2018年05月02日

ダイエット論 プロローグその2

太ると、何かにつけ都合が悪いものです。
まあ中には太っている事でキャラ的に得をしている方もいるのかもしれませんが・・・大抵の場合、少なくとも体調が思わしく無いはずです。

・食費がかかる
・なにを着ても似合わない
・どこにいても狭い
・常に暑い
・体が重い
・時として臭い
・動くのが億劫
・膝が痛い
・息が苦しい
・無条件に大食いと認定される
・血液検査の結果が思わしくない
・医師や看護師、保健指導などで常に文句を言われる

などなど。もちろん私もあらゆる不都合を抱えていました。
だからすごい頑張っているのに。でもどんなに頑張っても痩せられないんです。
色んな人から痩せろ痩せろと言われても・・・無理なんです。痩せられない理由ならいくらでもある。
それに本当に頑張っても痩せないんだから。本当に水飲んでも太る。

でも、今回特に堪えたのは他人の目でした。

「・・・・太ったねえ。」

言われたのは2人。
文字だけでは決して伝わる事のない、心底、本当に、生涯忘れえないであろう侮蔑の響きでした。
もとより、万人に好かれる必要もないですし、この2人にだって別に嫌われても良いわけですが。
そうではなくて、ナゼに太っているとこんな言われ方をしなくてはならないんだろう?そう思いました。

・人から蔑まれる
・人から哀れみの目で見られる
・ダメ人間のレッテルを貼られる

しまいには、精神的に病んで来ます。
もう自分は本当に生きていてはいけないような気すらしてきました。
何かの拍子に見た、米国に於ける3大ダメな人というのがあるそうで。
「メガネ、タバコ、デブ」

あぶねえ・・・タバコやめててよかった(後2つは該当)。
でもまあダメ人間には代わりないです。っていうか、すでに人ですらなく「イノシシみたいにデカイ」とか言われました。

本当にダイエットは不可能だと思っています。散々やってきた結果。
それに多くの方はやはりそう思っていると思います。

でも、そんなはず無いですよね。今の世の中は科学されているんですから。
それなのになぜ痩せない?自分の体重くらい自分でコントロール出来ないなんて??といった事を「意識高い系の人」に言われたら・・・

そりゃあ返す言葉なんか無いですよ。ええ。

だから、自分のなにがいけないのか。なぜ水を飲んでも太るのか。
痛む胸を抱えたまま、自分を見つめ直しながら、ここらでじっくり考えてみることにします。





2018年05月01日

ダイエット論 プロローグその1

私、o360。
今年は年齢的にちょっとした節目となります。なお還暦や米寿ではありませんので念のため。
この節目に、なにか「自分は変わらねばならない」と考えまして。さて、なにをしようか。

はずかしながら、学生時代運動部にいて相当に絞れていた自分の体重は徐々に変化し、最近では+21kgとなっていました。もちろん今までも何度も痩せることにチャレンジしましたよ。でもそのたびにリバウンドの繰り返し。
一度精神的にやつれて学生時分-5kgとなったのが20歳以降の最低記録でしたが、その後は太る一方。5年前に仕事が内勤になって以降は歩くこともなくなり、加齢もあって膝を悪くしてしゃがむ事はおろか冬場は歩く事も出来なくなりました。一番困ったのは和式のトイレが使えません。
そうしてサポーターを巻いてヨタヨタと歩く日常を送っていた私がある時、ふと思いついたのです。
「本気で痩せてみよう。」
2018年の正月でした。

実は私は過去、禁煙に成功しています。
10代の頃からおよそ20年、一日2箱のヘビースモーカーでしたが、あるきっかけ(風邪)を契機として、以後1本も吸っておりません。その時は、お馴染みニコレットを「これでもか!」と摂取し、「さて、これでタバコを吸いたいと思うなら、それは純粋に精神がたるんでいるせいだ。なにせ体はニコチンを求めていないはずだからな!」そう言って追い込みました。
結果、まんまと成功。今では大の嫌煙者になりました。嫌な奴です(笑)。

手前味噌ながら、自分はこのように本気になると意外に頑張れる性格だと思っています。一夜漬けなど大得意なのですが、なにせ動物的欲求にめっきり弱いのでダイエットだけは成功した事がありません。
だからこそ今回は、人生初の試みとしていまだかつて無い自分を発見しようと。目標は大きく、学生時代に戻ろうと。そう思ったわけです。

ちなみに計算上で出せる理想体重は、学生時代のさらに-5kg(精神を病んでやつれた時と同じ)。私は比重が重いらしく、当時の写真みるとガリガリですが、やはり筋肉のせいで重かったようです。なにせ来ている服は-10kgの友人と同じサイズでしたから。
本気でそこを狙うなら-26kgが必要ですが、そこはそれでやはり。目標は学生時代の自分にしましょう。つまり+0kgの自分です。

20代後半には+10kgくらいとなり、このレベルがしばらく続いたのでしたが加齢に勝てず。
とくにここ数年がひどく最終的に+21kgまで行ってしまい、結局過去数回のダイエット挑戦も虚しく今年の年初まで人生最高体重を更新し続けていました。

しかし、今回は本気です。
たった1年でも良い。昔の自分に(体重だけでも)戻りたい。強く想いました。そして人生に一度だけ、本当に頑張ってちゃんと痩せたと言う記録をつけたい。

にわか知識をたらふく仕込み、実行しながら独自のダイエット成功へむけて頑張る予定です。リバウンドするかもですが、そんなこたー知りません。ちなみに私の友人が、10数kg痩せて別人のようになりまして驚きましたが、数年たたずに元に戻って安心しました(爆)。

さて、これからしばらくこの話題でお付き合いくださいませ。


2018年04月26日

K-POPで不思議なとこ

長年Kポ見てきましたけど、面白いな、文化かな、と思うのが、衣装。

もっとも不思議なのが、女性グループの衣装、具体的には「黒の下着」。

ミニスカートでも、スカートの色に無関係に黒。かつしょっちゅう丸見え。
いただけないのはホットパンツ/短パンの下に黒の下着。短パンより丈が長かったりして、もうチラ見せじゃなくて確信犯。
あの短パンの下からポケットの裏地がべろんって出てるファッションもまったく理解不能なんですけど、あの黒いパンツ丸見えなのはどういう解釈なのか、まったくわかりません。

トップスも同様。両手を上げるような振り付けのとき、よく短いシャツの下から黒い下着的なものが見えますね。せめて衣装と色合わせたり出来ないんでしょうか。
その上、あちらの音楽番組って、ミニスカートがひらひらするようなシーンは必ず下から煽りますからね。確信犯ですよ。

日本はパンツ見えちゃったりってまず持って無いですよね。ちゃんと対策してる。
たまにあると一気に画像が出回るわけです。で、韓国でも芸能人の名前+露出(のちゅる)で検索するといっぱいその手のが出てきます。だからチラリはチラリで文化としてあるんですよね。

もしかして、バッチリ見えるように黒いパンツ履いとくのはつまり、ブルマー感覚で「見られても良い」または「きちんと対策してますよ、えらいでしょ?」って言うアピールなんすかね。

なおさらに不思議なのは、SM、YGはほぼ絶対これをやりません。日本人が見ても違和感ない(特にYG)衣装でキメてきます。JYPもそうですね。これ以外でも売れてくると衣装がちゃんとしてくる。シスタもそうだったし、EXIDとかも最近はドハデですけどヘンな露出はない。あいゆが黒パンはみ出てたりしてたらイメージ台無しでしょ。だからこれもない。

お気に入りのうじゅも、衣装大変しっかりしているんですが・・・
こないだある動画ですびんが黒パンやってましたね。私服ですかね。珍しかったです。

まあ、私は趣味が韓国なので、どうあろうとも興味が尽きません。
今後も楽しみです。
(なにが?)

最近のK-POPその2

前の記事ではよじゃグループ書きましたけど、ナゼってそれは私ナムジャにはまるで興味がわきませんものですから。とは言え。

今は何と言ってもとんばんしんぎがカムバ中。ついでにすじゅも。豪勢じゃないですか。
メガ大手事務所が嫌い(天邪鬼なので)な私にとって、この両者は数少ない好感を持っているSM所属グループです。ついでに言うと、エンターテイメントとして一番個人的評価が高いのはぴ(ちょんじふん)ですけれども。

いま勢いがイイのはばんたんですかね。あとわなわん。もねく、せぶち・・・えくそ?まあほら、彼らSMなので(嫌いではないです)。
YGはびっべんがおよそ兵役中なのでその間必死にういなあとあいこん売り出してますね(いきなりいはいまで日本で動き出すし)。私、YGコンで見た時はういなあよりチームB(つまりあいこん)のほうが良いと思いましたけれど。
とにかく、ばびは才能にあふれてます。感じます。GDとか、YGじゃないけどじことかと同じような物を感じます。とにかく彼はいい。

よじゃ同様、ナムジャも猛烈な数のグループいますね。現在私が唯一推しているハン・ソナさんの弟ハンスンウ君がびくとんと言うグループにいます。頑張ってますけど、まだ抜け出せていないですね。ナムジャグループは、ファンの子達が付きやすいのと韓国でも掛け持ちが多い(個人的感想)のでなんかの拍子に意外と上位に行きやすいと思うんですけどね。がんばってください。
あ、そう言えばSS501のほよんせんも活動中ですね。

しかし、チャートの方ではベテラン勢はさっぱり。
最近の1位は?ままむ、あいこん、とわいす、なぜかビッベン、あと誰だっけ?? 最後まで見ないからわかんないや。でもベテラン勢なかなか食い込めてません。
ちょっと前にぼあちゃんカムバしましたけど、チャートはおとなしかったです。ひょりちゃんがカムバしてもこんな状態なんですかね。何となくこのあたりのメンバーはどこかで1回一位とったら引っ込む、みたいな風潮に感じてましたけど、最近はチャートも公正なんでしょうか(笑)

とにかく、なむじゃグループはわかりませんな〜

最近のK-POP

いよいよ読者様がいなくなった当ブログ。
ひところは1日に世界中から4000PVくらいありまして、広告の話や芸能事務所と連携しての記事掲載など色々やっておりましたが、今は昔。なのにタイトルもハンドルネームもそのままに、私の裏の顔としてのライフログ的な記録物として自分のために意地で続けております。かつての読者様、本当に申し訳ありません。

K-POPは最近どうかと言えば。
KARAの日本デビュー前後から空前の盛り上がりを見せたKポブームは一旦去り、今また盛り上がりを見せておりますね。
日本はダメだと中国を志向した韓国芸能界はしかし、ミサイル問題などで中国市場開拓もままならず・・そうこうしている内にまた日本市場がいい感じなので最近続々と日本活動を増やしています。
女性グループのみの話をすると、牽引しているのはBlackPinkとTWICEです。これまた事務所はYGとJYPって言う大所でして私的にはあまりおもしろくない(笑)。もちろんグループその物は良いと思いますけれども、個人的には中小事務所に頑張ってもらいたいと。あ、TWICEの日本人3人は応援してますよ。

前出の2グループはデビュー後実力、ビジュアル、そして事務所力で「ドカン」とトップに躍り出ましたが、ここしばらくの韓国での活動を見ると、らぶりじゅ、よじゃちんぐ、おまごるなんかが基本上位にいて、その位置を虎視眈々と狙う第2勢力が何となく整理されてきたかな、と言う感じ(えーぴんくはもうベテラン枠)。ここに位置して活動が目立っているのはえーぷりる、くぐだん、うぃきみき、うじゅそにょ等ですかね。ももれんどぅもココにいたのですが、前回の活動で弾けまして一歩先へ行ってしまいました。れっべるは・・・どうなんでしょ。悪くなさそうですけどSM推しが主に支えてて、そこまで市場はあつく無いイメージですけど(個人の感想w)。
背景として、そにょしでは活動低調、ごるでもナゼか活動なし、からも終焉、くれぽはたぶん再起不能、しすたとみすえーは解散、などなどで一世代ごっそり抜けた感がありますから、明確な世代交代が起きております。まだ売れる前に志半ばで活動停止したグループもありました。ちょっと前だとれいんぼう、割と最近ではらぶむとか。

今のところ、個人的にはうじゅが超お勧め。言ってもぴみりや入りの新参ですけれども。
外見もいいし、13人の大所帯ですがそれぞれ個性もいいしなにせパフォーマンスが凄く良い。
少し前に引っ張りだこになったソンソやバラエティなどで活躍するウンソほかドラマ出演などメンバーの話題も十分。いい歌もあるのに・・・やっぱもっとファン増やさなきゃです。今回の歌(くむくぬんまうむろ)も超良かった。これで一位取れないのはつらいですけど(一位候補にはなった!)、ついにファンクラブも立ち上がったし、Vライブも頑張ってるし今が大切な所でしょうね。はじめの頃に推しメン探そうと思って「あ、この子イイ!」って思ったらみんな中国人だったって言うのも、今では良い思い出です。
私はカフェ覗く程度でファン活動はしていませんけれども、まあこれからもKポの世界をうっすらのぞきき続けたいと思います。

そう言えば、過去熱烈に活動していたしくりさんについては、私の推しメンバーのそなさんが脱退した時に事実上私も卒業となり、そなさんの応援のみ続けております。
いまは俳優さんの事務所(ふぁいぶらどーす)で俳優活動をしており、イベント、歌番組一切ありません。テレビやネットで見る以外応援活動もないと言う有様です。
ま、今の私にはそれくらいがちょうどいいですけどね。

残りのメンバーは・・事務所と揉めてるっぽいです。胸が痛みます。
いまや詳しくはわかりませんけれども。

では。



2018年04月20日

気が向いたので

2年ぶり?ですが。こんにちわ。o360です。
どうやらリアルにご来場様がいなくなったようです(爆)!

まあ、良いです。
恐らく、人生の中でもかなり忙しく、どうにもならない時期を迎えているようです。
不幸とかそういうのじゃなく。フェーズなんでしょうね。

ブログに書きたい事はいっぱいあって、それはもう今までのこのブログの方向性とはまったく違うわけですけれども・・途中から雑記帳に方向転換したので、それも良しと思うわけです。

夜のカフェで久々の更新・・・
と思ったら、閉店ですと。

では、またお目にかかりますw

o360 at 21:29|PermalinkComments(0)

2016年08月26日

アイドルってなんですか

このブログご存知の方は、私がK-popアイドルに熱狂していたのをご存知なわけでして。でも、だから私がドルヲタか、といえば、これは異を唱えたいと思っています。
と言いつつ、私はドルヲタもオタク文化も決して否定していません。今回ひとりごとのように色々書いていますが、私がそれらを「こういうものだ」と決めつけて書いているわけではなく、あくまで部外者の体験談程度の物ですので・・・もしお気に障りましても、どうかご容赦のほど(笑)。

アイドル興味なし
また過去を語っちゃうんですが、アイドルと言う用語がいつからあるのかはわかりません。
ただ、個人的には女性アイドルについては森昌子、桜田淳子、山口百恵の「中3トリオ」は多分アイドルだったんじゃ無いでしょうか。南沙織、アグネス・ラムなどなど・・・この辺もおそらく今で言えばアイドル。だから何となくこの辺りがアイドルが確立した境目なのかな・・・

ただ、男性に限って言えば、「御三家」と言われた橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦やもちろんグループサウンズなんかは完全にアイドルでしたね。あとは映画スター。言わずもがなの石原裕次郎、小林明、宍戸錠、浜田光夫、などなど・・・アイドルって言えばアイドルだったのでは。だから60年代からアイドルはしっかりいたわけですな。そしてこんな名前が出てくるんだから、まあ年齢バレますよね(笑)
 
まあでもファンの文化、応援文化などひっくるめると、わかりやすいのはやはりキャンディーズ、そしてピンクレディーでしょうね。 そして少したってから聖子ちゃんがどっかーん。
でも私が若い頃は、ほんとはアイドルにはあんま興味なかったんです。まあ好きな歌はいくつもありましたけど。自分で楽器をいじっていたせいもあってロックやフォークに傾倒していましたから、アイドルは疎遠です。後年になって工藤静香は数回コンサート生きましたが、これは彼女の幾つかの曲に、当時私がむやみとはまっていた中島みゆきが絡んでいたからですね。 

結局、今に至るまで日本のアイドルにはほぼ触れずにきたわけでしたが、韓国文化を漁っているうちにワンガのTellMe旋風にあたり、どれどれと聞き出してからは・・・まあご存知の?通り。

結果的に「アイドルを愛でる」と言う事を何年間かやってみた結果、対象が日韓の違いはあれ、アイドルのファンの気持を実体験し、同好の友人たちを通じてアイドルのファンを目の当たりにすることになりました。当然ドルヲタも恐ろしく多様性があるのでなんともいえませんが、 なるほどこういうものか・・・と思うに至ったわけです。

認知という蟻地獄
今思えば、私は認知されたがりでした。アイドルのファンのある一派には、そういう人たちがいるのです。

きっかけはともかく、アイドルに興味が生じ、特に推しメンができたりすると、SNSをはじめあらゆる情報で鮮度が高い彼女(この場ではお目当てのアイドルを便宜上こう呼びます)の情報を欲し、その全てに喜怒哀楽するようになります。そうしながら、ファンの心にはますます理想の彼女像が出来上がってゆく。当然、芸能人である彼女たちアイドルは膨大な努力をしているし、人々に愛されるに値する人物であるのは当然なのですが、それ以上にファンの心に確固たる偶像が出来上がる。そしてアイドルも運営陣もその偶像=夢を壊さないように、あるいはますます強化する方向に頑張るわけです。

彼女たちはそうしていたいけな努力をしたり、時として思わず涙したりするものだから、やがてファンはいたたまれなくなって人としての彼女に個人的な感情をいただくようになります。勿論、純粋に芸術として愛でる以外に異性の芸能人を好きになる、なんてのはもれなく擬似恋愛です。だから、好きが高じてくると、当然そこに双方向のコミュニケーションが欲しくなる。SNSはこれを可能にしました。もちろん、業界はこれを商売にもする。会いにいけるアイドルや握手会などのふれあいイベントもこういう心理につけこんだ物ですよね。

握手会で、メンバー別の列が短かったりすると「可哀想だ!おれがなんとかしてやろう!」もしくは「認知されるチャンスだ!」となって何度もそのメンバーに並んだりします。一回の握手にはCDを一枚買わなくちゃいけなかったりしますから、認知を買うための出費も莫大です。でも、一旦認知されるとそうそう抜けられなくなるものです。そういうものなんです。


K-POPの場合
そこで、韓国に目を移します。韓国芸能界は、日本に比べてファンも業界も狭いせいもあるでしょうか、アイドルとファンとの距離が異様に近いのです。
韓国の芸能界も熾烈ですし、国としての文化背景もあってとにかく彼女たちは年端もいかない年頃からして人生かけて勝負してきています。そんな彼女達は、ほっといても応援したくなるじゃないですか。それに素晴らしい事に、活動中のアイドルには毎週無料で生で会うことができる。個人認証だってちょっと頑張ればいくらでも可能です。番組観覧で、撮影現場で、移動の場で、そしてイベントで、しょっちゅう会えます。はるばる会いに行けば、「また来てくださったんですね!ありがとう!」といってくれる。音楽番組の順位だって、収録の観覧だって、誕生日やテレビ出演の応援イベントだって、ファンが直接思いを届けるチャンスがいっぱいあります。ある意味に於いて、アイドルとファンは本当の意味で一体と言えるのが韓国アイドルです。つまり、頑張ると報われるんです。考えようによっては、ストイックな片思いではなく、見返りがある。
きっと、私はこれにやられたんだと思います。

ファンレターを送ると、直接名指しでお礼の書き込みが上がったり、SNSでメンバーと公開の会話をするファンもいます。当然、イベントでも会場の外でも会えば顔見知りですし、向こうからも話しかけてくれます。ある知り合いは、とうとうSNS経由で彼の推しメンバーと非公開メッセージのやり取りをするようになりました。どうでしょう。ファンとして・・・これは狂わずにいられないですよね。

こうなると気のせいではなくて本当に個人と個人の関係になりますので、ファンとしての活動は異次元のものとなっていきます。先ほどのようなのは本当にレアなケースですが、韓国アイドルについて言えば、少し前まではこれが夢ではない世界でした。そして、いまでもこういう部分を夢見ている多くのファンが存在します。日本でもおそらく同じではないでしょうか。毎回同じコスプレや被り物をする、握手会のたびに大きな同じ名札をつけてくる、送ったプレゼントをアイコンにしてSNSメッセージを送り続ける・・・つまり、これは個人として認知されたいわけですよ。
これは本当に自然な感情だと思いますね。否定出来ません。

勿論、相手は芸能人ですから、どこかに線引きは必要です。韓国で言う「サセン」(日本では「やらかし」というらしいですね)行為は厳に慎むべきです。当たり前ですよね。

アイドルか音楽か
認知された、またはされたいとなってくると、イベントに行っても「舞台がよく見える席」を探すのではなく、「舞台からよく見える客席」を選ぶ様になります。屋外の小規模イベントだと、ファンが押し寄せる客席前方より、あえて最後列に陣取って手を降ったりボードを挙げたりすると余計に気づいてもらえたりします。
そして、サセンではなく彼女に会えるとなれば、どこへでも行きます。そうなるとイベントよりも移動の空港等のほうがゆっくり会えて良かったりします。結局、会いに来ている自分に気づいてほしい、ということで・・・つまり認知中毒の一丁上がりという訳です。私がこれでした。

しかし。少し前、ポールマッカートニーのライブを見に行きました。無論、ビートルマニアの私ですから、まるで神様に会いに行くような神聖な気持ちで行きました。
そこで見つけたのは、意外にも「純粋に音楽を楽しんでいる自分」でした。
大声で応援を叫ばない、会場の雰囲気をリードしようとも張り合おうともしない。気づいてもらおうとあがくこともない。席が遠くても、向こうが気づいてくれなくてもがっかりしない。
純粋に「音楽を楽しむ」事の愉しさ。一方的に享受する、あるいはしみじみと「味わう」など。

アイドルにも良い曲はいっぱいありますが、入れ込んでいるアイドルの現場は、やはりちょっと違うな、と確信しました。音楽は「儀式」であり、セトリは「式次第」であると。だから必ずしも歌や踊りでなくても、ファンミーティングなんてイベントも成立します。そしてそんなアイドル現場には、勿論それなりの楽しさがあります。それはもう頭がしびれる程楽しい。仲間がいても更に楽しい。
でもそれ音楽の現場ではない。違うものです。いや、それを駄目だと言っているのではありませんけれど。

アイドルって何かなと思った時、思い当たったのは、つきなみだけれどもやっぱり「擬似恋愛(または擬似親子?)の錯覚を起こさせるもの」「偶像」ではないかと考えています。アイドルの女の子達は、本当に頑張っているし、どんなキモヲタとも笑顔で握手するし、撮影会では疲れを見せずに笑顔でポーズを取ります。名も知らぬアイドルの草の根イベントに遭遇した時に、特にそう思いました。本当に、アイドルってのは大変な仕事です。でも、そうやって客に夢を見せながら自分たちも夢を持っているんでしょうね。ファンとアイドルの良い関係があるかぎり、アイドルってのも良い物かな、と思っています。

それにずるい話ですが、ファンはヘタすると掛け持ち出来ますよね。
これが実の恋愛と違うところで。例えば「地下アイドル」でひとまとめにしちゃって、イベントでは一通り盛り上がれる。こうなると特定の個人メンバーをことさら愛するのではなく、アイドルっているジャンルが好きになる人がいます。そこにマニア性や中毒性、収集癖、いろんな人間のサガをトリガーにしたいろんな商売がぶら下がり、さらにはアイドルとアニメ(2次元)が融合しちゃったりして・・・いまやオタク文化は花盛りの一大市場になりました。すごいもんです。

私はどうもこのいわゆるオタク文化がかなり苦手なのですが、近いところをちょろちょろしている自覚はあります。でもやっぱり、日本のアイドルにはこの先もしばらくはのめり込みそうも無さそう。だから、根本的に自分はドルヲタたり得ないけれども、そういう世界をちょっと垣間見たのは面白かったな、と思っているわけです。
ま、そんな事いっててドハマリしたら大笑いですね(苦笑)。

さて、何を思ったかいきなり書き始めたこの音楽ネタ。次回また時間をみてまた続けたいと思います。

 

o360 at 18:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年07月20日

知りもしない音楽を語るなど

こんにちわ。昨晩、ひょんな事から足の指の爪をはがして大量出血したo360です。ご無沙汰しております。

ひところは一日4000PVあったこのブログも、もはやひっそり・・・と思ったら、定期的に見てくださってる方が何人かいらっしゃって。もうありがたいやら恥ずかしいやら。

もっとも、ブログ運営は嫌いではないので、最近はちょっとある団体の公式ブログをお手伝いしたりもしています。こちらは広報も兼ねているし、企業なので更新もちょっとした義務感?があって、緊張しつつも楽しんでやってます。逆にそんなもんだから自分のブログはほったらかしな訳で。
そんな放置ブリなのに、またぞろ書き出したってことは・・・なんかあるんでしょうね。あはは。

開設以来10年以上のこのブログ、そしてo360という名前は、私が生存している限り、もうこうなると意地でも続けて行こうと思っているわけです。自らの無能さ加減を表明する放言の場として。もちろん、よそ様にご迷惑をかけるのは本意ではないので、その部分だけは気を付けたいと思っています。でも、基本は好き勝手書きます。過去記事は公開していませんがまだ記録はあるので、将来つらつら読み返しては、一人ほくそ笑むのも楽しみです(変態)。

さて、散々さわいでいたK-POPについては、推しグループが開店休業状態なので活動しようがありません。それに加えて、私生活がいろいろ変化して多忙を極めており、渡韓回数も激減してしまいました。

さりとて、こればっかりは飽きたりしないのが面白いところで。
ネットやテレビ、SNSではそれなりに情報も集まります。そっち界隈の旧知の仲間もまだ仲良くしてくれますし。それに加えて、時たまリアルに韓国のお客さんと話したりする機会が来たりするものだから、意外と言葉を話す機会もあります。だから、Kポが薄まったとはいえ、本来の私らしい韓国趣味に回帰したとも言えますね。

飛行機はもう、ますます濃度を高めてゆきたいと切望していますが。こればっかりはお金もあるし・・・でもできる範囲で頑張ってます。飛行場での生活を充実しつつ副収入を得ようと(不純)始めた養蜂も、年数を経るごとに新たな経験をして蜂の奥深さに魅了されるとともに、逆にあまりにも大変でやめときゃよかったと本気で後悔もするというカオス。まったくもって毎日本当に忙しくしております。
本業がおろそかなので、お金は全く儲かりませんけれども。

さてさて。近況も書いたところでちょっと音楽の話など。

感覚的に、音楽は本当に好きだと思います。聞くのも、やるのも。
幼少期は純粋な昭和ですから、テレビ、ラジオ、それに商店街の放送なんかでいわゆる「流行歌」みたいのに親しんだわけです。さらに親が聞いていたせいか、子供ながらにフォークソングもよく聞きました。洋楽も。

1960年代後半から70年代にかけて、60'sもビートルズも、カーペンターズも、ハードロックもいつも遠くで聞こえてました。だから、後年これらを聴くようになっても私の耳には非常に自然にはいってきました。
私は中学に入ってすぐビートルズに開眼し、以来現在に至るまでのビートルマニアになりました。同時に好きだったフォークソングの関係もあってギターをはじめ、高校に入るとお決まりのバンドごっこなんかやったりします。そうなると、今度はそこでハードロック、そして当時盛り上がっていたヘビーメタルに触れることになり、バンドでもアイアンメイデンなど盛んにコピーしておりました。ご同輩諸氏は、みなさんこの流れではないでしょうか。
とくにヘビーメタルは衝撃でしたね。ヘッドバンキングなんて異常な習慣も、やたらと骸骨が出てきたり豚の生首や便器を振り回すのも、そもそも考える前に体がうごいてしまうメタルの魔力であったわけで。私がいくら知らないふりをしても、その時代の宿命として、「メタルの凄み」みたいなものには、少なからず洗礼を受けたのだと思います。

まあ基本雑食系だし根性もないので、そのまま重篤なロッカー(当時はローラー族なんてのもいましたが)やメタルヘッズにはなりませんでした。でもビートルズ由来の私としては、ビートルズについて知るためにプレスリーやバディ・ホリーなんかの時代へさかのぼりますし、そうなるとどうしたって「ロックンロールとは何ぞや?」というモコとした命題が、常に頭をふらふらするようになったのです。だって、内田裕也氏が「ろっけんろー」とかいうじゃないですか。もう、訳がわかんない。当時あんなに人々を突き動かしたロックってなんだ?と。

たとえば、「湘南爆走族」っていう当時かなり流行った漫画があって、ここでもそこここにロックンロールが登場する。ツッパリ全盛の時代は、往々にしてツッパリとロックンロールの関連性が取沙汰されましたが、同世代の私が考えても「ツッパリ」にポリシーなんかなかったはずです。それは単に年相応の、習性みたいなもんだと思ってましたし、周りにいたツッパリはそれはもう粗暴で、ただの狂犬としかおもえませんでした。だから、そこに「ロックンロール」なんてなんだか立派そうな概念を張り付ける事自体が言い訳じみて、メッキで飾ってるみたいなこそばゆい物に感じていました。

でも徐々に、20歳前後になると、自分なりに何らかの答えらしきものが見えてきた気がしてきました。
ロックとは、どうやら主義主張であるらしいと。「ロック」という思想なのだと。それは魂の叫びであったり、自由であったり、それらを標ぼうする心や生き方であったり。かつてヒッピーがいて、フラワームーブメントがあって、ラブアンドピースを標ぼうした人々と、ある部分ではつながりながらも表現と嗜好が異なる、特異で独特な積極性がある物。内田裕也氏が叫ぶ「ろっけんろー」はそういう物ではないかと。そう考えると、忌野清志郎もなるほど、ロックしてる。そう考えれば、よくわからない若者であるツッパリも、そのやり場のないエネルギーの発露からきているとすれば、やっぱりそこにロック的な何かはあるのかもしれない。うん、なるほど。

そして次に、音楽としてのロックは、必ずしも様式にとらわれない物である事。つまりは、結果的に佐野元春が私にとって最もわかりやすいロックの形でした。いわく、曲調や編曲、楽器、編成ではなく、大事なのはロックする心なのだと。だからアーティストによってクロスオーバーする部分があったとしても、かつてのニューミュージックやポップスや演歌とは趣が違っているわけです。グループサウンズは(大好きだけど)ロックじゃないね。あれはポップスだ。少なくとも目的としては想いの吐露より心地よい音楽が大部分だと思うので。大滝栄一や山下達郎は上質なポップスですよね。おしゃれだし。

で、ロックという思想や概念をもって、1960年代以降様々な音楽が枝分かれし、ジャンルとして発展してきたのだと思います。混沌の70年代を経て、楽器も進化し、そもそもデジタルになっちゃってあらゆる音楽表現はもう考えうる限りの物が可能になった感があります。いまやすでに録音テープを切り刻んでコーラにつけ込んだり、音階が微妙なテルミンの前で変な踊りをする必要はないわけです。楽器すら演奏しなくてよくなりました。たいていは打ち込みで何とかなります。

ただ、技術の発展とは関係なく音楽業界はあまり状況がよろしくないらしく。80年代を過ぎてバブル景気とともに市場は広がり、CDの時代はセールスとしても爆裂売れたものでしたが、ITの進化で音盤が全く売れなくなりました。そのなかで業界は苦心惨憺して、それでもヒットを放つアーティストを発掘しては仕掛けます。こうして、歌は世につれ、世は歌につれるのですが、そもそも世(日本の景気)が大幅に低迷した時期でした。。それに才能がある=売れるわけではないですから。音楽業界は消耗戦となり、苦しみながら本質的な何かを失っていった・・・ことは考えられるでしょうね。むろん、私は何を分析できるわけでもないですけど。あくまで想像として。

わかるのは、実体験として自分が日本の流行歌を全く聴かなくなったことでしょうか。これは一人の大衆として、日本の音楽セールスが低迷しつつある最中に、自分も等しくそういう経緯をたどっていたのではないかと。
その代りに私は。偶然もともとの韓国趣味が高じて、当時第3次アイドルブームと言われた時期のK-POPに傾倒することになりましたが、これは統制されたパフォーマンスやキャラ設定、業界の文化など、日本にない独自性があった、さらには私にはまったく免疫がなかった「アイドル」という分野であったことが原因にある気がします。あくまで音楽ではなく、韓国とアイドルという、私にとっては別ジャンルでのとらえ方であったと。もっとも、このおかげで視野も広がり、韓国のいくつかの名曲(アイドル以外の)を知ることも出来ので、これも結果的にはよかったのだと思いますが。

結局K-POP以外について言えば、ここ10何年は昔の曲を聴き返すのがほとんどでした。新しい音楽はいやでも耳に入りますが、どれも私には刺さらなかった。もちろん、私自身の加齢によって趣向が変わったのも大きいですし、誤解のないように言えば、これは音楽をやる人の才能がない、と言っているのではありません。私はそんなことはわかりません。あくまで1人称の、自己独善的な、そんな範囲での話ですから。

そして最近。
どうやら同世代には、私のような方が結構いらっしゃるようなのです。今の歌に共感できず、かつての歌を愛聴する。以前は「自分も歳を取ったら演歌を聞くのかな」と思ってましたが、別にそれほど聞かないですね。だから結局は、若い時分に聴いた歌、自分の生い立ちを彩っていたような音楽を好むのは人の性なのかな、と思ったり。だとすれば、昭和の歌はよかった。どれもこれもよかった。これも時代のせいなんですかね。確かに戦後しか知らず、平和な幼少期を過ごした私にとっては、良い時代であったけれども。

まあ歳のせいにしちゃいましょうか。それが簡単ですし、時代は若者の物です。老兵ではありますがまだ死ねないし消えることもできないので、若者の志向はそっとしておいて、自分は自分の楽しみでいいんじゃないか、そういう事でヨシとしましょうか。






 

2016年03月25日

Macすばらしい。

昨年から、PCをMacに乗り換えました。
そもそもiPhone が世に出た時に真っ先に手を出し、リンゴ的思想に存分に洗脳された私はそれでもWindwsでなければ何も出来まいと、PCだけは頑なにWinマシンを使ってきました。が。

気が付くと、私に必要な機能はほぼWEB上でできる事のみになっていました。
他にやるのは写真と音楽の管理くらい。じゃあMacでいいじゃん、と。

結果、もうりんご病は絶頂期を迎えています。

私の場合は、どうやらパソコンがどうこう、という問題は二の次のようで。
Macはとにかく触ってて、いじっていて気持ちがいいのです。実際には有用なフリーウェアがなかったりwebでも不具合がおきたりしているのに、すべてが許せてしまうのです。

画面がキレイ、操作がスムーズ、意に反して待たされない。iPhoneはじめその他との連携機能に至っては、拙い私の想像の先を行っています。これは何なんでしょう。もう本当に、すばらしいと感じてしまうのです。
実は社外ではこのMacで仕事の連絡も関連する作業もやりますが、メール以外の作業は(本来はあまり奨励されないでしょうけど)会社のwin機に繋いでやっています。でも、これまたいまだかつて無いほどに快適です。
モバイルwifi経由であっても、officeはもちろんイラストレーターでの作業すらほぼ問題なくできてしまう。今まではなかったことです。

それに、写真関係については、会社のwin機でも自宅のMacでも公私それぞれのために作業していますが、こればかりはMacの圧勝といえます。というか、アドビとの親和性みたいな物かも知れませんし、MacがMacBookプロだからかもしれませんけど、会社のPCも写真用にこの間買ってくれたばかりのやつなので、ハードのスペックはかなり高いはず。でも如実に違います。処理速度も、もちろん発色その他も。

とは言え、私が感激していることの殆どはその筋の方には無縁であって、おそらく生産のツールとしての機能や性能は、私の判断基準とは別のところにあるようですね。
そう考えれば、私にとって自宅のPCとは、少しの業務と写真以外については基本、生活上の便利家電みたいな物にすぎません。言ってみれば立派なテレビみたいなものでしょうか。

だとしても。 それで気分よく過ごせるのであれば、それはそれでMacの使い方かな、と思っています。別にスタバでドヤ顔するために買ったわけでは無いけれど、今の私にはとにかく気持ちがよくて、いじって楽しいおもちゃなので。

「Macでなければ出来ない事」は特になけれど、少なくとも「Macで出来ないこと」より「Macで楽しい事」のほうが遥かに大きい、という事のようです。

o360 at 20:39|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2016年03月19日

鬱々

最近。
身の回りで本当にいろんな事がおきた。

ただ、ほとんどの案件で私は、まあまあ深く関わってるのに自分は当事者ではない、と言う微妙な位置にいた。純粋に自分の事と言えば子供の卒業式くらいか。
とにかく、楽しい事も気が重い事も、大小の変化も信じたくない出来事も、いろんな事があった。

しかし、日常は見事なまでに淡々と過ぎてゆく。淡々と。そして自分は誰の役に立たず、何の助けにもなれやしないのだ。

いずれの事態にもかかわらず、当事者ではない私は平和そのもの。
今回のような身の回りの出来事はもちろん、世界に目を向ければもっといろいろな事がおきてる。理不尽に喘ぎ、助けを求める人達が溢れている。それなのに。

この街に小さく住み着いて自分の暮らしに汲々とする…そんなあまりにも無力無能な自分はどうか。驚くばかりだ。そして同時に、考えてもどうしようしようもないのに、と自嘲するのだ。

外は雨。季節はもう春らしい。