1: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)20:54:27 ID:23j
藤原道長は実は関白になってない
小早川秀秋は秀吉の義理の甥

こんな感じの
転載元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1463226867/
身近で起こった一番印象的な事件
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5049801.html
日本史


3: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)20:57:44 ID:6NC
振袖火事はフィクションやっけ?
振袖火事とも呼ばれるゆえんは以下のような伝承があるためである。

お江戸・麻布の裕福な質屋・遠州屋の娘・梅乃(16才。数えで17才)は、本郷の本妙寺に母と墓参に行ったその帰り、上野の山ですれ違った寺の小姓らしき美少年に一目惚れ。ぼうっと彼の後ろ姿を見送り、母に声をかけられて正気にもどり、赤面して下を向く。梅乃はこの日から寝ても覚めても彼のことが忘れられず、恋の病か、食欲もなくし寝込んでしまう。名も身元も知れぬ方ならばせめてもと、案じる両親に彼が着ていた服と同じ、荒磯と菊柄の振袖を作ってもらい、その振袖をかき抱いては彼の面影を思い焦がれる日々だった。だがいたましくも病は悪化、梅乃は若い盛りの命を散らす。両親は葬礼の日、せめてもの供養にと娘の棺に生前愛した形見の振袖をかけてやった。

当時こういう棺に掛けられた遺品などは寺男たちがもらっていいことになっていた。この振袖は本妙寺の寺男によって転売され、上野の町娘・きの(16)のものとなる。ところがこの娘もしばらくの後に病となって亡くなり、振袖は彼女の棺にかけられて、奇しくも梅乃の命日にまた本妙寺に持ち込まれた。寺男たちは再度それを売り、振袖は別の町娘・いく(16)の手に渡る。ところがこの娘もほどなく病気になって死去、振袖はまたも棺に掛けられ、本妙寺に運び込まれてきた。

さすがに寺男たちも因縁を感じ、住職は問題の振袖を寺で焼いて供養することにした。住職が読経しながら護摩の火の中に振袖を投げこむと、にわかに北方から一陣の狂風が吹きおこり、裾に火のついた振袖は人が立ちあがったような姿で空に舞い上がり、寺の軒先に舞い落ちて火を移した。たちまち大屋根を覆った紅蓮の炎は突風に煽られ、一陣は湯島六丁目方面、一団は駿河台へと燃えひろがり、ついには江戸の町を焼き尽くす大火となった。

この伝説は、矢田挿雲が細かく取材して著し、小泉八雲も登場人物は異なるものの、記録を残している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/明暦の大火



5: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:00:25 ID:23j
>>3
明暦の大火やっけ
さすがにフィクションやろなあ



6: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:01:50 ID:23j
なんでもええぞ

和気清麻呂が別部穢麻呂に改名させられたみたいな



7: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:04:09 ID:AaR
新撰組の活動資金は押し借りでなんとかしていた



8: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:04:54 ID:hRR
平家軍勢に源氏は居るし
源氏軍勢にも平氏は居る



10: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:06:18 ID:rSY
>>8
関東には平氏多かったからね



9: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:05:10 ID:6NC
西郷隆盛のあの肖像画もいとこかなんかやったな



11: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:06:27 ID:23j
>>9
よく沖田総司は実はブッサイクやったって言われてるけどあれも親戚もとにして書いたんだよな確か



12: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:07:47 ID:AaR
>>11
姉だかだぞ(うろ覚え)



13: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:08:55 ID:23j
江戸時代以降あんま詳しくないからエピソードどんどんクレメンス
もちのろんそれ以前でもかまへん

>>12
姉が元ネタやったらなんかその…アレやな



14: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:09:47 ID:AaR
>>13
老いた姉の顔を何となく若返らせて何となく弟っぽくしたくらいだから…(震え声)



15: ■忍法帖【Lv=1,キャットバット,9SX】 2016/05/14(土)21:11:07 ID:z0R
四条天皇とかいうドジっ子



18: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:15:24 ID:23j
>>15
碁石で女中転ばせたろ



ファッ!?アタマゴチーンそしてチーン


ま、まだ幼かったし多少はね?



21: ■忍法帖【Lv=1,キャットバット,9SX】 2016/05/14(土)21:17:02 ID:z0R
>>18
幼い(12歳)

成長具合とか全然違うやろうけど今の小6がそんなことやってたら完全にアレやな



25: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:18:03 ID:23j
>>21
12歳やったんか(驚愕)
もっと若いかと思ってたわ



16: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:12:41 ID:23j
個人的におもろいと思ったんは
蘇我氏は大臣で物部氏は大連
蘇我氏が権力争いで勝ったから大臣という役職のみ「だいじん」として残った
あくまでも説やけど



17: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:14:10 ID:hRR
浪速商人は、近江からゼニの匂いに釣られてきた商人
大阪商人は古くからの地元の商人

当然、桃山時代から現代まで仲は悪い



19: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:15:40 ID:ruO
帝国憲法は一度盗まれたことがある



20: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:16:09 ID:xQ6
鎌倉で北条氏が滅亡した時、900人が自決した



22: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:17:26 ID:AaR
山県有朋は明治天皇、大正天皇に嫌われていた



27: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:19:15 ID:23j
>>22
なんでなんや?
同じ長州閥でも伊藤博文とも仲悪かったみたいやけど



34: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:25:33 ID:AaR
>>27
伊藤博文とはあれでも山県的にはには仲がいいほうなんやで

金に汚い、でっち上げで失脚させる、明治初期の政変のころのいろんな行いやないか
参内すると何かくれてやるもんないかって追い返したがられてた
明治天皇の路線でも合わないのに反対路線の大正天皇とはそら合わんやろ



40: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:27:40 ID:5yO
>>34
神戸の大倉山公園の
伊藤博文の大きな立像が撤去されたままなんや……( ・`ω・´)



41: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:28:59 ID:AaR
>>40
萩市「返すわけないやろ」



42: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:29:59 ID:23j
>>34
明治天皇と大正天皇の路線ってなんや?
無知ですまンゴ
高校で近現代史やらへんかったから予備知識がなくってな



44: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:38:14 ID:AaR
>>42
明治天皇は日本近代国家の指導者
儀式のときでも顔があんま見れない、声なんて庶民には聞けない、雲の上の人、権威の象徴
国民にはそんな感じ
大正天皇は気さくなほうで皇太子時代から庶民に声をかけたり、友人の家を仕事の空き時間で訪れたり
お話好きなのかいろんな人といろいろしゃべる、開かれた皇室みたいな人
皇太子時代は庶民から人気が高かった

山県とかは明治天皇の権威の象徴路線を大正天皇に求めていたからいろいろあった



45: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:40:47 ID:23j
>>44
サンガツ
これでまた知識が増えたで!



28: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:19:43 ID:ruO
壬申の乱は天武天皇の妻である持統天皇が指揮していた



29: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:20:34 ID:iZB
戦前まで足利尊氏は極悪人の代名詞



33: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:24:25 ID:TPn
>>29
なお、楠木正成は聖人どころか神レベルの扱いだった模様



36: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:26:51 ID:AKd
>>33
息子まで神格化されるまでのレベルやからな
小楠公の歌が教科書にまで普通に乗ってるし



30: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:20:42 ID:3OF
明治以降の工業近代化
そもそもあの近代化ペースは当時のヨーロッパからみたら
鎖国してた国がなんで?
ていうほどの異常すぎるスピードでの近代化
背景には日本人が実は相当好奇心が強く新物好きかつ
長年培われた物作りの技術技能が高かったから
しかしその事が学校の授業ではしっかりと教えられていない事実



31: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:20:57 ID:6NC
都市伝説的なのも結構あるよな
天草四郎が豊臣の子孫説とか松尾芭蕉服部半蔵説とか



32: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:23:02 ID:iZB
家康は蒔絵の超豪華な「おまる」を献上されて怒り狂った



39: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:27:36 ID:z7H
地震で一族全滅は草生える
帰雲城は当地の有力武将である内ヶ島氏の居城であった。寛正年間の1462年ころに内ヶ島為氏により築城された。

天正13年11月29日(1586年1月18日)に天正地震が起き、帰雲山の山崩れで埋没。城内と城下を合わせ推定500人余りが埋没したとされる[1]。当日城内で祝宴が行なわれており、難を逃れたのは所用のため不在だったわずか4人と言われる[2]。城主の内ヶ島氏理ら一族は全て死に絶えてしまい、この瞬間をもって内ヶ島氏は滅亡した。また、内ケ嶋氏の領内に金山があったことから、そのとき埋まったとされる埋蔵金伝説がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/帰雲城



46: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:43:36 ID:Tyc
あのお金を表す指のサインを考えたのは大隈重信



47: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:45:35 ID:iZB
江戸城中の刃傷事件は結構あった
たいがいはイジメられてた方がキレて斬りかかるという顛末が多い



48: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:47:08 ID:SOc
大正天皇は地方巡回中に一人で抜け出し民家にもらって飯を食べたりしてた
その後、そのときのお礼として多額の礼金をやったそうな



51: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:50:07 ID:hRR
飯を食う前の「いただきます」
これ、意外に歴史が浅く、戦中戦後のものらしい
1900年前後に生まれた人にアンケートとると誰も言っていなかった

が、現代の人は9割の人は「言うべき」と思っているので、マナーとしてやろうね



52: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:51:42 ID:Bbf
こういうスレの日本史=古代~近現代という風潮、無くしていきたい
先史時代にも興味もってもらいたいンゴねぇ



60: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:00:10 ID:23j
>>52
縄文時代にすでに稲作文化が存在した
古墳は前方後円墳が先で円墳・方墳が後

こんなんは当たり前か

先史時代のエピソードってあんまイメージわかん



63: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:08:47 ID:hRR
>>60
九州では独自の縄文文化か花開いていたが、カス桜島のドカーンで九州(ついでに山口)全土が土石流に流された
また、青森県も独自の縄文文化が十和田に滅ぼされた(ついでに北海道も)

数万年前の話である



71: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:37:40 ID:Bbf
>>63
九州、青森の独自の縄文文化って何をもってそう言えるんや?
あと縄文時代の開始は約1万6千年前だから数万年も前じゃない



72: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:39:05 ID:Bbf
>>60
まあそうやろなぁ
縄文縄文時代には稲作文化はないかな
縄文弥生移行期は別にして、あったのは多少の栽培



54: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:52:20 ID:SOc
夏目漱石は「女は本当に妊娠ばかりしやがって、どうしようもない」と友人に愚痴ってた



57: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)21:54:49 ID:AaR
夏目漱石はDV夫
が妻の友人が持ってきた妻へのお土産を食べてブチ切れられたことがある
何も言い返さず黙っていた模様



61: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:00:20 ID:AaR
正岡子規「江戸時代の俳句は糞、読む価値もない」
弟子・友人「おっ、そうだな」
??「あいつが言うならそうなんやろ」

江戸時代の俳句があんまり残ってない理由らしい



62: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:05:11 ID:iZB
宮本武蔵は島原の乱に従軍したが
参戦早々敵の投石が脛に当たり
それっきり乱の収束までに現場復帰できなかった



67: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:33:05 ID:Tyc
今でこそ「北東」「南西」というがこれは欧米の表記方法に合わせたもの
日本本来の表記方法は東西が先
だから日本の北東部は「東北地方」だし西郷隆盛が九州で起こした反乱は「西南戦争」



76: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:48:13 ID:PM9
>>67
おおう、これは勉強になったわ。サンクス。
なんで「西南」なのか引っかかってたわ。



68: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:34:21 ID:FVj
明治天皇は山岡鉄舟(身長185cm体重105kg無刀流開祖)と相撲をとろうとした



70: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:36:25 ID:0Q0
日本で最初にバウムクーヘンを売ったのは戦争前の原爆ドーム(当時の名前は広島産業奨励館)

原爆には50kgのウランが積まれていたが、核分裂したのは1kg未満 それであの威力



73: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:39:36 ID:8q6
本居宣長は鈴マニアにして鈴コレクター



74: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:40:47 ID:PHl
インパール失敗を受けて
河辺「どうするの?(中止と言ってくれ)」
牟田口「どうしましょう(中止と言ってくれ)」
河辺、牟田口「……」

牟田口「顔で察してほしかった」
河辺「何か訴えようとしていたが何かわからなかった」



75: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:43:31 ID:8ip
大正天皇は晩年ちょっと病んでて
議会開会宣言のために壇上に上がったのに資料を丸めて望遠鏡にしてあたりを見回し始めたりしたとか



79: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:49:16 ID:xQ6
牟田口は晩年まではおとなしくしてたが、イギリスの将校から貰った手紙を見て名誉回復運動に走った



80: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:49:17 ID:oGq
石原莞爾は戦前からユダヤ人の有能さに気付いていた



81: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:50:41 ID:MLD
関ヶ原での西軍大将は石田三成じゃない



85: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:53:55 ID:TPn
織田信長は身内と有能に対してめっちゃ優しい
謀反を起こした信勝や松永久秀を一度目は許している
だからもし、明智光秀が本能寺の変に失敗しても一度目は許されたと思う

>>81
確か毛利輝元やっけ?



90: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:55:52 ID:xQ6
>>85
本能寺の変は信長や信忠殺す気だったし許さんやろ
毛利輝元であってるで



83: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:52:42 ID:oGq
神武天皇は1日で宮崎から大阪まで移動した(カラスに乗って)



84: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:53:48 ID:PHl
ある某総理大臣は天皇陛下に怒られたショックで死んだ



86: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:54:23 ID:TPn
>>84
田中義一やっけ?



88: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:55:08 ID:PHl
>>86
せやで
もともと狭心症だったのもあるけど



87: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:54:53 ID:8q6
武田信玄の居城躑躅ヶ崎館は水洗トイレがあった



89: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:55:43 ID:eLu
>>87
これは治水の神



96: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:01:21 ID:8q6
>>89
ちなみに確かこの水洗トイレは暗殺されないようにかなり広く作られていて中には机もあったんやで



93: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)22:59:21 ID:TOx
小澤征爾の征爾の由来は板垣征四郎と石原莞爾から1文字ずつ取ったもの



94: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:00:29 ID:By4
広島市で被曝して、地元の長崎市に帰って被曝した人がいる
ちなみに2010年に93歳で亡くなった

これはわりと有名か



95: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:00:36 ID:PHl
知ってるとは思うけど
石原莞爾はいしはらではなくいしわらなんだゾ



97: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:01:40 ID:xQ6
信長は許してくれる時もあるけど絶対に許さない時もある
武田勝頼や上杉景勝は何回も土下座したけど許されなかった



101: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:03:52 ID:8q6
>>97
景勝って確かマジに滅亡すると思って佐竹義重に遺言状まで送ってたんよな



135: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:24:24 ID:xQ6
>>101
ワイ一人で日本中の軍勢相手にするんだから滅亡しても名誉なこととか書いてたな



155: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:40:49 ID:8q6
>>135
佐竹義重とてそれ言われてもどうすれば…って感じやろなあ
政宗台頭前で佐竹に勢いあるとはいえ



100: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:03:42 ID:zTi
8月6日の原爆の第一目標は小倉
結構有名か



103: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:07:05 ID:lyW
原爆は本来京都も標的に入ってたが当時の陸軍長官が京都ぶっ壊したら日本人にそっぽ向かれるから止めるように言ったために標的から外された



106: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:08:44 ID:23j
お前らのおかげでだいぶ知識が増えたわ
サンガツやで!



109: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:09:45 ID:By4
縄文後期~弥生が日本の農耕のはじまり(狩猟採集の終わり)とされてるが
沖縄では平安時代まで狩猟採集で生活していた
なので、沖縄には「1000年前の貝塚」がいくつか存在している



121: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:15:51 ID:8q6
石川啄木の嫁は顔がデカい
no title




122: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:16:45 ID:SOc
>>121
なお啄木は友人に自慢しまくって実際に合わせたりもした模様



123: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:17:11 ID:kZd
>>121
え、遠近法やろ(震え声)



130: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:21:27 ID:By4
石器時代→青銅器時代→鉄器時代と移行するのが一般的な先史時代の文化の遷移で
ヨーロッパや中東、インド、中国とほとんどの先史文化がこの手順を踏んでるのに対して、
日本は例外的に青銅器時代が存在しない

日本に現存する青銅器といえば銅鐸だが
あれは祭祀用か観賞用みたいなもので、人々の農耕用具なんかは全部石器だった
まもなく大陸から大量に鉄器が持ち込まれ、その生産にも成功したので、日本には青銅器時代はない



134: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:24:13 ID:SOc
>>130
観賞用ってことは需要量が少なかったんかな



137: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:26:43 ID:By4
>>134
銅鐸自体が用途わかっとらんのんや
元々中国じゃ鐘として使用されとったんやけど、
日本に入ってきてからは大きさとか装飾とかが変わっとる

個人の所有じゃなくて、集落に1個とかで持ってたんじゃないかとか言われとる



136: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:26:17 ID:iZB
水戸光圀はどうしてやっても水戸黄門漫遊記の
光圀像とは結びつかないほどのぐう畜エピソードの持ち主



139: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:29:35 ID:SOc
>>136
DQN脱却の理由が悪友にホームレスを切れと命令されたかららしいで



142: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:31:14 ID:Il6
>>136
父親の頼房も結構ヤバイ人



143: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:31:54 ID:lyW
>>142
父ちゃんに窓から投げられたのって頼房やっけ?



146: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:34:02 ID:Il6
>>143
父親の家康に高いとこから飛び降りたらほしいもんやるって言われて
天下がほしいって言った話だかなら聞いたことある



138: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:28:31 ID:ku1
江戸時代の武士が街中で町人を切り殺す→よほどの理由がないかぎり切腹

その時一太刀で切り殺せなかった場合→武士の恥として切腹



140: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:30:00 ID:Il6
>>138
よほどの理由があっても左遷されたり役を解かれたりする



141: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:30:06 ID:By4
水野勝成とかいうリアル漫画の主人公
出てくるエピソード全部ヤバ杉内
初陣は天正7年(1579年)の遠江高天神城攻めで忠重に従って出陣するが、このときは武田勝頼の撤退により戦にはならなかった。同年、徳川秀忠が誕生すると、勝成は乳兄弟とされた。天正8年(1580年)、父の忠重が織田信長に引き抜かれ、刈谷の大名[註 15] になる。勝成は奥田城、細目城を任される。

同年の第2次高天神城の戦いに忠重と共に参加し城を攻めた。しかし、戦いは翌年(天正9年)まで続き最後は城から城兵全員が討って出て大激戦になったといわれる。このとき勝成は16歳にして首級をあげ、信長から感状を与えられる。なお、このとき勝成は城内に祀られていた天神社より渡唐天神像を奪い、以後これを守り本尊として肌身につけたという。

天正10年(1582年)、勝成は父の許を離れ徳川家康の天正壬午の乱に参加する。甲斐古府(現在の甲府市)において家康と北条氏直が対峙すると、勝成は鳥居元忠、三宅康貞と共に北条氏忠の陣に攻め込んだ(黒駒合戦)。これを見た北条氏勝は氏忠の救援に向かうが、勝成と三宅康貞はこれを返り討ちにした。なお、この攻撃に際し鳥居元忠は勝成に出陣を知らせず自軍のみで行動していたが、これを知った勝成は元忠に追い付いて、抜け駆けだとして抗議したうえで「今日より貴殿の指図は受けず、自らの才覚により戦を行う」と、先頭を切って敵陣に突入したという。この戦いで勝成は自ら内藤某[註 16]の首級をあげ、数多くの首級をあげる。その後、北条氏と徳川氏の講和を成立。10月29日、和議の証として、大道寺孫九郎某[註 17]等が人質として送られてくると、家康は人質は不要として勝成、鳥居元忠、榊原康政に見坂の城まで送らせる。[1]
https://ja.wikipedia.org/wiki/水野勝成



144: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:32:49 ID:g2b
大阪と京都の境には樟葉(くずは)という風光明媚な地名があるんやが、その由来が…

『古事記』崇神天皇条に、武埴安彦命が謀反を起こして崇神天皇の軍に敗れた際に、逃げ落ちた兵士が恐怖のあまり袴に便を漏らし、その場所を「くそばかま」と呼んだものが転じて「久須波(くすは)」になったと記されている。wikiから引用



171: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:49:29 ID:kZd
>>144
古事記って脱糞エピソード多いよな。
上記に加えて
・スサノオがアマテラスから許された後神殿内でそこらじゅうに脱糞しまくる。
・オオクニヌシがスクナビコナとがまん比べ、耐えられなくなったオオクニヌシが漏らす。
陰部にダメージを与える話も多いしファンキーすぎる。



149: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:36:54 ID:lyW
徳川光圀
・本来は水子になる予定だった
・少年時代は吉原通いに辻斬り
・学問に目覚めたのは司馬遷の史記を読んだから
・70近くになっても部下の藤井門太夫を刺殺できる



157: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:42:03 ID:iZB
>>149
・「今度お前の顔見たら斬り捨てな」と言って暇を出した茶坊主と
 ばったり再会した時に本当に斬り捨てる



152: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:38:32 ID:lyW
森蘭丸は実はゴリマッチョ



158: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:42:08 ID:TPn
カンニングで退学になったのって石川啄木だっけ?



160: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:43:44 ID:8q6
>>158
せやで ちなみに授業ボイコットや授業脱走も日常茶飯事やった



162: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:43:52 ID:xCI
明智光秀と豊臣秀吉とでは明智の方が昇進スピードは速い



165: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:46:54 ID:R06
西軍についた宇喜多秀家は八丈島に流されたが
宇喜多家はその後も存続し明治維新後に子爵になった
生計は前田家からの仕送りでたてていた



166: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:46:59 ID:SOc
芥川が大学の下宿に住んでいるとき一階の共同トイレに向かうのが面倒だったのでしたくなったら二回の窓から垂れ流していた



168: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:48:08 ID:iZB
斎藤道三の美濃簒奪のエピソードは
父子2代分の話が一つになったもの



169: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:48:08 ID:lyW
GHQには戦後の日本の公用語を英語にしようという案もあったが日本の識字率があまりにも高かったため子供に英語を教え込むことを諦めた



173: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:49:52 ID:8q6
宮沢賢治は肋膜炎になった時に周りに「自分はあと15年で死ぬ」と言いふらしていた
そして本当に15年後に死んだ 生涯独身やったのもこの為



178: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:52:49 ID:8n5
江戸時代、東北地方で飢饉が起きた
諸藩が餓死者を出す中で餓死者を出さなかったとある藩があった
その餓死対策とは大坂でお米を買ってくるというシンプルなものだった



181: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:54:17 ID:By4
第二次世界大戦で日本が連合国に宣戦布告したのは1941年12月8日午前4時20分
真珠湾攻撃は宣戦布告1時間前の日本時間午前3時19分

真珠湾攻撃が日本による連合国への最初の攻撃だと思われているが
実はマレー作戦の方が1時間早い(午前2時15分)



186: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:56:13 ID:lyW
本多忠勝
・初首級は14歳
・豊臣秀吉「日本第一、古今独歩の勇士」
         「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」
・小杉左近「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八(忠勝)」

・そんな猛将の辞世の句は「死にともな ああ死にともな 死にともな 深き御恩の 君を思えば」



189: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:58:49 ID:TPn
野口英世の本名は野口清作



206: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:05:06 ID:EFW
>>189
野口英世は上京するときに恩師から大金を貰ったが、酒と女で数ヶ月で溶かし尽くした
留学するときにも方方から借金したりお金を出世払いで都合してもらったりしたが、酒と女で溶かした
結納金も酒と女で溶かした

なお、お札の肖像画になった模様



217: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:11:01 ID:AK4
>>189
改名理由は坪内逍遥の「当世書生気質」の登場人物「野々口精作」と名前がそっくりな上に
だらしない生活態度まで似ていたのを嫌ったため
もちろん坪内逍遥は当時の野口清作を知らない



190: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:59:26 ID:zTi
実は零戦はB29より遅い



196: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:01:21 ID:yCr
>>190
速いより遅いほうが有利なときもあるし
そもそもゼロ戦はあくまで機動性重視やろ?



199: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:02:51 ID:8Y6
>>196
最高速で振り切られたらお終いなんですがそれは



202: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:04:22 ID:xpu
>>199
零戦は開発当初では高速だったんだよなぁ



204: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:05:06 ID:hNJ
>>199
B29は爆弾抱えとるやろ



192: 名無しさん@おーぷん 2016/05/14(土)23:59:37 ID:ySA
「籤引公方」と呼ばれ「万人恐怖」の強権的専制政治を行った足利義教が延暦寺に苛烈な弾圧を行った結果
24人の僧侶が抗議のため本堂に火を放ち焼身自殺した

なお足利義教は将軍になる前は延暦寺のトップ(天台座主)だった



197: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:01:46 ID:Pju
今川義元は武闘派



198: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:01:53 ID:58s
与謝野晶子は常に写真でも肖像でもコワモテだったのを親族にたしなめられて笑顔で撮影した貴重な写真がある
no title



205: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:05:06 ID:qF7
森鴎外はキラキラネームの元祖
長男…於菟(オットー)
長女…茉莉(マリー)
次女…杏奴(アンヌ)
次男…不律(フリッツ)
三男…類(ルイ)
孫…真章(マックス)
孫…富(トム)
などなど



211: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:08:07 ID:pwE
ゼロ戦は燃料さえまともなら今でも充分速い部類ってどっかで見た気が



215: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:10:07 ID:hNJ
>>211
終戦後にアメリカ製のハイオクで飛ばしたらP51よりも早かったみたいやな



216: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:10:56 ID:58s
陸奥宗光の嫁は中々美人
no title




219: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:14:26 ID:ltp
豊臣秀吉が刀狩りをしているとき、豊臣配下と偽り刀を盗むことが横行した



233: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:25:35 ID:xFU
鳥取の飢え殺し

兵糧攻めに会い、極限状態になった民衆達が
人肉を奪い合って食べた事件
37 : 柔道整復師(千葉県) : 2010/09/24(金) 15:04:28.48 ID:82ZHXF2/P
1580年(天正8年)に織田方秀吉の第一次鳥取城攻めで
3か月の籠城戦(この時の籠城費用は全て豊国が負担)の末、
和議により降伏し9月豊国が織田信長に臣従した。

が、同月毛利の来訪で再度の降伏、鳥取城は牛尾春重が城将として入った。
この時点で豊国は因幡守護であるが鳥取城主ではなくなった。
牛尾は織田方の桐山城を攻めたとき深手を負い死亡したとも帰還したとも伝えられる。
(近年の研究では重傷を負ったものの、その後も生存していたことが明らかになっている)

何人かの城将の入れ替えの末、1581年(天正9年)3月毛利氏重臣吉川経家を城主に迎える。

4月、因幡守護山名豊国は織田へ密使を送るが、市場城主・毛利豊元の家臣達に
斬られたことで織田氏への内通が発覚、豊国は秀吉の下へ出奔する。
残存する山名旧臣は毛利氏への従属を継続したため、信長の部将で中国地方の
攻略を担当していた羽柴秀吉は二度目の鳥取城攻撃をすることとなる。

秀吉は播磨・三木城攻め(三木合戦)で行った兵糧攻めをここでも実施した。
陰徳太平記によると、秀吉は若狭から商船を因幡へと送り込み米を高値で買い占めさせる一方で、河川や海からの毛利勢の兵糧搬入を阻止した。

このとき、城には20日分の兵糧しか用意されておらず、この作戦によりまたたくまに兵糧は尽き飢餓に陥った。
何週間か経つと城内の家畜、植物などは食い尽くされ、
4か月も経つと餓死者が続出し、人肉を食らう者まで現れた。

信長公記にはこう記されている。
「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、
叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず。」

吉川経家はこの凄惨たる状況に、自決と引き換えに開城、自害した。


41 : 柔道整復師(千葉県) : 2010/09/24(金) 15:07:52.51 ID:82ZHXF2/P
1580年7月12日 - 秀吉2万の軍勢が因幡鳥取城とその支城・丸山城を包囲する。
三木の干し殺しと並び、数ある戦国時代の合戦の中で最も壮絶な兵糧攻めと言われる、
鳥取の渇え殺し[とっとりのかつえごろし]が始まる。

9月 - 早くも城内の兵糧が底をつきはじめる。吉川経家は愕然とした。
冬になれば雪で秀吉の包囲網が緩くなり、毛利からの兵糧補給が期待できると踏んでいたからだ。
しかし、現実は甘くなかった。

これは三木の干し殺しで経験を積んだ秀吉の事前工作が功を奏する形となった。
秀吉は播磨の三木城攻めと同様に包囲のための付城[つけじろ]を築城し、
兵糧の搬入経路を徹底的に遮断した。

しかし、吉川経家が毛利一門だと言うことを考えると、毛利方の兵糧を搬入する
援軍の力の入れようは播磨の三木城の時の比では無かったように思われるが、
これを阻止した秀吉軍の力は相当な物だったのだろうと容易に想像が付く。

そして極め付けなのが、前もって因幡国中の米を通常の倍の値段で買い占めたと言う話である。
鳥取城でもそれが秀吉の謀略だとは思いもよらず、兵糧米まで売ってしまっていたと言うから
愚の骨頂としか言いようが無い。

だが、この話は出来すぎなので、もしかしたら創作なのかもしれない。
さらに秀吉は鳥取城下の村や町で、兵にいやがらせや乱暴を働かせ、
盛んに城中へ人を逃げ込ませていたらしい。
人が増えればそれだけ兵糧の消費が早くなると言う巧妙な戦略だった。
それにしても秀吉恐るべしである。

そしてついに城内は最悪の状態を迎えることとなる。
飢えた人々は当時は肉食の習慣が無かったにもかかわらず馬や家畜を喰らい、
虫、草木、食べられるものは全て食べつくしたあと、餓死した死体まで食べ始めたと言う。

吉川経家は決断した。城主切腹、城兵助命である。
秀吉は経家が臨時の城主だと知っていたので、経家を城に呼んだ元城主の山名豊国の
重臣たちの切腹を命じたが、経家はそれでは吉川一門の名が落ちるとし、切腹して死んだ。

10月25日 - 吉川経家が切腹。
最後は子供達に手紙を書き残している。
「鳥取の事、夜昼二百日耐えたが、兵糧が尽き果てた。私が一人切腹すれば、城の皆が助かる。
これは吉川一門の名を上げる事になる。これで良いのだ。」
吉川経家の他に森下道与、奈佐日本助の二将が切腹している。


61 : 柔道整復師(千葉県) : 2010/09/24(金) 16:03:35.09 ID:82ZHXF2/P
秀吉は経家の奮戦を称え、責任を取って自害するのは森下道誉・中村春続だけでよく、
吉川経家は帰還させるとの意思を伝えた。
しかし経家はそれを拒否し、責任を取って自害するとの意志を変えなかった。
困惑した秀吉は信長に「経家が自害してもよいか」との確認をとり、
信長はそれに対し、経家の自害を許可している。

10月25日に経家は自害し、その一生を終えた。
その際に父や子供らに遺書を送っており、自分の心情を記している。その遺言状は現存している。

余談
落語家で『笑点』の4代目司会としても知られる三遊亭圓楽(本名吉河寛海)は、
吉川経家の3男、吉川家好(いえよし)の子孫であるという。
家好は後に鳥取藩池田家の家臣となり、明治時代に至り、
圓楽の祖父吉川寛雅が「吉川」から「吉河」に姓を改めたと言う。


62 : 柔道整復師(千葉県) : 2010/09/24(金) 16:06:32.96 ID:82ZHXF2/P
天正9(1581)年10月、羽柴秀吉が、鳥取城を包囲して3ヶ月余りがすぎていましたが、
鳥取城に籠城している吉川経家以下城兵や領民らは悲惨な状況に陥っていました。

城兵らは数日おきに鐘を合図に一斉に城外の柵際まで雑草などを取っては
城内に引き返すといった方法で何とか飢えをしのいでいましたが、
雑草も取り尽くして牛馬を食べなくてはいけない状況になっていました。
しかし、これも食べ尽くすと寒さも加わり飢え死にするものが増えていきました。

籠城する者たちは、飢えの苦しさのあまり城外の柵際まで出てきて、城を包囲する羽柴軍に助けを求めます。
しかし、羽柴軍は容赦なくこれを鉄砲などで撃ち殺します。
この死人や重傷者に城兵が群がりその肉を奪い合うという惨劇が繰り広げられます。

この状況に城将・吉川経家は、降伏を決断。
秀吉に自分と森下道与(道誉)・奈佐日本介(中村春続?)の三人の首を差し出すので
城兵の命を助けて欲しいと嘆願してきます。

秀吉は早速、信長に状況を報告。信長もこの申し出を承諾します。

10月24日、秀吉からの返事を得た経家ら三人はすぐに切腹し、その首は秀吉のもとへ届けられます。
こうして鳥取城は落城しますが、悲劇はこのままでは終わりませんでした。

25日、羽柴軍の兵は、開放された飢えた城兵を哀れみ食事を与えましたが、
城兵らは大喜びし一気に大量に食べてしまいます。
しかし、極限まで飢えた状態で一気に食事することは危険なことで、
せっかく助かった城兵の過半数が頓死してしまいます。

後の世に『鳥取城渇え殺し』と呼ばれることになった、凄惨な籠城戦はこうして幕を閉じます。
この鳥取城には、城代として宮部継潤が入城します。


63 : 柔道整復師(千葉県) : 2010/09/24(金) 16:10:04.54 ID:82ZHXF2/P
吉川経家の切腹を知った一族の吉川元春は、「前代未聞」「当世の流行」と経家の死を揶揄したそうです。

当時は城を明け渡せば城主の命も保証される慣例だった上、
経家は派遣された城将だったので切腹する必要はなかったようですが、
元春は経家を見殺しにしてしまった無念と織田軍への憎しみが逆に
「前代未聞」「当世の流行」という言葉を使わせたのかもしれません。




234: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:25:43 ID:58s
徳川慶喜の晩年の写真は家康っぽい
徳川



236: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:26:27 ID:eF3
>>234
写真のこってるんだすごいね



238: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:28:46 ID:58s
>>236
若い時の写真もあるけどイケメンやで なお髪

no title




240: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:30:31 ID:WnM
>>236
っていうか明治になってからの趣味は写真撮影やで
死んだのも大正になってから



254: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:44:17 ID:Vj0
>>240
トリビアの泉であったな
なお、写真家としての腕はド素人並の模様



257: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:47:35 ID:Y9p
冠位十二階の制は世襲制度脱却を図った画期的な政策である。
しかし、蘇我氏だけは世襲で上位の位を貰っており例外扱いされていた。
これが聖徳太子は実在しないという説の根拠でもある。



260: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:51:12 ID:Y9p
聖徳太子の生誕エピソードはキリストの生誕エピソードと酷似しているため、キリスト教の伝承が日本に伝わりそれを日本風に改変したものと言われている。



261: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:55:43 ID:ltp
坂本龍馬は小説のような人物とは違い江戸上京中に前から来た子供を蹴り上げる、邪魔だとだからといい女を恫喝。また、当たり屋紛いなこともしたという



264: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:59:54 ID:qZ9
>>261
しかもでかい声で騒ぎながら歩くので家に逃げ帰るひとがいたとか



262: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)00:59:11 ID:2Vt
「もはや戦後ではない」は、戦後日本の復興ぶりを讃えた言葉ではない

この一節は「一時的な波に乗るだけで経済が回復する時代は終わった」という趣旨で経済白書に記されたが
件の一文だけが一人歩きしてしまった



267: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:01:03 ID:Y9p
明治天皇の東京遷都は、一種のパレードを行って一般民衆への知名度アップがメインの目的であったため、東京でなくても良かった。
むしろ大久保らは戊辰戦争で東京を鎮圧したばかりの時期であることを考慮して、大阪遷都を考えていたくらいである。
また、明治天皇は京都を出るときに「また戻ってくる」との言葉を残している。



268: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:02:02 ID:ltp
>>267
なお、東京についたら
「東京は大きいなぁ」
と家臣に呟いたという



272: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:05:33 ID:ltp
夏目漱石は執筆が滞ると鼻毛を剥いて机に並べるとう癖がある



275: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:11:25 ID:ltp
太宰治は人生で7回ぐらい自殺未遂をおかしている



276: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:11:40 ID:AK4
室町5代将軍足利義量は酒浸りで、父親の足利義持にも窘められていた
元々病弱だったのもあって満年齢17歳で没
酒について窘められたのが15歳の頃だったので、今の時代なら炎上必至案件である



277: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:12:15 ID:Y9p
大阪冬の陣は幕府側の大砲が大阪城の天守閣に直撃したことを契機に淀殿が講話を申し出たことで終結した。
当時の日本で使用されていた大砲では、幕府軍の位置していた場所からだと大阪城天守閣には到底当たらない。
幕府はイギリスから大砲を輸入し、大阪夏の陣を成功させた。



278: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:13:16 ID:58s
>>277
確かロシアに当時の大砲あるんよな



279: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:17:06 ID:ltp
乃木希典は戦場で自分の陣旗を無くしたことがある



280: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:19:09 ID:WnM
>>279
連隊旗な
旧軍で唯一連隊旗を喪失した事件やな
乃木は腹を切ろうとしたが児玉源太郎にみつかってやめさせられた



290: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:35:34 ID:ltp
宮沢賢治は小学生高学年ぐらいの時、宗教にはまりお経を唱えながら町を徘徊するということをしていた



297: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:48:07 ID:qZ9
銀河鉄道の夜は最終稿が一部なくなっていたため書きなおす前の物を入れて完成させている



299: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:49:52 ID:ltp
宮沢賢治は教師だった時期があり、天気がいい日には生徒たちを引き連れて川で魚釣りや植物観賞などをしていた



300: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:53:31 ID:ltp
伊達政宗と石田三成はあんまりイケメンじゃない
むしろゴツゴツ顔だったという



301: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)01:56:10 ID:AK4
現在横浜中華街のある場所は
江戸時代末期には日本初の西洋式競馬場があった



モンハンの世界で米軍一個小隊(60人)が戦える限界の相手は?

【厳選爆笑】久しぶりに一行で笑わせるスレで勝負

【閲覧注意】見世物小屋に入った事ある奴いる?

2000年以降で見る価値のある面白いドラマ

歌にまつわるうすら怖い逸話

【閲覧注意】トラウマになるほど海が怖くなる画像ください

アニソン史上最強の神曲ってなんだ?