:47:13.16 ID:vxUA57MK0
ドイツも戦前の短期間だけどバウハウスというのがあってモダンデザインに
強い影響を後生に残したそうだ。ナチスが潰して消えたんだと。
バウハウス
1919年、ドイツ・ヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む
美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。
また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。
学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、
表現傾向はモダニズム建築に大きな影響を与えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
166: 名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/28(土) 20:11:39.02 ID:0rGz5qeF0
>>34
ナチスが生まれる前にも、ドイツはワイマール共和国時代で平和だったんだよ。
平和主義になると、反動で軍国主義になるのかもしれないな。
193: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 20:17:51.66 ID:Wxk2LOfM0
>>166
ロカルノ体制とか知らん人が多いんだろ
第一次大戦終わったあと一直線に第二次大戦に向かったとでも思ってるような
37: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 19:47:39.00 ID:PeiqqohN0
大正時代をモチーフにしたゲームって多いな
なんでだろ
サクラ大戦とかライドウとか御神楽少女探偵団とか
実際当時の文化を知ってる人が少ないからハッタリがききやすいのかな

52: 名無しさん@涙目です。(熊本県):2011/05/28(土) 19:50:08.32 ID:yRt847yV0
>>37
袴+サーベルなどのなんちゃって洋風感という萌え要素
60: 名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/05/28(土) 19:51:07.54 ID:ZjBFsTY7O
>>52
まぁ和洋折衷が成り立っていた時期ではあったな
45: 名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/28(土) 19:49:04.91 ID:fC4tty3e0
大正中期の第一次世界大戦でバブルに踊っただけ、
後期の関東大震災から始まって大恐慌が来て昭和初期はずっと不景気
なんか似てるな
61: 名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/05/28(土) 19:51:20.26 ID:qGPt/ofaO
大正時代の猟奇事件は異常…
63: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 19:51:44.57 ID:1+FbZJoX0
大正をモチーフにした作品で一番面白いのはパワポケ7の裏サクセスな
あのワクワク感はヤバイ
81: 名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/28(土) 19:54:07.46 ID:7YeXCM8fP
袴ブーツって良いよね

88: 名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/05/28(土) 19:55:02.59 ID:vywAzj+I0
そうは言うけど関東大震災だってあったし
大文学が現れる一方で労働者の悲惨を描くプロレタリア文学の最盛期でもあったし
暗部も暗部で結構深いだろ
94: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 19:56:40.82 ID:D1xZkgn/0
明治~大正~昭和前期は一貫して貧富の格差が極大で
それが後の戦争に繋がる
かなりの割合が貧困層で1日の生活費は現代で換算して数百円
「残飯屋」が賑わってたと何度も言ってるじゃん
札束燃やして「ほら、明るくなったろうwww」ってのが冗談じゃすまない時代
106: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 19:58:57.03 ID:zp1Y2WJX0
昭和4年に大恐慌
↓
欧州各国「恐慌やべえええええ!経済ブロック化して他の国閉めだして自国の経済を守ろう」
↓
日本「欧米市場から閉めだされた・・・ウチも中国あたりに植民地確保しないとジリ貧になる・・・」
↓
日中戦争
↓
アメリカ「おいジャップ!いい加減戦争止めねーと石油の輸出止めるぞ!」
↓
日本「石油止められたら終わりだ・・・こうなったらアメリカと戦ってでも東南アジアに進出して石油を確保するしかない!」
↓
太平洋戦争
110: 名無しさん@涙目です。(長屋):2011/05/28(土) 19:59:41.99 ID:fV/qxMvj0
いいから大正ロマンを味わえる本を何か教えろよ
116: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 20:00:45.26 ID:PeiqqohN0
>>110
帝都物語とかどや
115: 名無しさん@涙目です。(長屋):2011/05/28(土) 20:00:43.96 ID:2IYMng090
マジキチ軍国主義が今も変わらず伏流してたことは原発の件で明らかになったな
128: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/28(土) 20:02:34.26 ID:O4vKgF2nP
>>115
数ヶ月前は贅沢は敵だ!自粛しろ!って言ってる奴もいたしなw
121: 名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/05/28(土) 20:01:43.67 ID:JcfYOlEz0
三毛別羆事件も大正だもんな
159: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:09:33.88 ID:QIyJ6rAb0
>>121
あれのwiki読んで戦慄したわ
三毛別羆事件
1915年12月9日~12月14日にかけて、北海道留萌苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)
六線沢で発生した、国内では特定の動物による最も大きな獣害(じゅうがい)事件。
羆が数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7名が死亡、3名の重傷者を出すという被害があった。
事件の経緯
事件の現場となった北海道三毛別六線沢は、日本海の沿岸から内陸へ30kmほど入った地区である。
地名の「三毛別」は、アイヌ語で「川下へ流しだす川」を意味する「サンケ・ペツ」に由来する。
1915年(大正4年)11月初旬のある夜明け前、開拓村の池田家に巨大なヒグマが姿を現した。
飼い馬が驚いて暴れたため、その時の被害はわずかなトウモロコシに止まった。
村は開拓の端緒にかかったばかりの土地でもあり、このような野生動物の襲来は珍しいものではなかったが、
主人・富蔵はぬかるみに残った足跡の大きさに懸念を持った。
そして11月20日、ふたたびヒグマが現れた。
馬への被害を避けようと、富蔵は在所と隣村から2人のマタギを呼び、3人で待ち伏せることにした。そして30日、三度現れたヒグマに撃ちかけたが、仕留めるには至らなかった。
翌朝、次男・亀次郎を加えた4人で鬼鹿山方向へ続く足跡を追い血痕を確認したものの、
地吹雪がひどくなりそれ以上の追撃を断念した。
12月9日
太田家の惨劇
秋から冬にかけ、開拓村では収穫した農作物を出荷する様々な作業に追われていた。
三毛別のような僻地ではそれらは人力に頼らざるを得ず、男たちは出払い気味になっていた。
そんな12月9日の朝、三毛別川上流に居を構える太田家でも、同家に寄宿していた伐採を生業とする
長松要吉(通称・オド)(59)が一足早く仕事に向かい、当主の三郎(42)も氷橋(木材で骨組みを作り、
その上を雪や氷で覆って凍らせ、固めて完成させた橋)に用いる桁材を伐り出すため出掛け、
三郎の内縁の妻・阿部マユ(34)と太田家に預けられていた
小児・蓮見幹雄(6)の二人が留守に残り、穀物の選別作業をしていた。
昼、オドがいつものように飯を食べに戻ると、土間の囲炉裏端に幹雄がぽつんと座っていた。
ふざけて狸寝入りしているのだろうとオドはわざと大声で話しかけながら近づき、
幹雄の肩に手を掛けてのぞき込んだ。
その時、オドは幹雄の顔下に付着した血の塊と、何かでえぐられた喉元の傷を見つけた。
側頭部には親指大の穴が穿たれ、幹雄はこと切れていた。
オドは恐怖に震えながらマユを呼んだが何の応答もなく、ただ薄暗い奥の居間から異様な臭気が漂うのみ。
ただならぬ事態に家を飛び出したオドは下流の架橋現場に走った。
駆けつけた村の男たちは、踏み入った太田家の様子に衝撃を受けつつも、
これがヒグマの仕業だと知るところとなった。
入口の反対側にあるトウモロコシを干してあった窓は破られ、
そこから土間の囲炉裏まで一直線に続くヒグマの足跡が見つかった。
おそらく、トウモロコシを食べようと窓に近づいたヒグマの姿にマユと幹雄が驚いて声を上げ、
これがヒグマを刺激したものと思われた。
足跡が続く居間を調べると、くすぶる薪がいくつか転がり、柄が折れた血染めのまさかりがあった。
ぐるりと回るようなヒグマの足跡は部屋の隅に続き、そこは鮮血に濡れていた。
それは、まさかりや燃える薪を振りかざして抵抗しつつ逃げるマユがついに捕まり、
攻撃を受けて重傷を負ったことを示していた。そこからヒグマはマユを引きずりながら、
土間を通って窓から屋外に出たらしく、窓枠にはマユとおぼしき頭髪が絡みついていた。
オドが幹雄の死に気づいたとき、土間にはまだ温かい蒸し焼きの馬鈴薯が転がっていたという。
そこから、事件が起こってからさほど時間は経っていないと思われた。
実は事件直後、村人の一人が太田家の窓側を通る農道を馬に乗って通り過ぎていた。
彼は家から森に続く何かを引きずった痕跡と血の線に気づいたが、マタギが獲物を山から下ろし、
太田家で休んでいるものと思い、その時は特に騒ぎ立てなかった。
これらから、事件は午前10時半頃に起こったと推測された。
事件の報に村は大騒動となった。しかし12月の北海道は陽が傾くのも早く、
幹雄の遺体を居間に安置した頃には午後3時を過ぎ、この日に打てる手は少なかった。
太田家から500m程下流の明景安太郎(40)家に男たちは集まり善後策を話し合った。
ヒグマ討伐やマユの遺体奪回は翌日にせざるを得ないが、
とり急ぎ役場と警察、そして幹雄の実家である蓮見家への連絡を取らなければならない。
しかし通信手段は誰かが直に出向くより他にない。
一度はある男が使者役に選ばれたが、本人は嫌がり、頼まれて斉藤石五郎(42)が引き受けることになった。
太田家よりもさらに上流に家を構える石五郎は、所用にて当主・安太郎が外出しなければならない
明景家に家族を避難させ、オドも男手として同泊する手はずが取られた。
12月10日
捜索
早朝、斉藤石五郎は村を後にした。残る男たちは討伐および
マユの亡骸を収容すべく約30人の捜索隊を結成した。
昨日の足跡を追って森に入った彼らは、150mほど進んだあたりでヒグマと遭遇した。
馬を軽々と越える大きさ、全身黒褐色一色ながら胸のあたりに
「袈裟懸け」と呼ばれる白斑を持つヒグマは捜索隊に襲いかかった。
鉄砲を持った5人がなんとか銃口を向けたが、手入れが行き届いておらず、
発砲できたのはたった1丁だけだった。
怒り狂うヒグマに捜索隊は散り散りとなったが、あっけなくヒグマが逃走に転じたため、彼らに被害はなかった。
改めて周囲を捜索した彼らは、トドマツの根元に小枝が重ねられている血に染まった雪の一画と、
その下から黒い足袋を履き、ぶどう色の脚絆が絡まる膝下の脚と、
頭蓋の一部しか残されていないマユの遺体を発見した。
このヒグマは人間の肉の味を覚えた。マユの亡骸を雪に隠そうとしたのは保存食にするための行動だった。
奪われたものを取り返しに来る習性を熟知した村のある男は「ヒグマはまた来る」と言い放った。
太田家への再襲
夜になり、太田家では通夜が行われたが、村民はヒグマの襲来におびえ、
参列したのはたったの9人だけ。その中のひとり幹雄の実母・蓮見チセ(33)が酒の酌に回っていた
午後8時半頃、大きな音とともに居間の壁が突如崩れ、ヒグマが室内に乱入して来た。
棺桶が打ち返されて遺体が散らばり、恐怖に駆られた会葬者達は梁に上り、
野菜置き場や便所に逃れるなどして身を隠そうとする。
混乱の中、ある男があろうことか自身の妻を押し倒し、踏み台にして自分だけで梁の上に逃れた。
以来、夫婦の間では喧嘩が絶えず、夫は妻に一生頭が上がらなかったという。
この騒ぎの中でも、気力を絞って石油缶を打ち鳴らしてヒグマを脅す者に勇気づけられ、
銃を持ち込んでいた男が撃ちかけた。
さらに300m程離れた隣家で食事をしていた50人ほどの男たちが物音や叫び声を聞き駆けつけた。
しかしその頃にはヒグマはすでに姿を消していた。犠牲者が出なかったことに安堵した一同は、
いったん明景家に退避しようと下流へ向かった。
明景家の惨劇
太田家の騒動は明景家にも伝わり、避難した女や子供らは火を焚きつつおびえながら過ごしていた。護衛は近隣に食事に出かけ、さらに太田家へのヒグマ出没の報を受けて出動していた。
太田家から逃れたヒグマは、まさにこの守りのいない状態の明景家に向かっていた。
太田家からヒグマが消えてから20分と経たない8時50分頃、
背中に四男・梅吉(1)を背負いながら討伐隊の夜食を準備していた明景安太郎の妻・ヤヨ(34)は、
地響きとともに窓を破って侵入して来た黒い塊に驚き、「誰が何したかあ!」と声を上げた。
しかし返ってくる言葉は無い。その正体は、見たこともない巨大なヒグマだった。
かぼちゃを煮る囲炉裏の大鍋がひっくり返されて炎は消え、
混乱の中ランプなどの灯りも落ち、家の中は暗闇となった。
ヤヨは屋外へ逃げようとしたが、恐怖のためにすがりついてきた次男・勇次郎(8)に足元を取られ、
よろけたところにヒグマが襲いかかり、背負っていた梅吉に噛みついた。
そのまま三人はヒグマの手元に引きずり込まれ、ヤヨは頭部をかじられた。
その時、男番として唯一家にいたオドが逃げようと戸口に走った姿に気を取られたヒグマは母子を離し、
この隙に乗じヤヨは子供たちを連れて脱出した。
追われたオドは物陰に隠れようとしたがかなわず、ヒグマの牙を腰のあたりに受けた。
オドの悲鳴にヒグマは再度攻撃目標を変え、屋内に眼を向けた。そこには未だ7人が取り残されていた。
ヒグマは明景家の三男・金蔵(3)と斉藤家の四男・春義(3)を一撃で撲殺し、
さらに斉藤家三男・巌(6)に噛みついた。
この様子に、野菜置き場に隠れていた石五郎の妻・斉藤タケ(34)がむしろから顔を出してしまい、
彼女もまたヒグマの標的となった。ヒグマの爪にかかり居間に引きずり出された身重のタケは
「腹をやぶらないで」と子供の命乞いをしたが、それも空しく上半身から食われ始めた。
川下に向かっていた一行は、激しい物音と絶叫を耳にして急いだ。
そこへ重傷のヤヨがたどり着き、皆は明景家で何が起こっているかを知った。
途中オドを保護し、男たちは明景家を取り囲んだ。
しかし、暗闇となった屋内にはうかつに踏み込めない。
中からは、タケと思われる女のうめき声、そして肉を咀嚼し骨を噛み砕く音が響く。
一か八か家に火をかける案や、闇雲に一斉射撃しようという意見も出たが、
子供らの生存に望みをかけるヤヨが必死に反対した。
一同は二手に分かれ、一方は入り口近くに銃を構えた10名あまりを中心に配置し、残りは家の裏手に回った。
そして裏手の者が空砲を二発撃つと、ヒグマは入口を破って、表で待つ男たちの前に現れた。
先頭の男が撃とうとしたが、またも不発。他の者も撃ちかねている隙に、ヒグマはまたも姿を消した。
ガンピ(シラカバの皮)の松明を手に明景家に入った者の眼に飛び込んできたのは、
飛沫で天井裏まで濡れるほどの血の海、そして無残に食いちぎられた二児とタケの遺体であった。
上半身を食われたタケの腹は破られ胎児が引きずり出されていたが、
ヒグマが手を出した様子はなく、その時には胎児は少し動いていたという。
しかし、胎児も一時間後には死亡した。
明景家の長男・力蔵(10)は雑穀俵の影に隠れて難を逃れ、殺戮の一部始終を目撃していた。
明景家の長女・ヒサノ(6)は失神し無防備なまま居間で倒れていたが、不思議と彼女も無事だった。
急いで生存者を保護し遺体を収容した一行が家を出たところ、屋内から不意に男児の声があがった。日露戦争帰りの者がひとり中に戻ると、むしろの下に隠されていた重傷の巌を見つけた。
肩や胸にもかみつかれた傷を負う巌の左大腿部から臀部は食われ、骨だけになっていた。
村人は全員分教場へ避難することになり、重傷者たちも3km川下の辻家に収容されて応急の手当てを受けた。
しかし重傷の巌は、母親・タケの惨死を知るすべもないまま「おっかぁ!クマとってけれ!」とうわ言をもらし、
水をしきりに求めつつ20分後に息絶え、この二日間で6人、胎児を含めると7人の命が奪われた。
ヤヨら怪我人たちは翌日さらに3km下流の家に移り、古丹別の病院に入院したのは12日になった。
12月11日
すべての住民が三毛別分教場に避難した六線沢に人影はなく、
おびえながら固く戸締りをした三毛別の各農家がヒグマ避けに焚く炎が昨夜から不気味に寒村を照らしていた。
小村の住民だけではもはやなす術なく、長老らは話し合いヒグマ退治の応援を警察や行政に頼ることを決議した。
その一方、家族に襲いかかった悲劇を知るよしもなく雪道を往く斉藤石五郎は、
役所と警察に太田家の事件報告を終えて10日は苫前に宿を取り、11日昼近くに帰路についた。
下流の三毛別にたどり着き、そこで妻や子供たちの受難を知らされた彼は、
呆然と雪上に倒れ伏し、ただ慟哭をあげるしかなかった。
12月12日
討伐隊の組織
六線沢ヒグマ出没の連絡は北海道庁にもたらされ、
保安課から羽幌分署長・菅貢警部に討伐隊の組織が指示された。
一方、死亡者の検死のため馬橇で一足早く現地に乗り込んだ医師は、正午頃山道でヒグマの糞を発見した。
それを検分し中から人骨や髪の毛また未消化の人肉を見つけると、医師は戦慄に立ちすくんだ。
菅警部は近隣の青年会や消防団または志願の若者やアイヌたちにも協力を仰ぎ、
村田銃や刃物類など、中には日本刀を携えた者を含め、多くの人員が三毛別に集まった。
副隊長には土地勘がある帝室林野局(現:林野庁)の人物を置き、
隊長の菅警部は要所を固める一方、討伐隊を差し向けた。
しかし、林野に上手く紛れるヒグマの姿を捕らえることはできなかった。
待ち伏せ
夕暮れが迫り、手応えを得られない討伐隊本部は検討を重ねた。
ヒグマには獲物を取り戻そうとする習性がある。これを利用しヒグマをおびき寄せる策が提案されたが、
その獲物が意味するものを前に本部内の意見は割れた。
菅隊長は目的のため案を採用し、罵声さえ覚悟して遺族と村人の前に立った。
だが、説明に誰一人異議を唱える者はおらず、皆は静かに受け入れた。
事態はそれだけ切迫していたのである。
こうして、犠牲者の遺体を餌にヒグマをおびき寄せるという前代未聞の作戦が採用された。
作戦はただちに実行された。銃の扱いに慣れた7名が選ばれ、
交替要員1人を除く6名が補強した梁の上に張り込んでヒグマを待った。
居間に置かれた胎児を含む6遺体が放つ死臭の中、
森の中から姿を現し近づいてきたヒグマに一同固唾を飲んで好機を待った。
しかし、家の寸前でヒグマは歩みを止めて中を警戒すると、何度か家のまわりを巡り、
森へ引き返していった。男たちはそのまま翌日まで待ち伏せたがヒグマは現れず、作戦は失敗に終わった。
12月13日
この日、旭川の陸軍第7師団から歩兵第28連隊が事件解決のために
投入される運びとなり、将兵30名が出動した。一方、ヒグマは村人不在の家々を荒らし回っていた。
飼われていた鶏を食い殺し、味噌や鰊漬けなどの保存食を荒らし、
さらに、服や寝具などをずたずたにしていた。
中でも特徴的なことは、女が使っていた枕や、温めて湯たんぽ代りに用いる石などに
異様なほどの執着を示していた点だった。
三毛別川右岸の8軒がこの被害に遭ったが、ヒグマの発見には至らなかった。
しかし、その暴れぶりからもヒグマの行動は慎重さを欠き始めていた。
味を占めた獲物が見つからず、昼間であるにもかかわらず大胆に人家に踏み込むなど、警戒心が薄れていた。
そして、行動域がだんだんと下流まで伸び、発見される危険性の高まりを認識できていなかった。
菅隊長は氷橋を防衛線とし、ここに撃ち手を配置し警戒に当てた。
そして夜、橋で警備に就いていた一人が、対岸の切り株の影に不審を感じた。
本数を数えると明らかに1本多く、しかも微かに動いているものがある。報告を受けた菅隊長が、
人間かも知れないと大声で話しかけるも返答がない。
意を決し、命令のもと撃ち手が対岸や橋の上から銃を放った。
すると怪しい影は動き出し、闇に紛れて姿を消した。
やはり問題のヒグマだったのだと仕留めそこないを悔やむ声も上がったが、隊長は手応えを感じ取っていた。
12月14日
悪魔の最期
空が白むのを待ち対岸を調査した一行は、そこにヒグマの足跡と血痕を見つけた。
銃弾を受けていれば動きが鈍るはずと、急ぎ討伐隊を差し向ける決定が下された。
いち早く山に入ったのは、10日の深夜に話を聞きつけて三毛別に入った山本兵吉だった。
鬼鹿村温根に住む山本は、若い頃に鯖裂き包丁一本でヒグマを倒し「サバサキの兄」と異名を持つ人物で、
軍帽と日露戦争の戦利品である銃を手に数多くの獲物を仕留めた天塩国でも評判が高いマタギだった。
ヒグマはミズナラの木につかまり、体を休めていた。その意識はふもとを登る討伐隊に向けられ、
忍びつつ近づく山本の存在には全く気づいていない。
20mほどまで近づいた山本はハルニレの樹に一旦身を隠し、銃を構えた。そして、銃声が響き、
一発目の弾はヒグマの心臓近くを撃ちぬいた。
即座に次の弾を込め、すばやく放たれた二発目は頭部を射抜いた。
12月14日午前10時、急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、
村を恐怖の底に叩き落した悪魔の屠られた姿だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
153: 名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/05/28(土) 20:05:58.62 ID:yrd+N9v60
裕福で素敵な所ばかり見てるからそう思うんだよ
155: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:06:34.48 ID:ULO2JFMi0
昭和初期の映像を見てみろ(´・ω・`)
169: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 20:12:55.22 ID:NdYkIkz7P
昭和後期にabcdで追い詰められちゃった時点で敗戦確実だったよね
173: 名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/28(土) 20:14:15.21 ID:R2Jx+ZMw0
>>169
そもそもアメリカに喧嘩売った時点で敗戦は確実だった
170: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:13:41.47 ID:ULO2JFMi0
建物見ると、明治・大正は赤煉瓦でかっこいいんだけど、
昭和(戦前)はコンクリートのただの箱みたいなんだよね(´・ω・`)
●明治
旧東京医学校本館(明治9年)

法務省旧本館(明治28年)

●大正
東京駅(大正3年)

東京大学理学部化学館(大正5年)

●昭和
上野駅(昭和7年)

東京工業大学本館(昭和9年)

176: 名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/05/28(土) 20:14:27.25 ID:JcfYOlEz0
>>170
上4つはロマンがある
172: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 20:14:06.04 ID:zp1Y2WJX0
大正時代は女工哀史とか今のブラック企業真っ青の勤務形態とか普通にあったし
農村部では人身売買まであった時代だしな
そこまで美しい時代でもなかっただろう
179: 名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/28(土) 20:15:17.37 ID:AePDt3IC0
>>172
街が西洋風で洒落てたってだけだよな
181: 名無しさん@涙目です。(岐阜県):2011/05/28(土) 20:15:34.15 ID:Mdsqk7Fc0
大正時代は短いがゆえに夢があった
と大正生まれのばーちゃんが言ってた
270: 名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/28(土) 20:39:10.31 ID:0rGz5qeF0
>>181
夢は短いから夢か。
なるほど。
210: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:22:27.95 ID:ULO2JFMi0
ちなみに、戦後になると、コンクリート建築も、繊細さが出てくる
広島平和記念資料館(昭和30年

名古屋大学豊田講堂(昭和35年)

226: 名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/05/28(土) 20:25:54.01 ID:lFG9+nXv0
>>210
コンクリは砂漠のようだ
見るだけでのどが渇く
215: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/05/28(土) 20:22:58.09 ID:PWL7xAFd0
でもまあその一方で昭和は類を見ない発展振りではあったけどな
219: 名無しさん@涙目です。(京都府):2011/05/28(土) 20:24:20.35 ID:MBaef0WU0
高度経済成長―明治
バブル――――大正
平成不況―――昭和初期
228: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:26:20.97 ID:ULO2JFMi0
参考 1932年(昭和7年)のニューヨーク

243: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:28:30.50 ID:XtHKNMFu0
>>228
勝てるわけがない
337: 名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/05/28(土) 20:55:44.89 ID:dmf5Ith00
>>228
当時日本ではいろんな建築を東洋一とかのたまわってたけど
地震の事もあるとはいえニューヨークと比べりゃショボすぎだよな
いろんな様式の建築が溢れてた震災後の建築は好きだけど
245: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:28:53.59 ID:ULO2JFMi0
新美南吉(1913年生まれ、ごんぎつねの作者)の小学校の卒業証書見たけど、
名前の上に「平民」って書いてあるんだよね(´・ω・`)
当時は、身分が書かれてたわけか
264: 名無しさん@涙目です。(西日本):2011/05/28(土) 20:37:43.26 ID:R7s6oEM50
明治期の建物って、有名な物でもかなり質素だったりするんだけど、
大正期になると、一期に今基準でも「立派な建物」になるんだよな。
それみてると、大正ってのはかなり「豊かな時代」だったってのはわかるね。
>>245
戦後結構経っても、田舎で商売するとき
「元は士族だ」
って言うと信用されて払いとか優遇されたりしたらしい
253: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:33:05.21 ID:ULO2JFMi0
明治初期には、こんな立派な貨幣だったが


終戦直前には、金属不足で、陶器でできた「陶貨」が現れた


貨幣は経済力を現すというけど、
昭和20年には本当にボロボロになってたんだな(´・ω・`)
269: 名無しさん@涙目です。(京都府):2011/05/28(土) 20:38:54.69 ID:fFiCfruj0
>>253
おもちゃみたいだな
300: 名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/05/28(土) 20:46:00.48 ID:HfFqImWB0
>>253
戦争こええ
256: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 20:33:46.36 ID:sGJRpXcD0
日本の最盛期はWW1で勝利側にいた時だな
どさくさにまぎれて敗戦国から領土奪ってるし
あの時は最高にうまい立ち回り方してた
列強入りどころか正式に五大国と認められてたし・・・
271: 名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/05/28(土) 20:39:11.16 ID:O/yQt6o10
>>256
国民がそれを忘れられなかったからな
折からの不況で
メディアが「戦争しろや、腰抜け政府」
国民「そーだ、腰抜け」
政府「そうわ言っても無理っすよ」
陸軍「はぁ?馬鹿にされて黙ってられるか大陸行くぞ。対米戦なんてやってられね」
海軍「アメとやったら負けるよ。ダメ絶対」
陸軍「そうなると、海軍どこで戦功上げるの?」
海軍「えっ、オッシャっ、真珠湾奇襲スンゾ」
278: 忍法帖【Lv=27,xxxPT】 (catv?):2011/05/28(土) 20:40:18.26 ID:G19/8BlQ0
>>271
ブン屋も「紙欲しかったから必要以上に煽ってた」とか自白してるんだよな
258: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:35:50.83 ID:N0d9Xw0ni
今が1925年の段階だと仮定して、どうすれば戦争に負けずに済むんだろうか
やっぱソ連は放置か
279: 名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/05/28(土) 20:40:49.54 ID:sGJRpXcD0
>>258
アメリカと満州共同経営(もしくはアメリカに満州明け渡す)
↓
引きこもる。食い物なくなろうが資源なくなろうがとにかく引きこもる
↓
ナチスドイツが侵略開始しても無視して引きこもる
↓
中国で国共内戦が始まったら中国共産党支援
これでいい
まぁ、でも、当時の日本人は日露戦争勝利後に
「領土だけじゃ足りない!賠償金も取れ!」って
言うレベルだから満州放棄は無理だろうな
266: 名無しさん@涙目です。(関東):2011/05/28(土) 20:38:05.47 ID:pKyJP5ZLO
時代で言えば明治が凄い。
鎖国してた状態から開国して速攻で大きな戦争二つ勝って
欧米に日本を植民地化させずに近代国家へと昇華させた。
この辺りの流れは本当にご都合展開なアニメみたいにスムーズ。
実際に明治天皇は海外じゃかなり評価されてるし、あのフセインも尊敬してたらしいしね。
286: 名無しさん@涙目です。(西日本):2011/05/28(土) 20:42:50.67 ID:R7s6oEM50
>>266
一方で人はばたばた死んでて、この時期に絶滅した動物や
失われた技術も多くて、全体的にかなり貧しい暮らしでもあった。
ま、高度経済成長期と一緒で、昇り調子だったから、美化されてるんだよね。
318: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:51:20.57 ID:ULO2JFMi0
明治後期の一高生(現東京大学教養学部)

328: 名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/05/28(土) 20:53:20.47 ID:c95esPgL0
>>318
この時代の大学の授業ってどれぐらいのレベルなの?
338: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:56:05.90 ID:FHhGq2xIP
>>328
明治後期なら講義は日本語だったのかな
348: 名無しさん@涙目です。(東日本):2011/05/28(土) 20:58:39.61 ID:ULO2JFMi0
>>328
旧制高校の進学率は、同世代の1%くらいだったそうだ
335: 名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/05/28(土) 20:55:29.48 ID:+g2S6Pur0
>>318
マントかっこいいな
342: 名無しさん@涙目です。(関東):2011/05/28(土) 20:57:04.08 ID:IQEGAtSvO
>>335
×マント
○外套
意味は同じだけど趣が違うでしょ
329: 名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/28(土) 20:53:37.61 ID:gshHQTN+0
大正時代は日本の最も理想的な時代。
日本で唯一の啓蒙絶対君主であった。
軍部が天皇を追い詰めてその後の大戦に繋がったのはある意味必然。
212: 名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/28(土) 20:22:36.14 ID:22NYFueh0
戦国ブーム、幕末ときて大正ブーム来るか
【空想議論】日本史上最強の英雄って誰?
日本で言う名刀や妖刀みたいな武器も西洋にはあるの?
幕末~明治の変化は異常。
カナリア諸島の空を微速度撮影した映像が綺麗過ぎて心洗われる
AKBの抜ける画像ください part1
哲学ニュースnwk














