人生において目的や意味とはあるのか、あるとすればそれはいかなるものなのかという問いである。自然な日本語では「人生の意義」などとは表現せず、むしろ「生きがい」という表現のほうが定着している。

この問いは、経済的に豊かな国でほど切実な問題となってくる傾向がある。経済的・物質的に豊かな国の人々ほど、ひどい「空虚感」や「心のむなしさ」にさいなまれている人の数が増える傾向がある。アブラハム・マズローは人間は基本的欲求のすべてを満たして、ようやく「自己実現の欲求」といった高次欲求にかられ始める、と言っているが、「豊かな社会」は基本的欲求を満たしやすい社会なので、高次の欲求が発現しやすく、それが満たされない苦しみにさいなまれやすいという面がある、と諸富は言う。

人生において、このような命題が人の心を捉える時期は3つある、とも言われる。思春期、中年期および老年期である。思春期を経た者の多くは、その段階なりの解答を持つ。中年期にもこのような問いが心を捉えることがある。これは「中年期の危機(en:Mid-life crisis)」などとも呼ばれる。深層心理学者のユングがこのような中年期の危機の問題に早くから関心を抱いた。 傍から見ると特に何の問題もない人で、むしろ財産・地位・家族などについては恵まれた状態の人に、このような問いで悩む人が多くいる。若いころに、「財産・地位・家族などを手に入れれば幸福になれるに違いない」と思い込み、ひたすら頑張ってきたのに、いざそれらを手に入れてみると、まったく幸福という実感が無く、自分の人生に「大切な何か」が欠けている、という気がして仕方なくなり、「人生のむなしさ」を痛感する人が多いのである。 この段階で、あらためて「残された人生で、私は何をすることを求められているのだろう?」「自分の人生を意味あるものにするためには、今後どう生きてゆけばいいのだろう?」という問いに真正面から向き合うことになるのであり、そして老年期にも、このような問いが心をとらえることがある、と諸富は述べる[3]。 神谷美恵子は以下のことを指摘する。 「自分の存在は何かのため、またはだれかのために必要であるか」という問いに肯定的に答えられれば、それだけでも充分生きがいをみとめる、という人は多い。老年期の悲哀の大きな部分はこの問いに充分確信をもって答えられなくなることにあろう。よって老人に生きがい感を与えるには、老人にできる何らかの役割を分担してもらうほうがよい。また、愛情の関係としても老人の存在がこちらにとって必要なのだ、と感じてもらうことが大切である。

この問いは、そもそも自身の価値観の決定あるいは態度決定に関する問いであるので、学問や科学は、この問いに対する解答を与えてくれはしないとマックス・ウェーバーはしている。

この問いに対する回答は宗教や哲学の中に見出すことができる。あるいはそれらを表現した文学や音楽などの芸術作品の内にも見出すことができる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%84%8F%E7%BE%A9
おまえらの夢をわりとマジに教えろください。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4216342.html
道

哲学における諸見解
功利主義
功利主義の起源はエピクロスまで遡れるものの、学派としてのこの思想の創始者はジェレミー・ベンサムであるとされており[6]、彼は快と不快という二つの支配者の下にあることが人間の自然であると主張し、そして道徳的洞察から功利性の支配(Rule of Utility)という説を展開し、「善は何であれ最大多数の最大幸福である[要出典]」とした。彼は生きる意味を「最大幸福の原理」[要出典]として定義した。なお、ジェレミー・ベンサムの第一の支持者は彼の時代の著名な哲学者であるジョン・ステュアート・ミルの父であるジェイムズ・ミルである。ジョン・ステュアート・ミルは父の仕事の多くからの転写と要約を含むベンサムの原理によって教育された。


ニヒリズム
ニヒリズムは、人生には意味はない、と示唆・主張する。簡潔に言うと、ニヒリズムというのは「最も高い価値があるものを無価値にしてしまう」過程と言える[8]。だからニヒリズムでは「“人生の意味”などというものはない」と考えることになる。フリードリヒ・ニーチェは、ニヒリズムの特徴というのは、世界・人間の意味・存在・目的・可知的真理・本質的価値などを空っぽにしてしまうことだ、と述べた。またニーチェは、要はニヒリズムというのは目的が欠如しているのだ、と述べた(後述)。そしてニヒリズムを乗り越えるべき、とした。マルティン・ハイデガーは、ニヒリズムというのは、「存在」が忘れ去られてしまい、存在を価値へと変容させてしまう動きであり、価値へと交換するために存在を減らしてしまうことである、とした。

フランスの哲学者アルベール・カミュは、「人間の条件」の馬鹿げているところは、世界に外在的(客観的)な価値や意味を求めてしまうことである、とした。世界には客観的には意味はなく、人間に対して無関心である。カミュは自分の作品において、ニヒリスト的な価値観を持つムルソーという人物を登場させたが、またその一方で、意味の無い世界であっても「英雄的なニヒリスト」になろうと闘う人々も登場させた。それはたとえ意味が無いと分かっていても尊厳とともに生きる人々であり、いわば「世俗の聖人」たちで、友愛の団結で結ばれて人生を生き、世界の無関心に対して戦いを挑んでそれを見事乗り越える人々を描いたのである。


実存主義
実存主義においては、それぞれの男と女は彼と彼女の人生の本質(意味)を創造する、とされる。そして、人生は超自然的な神ないし地上の権威によって決定されておらず、我々は自由である。かくして、我々の倫理的で主要な行いは自由、そして自己決定である。このように、実存主義は理性を重要視する合理論や科学的な見方をする実証主義に反対する。人生の意味を知ることに関して、実存主義者は理性のみを用いるのは不十分であるとする。この不十分は不安と恐怖の感情を起こし、自由への直面と同時に起こる死の自覚を我々に感じさせる。実存主義者にとっては、(サルトルが言ったように)実存は本質に先立ち、一人の者の人生の本質は一人の者が存在するようになる前のみに生じている。

セーレン・キルケゴールは「信頼の跳躍」という言葉を作り、人生は不条理で満たされていて、世界は我々に無関心ではあるが、我々人間は自分自身の価値を作るべきなのだ、とした。我々は、人間という有限な生しか持たない存在とも、条件をつけたりせずに関わりを持つことによって、意味に満ちた人生を生きることができるのであり、それによって絶望と不安から解放されるのである。たとえ他の人々と関わることは自分が傷ついてしまう結果をうみがちだとしても、それでも他の人々と関わり合うことで、そうすることによってこそ、意味のある人生が送れる、とした[11]。

アルトゥール・ショーペンハウアーによると、「人生の意味とは何か?」という問いにおいて、我々の生は我々自身の意志を反映しているのであり、意志、生には目的がなく、非合理的で、苦痛を伴う運動だと定められている。ショーペンハウワーによれば、美的な瞑想、他者からの共感を求めること、そして禁欲主義というのは、救い・救済・痛みからの逃避なのである。

ニーチェに言わせると、生きたいと思わせるような目的がある時にだけ、人生というのは生きるに値する。ニーチェは、「全ては意味が無い」などとしてしまうニヒリズムなどというのは要は目的が欠如しているのだ、と指摘した。ニーチェはまた禁欲主義というのも人生の否定だ、とした。ニーチェは、価値というのは、客観的な事実なのではなく、人間の理知が必要としているものなのであって、世界と自分を結ぶコミットメントなのだ、と述べた。つまり結局、人生をどう評価するか、ということは解釈の問題なのであって、世界自体が(客観的に)どうあるか、という問題ではないのである。そして人が想うことは、その人の特定の立場から来ているのだ、とした(ニーチェのこの考え方は「perspectivism 遠近法主義」と言う)。


論理実証主義
論理実証主義者は「人生の意味とは何か?」そして「問うことに意味はあるのか?」と問いかけたことがある。 もし客観的な価値が存在しないとすれば、人生は無意味なのだろうか?これに対してルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインと論理実証主義者たちは「言語によって表現されるならば、その問いは無意味である」と言う。というのも人生において「xの意味」という言明は、通常xの結果か、xの意味(significance)か、あるいはxにおける顕著なもの等々を示すのであり、したがって、人生の意味の概念が「x」と等しい時、「xの意味」という言明において、その言明は再帰的であり、したがって無意味であるか、もしくはそのことは、生物学的生は人生において意味を持つことが本質的であるという事実を示しているかである、とする。


プラグマティズム
プラグマティズムは19世紀後半のアメリカで形成された。

プラグマティズムの哲学者は、人生の実践的で有用な理解こそが、人生の非実用的で抽象的な真理探究より重要である、とする。

プラグマティズムの哲学者ウィリアム・ジェイムズによると、人は人生が順調に進んでいるときは「生きる意味があるのか?」などとは考えないのであって、人は自分の人生で何か壁にぶつかった時に「何のために生きている?」などと疑問に思うという。ジェイムズに言わせると、「人生は生きるに値するか?」などという問の真の意味は「最近私の人生はつらいことが多くてやってられない!」ということであって、要は愚痴なのだ、という。ジェイムズに言わせれば、「人生は生きるに値するか?」の答えは、「人生は生きるに値するから値する」であって、「人生の意味とは何か?」などという本質を求める問いは止めて、人生の実際的な効能に着目したほうがいいという。人がどのように思うかということは、その人の人生で起きることに影響しており、ポジティブに考えて行動するからポジティブな結果が生まれる。人生は生きるに値すると思って行動していれば、実際に生きるに値する人生になる、とする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/人生の意義



自己実現理論
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アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。また、これは、「マズローの欲求段階説」とも称される。

生理的欲求(Physiological needs)

    生命維持のための食事・睡眠・排泄等の本能的・根源的な欲求
    極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間は、生理的欲求が他のどの欲求よりも最も主要な動機付けとなる。一般的な動物がこのレベルを超えることはほとんどない。しかし、人間にとってこの欲求しか見られないほどの状況は一般的ではないため、通常の健康な人間は即座に次のレベルである安全の欲求が出現する。


安全の欲求(Safety needs)
    安全性・経済的安定性・良い健康状態の維持・良い暮らしの水準、事故防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求
    病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども、これを満たす要因に含まれる。
    この欲求が単純な形ではっきり見られるのは、驚異や危険に対する反応をまったく抑制しない幼児である。
    一般的に健康な大人はこの反応を抑制することを教えられている上に、文化的で幸運な者はこの欲求に関して満足を得ている場合が多いので、真の意味で一般的な大人がこの安全欲求を実際の動機付けとして行動するということはあまりない。


社会欲求と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)

    生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
    自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚
    情緒的な人間関係・他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚
    かつて飢餓状態に置かれていた時には欲することのなかった愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。
    不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態になる原因の最たるものである。


承認(尊重)の欲求(Esteem)
    自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求 
    尊重のレベルには二つある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。
    この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。


自己実現の欲求(Self-actualization)
    以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。
    自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
    これら5つの欲求全てを満たした「自己実現者」には、以下の15の特徴が見られる。
    1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
    2.自己、他者、自然に対する受容
    3.自発性、単純さ、自然さ
    4.課題中心的
    5.プライバシーの欲求からの超越
    6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
    7.認識が絶えず新鮮である
    8.至高なものに触れる神秘的体験がある
    9.共同社会感情
    10.対人関係において心が広くて深い
    11.民主主義的な性格構造
    12.手段と目的、善悪の判断の区別
    13.哲学的で悪意のないユーモアセンス
    14.創造性
    15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

これらのうち、最初の4欲求を欠乏欲求(Deficiency-needs)、最後の1つを存在欲求(Being-needs)としてまとめることもある。マズローは、欠乏欲求と存在欲求とを質的に異なるものと考えた。自己実現を果たした人は少なく、さらに自己超越に達する人は極めて少ない。数多くの人が階段を踏み外し、これまでその人にとって当然と思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまうとも述べている。 また、欠乏欲求を十分に満たした経験のある者は、欠乏欲求に対してある程度耐性を持つようになる。そして、成長欲求実現のため、欠乏欲求が満たされずとも活動できるようになるという(ex.一部の宗教者や哲学者、慈善活動家など)。 晩年には、「自己実現の欲求」のさらに高次に「自己超越の欲求」があるとした。この考えが、後のトランスパーソナル心理学の源流ともなる。


自己超越
マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。それが、「自己超越」(self-transcendence)の段階である。 自己超越者(transcenders)の特徴は

  1. 「在ること」(Being)の世界について、よく知っている
  2. 「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている
  3. 統合された意識を持つ
  4. 落ち着いていて、瞑想的な認知をする
  5. 深い洞察を得た経験が、今までにある
  6. 他者の不幸に罪悪感を抱く
  7. 創造的である
  8. 謙虚である
  9. 聡明である
  10. 多視点的な思考ができる
  11. 外見は普通である(very normal on the outside)

マズローによると、このレベルに達している人は人口の2%ほどであり、子供でこの段階に達することは不可能である。 マズローは、自身が超越者だと考えた12人について調査し、この研究を深めた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/自己実現理論


人生はどうせ一幕のお芝居なんだから。 あたしは、そのなかでできるだけいい役を演じたいの
寺山修治



ツァラトゥストラはこう言った
http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/hon3/026.html



2ch創始者 西村博之氏 「金で幸せは買えない おいらがお金を持ってわかったこと」
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4474290.html


ブラック企業経営者が明かす、社員洗脳の手口~劣悪環境で“進んで”搾取される人々
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4639689.html


為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4562303.html




■議論方針(コメントの意見を交えて随時追加)
・あなたにとっての人生の意味とは何か?
・人生に意味はあるのか?
・人間と他の動物とでは生きる意味に対する差はあるか?
・幸せになる為の労働と生きる為の労働の意義
・お金で幸せは買えない?お金で操られる世の中
・ブラック企業で働く人々は人生の生きる意味に対する哲学的考えが低いのではないか?




1:名も無き哲学者:2014-03-31 20:06:30
人生は各駅停車ゆっくりでもいいよね
ただ予定調和な運びとならないように日々感性の扉開けていたいと思います



4:ユリウス・カエサル:2014-03-31 20:12:36
ネガティブを経験することにつきる。

ブラック企業は非情にネガティブ。



5:名も無き哲学者:2014-03-31 20:16:23
文化の発展と継承
動物が子供にその遺伝子を残すのと同じように、人間は、自分たちの持つ文化を子孫に残すものだと思っているから。
日本じゃ、もう実現不可能な目的だと思うけど。




10:名無しのガンダム好き:2014-03-31 20:24:29
※5
日本の文化はいいと思ったものを貪欲に取り込んでいく文化だと思う



12:名も無き哲学者:2014-03-31 20:25:39
※5
お前の中ではそうなんだろ
俺は俺が文化を遺すために生まれてきたわけではない



6:名も無き哲学者:2014-03-31 20:17:03
楽しんだり、悲しんだりと毎日がいろいろ忙しくて、あまり気に止める人はいないよね。

時が経てば、自分はもちろん親しい人や子供、最終的には人類や地球は消滅する。

だけど、記録には残らないが生きているうちにいろいろ楽しめたのなら、人生に価値があると信じたい。



7:名も無き哲学者:2014-03-31 20:17:41
偶然的に生まれ必然的に死ぬ
ただそれだけ




8:高田馬場:2014-03-31 20:23:11
女の子を好きになって、その子からも好きになってもらうってのが人生じゃね?
それだけで良いよ。
金だ地位だ名誉だで、孤独は埋まらんからな。
誰かを愛し愛されるのが人生の目標であって、最高の幸せだと俺は思うけどね。

ゲーセンで出会った不思議な子の話
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4077578.html



9:名も無き哲学者:2014-03-31 20:23:34
人生の意味を知るころには人生は終わっている



11:名も無き哲学者:2014-03-31 20:25:29
この生を嘆きたくなることもあれば、ひたすら賛美し称えたくなることもあり、自分はどこどこまでも勝手な生き物だと感じてる。人生の意味も今と次の瞬間とで変わっちまうし、そういう自分に辟易してしまうから、軽々しく人生の意味なんて考えたくもない。




17:名も無き哲学者:2014-03-31 20:32:49
人生の意味を見つけるための人生とか言うし、内容は人それぞれで、自分が成すべきことを生きていく中で自覚することが人生の意味なんじゃねぇかとふと思った



18:名も無き哲学者:2014-03-31 20:39:11
俺は社会不適合者
そうなる理由が最近わかった気がする
自分は ○○ごっこ遊び というのが苦手だ
その役に入り込む前に外側から冷めて目で見てしまって
どうもその役に入り込めず、楽しめない
同じような理由で、馬鹿騒ぎをしたりカラオケではしゃいだりもできない
これらも大きなくくりでは ○○ごっこ遊び の中に入るものだからね

そしてそれは社会もそう
社会のルールというものは本来存在しておらず、暗黙の了解や約束
単なる文章、取決めごとを「絶対的な真理」として扱っているが
そんなものは実際にはない 
お金もそう 信用創造とか何それ?完全にファンタジー

だけどもあたかもそれらが存在しているかのように振る舞わなければならない
そうできないということは、つまり社会に適合できないということ

人生の意味や意義というものも
当然ながら存在はしていない
あたかも存在しているかのように振る舞っている人間が多いだけ
無意識的にしろ意識的にしろ自分をだまして振る舞っているだけ
○○ごっこにすぎない
カール・グスタフ・ユングの概念。ペルソナという言葉は、元来、古典劇において役者が用いた仮面のことであるが、ユングは人間の外的側面をペルソナと呼んだ。

ペルソナとは、自己の外的側面。例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまう場合、あるいは逆に仮面を被らないことにより自身や周囲を苦しめる場合などがあるが、これがペルソナである。逆に内界に対する側面は男性的側面をアニマ、女性的側面をアニムスと名付けた。

男 性の場合にはペルソナは男らしさで表現される。しかし内的心象はこれとは対照的に女性的である場合があり、これがアニマである。逆に女性の場合ペルソナは 女性的な側面で表現される。しかし、その場合逆に内的心象は男性である場合があり、これがアニムスである。ペルソナは夢の中では人格化されず、一般に衣装 などの自分の外的側面で表されることが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ペルソナ (心理学)



19:名無し:2014-03-31 20:41:49
人間一人の人生に意味は無い
ネジが一本、歯車が一つ転がってても意味が無いのと一緒。一人の人生はより大きな何かの部品の一つ



20:名も無き哲学者:2014-03-31 20:42:18
人生とは欲の追求だ!



21:名も無き哲学者:2014-03-31 20:44:27
まず人生というものを
俯瞰して見る視点に立つことが論理的に不可能なのに
人生の意味など分かるわけがない。

なぜなら
人生の意味を捉えるには人生全体を捉えなければならないが、
それを語るのは、必ずある時間点(その地点の現在)に
存在している者、つまり人生の途中地点(その地点での現在)を
生きている(あるいは存在している)者にならざるを得ない。

人生の意味を語れるのには人生全体、つまり過去・現在・未来が
すべて今であるというような
論理的に不可能な視点でなければならないから。



22:名も無き哲学者:2014-03-31 20:46:18
少なくともお金で安定は買える
健康も買える
体壊して退職したが、お金があれば評判のいい医師にかかれたし
減っていく預金残高の前でため息つきながら必死に転職活動しなくても済んでた
ある程度の余裕がなきゃ人生も楽しめないよ
幸せはお金で買えないって言う人は実は健康で生活に余裕があるからなんじゃないかと思う



23:ブラック企業で働く社員達について:2014-03-31 20:48:10
管理された過酷な労働条件下では
哲学的な問題をじっくり考える時間などないでしょうね
日本の労働環境と日本人の無個性ぶり、哲学のなさには関係があると思います
労働が宗教のようなものと言われるのも、若者が色んな形でその労働教に抵抗するのもわかります



26:名も無き哲学者:2014-03-31 20:55:48
人生は楽しく幸せに生きなければならない
そういう人生を送れない人は哀れで可哀想で負け組
↑こんな糞みたいな価値観が蔓延してるのが問題
不幸で不運な人生でもいいんだよ 人生に優劣なんてなし

あるというのなら東北大震災で死んだ人等全員にお前らの人生可哀想だったなと憐れんで来い
過去の貧しい時代に生まれた人々の人生を憐れんでこい
上から目線でな



30:名無しにかわりましてGUNDAMがお送りします:2014-03-31 20:57:40
遺伝子を残すため、じゃダメなのか?



31:名も無き哲学者:2014-03-31 20:59:49
衣食住足りて礼節を知るみたいなもんで有り余る金を手にいれたら
今度は人間との関係性を求めるのが人間だと思われ
マズローの欲求段階説は人生そのものを表してるといえる



※世間体や社会のシガラミからは逃れられない?

32:名も無き哲学者:2014-03-31 21:00:20
人間は何かを求めるので社会からは逃れられないよ。俺は逃れたいとは思わないけど。取り敢えず、社会の椅子取りゲームには参加しないと生きていけない。



34:日本の哲学:2014-03-31 21:02:15
もう一つ
上にあげられた哲学は普遍的な事を書いているのだけれど、その成立過程が日本とは全く違う。考えてみれば日本はそういう哲学をただ単に借りてきたようなもので、例えば民主主義だって日本の市民が自らの手で勝ち取ったものではないでしょう



35:名も無き哲学者:2014-03-31 21:04:39
思考停止できることを見つけること。
もっと言えば、その信念を抱いて死ねること。



36:名も無き哲学者:2014-03-31 21:05:15
今の日本では、法の下、出来る範囲でやりたい様に生きて喜びを見つけ続ける事だね。
子孫を残すとか言っちゃうと、そうで無い人の立場もないからねぇ。
働かない人は働かない喜びがあるんだろ。ただそれに合った出来る範囲になるけどね。

毎日続いているから、慣れすぎているんだよ。
ま、全ては国や地球環境が在る事で成り立つのだから、人生なんてある制限の中でのものだよね。
人間に生まれた以上、色々考えてしまうけど、世の中を、経済を回して生きていくしかないよ。
人生が辛くても、いつ自分が食べられるか分からない状態で、虫や動物を狩って、草木を探す動物の生活はもっと嫌だね。




37:名も無き哲学者:2014-03-31 21:05:19
昔なら好きな人と結婚して子供産んで普通に生きるのが幸せだったんだろうけど今は絶対に無理
思考停止でまだ結婚と子供っていうのが幸せにつながると思ってる奴多いけど自分も子供も不幸になるだけ
少ないお金が更に分散して子供も自分も我慢ばっかりって人生の意味ないよね



38:PCパーツの名無しさん:2014-03-31 21:06:38
ある側面から見れば種の保存、これに尽きる
その視点で見れば自由意志なんて幻想、それ以外の意味を求める事は無価値



39:名も無き哲学者:2014-03-31 21:07:06
人の一生ってこんな感じだと思うな
生まれる→自分だけの価値観を形成する→形成した価値観を後世に伝える→死ぬ
結論:人は価値観を形成するために生きている。



40:名も無き哲学者:2014-03-31 21:08:04
少なくとも俺は
仕事でも遊びでもなんでもいいから
入り込めるものあれば
人生の意味に悩むことなんてないな
飽きて暇になって手持無沙汰になったときにヤバい
まさに今がそう 早く次の無駄な思考を止められるような
入り込めるようなものを見つけないと・・

ギリシャで哲学が生まれたのは「暇」だったからなんだろう?
暇は人を殺しうるね



41:ぐりぐり名無し:2014-03-31 21:08:10
意味なんて自分で作り出せばいい。

人によらず、人生とはこういうものだ、ってのは無いと思う。

意味を感じる事自体、空想と言うか、主観だし。

ましてや、誰かが他人の人生に「こういうもんだ」って意味づけしても、
だから何?って感じになる。



45:名無し:2014-03-31 21:14:56
自分は人に認められなくても良いし、お金もいいから自由にやりたいことやって生きたいと思ってる。



47:名も無き哲学者:2014-03-31 21:17:39
生まれることをBe bornと英語では表現するように、人生って受動的に与えられるものだと思う。

なにか自分が、これをしたい!と思って生まれてくる訳じゃない。だから人生には元々目的なんかないんじゃないかって思う。目的がないから本来は生き続けようとしないはず。

それでもなお人が生き続けようとするのは生きていることが快感だから。生きている中で経験した快楽に依存し、より多くの快楽を得ようと生きている。※20の方も言っていたけど、人生の本質は快楽の追求にあるんじゃないかと思う。



63:名も無き哲学者:2014-03-31 21:37:55
※47
その意見には賛成だなあ
おぎゃあとこの世に産まれくる前から
既にこの世界は形づくられているんだよね
幸せになるためでも苦痛を味わい修行するためでもなく、その時代その場所で既にある問題が投げかけられる
自己実現のための方法も俺たちが産まれる前から既に存在してる




53:名も無き哲学者:2014-03-31 21:26:34
・ブラック企業で働く人々は人生の生きる意味に対する哲学的考えが低いのではないか?
学校でいじめられ、転校する発想を失い、今を耐えれば幸せになれると信じ、自分を変える努力もせず、ただ漠然と過ごす学生に似ている。
辞めても就職先がないなどの不安から外に出られない故、正社員であるだけマシと考え、自ら火の中で働く。
これは友人恋人関係や家族によくある共依存にも言えることで、洗脳的かつM的性質である。
全ては頑固頭がそうさせている。
環境に気が付けない馬鹿とも言える。
後者は教えることで気付ける場合もある。
しかし、相手から教える者は稀である。
違和感を感じたら気のせいと思わずに追求することが、人生を好転させる逃げ道に繋がる。
些細な違和感すら見逃さないことが、哲学的思考へと導くヒントである。
夜神月は自分がやっている事に違和感を感じることが出来ず、哲学的思考に至らぬまま突き進んでしまった代償が死である。



54:名も無き哲学者:2014-03-31 21:26:34
少なくとも社会的なものと人生は関わりが最も強いが
最も意味の無い関わり
言葉で表現できるものではない



60:名も無き哲学者:2014-03-31 21:35:13
人の一生が終わる時に
生きていたときに得たものはすべて失うことになる。
ところが人間の一生というのは今晩終わっても
何の不思議もない。確率的には。
たとえば100億の金を今日得たところで
明日すべてを失うとわかっていたら
その金に何の価値があるだろう。
愛情とて同じ。
短い一生に得たものはすべて消えてゆく。




64:名も無き哲学者:2014-03-31 21:38:48
※60
終わる時のことばかりを考えて今を楽しめないのは何というかもったいない



62:名も無き哲学者:2014-03-31 21:35:56
某戦国武将の言葉を参考にすると

人生に意味は無し。
ただ、この世を生きるのみ。
ただし、この世は辛いことも多いが探せば楽しいことも多い遊び場で
ある。

これが、自分的には一番しっくりくるかな。



67:名も無き哲学者:2014-03-31 21:41:18
自我ってのは本来の自分をつなぐ鎖みたいなもんだよな。社会は自我を通して「僕」に干渉する。



68:名も無き哲学者:2014-03-31 21:41:27
考える事が人間という動物の特徴なら、人生のなかで、自分の考えを実現して、他の人の考えに影響を与えたいなぁ




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