出発2日前
「地球の歩き方」で予習したところ、なんとボリビア入国の際には黄熱病の予防接種を受けたという証明書が必要らしい。
ワタシャ2005年3月にニューデリーにて接種したので、余裕かましていたが、前々日に予防接種カードを探したが、見当たらない。ナンテコッタ
知り合いの医者に予防接種を受けたという証明書を書いてもらえないか悪あがきをしてみたりしたが、無理
日本の外務省のホームページを見ると、黄熱病のワクチンを接種するようにとある。でもしつこく他のサイトにも行ってみると、なんと2009年1月から黄熱病が発生する可能性のある地域に訪れる人以外は接種する必要がないとのこと。
ふぅ。。。
10月31日 (旅行1日目)
早朝、ニャマを出てコスタリカの首都サンホセへ。
すぐに知人の紹介してくれたタクシーに乗り、知人の紹介してくれたテニスクラブへ
1時間テニスレッスンを受けて、シャワーを浴びて空港へ戻る
コスタリカはエコツーリズムに力を入れているので、空港がオーガニックグッズでいっぱい。コスタリカって中米の中で最も豊かな国なんだけど、こんなあんまり立派ではない家々なのに全ての窓に鉄格子が、、、
サンホセからペルーの首都リマへ。
ここは先住民族の手工芸品がザーッと並ぶ空港。色鮮やか!
リマからラパス
夜中にラパスに到着。
空港に迎えに来ているはずの友人がいない。
キョロキョロしていると、男性が近づいてきた。
公衆電話に案内してもらうが、当然のごとく、ボリビアの貨幣しか使えない。
銀行はないかと聞くと、電話したいなら僕の携帯を使えばいいと携帯を貸してもらう。友人に電話をすると空港にもうすぐ着くという。電話を終えると、当然ながらお金をせびられた(日本円にすると30円)が、ボリビアのお金がないと言うと、大人しく去って行った。1ドルあげれば良かったな、、、
5分後に友人が来て、8年ぶりの再会。大学院時、一緒の寮で過ごした。彼女は今、ラパス市の9つある区の区長。
36歳なので、「一番若い区長なんじゃないの?」と聞くと、24歳の区長もいるらしい。ボリビア、恐るべし
ラパスは世界で一番標高の高い都市。空港で高山病にかかって死人も出るという恐ろしい空港水分をいっぱい摂取するよう頑張る。
夜中の3時までおしゃべり
11月1日 (2日目)8時に起きて、ティティカカ湖へ。
え
「いきなりラパスに着いて、ラパスよりもっと標高の高いティティカカ湖に行くなんて無謀じゃないの???」という私の不安に、「動き回ると危ないだけで、車に乗っているだけだから大丈夫よ」と友人。
確かにしばらくは大丈夫だったが、昼食を食べ過ぎたことによって、血行が良くなり、倦怠感。その後の旅はずっと車の中で居眠り。高山病なのか、寒暖の差が激しいからか、とにかくダルイ。ラパスはとても乾いた気候で、空気は冷たく、日陰に入ると超寒いが、太陽が出ている所だと、汗が出るくらい暑い。
久しぶりの寒さ。友人にセーターを2枚借りているが、寒い!でも陽に当たると、暑い!
11月2日 (3日目)
日本でいうお盆に当たるらしく、祖先たちが地上に戻ってくる日。その様子を人目見ようと墓巡り。先住民のアイマラ族やケチュア族は墓場で酒盛り。
そして、リャマを探しに行く。
この日も高山病のせいか、夕飯も食べられないほど疲れる。
11月3日 (4日目)
友人は仕事へ。そして私は美術館めぐりと買い物。
夜はバーへ友人の幼馴染の左翼系青年からボリビアの政治の歴史を聞く。
11月4日 (5日目)
ティワナク遺跡を見に行く。ティワナク帝国(?)はインカ文明の前に発祥。
4月にメキシコで見た遺跡ってアステカだったかマヤだったのか思い出せない、、、しかもどっちが先なんだぁ?
私ったら、エジプト、ガンダーラ(パキスタン)、エローラ(インド)、アステカorマヤ(メキシコ)とかの遺跡を見ているのに、全く何が何だか分からない。
アルタミラ、ボロブドゥール、アユタヤの遺跡とかにも行っているのに、時系列にすらできない。 はぁ。。。あとその頃日本で何が起こっていたのかも。。。
そして協力隊女子に頼まれたケーナを探しに行く。友人はケーナをどこで売っているか分からないので、知っていそうな友人たちに電話をかけまくる。確かに私も「三味線買いたい」と言われたらどこに行けばいいのか分からん。
ラパスをプラプラ歩いて、夜は民族音楽を聴きにペーニャへ
11月5日 (6日目)
5時半起床で荷物を積める。
6時10分に友人を起こして、空港まで送ってもらう。
しかし、友人って面白いもので、8年会ってなくても、まるで昨日まで一緒だったような錯覚に陥る。
次回の再会は来年7月ブエノスアイレスに決定。
2009年11月11日