1: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:46:52 ID:OWD
●ケース1
彡(゚)(゚)「え?1つ早い飛行機に乗ってくれ?」
彡(^)(^)「まぁ、仕事やからしゃーないか」
~上空33,000フィート(約1万メートル)~
彡(^)(^)「ドリンクいかがでっかー?」
ドーン!!
彡(○)(○)「なんや!!」
彡()()
転載元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1446760012/
「ブラック・ジャック」の激安手術請求額トップ10
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4962818.html
JAT_McDonnell_Douglas_DC-9_at_Zurich_Airport_in_May_1985


3: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:48:09 ID:OWD
1972年1月26日にコペンハーゲン(デンマークの首都)発のゼグレブ(クロアチアの首都)経由、
ベオグラード(新ユーゴスラビアの首都)着のユーゴスラビア航空DC-9が28名の乗客とクルーを乗せて出発した。上空33,000フィートでウスタシェ・クロアチア分離主義グループが貨物に仕掛けた爆弾が爆発し、飛行機は分解し山に激突した。



4: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:48:13 ID:OWD
この中で、当時22歳のスチュワーデス(今はフライトアテンダントか)だったヴェスナ・ヴロヴィックさんは頭蓋骨骨折、両足骨折、脊椎を3箇所骨折(1つが完全に粉砕し、腰から下が麻痺する事となる)の怪我を負いながらも奇跡的に生還した。
爆発時、ヴェスナさんは後部座席に座っていた。数ヶ月に渡り病院に通い続け、何とか歩けるまでになった彼女はロンドンでのギネスブックレコードの式典でポール・マッカートニーと合い、有名人となった。
現時点で知られる限りで、パラシュートなしで最も高い所から落ち、生還したのはヴェスナさんのみとされている

彡(゚)(゚)「い・・・生きとるで!! ワイは33,000フィートから生還したんや!!」



6: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:48:44 ID:OWD
と、言う訳で今回は奇跡の生還です。各文章少し長いっす。
アンビリーバブルとか世界仰天ニュースとか見ないんですが、被ってたらゴメンなさい・・・彡(-)(-)
あと、英語から訳しているのと国語があんまり得意じゃないので、文章が変な所があると思いますが、目を瞑っていて下さい。彡(-)(-)
途中、質問等あったらどうぞ。彡(^)(^)



14: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:50:42 ID:OWD
●ケース2
彡(^)(^)「電車での旅行は楽しいなー」
ガタン!
彡(○)(○)「なんや!!」
彡()()
彡(゚)(゚)「い・・・生きとるで!!」
彡(-)(-)「もう電車には乗らないでおこう…」
~1年後~
彡(^)(^)「今回の旅行は飛行機やで!」
ドーン!
彡(○)(○)「なんや!!」
彡()()
彡(゚)(゚)「い・・・生きとるで!!」
彡(-)(-)「もう飛行機には乗らないでおこう…」
~数十年後~
彡(^)(^)「今回の旅行はバスやで!」
ボッチャーン!
彡(○)(○)「なんや!!」
彡()()
彡(゚)(゚)「い・・・生きとるで!!」
彡(-)(-)「もうバスには乗らないでおこう…」
~数年後~
彡(-)(-)「もう、公共機関は事故ばっかやから、自分で車を運転するわ・・・」
ボー!!
彡(○)(○)「なんや!!」
彡()()
彡(゚)(゚)「い・・・生きとるで!!」
彡(-)(-)「もう乗り物には乗らないでおこう…」
~十数年後~
彡(-)(-)「もう乗り物は沢山や・・・歩こ・・・」
バス「ブッブー!!」
彡(○)(○)「なんや!!」
彡()()
彡(゚)(゚)「い・・・生きとるで!!」



15: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:55:56 ID:OWD
クロアチアで1929年生まれた音楽教師、フレーン・セラック氏は数多くの不幸な事故に見舞われながらも、
生き残るという幸運を持った人物だ。
1962年1月のある寒い日の事だった、ドゥヴォロニック(クロアチアにある町)行きの電車に乗っていたセラック氏は
乗っていた電車が脱線し、車両が氷点下の川の中に突っ込むという事故に合った。
死者17名を出したこの事故だったが、セラック氏は腕の骨折と軽い打撲と擦り傷を負っただけで生き残った。



16: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:57:00 ID:OWD
その1年後、セラック氏はザグレブ(クロアチアの首都)からリジェカ(クロアチアの町)に行く為に飛行機に乗っていた。
飛行中に飛行機のドアが吹き飛び、セラック氏は飛行機から放り出される形となった。
ドアの吹き飛んだ飛行機は墜落し19人が死亡したが、セラック氏は運良く藁(わら)の束に着地し、
体の数箇所に軽い傷を負っただけで済んだ。
なお、この飛行機はセラック氏の人生で最初に乗った飛行機だったと言う。



19: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:58:04 ID:OWD
1966年、セラック氏は旅行の為、バスに乗っていた。
ここでも、バスが川に飛び込み4人が死ぬ事故にあったが、セラック氏は無傷で生還した。
4年後の1970年、セラック氏は車を運転していたが、その車が突然、炎に包まれる事故に合った。
ガソリンタンクに火が移って爆発する前に脱出したが、
更にその3年後、セラック氏は車の運転中にエアコンの通気口から火が吹く事故に事故に会い、頭髪の多くを失うケガを負いながらも、無事生還する。



23: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:59:31 ID:OWD
喧嘩せんといてーな。
まったり読んでー。

1995年、セレック氏はザグレブ市を散歩中にバスに跳ねられるが少しの傷だけで生還。
翌年、山道を運転中に対向車を避けようとし、山道から落ちる事故にあうが、
木に引っ掛かり助かった。彼の車は300フィート(約90m)下に落ち、爆発したという。



24: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)06:59:59 ID:OWD
2003年、おそらく彼にとって一番衝撃的な事が起こった。
何と、クロアチアの宝くじに当選し、
60万ユーロ(当時約1億円)という巨額の富を得たのだ。
彼のように最大の不幸と幸運を味わった人間はそうはいないだろう。



28: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:01:26 ID:OWD
このケース2のオヤジ不死身すぎて作り話かと思ったわ・・・



37: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:05:17 ID:OWD
●ケース3
彡(^)(^)「飛行機で旅行やで!!」(そろそろネタが無いんちゃうか・・・)
ドーン!
彡(○)(○)「なんや!!」(また爆発か何かやろ・・・)
彡()()
彡(゚)(゚)「い・・・生きとるで!!」(まぁ、知っとったけどな・・・)
彡(゚)(゚)「でも、ここどこや?」
彡(゚)(゚)「え?アンデス山脈?」
-30℃&雪崩&飢え「ヨロシクニキー」
彡()()



38: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:06:22 ID:OWD
1972年10月13日(金)、ウルグアイ空軍のフェアチャイルド社製エアープロップ機FH-227Dがアンデス山脈上空を飛んでいた。
飛行機はウルグアイのモンデビデオ市からチリのサンチアゴ市までステラ・マリス大学のラグビーチーム「オールド・クリスチャンズ」の40名と
乗組員5名を乗せて飛んでいた。飛行機が山脈を通過中、サンチアゴの航空管制所からチリのクリコは視界良好で降下可能との通信が入った。



41: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:07:15 ID:OWD
が、これは致命的なミスであった。
航空路が雲で覆われていた為、パイロットは通常、通過にかかる時間を頼りに
山脈を通過した事を予測するしかなかったのである(自律航法)。
しかし、強い向かい風が飛行速度を極限まで落とし、通常より飛行時間を延ばした。
それを知らずにパイロットは山脈を越える前に旋回と下降を始めてしまったのだ。
雲に囲われ視界不良の中、FH-227Dはアルゼンチンとチリの間にある
無名の山頂[後にグレイシャー・オブ・ティアーズ(涙の氷河)と名付けられる]に墜落した。



44: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:08:39 ID:OWD
12名が墜落で死亡し、生き残った生存者達も飢えと山に怯えるだけでなく、
夜は-30℃にもなる所で生存しなければならなかった。
少ない食料を別けて救助が来るまで凌ごうと頑張ったが、
飛行機のラジオで救助が中止になった事を聞き、希望を失った。
食料不足と心と身体の両方の疲労により、生存者達は生きる為に死んでしまった彼らの仲間を食べる事を迫られた。



45: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:09:12 ID:OWD
極度の寒さ、雪崩の恐怖、死に続け仲間達と救助の見通しの悪さにうんざりした2名が山脈を越えてチリに行く事を決意した。
孤立から72日後の1972年12月23日、最終的に16名の生存者が救助された。



49: 一次元の蛙◆1D.FROGPPyyp 2015/11/06(金)07:13:31 ID:3D9
>>45
山脈越えた二人が救助を呼んだの?



51: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:16:00 ID:OWD
>>49
そうっす



48: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:13:08 ID:OWD
●ケース4
彡(^)(^)「陽子ビームの装置で実験やで」
彡(゚)(゚)「機械の調子がおかしいな」ノゾキミー
彡(-)(-)「アカン、頭が挟まった・・・」
パシュッ!
彡()()



52: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:16:29 ID:OWD
プロトヴィノ市(ロシアのモスクワから南に120km)の高エネルギー研究所で研究所として働いていた
アナトリー・ブゴルスキー氏はソビエト最大の分子加速器、シンクロトロン U-70を使って研究をしていた。
1978年1月13日、事故はブゴルスキー氏が機械の壊れた部品を調べている時に起きた。
通常作動する筈の安全装置が作動せず、ブゴルスキー氏が部品を変えようと頭を入れて前屈みになっている時に、
陽子ビームが射出されたのだった。



54: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:17:30 ID:OWD
後にブゴルスキー氏は「太陽の1000倍明るかったが、痛みは感じなかった」と語ったが、
約20万ラド(約2千グレイ)もの陽子ビームが彼の頭蓋骨に放射され、
彼の脳に衝突し射出された時には約30万ラド(約3千グレイ)に達していた。

ブゴルスキー氏の顔の半分が認識出来なくなる程に腫れ、
数日後には皮膚が落ち、陽子ビームが光速とほぼ同じスピードでブゴルスキー氏の
顔、頭蓋骨、脳細胞を貫いた後(穴)が見えたという。

人を死に至らしめるには500~600ラド(5~6グレイ)で十分だと信じられていたが、
ブゴルスキー氏はその約400倍以上もの浴びた。



55: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:18:20 ID:OWD
ブゴルスキー氏はモスクワの放射線治療の医師がいるクリニックで治療されていて、
生存は望ましくないものとされいた。

しかし、ブゴルスキー氏は生き残り、博士号を習得するまでに至った。
会話等に問題ない所か、事故の後から頭が冴えるようになったらしい(トレパネーションみたいなものでしょうか)。
ただ、彼は左耳の聴力を失い、鼻のインプラント(プラスチック埋め込み)をしなければならなく、
また、顔の半分は動かなくなったのでした。
それでも、嫁さんを見つけて結婚し、息子が出来たとの事です。(事故前後かは書いてませんでした)



56: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:19:25 ID:OWD
●ケース5
彡(^)(^)「森の見回りやでー」
ズガーン!!
彡()()
~27年後~
彡(^)(^)「昔、雷に打たれたけど、やっぱ森はエエなぁ」
ズガーン!!(2)
彡()()
~1年後~
彡(^)(^)「2度ある事は3度あるちゅーけど、さすがに無いやろ」
ズガーン!!(3)
彡()()
~2年後~
彡(^)(^)「さすがにこれ以上はないやろ」
ズガーン!!(4)
彡()()
~1年後~
彡(゚)(゚)「いやいや、さすがにね・・・」
ズガーン!!(5)
彡()()
~3年後~
彡(-)(-)「エエ加減飽きたわ・・・」
ズガーン!!(6)
彡()()
~1年後~
彡(-)(-)「あーなんか来るわー」
ズガーン!!(7)
彡()()
~6年後~
彡(-)(-)「・・・」
ズガーン!!
彡()()



57: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:19:55 ID:OWD
ヴァージニア州のフォレスト・レンジャー(森林警備隊)だったロイ・サリヴァン氏は36年の警備隊勤務の中で実に7回、雷に打たれ、無傷では無いながらにもそれらの落雷から生還した。
-1942年、サリヴァン氏、最初の雷に足を打たれ親指の爪が飛ぶ
-1969年、2回目の落雷が彼の眉毛を燃やし、意識不明になる
-1970年、3回目の落雷で左肩が焦げる
-1972年、4回目の落雷で髪に火が付き、消化の為に頭からバケツで水をかぶる
-1973年8月7日、帽子を被っていたが、落雷した事によりまた髪に着火。落雷はトラックから彼を放り出し、左の靴を飛ばした。



58: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:20:27 ID:OWD
-1976年6月5日、6回目の落雷にて足首をケガする。
-1977年6月25日、落雷により胸と胃を焼かれ、サリヴァン氏は病院に搬送される。
この7回目の落雷にてサリヴァン氏はギネスブックの世界記録に登録される。
彡(゚)(゚)「あれ?8回目のズガーンは何や?」
1983年サリヴァン氏は71歳の時に落雷とは関係の無い銃の自損事故で亡くなる。



63: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:24:53 ID:OWD
●ケース6
彡(^)(^)「鉄道のメンテナンスも大変やなー」
彡(゚)(゚)「足がすべっ!!」
ズルッ・・・
電車「ヨロシクニキー」
彡()()



64: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:25:36 ID:OWD
鉄道分岐係員(分岐のスイッチを変える人)だったトゥルーマン・ダンキャン氏は
作業中に移動中の先頭車両から足をすべらせて線路上に転落、その後を車両が通過した。

ダンキャン氏は上半身と下半身が真っ二つになる形で切断されたが生きていた。
何より驚きなのは、その状態で自ら携帯で救急を呼び、救急が来るまでの45分間生き長がらえた。
その後、病院に搬送されたダンキャン氏は3週間も意識不明であった。



65: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:26:15 ID:OWD
その入院の中で25回にも渡る手術を受け、両足と腎臓を失う事となったが退院し、
同じ鉄道会社の車両修復とメンテナンスの仕事に復帰する事が出来た。

ダンキャン氏を治療した医師によると、通常は出血多量と痛みにより気絶してそのまま亡くなるケースが多いそうだ。
だが、ダンキャン氏は気を保とうと救助されるまでの間家族と電話で話をしていたので、
それが彼を救った奇跡の1つではないかと医師は言った。

後にダンキャン氏は「私はただ他の人達と同じように、子供が成長する姿を見たかった」と語った。



68: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:28:05 ID:OWD
●ケース7
彡(^)(^)「今日は絶好のスキー日和やなー!!」
彡(゚)(゚)「アカン!!アイスバーンや!!」
ボチャーン!!
彡()()
彡(-)(゚)「はっ!」
彡(゚)(゚)「下が川やから助かったけど、氷から出られへん!!」
彡()()



69: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:28:50 ID:OWD
1999年スウェーデンの放射線技師、アンナ・エリザベス・ジョハンソン・バーゲンホルムは
いつも彼女が滑る急斜面のコースを滑っている最中にコントロールを失い川に転落した。
幸い彼女に怪我は無かったものの、20cmもの厚さのある氷の下に閉じ込められてしまったのだ。
運良く空気溜まりを見つけ呼吸が出来たものの、川の水は氷点下に達していた。
40分後、彼女の身体は低体温症による血液の循環停止になった。



70: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:29:42 ID:OWD
そして、80分後・・・通りがかった人達の通報と協力によりアンナは助けられた。
助けられた時、彼女の体温は13.7度と言う極度の低体温症になっていた。
アナの体温は事故で人間が低体温症になって生き残ったとされる最低体温と記録された。
その後、病院に搬送された彼女は100人以上もの医師や看護師の手当てを受けて回復を期待された。
事故から10日後に目覚めたアナだったが低体温症の後遺症で首から下がマヒ状態になっていた。
その後、2ヶ月による集中治療室のリハビリによりほぼ完治した。
が、2009年になり、アナは手と足の神経損傷による軽い症状(痙攣等)を経験した。



72: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:30:48 ID:OWD
ちょっと休憩。

質問あればどうぞ。



76: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:34:20 ID:OWD
●ケース8
彡(^)(^)「クリスマスは家族とタイで休暇や!!」
ガタガタガタ!!
彡(゚)(゚)「地震や!!」
シーン・・・
彡(゚)(゚)「収まったか・・・ 皆、無事か!?」
津波「ヨロシクニキー」
彡()()



77: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:35:08 ID:OWD
2004年12月26日、スペイン人の内科医、オイク・アルバレズマリア・ベロン夫妻と
彼らの3人の子供達はタイのカオラウ市にあるリゾートホテルにて休暇をすごしていた。
子供達はルーカス 10歳、トーマス 8歳、サイモン 5歳で皆プールで遊んでいる時に
インド洋沖で起きた地震の影響で津波が押し寄せたのだった。
津波が子供達を飲み込む前、マリアは咄嗟に「プールに潜りなさい!」と叫び、
その後に津波は彼女と子供達を飲み込んだ。



78: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:36:17 ID:OWD
マリアは何とか木に掴まって津波が終るのを待っていた。
その時、彼女はルーカスが津波に流されながらも助けを叫ぶ声が聞こえたのだ。
マリアがルーカスの元まで辿り着こうと泳ぎ始めた時、2回目の波が彼女を飲み込んだ。
マリアは津波で流れて来た鋭利な物体により致命傷を負ったのであった。
津波が引いた後、マリアは何とかルーカスの元まで辿り着いたが、無数の傷を負った事に気がついた。
マリアの右足は骨が見えるまで開ききっていたが、彼女はヤシの木の葉っぱで傷を塞いだ。
マリアとルーカスはまた来るであろう津波に備えて木に登ろうとしたが、マリアは傷つき木に登れない状態だった。
そこでルーカスが自らの危険を顧みず、マリアの足がかりとなって彼女を木に登らせたのだった。



79: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:37:29 ID:OWD
幸運にも3度目の津波は無く、しばらくしてからマリアとルーカスは救助され病院に搬送され、マリアは入院した。
マリアの入院の中で奇跡的にもオイク氏(夫)と2人の息子達(トーマスとサイモン)に会う事が出来た。
その後、マリアが退院し無事祖国に帰る事が出来た。

この出来事は後にハリウッドで「The Impossible [邦題:インポッシブル]」として映画化された。
尚、専門家の話によると子供達3人が皆、奇跡的に助かったのはマリアさんの「プールに潜れ」と言う掛け声のおかげだったと言います。
プールという水の溜まりが津波の衝撃を吸収し助かったという分析がされてますが、それでも助かったのは奇跡としか言いようがないとの事でした。



80: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:38:19 ID:OWD
●番外
彡(^)(^)「さーて雪も降ってきたし帰るか」
川^~^)||「うん!帰る!!」
彡(゚)(゚)「アカン、雪が積もり過ぎて車が動かへん!!車は捨てや!!」
川゚~゚)||「父ちゃん・・・寒いよ・・・」
彡(-)(-)「よしよし・・・父ちゃんが暖めてあげるからな・・・」
~10時間後~
川゚~゚)||「父ちゃん!!助けの人が来たよ!!」
彡()()
川゚~゚)||「と・・・う・・・ちゃん?」



81: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:38:58 ID:OWD
2013年、北海道を襲った猛吹雪の中、車の燃料がなくなり、友人宅まで歩いて行く途中に起きた惨事。
父親の岡田幹男さんは暴風雪から我が子を守る為に、10時間ものあいだ娘の夏音さんを抱き体を温め続けました。
当時の地元の消防団員の話によると、「体温を分け与えるようにかぶさっていた。
夏音さんが苦しくないよう、呼吸する隙間を空けたままの姿勢だった」そうです。
娘の夏音さんは低体温症にかかっていたものの、幸い命に別条はありませんでした。

彡(゚)(゚)「一児の父としてワイも娘を守りたい・・・ ちょっとこの事故は泣いたで・・・」
彡(-)(-)「でも、この父親は助かって欲しかったなぁ・・・」

ちなみに、「何で車の中に居なかったの?」っていう人もいるかも知れませんが、
車の中に居ても雪でドアが開けられなくなり、いずれは窒息死してしまうみたいです。
実際、この時に一家4人が車の中に閉じ込められる形となり、一酸化炭素中毒で全員死亡してます。



82: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)07:39:39 ID:OWD
以上。

スレちすみませんした。

参考文献
不可能を生き抜いた15人
http://amazingbeautifulworld.com/nature/15-people-who-survived-the-impossible/

不可能を生き抜いた10人
http://www.oddee.com/item_96487.aspx



90: 名無しさん@おーぷん 2015/11/06(金)08:05:39 ID:LUU
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