1:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 18:05:19 ID:m+g8ZAaG
戦場の主役、雑兵足軽についてなんでも語れ!!
800px-Ashigaru_using_shields_(tate)


5: 名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 23:42:11 ID:pDfMrxKY
戦国期は流民も多かったから、全国渡り歩いてた奴とかいたかな?
武士じゃなく雑兵で。



6:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 14:11:28 ID:63juzsKp
まさに傭兵って感じだな。でもほとんどが野盗だろうな



7:
中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/06/16(金) 15:38:24 ID:x63nWvTJ
雑賀・根来寺がそうだね。鉄砲を肩に担いで歩き回ったんだろうか
30年戦争時の傭兵団みたいだw
雑賀衆は紀伊国北西部(現在の和歌山市及び海南市の一部)の「雑賀荘」「十ヶ郷」「中郷(中川郷)」「南郷(三上郷)」「宮郷(社家郷)」という五つの地域(五組・五搦などという)から成り立っている。

すなわち、雑賀衆とは、この五つの地域が地縁により結びついている一揆集団である。
16世紀当時としては非常に多い数千丁単位の数の鉄砲で武装しており、
きわめて高い軍事力を持って傭兵集団としても活躍した。又海運や貿易も営んでいた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/雑賀衆



8:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 16:17:50 ID:/GvMRQfg
雑兵だから従軍したら飯と給料もらえる。
勝ち戦なら強盗、恩賞もらえる。
負けそうになったら一目散に逃げる。
これだろ。



9:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 16:22:40 ID:9vy51qup
まるで2chねらーだな



16:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 23:04:12 ID:LIKXVlNG
武士が農民していたんでしょ?



17:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 04:18:09 ID:pYTCa2j2
>>16
逆。農民を最下級の武士に取り立てて一領具足というステータスを与えた。
通常の農民動員兵と違い、自主性や積極性が見られる。
そのことは後の浦戸一揆や山内家の対応などからも窺える。



18:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 05:45:01 ID:uZXvImrC
制度的には珍しいものじゃないというのを前提に、
当の足軽達の忠誠心が特徴的だったという見解と、
後世の書物で有名になっただけという見解を見たことがあるなあ。



20:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 11:54:14 ID:qh0Opq5u
おそらく、今でもそうだが、日本人は土地にかなり執着する。
今より稀薄だったかもしれないがその地域を
支配してる支配者と土地を同一視してたのじゃないか?
だから最下層の足軽が「われらが親分」と言う
気持ちで忠誠が高かったんじゃないのかな?



22:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 14:15:06 ID:aIpZzP2q
>>20
「一所懸命」という言葉が有るくらいだからな。
ただし、村の欠け落ちとかもあるくらいだから一概には言えないんじゃないか?
村の生活を保障してくれればこそ、支配者が忠誠の対象になると思うが。



23:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 22:21:38 ID:nlCxe46N
北条は雑兵足軽の略奪を一切禁止していたらしい。



28:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 18:32:15 ID:e6yxeetr
>>23
禁止したのは自国内の略奪だけどな



24:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 22:27:35 ID:hKv4saih
「甲州人が歩いた後はペンペン草一本も生えていない」という
諺が残っているということは
武田軍は略奪しまくりだったのかな?



33:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 22:44:47 ID:skbLiEun
戦国大名:大手ゼネコンの社長。侍大将:1級建築士。 足軽大将:現場監督
鉄砲足軽:鳶。 雑兵:DQNの土方。



477:
人間七七四年:2008/07/03(木) 11:52:09 ID:PbO1Inma
>>33
秀吉スゲー



35:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 22:11:55 ID:RRkh3DAO
やっぱり兵の強さは地域によって違うのかね?
それとも江戸時代の俗説?



36:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 04:56:40 ID:ODdO751l
尾張兵が弱いとか三河が強いとかは真っ赤な嘘だと思う。



37:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 01:31:06 ID:RAc0E35R
でも当時の歌で、越後甲斐の兵が強いとかあったんでは



38:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 03:20:43 ID:39hW9wBK
兵が強い=勢いがある
だと思う。
長篠後の武田勢の弱さ。
謙信没後の越後勢を考えたら、そう感じる。



40:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 12:43:26 ID:trHm5phl
貧しい土地の雑兵は強かったんじゃない?
勝てば略奪し放題だしな
と言っても実際戦う人間なんて全体の3~5割程度だけどね



46:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 03:57:33 ID:ShIbxOKA
日本の戦国時代の合戦はちょっと特殊だからね
積極的に戦う兵って結局は大名の直臣連中の侍がほとんどだし
地方による足軽の強弱は無いと思うが
下級武士や豪族の強弱はやっぱあるんじゃないか?



47:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 06:43:16 ID:Q6lolQrK
それは強弱より、常備軍の量や割合の方が影響するんじゃないかな?



48:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 06:53:30 ID:Q6lolQrK
重要な要素忘れてた。
やっぱり経験でしょ?これは常備の武士になればなるほど重要になると思うよ。
戦術行なう、うえでもやっぱり理解度とか違ってくるし。



49:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 13:14:41 ID:Yw29XvtN
人間の筋肉って学童期に9割以上出来上がるんだよ
成人してからつけた筋肉は落ちるのも早い
だから生まれ育った環境が過酷な自然の人種は強健な筋肉束をもってる



50:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 13:56:28 ID:SRra7rmr
過酷すぎて栄養タリナス、場合も潜在的な筋力はつくのん?
なんか適度には環境整ってないと駄目な感じがする怠け者の俺



51:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 14:21:40 ID:drO/0ZoI
戦国時代は食料の供給不足でみんな栄養失調気味だったと思うぞ



52:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 15:59:32 ID:Q6lolQrK
たしかに、過酷な状況なら。
流民最強、洛中にあふれかえっていた浮浪者最強になる。



53:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 19:30:17 ID:Yw29XvtN
甲信越や三河の兵が強がったのは山野の山猿状態で育ったから

ヨーロッパのスキー選手はトンパみたいな例外除いて貧困層出身だぞ
テレビもみたことないような山で育ってる
日本のような学生スキーが主流じゃないからな



54:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 15:36:17 ID:tf39Nwiy
【郷土食が支えた最強の島津軍団】

戦国時代、勇猛で強い軍団といえば、武田信玄の甲州軍団、
上杉謙信の越後軍団、三河武士(徳川軍団)があげられるが

忘れてはならないのは命知らずの島津軍団である。
秀吉、家康でさえ島津と戦う事を避けたほどだった。


島津一族を強力な戦闘軍団につくりあげたのが、島津中興の祖、島津日新斎忠良である。
日新斎は、古代国家の頃、その荒々しさで都人に恐れられた熊襲の子孫、隼人族(猛人ともいう)
を家臣としてとり立てて、軍団の核としていた。

この島津軍団の兵糧のひとつに「ちまき」がある。
ちまきは本来保存食で、兵糧などの携帯食料として使用されていたが

薩摩のちまきは一風変わっていた。
(中略)
薩摩のちまきは、灰汁でつくることから「あくまき」呼ばれる。
ゆうに二,三ヶ月はもち、しかも高カロリーなのだから、理想的な食料だったのだ。


また鹿児島の特産品「かつお節」も高タンパク、
ビタミンB郡を多く含み、保存性の高さはピカ一。「武教全書詳解」にも

「かつお節は、薬にあらずといえども、時にして飢えに及ぶときには、
これを噛めば性気を助け、気力を増し、飢えをしのぐのみならず、役に立つものなれば

必ず用意すべき事なり」とある。

鹿児島県では、豚や鶏は、歩く野菜といって食べてきた。
これら古代以来の野趣に富んだ郷土食が、薩摩武士の体力を強靭にし、最強の島津軍団を支えたのだ。




71:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 20:35:39 ID:UOcw4u8p
島津が強かったイメージがあるが
兵の使い方に因っていたのが実像

少人数の囮の部隊を使って敵を誘いだして
そこを襲うのが島津流だから。
囮の部隊は命がけだったが一族のために
捨て身を厭わない者たちが居てはじめてできる戦術を
実行できたから名を残せた。

体力的強さとかでなく
犠牲になる 捨て駒になる事にたいしての気持ちの問題である。

秀吉はそういうタイプの奴らと闘うことの怖さを知ってたんだろ。
勝ち方が悪いと 後々の統治に影響してきてしまう。
圧倒的に勝つことが条件だったから。



84:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 13:23:53 ID:fSr9h210
>>71
それ、強い兵の条件じゃん
引くなと言われたら骨になっても引かず
進めといわれたらわき目も振らずに突撃する
結局、薩摩兵が強かった事にかわりは無い



77:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:44:16 ID:kIICDcRx
やっぱ足軽は人気ないのかな・・・



78:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 18:33:43 ID:COFjrJVU
情報が乏しいだけじゃないの?雑兵物語という本を読んだ人はいる?



83:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 11:10:10 ID:fXlBKabm
>>78
足軽マニアとしては『雑兵物語』と雄山閣出版
『下級武士足軽の生活』は押さえておきたいところ。



79:
朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA :2006/09/03(日) 23:04:48 ID:ZOSVJIZa
「雑兵物語」は面白いすね。
内容は弓足軽・鉄炮足軽・鎗担・馬標持・旗差・持筒・
持弓・草履取・挟箱持・馬取・沓持・矢箱持
・玉箱持・荷宰料・夫丸・若党・中間らいわゆる軽輩雑兵の教練書ですが、
それぞれの経験談を口述手記の形を取ってるとこが面白い。
当時の雑兵らの口語が書かれてるので読みものとしても楽しめます。



81:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 01:23:30 ID:2rUoBR9G
「旗持ち」ってのは、どんな奴らがなったのかな。
足が速いのは当然として、敵陣に突っ込む勇気も必要だよね。
目印として倒れない体力も必須。でも、首取りとかの功名とは縁が薄い。
とても名誉な役職だけど、家中では「縁の下の力持ち」的な存在?



82:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:32:47 ID:0ps26kuT
暴走族の世界だと旗持ちは総長に気に入られた中堅の役目w



86:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 17:13:52 ID:Qdm5vo4J
当時の戦って、実際は槍や刀より

石を投げ合って相手を負傷させてたんでしょ?



88:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:09:59 ID:OFH9yTbP
>>86
陣笠と胴丸つけただけで、ほとんど無力化すると思うが。



103:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 23:32:47 ID:k9JJTV2m
>>88
投石してきた相手が松坂クラスの兵で腕や足に当たったらどう?



106:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 06:40:51 ID:5q0QBe3o
>>103
当時から松坂クラスのピッチャーがゴロゴロいたのか
凄いな日本!
でもコントロールはよくないからな、松坂は



89:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:41:30 ID:jpdG5q8s
>>86
刀は藩によっては貸与されないところもあったらしい。



97:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 20:45:57 ID:mrbMryfk
>>86
いや、弓が一番死傷者多いし、基本



87:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 17:15:38 ID:Qdm5vo4J
あと、兵糧って兵士1人1人が持ち寄って食べてたんでしょ?

本格的な兵糧荷駄隊を編成したのは石田三成が最初だと聞いたんだが

あいつ、やっぱ偉いよな



95:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 01:21:47 ID:RFEp8Rb2
>>87
初めの数日間は、各人で持ち寄った腰兵糧で賄います。
その後は、部隊に付属する手明(小荷駄)から3~4日の単位で支給されます。
出兵が長引くと、現地の商人から高値で購入することもあったようですね。



96:
白馬青牛:2006/10/06(金) 01:04:28 ID:e6vunr3j
折口信夫氏の文から「たとえば、合戦になると、百姓が竹槍を持って
出て来て落人を殺してものとりをしたりしますが、同時に頼まれて
戦いにも行き、都合が悪ければ盗人もやります。

道徳などは、それは
団体の道徳であって、団体を離れれば道徳などはありません。
その村
だけの、村と言うよりは永住の地を持たない一部の人々の団体の道徳を
守り、一致した行動をとります。そんな連衆が巡っていて、時代が変わってもいます。

応仁の乱等があると、それがどこからともなく、
どかどかとやって来ます。
大阪の冬の陣・夏の陣などにも寄り集まって

やって来ます。(中略)移動村落です。」(「無頼の徒の芸術」、昭和11年、1936年)。

永住の地を持たない集団とは、焼畑民や漁民、被差別民等、移動性の強い
集団のことであろう。戦国時代が終わり江戸初期に近世領主による紀州や
四国の山岳民狩りは激しく、人質を取り、一村皆殺しの悲劇もあった
ことは、宮本常一氏も述べておられる。足軽の構成要素には、これら
移動性の強い集団の考察も重要じゃと思う。



98:
ななしさん:2006/10/12(木) 20:49:53 ID:BcUHAVQz
日当が米5~6合なんだろう



99:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 23:44:30 ID:kwD6jutT
>>98
それプラス給金が出る。
足軽組毎に数十貫文ほどでて組で山分けにする。

江戸期でもちゃんと給金が出る。
町奉行所の同心が足軽身分だけど、年収30俵2人扶持
中間クラスだと、年収3両1人扶持。
下級武士のことを「3ピン」というけどこれは「3両1人扶持」の事を指している。

>日当が米5~6合なんだろう
これがいわゆる扶持米のことで「~扶持」に対応。



120:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:10:55 ID:VYvAaOTM
>>99
若党(奉公人の屋敷の門番侍)も、3両一人扶持。同心は普通の足軽より少し
上の身分だと思う。



108:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 12:19:27 ID:2jhFcuOS
松坂が10人いて150キロ半ばのストレートを投げ込んできたら面で制圧できる。



195:
人間七七四年:2007/03/03(土) 12:40:21 ID:0fF/urlq
>>108 
松坂がゴロゴロ居るなら古田や城島もゴロゴロ居るわけで。

しかもランナーが居たら振りかぶれないし、イチローもゴロゴロ。

投石の有効性は疑問でありんす。



112:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 23:48:07 ID:5HCSM4xE
平地はともかく山地で守勢の場合はかなり有効な武器だけどな



121:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 21:17:57 ID:mZXWpz/i
(幕府の)同心=(諸藩の)足軽
って感じで本に書いてあることも多いけれど、
収入なんかでみると、同心の地位が高そう。
ところで先日加賀にいって足軽資料館に行ったんだが、
考えていたよりも待遇が良かった記憶がある。

確か3~4部屋+台所etcだったかな。
長屋作りでなく、一軒一軒独立していた(なぜか庭は小さいけれど)。
収入など知っている人いる?



122:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 05:14:45 ID:t2s/Fj23
>>121
ちと調べてみた。
ある御徒並(足軽よりちょっと上の身分)は11人扶持の切り米をもらっていた。
約40俵。

収入的には町奉行所同心と大体同じ。
足軽の収入はちょっと見当たらない。



123:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 07:57:16 ID:s8MHcKrA
>>122
それは7人扶持に加増されたものですね。
医師給人組に入れられて7人扶持をもらっている模様。
7人扶持なら13石ですね。32俵。加賀の俵(0.5石)だと26俵ほど。
11人扶持なら、50俵。加賀の俵なら40俵。

暮らし向きのほうは加賀藩足軽の方が楽そうですね。物価も安いでしょうし。



124:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 03:47:14 ID:qUhh+pri
情報ありがとうございます。
聞いてばかりでは何なんで、こちらからも情報を。
佐賀鍋島家では、弘化年間で、足軽の切米が最高で5石5斗だとか。
扶持が付くか知らないが、一人扶持がついても8石足らず。
ざっと20俵ほど。
本当に食うだけだな…。



125:
名無しさん:2006/10/28(土) 03:51:51 ID:VB+rObzE
当時の1俵の目方は知らないが20俵だと1家族は
飢えなかったんじゃないかな?
貧しくても百姓と比べたらはるかに生活が楽だろうな



128:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:39:12 ID:cqag+tic
>>125
多分、50kg弱
http://www.naozane.co.jp/okome/tani.htm

戦国末期の1升枡は、現在の8合前後とのこと。



127:
124:2006/10/28(土) 18:50:35 ID:/mXzYU7p
「最高で」ですので、ほかの足軽はもう少し大変なんだとは思います。
それでも、一般的な農民よりは楽でしょうけれど。
佐賀の下級武士だと、農業をやっている場合も多いですし。



133:
奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/13(月) 22:58:03 ID:gVrlBz6/
現在の米屋の単位は10kg=7升≒1.4kgね。

ついでに現在、3人核家族の米の消費量目安が10kg。



134:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:41:02 ID:QaCyeVqO
>>133
なんちゅう米消費量の少なさよ。
俺一人の消費量と一緒…。



140:
134:2006/11/19(日) 15:16:23 ID:SHm8SHwp
一ヶ月の話だろう?
一食1合として、一日400グラム以上、
一月だと12キログラムぐらいは食うと思うが。
中高生のころは一食で2合は食っていたらしいし。



141:
名無しさん:2006/11/19(日) 15:23:57 ID:CHKK18v/
>>140
俺も若い頃はそのくらい食べてたがおっさんになって感じるのは
どんなに腹が減っても米があれほどおいしく食べられないって事だ
米なんて味がないって思ってる奴は多いが実際はすごくうまいんだよな



142:
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:07:45 ID:SHm8SHwp
うまい!
江戸時代の漂流の話を見ると、
飢餓状態で、やたらと米飯の妄想・幻覚をもつそうな…。

雑兵の話。
兵糧がなくなったとき、稲刈り後に残っている株を掘って、その根を食用にするとか。
栄養分はあるのかなあ?



146:
名無しさん:2006/12/18(月) 19:11:44 ID:0at/CO4u
オニギリがご馳走だったってなんかの本で見た事あるが普段は雑穀混ざりの
米しか食えなかったんだろうな
おかずも大陸のように肉食の楽しみはなかったようだしいつ死ぬかわからないし
今のサラリーマンは天国だ



770:
人間七七四年:2011/08/27(土) 03:31:23.43 ID:BDhJso46
>>146
普段は鍋で雑炊のようにして食っていたそうだ



148:
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 22:09:05 ID:OB/EbWio
大陸の庶民はその日のパンかスープがあれば良いレベルの生活だよ。
肉は、冬場は家畜にやる飼料も無い為に殺して
干したり塩漬けにして保存できるようにして食うだけ。



152:
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 13:00:26 ID:s2fcphGs
実際、食うことと略奪ぐらいしか楽しみないんだろうね



153:
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 01:27:36 ID:XCNB5TRn
手柄立てて出世してやると
夢を見て戦場に散っていったんだろうな



189:
名無し:2007/02/22(木) 20:31:04 ID:drSSI2/2
>>153
それほどけなげには戦わなかったと思うが
だいたい戦争に負けても生き残れば勝った軍団に
編入されるわけだからそこそこ戦って危ないと思えば
すぐ退却しただろうし相手が強ければ近づかないで
逃げ回っててもOKだったんじゃないかな
1日米5~6合じゃあ本気で戦うのあほらしいだろう



163:
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 15:57:47 ID:S0jXtqB6
関ヶ原後に大幅に領地を削られた毛利家では
家臣たちに食えるだけの碌を与えるのに
開墾して石高を大幅に増やした。

それが可能だったら、なぜ戦争なんかして他国の領地を取っていたんだ?
最初から自領を開墾して石高増やせよなw
ちょっと不思議じゃないか?



164:
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 16:31:33 ID:h1jGAwf8
>>163
・敵が攻めてくる=自衛の究極形としての戦争
・武士階級の領土拡大に対する固定観念
・灌漑技術が向上して平野部を耕地化できるようになるのは戦国末~江戸期



165:
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 18:49:34 ID:JbNwRFW9
>>163
積極防衛にもなり手っ取り早く領地も得られるから一挙両得。



193:
名無し:2007/03/03(土) 10:53:16 ID:gCgY9+OE
当時は寒かっただろうに防寒なんてどうしていたんだろうな
鎧の下に毛皮でも着てたんだろうか?



197:
人間七七四年:2007/03/04(日) 15:34:08 ID:Gs9TlTMU
>>193
人の体質は3世代で変わるから、今の人とは体質が違う
体力や抵抗力、筋力や骨格とかが違うわけだ
今ですら、南極観測に行ってた人は、日本の真冬でもそんなに
寒く感じないって事だからね
すきま風が吹く家で、藁にくるまって寝てても風邪を引かない体質を
考えれば、多少の暑さ寒さは耐えられるって事かな



213:
人間七七四年:2007/03/06(火) 10:32:21 ID:ypj6g4WL
>>193の答え
つ【陣羽織】
陣羽織は元々戦場での防寒具として鎧の上から着たもの。
羽織は最初は「胴服」といわれていたらしい。

それから昔の人は一年中単(ひとえ)衣で過ごしていたわけではないよ。
普通の着物は裏表に布を使うし、重ね着だってする。
寒ければ綿入だって使う。

当時は木綿は高価だったので、
和紙を張り合わせて防寒用の衣類や布団を作ってたんだ。
紙子とか衾とか聞いた事ないかな?

現在でも新聞紙をポリ袋に入れて防寒することだってあるのさ。結構あったかい。
緊急時の生活の知恵w



214:
人間七七四年:2007/03/06(火) 12:02:16 ID:kOXkhpfX
>>213
陣羽織は分かるんだけど、足軽レベルが着てた?
そういった絵図は見たことないけど…あるのかな?
紙子も名のある武将が使用してたのは聞いたことあるけど、
雑兵足軽くらいの人たちにも普及してたの?
出典があるなら教えて欲しいな、うろ覚えでいいから
面白そうだから、ちょっと見てみたい



217:
人間七七四年:2007/03/06(火) 20:08:31 ID:1w7pcTdf
>>193には「足軽が」と言う断わりがなかった。

>紙子
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/real047.html


紙子は別に庶民だけが着ていたわけではなく、
贅を尽くしたものもあったのでそれを見聞きしたんでしょう。
この場合、消耗品(使い捨て)として使用したらしい。

紙子は庶民の防寒具としては比較的一般的なものだよ。
木綿よりずっと安いからね。

あと、庶民の防寒具が紙子だけ、と考えられても困る。
紙子も買えない様な人たちは、ありあわせの衣服を重ね着してたろうし。

あと、毛皮なんかも使用していた模様。
越中から冬の北アルプスを越えて徳川に支援を求めた
佐々氏一行か、熊の毛皮をまとっていたというのが
徳川方の記録に残っています。



223:
人間七七四年:2007/03/07(水) 16:44:35 ID:5HnH2K1D
唐辛子を体に塗って、寒さを凌いだと言う話は聞いたことが有るな
その歳に手に塗ってはいけない、顔を掻いたときに
目に入って耐えられないほど痛くなるから



247:
人間七七四年:2007/06/01(金) 15:55:45 ID:4G5mKxkq
痛い話だけど、藤堂高虎みたいに手や足の指がなかったり
爪がはがれたりは普通だったんだろうな・・・
今より全然整備されてない平地や河原や森の中を、素足に
草鞋だけで戦ってたんだから、ぶつけたり引っかけたりとかもありそう。



248:
人間七七四年:2007/06/07(木) 12:21:20 ID:BzYLk1Ea
え?足袋履いて無かったのか、足軽は



249:
人間七七四年:2007/06/07(木) 18:50:45 ID:ot5u6LLA
タビタビ忘れることがあったんだよ



250:
人間七七四年:2007/06/07(木) 22:38:15 ID:VIug6HlU
まあ足軽なんぞの軽装備で戦闘に参加せざるを得なかった民衆だろうからな・・・
足袋は基より着の身着のままで武器だけ持った雑兵も多かったろうさ・・・
昔も今も特殊装備というものは高いからな

鎧は基より、足袋なども貧乏人は履かなかっただろうから
需要と供給のバランスを考えると足袋はそこそ高かったものと思うぞ



251:
人間七七四年:2007/06/07(木) 22:51:02 ID:M35EGfgl
平安後期の合戦絵巻物見るとほとんどが素足だよね。



255:
人間七七四年:2007/06/08(金) 14:18:53 ID:P1ntm8y4
足軽は徴兵される時に装備チェックされるんだよな
鎧がショボイと罰されることもあったらしい。
裕福な大名はお貸し具足レンタルするから大丈夫だろうが。

足軽も敵領から略奪する金品や、
奴隷・身代金になる女子供目当てで参加していたようだ
大名が望まなくとも農閑期の農民の支持を得るため出陣することもあったって。
集団出稼ぎw



256:
人間七七四年:2007/06/08(金) 14:23:42 ID:KZg6xyHs
>>255
> 大名が望まなくとも農閑期の農民の支持を得るため出陣することもあったって。

そんなのあったんだ?どこの大名?



258:
人間七七四年:2007/06/08(金) 15:21:54 ID:P1ntm8y4
>>256
上杉家。引用すると長いんで面倒だが



259:
人間七七四年:2007/06/09(土) 14:57:30 ID:EXlgxaiB
>>258
上杉はそうだろなw
引用が長くなるなら出典だけでも教えて欲しいです。



265:
人間七七四年:2007/06/14(木) 23:21:59 ID:LOseepHc
>>259
遅れたが藤木久志の「雑兵たちの戦場」など。
越後では二毛作ができず、農閑期・慢性的な飢餓に陥る端境期(田植え終了~収穫までの期間)
の口減らし&出稼ぎとして出兵していたのでは?ということだった。
田村憲美氏が中世後期の人々の死亡傾向を調べた結果、端境期に死者が集中していたそうだ。

謙信の関東方面への出兵パターンの多くが
収穫を終えた晩秋から田植え期まで帯陣する短期越冬型か、冬から夏まで帯陣する長期越冬型で、
上杉家軍役帳では全体の四分の三が農民だったこと、
作物の略奪(刈田)、金品・人間の略奪(乱取り)、

それらの捕虜・人質から身代金を取ったり、奴隷として売り払うのがビジネス化していたこと、
謙信も小田城攻略後、城下で人身売買の市場を自らが差配していたこと、
などを根拠にしてた。

土豪や土侍は兵を徴発する農村の農業活動に動向を左右され、
彼らに軍事力の多くを頼っていた謙信の戦略に強い影響を与えた。
大名は農兵達を戦場に引き止めるために、恩賞として略奪を黙認していた。
また、当時略奪を逃れるために禁制が発行されており、
これは略奪が日常茶飯であったことを示している、

と言ってるがどうなんだろうね。



274:
人間七七四年:2007/07/15(日) 11:53:09 ID:TYrvmI01
上杉の場合頭領の謙信は鉱山を直接支配しておらず
収入は主に直江津の海運やアオソ輸出による商人からの税収に頼っていたあたり
謙信本人は奴隷売買をビジネスとしてはさほど重要視してなかったんじゃないか?

ただ商人がいくら儲けてもその分け前は来ない下の方の雑兵(農民)は
略奪できなきゃ旨味が無いので略奪禁止されると士気が落ちる…となると
謙信本人の奴隷市取り仕切り二束三文叩き売りは迷惑でしかなかったかも。

ちゅーかこの頃の人身売買は売る相手は
主に売られる本人の親類縁者やその土地の領主で
(買い戻すために一番高値で買い上げてくれるから)

買い戻してくれる人間がいなかった身寄りの無い奴を
奴隷商人に渡していたって話を聞いたことがあるがそれはどうなん?
関東圏内の狭い地域じゃ無理にさらって連れ帰って奴隷扱いしても
すぐ逃げて地元に帰ってしまうだけな気もするが。



285:
人間七七四年:2007/08/03(金) 09:51:30 ID:mMhyeUYO
足軽の発展については大体
戦国期初期:百姓の次男三男の志願者や地侍によって
        徴募された奴らが主体。あまり錬度は高くない
戦国期中期:この頃から定期的に訓練を受ける様になるがまだ半兵半農
戦国期後期:兵農分離が進みプロの兵士に近くなる
江戸期:兵士を職業とし常備軍を構成する様になる
と言う理解でいいんですか?



287:
人間七七四年:2007/08/05(日) 19:00:31 ID:H+3xP3az
江戸期:太平の世となり軍人から役人や普請に役割がシフトする



306:
人間七七四年:2007/09/24(月) 12:27:28 ID:5KbN22f+
同盟国や自領を通過するときでさえ
ある程度の略奪は許可されてたそうだしな
でなきゃ補給が続かないそうで。



307:
人間七七四年:2007/09/26(水) 20:25:16 ID:82v6znd1
>>306
ややこしい話だが、自領内でのある程度の略奪というのは、
当時はする方もされる方も略奪とは考えないで、
普通に当たり前と思っていたかもしれない。
年貢の徴収レベルで、むしろ義務として食料等の提出は当然みたいな。
「行軍時に自領にて、急遽強制的に調達した」というような
記録を見た現代の学者が、「略奪」という言葉にしたのかもしれない。
と、ひねくれて考えてみる。



308:
人間七七四年:2007/09/27(木) 12:30:59 ID:SFg6xi8c
あ?そうなの?
北条が自領から戦時金徴収しようとして、
領民からブチ切れられていたから、そういうのは無いと思ってた。



309:
人間七七四年:2007/09/30(日) 01:23:53 ID:w1XaSm9Z
逆に足軽雑兵は農民などが自由に殺してもいいんでなかったっけ?
負けたりした場合.当時は戦場での戦死より農民などに殺されて死ぬ
のが(足軽雑兵だけではなく武将でも)多かったのではないの?
明智光秀,穴山梅雪など.



310:
人間七七四年:2007/09/30(日) 19:52:03 ID:gALBxbSq
負けていたらね。
勝っている方に手を出したら反逆と取られて報復をくらう。
制札を得てこそ、初めて自衛を許される。



315:
人間七七四年:2007/10/12(金) 15:33:36 ID:lE8utDSq
なんか略奪=現代の兵士の犯罪に結び付ける傾向があるなあ。
これほどナンセンスなものは無いと思うんだが。

投石についてなんだけど、
誰だったか著者は忘れたが、「日本人と鉄砲」という本の中で
「基本的に遠戦傾向にある」という書かれ方をしていたのを思い出した。

鉄砲は数が揃えられず、弓は効果的に運用するには高度な訓練が必要、
で練度が低い兵士でも扱えてコストの安い投石が頻繁に使われたらしいね。
あと鉄砲や弓は一部隊にいくら、何丁ときめられていたり、
射撃の補助をするものが必要だったりするので、それ以外は投石をしてみたりとか。



316:
人間七七四年:2007/10/12(金) 16:29:44 ID:2nPKgCDl
投石って微妙だよね
記録も多いから実際にやってたんだろうけど、
威嚇程度でそんなに効果がなかったように感じがするんだよなあ

むしろ逆に相手がむかついて、士気をあげてしまうようなw
以下、自分なりの疑問点
 ・籠城の石落としならまだしも、投げるとしたらせいぜい手のひらサイズ
 ・有効範囲が狭い(具足の無い部分でないと効果が激減)
 ・訓練しないと意外と飛ばない(野球の1・3塁間(36mくらい)の投球は、
   やってる人でないとノーバンでは届かない。山なりの球なら届くけど
   それじゃ殺傷能力はゼロ)
専門部隊もいたらしいから、そいつらなら
多少は訓練されてて使えるんだろうけど・・・どうなんだろう?w



317:
人間七七四年:2007/10/12(金) 17:43:07 ID:pQQTfICZ
>投げるとしたらせいぜい手のひらサイズ
素手でなげるわけではない。
投弾帯(スリング)或いはスリングスタッフに
相当するものをつかって、80m以上かっ飛ばすらしい。

煉瓦クラスの重量だったとしても、
それだけの力で投げ出す以上、衝撃はかなりのものだろうさ。
あと鎧の類は刺突や斬撃は防ぐけど、衝撃は伝わってしまう。
致死は難しいとしても、四肢や頭に当たれば無力化させることはできる。



320:
人間七七四年:2007/10/12(金) 23:04:45 ID:Hsm9UeK8
どこぞでみたことあるけど
戦国時代の死傷原因のトップは投射武器で、
その中で投石によるものも結構な割合を占めてたよ。
確か全体の割合の10パーセントほどだったと。
投石を馬鹿にしちゃいかんよ。



321:
人間七七四年:2007/10/12(金) 23:07:58 ID:klvwojKJ
たしかその為に陣笠の普及が進んだとかいう話だったような。
装備にうるさいことで有名な北条もこのへん徹底してたよね。



326:
人間七七四年:2007/10/13(土) 04:46:31 ID:69TGs15h
現代の話になるが、学生運動盛んな頃、
街の舗装がレンガじきのところでは学生にはがされ、投石の材料にされていた。
これが、はがされにくいアスファルト舗装を普及させる要因となったのは、余談だ。

この時、投石を受けた機動隊員の怪我の程度をみると、
投石の被害が馬鹿に出来ないのが分かる。
ヘルメットに当たってムチウチや気絶ならラッキー、
死傷特に腕や肩の骨折が多かったらしい。

大学生より屈強であろう戦国時代の足軽が、
補助具を使って投げる投石の威力はかなり高かったんだと思うけどな。



357:
人間七七四年:2007/10/18(木) 08:28:14 ID:hSpxsEGq
投石用の石ってどうやって確保するの?
戦場が原っぱの場合、その辺に手ごろな石がごろごろ転がってるわけでもないだろうに
石がなかったらそれまでだろ?



359:
人間七七四年:2007/10/18(木) 13:51:51 ID:O3OXNWBa
>>357
焼き物や煉瓦を作る要領で作ることもあったし、石を投げる事もある。

いずれにせよ、本国から持っていく。



361:
人間七七四年:2007/10/21(日) 23:55:10 ID:SNx5syKA
するってえと、川中島あたりに転がってる手頃な石は、
使って殺した石かもしれんワケだ



405:
人間七七四年:2007/11/09(金) 14:08:28 ID:b4VD0ebs
足軽の範囲でどこまで。
徒歩は全て足軽になるのか?



406:
人間七七四年:2007/11/09(金) 15:47:16 ID:5kXvuTOj
>>405
騎馬武者以外は全部足軽ってかなり強引だなぁ。平時は基本的にそんな感じだった
平安末期ですら、戦時では騎馬武者の割合はかなり減ったはずだけど。



410:
人間七七四年:2007/11/10(土) 00:20:59 ID:Zx0fkV1H
>>405
戦国時代だと槍隊など各部隊の乗馬指揮官や、騎馬隊はみんな武士。
彼らは主君に謁見できる御目見得以上の士分で、江戸時代には平士、騎士と呼ばれた。
馬に乗ることが許されない下級武士は徒士と呼ばれ、住む区画も違った。
城下町は御徒町、御徒士町(おかちまち)なんて地名があるけど、まんまそれ。

割合というと他の人のレスにあったが
文禄の役の加藤清正隊の編成は武将150名、
騎馬578名、鉄砲1820名、弓256名、忍者10名で、
騎馬もすべて鉄砲を装備し戦闘員の鉄砲装備率は90%を超えたそうだ。



408:
人間七七四年:2007/11/09(金) 20:31:32 ID:b4VD0ebs
足軽も一応武士なんじゃない。

足軽の上のクラスはなんていうんだろう?



409:
人間七七四年:2007/11/09(金) 20:57:57 ID:IYFhNh4u
>>408
徒士

俺は足軽は知行持ちで無い連中で、戦闘を行う連中と規定している。
もっとも、次代によってコロコロその身分も変わるが



416:
人間七七四年:2007/11/10(土) 17:01:07 ID:EjmFDIhU
農民が徴集されて足軽になった場合に、国替えが行われて
主君が別の国へ移った場合、足軽はどうなったんでしょうか?
新しい領地で帰農?それとも出身地へ強制送還? 浪人?



421:
人間七七四年:2007/11/12(月) 17:37:35 ID:h+NfawcU
>>416
江戸期ならともかく、戦国期の武士は土地と
深く結び付いてるからそう簡単に移転は出来ないはず。



422:
人間七七四年:2007/11/12(月) 17:57:36 ID:+Dj7vZI6
>>421
逆に言えば、武士と土地の結びつきを断ち切るために国替えを行う必要がある。
(戦国末期の信長・秀吉の政策)



444:
人間七七四年:2008/02/24(日) 17:22:34 ID:fdrP+Ugs
薩長の「維新の功臣」に足軽はいたの?



445:
人間七七四年:2008/02/24(日) 17:48:45 ID:Qr3j1GMR
>>444
伊藤博文が足軽



446:
人間七七四年:2008/02/25(月) 14:46:30 ID:PGtgW1rD
だから総理大臣になって以降も、
長州の会合では常に末座だったとかいう話もある。



447:
人間七七四年:2008/02/25(月) 19:51:58 ID:szrDCKp9
当時は首相なんて文官のまとめ役ぐらいにしか思われてなかったし
元老なんかのほうがずっと偉ぶってた



448:
人間七七四年:2008/03/20(木) 13:00:17 ID:SVaUerTV
足軽が装備する刀は斬れ味が悪いので左手で背を押して突き刺して使ったそうな。



449:
人間七七四年:2008/03/20(木) 18:02:35 ID:Q35Y0veK
>>448
足軽の登場が刀の大量生産を助長したんだっけ?逆?



453:
人間七七四年:2008/04/14(月) 18:36:45 ID:nV7rUcYj
>>448
刀剣類の大量生産は、明への輸出の増加によるもの。
日本刀というだけで高値で買い取られたため、刀の大量生産が必要になった。
明への日本刀の輸出総数は、記録にあるだけでも二十万を超えている。

と、こういう説もありますよ。



451:
人間七七四年:2008/04/14(月) 14:15:14 ID:vvJHnayy
足軽の鎧ってどれくらいの防御効果があったの?



452:
人間七七四年:2008/04/14(月) 16:10:18 ID:hmRFuCSI
鉄砲以外のだいたいの攻撃からは身を守れたんじゃないかと。
テレビなんかじゃ陣笠つけた足軽が常備兵の如くどの合戦でも前線で戦ってるが、
あいつらが前線で戦うなんて本当にあったんだろうか。
小荷駄などの予備兵扱いでしょ、奴らは。
せいぜい追撃でしか前に出なかったんじゃないかと。



455:
人間七七四年:2008/04/15(火) 02:33:09 ID:KGjO8AvI
>>452
小荷駄は鎧すらつけないこともザラ。
対して槍足軽なんかは最前線を担うだけあって
軍勢全体としてみても侍に匹敵するほどの重装備だしな。

というか戦闘員と非戦闘員をごっちゃにしている時点でなんともかんとも。



460:
人間七七四年:2008/04/15(火) 21:29:38 ID:OOG74/7G
足軽の陣笠は鉄製で、調理の際は鍋にもなる優れもの。
また日除けの他、礫や矢など雨の日でも安心。



463:
人間七七四年:2008/04/16(水) 04:34:51 ID:OyYdv3V0
>>460
足軽の陣笠が全て鉄製になったのは、意外に江戸以降。

それまでは竹の骨組みに紙を貼って漆塗りにした物や、錬革製といった陣笠がある。
形状も我々が想像するような形から、とんがりコーンくらいとんがった物とか、
富士山状の台形の物もある。



467:
人間七七四年:2008/04/23(水) 01:11:20 ID:HSHP9iw3
大坂冬の陣図屏風には御貸し具足の鉄砲足軽が大量に描かれてる。
とすると正確にはいつから御貸し具足が一般化したの?
たしか石田三成の御貸し具足も現存してたと思うけど。



475:
人間七七四年:2008/06/16(月) 22:13:06 ID:6egX5DNI
>>467
関東じゃ北条氏が氏康の時代にはもうやっていたような。



481:
人間七七四年:2008/07/29(火) 02:44:44 ID:T3vAKVVt
>>475
北条は兵士の装備を統一してたからね。
兜の前立てや、槍に付ける紋の間隔まで指定する凝りよう。



482:
人間七七四年:2008/07/29(火) 09:45:41 ID:l11P27pu
>>481
北条はとにかく細かいね。伝馬、軍備、検地、収税・・・。
記録魔だし。



513:
人間七七四年:2008/09/05(金) 00:23:12 ID:aTnOn5GP
足軽の武器 鎧のフル装備って何kgくらいの重さだったの?



514:
人間七七四年:2008/09/05(金) 00:26:07 ID:pkMeJIpz
>>513
フル装備なら結構な重量あるだろ。
大阪の陣のとき家康が、出陣の時から鎧着込んで張り切ってる足軽見て、
「ああいうのが出てくるから太平の世はダメだ」と言ったとかどうとか。
案の定その足軽、行軍三日目くらいにへばっていたとか。



516:
人間七七四年:2008/09/09(火) 15:22:27 ID:8ZDtUtgI
>>514
でも、実際足軽が駄馬や伴をつれていってるわけじゃないし、
着ていくか持って行くかしかないよな。
持って行く方が疲れないんだろうか?



519:
人間七七四年:2008/09/10(水) 12:33:56 ID:8zxs9uRj
>>516
剣道着を着て何十キロ先の会場に行くのと、会場で剣道着着るの差だと思う。



520:
人間七七四年:2008/09/10(水) 12:40:17 ID:oZW0Itab
>>519
可児才蔵を馬鹿にするのはそこまでだ
可児
可児吉長
笹の指物を背負って戦い、戦いにおいては敵の首を討つことが常に多くてとても
腰に抱えることができなかったため指物の笹の葉をとって首の切り口に入れておいた
(あるいは口にくわえさせた)という。

このため、才蔵の討った首と合戦の直後にすぐにわかったという。
これらの経緯から、「笹の才蔵」と称された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/可児吉長



518:
人間七七四年:2008/09/10(水) 12:05:22 ID:We9bETVx
通気性とかをあまり考慮してない物は、着てるだけで疲れるし



528:
人間七七四年:2008/09/14(日) 21:14:01 ID:9D52hWuW
この時代にも戦から帰ってPTSDとかになるやつっていたの?
黒田の兵が左近との戦いを思い出してうなされるてたみたいだけど



529:
人間七七四年:2008/09/15(月) 00:27:19 ID:rlP5tkM0
PTSDよりも医療の未発達による破傷風などによる
死亡や怪我の悪化のが問題なんだぜ。

あと、
・大量破壊兵器の実戦投入
・殺すべき敵と殺してはならない民衆のジレンマ
は20世紀以降の戦場に現れるストレスで
それ以前は大量破壊兵器も人道未発達なので民衆を殺してもそこまで問題にならない。

無かったわけではないと思うが、戦場でのストレスは20世紀以降と以前では段違い。



534:
人間七七四年:2008/11/01(土) 17:43:16 ID:y3dRCRFM
PTSDになったら当事はキチガイ扱いで追放か幽閉か抹殺か。



548:
人間七七四年:2008/11/23(日) 23:49:11 ID:qsKxhJl2
何処も戦争やるときは臨時雇いを募集してるみたいだけどね。
条件から見ても結構必死だよ。

有名な戦争中は白米食えますよを筆頭に、
給料はずみます、手柄立てれば褒美上げます、正規採用への道もあります、
前科ある者は赦免しますとか、
強盗働き(つまりは忍びの真似事)出来るやつ優遇しますとか、結構笑える。

傭兵といえば、陣借りで正規採用を狙う奴いるし。
有名な武士だと、関ヶ原の時の可児才蔵がまさに陣借り。
首をとりまくったこともあって、正規採用されてる。



549:
人間七七四年:2008/11/24(月) 13:10:01 ID:X89kdMUf
>>548
ちょ、すっげぇ面白そうw

どこの大名がどんな条件とか原文付きで紹介してくださいお願いします



592:
人間七七四年:2009/08/04(火) 21:33:12 ID:taRL7BcO
ところで最近就職難で大変だが、
足軽への就職ってどうなんだろうな。

簡単にできるイメージがあるんだがどうだろう?

現在で言うとどの職と難易度が近いかな?
期間工とか?



593:
人間七七四年:2009/08/04(火) 22:46:38 ID:T8MFBuQN
時期や地域に等によってだが基本的には中小企業の正社員クラスかな。
期間工や派遣クラスは人夫として雇われる感じ。



596:
人間七七四年:2009/08/04(火) 23:17:48 ID:pQvLWSIz
槍足軽は簡単、鉄砲・弓は技能職なので要相談、
旗足軽は力持ちでかつ名誉な職なので一番難しい
これとは別に経理的な技能職として荷宰領等がある



597:
人間七七四年:2009/08/04(火) 23:21:17 ID:OQtxXXLU
募集年齢は15~55歳ぐらいで、足軽契約が成立すると税や賦役免除の特典や
食料金銭の支給があったそうだからアメリカの登録予備役兵に近いイメージかな。
本職は当然農業。



600:
人間七七四年:2009/08/04(火) 23:40:38 ID:T8MFBuQN
流民みたいのはなれんよ。たしか
命以外失う物無いから戦場ではすぐ逃げるし陣中で狼藉放火されたら戦う前に負ける。
その点村の中でそれなりの地位にあるものは、
隣人捨てて逃げたら村八分で生きていけんからそれなりに戦う。

大名が出した身分のしっかりした者以外は
つれてくんなという書状は幾つか残っているらしい
まぁ農民にしてみれば身内で働き手が死ぬと困るから
流民を家の者だって偽って送り出したり
云々っていう駆け引きは常にあったみたいだけど



601:
流民:2009/08/04(火) 23:48:47 ID:taRL7BcO
何、流民はなれないのか!
住所不定だと就職できないのと同じか。
いや、30歳職歴無しだと正社員になれないのと同じか。
せちがらすぎる。

しかし、流民になったらどうすればいいんだ?
とりあえず人夫としてなら採用されるのかな?
それで信用積めば正社員の足軽になれるかな?



603:
人間七七四年:2009/08/04(火) 23:58:44 ID:T8MFBuQN
まず農民になればいい。農民募集見たいのはどこでもやってたはず



679:
人間七七四年:2009/08/11(火) 05:55:49 ID:Gk7ap0wp
足軽って最初は重装だったのが、時代が下がるにつれどんどん軽装になっていって、
戦国末期の頃には、もはや鎧も着けずに羽織だけ、なんてのまで結構いたらしいね。



682:
人間七七四年:2009/08/11(火) 07:44:28 ID:/s527mnt
>>679
戦国末期じゃなくて安土桃山末期じゃねえの?



681:
人間七七四年:2009/08/11(火) 07:11:39 ID:JAMobdiK
長谷堂城の戦いを書いた絵では
上杉側の鉄砲隊は鎧を着けてない
681_1

左上に上杉鉄砲隊



729:
人間七七四年:2009/10/03(土) 23:02:48 ID:DIkFtg1Q
>>681
江戸時代に描かれた物の様ですな



683:
人間七七四年:2009/08/11(火) 13:57:10 ID:12hj8Plm
時代というより勢力や地域に因るんじゃないのか。
千葉氏配下の酒井氏の足軽も装備は粗末な竹の鎧に竹槍だったそうだし。



684:
人間七七四年:2009/08/11(火) 14:20:25 ID:0z2JaPyZ
>>683
よかったらソース教えて



724:
人間七七四年:2009/08/14(金) 11:25:43 ID:cez81vU1
>>684
東金城明細帳



745:
人間七七四年:2010/06/08(火) 12:07:38 ID:NaFGmmU1
ブラタモリで見たけど鉄砲同心の装備が良い
745_1

特に独特な鉢で統一されてるのがいい



747:
人間七七四年:2010/08/20(金) 21:45:21 ID:ylXd0ksk
足軽にも二種類あって、
普段は農業などを営み、戦時に臨時徴収される一般的イメージの足軽と、
常備軍として雇用されている西洋でいう傭兵のような足軽がいた。
前者は訓練などもおざなりな文字通りの雑兵でしかないが、
後者は弓鉄砲などの訓練を積んだプロ集団だった。



749:
人間七七四年:2010/08/21(土) 03:36:56 ID:niqXPJcY
>>747
徴収でも常備でも知行50石程度の武士に仕えてた足軽もいるんだけどね
ついでに金で臨時雇いもある



748:
人間七七四年:2010/08/20(金) 22:54:45 ID:WZRiMDGn
まず足軽定義を書いとかないと・・・
身分についてなのか、兵種なのか、形体なのか



751:
人間七七四年:2010/10/22(金) 21:57:00 ID:oaUoNB4J
>>748
【足軽の身分】
若党=士分(侍)の若衆、功績や推薦、志願で士分として家中に
取り立てられた士分以外の者。昔ながらの封建的な御恩奉公。
一族衆、有力家臣の子弟、末端家臣の陪臣などはこれ。

中間=契約によって武家に従う常備軍的な惣村、野党、盗賊、流民
(この場合の流民は、軍役を糧とする流動的な漂白傭兵、浪人の類)
による傭兵的兵員、武家の主力戦闘集団、乱取狼藉の類はこの層が中心?

小物、下人=一般農村の軍役、武家の譜代奉公人、一代限りの奉公人など
ただし、一般農村からの軍役は、報酬や代価を払って惣村や野党、流民の
身代わり賦役も横行。主に雑用。平時には子供、年寄り、女性も多い

【足軽の兵種】
騎乗しない雑兵身分。頭、組頭から騎乗。
士分の若党は家中の身分、功績、年齢によって段階的に頭、組頭に自動出世。
兵種に特化した近隣外地の傭兵的、常備的足軽集団の供給源も存在
(有名なのは雑賀衆、根来衆、伊賀衆、甲賀衆、風間党、各海賊衆など
これらは惣村、地侍、或いは個々の傭兵的雑兵と契約する形。
武家との起請文が主な契約形式)

【足軽の形体】
室町時代
野党、野武士・流民・惣村が主流。一揆(契約社会)の風潮が高まる。

戦国時代
上記身分の円熟期。戦国大名との抗争や取立てによって次第に二極化
末期には集権化した武家(豊臣・徳川)により禁制または駆逐

江戸時代
士分から外れたものは主に帰農或いは郷士など。海外での傭兵も散見

こんな感じ?



750:
人間七七四年:2010/10/22(金) 20:16:09 ID:EUbbdrvZ
「足軽」という言葉も、兵種ではなく
「武家身分でない戦闘員」全体を表している観があるからなあ。



772:
人間七七四年:2011/09/04(日) 13:57:13.98 ID:v3q2izGI
戦国時代の足軽て、北斗の拳のモヒカンのヒャッハー軍団
みたいなもんすかね?



773:
人間七七四年:2011/09/04(日) 23:24:19.43 ID:AHMkp+b4
>>772
蜂須賀みたいなのがヒャッハー軍団に充たるだろ



775:
人間七七四年:2011/12/13(火) 06:09:23.09 ID:b7OwzzaS
>>773
川並衆って単に河川流通に関わってる地元豪族ってだけではなかろうか?



778:
人間七七四年:2011/12/14(水) 01:51:37.69 ID:OScq3k2B
>>775
勝手に「この流域は俺達の縄張りだ」て言い張って通行量取ってるアウトロー集団だろ。
明治になって蜂須賀の末裔が学者に頼んで
蜂須賀は盗賊の家系ではないと証明しようとしたが、
あっさりと「先祖は盗賊だった」という調査結果が出てしまった。



634: 人間七七四年:2009/08/05(水) 23:57:00 ID:l/bq+4d/
足軽は美しい


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