1:人間七七四年:2012/08/04(土) 23:21:52.40 ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
Sengoku_period_battle


2: 人間七七四年:2012/08/04(土) 23:36:29.57 ID:475DW9QP
当時の最高ブランド学府
  足利学校 

山本勘助も足利学校出身で、信玄に「足利学校出身なら信頼できる」と言わしめてます。
Ashikaga_Ashikaga-School_School_Gate_2
平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。
室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/足利学校



4:
人間七七四年:2012/08/05(日) 01:49:48.73 ID:1Ortl7xJ
車懸りっていわゆる斜行陣による側面攻撃だったんじゃないかなと思う
俯瞰で見たら車輪の動きっぽく見えるはず

謙信を軍事天才だったなんてあんま思ってないんだけど(w)、
アレクサンドロスとかフリードリヒとか、
戦の天才って言われる人間は基本的にこの戦術を持ってたし、説明はつく
くrま



5:
人間七七四年:2012/08/05(日) 06:57:12.34 ID:zaJt+69H
車懸りなんて
後世の軍記にしか乗ってない妄想の産物



6:
人間七七四年:2012/08/05(日) 08:04:49.27 ID:yAXPKXQK
まあ精緻な戦術というのはほとんど無理だっただろうな。全体的に大雑把なものばかりだっただろう



10:
人間七七四年:2012/08/06(月) 19:58:00.60 ID:d8ec3x6v
信長の母衣は、伝令や連絡将校で
無線機以前の戦争では、指揮統制通信情報の無形戦闘力のための
重要な要素だけど直接的な戦闘は期待してないんじゃないかな
信長直轄の決戦予備ではなく、せいぜい信長の野戦指揮所の保営要員



12:
人間七七四年:2012/08/07(火) 04:34:42.75 ID:sTFv6xd8
>>10
伝令、連絡将校の動きって単騎(もしくは少数)で駆けて情報伝えるってイメージなんだけど、
信長の母衣衆って結構いいトコの家の人間で、たとえば利家って荒子城主だし
城主に一騎駆けなんて、そんなこと多分郎党が許さなかったと思うんだw

とすると連絡将校が動くときって必然的に部隊運動になるんじゃないかなぁって思うんだが、どうなんだろう



14:
人間七七四年:2012/08/07(火) 21:29:48.41 ID:sDxgBrFW
>>12
戦場で単騎だと危険というか、途中でやられてたら意味ないし
修練積んでるイイとこの家の子にある程度郎党の人数付けて連絡に使ってるとか

それに情報伝えるのって結構難しいから、教養も要るだろうし



13:
人間七七四年:2012/08/07(火) 19:02:06.79 ID:9oNW2pvu
鶴翼みたいな本陣の負荷が大きい戦い方だと
母衣衆みたいな精鋭は前面に出されたりしないの?
kakuyoku



17:
人間七七四年:2012/08/08(水) 00:52:51.66 ID:0laLv0v0
>>13
川中島の戦いは旗本と旗本の決戦になったって言うよな軍記によればだけどw

兼松正吉は刀根坂の戦いで敵の首級取って
信長から草鞋貰った人だけどこの人は信長の馬廻りだったはず
まぁ、刀根坂の戦いは例外かもしれんが。



15:
人間七七四年:2012/08/07(火) 22:30:32.06 ID:sPrgldK8
真田の親父は信玄に誉められるくらいだから
連絡役は状況判断が的確でかつ自分の意見も言えないと駄目だろうと思う
ただの馬鹿には出来ない役目



16:
人間七七四年:2012/08/08(水) 00:44:33.64 ID:qnHC2e8r
中国の陣形図はたまに訳分からんのがある
こんなに複雑にしてもしょうがないだろう、みたいなのが



18:
人間七七四年:2012/08/08(水) 09:03:01.18 ID:bocKDUPp
「甲陽軍鑑」のなかで、

「唐の軍法、一に魚鱗、二に鶴翼、三に長蛇、四に偃月、五に鋒矢、六に方円、
七に衡軛、八に井雁行、是よきと申せど、皆合点仕らず候」 ってあって、

要するにわけわからんって言ってる



19:
人間七七四年:2012/08/09(木) 21:56:00.66 ID:+DB1ew3n
古代ローマだとウェリテスとかハスタティとか言って、
第一列が新参、第二列が若者、第三列が古参――っていう風に
列を兵の熟練度で分けてたっていうが、
そういうのは無かったのかな



20:
人間七七四年:2012/08/10(金) 00:42:57.53 ID:I5uqUwsM
隊列を重視しないのが戦国時代の特徴



51:
人間七七四年:2012/08/13(月) 13:34:44.28 ID:TjwFobTh
>>20
日本だとあまり大平原の会戦がないからかな
平地はあってもちょっとずれれば丘や山があるし
隊形を工夫するより地形利用するほうがいいわな



24:
人間七七四年:2012/08/10(金) 07:21:09.17 ID:glpt4CGt
結局は対陣後に弓鉄砲ぶっ放したあとにワァー!うぉー!と突っ込んでいくことに



25:
人間七七四年:2012/08/11(土) 01:34:26.85 ID:IctyP7wm
>>24
それでもさすがに隊列は最低限守ってたんじゃないのかな

結局さ、戦国時代の合戦像ってものを完璧に
頭に描けてる人って学者も含めて誰もいないんじゃないかと思う
雑兵物語ぐらいじゃあ真の姿を見出すのはキツい

一番真の合戦像に肉薄してると言われるのがクレヨンしんちゃんのアニメだってんだからなぁ



26:
人間七七四年:2012/08/11(土) 09:49:21.35 ID:v4gwLwQ2
こんな感じ?
君主が出陣を決意
誰々がどこを担当するのか役割を決定
吉日を選ぶ(希望する日が出るまでくじ引きをやり直す)
 
農閑期に召集をかける
(これこれこういう理由で相手が悪いからこっちが正義の戦を仕掛けますとあちこちに触れ回る)

いざ出陣!
兵糧等は現地調達という名の略奪か小荷駄隊がゾロゾロ
戦場(敵領内)に近くなると斥候を出す(遭遇戦)

対陣
弓や鉄砲の撃ち合いから槍での叩き合いに移行
騎馬で接近して下馬して(小物他もろもろと)突撃

乱戦
相手の一方が崩れた(壊乱)ため退却→追撃戦
落武者狩り、かちどき、首実験、感状等を下賜
撤収、新領国の代官を任命



27:
人間七七四年:2012/08/11(土) 10:03:02.61 ID:qbbAXUDj
>>26
鉄炮隊が何回か撃った後は乱戦じゃないかと
槍足軽も攻撃時はバラバラになっていた気がする



28:
人間七七四年:2012/08/11(土) 11:49:52.45 ID:RGxu24tz
ある程度の規模の軍団だと訓練が必要だと思うけどな

まあこの時代の権力構造だと訓練の為に召集なんて難しいだろうけど



40:
人間七七四年:2012/08/12(日) 02:57:08.12 ID:v2tKLiaS
「備」によって戦国中期以降は、兵科別部隊を組み合わせ
陣形を組んでの戦いになったよな。
前列に長槍組の横隊、その前もしくは両翼に鉄砲組・弓組、足軽大将や徒歩武者、その後ろに騎馬組
というのがオーソドックスな配置だけど。
Zubyoubu

備 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/備



60:
人間七七四年:2012/08/16(木) 00:47:00.26 ID:zZbvynIW
>>40
要するに最小単位300の細胞壁の集まりと思っていいのかな

備制度ってどの段階で確立したんだろ
太田道灌あたりかな。そもそもあの辺りの戦の体系が謎だよね



61:
人間七七四年:2012/08/16(木) 02:21:51.02 ID:3zL2/QQk
>>60
寄親(家臣)とその陪臣の主従単位で部隊分け(戦国初期)

複数の寄親衆を集めて作った備(戦国中期)

兵科ごとに再編成、足軽大将のもと組衆化した備(武田信玄・北条氏康等)
という流れかと。



41:
人間七七四年:2012/08/12(日) 03:14:10.34 ID:v2tKLiaS
「雑兵物語」等によると長柄(長槍)組は、
互いの肩が触れるくらいの間隔で1~3列の横隊を数十人で組み、
号令や銅鑼によって進退し、攻撃は呼吸を合わせて一斉に槍を振り下ろした。
続いて一斉に槍を振り上げ、また一斉に叩き伏せた。

長柄はしなるので叩くのに都合がいい。武田の長槍は穂の横に打撃用の木槌がついていた。
長柄組は足軽ではあるが上から振り下ろされる槍への防御のため、
陣笠ではなく兜を着用することがある。
騎馬に対しては槍衾を作って防御。



46:
人間七七四年:2012/08/13(月) 00:05:16.21 ID:mbM7CIYf
>>41
その長槍隊を守る竹束隊みたいなのはいなかったのかね



50:
人間七七四年:2012/08/13(月) 07:35:51.15 ID:jhhokubZ
>>46
遭遇戦ではなく対陣する時間があれば、
竹束と掻盾(木製の置き盾)、更に柵を準備して矢戦から始めるよ。
鉄砲組と、その装填の隙間を埋める弓組が始めに戦う。
矢玉が少なくなると、双方の長柄足軽が進み出てやりあう。
崩れたところを見計らって、徒歩武者や騎馬組が突入して白兵戦。
ってな流れが典型的では。



52:
人間七七四年:2012/08/13(月) 16:33:37.48 ID:P3kOh57p
遮蔽物も豊富だし夜襲かけたりするにはちょうどいいもんな
平地じゃそうはいかねぇ
不勉強なせいか海外の戦で夜襲ってあんまりきいたことないな
いつも昼間やってるかんじ



53:
人間七七四年:2012/08/14(火) 04:08:07.79 ID:oSi9ZOI/
>>52
丁度クラウゼヴィッツ『戦争論』の夜襲の項目読んでたわw
守る側は陣地のことを熟知しているし、
奇襲なら小さい部隊ですべきだけど小さい部隊でやっても敵は倒せないし、
大きい部隊で動けばばれるしで、正直限定的な効果しか望めないって
「夜襲は、本戦に従属する個々の部隊において実施されるのが通例であり、
大会戦において行われることは滅多にない」



しかしみんな見てきたように話してるがどっからその見解は出てきたんだw



67:
人間七七四年:2012/08/18(土) 13:19:51.13 ID:KTVAbZZ+
すみません、どなたか言葉戦い(言葉合戦?)について
実際のやり取りなどを見ることができる書籍などないでしょうか。
基本的に挑発だから乗るんじゃないよ、と定められていた、という風には聞きはするのですが、
あの時代の罵り合いなどというのはどのようなものだったのでしょうか。
私が見たことがあるのはマンガになってしまいますがセンゴクとそのスピンオフ作品のセンゴク兄弟です。

どなたかご存知でしたらよろしくお願いします。



68:
人間七七四年:2012/08/18(土) 13:23:54.31 ID:q5nYetVq
>>67
信長公記とか甲陽軍鑑とか落穂集とかの軍記読め



74:
人間七七四年:2012/08/20(月) 20:45:07.53 ID:yZ6pyhBW
「戦国の軍隊」学研

てのが読んでておもろかった
領主別編成か兵種別編成かの考察や
足軽の位置付け
戦国時代の兵站
兵農分離や農兵動員やら諸々

まぁ好みで諸説突っ込まれるんだとは思うけど



81:
人間七七四年:2012/08/21(火) 18:10:18.43 ID:MZhvM6eQ
>>74
これは大変良かった。ただ、領主直属の「足軽」部隊と、
城を中心として編制される「衆」(この著作中では小机衆が代表)
がどのように組み合わされて「備を立て」られるのかが不明だった。

つまり、鉄砲足軽隊(領主直属、指揮官はいわゆる「武士」が任命される)と
城を中心として集まってくる「武士」の部下たちを、
槍、鉄砲、弓、徒侍、馬上と分けたときの鉄砲を持っている身分としての「足軽」の寄せ集め
がどのように組み合わされているのかが全く分からなかった。



85:
人間七七四年:2012/08/21(火) 19:50:15.31 ID:Ae3eKQ9/
>>81
Aは大名の家臣がそれぞれ引き連れた陪臣の足軽を指す
Bは大名が直接雇用した足軽を指す

個人的には兵種毎の再編成はないと考えるが



75:
人間七七四年:2012/08/21(火) 05:20:16.46 ID:ujTTcSyg
面白そうだな
まあ編成にしろ兵站にしろ大名によって様々なんだろうからな
あと、戦国前期か末期かによってもだいぶ変わりそうだな



76:
人間七七四年:2012/08/21(火) 07:45:52.35 ID:JB38fX8e
まぁ実際100~50年くらい幅ある訳ですし



77:
人間七七四年:2012/08/21(火) 16:30:26.26 ID:7ZZ6Q7a3
新しいよりよい編成方法が生まれたとして、
それがどこで生まれて、どういう風に伝播していったか
本当に興味あるわ
歴史に名前が残ってないんだけどとんでもないアイデアマンとかっていたんだろうな

黒田官兵衛とか石田三成とか、豊臣政権を支えた幕僚にその匂いをちょっと感じる



100:
人間七七四年:2012/08/22(水) 20:57:17.18 ID:BQ3bJGYI
一領具足って、僻地で雇うべき足軽が居ないor経済力が低くて
足軽を雇用する余力がないために、農民を普段から総動員して軍事力を水増ししていたのか
足軽にも普段から新田や小作が離散した無主農地を屯田兵として
耕作させて経済力の向上を図ったのか
どっちなんだろ



102:
人間七七四年:2012/08/22(水) 21:08:01.26 ID:bVokXHFG
軍制の地域差って当然かなりあったろうなぁ

「兵農分離が同時期に全国的に進展したのが不思議」って前に書き込みあったけど確かに



103:
人間七七四年:2012/08/22(水) 21:10:06.61 ID:gIVvrAPU
そもそも戦国期に兵農分離などという現象自体起こっていないと考えた方がいい



106:
人間七七四年:2012/08/22(水) 21:49:50.70 ID:bVokXHFG
>>103
「田んぼする人」と「戦う人」が戦国期を通して分かれていったっての定説だったと思うんだけど違うの?



108:
人間七七四年:2012/08/22(水) 22:53:26.78 ID:s1o2c/hu
>>106
「兵農分離」は織田家だけで成功してて、
他の大名は大軍編成の煽りで(お金がなくて)中小農民を軍役にかり出す傾向にあったよ

北条氏は有名な例だけど、例えば上杉の安田領検地帳(天正二年)では109人中知行2貫以下が23人もいた
徳川家だと甲斐中尾郡軍役帳(天正十三年)では31人中苗字持ち(土豪クラス)10人、苗字なし(被官クラス)21人
これは武田家の家臣団をそのまま継承したと言われるから、武田軍団も多くの中小農民層を含んでたと思われ

伊達家の動員調査(天正十七年)では苅田伊達郡から1540人のうち66名以外は全員百姓だったよ
こういう層は「軍役衆」と呼ばれ、年貢の代わりに兵役についている農民、って見方がなされてる
非常時の総動員となると完全に農民主体、小牧・長久手の戦いで徳川氏は15-60歳まで男子全員軍役にかり出してるよ

で、豊臣時代に兵農分離が進んだ、とは言われるんだけど
伊達氏が仙台城完成の際には”お金がなくて”城下に全員住まわせられず有力家臣をまるごと土着させる方針をとってたり
稲葉氏の在郷鉄砲足軽の制度や徳川頼宣が村々に20丁鉄砲を預けて訓練することを命じてたり、農兵の育成が行われてる

結局、大軍維持するにはお金がかかるので、
正規社員だけで揃える(兵農分離)のは金持ち(織田家)以外事実上無理があって

兵力の大部分を派遣社員やパート(軍役、中小農民)に頼らざるを得なかった
…ってのが、最近の見方じゃないかなぁ……



109:
人間七七四年:2012/08/22(水) 23:00:24.60 ID:bVokXHFG
>>108
織田軍は兵農分離してた→織田軍だけが兵農分離していたわけじゃない
って流れをここ数年経験したんだけど、今では、
成功していたのは織田軍だけだった
という結論に至るのか。面白いな。



156:
人間七七四年:2012/08/26(日) 00:55:21.12 ID:+8SzAlY4
天正年間の伊達家だと、我軍の備は8個、敵は11個といった記録もあるんだが、
単一兵科の部隊も存在している。
槍足軽だけ300人別働隊とか、城攻めに鉄砲800人の部隊を編成とか。
まあどこの大名でも備にとらわれず、状況に合わせて編成の融通は利かせていたんだろうね。



163:
人間七七四年:2012/08/28(火) 01:32:14.38 ID:KEAtvbem
兵科別に集団としてまとまってた足軽って役に立ったのか実際?
藤堂高虎みたいな一騎駆け経験者に長柄足軽ワロスとか言われてんじゃん実際



164:
人間七七四年:2012/08/28(火) 03:19:26.85 ID:nUAUfwb3
>>163
柄が長いのはいかんみたいな事は話してたけど、
そんなくだりあったっけ?



167:
人間七七四年:2012/08/28(火) 11:57:17.47 ID:SyVfpVAB
>>163
全員、侍部隊のように手練ならという前提だよ、それ



171:
人間七七四年:2012/08/30(木) 01:50:39.11 ID:IQbgOT0v
>>163
それって「同じ槍隊でも槍の長さが短くて不揃いなのはプロの武士の部隊だから気をつけろ」って話じゃなかった?



166:
人間七七四年:2012/08/28(火) 07:26:04.07 ID:Hux/fkHy
馬で乗り込むときは槍の長さが揃ってるとこに突っ込め、
という部分の事だろう。



175:
人間七七四年:2012/08/30(木) 06:55:14.56 ID:RwWMsq13
しかし備は最小300人とか旗本先手組とか言っても
横陣とかファランクス隊形のままどうやって動かすんだろう?

山の斜面か、川を挟んでか、砂浜か、低木地の荒地でも使ってやりあったのか?
最近読んだ小説では細いあぜ道での戦闘で田んぼに嵌って討死とかそんなのだったが

街道でも整備されても3間5.5m未満で、2m未満なんてとこもザラだったような



176:
人間七七四年:2012/08/30(木) 08:13:41.39 ID:AQWpM+tX
>>175
移動時はもちろん縦列ですが



177:
人間七七四年:2012/08/30(木) 12:26:51.58 ID:dD01pO/b
>>176
じゃあ縦一人分の移動スペースを開けとけばイイって問題でもない気がするけどな、
そんなの戦場のドタバタで埋まったりすんじゃねえのかよとか思う



179:
人間七七四年:2012/08/30(木) 22:51:34.23 ID:2prFSbhe
>>175
敵前に展開後も組単位で地形やシチュエーションに合わせ、柔軟に陣形を変えられるよ



180:
人間七七四年:2012/08/30(木) 23:08:11.27 ID:dD01pO/b
>>179
そういう話残ってるの?
柔軟に陣形変えれたってことが分かるの



182:
人間七七四年:2012/08/31(金) 05:01:30.38 ID:9IxVeR/E
>>180
「陣形」ってのが意味ある言葉なのか、いまいち不信に思うけど……

姉川の合戦、とかどうだろ?
信長は兵力の逐次投入、柴田・佐久間・丹羽らを行軍から即戦線に投入してるし
家康は旗本衆で横槍(延翼)しまくってるし



184:
人間七七四年:2012/08/31(金) 08:55:02.05 ID:bjSKRmm2
>>180
変陣の十種とか変陣十ヶ条とか言うらしい
基本となる八陣からの変形させた応用陣を作るぽい【兵法神武雄備集】

ちなみに長柄倒の法と言って槍隊殲滅方法も一応マニュアル化された物はある
槍隊が存在する以上対処法を考えるのは当然っちゃー当然なんだけどねw



178:
人間七七四年:2012/08/30(木) 13:00:32.42 ID:i/QEh0IB
敵目前で行軍隊形(縦陣)から戦闘隊形(横陣)に移行ってのは
昔の戦場ではけっこう世界的に普通の行為(イッソスの戦いとか)

つか家康が「本格的な槍合わせは一度しか見たことがない」って言ってるので
あくまで”理想の合戦ではの話”ってな部分はあるとは思うけどね



194:
人間七七四年:2012/08/31(金) 13:40:34.17 ID:OXqIITb0
結局さ、功名欲しさに死狂って突撃してくる一騎駆け連中が多いほうが強いのが戦国時代



199:
人間七七四年:2012/09/01(土) 01:44:50.08 ID:eWA0Nf07
旗本衆って基本「最強部隊」なので、先陣切らせて敵勢を切り裂く作業をさせるのは普通じゃないか?
家康の「旗本先手組」も、その名前の通り「先手」を取らせるのが主目的の部隊だし。



200:
人間七七四年:2012/09/01(土) 01:58:21.91 ID:DeotAWOh
朝倉殲滅戦も馬廻りだけで突っ込んで信長が重臣共ワロスして佐久間が泣いたろ



201:
人間七七四年:2012/09/01(土) 02:04:33.31 ID:eWA0Nf07
そりゃ泣くわ。あんな冒険的作戦なんかしなくても、ほっとけば損害なしに潰せる敵でしかねえもの。
そんなたまたま当たった悪手をいい歳した戦国大名がドヤ顔で自慢してたら、
情けなくて泣くしか無いだろ。



210:
人間七七四年:2012/09/01(土) 13:19:47.56 ID:MeGjclJb
>>201
戦果の大部分は追撃戦ってクラウゼヴィッツも言ってたし意味あったろ
あれが無ければ越前手に入ってたかどうか分からん



202:
人間七七四年:2012/09/01(土) 07:35:04.59 ID:z/JtvVRv
本多忠勝が家康の旗本代表であり軍師的な存在なんだよな?
そして家康の危機に対しては壁となり奮戦した



204:
人間七七四年:2012/09/01(土) 11:26:47.10 ID:kZOnkix9
>>202
先手で予備で親衛で参謀?
すごいねー何人居るんだろ



206:
人間七七四年:2012/09/01(土) 12:15:46.93 ID:z/JtvVRv
>>204
先手は榊原や大久保?



207:
人間七七四年:2012/09/01(土) 12:42:14.31 ID:B5468FyG
徳川旗本先手組は尾張一統前の信長馬廻衆のパクリ



208:
人間七七四年:2012/09/01(土) 12:51:36.36 ID:eWA0Nf07
>>207
仕組みも組織もぜんぜん違うんですけど。
織田みたいな後進組織といっしょにするなや



211:
人間七七四年:2012/09/01(土) 20:10:30.94 ID:wHNahJE/
後進的な織田のぶさんにフルボッコにされた関東勢(´・ω・`)



212:
人間七七四年:2012/09/01(土) 20:31:59.29 ID:hHonBYSz
>>211
物量にはかなわん、つーこっちゃ



226:
人間七七四年:2012/09/06(木) 09:14:51.64 ID:CfNqguhz
あの時代の合戦って今の大隊くらいの構えに分かれて戦闘してたんだよね?
例えば鉄砲を含む構えを編成した場合wikiペディアには鉄砲50とあったが、
そんな中途半端な数の鉄砲いても意味合ったんだろうか?

こんな編成だと斉射ではなく散発的な射撃になりそうなんだけど、どうなんだろ。
それとも弓鉄砲60パーセントで編成した鉄砲衆とかあったんだろうか(雑賀や織田ならやってそうだが)

こんな小規模な諸兵科連合でそうそう戦える物かね?
三兵戦術やテルシオみたいに仕事とか配置がはっきりした方が使いやすそうだけど



228:
人間七七四年:2012/09/06(木) 13:20:51.42 ID:gQ3CkeAV
>>226
そうだね~細切れより集中運用のほうが効率がいい。
特に白兵部隊は数が多いほうが衝力が強くなる。
備は諸兵科で編成し弱点を補い合う、現代軍制の戦闘団に近いね。
狭隘な地形に林、田んぼ、急斜面、川が次々現れ、大兵力の展開に支障のある日本では
機動の柔軟さと、戦闘時全ての兵科が揃っている事による汎用性を優先させたんじゃね?

関ヶ原から30年後のスウェーデンも、歩・騎・砲を組み合わせた三兵戦術でセンセーションを起こしてる。
パイク(長槍)兵216人・銃兵192人で大隊を組み、さらに騎兵・小型砲も組み込んだ。
ただ歩兵に随伴したら騎兵の速度を生かせないよね?って言われてた。



229:
人間七七四年:2012/09/06(木) 20:30:57.40 ID:CfNqguhz
>>228
そうなると合戦は小さな備えが横列に広がってぶつかり合ってたことになるけど、
敵陣突破するには衝力が足りなさそうだな


でも朝倉の力士隊みたいに切り込み専門部隊もいたみたいだし、
そういう奴らが衝力を担当したのかな
それとも槍でペチペチしてるのを弓鉄砲でチクチクして、先に崩れた方に乗り込めー^^ してたんだろか



230:
人間七七四年:2012/09/06(木) 22:26:42.44 ID:lPCXcyow
>>229
そのための二陣三陣…本陣後陣



232:
人間七七四年:2012/09/08(土) 01:26:41.53 ID:BqRfVJvJ
この~が一番槍なりぃ!とか言ってる内に周りからフルボッコされて死亡



234:
人間七七四年:2012/09/09(日) 10:28:03.68 ID:Qrvo5gUo
>>232
生き残らないと「一番槍」にならない。



235:
人間七七四年:2012/09/09(日) 11:53:04.63 ID:jmS+73wb
一番槍と一番首は本陣に戻って報告しなきゃいかんからな
しかも馬に乗ってると他者を追い抜いている可能性があるとして即認められる事はなかった
第三者の目撃情報も必要となるので地味な格好では誰も認めてくれない状態になる事もある
しかし派手な格好で活躍がイマイチだと士気に影響するとして切腹させられる事態も・・・
色々大変だよなww



252:
人間七七四年:2012/09/29(土) 19:08:38.85 ID:SIj9AmRU
結局戦国時代の軍事を語る上で共通言語が出来てないのが問題なんだろうな
同じ「足軽」でもA君とB君との間で頭に描いてるものが微妙にズレてる。だから混乱する。


戦国時代における軍事研究が遅れてる現状と原因と弊害がよく分かるw



253:
人間七七四年:2012/09/29(土) 19:11:19.06 ID:6vRJhrV6
まあ戦国時代ですら足軽の言葉の意味するものは一定していないからなあ。
兵種を表す名詞としてだけでなく、戦闘形態を表す動詞としても使われてたし



271:
人間七七四年:2012/10/05(金) 03:46:13.51 ID:lrYaVBeU
よその板のよそのスレで
979 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/10/04(木) 21:12:15.22 O
八陣とは、諸葛亮が改良したものを吉備真備が日本に持ち込み、それを大江維時が編集したものらしい
それが魚鱗、鶴翼、雁行、偃月、鋒光、衡軛、長蛇、方円の日本八陣
武田信玄を始めとする戦国時代の武将達は諸葛亮の兵法を必死に学んでいたようだ
川中島、三方原、関ヶ原の戦いなどで上記陣形が使われてる

こういう書き込みあって気づいたんだけど、
陣形持ちだされてるのって徳川武田関連のみなんだよなw
実際全国的にどうだったんだろ
使われたとして、密集隊形の魚鱗、幅広横陣の鶴翼ぐらいしか
使い分けられてなかったんじゃないのかねと思うんだが



272:
人間七七四年:2012/10/05(金) 04:37:51.61 ID:afFEWaf6
野戦で敵の10倍の兵力があるならいざ知らず
陣形取らずにどうやって戦うというのだw



273:
人間七七四年:2012/10/05(金) 05:43:33.57 ID:T8eJJ5r9
>>272
大阪側は、現地では各部隊の自主判断
…だから道明寺の戦いみたいな齟齬出まくりだよ……

つか同一兵種部隊編成でない場合の「陣形」って、どんなイメージなのかな
古代中国時代でも、実際に「陣形」使われた例ってあったっけ?



274:
人間七七四年:2012/10/05(金) 08:49:43.43 ID:aVbq8uSS
山ばっかりの日本だから、陣形よりも実際の地形のほうが大事なんだろうな。



275:
人間七七四年:2012/10/05(金) 09:25:06.21 ID:NfAGBBfA
どんな形に置いたかを後付けで説明しただけ



277:
人間七七四年:2012/10/05(金) 10:53:16.38 ID:kxFkJIdo
そもそも状況や地形で戦略戦術なんて全部変わるのに、
どんな状況にも対応できる陣形なんてものがあると思うほうがおかしい



279:
人間七七四年:2012/10/05(金) 13:03:38.63 ID:4cwwnmSU
中国は軍学みたいなのがやたら発達したけど異民族と戦ったら毎度毎度てんで弱いもんな



280:
人間七七四年:2012/10/05(金) 14:19:05.95 ID:rAU+YTIH
歩兵+弓兵の集団隊形でぶつかり合う戦法を繰り返してきた中華軍と
騎射で一撃離脱戦法を取る異民族とでは分が悪かったんだろ



287:
人間七七四年:2012/10/06(土) 01:13:48.27 ID:llk8ugOn
ソースが何だったか忘れたが、たしか武田信玄は方円の陣を
多用したんだったっけ

あと、島津の釣り野伏せなんてある意味陣形と言ってもいいのかもしれん
まあ、陣形ってよりも戦法だけど



289:
人間七七四年:2012/10/06(土) 03:49:47.71 ID:Osc58hFE
釣り野伏せって、釣り(囮、偽退却)と野伏(左右伏兵と反撃での三方包囲攻撃)だから
陣形とはかなり違う実態かと(決まった陣はない)

つか「囮使って伏兵で殲滅する」って世界中ではよく行われてて
九州でも立花道雪とか高橋紹運もよく使ってる(島津軍に対してもそれで勝ってる)




転載元:http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344090112/
この世で1番かっこいい建物って何?

うすた京介が描く℃-uteの矢島舞美wwwwwww

大泉洋のクズエピソードがあったら教えて下さい

日本に「絶対に行ってはいけない場所」ってある?


かわいいと言わざるをえない動物たち

怖すぎワロタ。パワーハラスメントの実態。上司に罵倒されまくるうp主さん。


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