1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:46:06.68 ID:PqRnGIX+0
肉じゃがは、東郷平八郎がロシア訪問時に食べたボルシチに感動して日本で再現したのが始まり

みたいなのくれ
まじで


11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:48:21.14 ID:3g73u0Ic0
福沢諭吉は禁酒中に「ビールは酒ではない」と言って、 毎日のようにビールを飲んでいた



16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:49:12.04 ID:SKT1ZUMf0
今日クリスマスだからと休戦しちゃった武将がいる



23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:50:55.97 ID:VAzKXIGIi
>>16
日本人初の爆死者と噂の人?
405px-Hisamiti
初めは三好長慶に仕えたが、やがて三好家中で実力をつけ、長慶の死後は三好三人衆と共に第13代将軍・足利義輝を永禄の変で殺害し、畿内を支配した。しかし織田信長が義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛してくると、信長に降伏して家臣となる。その後信長に反逆して敗れ、文献上では日本初となる爆死という方法で自害した。一説には、永禄の変や東大寺大仏殿焼失の首謀者などとも言われる。

斎藤道三・宇喜多直家と並んで日本の戦国時代の三大梟雄とも評されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/松永久秀



35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:53:57.62 ID:SKT1ZUMf0
>>23
義理1だけど割と教養とか民衆への政治は優秀だったと言われるあの人



17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:49:33.20 ID:SA/xqIui0
1870年(明治3年)から1878年(明治11年)までイギリスのポーツマス市に留学していた
東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、
日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、
そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、
東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりという説がある。



20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:50:23.28 ID:531A8YWnP
>>17
ビーフシチューだよな
良かった記憶あってた



18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:49:44.94 ID:QqwbUNgR0
日本人ではじめてラーメンとチーズ食べたのは水戸黄門



22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:50:42.74 ID:Zdnwrty80
日本の首都はまだ京都だよ説



26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:51:48.74 ID:PqRnGIX+0
そうなのか、ボルシチ説はなんかの勘違いだったのかな



27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:51:49.19 ID:vja6J1gg0
古代日本の成人式は抜歯とされているが当然抜歯技術なんてないから実際は石器で破壊してた



28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:51:55.90 ID:NAQeYfTd0
日本で清酒を広めた天才的な商人は、山中鹿之助の息子



41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:55:15.90 ID:MOzGk2sg0
なんだか若々しく書かれる前田慶二が家を出たのは50代
前田慶次って本当にあんな強かったの?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4243617.html



42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:55:32.03 ID:NAQeYfTd0
勝海舟は子供時代に股間を犬に噛まれて死にかけた。

ちなみに、親父も子供の頃、崖に落っこちて股間を強打し、死にかけた。



43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:55:38.28 ID:5WUPGG4t0
日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本竜馬



52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:57:40.12 ID:T3rLJnmB0
>>43ではなくその何年も前に小松帯刀がやってる
愛妻家で、新婚時代の安政3年4月23日から5月6日(1856年5月26日から6月8日)にかけて当時珍しい新婚旅行で霧島の栄之尾温泉に滞在した記録がある。この滞在には千賀の父も同行した。ちなみに日本初の新婚旅行を行ったとされる龍馬は寺田屋事件直後の慶応2年(1866年)であり、実際には清廉のほうが10年早く新婚旅行を行っていたことになる
http://ja.wikipedia.org/wiki/小松清廉



45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:55:46.09 ID:sy8evDc40
水戸黄門は全然旅してないとかそういうやつ



47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:56:33.76 ID:YpTW0HE20
>>45
一番遠くても鎌倉あたりまでなんだよな



46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:55:48.72 ID:neUUWxFg0
一時期、広島が首都になったことがある
広島
1894年(明治27年)に勃発した日清戦争の戦争指揮のために広島県広島市の広島城(現中区基町)内に設置された、大日本帝国軍の最高統帥機関である大本営である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/広島大本営



50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:57:15.16 ID:Zzxqjcyn0
松尾芭蕉は忍者説が割りと真面目にある
228px-Basho_by_Buson
45歳の芭蕉による『おくのほそ道』の旅程は六百里(2400キロ)にのぼり、一日十数里もの山谷跋渉もある。これは当時のこの年齢としては大変な健脚でありスピードである。 これに18歳の時に服部半蔵の従兄弟にあたる保田采女(藤堂采女)の一族である藤堂新七郎の息子に仕えたということが合わさって「芭蕉忍者説」が生まれた。

また、この日程も非常に異様である。黒羽で13泊、須賀川では7泊して仙台藩に入ったが、出発の際に「松島の月まづ心にかかりて」と絶賛した松島では1句も詠まずに1泊して通過している。この異様な行程は、仙台藩の内部を調べる機会をうかがっているためだとされる。『曾良旅日記』には、仙台藩の軍事要塞といわれる瑞巌寺、藩の商業港・石巻港を執拗に見物したことが記されている(曾良は幕府の任務を課せられ、そのカモフラージュとして芭蕉の旅に同行したともいわれている
http://ja.wikipedia.org/wiki/松尾芭蕉



53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 20:58:49.09 ID:MOzGk2sg0
虚舟という名の未確認物体

14_1
虚舟
虚舟(うつろぶね)とは茨城県大洗町(北茨城市とも語られる)沖の太平洋に突如現れたとされる、
江戸時代における伝説の舟である。

虚舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸っこい形をしている。
虚舟には文字のようなものがかかれている。
中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。
一説には面倒事に関わりたくない漁民が海に押し流したともある。
フィラデルフィア事件のような都市伝説教えて!
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4518223.html



64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:03:55.89 ID:C5PkY/6K0
>>53
宇宙人説とか
島流しにあった異国の貴族の姫説があったな



56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:00:19.24 ID:MOzGk2sg0
江戸時代の飛脚はおにぎり二個で何十㎞も走るが肉を食うとへばる



58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:00:46.88 ID:NAQeYfTd0
江戸時代にもアザラシが海流に流されて江戸の方まで来たことが幾度かある。

その時、江戸の人達はアザラシを「海獣」と名付けて妖怪の一種にしちまった。



60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:01:11.85 ID:T3rLJnmB0
長野が首都移転の候補地になったことは2度ある
2度目は有名な大戦末期の松代大本営だが、1度目は天武天皇が684年に計画していた



61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:02:17.15 ID:MOzGk2sg0
ステマで有名な土用の丑の日の考案者でありマーケンティングをしたのは平賀源内



63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:02:28.80 ID:PgptFKv80
水戸黄門は若い頃不良で辻斬りとかも楽しんでた



65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:04:07.98 ID:Zzxqjcyn0
今川義元は愚将のように思われているが、かなり有能だった。



68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:05:27.65 ID:A/oKwpA50
西郷隆盛の名前は実は親父の名前



70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:06:25.62 ID:T3rLJnmB0
村正は徳川に祟る妖刀として有名
家康の父、祖父、そして切腹した息子の信康まで全て命を落としたのは村正によってだった

が、これは別に祟りでもなんでもなく当時村正は刀鍛冶として一大ブランドで
東海地方ではよく出回っており、単によく出回ってて性能がよいから皆使っていただけ、というオチである



71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:06:33.15 ID:MOzGk2sg0
上杉謙信女性説
それを裏付けるが如く1ヶ月に一度謙信は酷い腹痛に悩まされていたという記述がある



78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:09:21.19 ID:H2DDwlaW0
日本で一番初めに作られた城は対馬に作られた金田城
663年の白村江の戦いで敗れた日本が本土防衛のために建造した
金田
663年の白村江の戦いに敗れた倭国は唐・新羅に対する防衛のため、西日本各地に防衛施設を築いた。その一環として、667年に対朝鮮半島防衛の最前線として築かれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/金田城



82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:12:30.30 ID:1IZ1JirB0
>>78
まじかよ
対馬在住の俺もしらなかったよそんなこと



81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:12:25.39 ID:C5PkY/6K0
紫式部と清少納言は仲が悪かった



100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:25:01.02 ID:NAQeYfTd0
>>81
それは仕方がないんじゃないのか?
二人が仕えた定子も彰子も天皇の寵愛を欲してたわけだし、
仲良くするのには無理がある。
後、時期が微妙にずれてるから、実は一度も顔を突き合わせたことが無いって説もある。



84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:14:04.23 ID:T3rLJnmB0
対馬はロシアに占領された事がある



88:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:16:05.05 ID:1IZ1JirB0
>>84
まじかよ
漂流してきたロシア人を介抱して仲良くなったって聞いたぞ
ロシアと日本の友好の証みたいな石碑っぽいのもある



93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:20:17.05 ID:T3rLJnmB0
>>88
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロシア軍艦対馬占領事件



85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:15:10.96 ID:H2DDwlaW0
後醍醐天皇の「醍醐」はチーズのことを指す
昔の日本にもチーズがあったけど、いつの間にか作られなくなって消滅した



102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:25:23.01 ID:ZGIwEUVh0
>>85
なんで醍醐天皇じゃなく後醍醐なんw
醍醐天皇が醍醐好きで醍醐天皇と名乗ったんだよな
ボルシチ好きでボルシチ天皇と名乗るみたいなノリ



161:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:51:21.88 ID:2hti0J9+0
>>102
醍醐天皇の諡号は醍醐寺の近くに陵があるからだよ

その醍醐寺の名前の由来が乳製品の醍醐
醍醐のように美味い水が湧いてたところから



167:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:53:03.31 ID:ZGIwEUVh0
>>161
真面目で?
醍醐天皇が醍醐好きだからだとどっかで聞いたがガセビアだったのか・・



170:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:54:08.67 ID:gxGfZoKw0
>>167
後醍醐天皇が醍醐天皇好きすぎて自ら後醍醐って名乗り出したって話と混同してるとか



99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:22:52.78 ID:ZGIwEUVh0
秀吉の指は6本あったという



110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:28:46.78 ID:H2DDwlaW0
>>99
これって確かフロイスと前田家に2種類ソースがあるからガチっぽいだよね~



104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:27:15.16 ID:MOzGk2sg0
参議院の参議のモデルになった参議 小野篁は夜な夜な地獄で閻魔大王の仕事の手伝いしていたという伝説がある
その時、篁が通勤に通ってた井戸が京都の寺に残ってる
因みにこの人は小野妹子と小野小町の子孫であると言われている



121:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:34:01.42 ID:Ybp29MVT0
>>104
お腹痛いから遣唐使やめたいっていった人だっけ?



130:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:37:02.77 ID:MOzGk2sg0
>>121
腹が痛いって言ったのかわからんが
有名な初期の遣隋使で、重要な国書を無くすという失態を晒す



106:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:27:48.08 ID:tC0PQu930
北条早雲は昔はパッとしない浪人が年取ってから成り上がった下克上者と学校でも教えられていたが
今では室町幕府から派遣された由緒正しい官僚出身者に評価が激変している



119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:33:56.87 ID:T3rLJnmB0
>>106に関連して室町幕府は昔は応仁の乱以降メタメタだったと教えていたが
最近の研究によって多少衰えはしていたが全然そうではない事が判明している

北条早雲が相模を平定するのは幕府の命令によってであったし
今川家は幕府の命令でその北条早雲を補佐して東国を安定させる方向で動いていた

室町幕府が決定的に破綻するのは剣豪将軍として有名な足利義輝の時である
足利義輝は衰退しつつあった幕府を建て直し全国に将軍権威を復活させた名君であったが
家臣の裏切りによって落命し、これにより室町幕府は終焉に向かうのである



135:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:39:30.82 ID:F9zKiJXzi
>>119
いやー明応の政変からが通説じゃない?



139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:42:16.17 ID:T3rLJnmB0
>>135
衰えてること自体はその通り

ただ、従来教科書で教えてるようなフルボッコ状態とはちと違う



151:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:47:04.95 ID:F9zKiJXzi
>>139
まー俺日本史教師なんだけどさ
応仁の乱で幕府の政体が半壊して明応の政変で将軍の権威が失墜して
三好松永にぐちゃぐちゃに使い捨てられるって流れでしか教えてないんだけど
幕府が元気なころって1493以来あったかなー



158:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:50:49.83 ID:T3rLJnmB0
>>151
まともな義輝みたいな奴が将軍になったらいきなり大復活
まあ義輝も最期はアレだが



107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:28:11.11 ID:T3rLJnmB0
日米開戦を決定しアメリカに宣戦布告したのは東條英機内閣だが
東條英機本人は戦争に反対であった

開戦を決定的にしたのは近衛文麿内閣で外交を掻き乱し
戦争がほぼ避けられない情勢になった途端に近衛文麿は総辞職
開戦役を他の人間に押し付けて逃げた

そんな近衛文麿の相談役の一人は尾崎秀実
朝日新聞の記者でソ連のスパイだった男である



112:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:30:01.74 ID:DQohJWJN0
戦前の日本は国費の半分を軍事費につぎ込んでいた
戦艦を持つのはそれくらい大変なことであり、戦艦を持っているか持っていないかで国際的な立場が決まった時代だった



114:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:31:38.69 ID:47jBYmAl0
醍醐ってヨーグルトじゃなかった?
『醍醐味とはどんな味? 』
http://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/untiku/081015.html



115:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:32:30.26 ID:MOzGk2sg0
確かに「蘇」がチーズだったような気がする



116:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:33:09.89 ID:qXelOZGI0
生類憐れめの令は一部行き過ぎてるが
そのへんの野良犬を食うなとか、日本人の衛生観念の向上には貢献している



125:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:35:16.48 ID:F9zKiJXzi
>>116
捨て子禁止とかかなり福祉的な側面もあって綱吉自体評価され直してるね
逆説の日本史書いてる奴がやたらめったら推してるから嫌いになったけど



118:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:33:51.55 ID:ZGIwEUVh0
直江兼続は伊達政宗を徳川幕政下の江戸城でもよく小馬鹿にしてた



123:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:34:39.78 ID:6O6QnbRn0
戦国時代の日本は当時世界の銀の三分の一を産出していた



127:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:36:03.92 ID:T3rLJnmB0
>>123
同じく世界の銀の1/3を産出していたのが南米のポトシ銀山

日本の銀山が1世紀ももたなかったのに対してポトシ銀山は2世紀もった
まさに破格の銀山であった



126:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:35:59.97 ID:H2DDwlaW0
仙台のずんだ餅は伊達政宗が考案した



129:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:37:01.46 ID:fCILWwA+0
>>126
料理大好きっ子だからな



128:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:36:21.64 ID:ZGIwEUVh0
実際は醍醐って発酵させた食べ物ってこと意外よくわかんない、ってことじゃ



133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:38:59.36 ID:Ybp29MVT0
江藤新平が指名手配の制度を作ったがその作った本人の江藤新平が自身の起こした佐賀の乱の時に指名手配第1号になった



136:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:40:40.32 ID:ZGIwEUVh0
畳に数十本の刀を刺して敵を迎え討ち凄絶な死を遂げた将軍がいる



143:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:43:47.40 ID:MOzGk2sg0
小野篁ネタでもう1つ
小野篁は酔って宮中に「無悪善」と落書きをしてしまう
これは当時の嵯峨天皇がいなくなれば良いのにと読めてしまうので天皇をぶちギレさせるが
「子子子子子子子子子子子子」を読めという無茶ブリに対して無事応じたため許してもらう



153:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:47:53.03 ID:8DloTrqB0
>>143
「性無善」な
読み方は「子猫、猫の子、子獅子、獅子の子」



162:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:51:36.15 ID:MOzGk2sg0
>>153
そうなのか
俺が知った本はこう書いてあった
因みに読み方も大筋は同じだけど
猫の子子猫、獅子の子子獅子だわ



166:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:52:59.08 ID:8DloTrqB0
>>162
そうとも読めるが俺が書いたやつのほうが七音、七音になってて歯切れがいいそうだ



145:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:44:08.67 ID:fCILWwA+0
真柄直隆ってホントにあんだけデカい太刀使ってたのかね

刀
真柄直隆
朝倉家中でも武勇に優れた人物で、黒鹿毛の馬に跨り、越前の刀匠千代鶴の作による
五尺三寸(約175センチ)もの太刀「太郎太刀」を振り回して戦いでは常に暴れまくったという。


1570年、姉川の戦いで敵中に深く斬りこみすぎて、子の隆基とともに戦死した。
なお、弟の直澄も勇猛で知られたが、この戦いで討死している。
直隆を討ち取ったのは向坂三兄弟とされているが、徳川氏の家臣青木一重という説もある。
しかし、向坂兄弟が討ち取った時に使用した太刀は「真柄斬り」と名付けられ名刀の一つになっている。


太郎太刀は現在、愛知県名古屋市の熱田神宮宝物館に奉納されている。
熱田神宮にある物が直澄の次郎太刀で白山比咩神社にある物が直隆の太郎太刀という説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/真柄直隆
最強の剣:レーヴァテイン、弓:インドラの弓、槍:ブリューナク
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4571860.html



154:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:48:45.90 ID:TmdXW9yF0
>>145
大太刀は当時ああいう武器として確立されてたのは確か
あそこまでデカイの振回せたのは真柄兄弟くらいだろうが



164:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:52:21.52 ID:unC3iiJK0
江戸時代はどこもボットン便所であることは常識だが、
肥料につかうために農家が定期的に汲み取りに回っていた。
しかしその農家に嫌われると汲み取りしてもらえなくなって悲惨な目に遭うため、
町の人々は汲み取り屋を下にも置かぬ丁重な扱いをしたそうな。



171:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:54:08.95 ID:l4y8H9jP0
曽呂利新左衛門という数学に長けた家臣が秀吉に褒美として米粒をくれるようお願いした
1日目は1粒、2日目は2粒、というように次の日はその倍の米粒をと、それを1ヶ月続けるというもの
秀吉は何だそんな褒美で良いのかと笑いながら承諾したが、半月もしたら泣きながら中断を懇願したという
http://ja.wikipedia.org/wiki/曽呂利新左衛門



173:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:57:21.11 ID:KUJDfSeH0
>>171
これ昔学研の本で見た話だわ



176:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:59:55.92 ID:s5yJH0/w0
新選組の最強クラスの一人、永倉新八は虫歯で死んだ



183:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:03:35.21 ID:qXelOZGI0
江戸時代にはすでにインスタント食品があった
懐中汁粉という湯で溶いて食べるおしるこ



187:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:04:44.69 ID:riEjPkvr0
>>183
戦国時代にもインスタント味噌汁はあったよ



189:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:05:53.37 ID:KUJDfSeH0
>>187
なんか縄に味噌を染み込ませて乾燥させてたって聞いたような



191:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:06:26.42 ID:MOzGk2sg0
>>189
芋のつる
昔の味噌汁は縄だった
http://portal.nifty.com/2010/10/04/c/



192:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:07:00.44 ID:T3rLJnmB0
数学における冪算のために考案されたベルヌーイ数であるが
ベルヌーイ数の元になったヤコブ・ベルヌーイが発表する以前に
実は関孝和が括要算法という書籍で発表しており本来は関(せき)数と呼ばれるべきであった

近年は見直されて関・ベルヌーイ数と呼ばれる機会も増えた
確かに関数だと「かんすう」なのか「せきすう」なのかわからないので妥当な判断と言える
江戸時代の日本の数学のレベルwwwwww
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4570664.html



200:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:12:09.12 ID:ctjpao7G0
philosophyを哲学に訳した人物は徳川慶喜に仕えた「西周」

ついでにscienceを科学に訳した人物も西周



203:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:13:44.58 ID:l4y8H9jP0
島津家の当主島津義久は自国の城から1歩も出ずに九州を統一した



214:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:17:46.63 ID:SKT1ZUMf0
>>203
実働部隊の弟たちに感謝



218:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:19:33.97 ID:u90PAMrpi
江戸か鎌倉か知らんが日記でネカマみたいな事してたおっさんがいたよな



222:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:20:26.15 ID:MOzGk2sg0
>>218
土佐日記の紀貫之



220:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:19:54.10 ID:MOzGk2sg0
麻酔を発明したのも日本人



223:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:20:33.80 ID:ctjpao7G0
>>220
ちなみに世界で初めて全身麻酔手術を行ったのも日本人で、華岡青洲と言う医者

手術内容は乳癌の治療



230:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:23:58.79 ID:H2DDwlaW0
山本五十六が56番目の子供だとアメリカに誤解されて
山本の父ちゃんすげえ・・・ってなった



231:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:24:02.47 ID:l4y8H9jP0
明智光秀は実は死んでおらず天海という名前に変えて家康の懐刀になった



234:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:25:03.10 ID:LBAqqOIj0
>>231
まあ一説だがな



236:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:26:31.12 ID:IaiPux6E0
>>231
数ある日本史都市伝説の中では割と信憑性あるよな
農民に殺されたって言うけど、農民が明智の顔なんて知ってるのかよと思う



246:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:33:40.16 ID:LKT5L3n50
わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へばという句で有名な藤原道長だが、この句は酔った勢いで言っただけで本人が書き残したわけではない
現世まで残ったのは部下が日記で「こんな句言ってたけどきめぇwwなんじゃそりゃww」ってディスってたから



257:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:43:37.41 ID:WTMaMK3q0
天皇家の次に伝統ある家系は島津家
藤原、足利、徳川、織田なんかとは比べ物にならないぐらいすごい



261:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:46:31.12 ID:H2DDwlaW0
>>257
相良家と相馬家も同じくらい凄いけど、
島津は大名だし国宝もあるしめっちゃ凄すぎるよな



262:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:46:41.58 ID:SKT1ZUMf0
>>257
出雲国造家は?



264:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:47:48.99 ID:IaiPux6E0
>>257
全然違うな
神官の諏訪家とかのほうが圧倒的に古い。最低でも1500年は続いてる



273:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 22:58:00.60 ID:l4y8H9jP0
熊本城の壁は食べられる

 「銀杏城」という名の由来になっているのは、城内に植えられた銀杏(いちょう)の木である。これは、篭城戦になった時の食料確保のため、築城時に 加藤清正がこの銀杏を植えたという。朝鮮出兵での蔚山城籠城戦で食料不足に苦しんだ経験を生かしているといわれているが、この銀杏の大木は雄木なので実は ならず、城内を知らない者が後世創った俗説と考えられる。また、清正は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時にこの城で兵乱が起こるだろう。」とつぶ やいたという言い伝えがある。明治時代、清正が植えた銀杏の木は天守とほぼ同じ高さになっていたが、明治10年に西南戦争が起こり、熊本の城下が戦場と なった。

また、同様に篭城時の食料の確保に関して、清正は城内の建物の土壁に干瓢(かんぴょう)を塗篭め、畳床には食用になる里芋茎を用いて備えたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/熊本城
日本の城と世界の城の歴史考察
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4087046.html



146:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:45:02.71 ID:KNKGf4tz0
マジで!?は江戸時代から使われてる



150:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/19(火) 21:46:10.63 ID:H2DDwlaW0
>>146
  イ`ヘ
 /: :| ヽ
/ : :/  ヽ ___   _,,,:. .-: :´彡フ
_ノ\_∠: : : : : : : : :`: :-: :,:_:/彡 /
      ( : : : : : : : : : : : : : : `ゝ  /
  マ  r::/: /: : | : : : : : : : : ::\ /
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  ジ  {/ 7|`\/i: /|:|/|´: : : : :|ヽ
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  で / r:oヽ`    /.:oヽヽ: :|: | :|
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   ヽ: |::|\     ̄/ /|  |: : :|: |



転載元:http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1384861566/
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