2016年08月26日

このブログご存知の方は、私がK-popアイドルに熱狂していたのをご存知なわけでして。でも、だから私がドルヲタか、といえば、これは異を唱えたいと思っています。
と言いつつ、私はドルヲタもオタク文化も決して否定していません。今回ひとりごとのように色々書いていますが、私がそれらを「こういうものだ」と決めつけて書いているわけではなく、あくまで部外者の体験談程度の物ですので・・・もしお気に障りましても、どうかご容赦のほど(笑)。

アイドル興味なし
また過去を語っちゃうんですが、アイドルと言う用語がいつからあるのかはわかりません。
ただ、個人的には女性アイドルについては森昌子、桜田淳子、山口百恵の「中3トリオ」は多分アイドルだったんじゃ無いでしょうか。南沙織、アグネス・ラムなどなど・・・この辺もおそらく今で言えばアイドル。だから何となくこの辺りがアイドルが確立した境目なのかな・・・

ただ、男性に限って言えば、「御三家」と言われた橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦やもちろんグループサウンズなんかは完全にアイドルでしたね。あとは映画スター。言わずもがなの石原裕次郎、小林明、宍戸錠、浜田光夫、などなど・・・アイドルって言えばアイドルだったのでは。だから60年代からアイドルはしっかりいたわけですな。そしてこんな名前が出てくるんだから、まあ年齢バレますよね(笑)
 
まあでもファンの文化、応援文化などひっくるめると、わかりやすいのはやはりキャンディーズ、そしてピンクレディーでしょうね。 そして少したってから聖子ちゃんがどっかーん。
でも私が若い頃は、ほんとはアイドルにはあんま興味なかったんです。まあ好きな歌はいくつもありましたけど。自分で楽器をいじっていたせいもあってロックやフォークに傾倒していましたから、アイドルは疎遠です。後年になって工藤静香は数回コンサート生きましたが、これは彼女の幾つかの曲に、当時私がむやみとはまっていた中島みゆきが絡んでいたからですね。 

結局、今に至るまで日本のアイドルにはほぼ触れずにきたわけでしたが、韓国文化を漁っているうちにワンガのTellMe旋風にあたり、どれどれと聞き出してからは・・・まあご存知の?通り。

結果的に「アイドルを愛でる」と言う事を何年間かやってみた結果、対象が日韓の違いはあれ、アイドルのファンの気持を実体験し、同好の友人たちを通じてアイドルのファンを目の当たりにすることになりました。当然ドルヲタも恐ろしく多様性があるのでなんともいえませんが、 なるほどこういうものか・・・と思うに至ったわけです。

認知という蟻地獄
今思えば、私は認知されたがりでした。アイドルのファンのある一派には、そういう人たちがいるのです。

きっかけはともかく、アイドルに興味が生じ、特に推しメンができたりすると、SNSをはじめあらゆる情報で鮮度が高い彼女(この場ではお目当てのアイドルを便宜上こう呼びます)の情報を欲し、その全てに喜怒哀楽するようになります。そうしながら、ファンの心にはますます理想の彼女像が出来上がってゆく。当然、芸能人である彼女たちアイドルは膨大な努力をしているし、人々に愛されるに値する人物であるのは当然なのですが、それ以上にファンの心に確固たる偶像が出来上がる。そしてアイドルも運営陣もその偶像=夢を壊さないように、あるいはますます強化する方向に頑張るわけです。

彼女たちはそうしていたいけな努力をしたり、時として思わず涙したりするものだから、やがてファンはいたたまれなくなって人としての彼女に個人的な感情をいただくようになります。勿論、純粋に芸術として愛でる以外に異性の芸能人を好きになる、なんてのはもれなく擬似恋愛です。だから、好きが高じてくると、当然そこに双方向のコミュニケーションが欲しくなる。SNSはこれを可能にしました。もちろん、業界はこれを商売にもする。会いにいけるアイドルや握手会などのふれあいイベントもこういう心理につけこんだ物ですよね。

握手会で、メンバー別の列が短かったりすると「可哀想だ!おれがなんとかしてやろう!」もしくは「認知されるチャンスだ!」となって何度もそのメンバーに並んだりします。一回の握手にはCDを一枚買わなくちゃいけなかったりしますから、認知を買うための出費も莫大です。でも、一旦認知されるとそうそう抜けられなくなるものです。そういうものなんです。


K-POPの場合
そこで、韓国に目を移します。韓国芸能界は、日本に比べてファンも業界も狭いせいもあるでしょうか、アイドルとファンとの距離が異様に近いのです。
韓国の芸能界も熾烈ですし、国としての文化背景もあってとにかく彼女たちは年端もいかない年頃からして人生かけて勝負してきています。そんな彼女達は、ほっといても応援したくなるじゃないですか。それに素晴らしい事に、活動中のアイドルには毎週無料で生で会うことができる。個人認証だってちょっと頑張ればいくらでも可能です。番組観覧で、撮影現場で、移動の場で、そしてイベントで、しょっちゅう会えます。はるばる会いに行けば、「また来てくださったんですね!ありがとう!」といってくれる。音楽番組の順位だって、収録の観覧だって、誕生日やテレビ出演の応援イベントだって、ファンが直接思いを届けるチャンスがいっぱいあります。ある意味に於いて、アイドルとファンは本当の意味で一体と言えるのが韓国アイドルです。つまり、頑張ると報われるんです。考えようによっては、ストイックな片思いではなく、見返りがある。
きっと、私はこれにやられたんだと思います。

ファンレターを送ると、直接名指しでお礼の書き込みが上がったり、SNSでメンバーと公開の会話をするファンもいます。当然、イベントでも会場の外でも会えば顔見知りですし、向こうからも話しかけてくれます。ある知り合いは、とうとうSNS経由で彼の推しメンバーと非公開メッセージのやり取りをするようになりました。どうでしょう。ファンとして・・・これは狂わずにいられないですよね。

こうなると気のせいではなくて本当に個人と個人の関係になりますので、ファンとしての活動は異次元のものとなっていきます。先ほどのようなのは本当にレアなケースですが、韓国アイドルについて言えば、少し前まではこれが夢ではない世界でした。そして、いまでもこういう部分を夢見ている多くのファンが存在します。日本でもおそらく同じではないでしょうか。毎回同じコスプレや被り物をする、握手会のたびに大きな同じ名札をつけてくる、送ったプレゼントをアイコンにしてSNSメッセージを送り続ける・・・つまり、これは個人として認知されたいわけですよ。
これは本当に自然な感情だと思いますね。否定出来ません。

勿論、相手は芸能人ですから、どこかに線引きは必要です。韓国で言う「サセン」(日本では「やらかし」というらしいですね)行為は厳に慎むべきです。当たり前ですよね。

アイドルか音楽か
認知された、またはされたいとなってくると、イベントに行っても「舞台がよく見える席」を探すのではなく、「舞台からよく見える客席」を選ぶ様になります。屋外の小規模イベントだと、ファンが押し寄せる客席前方より、あえて最後列に陣取って手を降ったりボードを挙げたりすると余計に気づいてもらえたりします。
そして、サセンではなく彼女に会えるとなれば、どこへでも行きます。そうなるとイベントよりも移動の空港等のほうがゆっくり会えて良かったりします。結局、会いに来ている自分に気づいてほしい、ということで・・・つまり認知中毒の一丁上がりという訳です。私がこれでした。

しかし。少し前、ポールマッカートニーのライブを見に行きました。無論、ビートルマニアの私ですから、まるで神様に会いに行くような神聖な気持ちで行きました。
そこで見つけたのは、意外にも「純粋に音楽を楽しんでいる自分」でした。
大声で応援を叫ばない、会場の雰囲気をリードしようとも張り合おうともしない。気づいてもらおうとあがくこともない。席が遠くても、向こうが気づいてくれなくてもがっかりしない。
純粋に「音楽を楽しむ」事の愉しさ。一方的に享受する、あるいはしみじみと「味わう」など。

アイドルにも良い曲はいっぱいありますが、入れ込んでいるアイドルの現場は、やはりちょっと違うな、と確信しました。音楽は「儀式」であり、セトリは「式次第」であると。だから必ずしも歌や踊りでなくても、ファンミーティングなんてイベントも成立します。そしてそんなアイドル現場には、勿論それなりの楽しさがあります。それはもう頭がしびれる程楽しい。仲間がいても更に楽しい。
でもそれ音楽の現場ではない。違うものです。いや、それを駄目だと言っているのではありませんけれど。

アイドルって何かなと思った時、思い当たったのは、つきなみだけれどもやっぱり「擬似恋愛(または擬似親子?)の錯覚を起こさせるもの」「偶像」ではないかと考えています。アイドルの女の子達は、本当に頑張っているし、どんなキモヲタとも笑顔で握手するし、撮影会では疲れを見せずに笑顔でポーズを取ります。名も知らぬアイドルの草の根イベントに遭遇した時に、特にそう思いました。本当に、アイドルってのは大変な仕事です。でも、そうやって客に夢を見せながら自分たちも夢を持っているんでしょうね。ファンとアイドルの良い関係があるかぎり、アイドルってのも良い物かな、と思っています。

それにずるい話ですが、ファンはヘタすると掛け持ち出来ますよね。
これが実の恋愛と違うところで。例えば「地下アイドル」でひとまとめにしちゃって、イベントでは一通り盛り上がれる。こうなると特定の個人メンバーをことさら愛するのではなく、アイドルっているジャンルが好きになる人がいます。そこにマニア性や中毒性、収集癖、いろんな人間のサガをトリガーにしたいろんな商売がぶら下がり、さらにはアイドルとアニメ(2次元)が融合しちゃったりして・・・いまやオタク文化は花盛りの一大市場になりました。すごいもんです。

私はどうもこのいわゆるオタク文化がかなり苦手なのですが、近いところをちょろちょろしている自覚はあります。でもやっぱり、日本のアイドルにはこの先もしばらくはのめり込みそうも無さそう。だから、根本的に自分はドルヲタたり得ないけれども、そういう世界をちょっと垣間見たのは面白かったな、と思っているわけです。
ま、そんな事いっててドハマリしたら大笑いですね(苦笑)。

さて、何を思ったかいきなり書き始めたこの音楽ネタ。次回また時間をみてまた続けたいと思います。

 

(18:58)

2016年07月20日

こんにちわ。昨晩、ひょんな事から足の指の爪をはがして大量出血したo360です。ご無沙汰しております。

ひところは一日4000PVあったこのブログも、もはやひっそり・・・と思ったら、定期的に見てくださってる方が何人かいらっしゃって。もうありがたいやら恥ずかしいやら。

もっとも、ブログ運営は嫌いではないので、最近はちょっとある団体の公式ブログをお手伝いしたりもしています。こちらは広報も兼ねているし、企業なので更新もちょっとした義務感?があって、緊張しつつも楽しんでやってます。逆にそんなもんだから自分のブログはほったらかしな訳で。
そんな放置ブリなのに、またぞろ書き出したってことは・・・なんかあるんでしょうね。あはは。

開設以来10年以上のこのブログ、そしてo360という名前は、私が生存している限り、もうこうなると意地でも続けて行こうと思っているわけです。自らの無能さ加減を表明する放言の場として。もちろん、よそ様にご迷惑をかけるのは本意ではないので、その部分だけは気を付けたいと思っています。でも、基本は好き勝手書きます。過去記事は公開していませんがまだ記録はあるので、将来つらつら読み返しては、一人ほくそ笑むのも楽しみです(変態)。

さて、散々さわいでいたK-POPについては、推しグループが開店休業状態なので活動しようがありません。それに加えて、私生活がいろいろ変化して多忙を極めており、渡韓回数も激減してしまいました。

さりとて、こればっかりは飽きたりしないのが面白いところで。
ネットやテレビ、SNSではそれなりに情報も集まります。そっち界隈の旧知の仲間もまだ仲良くしてくれますし。それに加えて、時たまリアルに韓国のお客さんと話したりする機会が来たりするものだから、意外と言葉を話す機会もあります。だから、Kポが薄まったとはいえ、本来の私らしい韓国趣味に回帰したとも言えますね。

飛行機はもう、ますます濃度を高めてゆきたいと切望していますが。こればっかりはお金もあるし・・・でもできる範囲で頑張ってます。飛行場での生活を充実しつつ副収入を得ようと(不純)始めた養蜂も、年数を経るごとに新たな経験をして蜂の奥深さに魅了されるとともに、逆にあまりにも大変でやめときゃよかったと本気で後悔もするというカオス。まったくもって毎日本当に忙しくしております。
本業がおろそかなので、お金は全く儲かりませんけれども。

さてさて。近況も書いたところでちょっと音楽の話など。

感覚的に、音楽は本当に好きだと思います。聞くのも、やるのも。
幼少期は純粋な昭和ですから、テレビ、ラジオ、それに商店街の放送なんかでいわゆる「流行歌」みたいのに親しんだわけです。さらに親が聞いていたせいか、子供ながらにフォークソングもよく聞きました。洋楽も。

1960年代後半から70年代にかけて、60'sもビートルズも、カーペンターズも、ハードロックもいつも遠くで聞こえてました。だから、後年これらを聴くようになっても私の耳には非常に自然にはいってきました。
私は中学に入ってすぐビートルズに開眼し、以来現在に至るまでのビートルマニアになりました。同時に好きだったフォークソングの関係もあってギターをはじめ、高校に入るとお決まりのバンドごっこなんかやったりします。そうなると、今度はそこでハードロック、そして当時盛り上がっていたヘビーメタルに触れることになり、バンドでもアイアンメイデンなど盛んにコピーしておりました。ご同輩諸氏は、みなさんこの流れではないでしょうか。
とくにヘビーメタルは衝撃でしたね。ヘッドバンキングなんて異常な習慣も、やたらと骸骨が出てきたり豚の生首や便器を振り回すのも、そもそも考える前に体がうごいてしまうメタルの魔力であったわけで。私がいくら知らないふりをしても、その時代の宿命として、「メタルの凄み」みたいなものには、少なからず洗礼を受けたのだと思います。

まあ基本雑食系だし根性もないので、そのまま重篤なロッカー(当時はローラー族なんてのもいましたが)やメタルヘッズにはなりませんでした。でもビートルズ由来の私としては、ビートルズについて知るためにプレスリーやバディ・ホリーなんかの時代へさかのぼりますし、そうなるとどうしたって「ロックンロールとは何ぞや?」というモコとした命題が、常に頭をふらふらするようになったのです。だって、内田裕也氏が「ろっけんろー」とかいうじゃないですか。もう、訳がわかんない。当時あんなに人々を突き動かしたロックってなんだ?と。

たとえば、「湘南爆走族」っていう当時かなり流行った漫画があって、ここでもそこここにロックンロールが登場する。ツッパリ全盛の時代は、往々にしてツッパリとロックンロールの関連性が取沙汰されましたが、同世代の私が考えても「ツッパリ」にポリシーなんかなかったはずです。それは単に年相応の、習性みたいなもんだと思ってましたし、周りにいたツッパリはそれはもう粗暴で、ただの狂犬としかおもえませんでした。だから、そこに「ロックンロール」なんてなんだか立派そうな概念を張り付ける事自体が言い訳じみて、メッキで飾ってるみたいなこそばゆい物に感じていました。

でも徐々に、20歳前後になると、自分なりに何らかの答えらしきものが見えてきた気がしてきました。
ロックとは、どうやら主義主張であるらしいと。「ロック」という思想なのだと。それは魂の叫びであったり、自由であったり、それらを標ぼうする心や生き方であったり。かつてヒッピーがいて、フラワームーブメントがあって、ラブアンドピースを標ぼうした人々と、ある部分ではつながりながらも表現と嗜好が異なる、特異で独特な積極性がある物。内田裕也氏が叫ぶ「ろっけんろー」はそういう物ではないかと。そう考えると、忌野清志郎もなるほど、ロックしてる。そう考えれば、よくわからない若者であるツッパリも、そのやり場のないエネルギーの発露からきているとすれば、やっぱりそこにロック的な何かはあるのかもしれない。うん、なるほど。

そして次に、音楽としてのロックは、必ずしも様式にとらわれない物である事。つまりは、結果的に佐野元春が私にとって最もわかりやすいロックの形でした。いわく、曲調や編曲、楽器、編成ではなく、大事なのはロックする心なのだと。だからアーティストによってクロスオーバーする部分があったとしても、かつてのニューミュージックやポップスや演歌とは趣が違っているわけです。グループサウンズは(大好きだけど)ロックじゃないね。あれはポップスだ。少なくとも目的としては想いの吐露より心地よい音楽が大部分だと思うので。大滝栄一や山下達郎は上質なポップスですよね。おしゃれだし。

で、ロックという思想や概念をもって、1960年代以降様々な音楽が枝分かれし、ジャンルとして発展してきたのだと思います。混沌の70年代を経て、楽器も進化し、そもそもデジタルになっちゃってあらゆる音楽表現はもう考えうる限りの物が可能になった感があります。いまやすでに録音テープを切り刻んでコーラにつけ込んだり、音階が微妙なテルミンの前で変な踊りをする必要はないわけです。楽器すら演奏しなくてよくなりました。たいていは打ち込みで何とかなります。

ただ、技術の発展とは関係なく音楽業界はあまり状況がよろしくないらしく。80年代を過ぎてバブル景気とともに市場は広がり、CDの時代はセールスとしても爆裂売れたものでしたが、ITの進化で音盤が全く売れなくなりました。そのなかで業界は苦心惨憺して、それでもヒットを放つアーティストを発掘しては仕掛けます。こうして、歌は世につれ、世は歌につれるのですが、そもそも世(日本の景気)が大幅に低迷した時期でした。。それに才能がある=売れるわけではないですから。音楽業界は消耗戦となり、苦しみながら本質的な何かを失っていった・・・ことは考えられるでしょうね。むろん、私は何を分析できるわけでもないですけど。あくまで想像として。

わかるのは、実体験として自分が日本の流行歌を全く聴かなくなったことでしょうか。これは一人の大衆として、日本の音楽セールスが低迷しつつある最中に、自分も等しくそういう経緯をたどっていたのではないかと。
その代りに私は。偶然もともとの韓国趣味が高じて、当時第3次アイドルブームと言われた時期のK-POPに傾倒することになりましたが、これは統制されたパフォーマンスやキャラ設定、業界の文化など、日本にない独自性があった、さらには私にはまったく免疫がなかった「アイドル」という分野であったことが原因にある気がします。あくまで音楽ではなく、韓国とアイドルという、私にとっては別ジャンルでのとらえ方であったと。もっとも、このおかげで視野も広がり、韓国のいくつかの名曲(アイドル以外の)を知ることも出来ので、これも結果的にはよかったのだと思いますが。

結局K-POP以外について言えば、ここ10何年は昔の曲を聴き返すのがほとんどでした。新しい音楽はいやでも耳に入りますが、どれも私には刺さらなかった。もちろん、私自身の加齢によって趣向が変わったのも大きいですし、誤解のないように言えば、これは音楽をやる人の才能がない、と言っているのではありません。私はそんなことはわかりません。あくまで1人称の、自己独善的な、そんな範囲での話ですから。

そして最近。
どうやら同世代には、私のような方が結構いらっしゃるようなのです。今の歌に共感できず、かつての歌を愛聴する。以前は「自分も歳を取ったら演歌を聞くのかな」と思ってましたが、別にそれほど聞かないですね。だから結局は、若い時分に聴いた歌、自分の生い立ちを彩っていたような音楽を好むのは人の性なのかな、と思ったり。だとすれば、昭和の歌はよかった。どれもこれもよかった。これも時代のせいなんですかね。確かに戦後しか知らず、平和な幼少期を過ごした私にとっては、良い時代であったけれども。

まあ歳のせいにしちゃいましょうか。それが簡単ですし、時代は若者の物です。老兵ではありますがまだ死ねないし消えることもできないので、若者の志向はそっとしておいて、自分は自分の楽しみでいいんじゃないか、そういう事でヨシとしましょうか。






 

(23:12)

2016年03月25日

昨年から、PCをMacに乗り換えました。
そもそもiPhone が世に出た時に真っ先に手を出し、リンゴ的思想に存分に洗脳された私はそれでもWindwsでなければ何も出来まいと、PCだけは頑なにWinマシンを使ってきました。が。

気が付くと、私に必要な機能はほぼWEB上でできる事のみになっていました。
他にやるのは写真と音楽の管理くらい。じゃあMacでいいじゃん、と。

結果、もうりんご病は絶頂期を迎えています。

私の場合は、どうやらパソコンがどうこう、という問題は二の次のようで。
Macはとにかく触ってて、いじっていて気持ちがいいのです。実際には有用なフリーウェアがなかったりwebでも不具合がおきたりしているのに、すべてが許せてしまうのです。

画面がキレイ、操作がスムーズ、意に反して待たされない。iPhoneはじめその他との連携機能に至っては、拙い私の想像の先を行っています。これは何なんでしょう。もう本当に、すばらしいと感じてしまうのです。
実は社外ではこのMacで仕事の連絡も関連する作業もやりますが、メール以外の作業は(本来はあまり奨励されないでしょうけど)会社のwin機に繋いでやっています。でも、これまたいまだかつて無いほどに快適です。
モバイルwifi経由であっても、officeはもちろんイラストレーターでの作業すらほぼ問題なくできてしまう。今まではなかったことです。

それに、写真関係については、会社のwin機でも自宅のMacでも公私それぞれのために作業していますが、こればかりはMacの圧勝といえます。というか、アドビとの親和性みたいな物かも知れませんし、MacがMacBookプロだからかもしれませんけど、会社のPCも写真用にこの間買ってくれたばかりのやつなので、ハードのスペックはかなり高いはず。でも如実に違います。処理速度も、もちろん発色その他も。

とは言え、私が感激していることの殆どはその筋の方には無縁であって、おそらく生産のツールとしての機能や性能は、私の判断基準とは別のところにあるようですね。
そう考えれば、私にとって自宅のPCとは、少しの業務と写真以外については基本、生活上の便利家電みたいな物にすぎません。言ってみれば立派なテレビみたいなものでしょうか。

だとしても。 それで気分よく過ごせるのであれば、それはそれでMacの使い方かな、と思っています。別にスタバでドヤ顔するために買ったわけでは無いけれど、今の私にはとにかく気持ちがよくて、いじって楽しいおもちゃなので。

「Macでなければ出来ない事」は特になけれど、少なくとも「Macで出来ないこと」より「Macで楽しい事」のほうが遥かに大きい、という事のようです。

(20:39)

2016年03月19日

最近。
身の回りで本当にいろんな事がおきた。

ただ、ほとんどの案件で私は、まあまあ深く関わってるのに自分は当事者ではない、と言う微妙な位置にいた。純粋に自分の事と言えば子供の卒業式くらいか。
とにかく、楽しい事も気が重い事も、大小の変化も信じたくない出来事も、いろんな事があった。

しかし、日常は見事なまでに淡々と過ぎてゆく。淡々と。そして自分は誰の役に立たず、何の助けにもなれやしないのだ。

いずれの事態にもかかわらず、当事者ではない私は平和そのもの。
今回のような身の回りの出来事はもちろん、世界に目を向ければもっといろいろな事がおきてる。理不尽に喘ぎ、助けを求める人達が溢れている。それなのに。

この街に小さく住み着いて自分の暮らしに汲々とする…そんなあまりにも無力無能な自分はどうか。驚くばかりだ。そして同時に、考えてもどうしようしようもないのに、と自嘲するのだ。

外は雨。季節はもう春らしい。

(14:31)

2016年02月27日

ども。o360です。
ブログ作ったのが2005年らしいです。なんなら昨年に10周年とかやりゃあよかった(爆)。
年表作ってみるかな。

1979年
始めて韓国へ。1ヶ月現地の家庭でホームステイ。いろいろ感じて帰国する。
1982年
この頃から無線やパソコンに手をだし秋葉原に行き始める。
秋葉原「いすず」に通い始め、以後ラーメンに行列を覚える。
1987年
生来の悪筆をカバーすべく、ラップトップワープロを導入、ブラインドタッチの鬼となる。
手書きより早くタイプし、一太郎があればなんでも作れると豪語。
1989年
新宿で桂花ラーメンを食べ、以後本格的にラーメングルメに開眼、現在に至る。
1990年
始めて自分でパソコンを購入(エプソン386SX?)。ワープロ以外にやる事なし。
1995年
ウインドウズの出現に恐れをなし、真面目にPCを使い始める。
1996年
PC自作始めるも、誤って某教団製キットを購入して自己嫌悪となり、以後自作を諦める。
インターネットとフライトシミュレータを始めて没頭する。
アマチュア無線と航空特殊無線技師を取得する。
2003年
出張で久しぶりに訪問した韓国で何か刺激を受ける。
意を決して長年の夢であった飛行機でのフライト活動を開始。
2004年
日本を席巻する韓流ブームに嫌気がさし、ネットを使って本当の韓国の文化を模索し始める。 
どこか忘れたけどブログを始める。でもうまくいかず早々にLDへ乗り換え。
2005年
本ブログ開始。とりあえず飛行機ネタと雑文を書きなぐる場としてスタート。
飛行機自家用陸上単発の技能証明を取得。
2006年
韓国ドラマについて書きだし、以降韓国ネタが中心を占める。
2007年
私用として初渡韓。いよいよ韓国趣味がヒートアップ。以後渡韓を繰り返す。
上級滑空機と動力滑空機の技能証明取得。
2008年
ワンガのTellMe旋風に触れ、今まで横目で眺めていたKPOPに開眼。
2009年
KARAにはまる。韓国趣味はいよいよ加速し、脳の異常化と共に文体もおかしくなり始める。
テレビのミュベンでシクリのデビューを見る。感想は「地味だな」。
動力滑空機の教育証明取得。
2010年
完全にKARAブログとなる。ファンとして活動しつつ、熱烈に記事をアップしつづける。
シクリのソナと始めて実際に会う。なんとなく運命を感じ、以後ひっそり推し始める。
2011年
ある事件をきっかけにKARAのファンとしての活動停止を宣言。宣言後、シタの活動を本格化。
2012年
韓国で最後のKARA現場へ。渡韓は引き続き繰り返すが基本シタとしての活動のみ。
2013年
ブログ編集方針変更。過去記事を大幅に整理し、Kpopブログの看板を下ろす。
以後、飛行機、シタのペン活動は盛んに行うがブログでの記事化は行わず放置。
渡韓加速、年間10回の渡航(しかも滞在数時間など極めて短期)のため運び屋の嫌疑をかけられ、仁川で検査の名目で手荷物のトランクをバラバラにされる。
2015年
ブログパーツの不具合からブログ表示ができなくなるが、気づかず放置継続。
2016年
ブログパーツを修正し表示復活。

なんか久しぶりに書く事なくってこんな事書いてますが、まさに不毛ですね(爆)。
まーいいや。またなんか書きます。^^
 

(15:15)

2016年02月20日

o360です。まだ生きてますよ!

(17:33)

2014年03月12日

こんにちわ。o360です。
今年から始まる、航空機の技能証明保有者に義務化された特定技能審査、私は前回書かせていただいた通りまずは飛行機を受験、そして先日はまったくのいきなりで滑空機も受験し、なんとか合格を頂きました。

私は滑空機については審査員の資格をいただいています。が、なにせ始まったばかりの制度なので、どんなものやら見当もつきませんでした。 実際に2回受験してみてなんとなく・・・その意味するところ、みたいな物を感じ始めていたある日、ついに私が特定技能審査をする、という機会に恵まれました。

私が審査員としてご一緒させていただく事になったAさん。すごく緊張されていましたが・・・・結局、そしてもちろんですが合格という事にして、20号様式にその旨記入もさせていただきました。

審査をやってみて思ったこと・・・この審査は何のためにやるのか?そこをくれぐれも踏み外さない事。これだけは肝に銘じなければなりません。そしてもう一つは、飛ぶこと、学ぶことについて、Aさんがモチベーションを高く維持しつつ、いつまでも楽しく安全に飛んでいただきたい、という事でした。そのために、どうすればいいのか・・・それを考えました。

オーラルは機長の出発前の確認から始まり、さらに口述ガイダンスに従っていくつか質問をしてみます。事前にかなり準備や復習をされたようですが、やはりどうしても知識には濃淡が出ます。穴もあります。そして聞いていることは決して難しいことではありません。VFRは?最低安全高度は?そんな事です。

知識として質問に答えられなかった部分はどこに書いてあるのか、どんな内容だったのかを一緒に確認します。決して重箱の隅をつついてはいけません。審査を受ける方を痛めつけるのが目的ではなく、こんな基本が抜けていたのか、という「気づき」をお持ち帰りいただき、もう一度勉強しよう!と思ってもらうのが目的なのです。

フライトに移ると、飛ぶこと自体は問題ありません。でも、審査、という事で若干ですが型にはまった部分や硬直したオペレーションも見られます。そして明らかな不安全要素さえなければ、あとはいくつかお互いの経験談を話し合ったり、どうすればもっと安全に飛べるかといったヒントを話し合います。操作に妙な癖がついてしまっていれば、それがなぜ良くないのかを話し合います。そして、そうすればもっと安全に飛べる、もっと楽しく飛べる!よし、やってみよう! と思ってもらえれば、それで合格ではないでしょうか。

審査員の講習を受けた時も、「これは落とすための審査ではない、自ら学び、技量維持を動機付けるための物である」という話を聞いていました。日本の制度にしては、ずいぶんと前向きな制度だな、と思ったものです。同時に、民間でも資格を取ればだれでも審査員になれる事から、資格が独り歩きをして、はっきり言えばこれを教育証明と勘違いして威張りだす人が現れるのではないか・・・と危惧していました。
自分の知識をひけらかし、重箱の隅をつついて悦に入り、不合格をちらつかせて受審者の方を追い込むような・・・そんな人が出てこなければよいですが。

この制度は審査を受けるパイロットのための制度です。気づきを与え、技量の維持をしてもらうのが目的です。だから、その動機付けは前向きな物でなくては意味がありません。受験対策のみであとは知りません、という制度になってはいけないのです。そのためには、審査員が本当に細心の注意を払う必要があると痛感しました。

ずっと前、私が初めて飛行機の実地試験を受けた時、私の担当だったU試験官は民間の教官出身でした。そして、実地試験は試験というよりも「最後のまとめ、総仕上げ」といった感じで進み、試験官は、まるで厳しくも愛情のある教官のようでした。最後には、これから空へ飛び立つ受験者である私に、いろいろと気づきを与えてくださったのです。おかげで、私はいまでも無事に、楽しく空を飛んでいます。

私は今回審査をしながら、その時のことを思い出しました。ただ飛ぶのではなく、パイロットとして「ちゃんとする」事、それは楽しい事なんだ・・・そう思ってもらうにはどうしたらいいんでしょうね。教官をさせていただきながら、いつも悩んでいるポイントです。

私の考えがあっているかどうかはわかりません。
でも、何かと権威勾配が負の影響を与えがちな飛行機の世界ですから、新しい制度がうまく機能して、安全に寄与しながら、ジェネアビの振興につながってくれればいいな、と思いました。



 

(21:51)

2014年01月26日

実に、実に久々に飛行機ネタで行きましょう。

今年の4月から、航空機の技能証明保持者に対して「特定技能審査」という制度が始まります。これは、機長として航空機の操縦をしようとするすべての人は、2年以内にこの審査を受けて合格している必要がある、という物です。いままでは技能証明を取得すると、その人の技量や知識がどうなっていようが、ペーパーライセンスであろうが飛ぶ気になればひとりで飛び上がることが可能だったのですが、この制度がスタートしたことで審査を受けていないパイロットでは「ひとりで飛んではいけない」という決まりと、「フライトプランが受理されない」という仕組みが出来上がりました。なお、この審査は保有する技能証明の種類ごとに受ける必要があります。私の場合は、「飛行機」「滑空機」の二つ受けねばなりません・・・

この制度は4/1からスタートするのですが、いきなり始まってもみんな飛べなくなると困る、と言うことで、現在は「相当審査」という物が行われています。これは、まったく同じ仕組み、同じ内容で制度のスタート前にあらかじめ審査を行うことで、4/1から飛ぶ必要のある パイロットが制度開始後すぐ飛べるようにして、同時に制度開始時に受審する人が集中することを避ける目的で行われています。なお、この特定技能審査の審査員は民間に委託されており、初任講習を受講した後に航空局の実地試験を受ける(教育証明があれば免除)ことでそれぞれが保有する技能証明の範囲内での審査員の資格が与えられます。

で、私も4月から飛べないと困る・・・ので、まずは飛行機のほうの 相当審査を受けてみました。一緒に受けるのは大先輩のSNK教官。審査員は、「事業用計器多発」なのにとてもそうは見えないと有名なマサシちゃんです。完全に身内のこのメンバーだと、相当グダグダになりそうですが・・・そこはそれぞれがパイロットであり教官であり・・・なので、一応やるべき事はちゃんとやりました(ホントですよ!!)

まずは口述。聞かれるのは、最近の法律や制度の変更点。知識が更新されているのかが問われます。そして、訓練初期段階でやったようなごくごく初歩的な質問。これが意外と抜けちゃってるんですよね。VMCとか最低安全高度とか。そして機長の出発前の確認事項。W/Bの計算なんかもやってみます。まあとりあえずクリア。

次にフライトに移ります。飛びながら、審査員の指示でアレコレやります。
自分の時は当然写真ありません。でも、SNKさんのフライトでは実に久々にセスナの後席で高みの見物と。
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こら!マジメにやれ〜!!

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のんびり景色など眺めたりして。たまにはいいですね!
でもまあ、普段から飛ばせてもらってるので飛んでしまえば何とかなります。無事終了。

全部で2時間くらいですかね。今後は2年に一度、これをやらねばなりません。面倒ではありますが、身体検査と一緒で飛べるが故の悩みと言うことで我慢しますか。(笑) 

さて、審査も終わりましたので、モータグライダーで飛ばしていただきました!今日の訓練生さんはベテランのMSDさん。危なげなくまったく安心・・・と言うわけで、右席の私はヒマであります。

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今日も無事飛べました。よかったよかった!


 

(12:06)

2014年01月12日

きむさん、コメント放置して本当に申し訳ありませんでした。
おもえば、きむさんはもう随分と長い間このブログをご覧下さって、いつもコメントいただいていて…いつも本当に楽しみだったし励みになっていました。他にもKポ系の私の知り合いのブログにもコメントを書かれていたので、きっときむさんもKポお好きなんだろうな〜と思ってました。

時が経つと、色々な変化がありますよね。時にはいつまでも楽しいだけじゃいられなくなる時も。まあ、そんな時はそうやって流れていけばいいかな、と思っていたんです。でも、こうやって見ていてくださるきむさんのような方や、Kポが縁で出会った日韓の多くの友人知人の方々がいてくださると思うと、私のこの活動は自分にとって財産だと思えるのです。そのためにも、この場は細く長く続けて行こうと思っています。

ちなみに昨年末はクレヨンポップ見てきました。あと、当然ながら12月のシクリのイベントは全参加して久々にソナさんと交流してきました。現場に行くとやっぱり血が騒ぎますね。それに、他のファンの若い人達もとても良くしてくれるので本当に楽しいです。イベントの記事はこちらに書かず、Daumのファンカフェに韓国語で書きました。あちらのファンとの交流も引き続き楽しんでいます。

日本のKーPopはどうなるんでしょうね。私にとって思い出深いKARAは今後の活動が不透明です。それに、このタイミングでガデ(GirlsDay)が日本へ攻勢をかけそうですし、クレヨンポップは半ば地下アイドル的な人気が安定してますし、意外なのはこの期に及んでシクリ(Secret)が2月に前回の活動曲「I do I do」を発売しますね。私は一貫して日本活動には否定的ですが、まあ反対もしませんのでゆるく見守りたいと思います。

私は「韓国趣味」なので、KーPop以前に昨今とみに問題化している両国間の各種問題についてもすごく興味があります。日本で教育を受けた日本人としては、どうしても一定の立場で物事を考えがちではありますが、それだけに様々なレベルで韓国と韓国人の皆さんを広く知りたい、交流したい、と思っているのです。よろしければ、また気が向いたらコメントいただければ幸いです!
引き続きよろしくお願いいたします。^^

(09:03)

2013年10月07日

こんばんわ。o360です。
生きてます。なんとか。どのレベルで生きてるのか、という話題になりがちですが、まあなんとかかんとか。相変わらずの韓国趣味と飛行機と、楽しく遊びながらどんどんと沼の底に沈みつつあります。他の皆様は浮いたり泳いだりなさるんでしょうけど・・・私はこのまま沈む感じですかね。いや、わかんないですけど。最近はフェイスブックがあって、短い雑文はそっちに書いちゃうのでなかなかコチラにきません。それに、以前の記事をご存知の方にはやはり変なことを書くのは申し訳ないな、とも思ったりして。

とにかく、目下私は人生も後半に差し掛かりましてこの先どうやって生存すればよいのかを悶々としております。皆さんのように安定もしてないし、楽観できない性格でもあるし。そんな人並みの事を考えるようになったのも、最近どうもいろんな事が変化し、あまりよくないものばかりが見えてくるからなのだろうと思います。

私、厄年は前後を含めてエラいことが起きるどころか、むしろ絶好調だったんですよね。ところが、それらすべて終わってから・・・なんだかいろんなものがじわりじわりと動き始めたようなのです。たとえば今年。最近私の周りで、同い年から2年先輩まで、4ヶ月の間に3人の知人が亡くなりました。

一人は癌。3年の闘病生活の果て、子供たちを残して。かつてごく初期の癌で摘出手術を受け、その時は治りました。再発の可能性を抱えつつ、毎年検診でも問題なく暮らしていましたが、子供の受験で検診に行けなかったその歳に、癌が再発したようなのです。見つかった時はすでに手遅れ。家族は母親を失いました。

もう一人も腫瘍。以前に体調が不良だと病院にかかると、思いも寄らぬ重篤な状況だといわれたそうです。大きな手術を行い、腫瘍を摘出しましたがそれ自体は良性だったので、希望を持って治療に励みました。半年後に退院し、その後も二ヶ月に一度の検診では全く問題ないといわれ、1年暮らしてきました。それなのに、ある日突然余命宣告を受けたのです。私はその直後から、人が死と向き合い、受け入れ、そして旅立つまでを比較的近くで見守ることになりました。彼には想像を絶する作業だったと思います。彼は自分の持ち物を形見分けし、死後のすべての段取りを相談し、準備し、そして「予定通り」に亡くなりました。突然の余命宣告から、わずか3週間ほどの出来事。自分で車を運転して出かけていた彼が、花がしおれるように日に日に衰えていく様は不思議なほど・・・私は初めて、人が死に立ち向かう姿を見ました。死に様、という物かもしれません。亡くなる4時間前。病室を後にする私に、ようよう片手をあげながら薄目を開けてくれたのが、永久の別れになりました。

最後の一人は、自殺。詳しくはわかりません。彼は前職の職場の同期で、社会人として船出したしばらく後に知り合った仲間です。いかつい名前と見てくれに似合わず温厚で、人を押しのけて前に行かないばかりか、人に譲って損ばかりするような性格でした。私が会社をやめる時、まだ内密だったその事を同期の彼にこっそり打ち明けると、彼も「実は俺も辞めるんだ。蕎麦屋になるんだ。」といって目を輝かせていました。しばらく蕎麦談義に花が咲き、その後しばらくしてお互いの健闘を胸の内で祈りながら、それぞれ会社を後にしたのでした。夢をかなえるべく修行に出た彼は、しかしその後まもなく奥さんが病に倒れ、仕方なくもとの会社に戻ったようです。そしてその後離婚。3年前には会社もやめ、それ以来の音沙汰はないままでした。やさしかった彼に、いったい何があったのか・・・最後に彼が何を想い、何を見て自らの命を絶っていったのでしょう。
私はすこし、こう思いました。「あ、すごいな・・・」と。自殺なんて・・・できるものじゃないからです。最期までやり通すのはできない事なのに、それを彼は完遂したのです。それだけの苦しみが襲ったという事でしょうか。彼は、自ら幕を引くことで楽になれたでしょうか。だとすれば、それもアリかな・・・などと考えました。

時々申し上げるんですが、基本的に私は思いっきり、悔いなく遊んできました。だからその意味では思い残すことはないんです。学生時代以来、幼稚な頭で考えながら常に思いっきり躊躇なくやってきました。だからそれはいい。逆に、だからこそ「これから」は問題ですね。考え出すと悲惨な末路しか思い描けません。

幸い、私はまだ破綻していないので家族もお知り合いもいます。基本、平和です。
それに、なんといっても空を飛べています。いや、飛ばせて頂いています。私、空を飛んでいる間は本当に生きている実感があります。唯一、私が本当にやりたかった夢でしたし、自分がもっとも好む自分ですし。ありがたいですね。それにこの世は美しい。どうにも立ち去りがたいほどにいとしく、美しいのです。

生きるって言うのは、本当に何なんでしょう。全くわからなくなりました。できれば・・・考えたくないんですが。

 

(22:08)