干し柿


5::2011/02/16(水) 05:42:15 ID:KDxL8NWx
戦国期に刺身と言ったら何魚なの?

マグロは漁獲料が近年多いだけで昔は遠洋にも行けないから、

メインは秋刀魚とか鯵とかになるのかな?




6:
人間七七四年:2011/02/16(水) 18:41:05 ID:tDM8M9zZ
当時は白身の魚がメインディッシュ、赤身は下魚
海のものだと鯛ヒラメ、川のものだと鯉鮒ナマズが”膾”の対象で記録(レシピ)に残る

ただ「記録にないから喰わなかった」とは言い難いのも現状
古くなるけど清少納言がイワシくって「お前息が臭い」言われた話とか
毛利隆元の弁当に入ってた焼鮭をみんなで「それうまそう」といったとか
…まぁ 捕れた魚は何でも喰ってたと思われるので、その数だけ刺身はあったと思われ



7:
:2011/02/17(木) 07:28:43 ID:z/y7pGJk
凄いね清少納言がイワシを食ってたって

隆元の焼き鮭も美味そう
しかしわさび醤油で食うようになったのは江戸からかな?ただの醤油なら昔から食ってそうだけど



8:
人間七七四年:2011/02/17(木) 12:48:03 ID:2hn+gWL/
隆元じゃなく秀元だったような…
弁当の鮭はほとんどみんなにとられたほど人気だったようだ



9:
人間七七四年:2011/02/17(木) 13:07:59 ID:PUrT6s1f
当初は醤油でなくて”酢”  魚に合わせて、わさび酢 カラシ酢とかつかってた
合わせ調味料として使われてきたので、”わさび醤油”も醤油の登場とともにあったと思われ

えっと戦国時代の醤油は”たまり醤油”、日葡辞書(1604)にも記述があるくらいだけど、
醤油は主力輸出商品になので特に記載された可能性もあるので
当時の一般化の度合いはよくわからないと思う

もともと製造に数年かかるので、都(近畿)周辺だけの消費に
供給が追いついていたのかどうか、若干の疑問が……
めでたい席ではつかわれたけど、毎日の食卓上にあったかどうか、個人的には疑問に思ってる

現在の濃口やら薄口醤油が発明され大量生産始まったのは寛永年間(17世紀)
この頃から日本全国で日常的に醤油が使われるようになった
「刺身にわさび醤油」が常識になったのはもこの頃からじゃないかなぁ……



10:
:2011/02/19(土) 05:46:44 ID:Ve+b+DGO
なるほど酢ですね

わさび醤油は自分も江戸以降だと思う、て事は寿司の酢飯の方が歴史は古いのかな?

戦国期に寿司らしきものがあったとしたら酢飯だろうか?それともいわゆるちらし寿司?
江戸前寿司は江戸以降だろうけど



12:
人間七七四年:2011/02/19(土) 09:33:56 ID:5aSArF38
鮨は元々保存食だったからね



13:
人間七七四年:2011/02/20(日) 04:44:33.24 ID:YOUxJkRd
寿司はもともと乳酸菌発酵のなれ寿司だったのですが、これ作るのに数ヶ月もかかるわけで
室町時代になると発酵が進んでない(米粒が残る状態)うちに食べるようになりました
(なまなれ、生成と当時呼ばれてました)

そしてもっと早く(一晩)できる、すっぱさを酢で代用した早寿司(箱寿司)と言うのが考案されます
(いまだとバッテラとかマス寿司、柿の葉寿司なんかにあたりますね)
これはいつ発明?されたかわかりませんが、1600年代には記録が残ります

つまり戦国時代の寿司は、↑の生成もしくは早寿司であったのではないかと 

ついでに…現在の主流のにぎり寿司は、酒造の廃棄物であった酒粕からの大量生産(1811年)が始まり
値段が格段に下がって江戸に持ち込まれ庶民に広まってから、つまり幕末の話になります
いなり寿司、巻き寿司もちょうどそのころ広まったんですよ



16:
人間七七四年:2011/02/23(水) 23:07:35.26 ID:AD6JNhQV
この時代も妊婦が食べるべきものとか食べちゃいけないものとかあったんだね
今でもダメって言われてるザクロなんかがちゃんと入ってて面白い



17:
:2011/02/25(金) 19:10:54.56 ID:Qf77tbc8
逆に目出度い時に食べる習慣は、例えば出産祝いに赤飯なんて戦国にあったのかな?

そもそも赤飯は江戸からかな?



19:
人間七七四年:2011/02/26(土) 01:35:15.12 ID:rgYQvKOw
赤飯(豆入り蒸した餅米)自体は平安時代から記述が残ってます
さらに鎌倉時代には神に献げる”厄払い”の意味がありました(赤飯御供)
で、いつごろ厄払いから「おめでたい席に赤飯」と言う習慣に代わり広まったのか、
つまり戦国時代では凶事に食われたのか、吉事で食べたのか、わかんないです

でも「おめでたいときの赤飯」が庶民に広がったのは江戸時代天保くらいから(吉宗の頃)
なので、今のような赤飯の習慣は江戸時代からと言っていいかもしれません



20:
:2011/02/26(土) 17:59:34.92 ID:PmTW0w49
なるほどね

やはり江戸期に食事の習慣が出来上がるのかもね
戦国期は兵士が餅をぶら下げて出陣した記述はあるみたいだけど、これは醤油焼きなのかな?

またきな粉餅、アンコ餅なんかも江戸かな?

ずんだ、ミタラシ、色々あるけど、戦国期の餅は何が一般的なのだろう?



21:
人間七七四年:2011/02/26(土) 20:03:53.78 ID:KAK0TCIo
醤油は当時ぜいたく品です。兵卒は使えなかったと思われ



22:
:2011/02/26(土) 20:35:48.60 ID:PmTW0w49
では戦国期の餅には何をつけたんだろ?

味噌?餅だけ食べて美味しかったのかな?



23:
人間七七四年:2011/02/27(日) 03:02:01.10 ID:JHJ0fkey
もちはもともと”鏡餅”神に捧げる供物でした、日常食ではありません
”雑煮”も、モチを一度神様に供えから料理して食べたのです

で、室町時代に精進料理とともに”点心”の習慣がひろまり茶の湯の流行とともに、
饅頭などと同時にモチも”お菓子”として食べられるようになったのです
つまり戦国時代では、モチは戦時食と言うより御菓子、に分類されます
当時の食べ方はそのまま焼いたり田楽のようにしたり(豆腐の代わり)、
また乾燥したものを煎った”アラレ”だったんじゃないでしょうかねぇ

江戸時代寛永年間になって庶民にもモチをついて祝う習慣や名物としての”力もち”が広まり
文政になると草加せんべいが発明されます
本格的な日常でのモチを食する習慣はやはり江戸時代から、といえるでしょうね



24:
人間七七四年:2011/02/27(日) 07:41:43.13 ID:k6/qZRZw
毛利元就は下戸で餅が大好きだった、とか
竹中半兵衛が矢で撃たれたとき懐にいれておいた餅のおかげで助かった、とか逸話があるね



25:
:2011/02/27(日) 08:27:01.00 ID:utGaTg/Z
それでは信玄餅なんてのも実際に庶民に広がるのも江戸期っぽいね

また、きな粉じたいが戦国期にあっただろうか?



26:
人間七七四年:2011/02/27(日) 13:14:02.86 ID:+zL01yTh
>>25
「信玄餅」はあくまでお菓子の商品名で最近のものだと思うよ
武田信玄が戦のために切り餅を用意したところから取って名付けたらしい
元々静岡や山梨の方ではお盆に安倍川餅(=駿府名物)に黒蜜をかけて食べる風習があったとか
安倍川餅の名前を家康が付けたという話があるから
それがお盆の風習に取り入れられて黒蜜かけるようになるのはおそらく江戸時代の間だろう

黄粉は奈良時代には薬として作られてたし
室町時代の女房言葉の本にも「まめのこをばきなこともうす」と説明されているよ
江戸時代にも一般的に認識されてはいたみたいだけど
申し訳ないがどの時代にどれくらい一般的だったのかはちょっと知らない

>>25は色々疑問に思ったことを即書き込んでるみたいだけど
ちょっと検索すれば出てくることもあるから、
一度ぐぐってから書きこむと効率よく疑問が解消するんじゃないかな



83:
人間七七四年:2011/08/01(月) 19:37:13.19 ID:PcNI/eea
信長がよく食べていたという湯漬けだが
これは白米に昆布でとった出汁をかけて食うもので
箸の先でご飯だけをつまんで食う公家や武家の食事だった
箸の中ほどまで濡らしたり
口をつけてすすったり
出汁を飲むなどは無作法とされ禁止されていた



871:
人間七七四年:2012/08/12(日) 20:14:05.74 ID:DrNBkFgP
>>83
ただの湯じゃないのな
美味しそうだ



94:
人間七七四年:2011/08/02(火) 21:35:16.43 ID:K57faLED
基本的には荷馬も。足軽より人夫の方が多く食料をもらってように
力仕事させるにはいっぱい食わせねばならんのよ
人間より馬の方がいいもの食ってるように見えるが
人間の5倍の荷物運んでくれるなら投資も十分理にかなってる。

ついでに太平洋戦争でも荷馬は兵隊よりある意味待遇がよかった
まぁ人間と違って馬はストレスですぐ死んじゃうからなんだけど



95:
人間七七四年:2011/08/02(火) 22:24:11.07 ID:SzbbmFcm
そうなのか。。
馬の餌は大豆と藁ぐらい?



97:
人間七七四年:2011/08/03(水) 02:34:27.48 ID:+vixLu5q
>>95
戦国時代の馬糧は、蒸し大豆とヌカや藁や雑草の細かく裁断したものと塩の混合物、かな
オオムギも日本では盛んに栽培されてたけど、これはよそんちと違って人間用だったよ

余談だけど、大豆が西欧に伝わったのは17世紀くらい(イギリスに輸入されてた)
しかも栽培は18世紀になってから
もっと早く伝わっていたら、西欧でも大豆を馬に食わせてたかもね



118:
人間七七四年:2011/08/04(木) 22:18:08.38 ID:iR8BquRI
前田利家が鶴の吸い物食ってあたったと言うが

一般庶民も鶴を捕らえて食っていたのかね?
戦国では鶏を食わなかった事は知っているけど



120:
人間七七四年:2011/08/04(木) 22:50:59.40 ID:AZ8SJlGU
鶏食べなかったっていうのはまったく食べなかったということなのかね。
卵取るために飼ってたろうしオスなんかは食べててもおかしくはないと
思うのだけど、江戸期の本でもよくそうやって書かれてるから
いつも不思議に思ってた。



124:
人間七七四年:2011/08/04(木) 23:14:25.62 ID:86vVobln
>>120
だから卵食う習慣は当時ないってw



501:
人間七七四年:2011/09/17(土) 17:44:51.73 ID:gzYoFAx9
>>124
>だから卵食う習慣は当時ないってw

こういうのがあるんだけど、、
>46 名前:人間七七四年 投稿日:2011/08/09(火) 23:26:41.62 ID:Togfk+uu
徳川家康が未だ竹千代と呼ばれ、駿府で人質生活を送っていた頃のことである。

ある日竹千代は駿府の大祥寺という禅寺に、20羽程の鶏が走り回っているのを見て、
そこの僧に

「あの中から1羽貰えないだろうか?」

と尋ねる。するとこの僧

「どうぞどうぞ。1羽と言わず全部でも差し上げますよ!
全くこいつらは、菜園を荒らす困った連中なのですが、勝手に生まれ育ってしまい、
しかたなくこのように飼っているのです。」

と、心底困ったように答えた。
竹千代はこれを聞いて笑いつつ

『ああ、この僧は鶏卵を食べるということをしないのだ』

と、心のなかで感心した。

のち、竹千代が徳川家康と名乗り、駿河も支配するようになったころ、
家康はこの僧を召し出し、殊勝な者であるとして寺領を寄進したそうである。
(徳川実紀)

そんな、竹千代と鶏と僧侶のお話



134:
人間七七四年:2011/08/05(金) 09:08:04.29 ID:fXaoQfVh
前田利常が義父でもある徳川秀忠を歓待したときの献立表見てびっくりしたのは

【御汁】 鶴・竹の子・しゐたけ
【焼鳥】 ごい?
はともかく

【御汁】 白鳥
にはたまげた

鶴だけでなく白鳥も食ってたのか
呪われないか?



135:
人間七七四年:2011/08/05(金) 09:35:29.06 ID:3eyRQDuz
江戸期の本には、鶴、白鳥、とかよく出てくるもんな。
参勤交代の接待の時は鶴の吸い物だったらしいが。



145:
人間七七四年:2011/08/05(金) 22:14:47.86 ID:EHYtkbql
>>135
そうそう、鶴と白鳥って最初読んだときはびっくりするね。
まあ白鳥なんて攻撃性の強い凶暴な鳥でもあるから、文学に縁のない人間からすると、
特別扱いする理由もないんだろうけど。



137:
人間七七四年:2011/08/05(金) 11:22:28.40 ID:ZkXKqrfb
> 時代が奈良期に入ると、仏教の訓えから、肉食禁止令が出ました。その中にどういう訳か
> 卵も鶏も含まれていました。しかし、庶民
> は利口者、鶏は大事な「時告烏」と称して飼育し、雉(きじ)肉と偽って食べていたといいます。
> また、先人達は、卵が栄養の塊(か
> たまり)であることも知っており、病人や病後の体カ回復の妙薬として密かに賞味して、
> 殻は土中に埋めたといいます。
> .
> それが、室町時代になると、誰言うことなく卵は生きものでないとの風評が世間に広がり、待ってましたとばかりに鶏の飼育も急激
> に増えました。朝廷からの「殺生戒」のお咎め(おとがめ)もなく、またたく間に日本各地に卵の食習慣が広まり、卵の生産量も増加
> しました。
http://homepage3.nifty.com/takakis2/rekishi.htm

食ってたんだろ



159:
人間七七四年:2011/08/06(土) 10:22:14.48 ID:8FEM4wWx
ちょっと乗り遅れた感はあるけど、そもそも鶏は弥生時代にはすでに食べられてたみたい。
遺跡から鶏の骨が出土している。新石器時代末に大陸から渡来したそうな。
で、天武天皇(平城京より前の時代)に「牛馬や鶏は食うな」って詔が出た。
これは肉食を禁じるというよりは家畜食禁止の令だったらしい。

その後は >>137みたいにおおっぴらではないけどこっそり食ってたんじゃないかなー



166:
人間七七四年:2011/08/06(土) 16:54:56.68 ID:qq2mBFkL
>>159
卵ってのは豆腐百珍の次に出版されてるね。
面白いのはゆで卵でさ、黄身が外にある、という逆転卵?
これがすでに作られてるんだ。
当時は驚いたろ~な~。

闘鶏、だけどこれが出てこないんだよね
江戸や上方のでかい町でもでてこない。
ただ鶏なんて囲っとけばポコポコ増えるし
田舎のほうでやっててもおかしくはない。
ちょっと注意しておくは、いいネタありがとう。




172:
人間七七四年:2011/08/06(土) 21:24:10.13 ID:R5uFH+XW
>>166
>面白いのはゆで卵でさ、黄身が外にある、という逆転卵?
>これがすでに作られてるんだ。
>当時は驚いたろ~な~。

これは昔の人のほうがすごかった
百珍に載ってるけどその技術が失われて長いことどうやって作るのか不明だったけど
最近になってやっと作り方を解明、復刻した



146:
人間七七四年:2011/08/05(金) 22:17:19.25 ID:j/GB1viq
戦国時代って果物はあったの?
肉や魚といったたんぱく質は色々あったみたいだけど
果物についてはあまり聞かないけど。



147:
人間七七四年:2011/08/05(金) 22:25:40.75 ID:3eyRQDuz
>>146
こないだマキムク発掘で桃の種が山のように
出てきたけど栗とか山イチゴ、柿、こういうのは普通にあったんでしょ。
卵もだけど当たり前すぎて記録には残らない
なんてのがかえってありそうだな。



150:
人間七七四年:2011/08/05(金) 23:42:13.14 ID:1MJyKgCb
>>146
南部家では城内に林檎を植えていたようだし一部の支配者層の食卓には
デザートが登っていたと思われる。だけど庶民にとっては甘味は高値の花だろう。



152:
人間七七四年:2011/08/06(土) 00:05:15.94 ID:kGxzI7P/
真桑瓜は古くから食われてるから戦国期でも普通に食われてるんじゃないのかな
西瓜なんかも普通にあるだろうね、無論高級品だろうけど



153:
人間七七四年:2011/08/06(土) 04:14:50.99 ID:CeUrOntY
真桑瓜って若きうつけ時代の信長がよくかじってたんじゃなかったっけ?



154:
人間七七四年:2011/08/06(土) 08:02:21.84 ID:qq2mBFkL
当時は全部天然ものだから美味しかったろうね。
鯛、ウナギ、今のわしらがかえって普通に食べられない。
マグロなんかあまって馬に食べさせてたというからな。
江戸期だけど。



156:
人間七七四年:2011/08/06(土) 09:32:06.61 ID:Sh1ZFs/x
天然物が全ておいしいわけじゃない
特に農作物は品種改良や農薬の恩恵が大きい



160:
人間七七四年:2011/08/06(土) 11:50:45.85 ID:hEQr0/qO
やはり肉の味を知ったらやめられないだろうな

江戸時代では猪は四つ脚動物だから本来なら食べてはいけないものだが
鳥は食べていい

だから当時の人はどえらい理論は考えついた
当時では空を滑空するムササビを鳥の仲間と見ていた
そこでどういうわけだが猪はムササビな仲間
ムササビは鳥の仲間
だから猪は食べてよいと



165:
人間七七四年:2011/08/06(土) 16:48:28.31 ID:qq2mBFkL
>>160
江戸期の話だが一応は仏教的なものから食べてはいけないものだけど
「山くじら」なんてごまかして猪は食べてるね。
鹿だって「紅葉」なんてごまかして食べてた。
鳥に関しては禁令が出てるけどそれに関しては最近新書で
わかりやすいのが出たよね。
なので記録や資料がどうあれ、食べてたろな~、なんて。



178:
人間七七四年:2011/08/07(日) 13:39:40.97 ID:ft9rXAwM
古代エジプトのファラオは虫歯がもとで死んだのがいると言うが

戦国~の日本でも食べ物がもとの虫歯で重症化したことあるのかな



187:
人間七七四年:2011/08/07(日) 21:54:46.63 ID:6lbb4OXi
>>178
永倉とか。
http://aekd.seesaa.net/article/189132125.html



197:
人間七七四年:2011/08/08(月) 09:44:34.34 ID:wu7RJfhO
ところで果物の話が出てたけど
江戸初期には、梨、葡萄、蜜柑、なんてのは記録に
出てくる。売買の時期の話だからその少し前の
戦国でもいっぱいあったろうし
あったのなら食べてたんじゃないかな。



199:
人間七七四年:2011/08/08(月) 09:57:08.58 ID:6819Y+nq
果物っていうと武田信玄が干し柿を奨励してたって聞くね。
甲州は今でも干し柿の産地だし。



201:
人間七七四年:2011/08/08(月) 10:04:28.64 ID:wu7RJfhO
お江で、干し柿をつるしてあるシーンがあって
「ビニールの無い時代におかしくはないか」という質問が
あったらしいけど当然藁だよね。
今でも普通に実家から藁で結んで送られてくるけど
NHKさんも大変だなーと思った。



205:
人間七七四年:2011/08/08(月) 16:08:40.76 ID:IXksgeBx
>>201
うちの田舎(和歌山)だと、干し柿を釣るのは葉蘭(バラン)を細く裂いたものだったよ
藁は引張強度が弱いから、大きい柿(百目柿とか)だとすぐ切れちゃうしね

つかバラン、消えちゃったよなぁ……
昔の日本には普通にあっても今じゃ全滅、って道具にされた植物はけっこうありそうだね



207:
人間七七四年:2011/08/08(月) 22:33:35.74 ID:K/3/9Tfn
>>205
ほほぉ、飛騨育ちだが「バラン」って初めて聞いたよこれも勉強になった。
藁は弱いからこよりみたいにゆってぐるぐるまいてたね。

そういや卵が一般化したのは南蛮人のカステラとかで
その味の良さで広がったと何かで見たが
万葉集とかに出てこなかったかなぁ。
鰻は出てきてるもんねぇ。



260:
人間七七四年:2011/08/15(月) 00:39:54.46 ID:akjG1wGh
きくらげ、ナマコを最初に食った奴の勇気には感嘆するね
アメフラシを食わなかったのは正解だ

昔の縄文人は犬の肝臓を食って全身激しい痛みを感じつつ死んだケースも人骨からわかるらしい
今でこそ犬は雑食だが、昔は肉食偏重だった
肉食動物の肝臓はビタミンAが多過ぎ、食べると人体に悪影響を及ぼすらしい



261:
人間七七四年:2011/08/15(月) 05:06:37.21 ID:2eF02ab/
アメフラシも食ったと思うぞw
二人目や三人目以降のチャレンジャーがいなかっただけで。



263:
人間七七四年:2011/08/15(月) 10:01:49.42 ID:ICyS3kp/
この頃の百姓さんの食事は、野菜に雑穀に少し味噌を加えたものと
山野の生物の肉や魚みたいな物少々みたいなもんばっかみたいなもんだったらしい。
それで、人力ででかい城作ったり、槍での頃しあい・・・
すげえな昔の人はwww



264:
人間七七四年:2011/08/15(月) 11:57:11.67 ID:83S0ZPl+
この頃だけでなく
昭和の2~30年代の農村部つまり電気もろくに
こないような地域は江戸とほとんど変わってない部分もある。
だから今でもその痕跡は十分にあってそんなに
「本で読む」ということもなく「体感」できるぐらいとは思う。

食生活の話でもそういう実体験の経験ー伝承がたまに
でてくるのは貴重だと思うのだよな。
たまに戦国ー江戸初期を「わかるわけないだろ」と
言われるけどそういう根本認識が違ってて
案外3~400年では変化しない部分もあるのではという話ね。



276:
人間七七四年:2011/08/16(火) 08:39:53.39 ID:yw09UB4R
この時代の食事は、味付けが異様に塩くどいもんだったらしい。
上杉謙信は塩を舐めながら酒ばっか飲んで脳卒中・・・。
織田信長も塩漬けの梅干なんかを旨い旨いと食ってたみたい。
多分、信長は本能寺で死ななくても、怒りぽさと塩漬けの食事で
高血圧である日ぱったりと死んでたろうな~。



282:
人間七七四年:2011/08/16(火) 18:19:39.59 ID:wtnHO19t
松本清張の徳川家康で
江戸に移ってから家康が女中に漬物の大根?の味付けは塩が効いている方が
ご飯が進みおかずの節約になるというような話があったから

武士は第一に腹にたまればいいのかねえ



284:
人間七七四年:2011/08/16(火) 19:54:15.90 ID:QavMoW+F
>>282
逆の話もあるぞ。
美味しいとたくさん食べ過ぎるからまずくして
食費を少なくするというの。



283:
人間七七四年:2011/08/16(火) 18:38:17.99 ID:SX122kkf
> 武士は第一に腹にたまればいいのかねえ

武士に限らず、中世ってのはそういう時代だ
『大飢饉、室町社会を襲う』あたり読むよろし



294:
人間七七四年:2011/08/17(水) 06:23:02.02 ID:BC3tAd3M
>>283
古米のほうが新米より高価だったらしいね。
水分が少ない分、量が増えるから。



297:
人間七七四年:2011/08/17(水) 17:55:53.93 ID:FeWJ0JY0
戦国時代の人間が今の時代の料理食べてもおいしく感じないのかな?
現代人が食べても味がしないかしょっぱいかと言うのは何となく分かるけど。



298:
人間七七四年:2011/08/17(水) 20:56:27.87 ID:Uji8NutI
爺婆はカップ麺とかまずくて食べられないと言うし
うまいかどうかは別として天然ものしか食べたことない
昔の人は今の素材自体があれだろうな。
ましてや調味料や料理法はとまどうかもしれん。



299:
人間七七四年:2011/08/18(木) 03:16:29.17 ID:I76aS+he
今の時代の料理って言ってもバリエーションが段違いだしなー

でも甘いものや味の濃いものってわかりやすいから好評だと思う
食文化の乏しい、たとえばアフリカの田舎とかだとキャンディがすごく喜ばれたりするし
ある意味で刺激的な味は魅力だと思う
一口目でびっくりして噴き出す→少しずつ慣れて気に入るって感じもする

天然物信仰に関しては上でもめたし置いとく



311:
人間七七四年:2011/08/21(日) 19:22:25.18 ID:p0Ugqzcl
徳川家康は、麦飯、野菜、鰯、豆味噌の味噌汁などといった、どこのム所の
メシだよおい、と言った食生活ですごしたらしい。でも、おかげで当時と
してはかなり長生きの70代まで生き、あっちのほうも現役で60代で子供作る事ができた。
ちなみに私も体患った時、こういう食事をしてたら、3ヶ月で病気完治し、
あそこもまた朝おっ起つようになりました。お勧め。



312:
人間七七四年:2011/08/21(日) 19:30:55.99 ID:R2ZhHdl1
しかし、徳川家康が源義経の仮装をした時に
「自分で帯が結べないほど太っていたため滑稽だった」とある。

「太る」ってのは健康に悪いことだと思うんだがな。
それに粗食なのになんで太るんだろう?
鷹狩りが趣味だから肉食もしまくったんだろうな。



320:
人間七七四年:2011/08/22(月) 15:57:04.36 ID:2vQuyJyA
>>312
高齢者に関して言えば、肥満はガンや心臓発作後死亡するリスクを下げる報告が多いよ
逆に痩せてる方が肥満や標準に比較して死亡率4倍(ガン死亡率18倍)
年寄りの粗食(バランスの良いコレステロール摂取や食物繊維)でデブなのは理想的長寿生活スタイルかも

…ま、胃ガンらしきものでお亡くなりになるんですけどね……



317:
人間七七四年:2011/08/21(日) 23:51:18.22 ID:C1H78yUu
大食いだったのかもな。
癇癪持ちの家系らしく家康にも癇癪があったともいわれる。
それを出さない為に大食いでストレスを発散してたのかも。



321:
人間七七四年:2011/08/22(月) 18:07:31.22 ID:Wa2yYil1
家康が太ったのは家康が太りやすい体質だったからなんだろうな。
しかし、戦国時代の粗食ですらそうだったのに、
もしも現代に生まれてたらどんなに太ってたかわからん。



324:
人間七七四年:2011/08/22(月) 20:25:16.73 ID:cNTvlntR
>>321
太ると言っても、脂肪たぷたぷのデブと、筋肉質でずんぐりしているのとではだいぶ違う。
ちなみに、戦国時代の日本人は、筋肉質でずんぐりは、前線の兵士にも結構いたっぽい。



330:
人間七七四年:2011/08/24(水) 13:37:16.90 ID:cDiC5xf3
狩りの途中「しまった喰いモンがない、コラ百姓なんかだせ、山芋?よしよし」
「鯛のてんぷらウメぇー・・・・・!」



334:
人間七七四年:2011/08/25(木) 00:21:48.00 ID:PeESlgNk
>>330
家康の鯛は、中華風の鯛の唐揚げにニラ塩ダレかけたもの、だったみたいだぞ



335:
人間七七四年:2011/08/25(木) 00:50:53.20 ID:R2iskebo
>>334
なんか普通に美味そうだなそれ



331:
人間七七四年:2011/08/24(水) 14:27:45.87 ID:ldI/Xq8R
てんぷらなんて塩だけでも美味しいし
当時の天然塩だったらマジ美味しかったろうな。
今のわしらのほうがかえって食べられないわ。



336:
人間七七四年:2011/08/25(木) 10:08:26.05 ID:lSCYePlW
家康のてんぷらは、油が違う。
その油は、まったく生産されていなくて現在ではごくわずかしか残っていない。
(どっかの寺がごくわずかに持っているが、ちびちび特別な客だけに年一回だけ使っている)



337:
人間七七四年:2011/08/25(木) 10:11:45.73 ID:lSCYePlW
かやの油でした。



338:
人間七七四年:2011/08/25(木) 11:10:57.45 ID:xB6C6b+J
へ~、かやの油なのか。
菜種油というのかなんかの植物を大量に使って
搾り取ったように読んだおぼえがある。

なんにしろポコポコに育った大量の鯛の中でさらに
ホコホコのを選んでその中のテップリした部分だけを
いっぱいあげてその中のいいとこだけを家康に
提供してその中でさらにうまそうなのをヨって食べた
わけだから極上中の極上でまさに王者の美味しさだったろうな。



344:
人間七七四年:2011/08/25(木) 20:17:35.32 ID:2C+uZ1Fq
  ∧ ∧
 ( ´・ω・)  おにぎりどうぞ
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、    ,.-、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け 焼たらこ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 



346:
人間七七四年:2011/08/26(金) 14:20:46.88 ID:EreUYHxO
この中で戦国時代にあったのはどれ?



347:
人間七七四年:2011/08/26(金) 14:54:59.64 ID:2sJ5dYbl
梅干し こんぶ(煮物) ごはんですよ(ノリ煮) ちりめんじゃこ 塩辛 鮭
…くらい?



348:
人間七七四年:2011/08/26(金) 14:57:35.37 ID:2sJ5dYbl
高菜わすれとった……



349:
人間七七四年:2011/08/26(金) 15:58:23.53 ID:u4u0wjTs
高菜、忘れてしまったんですか!



352:
人間七七四年:2011/08/26(金) 18:08:54.46 ID:EreUYHxO
わさびやら野沢菜なんかはあったんじゃないか。
ごはんですよはどうだろう、海苔ってあったんかなぁ。
塩辛もイカの塩辛ってあったんだろか。
あったなら北海道では鮭や焼きタラコもあったかもね。
意外と今とかわらんじゃん。



354:
人間七七四年:2011/08/26(金) 19:09:58.09 ID:2sJ5dYbl
ワサビ漬けも野沢菜も発明?されたのは江戸時代
ノリは昔から佃煮で食ってた、今の板海苔は元禄の発明
塩辛は日葡辞書に記述あり、イカそのものの記述はないけど、いろんな塩辛が作られたと思うよ

たらこ(スケソウダラの卵)は韓国で利用がされてたけど(15世紀くらいから記述有り)
しかし日本だと江戸時代に入ってから広まったものなので、戦国限定だとたぶん無理

鮭は塩ジャケだけでなく生の記述もあり、かなり利用されてたはず
(当時鮭が遡上する川は西日本の方まで広範囲にあった)

現在の天ぷらの原型が確立したのは江戸時代初頭(寛文11年)、天むすはちょっと無理かな

つか当時は板海苔無いから! 今のおにぎりとかなり見かけは違うと思う



355:
人間七七四年:2011/08/26(金) 19:21:46.02 ID:HgPcCY/m
昔のおにぎりはデカかったらしいな。おにぎりの原型と呼ばれる頓食に至ってはひとつに1合半。



358:
人間七七四年:2011/08/27(土) 11:25:01.58 ID:giNBXeld
江戸期でも成人男性が1日に食べたごはんを5合と言うけど
多すぎやしないかな。

戦国期だと移動の時の時に配った米の量が記録にあったけど
やっぱり多すぎるような気がする。
酒にしてしまう、なんて記述もあったっけな。



364:
人間七七四年:2011/08/27(土) 18:16:27.64 ID:Z/Aqlt6k
昔の食事は”副食”がものすごく少ないから、基本米だけですべての栄養素をまかなっていた
…わけで、すべてのカロリーを米から取ってたと仮定する
現在の肉体労働者の場合、体重50kgで一日2300kcal、一週間に16100kcaol目安と言われてる
で、労働時間で相対的に毎日何合必要か、計算する

現在は労働基準法があるので労働時間は一週間(168時間)に48時間働いてる計算
昔は土日がなく毎日労働、米1合570kcalとすると、
毎日8時間肉体労働(毎週56時間)だと18800kcal(毎週33合)、計算上4.7合は一日に必要な計算に
仮に一日10時間で23500kcal(41合、一日5.9合)12時間で28200kcal(49合、一日7合)

…ま、”仮の計算”ですがね……



399:
人間七七四年:2011/09/03(土) 21:06:09.76 ID:c3390Tjk
豊後府内では、宣教師が祝祭に牛を一頭購入して牛飯にして振舞ったという記録がある。



509:
忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/09/18(日) 04:51:13.32 ID:DhM3MqK2
>>399
牛飯ってどんな飯なの?
今でいう牛丼みたいな飯か?



528:
人間七七四年:2011/09/19(月) 11:10:31.70 ID:xsmrZa/Y
>>509
牛肉入りの雑炊とか炊き込みご飯系のものだと推定されている。



400:
人間七七四年:2011/09/04(日) 10:37:11.64 ID:5cVtUytW
それは何年頃のこと?



401:
人間七七四年:2011/09/04(日) 11:11:42.72 ID:i0k4tUol
1557年のことらしい



402:
人間七七四年:2011/09/04(日) 14:59:43.50 ID:zfplFunb
品種改良以前の牛は臭くて硬くて不味かったから、それをごまかすスパイスのたぐいのない日本で
それを振舞われた人たちはひどい目にあっただろうな。



404:
人間七七四年:2011/09/04(日) 16:20:41.55 ID:5cVtUytW
>>402
当時のスパイスって、薬だろ。
味を良くするためなんて、贅沢な理由に使われたのは、ヨーロッパでもずっと後の時代の話。



406:
人間七七四年:2011/09/04(日) 18:27:34.65 ID:3c5yqund
>>404
ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。胡椒も含めてな。
胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。100%味付けのため



409:
人間七七四年:2011/09/04(日) 19:05:40.70 ID:5cVtUytW
>>406
>100%味付けのため

これのソースは何?

>ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。

ローマのことはよく知らないが、もし使われていたとしたらその時代だけが
特別だったんじゃないの?
金に匹敵するぐらい高価だったものを、いくらでも使えるわけがない。

>胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。

それは明らかに俗説だな。



418:
人間七七四年:2011/09/05(月) 02:57:30.80 ID:EFUfNwxZ
>>409
ローマの料理レシピが残ってる。少なくとも金持ちは胡椒をふんだんに調味料として使ってる。
胡椒を粒のまま表面にびっしり貼り付けて焼いた一種のケーキもあったくらいだ。



407:
人間七七四年:2011/09/04(日) 18:29:34.43 ID:iB03LhiB
味噌で煮込めば大丈夫そうだけど



414:
人間七七四年:2011/09/04(日) 20:22:44.25 ID:4xE7f96g
なんとなく思ったんだが、その胡椒って現代の俺たちがイメージする胡椒じゃなくて、
山椒とかの可能性は無いのかな?



652:
人間七七四年:2011/11/20(日) 00:00:07.65 ID:kHJySDqU
>>414
600 名前:めろんぱん♀ 投稿日:2011/11/19(土) 23:45:20.48 0
天平時代は輸入品なので貴人しか口にできない貴重品でした。
食品というよりも薬扱いでしょうね。
東大寺でも口にできたのは高僧だけでしょうね。

唐辛子を胡椒と呼ぶ地域があるのは、音が「唐枯らし」に通じるので
貿易業者が使用を忌避したからだと言われているそうです。
江戸以前の「胡椒」は輸入香辛料の総称だったようです。
胡は「西方の~」という意味です。



438:
人間七七四年:2011/09/06(火) 20:10:52.93 ID:2+0yhdJm
これまでの流れをまとめると、

1. 戦国時代、胡椒がどれだけ希少性があったか
2. ザビエルが来日した1550年頃のエピソードと、雑兵物語の記述に矛盾がある
3. 同じ「胡椒」という名称を使っていても、別の香辛料を指しているんじゃないか

という話の流れだが、、

16C後半の日本というのは、初めてのヨーロッパ人との接触が起き、その後
急速にいろんな文物が入ってきているんで、普及度については10年か20年
ぐらいに細かく区切らないと、話が全然噛み合わないってことがある。

ザビエルが来た当初は、希少なものだったのが、その後数10年で供給量が
一気に増えた可能性を考えた方がいいかと思う。



442:
人間七七四年:2011/09/07(水) 03:34:01.58 ID:5GuBIncI
>>438
さらに「胡椒が料理に使われていたか」てな問題もあるよ

ニンニクなんて漢方薬として古くから知られていたけど
料理に使われることが広まったのは戦後最近なんて例もあるし



594:
人間七七四年:2011/10/09(日) 18:33:03.10 ID:EpGvDOSi
>>438
室町時代末期に中世武家礼法を集大成した小笠原流
の食事作法を記した「食物服用之巻」にも、紙に
くるんだコショウ「こせうかみ」が添えられ薬味にした。

ちなみにコショウを薬味にするのは江戸時代のうどんの
食べ方に引き継がれる。18世紀末まで、うどんには粉コショウ
と梅干しが付きものだった。



439:
人間七七四年:2011/09/06(火) 20:36:07.72 ID:2+0yhdJm
あと、胡椒も加工方法の違いで黒胡椒(比較的安価)と白胡椒(高価)の違いがあったり、
赤胡椒のように、胡椒と似ていても全然別種のものもあったりするんで、その辺りも注意が必要。



458:
人間七七四年:2011/09/11(日) 09:21:19.73 ID:wEBrc3x5
戦国時代は、甘みを料理に加えること無かったの?



459:
人間七七四年:2011/09/11(日) 10:09:05.80 ID:PQc1itCw
戦国後期には味醂とかあった気が



466:
人間七七四年:2011/09/11(日) 18:52:42.79 ID:FUSYUV/k
>>459
酒はみりん系(忍冬酒とか)あったけど、料理にくわえた例はあんまりないんじゃないかな
(レシピが残ってない)



473:
人間七七四年:2011/09/11(日) 23:35:46.72 ID:M/nZuTML
みかんってのは昔から今みたいに美味しかったのかな。
戦国期ならかなりのごちそうって感じがするが
とれる場所が限定されてるか。



474:
人間七七四年:2011/09/12(月) 00:08:13.54 ID:z/EZ5cgl
>>473
現在主流の糖度が高いミカンはほとんど江戸時代に発見輸入されたのよね

それ以前のミカンは酸っぱいのが主流(漢方薬として利用)
今だと、ゆず、キンカン、ダイダイとかが該当するかと



479:
人間七七四年:2011/09/12(月) 14:41:35.43 ID:YjrMyL6b
>>474
ふむふむ。
柿でも甘いというのは現代の感覚で
昔は干し柿にするぐらいしか食べ方がなくて
それが少し甘くなってくれるしどこにでもあるから
貴重って聞いたもんで。
四国の方でミカンはたくさん取れてたのかな、
薬としてなら贈答として貴重だもんな。



480:
人間七七四年:2011/09/12(月) 14:59:59.52 ID:z/EZ5cgl
>>479
普通の干柿の糖度は和菓子だと羊羹ぐらいなんだぜ(70%砂糖水くらいのやつもある)
ちなみに果実の糖度は、桃14%ぶどう17%メロン16%に対し渋柿は21%くらい、
これを乾燥して糖度を高くしてるのよ
で、はちみつは76-80%くらいなので、現在でも、干柿はむちゃくちゃ「甘いもの」になるよ



486:
人間七七四年:2011/09/13(火) 11:38:06.64 ID:DrHpaxFU
イカやタコってのは食べたんでしょうか?



488:
人間七七四年:2011/09/13(火) 15:15:25.20 ID:ipR7QIQ0
>>486
古代の朝廷への貢物にも入ってる



491:
人間七七四年:2011/09/13(火) 23:52:42.94 ID:MYVr/a9h
>>488
へ~、ありがと。
古代ってのはヒミコとかまでさかのぼっちゃう?
それとも奈良時代ぐらいなのかな。



492:
人間七七四年:2011/09/14(水) 13:34:38.31 ID:fAMc1JW3
>>491
タコ、イカは縄文時代から食べられてるぞ。



493:
人間七七四年:2011/09/14(水) 13:48:58.83 ID:hV3ftg+x
>>492
ほ~、骨とかでわかるのかな、骨ってあったっけ・・?



494:
人間七七四年:2011/09/14(水) 13:51:47.54 ID:Da3dI3AV
>>493
タコとイカは嘴が残るんじゃない?



496:
人間七七四年:2011/09/14(水) 17:00:12.71 ID:hV3ftg+x
>>494
と思ったんだがものすごく小さいしそれでも
残るのかなって。それを見つけるのが考古学者の腕
なんだろうけどすごいな。



497:
人間七七四年:2011/09/14(水) 18:46:13.62 ID:SdpJdJEe
[PDF] 第 17 節 いか・たこ漁業
http://kagoshima.suigi.jp/ayumi/book/01/a01_01_17.pdf

>縄文期の貝塚からコウイカ類の甲羅片が相当数出土していることから,イカ類の漁獲の歴史は新石. 器時代まで
>遡ると考えられている。

>指宿市の橋牟札川遺跡から、たこつぼ型土器が見つかった。この土器は弥生時代(約二千年前)に登場し
>古墳時代に大阪湾から瀬戸内海沿岸、北部九州におよんだと考えられる。



502:
人間七七四年:2011/09/17(土) 18:01:17.95 ID:8/Fg2TPb
水木しげるの妖怪図鑑で、鶏食って呪われた?坊さんの絵が載ってたの思い出した。
坊さんの口から鶏の頭が出てて、尻尾まで生えてるやつ。




503:
人間七七四年:2011/09/17(土) 18:37:27.32 ID:MIwLEsn9
まんが日本昔話で婆さんと狐が一日おきに鶏卵食う話を見てから
味噌汁に卵入れて食うようになった。



504:
人間七七四年:2011/09/17(土) 19:13:09.32 ID:4AJfKiDD
…仏教説話になる、ってのは一般庶民がそういう習慣を持っていたわけで……

室町戦国時代、雉をたくさん食べてる記録があるのだけど、供給元は何か、と考えると
一般にニワトリは雉に名を借りて食われてたと思うなぁ
当時の日記でも「さすが中納言の雉はうまかった」とかあったりして
”雉”自体市場でたやすく手に入れられ、さらに等級があったようだし
あと南蛮菓子カステラが日本人にすぐ受け入れられたから「卵の禁忌」はなかったと思うな
でも、”薬”ではなく”料理”として卵が一般化したのは江戸時代だね



505:
人間七七四年:2011/09/17(土) 19:51:53.08 ID:gzYoFAx9
野鳥の卵はOKで、飼われた鳥の卵は食べるのに抵抗があった可能性もあるけど。



518:
人間七七四年:2011/09/18(日) 23:34:44.67 ID:Iv2YYWr2
いつ産んだか判らない、野鳥の卵なんて食べるかね。
毎日、野鳥の巣を見て廻るか?
鶏卵にしても、今時の鶏のように毎日、卵産まないよ。



519:
人間七七四年:2011/09/19(月) 00:20:13.84 ID:fG6fUDwa
卵保存利くし、栄養価高いし、安全性高いしで、
有れば喰うだろ。
毎日見に行くとかしやしないだろうが。



520:
人間七七四年:2011/09/19(月) 01:11:35.82 ID:OPD7Z2oI
>>519
まぁ”マタギ”では野鳥の卵は採集しないですよ(資源保護のため)  
ただ、当時(鳥の)卵を食べてる記録があったら、ご教授ねがいたいです

余談だけど、日本の狩猟対象野鳥で現在卵利用されてるものはウズラ
家禽化されたのが室町戦国時代、でも当時の飼育ウズラは鳴き声を楽しむものでした
飼育専門書「鶉書」(1650年頃)にも、好く鳴く個体選抜方法とか載ってますが
太らせるとか”食”に関する記述がないのです(野生種は肉目的に狩られてるけど)

ウズラの卵がレシピに乗るのが江戸時代、卵を目的とした品種改良が始まったのは明治時代
これを参考にすると、まぁ戦国時代の人にとって野生でも「卵を食べる」という慣習はなかった、んじゃないかと



523:
人間七七四年:2011/09/19(月) 07:37:15.66 ID:v9NgFFZD
なんかいろんな話が出てて、何が論点か分かってない人もいるみたいなんで、少し言葉を補ってまとめると

戦国時代、
1. 卵(飼い鳥、野鳥に関わらず)を食べることはあったのか。
2. 卵を食べなかったとすれば、その理由は(肉食に準ずる)禁忌だったのか、単にそういう発想がなかったのか、
  その他現実的な理由(コスト、食中毒等)から食べられなかったのか。
3. 禁忌だとすればその範囲・理由は、鶏の卵だけか(飼ってる生物を食べるタブー)、野鳥もだめか(生き物を食べるタブー)。
4. 卵を食べる頻度は。積極的に探す人間がいたのか、偶然巣を見付けたら取っていたのか、もしくは
  絶対口にしないわけでは無いが、レアケースだったのか。
5. 卵を食べたとすれば、食料としてか、薬としてか。
6. 薬として食べられていた場合、言い訳として(タブーの抜け道)か、実際にそう信じられていたか。
7. 薬として考えられていた場合、薬効は何か。
特定の病気に効くと考えられていたのか、滋養強壮用か。
8. 卵を商業目的で取る人がいたのか、またそれは専業か、たまたま取れたときに他の物資と一緒に市で売る程度か。

ざーとまとめたので、抜けているものがあったら突っ込んでください。



539:
人間七七四年:2011/09/21(水) 11:12:12.23 ID:gIYSYjq/
wiki 鶏卵-食品としての利用より転載
>日本において一般的に鶏卵を食べるようになったのは江戸時代とする資料が多い。
>但し、戦国時代には戦場で野生の鶏を捕え、卵を生で食べていたようである。
>栄養価の高さから戦病者や病人、産婦によいとされている。

野山で野鳥が既に産み落とした卵を巣から採取し市場に出すのは、
売り手も買い手も、それがいつ産んだ物か判らず、
割ってみるまで食べられるか判らないという、
衛生面から市場に卵が商品として並べられたとは考えづらい。

しかし、野鳥を捕まえたり市場で購入し、解体、調理したとき、腹の中に鳥モツのキンカンと呼ばれる部分、
(殻の無い卵の前段階の物)が入っていれば、その場合は食べたと考えてはどうか。
これなら双方の主張に矛盾は生じないかと思われるが。

ここからは想像の域は出ないが、当時の妊娠中の禁忌、火を使わせない、縫い物をさせない、
母屋に入らせないなど、妊娠中は身体が穢れているという、古代宗教の思想、因習などが、
動物にも当てはめられ繁殖中の物を食べると穢れる、
などの理由から、江戸時代に調理法が書かれるまで、
あまり公に卵が食べられなかった理由の一つかも。



614:
人間七七四年:2011/10/21(金) 06:34:55.03 ID:vilFrFp2
兵が縄かなんかに味噌汁をしめらせていった、という話を
聞いたんだが本当?



616:
人間七七四年:2011/10/21(金) 19:12:45.90 ID:V4UOPJtJ
芋がらで作った芋がら縄だな
それに味噌を染みこませておいて、お湯をかければインスタントお味噌汁に早変わり
芋がらもお湯で柔らかくなって味噌汁の具になるというものだったと思う
昔のインスタント味噌汁は縄だった
http://portal.nifty.com/2010/10/04/c/



617:
人間七七四年:2011/10/22(土) 00:53:22.14 ID:9V0S6wpX
>>616
それって有名な話ですか?
歴女さんたちがみんな知ってたからなにかで広まったのかな。



618:
人間七七四年:2011/10/22(土) 01:04:29.53 ID:3ffgWGQq
>>617
確か、NHKの歴史番組で見たような気がするねw



619:
人間七七四年:2011/10/22(土) 01:06:33.58 ID:n0V/rNep
日本史の教科書にチラっと出てたような



625:
人間七七四年:2011/10/28(金) 09:53:33.09 ID:JVilEVcO
大名の食事:江戸時代 -



日本人の8割は農民でしょう

農民の食事:江戸時代 -



庶民の食事




645:
人間七七四年:2011/11/17(木) 06:57:26.15 ID:ovREzery
秀吉の接待、という本にいろいろ面白いことが書いてあったが
もう戦国という感じでもないのかな。
室町の故事の料理だから伝統料理ってとこか。



646:
人間七七四年:2011/11/18(金) 02:14:44.53 ID:SAl+SkAw
確か続群書類従に信長が家康の接待をした時の料理が出てたよね



649:
人間七七四年:2011/11/18(金) 20:28:11.34 ID:q4D4ohce
>>646
安土献立だっけ
作り話っぽいけど光秀が切れるもとになったとかいう



650:
人間七七四年:2011/11/19(土) 10:06:27.94 ID:Wt3lEaYq
>>649
あの腐った魚云々は小説だろうけどなにか両者が言い争いしたのは
確かだろなぁ、スレチでごめん。安土の献立というと公家流の四条流とかなのかな。
味噌の濃い味に慣れた家康はどう思ったんかな。



653:
人間七七四年:2011/11/20(日) 23:43:58.37 ID:CukqnjxV
>>650
腐った魚が原因だっけ?
なんか豪華すぎるとかいう(逆かも)話でおぼえてるんだけど

信長さんも逸話によれば濃い味が好きだったんでしょ
そして甘党



655:
人間七七四年:2011/11/21(月) 00:49:34.99 ID:hw8YJev7
>>653
http://www.azuchi.org/town/azuchikondate.htm
これが再現らしいが、味噌の濃い味のが多いがさすがにかなり豪華だなw



658:
人間七七四年:2011/11/21(月) 18:38:49.94 ID:ocRRnUsW
>>655
しいたけだけで一品になるのは現代と違うとこだな。
栽培法が確立されるまでは現代のマツタケ並みの高級キノコだったそうだし



662:
人間七七四年:2011/11/22(火) 12:35:24.56 ID:7Tk1LK8I
>>658
昔のマツタケは高級食材では無いね
マイタケは超が付くほど高額だったらしいけど



757:
人間七七四年:2012/04/24(火) 08:14:26.84 ID:K3jbO8Mv
生活習慣病に関して「食生活の欧米化にともない増加した・・・」とよく書かれているが、
こと高血圧に関しては日本の伝統的な食生活のほうが危ないよね。
塩分過多になりがちだし。



760:
人間七七四年:2012/04/25(水) 00:24:28.02 ID:8dPX/0Aa
高血圧の原因は 大きくは遺伝要因と過剰な塩分摂取 なので
あんまり食事の西欧化(特に肉)は無関係だと思うんだ……



764:
人間七七四年:2012/04/25(水) 11:27:20.15 ID:obJOT+LL
家康なんて異様な味噌好きだったようだが
高血圧にはならんかったのかね。



765:
人間七七四年:2012/04/25(水) 15:08:11.61 ID:sev6+b2r
そんな史料はない



766:
人間七七四年:2012/04/25(水) 17:27:05.92 ID:8dPX/0Aa
人の血圧測定始まったのは19世紀だから、さすがに”資料”はないだろうな……
ただし(高血圧症による)中気や卒中という症状は当時の漢方にもあったよ

で、具体的な血圧はわからないけど、徳川家康愛用と言われる「無比山薬丸」には
地黄など血圧血糖値降下作用があるものが入ってるので
今で言う「生活習慣病」を自分で意識していたことは十分有り得ると思う



772:
:2012/05/12(土) 01:19:03.59 ID:+fnKDrdN
信玄は高血圧。謙信は低血圧。

ところでですが、海魚を生で食い、川魚は火を通すって慣例というか
食の安全に対する知識は戦国時代にはあったのでしょうか?



774:
人間七七四年:2012/05/12(土) 03:54:52.01 ID:UogZrsEl
>>772
謙信は大の酒飲みで
酒のアテは塩と梅干な人だぞ



776:
:2012/05/13(日) 00:59:01.65 ID:khqRokLE
>>774
謙信は朝型の便所で踏ん張ってたらぶっ倒れた。これって低血圧に多いって聞いた事がある



779:
人間七七四年:2012/05/14(月) 14:30:40.80 ID:eGAQEP5z
脳溢血って高血圧に多いだろ。



791:
人間七七四年:2012/05/18(金) 16:16:44.52 ID:Od4qicRy
北条氏政が飯にかける汁の量がなかなかわからず
それを見た氏康が嘆いたという話は有名だけど、
氏政が食べていたものは今でいう汁かけご飯なわけ?
それとも湯漬け?

汁かけご飯だったらどうしても
「いい大人がはしたない・・・」と思えてしまうけど
当時は大人、それも高貴な身分の大人が普通に食するものだったの?



793:
人間七七四年:2012/05/18(金) 17:59:27.93 ID:mUChBSE3
>>791
かなり昔、某国営放送で足利義輝が三好三人衆&松永久秀に
招かれた宴会の話があったが、三献の儀の後最初に出たのが
汁かけ飯で、大きな深皿に中が窪んだドーナツ状に飯を盛り、
別の深皿に二種類の汁が用意されてるというものだったな。



792:
人間七七四年:2012/05/18(金) 16:42:16.47 ID:Q26yRBrl
汁かけ飯。汁かけ飯は八代将軍足利義政は広めたともされるもので、当時の大名も当然これを食した。
それだけに早くから汁かけ飯の食べ方にもマナーがあり、汁は吸わずに
箸でコメだけをすくって食うものだった。
ちなみに汁は味噌汁ではなく出汁汁。



794:
人間七七四年:2012/05/18(金) 20:08:55.63 ID:bYkU+Jpv
この汁かけ飯の汁でご飯を炊くようになったのが後の炊き込みご飯



802:
人間七七四年:2012/05/20(日) 07:44:00.95 ID:U7fMdN55
戦国期の史料が無い場合は、室町期と江戸初期を比較して、
その差分で想像するのがいいな。




803:
人間七七四年:2012/05/20(日) 13:36:44.64 ID:h5hU+fot
一次資料がない分は語ってはいけないがこの板の掟



807:
人間七七四年:2012/05/21(月) 03:54:40.27 ID:MFrt+Zeo
食い物に関して言えば、すべて一次資料を揃えるのは無理難題

たとえば「水飴」 
日本書紀の時代から記録に残り平安末の京では店頭で売られてたけど
お菓子(固い飴)となって広まるのは江戸時代(砂糖が庶民に広がるとともに定着してる)
じゃぁ鎌倉室町戦国時代には実際にどのように水飴が使われていたか、なんて
一次資料なんて全然ない(推察するしかない)

まぁ現在の「食」の始まりは17世紀に入ってからが多くて、
それ以前の食い方なんてさっぱりなんだよな……



822:
人間七七四年:2012/05/29(火) 20:57:34.46 ID:CqNJUSZW
古事類苑データベースで飲食部が公開されてるぞー (^o^)ノ
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/



823:
人間七七四年:2012/05/29(火) 22:42:26.80 ID:sPZ2hmjX
>>822
こんなサイトあるのか。すごいなPDFまで付いてる。



827:
人間七七四年:2012/06/12(火) 18:55:41.46 ID:6G+kzjuH
なんかこの当時なんかは麦飯や味噌汁なんかも贅沢品だったらしいと
聞いたんですが、本当ですか?



831:
人間七七四年:2012/06/12(火) 19:45:03.30 ID:u/5deGz4
>>827
甲斐の記録だと
1505年(冷害と干害で不作)には米一升(甲州升大体30合)70文大豆50文粟60文稗50文
1512年(大雪で交通遮断)には米80文小麦70文塩40文
1516年(駿河との戦)には米100文大麦28文大豆60文小豆70文
1519年(永正の大飢饉)には米100文大豆70文粟80文

安い(豊作)時期だと
1515年には米40文大豆20文小豆32文粟20文稗12文

麦飯は大麦(この時代でも粉にする→小麦、そのまま使う→大麦、と区別されてた)で
値段的には米の3割の値段、大豆は米の5-7割、粟5-7割、稗3-5割、小麦9割、塩5割
そして味噌は大豆と塩の加工品

…↑を踏まえて、麦飯、味噌がそれぞれ「贅沢品」かどうかは、ご自身で判断を……



833:
:2012/06/13(水) 22:31:21.68 ID:TxMn4+bm
そばって奈良時代からあるみたいだけど、出汁がなんだったのか疑問。まさか味噌?

醤油は江戸以降として味付けや出汁は何だったんだ?カツオ出汁なんか既にあったの?



834:
人間七七四年:2012/06/13(水) 22:34:55.41 ID:hhKXQnsW
麺にしてないから
そばがきだから



835:
人間七七四年:2012/06/14(木) 04:35:56.07 ID:wayOQlm1
今の鰹節の製法ができたのは江戸時代中ごろだけど、
それ以前から乾燥させた鰹を珍重していて、煮汁にしたり、兵糧にしたりしていたようだ



836:
人間七七四年:2012/06/14(木) 10:56:20.19 ID:kjKAQkZz
鰹煎汁のことか? 麺類に使われた記録はなかったと思うけど……

蕎麦に関して言えば、蕎麦切り(戦国時代成立)までは
米の代用品(和名類聚抄は麦の扱い)だったので
米と同じ調理法(粥)の時代が長かったよ
そば粉が作られるようになってから(鎌倉以降)蕎麦がきや蕎麦焼き(麸の一種)に調理法が広がった

ところで、日本で一番古い麺と思われる索餅(さくべい)は、
煮込みか茹でたのを醤(ひしお)や酢をつけて食べてた
たぶん昔の麺類(まぁ他には索麺くらいですが)はすべてこの食べ方だったと推察していいと思う

で、室町末(戦国時代)に「垂味噌」( 味噌一升に水三升入、もみたてふくろにてたれ申候也:料理物語)
「煮貫」(煮貫は 味噌五合、水一升五合、かつほ二ふし入せんじ、ふくろに入たれ候、汲返し汲返三返こしてよし:料理物語)
が発明され、江戸時代までは麺類といえば味噌(+鰹出汁)ベースだったよう



838:
人間七七四年:2012/06/29(金) 14:21:59.69 ID:b/+HKYH8
奈良時代から魚醤があったらしい
大豆醤油のような万能調味料ではなかったと思うけど



840:
人間七七四年:2012/06/29(金) 18:16:43.53 ID:adgKlMms
>>838
それは現在の「液体魚醤」じゃなくて、塩辛の類だよ
(もともと醤は塩蔵した発酵物を示していた言葉)
というか中国で魚醤が廃れ味噌(穀醤)に変わったのも
調味料メインな使われ方とは違ったから、じゃないかなぁ

で、中国では固体のまま使われた穀醤だけど、
日本ではちょうど戦国時代に液体化が進んだ
(金山寺味噌→溜まり醤油、味噌→たれみそ)
だから今残る東アジアの液体魚醤のルーツは日本の醤油かもしれないよ

ちなみに日本の現在で言う「魚醤」(しょっつるとか)の発祥は全部江戸期に入ってから



850:
人間七七四年:2012/07/24(火) 22:45:20.04 ID:iuGjTGDu
お酒はどんなの飲んでいたのかな



851:
人間七七四年:2012/07/25(水) 01:02:25.41 ID:wUSKct/J
ザビエルが「酒は米より作り、その他に酒はなく」って手紙に書いてるので
米から作る酒、ってのが当時は一般的だったらしい

で、基本的に酒屋(蔵)で売ってる品は現在の清酒とほぼ変わらない製法で作られてた
ただ精米度合いが低かった(糠が残る)ので、味醂のような風合いだったかと
ただし当時でも超高級品だった僧坊酒(南都諸白)は現在と同じく透明度の高い清酒と考えられてる
で、庶民向け安酒として広くにごり酒(どぶろく)も作られてた

蒸留酒(泡盛とか焼酎とか)は、当時は「南蛮酒」のひとつ扱い
(都でも1534に取引の記録が見られる)
焼酎(当時の呼び名は焼酒)は、ポルトガル商人が
「日本では米から作る蒸留酒が飲まれている」と手紙残してるので
たぶん米焼酎のみ(ほかの焼酎は江戸時代に入ってから作られ始めた)

でも鹿児島の神社に大工が飲めなくて文句落書きしたり、けっこう庶民的飲料だったよう
というか、鹿児島では清酒作りは全く無く焼酎しか作ってなかったんだけどね……

もちろん南蛮酒にはワインや中国の薬用酒も含まれるけど、こっちは超高級品に分類されてたと思う



860:
人間七七四年:2012/08/06(月) 13:22:37.97 ID:afPOo8cz
>>851
鹿児島名物、酒ずし用の酒は赤酒(醸造酒)だから
そうでもないんじゃない?
そもそも蒸留したらかさも減る品。



861:
人間七七四年:2012/08/06(月) 14:40:32.81 ID:vFkDalqO
>>860
薩摩の灰持酒(地酒)は18世紀から作られはじめた(伝承)から
戦国時代には無かったと思うよ



864:
人間七七四年:2012/08/07(火) 13:07:32.35 ID:ZC8Sq+dw
>>861
へ-18世紀からなの、あんがと。



863:
人間七七四年:2012/08/06(月) 23:07:54.55 ID:Q1Cwm+nO
直江兼次みたいに塩だけで飯は喰えないし
三成のように『味噌汁一杯』で一日走り回るのは無理だな



転載元:http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296992418/
アプリ

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